新訳 そして伝説へ・・・   作:久慈川 京

34 / 277
第三章突入です。
正直、第三章もまた、なかなかに重い話の連続です(苦笑


第三章
ノアニールの村①


 

 

 

 メルエは閉じている筈の目からも解る程の眩い光に目が覚める。眩しそうに、それでもゆっくりと開いたメルエの目には理解し難い光景が広がっていた。

「…………???…………」

 

 目を開いた筈なのにも拘わらず、目の前をはっきりと見る事が出来ない事を不思議に思い、メルエは小首を傾げる。更に身体を起こすと、そこは雨が降り、足元がぬかるんだ山道ではなく、一面が鼻をくすぐるような微香を放つ花に囲まれた場所だった。

 その事に、尚一層メルエの首の傾きが深くなる。

 

「…………カミュ………リーシャ…………?」

 

 周囲を見渡すが、メルエが呼ぶ名の者達が見当たらない。一面の花の中を駆け回りながら、メルエは何度も自分と共に歩く仲間の名前を呼ぶが、いつもならすぐに返事を返してくれる暖かな声は聞こえなかった。

 

「…………うぅぅ………ぐずっ…………」

 

 常人が見れば、冷たいと感じる無表情ながらも、常にメルエを気にかけてくれる青年。

 時に厳しく、時に優しく、母の様に姉の様にメルエを包み込んでくれる女性。

 メルエが何か悪い事をしたとしても、必ず最後には笑って許してくれる少女。

 まだ、数日しか共にしてはいないが、それでもメルエの始まったばかりの人生に夢と希望を与えてくれた三人がいない。それは、メルエの胸に絶望を落とした。

 自然と駆け回る足の速度も落ちて行き、その双眸には涙が溜まり始める。そのまま、メルエは立ち止まり、天を見上げながら泣き始めてしまった。

 

「もう! 泣いてちゃ駄目なんだよ。泣いていたら幸せも寄って来ないんだよ」

 

「!!」

 

 もはや、声を上げる事も厭わなくなったメルエに、後方から不意に声がかかった。その声に、しゃくりあげるように涙を流していたメルエの呼吸が一瞬止まってしまう。

 聞いたことのない声。

 しかし、なぜか聞き覚えのある声。

 メルエの歳とそう変わらないような幼い声。

 勢いよく振り返ったメルエの涙で濡れた瞳に映ったのは、メルエの想像していた通りの人物だった。

 

「…………アン…………?」

 

「うん! 私はアン。よろしくね!……お名前聞いても良い?」

 

 メルエの問いかけに満面の笑みを浮かべながら頷いた少女は、メルエが<カザーブ>へ行く途中の山道で見た人物。そして、先程は木の根元に母親と共に立ち、手を振ってくれたアンその人であった。

 

「…………メルエ…………」

 

「メルエ……メルエ……うん! 良いお名前ね!」

 

 メルエの名乗りを聞き、その名を何度か反芻した後に、アンは光輝く太陽のような暖かな笑みを浮かべる。その笑顔に、先程まで絶望に苛まれていたメルエの心も和んで行った。

 

「メルエ、よかったら私と一緒に遊びましょう!?」

 

「…………!!…………でも…………カミュ………いない…………」

 

 続いたアンの魅惑的な提案に、笑顔を作りながら頷きかけたメルエであったが、先程感じた絶望を思い出し、首を横に振った。

 メルエにとっての絶対的存在であるカミュの姿が見えない。それはメルエに途轍もない程の恐怖を宿していたのだ。

 

「う~ん……大丈夫よ。ちょっとだけだから」

 

「…………」

 

 それでも眉を下げて、首を縦に振らないメルエに、アンは若干困った表情を作って小首を傾げた。

 アンを困らせている理由が自分にある事を感じたメルエは、静かに顔を俯かせてしまう。

 

「う~ん……あの人達は大丈夫。みんな元気よ。今は眠っているけど……だから、少しの間だけ……あの人達が起きるまでだけ、私と一緒に遊びましょう?……ダメ?」

 

「…………」

 

 困ったような、こちらを窺うようなアンの自信無さげな表情にメルエはしぶしぶながら首を縦に振る事になる。

 元々、メルエはアンを疑う事などない。アンが大丈夫と言えば、カミュ達は大丈夫なのだろう。アンが少しの間と言えば、アンと遊び終われば、自分はカミュ達の下に帰る事が出来るのだろう。

 そう感じていた。

 

「……よかった……あはっ! メルエは、お花は好き!? 私は大好き!」

 

「…………???…………お……はな…………?」

 

 安堵の表情を浮かべたアンだったが、突如としてメルエの手を握り話題を切り替えるのは、幼い子供特有の物なのであろう。そんなアンの姿に、同年代の人間が周りにいた事のないメルエは戸惑うが、アンに手を引かれるままに一面を覆い尽くすような花の中へと進んで行く。

 

 

 

 花の中を駆け回り、メルエは生まれて初めて楽しいという感情を持ったかのようにアンへ笑顔を向ける。アンもまた、メルエの笑顔を釣られるように、満面の笑顔をメルエに向けていた。

 追い駆けっこの様に一頻り駆けまわった後、二人は花々に囲まれる地面に座り込む。アンは、傍に咲く花を摘みながら器用に手を動かし始めた。

 メルエはアンが何をしているのか見当がつかず、ただ、アンの手元で何かが作られて行くのを首を傾げながら見守っているしか出来なかった。

 

「あのね……メルエ……あのね……」

 

「…………???…………」

 

 手を止めずに、下を向きながら何かを言い出しきれないアンの言葉に、メルエの首は一層曲がって行く。何も言わないメルエに、意を決したように顔を上げたアンの表情は、不安を隠しきれない、そんな表情だった。

 

「……あのね……私と……私と……お友達になってくれる……?」

 

 メルエを窺いながら不安そうに口を開いたアンの言葉は、メルエには聞き覚えのある単語だった。

 それは、カミュが自分に問いかけていた単語。

 そして、リーシャが解り易く噛み砕いてくれ、自分が肯定した単語。

 

「…………アンと………メルエ………なかよし…………」

 

「えっ!? あ、う、うん! じゃあ、メルエとアンは今日からお友達ね!」

 

 真っ直ぐアンを見つめたメルエは、<シャンパーニの塔>でリーシャが噛み砕いてくれた言葉を口にする。その言葉を聞いたアンの瞳は、眩いばかりに輝いた。

 

「…………ちがう…………」

 

「えっ!?」

 

 しかし、メルエの言葉に嬉しそうに顔を輝かせ、確認の意味を込めて発したアンの言葉は、メルエが首を横に振った事で否定されてしまった。

 そのメルエの態度に、輝いた花は急速に萎んでいく。

 

「…………もっと…………前から…………」

 

「う、うん! ず、ずっと前からお友達だね!……うぅぅ……ぐずっ……」

 

 萎んだ花は、メルエという太陽の、微笑みという名の光と、アンの流す嬉しさに満ち溢れた水によって、その輝きを取り戻す。

 

「…………アン………すぐ泣く………サラと………同じ…………?」

 

「ぐずっ……ち、違うもん! そ、それにメルエだってさっき泣いてたでしょ!」

 

 涙を流すアンを見たメルエの頭の中に浮かんだ人物は、常に悩み、良く涙する人物。『どんな事があっても、メルエを嫌わない』と宣言してくれた大切な女性。

 

「…………メルエ………泣いてない…………」

 

「うそ! さっき泣いてたもん! 『カミュ……リーシャ……』って!」

 

 メルエの言い方に頬を膨らませ否定するアンの言葉を、メルエもまた頬を膨らませながら否定する。しかし、そんな時間も長くは続かない。どちらからとも言わず、頬が緩み、ほほ笑みを浮かべていた。

 

 初めてできた同年代の友人。

 初めて交わす子供同士の会話。

 初めて行う無邪気な意地の張り合い。

 

 アンもメルエも、今行っている事は全て、生まれて初めての行為ばかりであった。

 相手の自分と同じような笑みに、同じ感慨を持っている事を感じ、照れくさそうに微笑む。

 そんな一時の幸せ。

 

「……できた……できちゃった……」

 

「…………???…………」

 

 そんな二人の幸せな時間が過ぎるのは早かった。アンが手元で作っていた物の完成。それがまるで哀しい出来事のように俯くアンを、メルエは不思議そうに見つめる。

 

「はい! これ、メルエにあげる! 私とお友達になってくれたお礼……ぐずっ……」

 

「…………ありが……とう………また………アン………泣く…………?」

 

 アンは自らの作品を、メルエの<とんがり帽子>に掛けてから、再び俯き嗚咽を漏らし出す。先程と同じように返すメルエの言葉にも、反応を示さないアンにメルエの首が傾いた。

 

「……ぐずっ……とっても綺麗よ、メルエ……ぐずっ……私ね……メルエの事、ずっと忘れないから……うぅぅ……もっと早くにメルエと……会いたかった……な……」

 

「……メルエ……<ルーラ>……ある…………」

 

 嗚咽を漏らしながら言葉を絞り出すように話すアンの姿に、メルエの胸にも何かが込み上げて来る。それは、メルエの言葉に何も言わずに首を横に振るアンを見て、涙へと変わって行った。

 

「…………なんで…………?」

 

「……ぐずっ……メルエとはもう会えないの。だからアンの事も憶えていてね……私の初めてのお友達がメルエで良かった……」

 

 もはや、メルエの目から零れ出す雫を留める手段は何もなかった。

 メルエの手をアンが握り、そのアンの手をメルエも強く握り返す。忍ぶような嗚咽は、盛大な泣き声となり、言葉を発する事もない。

 暫し、二人が泣き続けていると、不意にアンの顔が上がり、後方を振り向いた。未だにしゃくりあげながら、嗚咽を続けるメルエも、顔を上げてアンを見詰める。

 終りの時間が近付いているのだ。

 

「……ぐずぅ……も、もう……行かなきゃ……お母さんが……呼んでる……」

 

「!!…………いや………メ、メルエも………いく…………」

 

 『置いて行かれる』

 初めて出来た同年代の友達。その友との別れは、経験のないメルエにとって、絶望を感じるのに十分な物だった。

 その絶望の重さにメルエは考えるよりも先に言葉が出てしまう。

 

「……ぐずっ……ダメでしょ……メルエは……うぅぅ……メルエはあの人達と一緒に行かなきゃ……」

 

「!!」

 

 『別れを嫌がる自分とは違う想いをアンは抱いているのか?』と感じたメルエの顔が跳ね上がる。メルエの頬は、既に流れ落ちる涙で濡れ切っていた。

 顔を上げたとしても、アンの顔さえもはっきりとは判別出来ない。それでも、メルエは真っ直ぐアンを見つめていた。

 

「……アンも……メルエとずっと遊んでいたいけど……でも……ダメだから……メルエには……きっと……もっと楽しい事が待っているから……」

 

 アンと共に行く事を口にするメルエに対して返ってきた答えは拒絶だった。

 しかし、それはとても優しい拒否。

 初めての友であるメルエを案じたもの。

 

 もはや、先に続く未来への道が閉ざされたアンにとって、輝くような眩い道が広がっているメルエの未来は、妬みを持ったとしても仕方がない物だろう。しかし、それを少しも出さずに、友であるメルエを諭すアンは、メルエよりも精神的に上なのかもしれない。

 ようやく、他人からの愛情という物を受け、それに甘える事を学んだメルエと、幼い頃から目一杯の愛情を受けて育ったアンとは、比べ物にならない程の差があったのだ。

 

「…………アン………メルエと………いく…………」

 

「……ありがとう……でも……行けないわ。アンはお母さんと一緒に行くから……だから、メルエともここでお別れ……ぐずっ……元気でね……アンの事、忘れないでね……」

 

 『自分がアンと共に行けないのならば、アンが自分と共に行けば良い』

 そんな子供らしいメルエの発言は、またしてもアンによって拒まれてしまった。

 

「…………いや…………アン!」

 

 初めて上げるメルエの叫び。

 しかし、叫んだ名前は周囲を覆う花達の香りの中に溶け込んでいった。

 目の前にいる筈のアンの姿が消えていく。

 光に吸い込まれるように、光から差し伸べられる手に導かれるように。

 それは、メルエにとって哀しみに押しつぶされるようなもの。

 

「……いっぱい、いっぱい……ありがとう……メルエに会えて良かった……ばいばい……」

 

「…………うぅぅ………メルエも………アン………好き…………」

 

 『好き』と『嫌い』という二種類しか他人に対する評価を知らないメルエにとって、最大の讃辞である言葉を、アンはしっかりと受け取った。

 お互いが流す涙は、咲き誇る花々を輝かせ、この不思議な世界を鮮やかな光が包み込む。

 

「う、うん! アンも……メルエの事……ぐずっ……大好き!!」

 

 二人の会話はそれが最後だった。

 お互いの気持ちを伝え、手を振り合い、そして別れた。

 もう、メルエの前に、太陽のような微笑みを浮かべる少女はいない。咲誇る花々の中、メルエは一人すすり泣くのであった。

 

 

 

 

 

「………エ!………ルエ!!」

 

 徐々に覚醒していく意識。花畑の中にいたはずが、強引に糸を手繰り寄せられるようにメルエは現実へと引き戻される。

 

「メルエ!! よ、よかった……メルエ、私が解るか!?」

 

「…………リーシャ…………」

 

 自分の名前が出て来た事に、覗き込んで来た顔が笑顔に変わった。

 

「そうだ! どこか痛むところはないか!? 気分が悪いところはないか!?」

 

 ゆっくりと開いた視界に、一番早く飛び込んで来たのは、メルエが母や姉の様に慕うリーシャであった。

 眼尻に光る雫を溢れさせ、メルエが目を開いた事を心から喜ぶ姿にメルエの胸にも安心感が広がって行く。

 自分の名をしっかりと呼んだメルエの横たえていた身体を抱き上げ、リーシャはメルエの身体のいたる所を確認するように撫で上げた。

 

「……目が覚めたか……」

 

「…………カミュ…………」

 

「良かったです……本当に良かったです……ぐずっ……」

 

「…………サラ…………」

 

 リーシャの腕の中から、周囲を見ると、珍しく安堵の表情を浮かべるカミュと、感極まって涙を流しながら喜ぶサラの姿がメルエの瞳に映り込む。それは、態度こそ違え、皆の内心が同じである事を示していた。

 

「……メルエも起きた……地図によれば、おそらくこの先に村がある筈だ」

 

「な、何!? お前、この状況で歩き出すというのか!? メルエは今目覚めたばかりなのだぞ!?」

 

 カミュはメルエの顔を確認すると、地図に視線を戻し、次の目的地を告げた。

 今すぐに出発をしそうなカミュの姿を見たリーシャは、メルエの身体を気遣うようにカミュへと怒鳴り声を上げる。

 

「だからこそだ! 雨は止んだとはいえ、大地も草木も濡れている。火を熾す事が出来ない以上、このままでは体温の低下は避けられない。メルエは俺が背負う」

 

 しかし、反発を示すリーシャに向かって口を開いたカミュの言葉は、珍しく語気も荒く、それがカミュの心配度合いの大きさを示していた。

 それはリーシャにもしっかりと伝わる。

 

「……そうだな。わかった。だが、メルエは私が背負う」

 

「えっ!?」

 

 そんな緊迫を感じる空気も、やはりこのアリアハン屈指の戦士の言葉で霧散する事となる。あまりの突拍子のない言葉に、隣にいたサラは唖然とした表情を浮かべた。

 

「……何に対して張り合っているのか解らないが、今、俺もメルエも呪文を唱えられない以上、魔物の相手はほとんどアンタとその僧侶に任せる事になる。そのアンタがメルエを背負っている訳にはいかない筈だ」

 

「ぐっ! わかった……」

 

 カミュの言葉には一理ある。

 しかし、サラはカミュの言葉に驚きと微かな喜びを感じる。

 カミュの言葉の中には、『信頼』の二文字が見え隠れしているように感じたのだ。サラには、魔物との対峙の時、リーシャとサラを頼るという意味に聞こえた。

 それは、旅の同道者ではなく、旅の仲間として見ている事の証拠ではないかと。

 

「そ、そうですね。任せて下さい。さあ、リーシャさん、行きましょう」

 

「お、おい! サラ!」

 

 そんな気持ちがサラの行動に表れる。未だに悔しそうな表情を浮かべるリーシャに声をかけ、先頭を歩き出そうとしていた。

 

「……メルエどうした?」

 

「…………帽子…………」

 

 何かを探すように周囲を窺うメルエに声をかけたリーシャは、不安そうに眉を下げて答えたメルエの言葉に、柔らかな笑顔を浮かべた。

 

「帽子なら、ほら、ここにある。被せてやろう」

 

「…………ん…………」

 

 メルエの頭に帽子を被せたリーシャに前方からサラの声が再びかかり、リーシャは苦笑のような笑みを浮かべながら歩き出した。メルエは傍で待っていたカミュの下へと歩いて行く。

 

「メルエ……帽子についているそれは?」

 

「…………???…………」

 

 傍に寄って来たメルエの一点を見つめて呟いたカミュの言葉を不思議に思ったメルエが、その視線の先にある、先程リーシャに被せてもらった<とんがり帽子>を脱いで見ると、そこには、アンが掛けてくれた作品である『花冠』がかかっていた。

 メルエの目が驚愕に見開かれた後、その冠の花にも負けぬ程の輝く笑みを浮かべ、カミュへと視線を戻す。

 

「…………アン………くれた…………」

 

「……そうか……お礼は言ったか?」

 

 花咲くような笑顔で頷くメルエを見て、カミュはその言葉の内容を追求しようとはしなかった。

 笑顔のまま、カミュの背中に乗るメルエの表情は、雨も止み、陽の光が見え始めた空のように晴れ渡っている。

 カミュもリーシャも、あの時確かにアンとアンの母親という二人の存在を見た。

 それは、夢なのかもしれないし、幻想なのかもしれない。しかし、カミュはどちらでも構わないと考えていた。

 カミュは、自分達が今生きているのは、あの二人のお蔭なのだと、目の前で花咲くように笑うメルエを見て、信じる事にしたのだった。

 

 メルエの<とんがり帽子>に掛けられたアンの花冠は生涯枯れることはなく、メルエの進む未来をメルエと共に見ていく事となる。

 

 

 

 いつもとは異なり、先頭をリーシャ、続いてサラ、そして最後尾にはメルエを背負うカミュという布陣で一行は歩き出した。

 カミュ達が、地崩れによって落とされた場所は、カミュが見ている地図で言うと、<カザーブ>の北北西に位置する場所だと予想される。山々に囲まれた<カザーブ>には、東西南北全てに抜ける山道が存在するのだが、西に抜ける山道の<カザーブ>寄りの場所から転落した一行は、北の方角に抜けてしまったらしい。

 一行が気を失っている間に夜が明けてしまったらしく、東からは昨日までの雨が嘘のような眩しい太陽が昇り始めていた。

 雨が止み、魔物が活動を開始する夜中であったにも拘わらず、気を失っていた全員が五体満足なのは、おそらくメルエの友達が護ってくれたのであろうと、カミュは人知れず思っていた。

 

「おい、カミュ! 方角はこっちで良いのか?」

 

「ああ……このまま北へ抜けて、平原に出たら西へ進む」

 

 太陽が昇り始め、方角も読めるようになったこともあって、一行の行軍速度は速度を上げる事となる。歩く速度の遅いメルエはカミュに背負われている事から、前を歩くリーシャとサラも、気兼ねなく速度を維持する事が出来た。 

 メルエはカミュの背中に乗りながら、先程までのアンとの話をたどたどしくではあったが、一生懸命にカミュへと話している。その話を、嫌な顔もせず、ましてや鼻で笑う事もせず、真面目に頷きながら聞くカミュの姿勢に、メルエの話は益々熱を増して行った。

 

 そんなメルエも、話疲れたのか、それとも魔法力や体力の限界だったのか、カミュの背中で可愛らしい寝息を立て始めていた。

 今では、そんなメルエの寝顔を見る為に、先頭にいたリーシャも、一歩前を歩いていたサラもカミュの両脇に陣取りメルエの幸せそうな顔に頬を緩めている。

 

「カミュ! 後ろに下がれ。メルエを起こすなよ!」

 

 そんな一行の静かな時間も、不意に来訪した招かざる客に終焉を迎えた。

 リーシャが腰に下げていた<鋼鉄の剣>を抜き放ち、サラもまた背中に背負った<鉄の槍>を構える。

 目の前に現れたのは、アリアハン大陸で見た<大ガラス>に良く似た魔物。カラスには間違いないだろうが、その羽根の色は若干アリアハンに居た物とは異なっていた。

 それが二匹、上空から一行を睨みつけている。

 

「サラ! おそらくあれは<大ガラス>ではない。似てはいるが、違う魔物として考えろ!」

 

「は、はい!!」

 

<デスフラッター> 

リーシャの予想通り、それは<大ガラス>ではない。その上位種に当たる魔物。<大ガラス>よりも若干体格も大きく、その嘴の鋭さも比ではない。更に、その体格に似合わず、動きの素早さも<大ガラス>とは段違いである。おそらく、<大ガラス>が一度攻撃を繰り出す間に、対象に向かって二度の攻撃が可能な程の素早さと言っても過言ではないだろう。

 

「せい!」

 

 夜が明けたばかりの朝陽を背にしてから急降下してきた<デスフラッター>の攻撃を見る限り、知能も<大ガラス>よりも高い事が窺えた。

 目を細め、眩しさを堪えながらも降りて来た<デスフラッター>を避け、リーシャは剣を振り下ろす。しかし、リーシャの剣も身を翻した<デスフラッター>に容易く避けられてしまった。

 

「リーシャさん、下がって!」

 

 悔しそうに顔を歪めたリーシャであったが、後方からかかったサラの声に<デスフラッター>の一撃を剣で弾き、後方へと飛び退いた。

 

「バギ!」

 

 リーシャが下がった事を確認したサラの詠唱。サラの周囲に風が巻き起こり、真空を生み出して行く。サラの指が<デスフラッター>に向けられると同時に、唸りを上げた風が<デスフラッター>目掛けて吹き荒れた。

 

「ギシャ―――――――――!!」

 

 魔物の悲痛の叫びが周囲に轟き、真空の刃が収まったそこには、一匹の<デスフラッター>の細切れになった死体が落ちていた。

 『一匹?』

 サラのそんな疑問は、自分の斜め上空から聞こえる羽ばたき音が答えている。サラの指が向けられる一瞬早くに一匹の<デスフラッター>は上空へと移動していたのだ。

 

「えっ!?」

 

 サラが驚いて顔を上げた時には、すでに<デスフラッター>は攻撃態勢に入っていた。迫り来る脅威にサラは目を瞑る。しかし、目を瞑る際に、サラは視界の隅で動く気配を感じていた。

 

「ギニャ―――――――――!!」

 

 そう、残った<デスフラッター>は失念していたのだ。自分達が対峙しているのが魔法を行使した僧侶一人ではない事を。

 目を開いたサラが見た物は、羽を失い地面に落ちた<デスフラッター>に剣を突き刺すリーシャの姿だった。

 

「ふぅ……やはり、ここらの敵も少しずつ強くなっていくな」

 

「あ、ありがとうございました」

 

 剣に付着した魔物の体液を飛ばすリーシャに、サラは頭を下げる。そんなサラに微笑みを浮かべながら手を振ったリーシャは、本当にリーシャの言葉通り、後ろに下がったまま戦闘に参加しなかったカミュの下へと歩いて行った。

 

「まさか、本当に戦闘に参加しないとは思わなかったぞ」

 

「……アンタがするなと言った筈だが?……メルエを起こすなと……」

 

 苦笑を浮かべながら話すリーシャを一瞥したカミュは、深い溜息を洩らした。少しずり落ちそうになったメルエを再び背負い直したカミュは、静かな寝息を立てているメルエを気遣いながらリーシャへ向き直る。

 

「……ん?……ま、まあそうなんだが……」

 

「……アンタの頭が悪い事は知っていたが、まさか少し前に自分が発言した内容まで忘れる程とは……その魔物の方がマシではないのか?」

 

 メルエを背負いながら盛大な溜息を吐くカミュは、地面で動かぬ肉塊となった魔物を顎で差して暴言を吐く。そのカミュの言葉に、青筋を立てながら震えているリーシャの右腕には、まだ<鋼鉄の剣>が握られていた。

 それらを結びつけた時に起こりうる惨劇の可能性を見たサラが、慌てて二人の間へと割って入った。

 

「ま、待って下さい! リ、リーシャさん、カミュ様はメルエを背負っています。剣等振ってしまえば、メルエも怪我をしてしまうかもしれません!」

 

 もはや、サラの中ではリーシャがカミュ目掛けて剣を振るう事は確定事項のようだった。

 先程まで仲間意識が芽生え始めていたような雰囲気を漂わせていたパーティーであったが、ほんの一言二言でいつも通りに戻ってしまう。それが、このパーティーの良いところなのかもしれない。

 

「ぐっ……カミュ……次の鍛練の時は憶えていろよ……」

 

「……俺よりも、アンタの方が忘れているのではないか?」

 

 カミュの口端がいつもの様に上がり始める。リーシャをからかっている事は明らかだ。それは、傍で見ているサラにも、当事者であるリーシャにも解るものだった。

 故に、尚更リーシャの頭に血が上って行っているのだろう。その証拠に、リーシャの肩は小刻みに震え始めていた。

 

「……ふふふっ……カミュ……静かにメルエを下せ……」

 

「リ、リーシャさん! も、もう歩きましょう。メルエをゆっくり休ませる為にも、早く町に向かわないといけません」

 

 サラの一理も二理もある言葉に、しぶしぶリーシャは手に持つ<鋼鉄の剣>を鞘に納めた。

 そのリーシャの姿に『ほっ』と胸を撫で下ろしたサラが先頭に立ち、再び一行は西に向かって歩を進める。

 

 

 

 

 

「この村か……?」

 

 先頭を歩くリーシャが、その佇まいを呆然と見上げ声を発する。サラも同じ感想だったらしく、只々、眼前に控える村を眺めていた。

 一行がカミュの持つ地図の通りに歩き、その地図に名前だけが記載されている村に辿り着いたのは、東から上った太陽が、西に半分ほど沈み始めた頃。

 その間に何度か戦闘を行ったが、メルエを背負うカミュが参加する事は一度もなかった。それだけ、リーシャにしても、サラにしても戦闘レベルが上がっている証拠だろう。

 ただ、カミュの参戦しない闘いでは、必然的にサラの魔法使用頻度が上がってしまうため、村に辿り着く頃には、サラの魔法力は枯渇に近い状態になっていた。

 そんなサラをリーシャが支え、未だに静かな寝息を立てるメルエをカミュが背負った状態で辿り着いた村は、一行の疲れを倍増させるような佇まいだった。

 

「……なんなんだ……この村は……?」

 

 再度口を出たリーシャの疑問は当然であろう。その村は、外界との隔たりを表す柵こそあるが、人の営みの気配など一切ないのだ。

 村の入口に立つ門を起点に続く柵にも、その門にも、分厚い埃や泥がこびり付き、もう数年以上も人の出入りがないのではないかと疑いたくなるような物だった。

 

「……とにかく中に入る。話はそれからだ」

 

「あ、ああ」

 

「そ、そうですね」

 

 カミュの言葉に一行は通常は中からしか開ける事がない門を押し開ける。城下町の入口にそびえる門でも城へと続く城門でもない普通の町や村の門は、外からでも人が押し開ける事は可能なのである。

 村を見た時は、流石のカミュも『廃墟か?』と疑いたくなるような物であったが、門を潜り中に入ると、そんな疑問が生易しい物であったと気が付く事となる。門を潜った三人はその光景に言葉を失った。

 

「なんだ……これは?」

 

 その光景を目の当たりにし、カミュが言葉を溢す。

 それは、通常では考えられないもの。

 

「あれは……銅像なのか?」

 

「そんな……これ程多くの銅像を誰が?」

 

 リーシャやサラが発した内容は、その村の中に人の姿をした彫像が至る所に立っている事だった。

 この村は、<カザーブ>や<レーベ>よりも大きな村である。その敷地、建物の具合などを見ても、生活水準が前述の二つの村よりも高い事は明白であった。

 しかし、その村で生活をしているのは、人の姿形を象った彫像だけなのである。

 その彫像の形は様々で、村の中を歩いているような恰好や、しゃがみ込んで何かの作業をしている様な物、少し村の奥に向かって歩けば、店のカウンターに立って客と思しき彫像の相手をしている物まである。

 

「……とりあえず、休める場所を探す」

 

 リーシャとサラの混乱具合を余所に、カミュは村の奥へと進んで行く。メルエを背負うカミュが歩き出した事から、周囲の異様な光景に戸惑っていたリーシャとサラも、お互いの顔を見合せながらも後に続いた。

 周囲に立ち並ぶ人型をした彫像を傍目にしながら進んでいたカミュであったが、ふと近くに立つ彫像の傍を通る時に珍しく目を見開き、その彫像へ触れる。

 

「……生きている……」

 

「な、なにっ!!??」

 

 ぼそりと呟いたカミュの言葉に、すぐ後ろでメルエの様子を確認しながら歩いていたリーシャが驚愕の声を上げ、その叫びに驚いたサラが何事かとリーシャの傍に寄って来た。

 

「ど、どういうことだ、カミュ!」

 

「ど、どうしたのですか?」

 

「……これは、彫像でも銅像でもない……『人』だ」

 

 カミュが口にしたもの。それは、今この村に立ち並ぶものが生きた人間という驚きの事実。カミュが手を触れたそれは、体温とまでは呼べないまでも『人』の温もりを宿していた。

 更には、微かではあるが呼吸の様な息遣いを感じる。時が止まったように、そして身体が固まったように動かないが、それは生きている『人』であったのだ。

 サラは、その驚愕の事実に言葉を失った。

 

「『人』だと!? どういう事だ! 何故、『人』がこのような姿になっている!」

 

「……アンタと共にアリアハンから出て来た俺に、それが解ると思うのか?」

 

 余りの出来事に若干混乱気味のリーシャは、その理由をカミュに詰め寄るが、カミュの言う通り、リーシャが解らない事をカミュが全て知っているという訳ではない。

 

「理由は解らないが、ここにある人型をした物は全て、この村の住人だった者達だろう。何らかの理由で時が止まっているのか、もしくは固まってしまったのか……とりあえず、まだ生きている事には違いない」

 

 カミュの言葉は、かなり強い衝撃を受ける物だった。その証拠に、リーシャはその言葉の意味が理解出来ず、サラも困惑の表情を浮かべている。それ程に突拍子もない物だったのだ。

 

「カ、カミュ! もしや、<シャンパーニの塔>でお前がサラに使った魔法の影響がこの村にまで及んだのではないのか!?」

 

「……アンタは本当に馬鹿なのか?」

 

 勢い良く振り向いたリーシャの発言に、メルエを背負ったままのカミュは盛大に溜息を吐く。

 リーシャの言っている事は、誰が聞いてもおかしい事が理解出来る。しかし、リーシャも混乱しているのだ。

 

「……<アストロン>に離れた所にいる人間まで巻き込む程の効果はない。それに、アンタもそこの僧侶が元に戻るのを見ていた筈だ」

 

「そ、それはそうだが……」

 

 言葉に詰まるリーシャを見るカミュの瞳の色がいつもと少し違う事にリーシャは気付いた。

 それが何を意味するのかまでは解らず、リーシャはカミュの瞳から視線を放す事が出来ない。先に視線を外したのは、カミュだった。

 

「……何もかもを俺の仕業としたい気持ちも解らないでもないが、少しはその頭で考えてくれ……」

 

「そ、そんな事はない!……い、いや、すまなかった……」

 

 カミュのどこか諦めたような溜息は、リーシャの心に刺さった。リーシャにも何故だかわからないが、カミュのその自虐的な物言いは哀しく感じたのだ。

 混乱していたとはいえ、自分の発言をカミュにそう解釈されてしまったという事が、何故かリーシャの心に影を落とす。

 

「……もしかして……」

 

 そんなリーシャとカミュのやり取りを耳に入れる事なく、今まで何かを考え込んでいたサラが不意に口を開いた。

 何か思い当たる事があったような口ぶりに、カミュとリーシャの顔が揃ってサラの方へと向けられる。

 

「サラ、何か知っているのか?」

 

「あっ、は、はい。本当かどうかは解りませんが、<カザーブ>で食事をした場所にいた若い方達が話していた内容にそのような事があったような気が……」

 

 自分の頭の中の引き出しを順に開けていくように考えを巡らすサラに、掴みかからん程の勢いでリーシャは先を促した。

 

「た、確か……どこかの村では、『エルフ』の怒りに触れ、村中の人間が眠らされてしまった……というような内容だったかと……」

 

「眠らされた!? こ、ここにある彫像は、眠っているだけの人間だと言うのか!?」

 

 サラは<カザーブ>の酒場で話をしていた若いカップルの話を思い出していたのだ。

 何処かの村で『エルフ』という他種族の怒りを買い、その村の住人全てが永久に覚める事のない眠りに落とされてしまったという話。

 それは、今、その姿を目の当たりにしているリーシャにも、俄かには信じがたい物だった。

 

「なるほどな……『エルフ』独自の道具か魔法でこうなったという訳か……」

 

「その通りでございます」

 

「!!」

 

 サラの話にカミュが独自の解釈を入れた言葉に、予想外の方向から返答が返って来た。

 その突然の来訪者にリーシャとサラは驚いてその方向を振り返るが、メルエを背負うカミュだけは解っていたかのように平然とその声の主を見ていた。

 

「この村への旅人など十数年ぶりです。ようこそ、<ノアニール>の村へ」

 

 カミュ一行に歓迎の挨拶を述べるその人物は、髪の毛や下に長く延びる髭も真っ白に染めた老人であった。

 近付いて来る老人に警戒を向けるリーシャであったが、老人と相対するカミュが身動き一つしない事に気が付き、その警戒を緩める。

 

「……貴方は?」

 

「はい。私はこの村で暮らす者です。こんな所で立ち話もなんですから、私の家へどうぞ」

 

「この村の住人だというのか!? では、何なのだ、この光景は!?」

 

「リ、リーシャさん。話はこの方のご自宅で聞きましょう。まずは身体を少しでも休めないと……」

 

 彫像のように『人』が眠る村の住人であると言う老人の提案を無視して詰め寄るリーシャにサラが掛けた言葉は、切実なものであった。

 メルエに話したように、サラにはカミュやメルエよりも若干ではあるが魔法力の余裕がある。しかし、ここまでの道中での戦闘による呪文詠唱によって、その蓄えも尽きていた。

 更には、未だに使いこなしているとは言い難い<鉄の槍>での戦闘で心身ともに疲れ切っていたのだ。

 やつれた表情を見せるサラの提案に、リーシャも頷く他なかった。

 リーシャがカミュを見、そして目が合ったカミュが頷いた事によって、一行は<ノアニール>の住人と名乗る老人に導かれて一軒の家に入って行く。その家は、周囲の家とは違い、生活感に満ちていた。

 老人の後を、メルエを背負ったカミュ、サラ、リーシャの順に戸を潜って行く。家の中は、小さいながらも整理されており、暖炉に点る火が部屋の空気を暖かな物にしていた。

 

「狭い家ですが、そちらに座りなされ」

 

「……」

 

 老人に勧められるまま、一行は暖炉の近くに座る。カミュは老人が指差す椅子を繋げ、メルエの身体を横に寝かせた。

 暫くすると、奥に消えた老人が手に湯気の立つカップを三つ持って出て来る。

 

「さぁさぁ、まずはこれでも飲んで身体を温めなされ。随分身体が冷えているでしょう?」

 

 にこやかな笑みを浮かべながらカップを差し出す老人の姿は、本当に久しぶりな旅人の到来を歓迎しているようだった。

 最初は警戒心を持って対していたリーシャも、その警戒感を緩める。サラに至っては、ようやく腰を下ろせる場所を得て、一気に脱力感に襲われていた。

 

「……それで、私達に話とは……」

 

 しかし、一行の中でカミュだけは未だにこの老人に対して含む所があるようだった。口調はいつものように仮面を被ったカミュの物ではあったが、その表情は冷たい無表情。

 それは、相手が何を言い出すのか半ば察しているような態度であった。

 

「そうですな……どこから話せば良いのか……」

 

「それ程の話なのですか?」

 

 老人の呟きに真っ先に答えたのはサラ。椅子に腰かけ、老人の差し出した飲み物を口に含みながらも老人の話を聞いていた。

 言い難そうな表情とは裏腹に、老人の口は滑らかに言葉を紡ぎ出して行く。

 

「……ええ。これは、私の息子と、その恋人に関する話なのです」

 

「……恋人?」

 

 老人はぽつりぽつりと過去を話し出す。そこから紡ぎだされる話は、サラが以前に読んだ事のあるような物語。それは一人の青年と、一人の女性が生み出す哀しい人生の物語。

 

 

 

 

「……そんな事が……」

 

「……はい。お恥ずかしい話ですが、今、この村の惨状は全て私の責任なのです。私があの子達を認め、そして祝福していれば……」

 

 老人の話が終結を迎える頃には、老人が持ってきた飲み物も全て冷え切り、小さな部屋を満たす空気は重く、暗いものになっていた。

 サラの呟きに対しての老人の答えは、『全ての責任は自分にある』という、リーシャやサラにとって何ともやりきれない物である。しかし、カミュの表情は、先程よりも更に冷たい物へと変わっていた。

 

「……それで?」

 

 その心情は、満を持して口を開いたカミュの言葉に表れていた。

 ここまでの老人の話に何の感情も湧かなかったような口調。

 まるで、『自分には全く関係のない事だ』とでも言うような態度。

 その言葉にサラは思わずカミュの顔を振り返ってしまった。

 

「うむ。旅のお方に、このような事をお頼みする事が筋違いなのは解ってはいますが、どうか『夢見るルビー』を探し、<妖精の隠れ里>に住むエルフの女王に返してやってくだされ。そうしなければ、この村にかけられた呪いが解けぬのです」

 

「……それをなぜ私達に……」

 

 老人が頼み事を口にしても、カミュの姿は変わらない物だった。

 冷たい瞳、そして口調も仮面を被ってはいるが、底冷えするような冷たい物。サラは、カミュの表情を見つめている事しか出来なかった。

 

「見たところ、貴方方は旅慣れたご様子……」

 

「……私以外はすべて女性。しかも、一人は年端もいかぬ幼子ですが?」

 

 カミュの答えは、徐々に冷たさを増して行く。カミュには、この老人の心の裏側が見えているのかもしれない。しかし、そんなカミュの冷たさにも、当の老人は怯む様子もなかった。

 

「貴方方は、ご自分達では気が付いておられませぬか……貴方方が纏う雰囲気が物語っております。この時代に、この村へ足を運ぶ者などおりません。この村はどこかへの通過点でもない、ロマリア大陸最北の場所。<カザーブ>からの山道を通ってここに来られたという事実だけでも、十分それは証明されております」

 

「……」

 

 老人が言うように、基本的に<ノアニール>に特別な用事がない限り、この場所に人は渡っては来ない。カミュ達にしても、山中でのアクシデントがなければ、この村を訪れる事などなかったであろう。

 

「おそらくあの子が向かった先など、西にある洞窟ぐらいしかありませんでしょう」

 

「……貴方が向かえばよろしいのでは?」

 

 カミュの疑問は当然の物であろう。場所まで特定出来ているのであれば、何もカミュ達に頼む必要などないのだ。

 カミュの瞳は冷たく老人を射抜いている。それでも、老人はカミュの雰囲気を気にもせず、先を語り出した。

 

「西の洞窟には、魔物が住んでおります。私の様な老人ではとてもではありませんが、生きて帰って来る事など出来ませんでしょう」

 

 冷たさを増して行くカミュの瞳とは別に、サラは絶句してしまった。

 呆然と老人を見つめるサラの瞳には疑問だけが浮かんでいる。

 『初めから行き先が解っていたのならば、何故こうなるまで放置していたのか?』

 そんな疑問がサラの頭の中に渦巻く。しかも、それを何の関連性もない自分達に頼む。それが、どれ程に無責任な事なのかを、この老人は気付いているのかという疑問がサラを襲ったのだ。

 

「貴方達は装備もしっかりと整えなさっておる。ロマリアの騎士様なのではないでしょうか?」

 

 カミュ、リーシャの身なり、そしてサラの僧侶とはっきり分かる服装を見て、老人は再度カミュに疑問を投げかけて来た。

 その質問に何も答えようとはしないカミュの後ろから信じられない横やりが入る。

 

「ロマリア騎士と一緒にしないで頂こう。私達はアリアハンから『魔王討伐』に出た者だ」

 

「リ、リーシャさん!」

 

「……この馬鹿が……」

 

 アリアハン宮廷騎士としての誇りなのか、それともカミュが言ったようにただの馬鹿なのか、名乗りを上げてしまったのは、パーティーが誇る剣の使い手だった。

 

「な、なんと! では、貴方様は『勇者』様でございますか? これはとんだ失礼を」

 

「ちっ!」

 

 リーシャの答えに驚きから目を見開き謝罪をする老人に対して、リーシャによって仮面を破壊されたカミュは盛大な舌打ちを行う。カミュの変貌ぶりに驚くリーシャであったが、サラはその理由を察していた。

 

「それでは、話がお早い。勇者様、是非、この村をお救いくだされ」

 

「……私達は先を急ぐ身ですので……」

 

 カミュに向かって頭を下げる老人。しかし、カミュは暫しの沈黙の後、遠回しの断りを口にした。

 確かに、『魔王討伐』という使命を受けている以上、カミュ達の旅に余裕などない。刻一刻と広がる『魔王』の脅威。この<ノアニール>で過ごしている間にも、数多くの人間が魔物によって命を落としているのだ。

 

「な、なんと! 勇者様はこの村を見捨てられるという事ですか!? この世界に住む『人』に希望と平穏を齎すのが『勇者』としての責務の筈。それを放棄するのですか!?」

 

「お、おい……ご老体……」

 

 先程とは打って変わった剣幕になった老人に若干気圧されながら、ここに来てやっと自分の失言に気がついたリーシャは、老人を制する為に声をかけようとする。しかし、一度火の点いた老人の感情を消す事は出来なかった。

 カミュの正論はこの老人の事情から見れば、取るに足らない物だったのかもしれない。

 

「『勇者』なれば、この村を救う為、恐ろしき『エルフ』の怒りを鎮めて来られるのが当然ではないのか!? 『魔王』を倒して救われる世界に、この村の住人は不必要だとでもおっしゃるのか!? そなたも『勇者』を名乗るのであれば、全ての『人』を救う為に、その身を捧げるのが使命であろう!?」

 

「……そ、そんな……」

 

 もはや激昂に近い程の老人の剣幕。そしてその物言いにサラは口元を押さえ、俯いてしまった。

 リーシャにしても、自分の失態が招いた事とはいえ、老人の物言いに良い感情を抱いていない事は、その表情から理解出来る。カミュに至っては尚更であろう。

 

「……わかりました。<妖精の里>には明日にでも向かいましょう。『エルフ』側の話も聞いてみない事には、何ともお答えは出来ませんが、この村の呪いを解くように最善を尽くしましょう……」

 

 しかし、周囲の想像を覆す、老人の要望の一切を全て引き受けるようなカミュの言葉。リーシャとサラはそんなカミュの顔を思わず振り返ってしまった。

 そこには、最近自分達に見せる事が少なくなってきた、能面のような無表情を張り付けたカミュの姿があった。

 

「そ、そうですか。それを聞いて安心致しました。こちらこそ出過ぎた事を言ってしまい、申し訳ありませんでした」

 

「……カミュ……」

 

 カミュの答えに満足したのか、老人は先程まで吊り上がっていた眉と瞳を下げ、口調を治した後、カミュに向かって一つ頭を下げた。

 通常、ロマリアとアリアハンという違いはあれど、リーシャに至っては、一村民が声をかける事等出来よう筈がない貴族なのだ。しかし、今回の名乗りに『宮廷騎士』の言葉は出ていない。

 オルテガの死の以前は、『魔王討伐』を謳って旅立った者達が数多くいた。『魔王』という諸悪の根源である者に挑もうとする者は、皆等しく『勇者』だったのだ。

 カミュが先日リーシャ達に見せた<アストロン>のような、英雄独自の魔法の存在などは平民が知る筈もない。いや、リーシャの様な貴族とて、その存在は都合の良い伝承とさえ思っているのだ。

 

「この村は、皆等しく眠っております。宿屋などには、空き部屋がたくさんありましょう。少し埃を被っているかもしれませんが、眠る事は出来るかと思います。どうぞお好きにお使いなされ。食糧は、私が細々と作っている野菜などがありますので、それを持って行って頂ければよろしかろう」

 

 老人の物言いへのショックから立ち直れていないサラや、自分の胸に渦巻く感情を抑える事に尽力しているリーシャを余所に、老人は今夜の一行の宿についての話を進めて行く。

 

「…………うぅぅん…………」

 

 そんな中、先程の老人の怒鳴り声に目が覚めてしまったのか、メルエが目を擦りながら身を起こした。

 周囲の状況について行っていない為、何かを探すように周囲を見渡し、見つけた<とんがり帽子>を被った後、リーシャの足元へと移動して来る。

 

「メルエ、起きたのか……行こう。今夜はベッドの上で眠る事が出来そうだ」

 

 再度奥に消えていった老人が、両手に抱えながら持って来た野菜と少量の肉を受け取り、リーシャはメルエを促し、外へと歩いて行った。

 その後ろを俯きながら、力ない足取りでサラが続く。

 

「よろしく頼みましたぞ、『勇者』様」

 

「……」

 

 先程とは全く違うにこやかな笑顔を向けてカミュに念を押す老人に、軽く会釈をしてカミュも外へと出て行った。

 

 

 

 宿屋は老人の言う通り、彫像のように眠りに付く客がいない部屋が三部屋空いていた。一室をカミュ、そしてもう一室をサラ、最後の一室をリーシャとメルエで分け、休む事になる。

 いつもとは違い、サラ自ら別室で一人になる事をリーシャに頼み込んで来た事から、何か思う事があったのだろうと考えたリーシャは、首を縦に振った。

 埃の被った浴場を洗い、湯を張って、順番に入る。リーシャが厨房を借りて作った料理を食べる頃には、再びメルエに睡魔が襲って来ていた。

 フォーク片手にこくりこくりと舟を漕ぐメルエに苦笑しながら、リーシャが部屋へと運び、残った食器類の片付け等は、サラとカミュが行う。

 

 

 

 メルエを部屋に運び、ベッドに横たえたリーシャは、窓から差し込んで来る月明かりに照らし出されるメルエの明るい茶の髪を梳きながら考えていた。

 

「もしかすると、メルエが一番アイツを解ってやれるのかもしれないな……」

 

 サラは今頃、一人で考え込んでいるだろう。

 <シャンパーニの塔>での出来事、そしてこの村の老人の話について。

 彼女は真面目すぎるのだ。何事も右から左へと流す事が出来ない。

 故に、『生きる権利を有する者は、<人>だけなのか?』とその胸を痛めているに違いない。

 リーシャがそう考えるのにも訳があった。それが、先程の老人の物言いだ。本来それはカミュに向けられた物であって、決してサラやリーシャが思い悩む事ではない。しかし、今のサラには、それが身勝手な物に映ったのかもしれない。

 そう、『今の』なのだ。

 アリアハンを出た直後のサラであれば、もしかすると老人と同じ考えを持っていたかもしれない。いや、老人と共にカミュを糾弾していただろう。しかし、今日のサラはそれをしなかった。

 この旅に出て、カミュが歩むべき『魔王討伐』へと続く道の険しさを知り、そして僅かではあるが、カミュが抱える苦悩の片鱗を見て、自分達が出来ない事の全てを『勇者』に背負わす事自体への疑問が生まれて来ているのだろう。

 それは、リーシャとて同じである。あの老人の発言は、カミュを一人の人間としては見ていなかった。

 例え『勇者』と呼ばれていようと、カミュも命ある『人』である事に間違いはない。『人』である以上、傷つけば痛みを感じ、それが酷ければ命を落とす事もあるのだ。

 しかし、老人の言葉の中に、それを理解している節はどこにもなかった。それに対し、リーシャは怒りを覚えたのだが、振り返ると、『自分も同じではなかったか?』という恐怖も湧き上がって来ていたのだ。

 

「…………うぅぅ…………」

 

「!!」

 

 月を見上げながら考えに耽っていたリーシャの手元で、すすり泣くような声が聞こえる。ふと手元に目を落とすと、メルエの目から一筋の涙がベッドへと流れていた。

 リーシャは、その雫を指で拭き、優しくメルエの頭を撫で続ける。この宿屋で皆それぞれが悩み、考え、そして涙している中、この少女の涙だけは悲しみに彩られたものでないようにと祈りながら。

 

 

 

 




読んで頂きありがとうございました。

第三章は、ノアニール編です。
このノアニール……幼い頃から疑問ばかりのイベントでした。
その辺りを細かく描いていければと思っています。

ご意見、ご感想を心よりお待ちしています。

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。