新訳 そして伝説へ・・・   作:久慈川 京

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西の洞窟

 

 

 

 東から朝陽が上り、夜という幕を上げ始めた頃、<ノアニール>の宿屋の外では、カミュとリーシャが剣を交えていた。

 サラの鍛練はすでに終了しており、カミュとリーシャのせめぎ合いを地面に座りながら眺めている。メルエはここにはいない。まだ、宿屋の部屋のベッドで睡眠中である。今のメルエにとっては、文字や言葉の学習よりも、しっかりとした栄養と、十分な睡眠が一番必要な事なのだ。

 それを三人は理解している。故に、無理に起こしたりせず、メルエが自然に早起きをした時だけ、文字や言葉を教える事が暗黙の了解となっていた。

 サラの目から見て、カミュとリーシャの剣の力量はアリアハン出立時に比べ、格段に上がっているように見える。しかし、『どちらが上なのか?』と問われると答えに窮してしまう物でもあった。

 それは、アリアハン大陸にいた頃を知っていれば、可笑しな事。カミュとリーシャは、雲泥の差はないにしても明らかな力量の差があった筈である。

 

「くそっ!」

 

 カミュは、リーシャの剣を紙一重でかわしながら、舌打ちをした。

 カミュとて、アリアハンから出てから自分の剣の腕が上がっている事は実感している。それは、魔物との戦闘でも明らかになっていた。

 しかし、目の前にいるアリアハン屈指の戦士まで届かない。

 『もしかすれば、その差は縮まっているかもしれない』

 そう思い、毎朝挑んではみるが、その希望は必ず打ち砕かれる。

 宮廷騎士とはいえ、相手は女性。基本的に純粋な力であれば、女性より男性の方が強くて当たり前。では、目の前の人間が異常なのか。

 しかし、カミュの頭はそれを否定する。確かに、まだ力では及ばないかもしれないが、物を持つような力はいずれカミュが追い抜く事は出来るだろう。カミュにとって、目の前に立つリーシャという壁は途方もなく高い物に見えていた。

 越えなければならない者。されど、

 容易に越える事の出来ない者。

 

「……はぁ……はぁ……残念だったな、カミュ。今日も私の勝ちだ」

 

「……」

 

 カミュの中では、<レーベの村>でリーシャと約束した内容など、もはや気にはしていなかった。

 しかし、この目の前の高い壁を越えない限り、一人旅など到底不可能である事もまた、揺るぎようのない事実であったのだ。

 

「お疲れ様でした!」

 

 地面に座り込み、リーシャを見上げていたカミュとその前に立つリーシャにサラが汗を拭く為の布を手渡す。受け取った布で顔を拭いたリーシャの顔は清々しく晴れ、とても美しかった。

 

 

 

「カミュ、今日はどうするんだ?」

 

「今日の行動は、昨夜に話した筈だが?」

 

 鍛練を終え、休憩を兼ねてその場に座り込んだリーシャは、顔をカミュへと向けて今日の予定を尋ねる。それに関してのカミュの答えは簡素なもので、多くを語らなかった。

 

「確かに聞いた……しかし、本当に<西の洞窟>へ向かう気なのか?」

 

 リーシャの疑問。それは、カミュにとって困惑するに値するような代物だった。

 <ノアニール>で話を聞き、<エルフの隠れ里>で話を聞けば、自然と行く先は<西の洞窟>という事になる。何故それに疑問を挟むのか。それがカミュには理解出来なかった。

 

「……ああ……アンタが何に疑惑を感じているのか知らないが、<西の洞窟>へ向かう……」

 

「お、お前は……お前はそれで良いのか!? この村に、それ程の義理がある訳ではないだろう。それでも行くのか!?」

 

 感情の堰を切ってしまったかのように、リーシャが叫び声を上げる。その瞳は真剣そのもの。

 何かをカミュへと訴えたいが、それが自分でも分からない為、うまく伝える事の出来ないもどかしさを感じているような叫びだった。 

 

「……元々、俺はそういう存在だと言った筈だが……」

 

 しかし、感情を露わにするリーシャとは反対に、カミュは<シャンパーニの塔>で語った言葉を、再度リーシャへと語る。しかし、その言葉はリーシャの顔を歪めてしまうのだ。

 

「あの老人は……お前を『人』として見ていない! それでも、お前は行くというのか!? お前には……お前には自分の意思はないのか!?」

 

 続くリーシャの言葉。その言葉をリーシャが発した瞬間、その場は凍り付いた。

 カミュの目を見て叫んでいたリーシャですら、その口を閉じる事を忘れてしまう程の威圧感。

 先程まで、無表情ながらも『人』としての暖かさを持っていたカミュの顔は、何の感情も見えない能面と化していたのだ。

 

「……アンタが、それを言うのか?」

 

「……な…なに……?」

 

 カミュが放つ相手を恐怖させる程の威圧感の中、リーシャはそのカミュが紡いだ言葉の意味を脳内で必死に消化しようとする。だが、それを理解すれば理解する程、リーシャの心の中に自責の念が生まれて来た。

 それは、時間が経てば経つだけ、リーシャの心を蝕み、壊して行く事だろう。それ程の物であった。

 

「し、しかし、カミュ様。<エルフの隠れ里>でのエルフの対応は……酷過ぎるのではないでしょうか?……いくら『人』と『エルフ』が争っていた歴史があるとはいえ、話し合いにも応じないなど……」

 

「……では、逆にアンタに聞きたい……もし、昨晩遭遇した<ホイミ>を唱えるスライムがアリアハンの城下町に入り、『自分はホイミを使える。だから怪我をした人間を治療させてくれ』と言って来たとしたら、アンタはそれを許すのか?」

 

 リーシャの助け船を出す意味合いもあったサラの言葉は、カミュへの問いかけというよりは、自身に言い聞かせるような物でもある。

 幼い頃から教え込まれて来た『エルフは悪い者』という偏見を正当な物とするその言葉に反論したのは、全ての者を平等に見続ける異色の『勇者』であった。

 

「……そ、それは……」 

 

「『自分は知能のある魔物で、人間に危害を加えるつもりはない』と門の前で叫ぶ魔物を町の中に入れるのか?」

 

 サラには答えられない。

 カミュの言う例え話。

 それは、内容こそ違え、昨晩サラが悩んだ事と同意の物であったからだ。

 

「……城下町や村に魔物が入り込んだとしたら、例え『人』に危害を加えていなかったとしても、その来訪の意図も、そして害意の有無も確かめずに、兵士達が討伐をするだろう。『エルフ』があれ程『人』を憎んでいるにも拘わらず、俺達は生きてあの里から出る事が出来た。それだけでも、俺は、『エルフ』に対して敬意を表するに値すると思っている」

 

「……カミュ……」

 

 『人』の希望であり、『人』の味方となる筈の『勇者』と呼ばれる者。

 そうである事を義務付けられたカミュという青年は、『人』の間で恐怖の対象である『エルフ』に対し敬意を表している。リーシャは、自分の中にある『勇者』像が大きく揺れ始めているのを感じていた。

 しかも、それは不快に感じる物ではない。

 

「……アンタ達の考えが、この世界の『人』の常識である事は知っているが、アンタ達は実際に目で見て、その耳で聞いている筈だ。アンタ方こそ、そろそろ自分の意思で考える事をしたらどうだ?」

 

 これで話は終わりだとでも言うように、カミュは立ち上がり、宿屋へと戻って行く。取り残される形となったリーシャとサラは、それぞれの胸にそれぞれの想いを抱く事となった。

 

 

 

 メルエの起床と同時に、リーシャが朝食の準備を始める。カミュは剣の手入れを行い、サラは寝ぼけ眼のメルエが、顔を冷たい水で洗うのを手伝ってやっていた。

 食卓に四人全員が揃い、食事を開始するこの時が、メルエにはたまらなく嬉しく、自然と顔には笑顔が浮かぶが、その他のリーシャとサラの表情は優れない。メルエは不思議そうに小首を傾げた後、自分の皿に乗るハムの様な肉の一つをサラの皿の上に乗せた。

 

「……メルエ?」

 

「…………あげる…………」

 

 突如自分の皿の伸びて来た手と、乗せられた肉を見て、サラは驚いた。

 メルエへと視線を向けると、そこにあったのは笑顔。サラを気遣うようなメルエの優しい笑顔に、サラは困惑してしまう。

 

「えっ!? だ、大丈夫ですよ。メルエはしっかり食べないと……」

 

 このような小さな少女に心配をされてしまう程に自分の顔が歪んでいた事を知り、サラの気分は更に落ち込んで行った。

 

「そうだぞ。メルエには、魔法で頑張ってもらわなければいけないのだから、しっかり食べておけよ」

 

「…………サラ………げんき………ない…………」

 

「だ、大丈夫です! 私は元気ですよ。あっ!? もしかすると、メルエは自分の嫌いな物を私に渡そうとしているのではないですか!?」

 

 無理に笑顔を作りながら発したサラの言葉は、メルエの自尊心を大きく傷つけた。

 元気である事示す為に軽口を叩いただけであったが、メルエにしてみれば、心配を無碍にされたと感じたのだろう。メルエの頬は見る見る膨れ上がって行く。

 

「あっ、い、いえ、メルエ? 本当はそんな事は思っていないのですよ。し、心配してくれたのですよね?」

 

「…………サラ…………きらい…………」

 

「はぅっ!」

 

 『ぷいっ』と横を向いてしまったメルエに、サラは困惑を極める。慌ててメルエへと弁解を繰り返すサラの姿は、重く沈んでいたリーシャの心をも、幾分か軽くしてくれた。

 リーシャにしても、今朝のカミュとのやり取りで胸に棘が刺さったままになっていたのだ。

 それは、容易に抜ける物でもなく、そしてその傷口から何かが漏れ続けている事もまた、否定しようのない事実である。

 

 

 

 朝食も終わり、<西の洞窟>へと向かおうと村の出入口へと歩く一行の前に、先日の老人が現れた。

 今朝、話していた事の中心人物である老人の顔を見たリーシャは、その表情を歪ませる。

 

「おはようございます、勇者様。今日はお早い出発なのですね」

 

「……」

 

 貼り付いたような笑顔を作り、声をかけてくる内容には若干棘を含ませているように感じる。昨日、昼過ぎにこの村を出た筈が、今朝にはもう村に帰って来ていたというカミュ一行の行動に、何かしら思う所があったのかもしれない。

 

「今日は、どちらへ向かわれるのですか?」

 

「……<西の洞窟>です……」

 

 カミュの答えを聞いた途端、老人の表情が一変した。先程までのような不穏な空気は微塵もなく、晴れやかな笑顔を見せる。

 

「おお!! そうですか。では、『夢見るルビー』を探しに行って下さるという事ですね!」

 

 昨日、この村を出て、戻って来たという事は、この村に掛っている呪いを解く為に行動している事は理解出来てはいた筈だが、老人はカミュ達に念を押す為に、今朝一行の前に現れたのであろう。

 『アンタ達は勇者一行なのだろう?この村で休んだだろう?』と。

 

「これで……十数年続く、この村の眠りも解かれる……」

 

「い、いえ。もし、『夢見るルビー』が見つかったとしても、エルフの女王様がこの村の呪いを解いてくれるとは……」

 

 早くも『眠り』という呪いが解かれる事を見ている老人に、横からサラが楽観視出来ない事を告げるが、その言葉は、結果的にサラやリーシャの悩みを更に大きくさせる物となってしまった。

 

「ふぉふぉふぉ、何をおっしゃいます。例え、エルフの女王が許さず、この村の呪いを解く事を拒んだとしても、勇者様がおられるのですから、何の心配もしておりません」

 

「そ、それは……」

 

 老人が口にした一言。

 それは過剰な期待。

 要約すれば、『エルフ側が拒んだとしても、アンタ達が何とかしてくれるのだろ?という』物であり、それは、サラの深読みかもしれないが、『いざとなれば、エルフと戦ってでも呪いを解け!』というようにも聞こえた。

 

「<西の洞窟>は、魔物が巣食っております。僅かではありますが、こちらをお持ち下さい」

 

 老人が手渡して来た物。

 それは、麻で出来た袋だった。

 中には、薬草が数枚と毒消し草が数枚。

 町の道具屋で揃えられる物だった。

 

「……ありがとうございます……では……」

 

「お気をつけて。どうぞ、この<ノアニールの村>をお願致します」

 

 頭を下げる老人を振り返る事なく、カミュは村の出口へと歩を進める。サラは、そんな二人の姿に対し、胸にしこりを残したまま旅立って行くのだった。

 

 

 

 昨日歩いた時とはまた違った憂鬱感。それが、リーシャの胸にも、サラの胸にも広がっていた。

 朝食時から、優れない表情の二人を心配するように、今日のメルエの手は、カミュのマントではなくリーシャの左手を握っている。

 

「…………リーシャも………げんき………ない…………?」

 

「ん?……あ、ああ、大丈夫だ、メルエ。少し考え事をしていただけだ」

 

 リーシャを見上げながら心配そうに声をかけるメルエに、リーシャは顔を上げて笑顔を向けるが、それでもメルエの瞳の色は変わらない。

 

 メルエの瞳。

 それは、サラだけではなく、リーシャも時々悩まされる。

 純真で無垢な瞳。

 奴隷として売られる前には様々な苦痛があったであろうに、それを思わせない程の澄んだ瞳。

 その瞳に見つめられると、自分が浅ましく、汚らしい物の様に感じてしまうのだ。

 

 しかし、サラもリーシャも気がついてはいない。今、メルエがその瞳の色を取り戻したのは、自分達の影響なのだという事を。

 赤の他人であり、しかも奴隷として売られ、身分も出自も分からないメルエに対し、何の躊躇いもなく、無償の優しさを向けてくれる人間の存在が、自然とメルエをも変えているのだという事に。

 

 

 

 道中、何度か<バリィドドッグ>や<デスフラッター>と遭遇し、戦闘を行いながら一行は<西の洞窟>を目指した。

 気分が落ち込んでいるサラも、戦闘となれば、そこは『勇者』カミュの従者。自分達へ襲いかかって来る魔物達を次々と斬り伏せて行った。

 最近は槍の使い方にも慣れ始めたサラは、素早い<デスフラッター>の速度に惑わされる事なく、冷静に動きを見極め、槍を突き出す。今朝、カミュから、極力魔法の使用を抑えるように言われたメルエは、要所要所でその魔法を行使する事にしていた。

 しかし、ただ一人だけ、昨日とは異なる人間がいたのだ。

 

「えっ?」

 

 それは、<デスフラッター>を槍で突き刺したサラが振り返った先にいた人間。貴族としての誇り、宮廷騎士としての誇り、何より自分自身への誇りを持ち、常に凛と立つサラの憧れでもある女性。

 その女性が、剣を腰の鞘に納めたのだ。女性の前には、まだ、生きている<デスフラッター>が羽ばたいているにも拘わらずだ。

 

「……」

 

 カミュもまた、アリアハンから共に行動をして来たその戦士の変化に驚いていた。

 リーシャの前で羽ばたいていた<デスフラッター>は、隙を見つけたとばかりに、大空に飛び去って行く。リーシャは、ただその魔物の姿を目で追っていた。

 

「リーシャさん!! ど、どうしたのですか!? ま、まさか、どこかお怪我を……」

 

「……いや、大丈夫だ……」

 

 慌てて近寄るサラの問いかけにも、どこか上の空といった様子で、リーシャが返答を返す。その姿に、サラの胸に浮かんだ、ある疑惑が確信へと近づいて行った。

 

「で、では……何故……?」

 

 聞きたくはない。

 よりにもよって、リーシャからその言葉を聞きたくはない。

 それでも、サラの口は自然と動き出す。

 『何故、魔物を逃がしたのか?』と。

 

「……今日は<西の洞窟>を探索するんだ……あんな魔物に構っている時間はない」

 

 『嘘だ!』

 サラは瞬時にそう頭の中で叫んでいた。

 今では、サラでさえ、自分一人で討伐出来る魔物である。ましてや、カミュよりも上の剣技を持つリーシャであれば、気にするような時間をかけるまでもなく、魔物の息の根を止めていただろう。

 それでも魔物を仕留めなかった理由。

 それがサラには理解出来た。

 いや、理解してしまったのだ。

 

「さ、さあ、行こう! 陽が落ちる前には<西の洞窟>からは出て来たい」

 

「……ああ……」

 

 リーシャの行動を見て、表情に出さないまでも驚きを浮かべていたカミュは、その口端を少し上げて、リーシャの声に答えた。

 空元気ではあるが、後ろを振り返ったリーシャの表情に、メルエは笑顔で頷いた後、再びリーシャの手を掴み歩き出す。戦場であった場所には、ただ一人、新たな悩みを抱えたサラだけが残った。

 

「…………サラ………いく…………」

 

「!! あ、は、はい!」

 

 サラを気遣うように振りかえったメルエの声を聞き、弾かれたように顔を上げたサラは、胸に渦巻く様々な想いを抱えたまま歩き出すのであった。

 

 

 

「……ここか……?」

 

 その洞窟は、<エルフの隠れ里>から南に行った森の中にひっそりと存在していた。

 それ程大きくはない入口が、ぽっかりと口を開けている。周囲には木が生い茂り、鳥のさえずりすら聞こえるその場所は、とても魔物が巣食うような場所には見えない。ただ、入口から覗かれる洞窟内は、暗い闇に覆われ、どれほど深いのかも想像が難しいものだった。

 

「……<たいまつ>の準備もしているな……入るぞ……」

 

 カミュの言葉に全員が頷きを返し、一行は洞窟内へと足を踏み入れて行く。太陽がまだ真上にくる前ではあるが、日光がもたらす暖かさがあった外とは違い、一歩踏み入れた洞窟内は、身体を震わせる程の冷気が立ち込めていた。

 

「メルエ、私の手を離すなよ」

 

「…………ん…………」

 

 中の様子に若干怯え気味なメルエへ、リーシャは優しく声をかけ、メルエの手を強く握った。

 先程より力強く手を握られたメルエは、嬉しそうに頬笑みを返しながら小さく頷きを返す。その二人の様子を、サラはどこか遠い所の出来事の様に見ていた。

 まだ、先程の戦闘での出来事が頭から離れない。サラにとって唯一の味方と言って良かったリーシャは、今ではサラとは異なった考えを持ち始めているように感じてはいた。

 しかし、それが表面に出てしまうと、薄々感じていた事が確信へと変わり、サラの胸の中で複雑な感情へと変わって行く。

 

「カミュ! 右へ抜ける道があるぞ!?」

 

「……アンタが言うのなら、そっちは行き止まりの筈だ」

 

「な、なんだと!? そ、それは行ってみなければ分からないだろ!」

 

 そんなサラの苦悩を余所に、リーシャとカミュがいつも通りのやり取りを始めていた。

 リーシャが道を示した事へのカミュの反応は、当たり前と言えば当たり前の物。しかし、それに納得しないリーシャの叫びに再び大きな溜息を吐いたカミュは、リーシャの言う通りに右へと進んで行った。

 

「……」

 

「……理解出来たか? 何故かは知らないが、アンタは行き止まりを探知する嗅覚があるとしか思えないのだが……」

 

「…………リーシャ………だめ…………?」

 

 リーシャが示した先、それはサラとカミュが予想した通りの場所。岩で出来た壁が立ち塞がり、前へと進む事が出来ない空間。一言で言えば、『行き止まり』。その結果が示す物にリーシャは肩を下げる。

 リーシャの右手を握るメルエの上目使い気味の疑問が、リーシャの心を更に抉って行った。

 

「あれ?……これは……?」

 

 リーシャが唇を噛みしめる姿を横目にサラが何かを拾い上げた。

 それは、サラがアリアハンを出てから数回しか使わずに、腰に差したままとなっている鋭く光るナイフに形状が酷似している物だった。

 

「それは……<聖なるナイフ>か?」

 

「あ、は、はい。おそらくそうだと思います。でも、何故このような場所に?」

 

 気を取り直したリーシャがサラの手の中で光る物の名を口にし、サラもまたそれに同意を示す。しかし、サラにも何故ここに<聖なるナイフ>があるのかは解らなかった。

 

「…………メルエ………もつ…………」

 

「だ、駄目ですよ、メルエ。危ないです!」

 

 <聖なるナイフ>へ手を伸ばそうとするメルエを必死に避けるサラの姿は、リーシャから見ても滑稽なものだった。

 自然とその顔に笑顔が浮かんで来る。

 

「…………サラ…………きらい…………」

 

「うぅぅ……嫌いでも、駄目です」

 

 サラが言うように、メルエに刃物を持たせる事は、危険な事かもしれない。しかし、見方によっては、すでにメルエの腰に差さっている<毒針>は<聖なるナイフ>以上に危険な物とも言える代物だ。

 今サラが持っているナイフと似た物を、サラが腰に差している事を知っていた故に、自分に<聖なるナイフ>を渡そうとしないサラは、幼いメルエから見れば『ずるい!』としか見えなかったのかもしれない。

 

「あはははっ! メルエ、諦めろ。それは、誰か他の人の物だ。この洞窟に持ち主がいるかもしれない」

 

「…………むぅ…………」

 

 笑い声と共にメルエに声を掛けるリーシャの言葉に、サラとやり取りを繰り広げていたメルエが頬を膨らませながら振り向く。しかし、その後の真面目な表情に戻ったリーシャの言葉に、眉を顰めながらも素直に頷くしかなかった。

 

「それに……そのナイフは、もしかしたら遺品かもしれない。死者の物であるのなら、遺族に届けてあげよう。前に教えただろ?」

 

 <シャンパーニの塔>でリーシャから教わった『死者を尊ぶ』という事。

 それを、メルエも思い出し、首を縦に振ったのだ。

 

「メ、メルエ……」

 

「…………でも………サラ………きらい…………」

 

「はうっ!」

 

 メルエの姿に安堵を漏らしたサラに告げられた言葉は、またしてもメルエ得意の戯れであった。

 サラの落胆する姿を見て、再び笑い声をあげたリーシャは、サラの後ろに立っていたカミュの行動が目に入った。注意深く、周囲を見回し、<たいまつ>を上に掲げたカミュが、その背中の剣に手をかけたのだ。

 それは、もはやパーティー全員の暗黙の了解となった『戦闘の合図』。

 魔物の襲来を知らせる物だった。

 

「メルエ! こっちへ来い!」

 

 リーシャは傍にいたメルエの腕を引き、自分の下へと引き寄せる。その声に、サラも背中の槍を取り、持っていた<たいまつ>を上に掲げ、カミュが見た物を見ようと目を凝らした。

 

「!!」

 

「…………うぅぅ…………」

 

 その姿にサラは息を飲み、メルエはリーシャの足にしがみ付くように怯えた様子を見せる。そんな二人の前に、彼女達にとって最も頼りになる二人が、それぞれの剣を抜き放ち、立ち塞がった。

 洞窟の上空には、六つの光。

 その姿は<たいまつ>の炎の光に照らし出され、全貌を現した。

 天井にぶら下がるように逆さまに立つ人影は、どうやって岩で出来た洞窟の上部にしがみついているのかは解らないが、確かにそれは人型をした魔物であった。

 それは、以前、一行が<シャンパーニの塔>で遭遇した魔物に酷似した者。メルエの命を脅かしたあの魔物である。リーシャの足で震えるメルエの姿が、その魔物に植えつけられた恐怖の度合いを測る事を可能にしていた。

 

<バンパイア>

<こうもり男>の上位種に当たる吸血種の魔族。<こうもり男>と同じように、人の生き血を好み、カラカラに干乾びるまで吸い尽くす。ただ、手下のような者達を増やす為に、全てを吸い尽くさず、吸血種としての遺伝子を送り込む事があると云われている。その結果、<バンパイア>よりも下級種となる<こうもり男>が生まれたというのが、世の学者たちの中で有力とされている説である。

 

「メルエ、大丈夫だ。今回は必ず私が護ってやる。安心して呪文の詠唱を行え」

 

「…………ん…………」

 

 怯えるメルエの上から降り注がれる暖かく、力強い言葉。その言葉はメルエの胸の奥から勇気を湧き起こす。

 今にも羽ばたきそうな<バンパイア>に向かって右手を掲げ上げたメルエは、言葉を紡ぎ始めた。

 自分が、母や姉の様に慕う女性の期待に応える為に。

 

「メルエ! <イオ>は使うなよ!」

 

「…………ん…………ヒャド…………」

 

 メルエが口を開く寸前にカミュが叫んだ忠告に、軽く頷いたメルエは、右腕から冷気を生み出す。それは、カミュの声に羽ばたき始めた一体の魔物の背中から生える羽に直撃した。

 冷気に包まれた羽は徐々に凍り付く。自分の意志で動かす事が出来なくなった羽に困惑したまま、一体の<バンパイア>が地面へと落ちて来た。

 

「よし! よくやった、メルエ!」

 

「…………ん…………」

 

「ふふっ、頭を撫でるのは後だ、メルエ。今は、こいつ等を倒してしまおう」

 

 地面に落ちた<バンパイア>の胸に剣を突き立て、その命を奪った後、リーシャは頭を突き出して来るメルエに微笑んだ。

 いつものお褒めの作業を断られたメルエは、若干頬を膨らますが、リーシャの言葉に素直に頷き、剣を振るカミュとリーシャの邪魔にならぬよう、サラの傍へと下がって行く。

 

「カミュ! そっちは任せたぞ!」

 

「……ああ……」

 

 一瞬の目配せの後、頷き合った両者は、背中の羽を羽ばたかせて飛び回り始めた<バンパイア>にそれぞれ向かって行く。<こうもり男>の上位種とは言え、能力に格段の違いはない。それは、日々成長を続けるこの二人を相手にする者としては致命的だった。

 別段、撹乱する魔法を唱える訳でもない<バンパイア>は、向かって来る二人の剣速をかわす事など出来なかった。

 身を捩り、何とか避けようとする<バンパイア>の右腕を斬り飛ばしたリーシャの剣は、そのまま<バンパイア>の胸に吸い込まれて行く。右肩から血液の様な体液を噴き出しながら、床に落ちた<バンパイア>は数度の痙攣の後、その活動を停止させた。

 振り返ったリーシャの目に、<バンパイア>の鋭い爪を剣で弾き、返し際に肩口から剣を斬り入れるカミュの姿が映った。

 カミュの左腕には、現在、<青銅の盾>はない。昨日までカミュの左腕にあった盾は、今リーシャの左腕に装備されている。先日の戦闘で盾を失ったサラへリーシャが盾を譲り、カミュがリーシャへと盾を譲ったのだ。

 初めは、自分より力量が劣るカミュが盾を自分に渡そうとするのを拒んだリーシャであったが、カミュの最近の言動が、仲間を想っての物である事のように思い始めていたリーシャは、その盾を受け取る事にしたのだ。

 

「…………ん…………」

 

「ん?……ああ、よくやった、メルエ」

 

 カミュが最後の<バンパイア>を倒した事を確認したリーシャの横から、移動して来たメルエの頭が突き出される。

 メルエの姿に笑みを溢しながら、<とんがり帽子>を取ったその頭をリーシャが撫で、それをメルエは目を細めながら受ける様子に、戦闘にほとんど参加しなかったサラの顔にも自然と笑顔が浮かんだ。

 

「……先に進む……」

 

 そんな微笑ましいやり取りも、カミュの一言で幕を閉じた。

 

「…………ん…………」

 

 かに思われたが、リーシャの手から離れ、カミュの下へと移動して来たメルエの突き出す頭に、歩き出そうとしていたカミュも溜息を吐く事となる。

 

 

 

 メルエの頭を撫で終えた一行は、洞窟の奥へと進んで行った。

 洞窟内は所々水が滲み出しているような場所が見える。その水は、毒に侵されている様子などもなく、綺麗に澄んでおり、魔物達の影響で濁ってしまった洞窟内の空気を浄化しているようでもあった。

 

「おや?……このような場所に人が入って来るなど……」

 

「!!」

 

 メルエがカミュのマントの裾を掴みながら、空いている手で壁から滲み出る水を触っていると、不意に広がった空間で、前方から聞いた事のない声がかかった。

 驚き、剣や槍を構えようとするリーシャとサラを制し、カミュが<たいまつ>を声の発信元へと向けると、そこにはサラと同じような服装をした初老の男が立っていた。

 男の前には、壁からにじみ出た水が溜まり、小さな泉ができている。

 

「……貴方は?」

 

「あ、はい。驚かせてしまったようですね。私はロマリア教会に属する僧侶です」

 

「ロマリア教会の?」

 

 男の答えに、サラはロマリア教会で会った、女性司祭を思い出す。慈悲深い微笑みを浮かべ、人を導くような優しい言葉を話す老婆の姿を。

 彼女ならば、今自分が胸に抱えている悩みに対し、どのような言葉をかけてくれるだろう。それは、ルビス教会の司祭としての叱責か、それとも人生というエルフにとっては一瞬のように短い旅の先輩としての言葉か。

 

「……ロマリア教会の僧侶様が、このような所で何を?」

 

 対人用の仮面を被ったカミュの言葉に、僧侶は少し困ったような顔をした後、苦笑に近い笑顔を一向に向けた。

 

「実は……この洞窟のどこかに、体力や気力を回復させる『聖なる泉』があるという噂がありましてね」

 

「では、その噂の真意を確かめる為に、わざわざロマリアからここまで……」

 

 僧侶の言葉にサラは呟きで返す。『聖なる泉』という噂が流れているにも拘わらず、<ノアニール>の呪いの噂が伝わっていない訳がない。

 <ノアニール>の話は、通常は国家レベルの物である。

 エルフの話を聞いた後に、サラが真っ先に感じた疑問。

 

 『何故、ロマリア国は動かないのか?』

 

 国家レベルの問題にも拘わらず、十数年も放置されている問題。

 『カンダタ』問題は、国で討伐隊を出し、更には他国が掲げる勇者と呼ばれる存在に依頼までした国とは思えない程の対応。

 その疑問は、僧侶の言葉によってサラの胸の中で大きくなっていった。

 

「はい。何故、このような場所にそんな泉が湧いたのか解りませんが、何やら哀しげな呼び声に聞こえるのですよ……」

 

「……哀しげな……」

 

 サラの呟きは周囲を岩の壁に覆われた洞窟内に寂しく響いていた。

 僧侶の言っている『哀しげな呼び声』とは、『人』との哀しい恋をした『エルフ』である<アン>の物なのであろうか。

 

「それで……泉を調査しに来た貴方が、何故ここに留まっているのですか?」

 

 干渉に浸るサラを余所に、それまで黙って両者の話を聞いていたカミュが口を開く。自然とパーティー全員の視線が再度、僧侶の下に集まる事になった。

 その視線のせいなのか、僧侶は恥ずかしげに頭を下げ、弱々しく語り始める。

 

「……それが、途中で武器を落としてしまったらしく、攻撃呪文を行使出来ない私としてはこれ以上先へは進めず、戻る事も叶わずとなってしまいまして……」

 

「……武器を? サラ、さっきの<聖なるナイフ>じゃないのか?」

 

「えっ!? あ、ああ! は、はい。これではありませんか?」

 

 僧侶の言葉に思い当たる節があったリーシャはサラを振り返るが、自分の考えに没頭していたサラは、慌てた様子で顔を上げ、先程拾ったナイフを取り出した。

 

「おお! それです。良かった……」

 

「……」

 

 サラからナイフを受け取って胸を撫で下ろす僧侶の姿を、カミュはいつもの様に表情を失くした顔で見つめていた。

 ナイフ一本あるかないかで何が変わるというのか。サラの様に『バギ』でも行使する事が出来るのであれば理解出来るが、この様子では回復呪文といえど、最下級の<ホイミ>しか行使出来ないのだろう。

 <ホイミ>と<聖なるナイフ>一本で切り抜けられる程、この洞窟の魔物は弱くはないというのが、カミュの見立てであった。

 

「……大変失礼ですが、貴方はこのまま洞窟から出た方が良いでしょう。幸い出口はすぐそこです」

 

「い、いや、しかし……私には泉の調査という……」

 

 カミュの申し出に対する僧侶の反応を見る限り、僧侶自身もカミュの言う事を肌で感じている事が窺える。ロマリア国家からの命なのか、それとも教会からの指示かは解らないが、それを放棄する事への抵抗と、自身の身の安全が天秤にかかっている様子であった。

 

「……この洞窟を住処にしている魔物は、ロマリア城付近の魔物よりも強力な物が多いようです。貴方一人でこの先を進むのは、かなり困難になると思います」

 

「そ、そうです。私はアリアハン教会の僧侶でサラと申します。同じ教会の人間として、その調査は、未熟ではありますが私が引き継ぎますので」

 

 カミュの提案にサラが後押しする。

 被せるような誘惑に、僧侶の心は大きく動き始めていた。

 

「……しかし……貴方方は……」

 

「私達は、『魔王討伐』の為にアリアハンから出た者だ。私はアリアハン宮廷騎士のリーシャという」

 

 尚も躊躇する僧侶に向かって口を開いたのは、成り行きを見ていたリーシャであった。

 余計な事を言うまいと口を閉ざしていたリーシャであったが、サラが名乗った以上、この問題を収拾するのはその地位である事を察したのだ。

 リーシャは国家に仕える騎士である。その名の力は、他国にも及ぶ物である事は自負しているのだろう。

 

「……『魔王討伐』に……では、オルテガ殿のご子息……」

 

「ああ、ここにいるのが、その息子であるカミュだ」

 

 揺れ動く心を押えながら、一行の身元を尋ねる僧侶に驚愕の事実が告げられた。

 ロマリア国の人間にとって、アリアハン国は卑怯者の国とされている。アリアハンで英雄であるオルテガもまた、『魔王討伐』という使命を果たせなかった男。

 しかし、それは大部分を占めるが、決して国民全員の感情ではない。中には、アリアハン同様に、オルテガを勇気ある者、『勇者』として見る者もいるのだ。

 それは、教会に属する人間等に多く見られる。『魔物=悪』とする教会に属する人間にとって、例え志半ばで倒れたといえども、全世界の人間を救う為に立ち上がり、魔物に立ち向かっていった人間は、『英雄』となり得る資格を備えている者と考えているのだ。

 

「そ、そうですか……貴方がオルテガ殿の……わかりました。貴方方に比べれば、私など何の役にも立たないでしょう。私はここを出る事にしましょう」

 

 明らかに胸を撫で下ろした表情。自分の力量では、この洞窟の奥へと進む事が難しいという事を、この僧侶が一番理解していたのであろう。自分に課せられた命を誰かに委ねてしまう事を咎められるのではという危険を考慮に入れられない程に追い詰められていたのかもしれない。

 

「…………メルエの…………」

 

「……メルエには<毒針>があるだろう? それとも『アン』の<毒針>では不満なのか?」

 

「!!」

 

 メルエは、僧侶に手渡された<聖なるナイフ>を物欲しそうに見つめ、愚痴を溢した。

 そんなメルエを見て、カミュが発した言葉は、メルエにとって胸を鷲掴みにされたような衝撃を受ける物であり、弾かれたように顔を上げたメルエの首は、千切れんばかりに横に振られる事となる。

 

 

 

 僧侶が去った後、一行は再び洞窟の奥へと歩き始めた。

 奥へ進むにつれ、洞窟内に漂う冷気は濃くなり、肌に感じる気温もまた低下して行く。暗く狭い道を進む一行は、各人との距離を空けず、カミュを先頭に歩を進めて行った。

 途中、<バンパイア>や<バリィドドッグ>等の魔物と遭遇し、戦闘を行いながらも進む一行の前に下へと続く坂道が出現する。

 

「……カミュ……」

 

「……ああ。進むしかないだろうな」

 

 どうするかと尋ねるリーシャに対して、一つ頷いたカミュの反応に、一行はその坂を下へと降り始める。

 下へ下へと続く長い坂道を下って行くと、今度は上り坂。

 カミュへと確認の為、視線を向ける一行。

 頷くカミュに、一行の足は再び前へと進み始めた。

 

 

 

「……どうなっているんだ?」

 

 リーシャの呟きは、全員の耳に届いてはいたが、誰一人その問いに明確な答えを出せる者はいなかった。

 坂を上り終えた場所は少し開けた場所。

 壁から滲み出ている水が溜まっている。

 しかし、一行の視線の先には、再び現れた下へと向かう坂道だったのだ。

 

「……また、上るのですか?」

 

「……嫌なら帰るのだな……」

 

 溜息と共に吐き出したサラの呟きは、カミュによって即座に斬り捨てられた。

 無表情で吐き捨てるカミュの方を見て、サラは考えずにはいられない。

 『カミュは、今の言葉が自分ではなく、メルエの言葉だったら、あそこまで冷たい言葉をかけただろうか?』、『リーシャであったら、あそこまでの無表情で言葉を吐き捨てたであろうか?』と。

 それは、『自分は、カミュに仲間として認めてもらっているのだろうか?』、『教会の教えや考えを何よりも忌み嫌うカミュが、その教会に属している自分を認めてくれるのだろうか?』というサラの心に常に渦巻く二つの疑問。

 そして、その答えはカミュの一挙一足に表れているようにサラは感じていた。更には、今朝のリーシャの行動。それが、このパーティーの中でサラの存在だけを更に浮き彫りにする事になってしまっていた。

 

「ほら、サラ、行こう。もう少しだ」

 

 カミュと睨み合った状態のサラに、リーシャの意識的な声がかかる。サラとカミュの様子を遠巻きに見ていたメルエも、サラの手を引くために傍に寄って行った。

 

「あっ、は、はい。頑張って行きましょう」

 

「…………ん…………」

 

 リーシャの言葉、メルエの表情、それが一時的ではあるが、いつでもサラの心を前へと向けてくれる。サラの手を取り、歩き出そうとするメルエの姿に、サラの表情にもささやかな笑顔が戻った。

 

 

 

 再び上り始めた一行を待ち受けていたもの。

 それは、坂を上り終わる前に登場を果たす。

 

「……前もって言っておくが、あれは決して<きのこ>ではないぞ……」

 

「わ、わかっている! 馬鹿にするな! それに例え<きのこ>だったとしても、あのような色の物を食そうとするものか!」

 

 現れた者は魔物。それも、カミュの言うとおり<シャンパーニの塔>でリーシャが間違えた<きのこ>の様な魔物。ただ、その体躯の色素は決して食物とは言えない毒々しいものだった。

 

<マタンゴ>

<おばけきのこ>の上位種と云われているが、その生態などは謎が多い。きのこのような形をしてはいるが、その体躯の色は毒々しく、見るからに毒キノコと解るようなものである。<おばけきのこ>と同じように、牙の生えたその口から甘い息を吐き、対象の神経を麻痺させ眠らせてから食す。上位種とはいえ、その力量等は<おばけきのこ>と大した差はない。

 

 坂道の途中に現れた<マタンゴ>は全部で三体。

 リーシャは既に腰から剣を抜き、構えを取っていた。

 

「……解っているとは思うが、アイツが口を開いたら息を止めろ。また眠りにつかれたら面倒だ」

 

「わ、わかっていると言っているだろ!」

 

 同じように剣を抜いたカミュは、視線を<マタンゴ>へと向けたまま、溜息を吐き出す。それは、<シャンパーニの塔>でのリーシャの失態を突く物であり、再びリーシャの頭に血を上らせるような物でもあった。

 

「…………リーシャ…………ねてた…………」

 

「メルエ~~~~~」

 

 カミュの忠告に五月蠅そうに答えるリーシャの横から無邪気な声がかかる。それに対し、地の底から響くような声を出すリーシャに、メルエは一目散にカミュのマントの中へと避難していった。

 とても魔物を目の前にしている人間達のやり取りではない。しかし、決して侮っている訳ではない。目の前の魔物程度では動じる事がないだけなのだ。

 

「先に行くぞ!」

 

 剣を抜いて飛び出したのはリーシャ。

 剣を右手に持ち、一体目掛けて駆けて行く。

 しかし、リーシャが倒したのは、最初に目標にしていた<マタンゴ>ではなかった。

 リーシャの飛び出しに驚いた<マタンゴ>が後方に引いた反面、横合いからもう一体の<マタンゴ>がリーシャ目掛けて体当たりをかけて来たのだ。

 意表を突かれる形となったリーシャであるが、対応は冷静だった。急遽足を止め、横合いから飛んで来る<マタンゴ>に照準を合わせ終わると、<鋼鉄の剣>を躊躇なく突き出す。カウンター気味に突き出された剣は、<マタンゴ>の胴体に吸い込まれ、きのこの串刺しが出来上がった。

 

「サラ!!」

 

 前回の教訓から素早く剣を魔物から抜いたリーシャは、後方へと飛びながらサラへ掛け声を送る。それは、魔法の行使の合図。

 

「はい!」

 

「待て!! 息を止めろ!!」

 

「バ……!!!」

 

 リーシャへのサラの返答と、カミュの声は重なってしまった。サラが詠唱を開始しようとしたその時、残る二体の<マタンゴ>の口が一斉に開いたのだ。

 カミュの言葉にメルエとリーシャは慌てて息を止める。だが、リーシャの要望に応えようと詠唱を始めていたサラだけは、呪文を紡ぎ出すために息を吸い込んでしまっていた。

 <マタンゴ>二体から発生した甘く眠りに誘う息は、詠唱を始めたサラだけが吸い込んでしまう事となる。

 

「……またか……」

 

 崩れ落ちて行くサラの体躯を素早く支えたカミュは、大きな溜息を吐いた。

 そんなカミュの姿に、リーシャも居た堪れない思いを抱く。眠ってしまったのはサラではあるが、そのキッカケを作ったのはリーシャであるのだ。

 結果論になるが、リーシャがサラに攻撃呪文の詠唱を指示しなければ、この事態は起きなかったかもしれない。

 

「……まぁ、あと二体だ。何とでもなるだろう」

 

「そ、そうだな。私とカミュで一体ずつ倒せば終わるだろう」

 

 近くにサラの身体を横たえたカミュが出した結論に、リーシャも大げさに頷いた。しかし、そんな二人の考えは、あっさりと覆される事となる。

 

「…………メルエ………やる…………」

 

「ん?……別にメルエがやらなくても大丈夫だ。私とカミュで何とかなる」

 

 それは、今まで出番のなかったパーティー最年少の少女からの言葉。それに対し、柔らかく制するリーシャの言葉にも大きく首を横に振り、納得しようとしない。

 

「…………あたらしい………おぼえた…………」

 

「な、なに!?」

 

「!!」

 

 その少女の言葉に、目の前にまだ魔物が残っているにもかかわらず、カミュとリーシャは驚きを隠しきれず、胸を張って答えるメルエの顔を振り返ってしまった。

 『いくらなんでも、魔法習得のスピードが速すぎる!』

 それが、カミュとリーシャの感じた感想だった。

 メルエの魔法の才能は、カミュやリーシャも知ってはいる。しかし、それでもメルエの歳で、この習得速度は異常であったのだ。

 

「……わかった。メルエ、頼む」

 

「…………ん…………」

 

 諦めに似たようなカミュの言葉に、メルエは力強く頷きを返す。そのまま、こちらの様子を窺っていた<マタンゴ>二体へ右腕を向けると、メルエはいつもと同じように、呟くような詠唱を始めた。

 

「…………ベギラマ…………」

 

 瞬間、メルエの傍にいたカミュとリーシャの頬にまで火傷を負わせそうな程の熱気が、メルエの右腕から発生する。それは、渦の様な熱風となり、一直線に<マタンゴ>へと向かって行った。

 熱風が着弾した<マタンゴ>の周囲に広がって行く凄まじい炎。

 まさしくそれは炎の海。

 声を発する事も、ましてや逃げる余裕なども与えられないまま、<マタンゴ>はメルエの右腕から出現した炎に包まれていった。

 

<ベギラマ>

その名の通り、<ギラ>の上位魔法になる。灼熱呪文としての効力は<ギラ>を遥かに上回り、その炎はすぐには終息を迎えない。その炎は大地を焦がし、上空の空気すらも焼き払う。現在、古の賢者が残した魔法を行使出来る人間がいないこの世界では、『魔法使い』と呼ばれる職業の人間が使える攻撃呪文の中でも上級に位置する呪文である。

 

「……」

 

「カ、カミュ……メルエは一体……」

 

 メルエが造り出した光景は、カミュとリーシャの行動を止めてしまう程の物だった。

 炎が未だ収まらない前方では、すでに活動を停止しているであろう<マタンゴ>らしき影が見える。それは、もはや原型を留めてはいないだろう。それ程の炎なのである。

 メルエは未だに字を全て読む事は出来ない。故にメルエは、『魔道書』に載っている全ての魔法の名を、少し前にカミュへと尋ねていた。

 最初は、もう全ての契約を終えてしまったのかと驚いていたカミュであったが、メルエのたどたどしい説明を受け、納得して全ての名を教えていたのだ。

 故に、メルエが新しい魔法を覚えたとしても、カミュが知らない場合が多々出て来る。<シャンパーニの塔>で行使した<イオ>や、今回の<ベギラマ>もそれに当たる物だった。

 

「…………ん…………」

 

 驚きに声を失っていた二人を呼び戻したものは、帽子を脱ぎ、頭を突き出すメルエの声だった。

 

「……あ、ああ……凄いな、メルエ……」

 

「……」

 

 若干顔を引きつらせながら、メルエの頭に手を乗せるリーシャとは違い、カミュは炎の収まった先にある黒焦げの物体を見て目を瞑ってしまっていた。

 それは、魔物への哀悼なのか。

 それとも、目の前の惨劇を作った術をメルエに与えてしまった事への後悔なのか。

 

「…………ん…………」

 

 リーシャの手を受け取り、『今度はカミュの番』とばかりにカミュへと頭を突き出して来るメルエに、ようやくカミュの目は開かれた。

 

「……!!……メルエ、顔を良く見せろ。それに右腕もだ!」

 

「ど、どうしたんだ!!」

 

 メルエの頭に手を乗せようとしたカミュは、メルエのその顔と右手に残る痛々しい火傷の跡を見つけ慌てて手をかざし始めた。

 そのカミュの様子に、リーシャが慌てて近寄って来る。

 

「ホイミ……少し跡が残ってしまうな……メルエ、良いか? とりあえず、今使った<ベギラマ>は、しばらく禁止だ」

 

「…………いや…………」

 

 自分の頭を撫でてくれる手が下りて来ない事に不満顔を向けていたメルエは、自身の頬や腕に回復呪文を掛けながら語るカミュの言葉を即座に拒絶した。

 

「駄目だ」

 

「…………うぅぅ…………」

 

 カミュの言葉に反論を返すメルエに再度戻ってきた言葉は、有無を言わせぬ程の迫力を持った物だった。

 カミュがここまでの迫力を持って言うという事は、メルエの反論は認めないという事であることぐらい、メルエにも理解できた。

 

「ど、どういう事だ、カミュ!?」

 

「……<ベギラマ>は、まだメルエには早かったという事だ」

 

 メルエの目線に合うように屈み込んだリーシャは、事の成り行きが理解出来ずに問いかけを洩らす。その問いかけに返って来たカミュの答えは、魔法に疎いリーシャでさえも疑惑を持ってしまうような物だった。

 

「しかし、発動していたぞ?」

 

 本来、魔法を使用する者、僧侶や魔法使いと呼ばれる者達は、自分の力量に応じて契約を行い、行使を可能とする。それに対し、力量に合わなければ、契約が出来なかったり、魔法が発動しなかったりするのだ。

 しかし、メルエは発動した。ならば力量不足というのは当て嵌まらない筈である。

 

「……いや、正確には、暴走に近い。本来、魔法は術者に被害が及ぶ事はない。<メラ>を放った術者の指先が燃えて火傷を負ったり、<バギ>を唱えた術者の腕が切り刻まれたりはしない筈だ」

 

「???……どういう事だ?」

 

 カミュとしては、今の説明で理解してもらえると思ったのであろう。しかし、目の前のリーシャは訳が分からないと言った表情を浮かべているのを見て、溜息を吐き出した。

 カミュへ問いかける前に考える素振りは見せた事から、少なからず、自分で考えようという意思はあったのだろう。

 

「……つまり、メルエは、この魔法を行使する為の魔法力を制御する事が出来ていないという事だろう。自分が行使する魔法に対して過剰に魔法力を注いでいるのか、もしくは過剰に魔法力を吸い取られているのかは知らないが、メルエがまだ自分の魔力を制御しきれていない事は確かだ」

 

「…………うぅぅ…………」

 

カ ミュの説明の間もずっと、メルエは上目使いでカミュを見上げ唸り声を上げている。魔法しか存在意義を見い出せていないメルエにとって、その魔法を奪われる事は何よりも避けたい事だったのだ。

 

「……メルエ、唸っても駄目だ」

 

「…………ぐずっ…………」

 

 抵抗を続けても、カミュが折れてくれない事を悟ったメルエの瞳に涙が溜まって行く。メルエにとっての『魔法の行使』という行為は、決して自己の我儘ではないのだが、カミュ達がその事に気付くのは、もう少し後になってからの事であった。

 

「……何も『一生使うな』と言っている訳ではない。メルエがこの先、魔法を使いながら旅を続けて行く内に制御が出来るようになる。契約が出来、呪文も発動出来た。それは遠い話ではない」

 

 目に涙を溜め、鼻をすすり始めたメルエに、流石のカミュも困ったように譲歩案を出した。

 傍に寄って頭を撫でていたリーシャも、カミュに釣られたように困り顔になってしまっている。

 

「……メルエの魔法が凄い事は、ここにいる全員が知っている。だが、その魔法でメルエが傷つく事は、誰一人望んではいない。わかってくれ」

 

「……カミュ……」

 

「…………ん…………ぐずっ…………」

 

 メルエと視線を合わせ、真剣な表情で話すカミュの言葉に、メルエは鼻をすすりながら頷くのだった。

 リーシャはこの時、カミュの確かな変化を見る。他者が傷つく事を考慮に入れるなど、アリアハンを出た時のカミュでは想像も出来なかったのだ。 

 

「ほら、右手も出せ」

 

「…………ん…………」

 

 メルエの右手にカミュがホイミをかけ、火傷の治療を始める。若干の跡が残ってしまうが、メルエの顔と右腕の治療が終わりに近づいた頃、ようやく治療の本職である僧侶が目を覚ました。

 

「あ、あれ?……私……あっ!! 申し訳ありません!」

 

 上体を起こし、周囲を確認するように首を動かしたサラは、ようやくその状況を理解する。慌てて起き上がって仲間の下へと走り寄り、勢いをそのままに頭を下げた。

 

「大丈夫だ、サラ。先程は仕方がない。むしろ、私がサラに声をかけなければ起きなかった事態だ。私の方こそすまなかった」

 

「そ、そんな! リーシャさんは悪くありません! 私が未熟なせいで……」

 

 頭を下げるサラ。それを制して、逆に謝罪を口にするリーシャ。お互いがお互いを気に掛ける。そんな普通のやり取り。

 しかし、そんな常識的なやり取りは、アリアハンが掲げる『勇者』には通じなかった。

 

「……どちらにしろ、もう少し魔物の習性について理解しておいてくれ。今回はまだ三体だったから良いが、アンタ方二人が眠ってしまった後、七体も八体も残っていたら全滅の危機だ……」

 

「ぐっ!」

 

「はうっ!」

 

 カミュの歯に衣着せぬ物言いに、リーシャもサラも言葉に詰まってしまう。眠りに落ちた人間二人を庇いながら、魔物を倒すのは至難の業だ。

 メルエの広範囲にわたる魔法を使用すれば可能な事は可能なのだが、それをリーシャもサラも口にはしない。

 彼女達にとっても、メルエは幼い子供であり、何より妹同様の存在なのだ。

 出来るならば、無理はさせたくない。しかも、リーシャに至っては、先程のメルエの姿を見ている。メルエにあんな思いをさせたくはないのだ。

 

「…………もう…………いく…………」

 

 何とも言えない空気が漂う中、右手の痛みがなくなったメルエが、その右手でリーシャの左手を握り、先へと促す。それは、いつもリーシャとサラ、そしてカミュさえも突き動かす事のできる力。

 抑揚もなく、呟くような小さな声にも拘わらず、力強い声。

 

「……ああ……行こう……」

 

 メルエの声に一つ頷いたカミュを先頭に一行は再び坂道を上り始めた。今や、時に彼ら一行を結ぶ楔となり、時に彼ら一行を突き動かす動力となり得る少女を引き連れて。

 

 

 

「……これは……」

 

「す、すごい」

 

 坂道を上り終わったその先に広がる光景は、一行をすっぽりと飲み込む程のものだった。

 そこは、水が壁から染み出しているのではなく、地下から湧き出したように中央に泉となって広がっている。囲むように四方に立つ柱が、まるで泉を護るように、そして泉を優しく包み込むように立ち並んでいた。

 

「……魔物の気配が全くない……」

 

 カミュの言葉通り、この坂道を上がりきった広間には泉が湧き出ている以外、邪悪な気配は何一つない。それとは相反するような、慈悲深く、清らかな空気が広がっているだけであった。

 

「…………お水…………」

 

「あっ!! メ、メルエ!!」

 

 その空気を肌で感じたためか、それとも単純に喉が渇いただけなのか。メルエが、いち早く泉へと駆け出して行く。

 未だにどんな物なのかすら解っていない物に駆け寄るメルエを制止しようと伸ばしたリーシャの手は、横から上げられたカミュの手によって止められた。

 泉に辿り着いたメルエが泉の水を掬おうと右手を泉の中に入れたその時、一行は不思議な光景を見る事となる。

 メルエの右手が、まるで<ホイミ>を掛けた時の様に光り始めたのだ。

 いや、正確には<ホイミ>程度の物ではなかった。それは、回復呪文であるならば、上級に位置する魔法と同等か、もしくはそれ以上の光だろう。

 

「……メルエの右手の火傷が……」

 

「や、やけど!?」

 

 リーシャの言葉通り、光に包まれたメルエの右腕に残されていた火傷の痕が薄れて行く。メルエの火傷の存在自体を知らないサラが素っ頓狂な声を上げるが、カミュもリーシャもその不思議な光景に魅入られ、サラの問いかけに答えることは出来なかった。

 

「……メルエ、顔にもその水をつけてみろ……」

 

「…………ん…………」

 

 自分の腕を包む光を不思議そうに見つめていたメルエの後方に移動したカミュが声をかけ、メルエはそのカミュの言葉にこくりと頷いて従った。

 火傷の痕が綺麗さっぱり消え失せた小さな右手で再び掬った泉の水を、メルエが頬の火傷痕に掛けると、右腕と同様に緑色の光を伴い傷跡を消して行く。

 

「……すごい……ど、どういう事なのですか?……この泉が<聖なる泉>なのでしょうか?」

 

「あ、ああ、おそらくそうだろうな……カミュ、しかし、この泉は何故このような場所に?」

 

 全員が泉に手を入れているメルエの傍まで移動した後、サラが疑問を口にした。

 それは、この<西の洞窟>に入ったばかりの頃に出会ったロマリア教会の僧侶が口にしていた物。それは、サラの隣に立つリーシャも気付いていた。

 しかし、何故このような場所に、何故あるのかが解らない。

 

「……いつも思うのだが、アンタが知らない事を俺が知っていると思う根拠を知りたいのだが……」

 

「そ、それは……カミュだからだ!」

 

「ぶっ!?」

 

 いつもの様に解らない事柄をカミュへ尋ねるリーシャに、カミュは答えを与えなかった。

 期待していた答えとは別の言葉にリーシャ自身戸惑い、そして結局、自身もあながち的外れでもないような答えを叫んでしまう。その珍回答は、久しぶりにサラの笑いのツボを刺激したらしく、サラは思わず吹き出してしまった。

 

「…………おいしい…………」

 

 そんな恒例ともなりつつある三人のやり取りを余所に、すでにメルエは泉の水を口に含んでいた。

 清らかで優しい空気を纏う泉の水とは言え、そのメルエの行動を注意していなかった事を三人は悔やんだ。

 メルエは何も知らないのだ。

 危険性などの注意をしていなければ、この先どんな行動に出るか分からない。サラは、メルエへの教育に力を入れる事を心に決めた。

 

「……なるほど……掛ければ傷などを癒し、飲めば気力や魔法力を回復させるのか……万能だな……」

 

「それは凄いな……体力や気力まで回復するのか?」

 

 そんなサラの静かな決意を尻目に、カミュはメルエと同じように泉の水を口に含んだ後、納得したように頷くが、横から感心したような声を上げて近付いて来るリーシャに、どこか歪んだ笑みを浮かべた。

 

「……ああ。まぁ、アンタには、そっちの方は関係のない事だ」

 

「……カミュ、回復の泉もある……ここで一晩と言わず、二晩でも稽古をつけてやろう。どんな傷も癒し、気力も回復させるのであれば、多少無理も出来よう……」

 

 確かにカミュの言う通り、『魔法力の回復』に関してはリーシャには関係がない。しかし、リーシャにも気力が萎える事ぐらいはある。誇り高き宮廷騎士ではあるが、リーシャは自身が女性である事も捨ててはいない。

 カミュの言葉は女性であるリーシャに対する配慮に欠けているのだ。

 

「ふふっ、でも、回復が出来る泉がここにあるというのは強みですね。この先、少し手強い魔物が出て来たとしても、もう一度ここに戻れば良いのですから」

 

「……アンタはここで何日過ごすつもりだ? 例え、傷や気力が回復するにしても、食料がない。それとも、アンタはこの洞窟に住む魔物を食料とするつもりなのか?」

 

「そ、そんな事はしません!」

 

 カミュとリーシャのやり取りを微笑ましい物のように笑顔で見つめていたサラは、カミュの逆襲に合う。カミュの言う通り、食料がなければ、例え傷が回復したとしても『生物』である限り飢えで命を落としかねない。

 それは、何も『人』だけではない。『エルフ』も、そしてサラが忌み嫌う『魔物』であろうと、食料がなければ、その生を全うする事など出来はしないのだ。

 

「……回復は終わった。先へ進む……」

 

 いつもの様に、突然話を切り上げたカミュが先へと進み始める。その後をリーシャが歩き、傷や魔法力を回復させたメルエが続いた。サラも、慌てて泉の水を口に含み、仲間の後を追う事となる。

 

 

 

 <聖なる泉>を出た一行は、洞窟の更なる奥へと足を進める。もはや、この<西の洞窟>に入ってからかなりの時間が経過していた。

 <聖なる泉>で気力も回復しているため、一行に自覚はないが、おそらく洞窟の外では完全に陽も落ち、夜も更けた頃だろう。

 更に、塔のように階段のような物がない為、自覚し辛いが、坂道の上り下りを繰り返し、相当地下へと潜っていた。

 水が壁から流れ出たり、所々では上層部分から瀧の様に落ちて来ている為、空気の出入りはあるのだろう。

 現に、カミュとリーシャの持つ<たいまつ>の炎の火が小さくなって来ている訳ではない。一行が息苦しさを感じる事もなかった。

 

「しかし、随分と奥に行くのだな……こんな所まで、『人』が来るのか?」

 

 奥へと進む中で発したリーシャの疑問は、<ノアニール>の若者と<エルフ>の『アン』の事を言っているのだろう。確かに魔物の住処である洞窟の最深部へと続く道を歩いて来ても、ここまでそれらしき姿は確認されていない。

 つまり、<ノアニール>の老人の話が本当であるならば、二人は更に奥へと向かったという事になる。

 

「……さあな。まず、あの老人の話は仮定に過ぎない。ここにその二人が来たという確証がない以上、行ってみなければ分からない」

 

「で、では、ここまで来て、無駄足という可能性もあるという事ですか?」

 

 <聖なる泉>を出て、ここまで進む途中だけでも、一行は五度も魔物と遭遇していた。

 この洞窟を根城とする<バンパイア>がほとんどだったが、先程は<マタンゴ>四体と<バリィドドッグ>三体という異色な組み合わせ。メルエの<ギラ>と、サラの<ニフラム>、そして、カミュとリーシャの剣技で退ける事は出来たが、なかなかの苦戦であった。

 そんな魔物との戦闘を繰り返しながら進んできた道が、全くの無駄であったとしたら、それは、サラにとってかなりの精神的ダメージを受ける代物である。

 

「…………サラ…………はやく…………」

 

 カミュの言葉に足が止まってしまったサラに、メルエの容赦ない一言が掛けられる。サラの問いかけに答える事がなかったカミュは、既に地下へと続く坂道を下り始めていた。

 

「あっ!ま、待って下さい」

 

 最近パーティー内で置いて行かれそうになる頻度が増しているサラの叫びが洞窟内に響き渡った。

 

 

 

「……」

 

 先程の坂道を下り終わった一行は、再びその光景に飲み込まれる。今回は、誰一人声を上げる事すら出来なかった。

 それ程の広大な景色。地下から湧き出ている水が、泉という形ではなく、一面を覆い尽くしている。むしろ、見渡す限りの地下湖と言っても過言ではない。申し訳程度にカミュ達が立つ地面があるようなものだった。

 そこは、先程の<聖なる泉>周辺と同じように、魔物達の気配はない。あるのは、慈悲深い澄んだ空気と、そこに微かに混じる物哀しい空気だけであった。

 

「……カミュ……」

 

「……奥へ行こう……」

 

 カミュへと視線を移したリーシャの呟きに、一つ頷いたカミュは、地下湖の中心に位置する場所にある浮島の様な場所へと歩を進めて行く。リーシャの手を離し、カミュのマントの裾を握ったメルエも、周囲を興味深く見渡しながら奥へと歩いて行った。

 

「……」

 

 そして、一行はついに見つける事となる。

 <ノアニール>の住民全てを巻き込んだ騒動の発端となった二人を。

 

「……そ、そんな……」

 

「……やはりか……」

 

 その姿は、既に変わり果てていた。

 愛し合った二人の姿は、生きている時の姿を想像する事すらも拒むように、骨だけの姿になっている。折り重なるように重なった肉体は、魔物の食料になる事もなく朽ち果て、土へと還っていた。

 十数年の時間が立っているのだ。先程のカミュの言葉通り、食料がなければ、例え<聖なる泉>があろうと、餓死してしまうだろう。

 

「……何故……何故、死を望んだのですか?」

 

「……サラ……」

 

 白骨に静かに語りかけるサラの言葉。それは、『人』を導く僧侶の問いかけ。餓死する事が解っていても、この洞窟から出ようとせず、この場所で死を迎えた若い二人への心からの疑問であったのだろう。

 

「…………あれ…………」

 

「……ん?」

 

 白骨を見つめるサラとリーシャとは別に、メルエが白骨の傍にあった小さな木箱を発見し、カミュへと伝えていた。

 それは、本当に小さな木箱。女性が、自身の身につける装飾品などを入れるようなとても小さな箱だった。

 

「……カミュ、それは?」

 

「……」

 

 木箱を手にしたカミュへとリーシャとサラも近寄って来る。メルエにも見えるように、カミュは一度しゃがみ込んでからその木箱へと手を掛ける。

 ゆっくりと開いて行く木箱の中には、小さな木箱には似合わない程の大きな赤い宝石と、一つの手紙が入っていた。

 それこそが、おそらく<エルフの至宝>と呼ばれる『夢見るルビー』なのだろう。大粒の赤く輝く宝石。それは、女性であれば誰しも魅入られる程の輝きを放っていた。

 『夢見るルビー』に魅入られる、リーシャ、サラ、メルエの三人。

 だが、カミュは、ルビーの他に木箱に入っていた手紙を手に取った。ルビーの入った木箱をサラへと手渡し、数枚に及ぶ手紙を開き読みはじめたカミュの表情は、読み進めるに従い、その表情を失くして行く。

 そして、最後まで読み終わったカミュは、手紙をリーシャへと手渡し、深い溜息を吐いた後、ここからでは見る事も叶わない天を仰ぎ、目を瞑った。

 

 

 

 

 




読んで頂き、ありがとうございました。

ここから、少しずつ更新して行きたいと思っています。
宜しくお願い致します。

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