新訳 そして伝説へ・・・   作:久慈川 京

31 / 277
シャンパーニの塔③

 

 

 

 サラが上のフロアに足を踏み入れた時、既に三人はカンダタ一味と対峙をしていた。

 カミュ達三人の前にいるのは、身体に<鉄の鎧>と思しき物を着込んだ男達が三人。そして、先程階下から、命からがら逃げ出した男がその後ろで座り込んでいる。

 しかし、そんな四人よりもサラの目を引き付けたのが、中心に立つ大柄で筋肉質な男だった。

 その威圧感は凄まじく、カミュが能面を被った時と同等、いや、それ以上にサラには感じられる。おそらく、この大男こそが、『カンダタ』その人なのであろう。

 

「……お前だったのか……」

 

「…………」

 

 しかし、カミュとメルエ、そしてリーシャの三人は、サラとは違う方向を見ていた。

 それは、<鉄の鎧>を着込んだ男達の中心に位置する場所に立ち、最もカンダタと思われる大男に近い場所に立っている男。

 サラにも、その男には見覚えがある。

 それは、ロマリア城下町を出てすぐの森の前。

 サラがメルエに初めて会った場所。

 その男は、あの奴隷商人であり、手下のような者から『兄貴』と呼ばれていた男だったのだ。

 

「て、てめぇらは!!」

 

 向こうもカミュ達の顔を覚えていたのであろう。見覚えのある顔を見て、驚愕の表情を浮かべていた。

 そう言われれば、先程カミュの纏う空気に気を取られていたが、後ろで座り込んでいる男の右手は、手首から先がない。あの時、カミュに腕を斬り捨てられた男に違いなかった。

 おそらく、カミュの<ギラ>で燃やされた男の一人の左手は同じように手首から先はなかった事であろう。

 

「貴様が……アンとその母親を……」

 

 リーシャが怒りに歯を食いしばる。実は階下でカミュが盗賊を斬っている時から、メルエはその事に気が付いていた。

 それもあって、カミュの手を止めたのだ。

 自分とアンの苦しみを味あわせる為に。

 

「おいおい、ここまで辿り着いた事は褒めてやるが、ここの主である俺を無視するとは、良い度胸じゃねぇか?」

 

 カミュ達四人の視線が部下の一人に向けられている事に若干の苛立ちを表しながら、大男は口を開いた。

 

「……アンタが……カンダタか……?」

 

「おうよ! この俺様がこのロマリア大陸に知らぬ者はいない、大盗賊のカンダタ様だ! 良く覚えておきな!」

 

 カミュの問いかけに、誇らしく胸を張る大男が発した言葉は、リーシャの顔を歪ませ、カミュの表情を失わせる。そんな二人の胸中は、次に発したカミュの言葉の中に集約されていた。

 

「……ゴミに名前があるなど、迷惑以外何物でもないな……」

 

「なんだと?」

 

 『アリアハンの勇者』と、『ロマリアの義賊』と謳われる男の対峙。

 それは、サラの想像を遥かに超えた緊迫感を有する対話だった。

 カミュの挑発的な物言い。

 そして、それに返答するカンダタの凄みの聞いた声。

 どれも、通常であれば身震いを起こす程の物であったのだ。

 

「奴隷の売買や、村の人間を拉致し殺害するような組織の親玉の名を覚える必要などないという事だ!!」

 

 最後の言葉から睨み合いを続ける、カミュとカンダタに変わって、リーシャが腰の剣に手を掛けながら声を張り上げる。リーシャの手の動きに、隣に立つメルエも構えを取り始めた。

 

「ああ!? 奴隷売買? 何を言ってやがるんだ!?」

 

「ここに来て、まだ白を切るつもりか!?」

 

「…………」

 

 リーシャの怒鳴り声に、しばし宙を見ていたカンダタは、何を言いたいのか全く分からないとでも言うように言葉をリーシャに返す。リーシャの頭にはもはや完全に血が上って来ていた。

 カミュ、メルエを抑えるのに冷静さを保って来たつもりではあったが、リーシャ自身もまた、胸に沸々と湧きあがる怒りを溜めに溜めて来ていたのだ。

 

「か、頭! こんな訳の分からねぇ事を言ってやがる奴等なんて、さっさとやっちまいましょうぜ!」

 

「……貴様……」

 

 そんなカンダタとリーシャのやり取りに慌てたように、部下の中心人物であろう男がカンダタへと声を掛けた。

 それが、メルエを馬車に押し込めていた張本人である事を知っているリーシャは、怒りに我を忘れそうになる。しかし、その一歩手前でリーシャの目の前にカミュの手が挙がった。

 

「……アンタがカンダタで間違いないな……」

 

「ああ!? さっきから、そうだと言ってんだろうが!?」

 

 先程から自分一人が事情を飲み込めていない苛立ちから、カンダタは更に声を張り上げた。

 後方に控えるサラの身は、自身の意志とは関係なく竦み上がる。しかし、リーシャは勿論、メルエまでもがリーシャの足を掴んだまま、カンダタを睨みつけていた。

 

「そうか……ならば……『金の冠』を出せ」

 

「カミュ! こいつらは、奴隷売買も行うような奴らなんだぞ! そんな奴等が交渉等に応じる訳はないだろ!」

 

 カミュの言葉に、交渉をしようとしていると感じたリーシャは、カミュの胸倉を掴む勢いで詰め寄って行く。しかし、カミュから返って来た答え、そして視線は、リーシャの口をそれ以上開かせない物だった。

 

「……あいつ等には、それ相応の報いを受けさせる。だが、カンダタへの要件は『金の冠』だ」

 

「てめぇら……さっきから何の事を話してやがる? 俺は盗賊ではあるが、奴隷の売買などやった事はねぇぞ……」

 

 一方的に進む会話を飲み込む事の出来ないカンダタは一度構えを解き、カミュ達へと問いかけた。

 彼の中で、奴隷売買という外道は、盗賊という悪行以下の所業と認識されているのだろう。故に、彼の自尊心がこの問答を生んでいた。

 

「まだ言うか! そこにいる奴等が、奴隷の売買をしている事は私達が見ているんだ!」

 

「……なんだと……?」

 

 カミュの言葉に氷ついたリーシャであったが、カンダタの一言に再起動を果たし、再び声を荒げた。

 リーシャの言葉を聞いたカンダタは、その指し示す先にいる自分の部下達へと視線を向ける。

 

「な、何を言ってやがるんだ! か、頭……こいつらの言っている事なんて出鱈目ですぜ。俺達がそんな事をする訳ないじゃないですか!」

 

「…………メルエ………連れてった…………」

 

 焦る男の言葉に、満を持してメルエの口が開く。奴隷として買われ、売られそうになった少女の言葉は、何よりも説得力を持った。

 暫しの間、メルエの瞳を見つめていたカンダタは、その視線を再び自身の部下達へと向けたのだ。

 

「……てめぇら……」

 

「か、頭! 俺達は嘘なんて吐いちゃいませんぜ! か、頭は、俺達の言葉より、こんなどこのどいつかも分からねぇ奴等の言葉を信じるんですか!?」

 

「そうですよ! まずはこいつ等をやっちまいましょう。話はそれからしましょうぜ」

 

 メルエの言葉に、部下を見るカンダタの目は鋭さを増す。それに怯え始めた部下達は、カンダタと目を合わせない為なのか、さっさとカミュ達との戦闘に入りたい為なのか、<鉄の兜>のような物を頭に被った。

 カミュ達との戦闘を望む理由もまた、『死人に口なし』という物を実行する為なのかもしれない。

 

「……わかった……こいつ等を片付け終わったら、次はお前達だ。覚悟を決めておけよ……」

 

 暫し、部下達を睨みつけていたカンダタだったが、何かに諦めたように呟きを洩らした後、腰から巨大な武器を取り出し、カミュ達に向かって構える。

 その武器は斧らしき物。

 しかし、それは木こりが使うような<鉄の斧>ではなく、戦闘用に作り変えられた斧だった。

 

「へへへっ、残念だったな。お前達にはここで死んでもらうぜ」

 

 カンダタの威圧感から解放された男は、下種な笑みを浮かべながら、カミュ達に向かって腰から剣を抜いた。それが、戦闘の合図。

 

「メルエ!!」

 

「…………ん…………」

 

 部下達全員の武器が抜かれた事を確認したカミュが、メルエへと合図を送る。カミュの言葉に短く答えたメルエは、素早く詠唱の態勢に入った。

 高々と掲げられたメルエの右腕を中心に、魔法力が集結する。

 

「…………イオ…………」

 

 いつもよりほんの少し力の入った詠唱。

 それは、カミュ、リーシャ、サラの三人も初めて聞くメルエの詠唱。

 そして、散々、メルエが出したがっていた新しく契約を済ませた魔法であった。

 メルエの詠唱と共に、三人の部下、いや、奴隷商人から『兄貴』と呼ばれていた男の目の前の空気が振動を始める。何事かと考える暇を与えず、振動を始めた空気が圧縮されて行き、突如弾けた。

 

 カミュ達に見えたのはそこまでだった。

 一瞬、『兄貴』と呼ばれていた男の前が真っ白になったかと思うと、凄まじいまでの爆発音を響かせ、視界が奪われたのだ。

 メルエに声をかけたカミュですら、その光景に呆気にとられている。爆発音のすぐ後に、<ギラ>よりも強い熱と風が周囲を取り巻き、カミュの耳に耳鳴りを残していた。 

 ようやく視界が戻った時に見た状況に、再びカミュは絶句する事となる。

 爆発の中心であったであろう男は吹き飛ばされ、左半身がほぼ失われていた。左腕は初めから無かったかのように消滅しており、左足は太ももの所で皮一枚で繋がっており、鎧で覆われていなかった部分は焼け爛れ、血と露わになった肉が赤々と剥き出しになっている。

 他の二人も、規模こそ違え、その被害は甚大と言って差し支えはないだろう。

 熱風により、器官が焼けたのか、呼吸困難に陥っている者。

 そして、爆発の際の光に目をやられ、目が見えなくなっている者。

 生きてはいるが、もはや生きる事すらも苦痛と言った状況だった。

 

<イオ>

『魔道書』に記載されている攻撃呪文の一つ。<メラ>や<ヒャド>、そして<ギラ>とも全く違う系統の魔法。それは、爆発呪文。詳しい原理は解明されていないが、大気中にある物を術者の魔力を触媒にして圧縮し、その力を一気に解放させる事によって強大な爆発を引き起こす。その威力は術者によるところも大きいが、広範囲に及び、対象を爆発の直撃以外にも、熱風等のダメージを与える物である。

 

「……」

 

 その光景から真っ先に立ち直ったカミュがある方向へと視線を向ける。そこには驚きながらも、立ち直りかけていたリーシャの顔があった。

 カミュの視線に気が付き、目線をカミュに合わせたリーシャが一つ頷きを返す。

 

「…………まだ…………」

 

「メルエ!! もう良い!!」

 

 もう一度詠唱に入ろうとするメルエに、声を張り上げ近寄ったのはリーシャ。そして、反対に息も絶え絶えなカンダタの部下達へと真っ直ぐ向かって行ったのはカミュ。

 リーシャとカミュの心の中にあるのは、ただ一つの想い。

 『メルエに人を殺させてはいけない』

 メルエの詠唱を止めたリーシャがカミュへ視線を向けた時には、カミュの<鋼鉄の剣>が一人目の喉に突き刺さった所だった。喉を焼かれ、呼吸が出来ない者の喉を突き刺し、その命を奪っていたのだ。

 もはや助からない命を楽にさせる為に奪ったとも見えなくもないが、サラにはカミュが遂に、明確に『人』を殺したとしか見えていない。メルエの魔法の威力に続き、カミュの行為に呆然とし、周囲が見えなくなっていたサラには致命的な隙が生じていた。

 

「呆けているなよ、嬢ちゃん!」

 

 カミュが、二人目の男に剣を向けた時にはもはや遅かった。

 部下達に気を取られ、最も目を離してはいけない人物から注意を逸らしてしまっていたのだ。

 カンダタ一味の総大将であり、その一味の掲げる名前を持つカンダタである。カンダタは、強力な魔法を行使した『魔法使い』でもなく、それを護るように立つ『戦士』でもなく、そして部下の一人を殺害した少年でもない、法衣を纏い放心している『僧侶』に目をつけた。

 

「ぐふっ!」

 

 目の前にカンダタの顔を確認したと思うや、サラは腹部に強烈な痛みを感じた。それは、意識を手放してしまいそうになる程の衝撃。

 カンダタは一瞬でサラとの距離を詰め、豪快にサラの腹部を蹴り上げたのだ。

 内臓を破壊されたかと思う程の衝撃を受けたサラの身体は、その体重の軽さから、完全に空中へと浮き上がる。意識が薄れていく中で、サラはカンダタらしき足が踏み込むのを見た。

 

「じゃあな、嬢ちゃん」

 

 後方に仰向けの状態で飛んだサラの腹部に、いつの間にか振り上げていたカンダタの斧が振り下ろされた。

 それは、戦闘用として鍛え上げられた斧。

 まともに入れば、サラの身体など真っ二つにされる事は明白である。

 

「ちぃ!」

 

「サラ―――――――!!」

 

 リーシャの叫びが木霊する。

 リーシャにはカンダタの斧の軌跡が見えていた。

 あのまま振り下ろされれば、間違いなく、サラの上半身と下半身は永遠の別れを告げ、同時にサラの人生も幕を閉じるという結末が。

 その時、リーシャの叫びの少し前に舌打ちをしたカミュの手が、サラ目掛けて上げられる。そして、カミュが何かを呟くのと同時に、カンダタの斧が間近に迫っているサラの身体が光に包まれたのだ。

 

「……駄目だ……」

 

 光に包まれるサラを見ても、リーシャの見ている結末は変わらなかった。

 リーシャはカミュがサラに<スカラ>か<スクルト>をかけたのだと思ったのだ。

 しかし、既に腹部へと正確に打ち下ろされた斧の軌跡は変わらない。故に、リーシャの絶望も変化する事はなかった。

 

<スカラ><スクルト>

『魔道書』に記載される、数少ない補助魔法の一つ。それは、術者の魔法力を対象の身体へ纏わせる事により、致命傷などを防ぐ事の出来る魔法である。対象になった者は、術者の魔法力が薄い膜として身体を覆い、敵の攻撃などを微妙にずらす事が可能となり、致命傷を避ける事が出来るのだ。二つの呪文の違いは、一人に向けて使うか、対象を複数にするかの違いである。その場合、術者は一人である為、纏わせる魔法力の量は変わらず、必然的に対象が複数より一人の方が効力は高くなる。

 

 しかし、光に包まれるサラへと振り下ろされたカンダタの斧は、リーシャが予想していた結末を産む事はなく、全く理解不能な音を立てた。

 それは、サラの身体が斧によって叩き切られる、あの肉を潰すような音ではなく、まるで硬い金属同士をぶつけ合ったような凄まじい音。

 リーシャは目の前で起こった事を飲み込めない。

 凄まじい金属音を響かせたサラの身体は、石でできた床に落下するのだが、落下音もまた異常な音を塔に響かせたのだ。

 それは、何か重い石か金属が、石畳に落下したような音だった。

 

「……間に合ったか……」

 

「て、てめぇ、何をしやがった!!」

 

「サラ!!」

 

 先程階下の部屋から逃げ出して来た男の太ももに剣を突き刺しながら言葉を漏らすカミュに、カンダタは金切り声を上げた。

 その間に腰の剣を抜いたリーシャが、カンダタを牽制するように剣を振るい、サラの下へと辿り着く。メルエもまた、右手をカンダタに向かって掲げながらリーシャの後を追った。

 そこでリーシャが見た物は、完全にリーシャの頭では理解の範疇を超えたサラの姿。 

 サラの姿は、カンダタに蹴り上げられたままの物なのである。意識を失い、倒れているだけならわかるが、その身体はリーシャの持つ<鋼鉄の剣>ような光沢を持ち、また色合いもそのものであったのだ。

 恐る恐るその身体に触れてみると、体温を全く感じられないような冷たさまで感じる事が出来た。

 

「ホイミ」

 

 カンダタの剣幕にも動じず、メルエが真っ先に<イオ>の対象とした奴隷商人の男に、カミュは回復呪文を掛ける、淡い光を受けた男の身体は、傷口などが少し塞がり、呼吸も可能となって行った。

 意識は失っているが、呼吸が復活した事を確認したカミュは、再びカンダタへと向き直る。あまりに常識を逸脱した出来事に、カンダタといえども、カミュの不意を突く事すら出来ない程に困惑していた。

 

「カ、カミュ、サラに何をしたんだ? サラは大丈夫なのか?」

 

「…………サラ…………」

 

 リーシャに於いても、珍しく怒鳴り散らす事はせず、カミュへサラの状態を問いかけていた。その横に立つメルエも、心配そうにサラを見つめる。

 

「少しの間、鉄になってもらっただけだ。暫くすれば元に戻る」

 

「鉄にだと!!」

 

 リーシャに返したカミュの言葉に逸早く反応したのは、リーシャではなくカンダタ。

 文字通り目を丸くし、カミュを見据えるカンダタの表情は、とても大盗賊の親玉には見えない物だった。

 

「何だそれは! そんな魔法見た事も聞いた事もねぇぞ!」

 

「……どちらにせよ、アンタには関係ない事だ……」

 

 続くカンダタの叫びを、カミュが斬り捨てる。

 『サラの状態がどうなっていようと、カンダタには関係ない』と。

 しかし、カンダタにとっては、仕留めたと思った相手が鉄になっていたでは納得がいかない。しかも、自分に向かってくる相手は四人パーティーだ。

 ならば、カンダタの攻撃を受けた後、回復呪文で仲間の傷を癒してしまう可能性のある『僧侶』を、まずは消してしまおうとする目論見も外れてしまった事になる。実際、その目論見も、カミュが<ホイミ>を行使した事により、意味を成さなかった可能性は、カンダタも否定は出来なかったのだが。

 

「カミュ! では、サラは大丈夫なんだな?」

 

「……ああ、時機に戻る……」

 

 カンダタとカミュのやり取りに興味を示さず、サラの身だけを案じているこの女性に、カミュは苦笑に近い表情を浮かべた。

 

「そ、そうか……よかった……」

 

 カミュの言葉に、『自分が戦場にいる事を覚えているのか?』と聞きたくなる程にリーシャは脱力感を表し、目に光る物を浮かべていた。

 それが、彼女の優しさなのだろう。

 一度は諦めかけた命が救われた事に、心底喜びを表す。

 カミュも、そんなリーシャの姿を暫し見ていたが、もう一度カンダタへ向き直った。

 

「ふっ、ふはははっ、ちげぇねぇ、ちげぇねぇ。あの状態が何であろうと、俺様には関係のないこった。しかし、てめぇは何者だ?」

 

「……別段、アンタに名乗る必要もない」

 

 突如笑い出したかと思えば、再びカミュの身の上を問いかける為に、カンダタは目を細める。しかし、その問いかけもまた、カミュによって斬り捨てられた。

 

「ふはははっ、そいつも尤もだ! この様子だと、てめぇらが言っていた事も、どうやら真実のようだな?」

 

 自分の問いかけを、カミュに再び斬り捨てられた事を気にもせず、豪快に笑い飛ばす姿は、とても奴隷の売買や拉致殺害を行っている棟梁には見えない清々しさがあった。

 

「……アンタの仲間は、ここにいる者だけではない筈だ」

 

「ん? ああ、他の地方にも手下どもは散らばっている」

 

 お互いが相手の目から視線を外さずに語り合う。手にした武器を下げてはいるが、いつ相手がその武器を掲げても対処できるように、カミュもカンダタも瞳の奥には冷たい炎が宿っていた。

 

「……アンタの一味は大きくなり過ぎた」

 

「カ、カミュ、どういう事だ?」

 

 鉄になったサラの身体を労わるように触りながらも、リーシャは二人の会話を聞いていた。

 もう一人のメルエの方は、サラは無事だと安心した為か、今のサラの状態を純粋に楽しんでいるようにさえ見える。

 

「大きくなり過ぎた組織が行き着く結末は、国であろうと一味であろうと同じ……」

 

「……破滅か……」

 

 リーシャの問いかけに対し、中途半端に答えるカミュの言葉を補足したのは、その大きくなり過ぎたと言われる組織の親玉であった。

 

「は、破滅だと?」

 

「……ああ、そこへ辿り着くのには大きく分けて二通りあるが、結局行き着く先は同じく、崩壊あるいは破滅だ」

 

「……」

 

 リーシャが言葉に詰まっている横で、我関せずのメルエが鉄となったサラの頬をペシペシと叩いている。緊迫して来た話も、メルエに取ってはサラの状態以上に興味のある事ではなかった。

 

「……二通りとは?」

 

 それでも尚、リーシャはカミュに問いかける。それが、自分の祖国であるアリアハンにも当て嵌る可能性が高い事は、カミュの口ぶりから理解出来ていた。

 

「……上が腐るか、下が腐るかの違いだけだ……」

 

「……」

 

 カミュが言う内容は、組織が大きくなれば、全構成員へ指示伝達等が行き届かなくなり、必然的に影の差す部分が出来て来るというもの。目の届かない場所となり、何をしても見つからず、当事者達さえ黙っていれば明るみには出ない部分。組織が大きくなれば大きくなるだけ、その影の面積も大きくなる。

 それを作り出すのが、組織の上に立つ者達なのか、それとも上層部の監督は行き届かない末端の者なのかの違いだけだと言うのだ。

 それは、組織の規模や性質は問わない。盗賊一味だろうと、国家であろうと、教会等の法人施設であろうとだ。

 

「ふっ、ふははははっ。小僧、てめぇの言う通りかもしれねぇな。確かに俺達の一味は大きくなり過ぎた。俺の目が届かない所も多くなった。そっちの姉ちゃんの言う通り、義賊が聞いて呆れるわな」

 

 その言葉と同時にカンダタは斧を構え直す。

 それが当然の事であるように。

 

「だがな……例え俺が与り知らぬ所で手下が行った事も、全てカンダタ一味の行った事だ。それを、知らぬ存ぜぬで済ますつもりはねぇ。『金の冠』も、てめぇらが持つ復讐の念も、俺から奪いたけりゃ、掛って来な!!」

 

 再び、フロア全体を凄まじいまでの威圧感が支配する。先程まで感じていたよりも巨大なそれに、カミュですら額に汗が滲む程であった。

 

「うぅぅん……あ、あれ……私……何故?……あれ、生きている……」

 

「…………おきた…………」

 

 カミュもリーシャもカンダタの放つ威圧感に飲まれそうになる程の緊迫感の中、どこか間の抜けた声を上げながらサラが覚醒する。

 カミュの呪文の効力が切れたのであろう。サラの身体は元の体温を取り戻し、鋼色をしていた身体も人肌の色に戻っていた。

 相変わらずペシペシとサラを叩いていたメルエが、どこか面白くなさそうな表情を浮かべている。

 

「サラ! 説明は後だ! 来るぞ!」

 

「えっ!? あ、は、はい!」

 

 カンダタから視線を外さずに、リーシャはサラへ檄を飛ばした。

 そのリーシャの剣幕に飛び起きたサラもまた、背中の<鉄の槍>を構え、カンダタへと視線を向ける。メルエもまた、<とんがり帽子>のつばを掴んで深く被り直し、戦闘態勢に入った。

 

「おらぁ!!」

 

 先手はカンダタ。

 一瞬の早業で、リーシャとの距離を詰め、手にした斧を横薙ぎに振るう。その速度を見て、避ける事が叶わないと感じたリーシャは、左手に装備する<青銅の盾>でカンダタの斧を受けた。

 凄まじい衝撃がリーシャの身体に響く。確かに盾で防御したはずなのに、小柄ではないリーシャの身体がふわりと宙に浮いた。

 

「メルエ!!」

 

 受けた盾を持つ左手に痺れを感じたリーシャの様子を見て、カミュがメルエへと声を上げた。

 そのカミュの声だけで、メルエはカミュの言わんとする事を理解する。

 

「…………ん…………スクルト…………」

 

 先程、リーシャが、カミュがサラに唱えたと勘違いした魔法。

 パーティー全員に、メルエの魔法力が行き渡り、その身体に薄い魔力の膜を作り出す。

 自分の身体を魔力が包む感触を確認し、カミュがカンダタ目掛け走り寄り、剣を振るう。しかし、リーシャを吹き飛ばした斧を戻していたカンダタは、カミュの剣をその斧で薙ぎ払った。

 本来の力が違う為、弾かれた勢いでカミュの態勢は僅かに崩れる。そんな僅かな隙もカンダタは見逃さなかった。

 態勢を崩したカミュを、左手に持つ<鉄の盾>のような物で押し出し、もう一度カミュへ斧を振り下ろす。

 

「くっ!」

 

「…………ヒャド…………」

 

 咄嗟にカミュも、手に持つ<青銅の盾>で防ごうとするが、間に合わない。しかし、先程<スクルト>を唱えたばかりのメルエが、後方から異なる呪文の詠唱を完成させた。

 メルエの指先から生じた冷気は、真っ直ぐカンダタが斧を持つ右手に向かい、その手を凍りつかせようとする。

 

「ちぃ!!」

 

 メルエの冷気に気が付き、強引にカミュへの振り下ろしを止め、カンダタは身体を捩るが、避け切る事が出来ず、脇腹付近に<ヒャド>の冷気を受けた。

 カンダタの着ている衣服が凍り、脇腹も皮膚の色を変色させて行く。

 

「そこだぁ!」

 

 カンダタがメルエの魔法に怯んだのを確認し、走り込んで来たリーシャの剣が横薙ぎに払われる。その剣速は並みの者ならば対処できない程の速度。

 

「甘い!!」

 

 だが、そこは大所帯を束ねる盗賊の棟梁。

 左手に持つ<鉄の盾>をリーシャの剣の軌道に合わせた。

 体格的には、『戦士』であるリーシャよりも二周り近く大きいカンダタであれば、この剣も難なく防ぐ事が出来たであろう。しかし、リーシャは一人ではないのだ。

 

「ルカニ!」

 

「な、なんだと!」

 

 カンダタは確実に防いだと思っていた。

 リーシャの剣の軌道は変えられない。ならば、『<鉄の盾>に弾かれ、態勢を崩すところに斧を叩き込んでやろう』とカンダタは考えていた。

 しかし、そんなカンダタの目論見は、先程から戦闘に参加していなかった、死に損ないの『僧侶』の叫びによって崩されてしまった。

 リーシャの剣が、チーズでも切るかのように盾へと吸い込まれて来るのだ。

 <鉄の盾>の上部分をすっぱりと斬り飛ばし、自分に向かってくる剣をカンダタは紙一重で避ける事に成功する。しかし、その代償に、カンダタの頬はぱっくりと裂け、血が滲み出していた。

 

「く、くそっ。えげつねぇ魔法を使いやがって!」

 

 自らの血液の流出を確認したカンダタの目が明らかに変貌した。

 それは明確な殺意を宿した瞳。

 ここに来て、ようやく四人を敵と認識する事にしたのかもしれない。カミュやリーシャを侮っているようにも感じるが、この大男にはそれだけの実力があった。

 アリアハンが誇る『宮廷騎士』、そして駆け出しだが着実に成長している『僧侶』、更には膨大な魔力を秘めた『魔法使い』に、アリアハンが国を挙げて送り出した『勇者』。

 これ程のパーティー等、世界中を探しても見つける事など出来ない。それでも、その四人を相手に、ここまで頬の傷一つで済んでいるという事実が、カンダタの力量を示していた。

 

「死ね!」

 

 カンダタは怒りに燃えた瞳をしたまま、自分の盾の防御力を落とした元凶に斧を振るう。その速度は、やはり先程に比べて遥かに速い。サラは、咄嗟に手に持つ<鉄の槍>を放り投げ、ここに来る間にカミュから手渡された<青銅の盾>を両手で抱えるように持ち直した。

 

「きゃあ!」

 

 両手で持った盾で受け止めたにも拘わらず、サラの身体は宙を舞い、石畳の床を転げて行く。吹き飛んだサラを追って行こうとするカンダタの目の前にカミュが姿を現した。

 横合いから突き出された剣を、その手の斧で弾き返し、カンダタはカミュと何度か突き合いを繰り広げる。三度目のカミュの剣を弾き返そうと斧を振るうカンダタの視界に別の剣が入って来た。

 

 リーシャの剣である。

 

 アリアハン宮廷騎士としての誇りがリーシャには存在する。本来、『人』との闘いでは、騎士は一対一の闘いを誉としているのだ。

 しかし、リーシャも、そしてカミュも理解している。

 『一人では、カンダタには勝てない』という事を。

 故に、恥じも外聞もなく、二人がかり、いや四人がかりでカンダタと対しているのだ。

 仲間の命を守る為に。

 そして、何より自己の命を守る為に。

 

「ち、ちきしょう!」

 

 間一髪カンダタはリーシャの剣を、半身だけになった盾で防いだ。

 いくら実力はカンダタの方が上だと言っても、天と地ほどの差はない。次第に、カンダタは圧されて行く。

 

「…………イオ…………」

 

 一度、カミュとリーシャがカンダタから距離をとった一瞬を見計らって、メルエが先程の爆発呪文を唱える。カンダタの半身しか残っていない盾の手前の空気が圧縮され、瞬時に弾け飛んだ。

 空気の圧縮に気がついたカンダタは、左手の盾を放棄する。盾から手が離れるか否かで爆発が起こり、カンダタの持っていた<鉄の盾>が粉々に吹き飛んだ。

 しかし、メルエの唱えた<イオ>は、先程手下の奴隷商人に向けて唱えたものよりも、明らかにその威力が低下しているように見えた。

 カミュがメルエの方に視線を向けると、その小さな身体は、肩で息をするように小さく波打っている。

 

「一気にケリをつける!」

 

「はっ! やれるものならやってみやがれ!」

 

 リーシャへと声をかけるカミュの言葉に、手にした斧を構え直したカンダタが反応した。

 <鋼鉄の剣>を突き入れるカミュ、そして、それを弾くカンダタ。

 弾く事で振られた斧の隙に剣を刺し入れるリーシャ、身を捩るカンダタ。

 

「ぐっ!!」

 

 身を捩ってリーシャの剣をかわしたカンダタの返しの斧が、リーシャの手を切り裂くが、一歩後退したリーシャに近寄ったカミュは、素早く患部に手を翳す。

 

「ホイミ」

 

「カ、カミュ……」

 

 切り裂かれたリーシャの腕の傷は見る見る塞がって行く。その傷が深い事を悟ったカミュは、二度詠唱を行い、再びカンダタへと向かって行った。

 暫し、カミュが自分を治療してくれた事に放心しそうになったリーシャではあったが、すぐさま気を取り直し、カンダタへと向かって行く。

 

「くそ! 回復呪文まで使えるんだったな!」

 

 カミュが先程自分の手下達に行っていた行為を思い出し、カンダタは忌々しそうに唾を吐き捨てる。確かにカンダタからすれば、傷を与えても、回復呪文で治療されれば、その攻撃は意味を成さない事になってしまうのだ。

 カミュの剣が、カンダタの肩口目掛け振り下ろされる。カンダタはそれを再度斧で弾き、走り込んで来たリーシャの腹部に蹴りを繰り出した。

 カンダタの攻撃を予想していたリーシャはその蹴りを難なく避ける。避けられるとは思っていなかったのか、カンダタは微妙に態勢を崩すが何とか立て直し、カミュに注意を向けて目を見開いた。

 そこには、左手人差し指を自分に向けるカミュがいたのだ。

 

「メラ」

 

 言葉に抑揚のない詠唱と共に、カミュの指先から火球が飛び出す。それは、カンダタの顔面目掛け飛んで来ていた。

 リーシャでも、その火球をカンダタは避けられないと思った。

 そして万が一避けられても、次の攻撃で仕留めるつもりで、カンダタへと走り込んでいたのだが、火球が目の前に迫っていたカンダタの行動は、リーシャの予想を遙かに超えていた。

 

「うぉぉぉぉぉぉぉ!!」

 

 カンダタは、カミュの放った<メラ>を避けもせず、受けもせず、そのまま火球目掛けて斧を振り下ろしたのだ。

 その行動はカミュとしても予想外だったのか、目を見開き、一瞬行動が遅れてしまう。

 

「カミュ!!」

 

 リーシャの叫びが響く。

 『やられる!』

 リーシャの頭に絶望に近い感情が湧き上がった。

 それはカンダタも同様で、『獲った』と思った事だろう。

 その後に、<メラ>による若干の火傷を負おうかもしれないが、それで一人を戦闘不能に出来るのならば御の字だった。

 しかし、カンダタは、その存在を完全に忘れていたのだ。

 戦闘開始直後に、自分が最も脅威になり得ない存在だと考えていた少女を。

 

「バギ!」

 

 突如としてカンダタの右腕を中心に風が巻き起こる。

 その風は瞬時に真空と化し、カンダタの右腕を切り刻んで行った。

 

「うぎゃぁぁぁぁ!!」

 

 カンダタ目掛け飛んで来ていた<メラ>の火球すらもその真空に吹き飛ばされる。切り刻まれたカンダタの右手から斧までも吹き飛んで行く。

 血が滴る右腕を押えながら、詠唱が聞こえた方向へカンダタが視線を移すと、もはや座り込んでしまったメルエを庇うように立つサラが、右腕を自分に向けて掲げている姿があった。

 カンダタが回復呪文しか能がないと考え、真っ先に殺しにかかった『僧侶』がカンダタの唯一の攻撃手段を奪ったのだ。

 そして、それはカンダタの敗北を意味するものだった。

 

「……終わりだな……」

 

 右腕を抑えるカンダタの喉元に剣を突き付けるカミュ。

 それを見届け、リーシャはメルエとサラの下へ駆け寄った。

 

「俺の負けだな」

 

 斧は、サラの<バギ>によって吹き飛ばされ、もはやカンダタから遠く離れてしまっている。反撃するにしても、流石のカンダタも無手ではカミュに敵う訳もない。

 

「メルエ! 大丈夫か!?」

 

 少し、離れた所で疲れ果てているメルエを気遣うリーシャの声が聞こえている。カミュとカンダタの視線が合わさった。

 後ろでは二人を褒め、気遣うリーシャの声が続いている。

 

「……良い仲間だな」

 

「……ああ……」

 

 カンダタの呟きに、カミュは視線を外し、リーシャがメルエを胸に抱いている姿を見つめた。そこに隙が出来る。カミュは胸に大きな衝撃を受け、後ろへと吹き飛ばされた。

 転がるように弾き飛ばされたカミュの身体。

 その場所は、奇しくもリーシャ達が集う場所に程近いところであった。

 

「ふはははっ。悪いな、俺もまだこんな所で死ぬ訳にはいかないんでね。約束は約束だ。『金の冠』はここに置いておいてやる。じゃあな」

 

 カンダタは、豪快に笑いながら片足を上げ、そのままその足を床に落とした。

 

「メルエ!!」

 

「き、きゃあ!」

 

 カミュの叫びと、カミュ達が立つ場所の床が抜けるのは同時だった。

 続いて、サラの叫び声が上がる。床が抜けた瞬間に、カミュが何故自分に声をかけて来たのかを理解したメルエは、自分をしっかりと抱いてくれているリーシャの腕の中から、疲れを振り払い詠唱を行った。

 

「…………スクルト…………」

 

 落下して行くパーティーの身体を再びメルエの魔法力が包み込み、薄い防御膜が出来上がる。落下しながら剣を鞘に納めたカミュは、落下による衝撃に供える為、受け身の態勢に入った。

 

 

 

 無事に受け身を取りながら、何とか衝撃を和らげたカミュが態勢を立て直した後、その近くにメルエを抱いたリーシャが落下して来た。

 

「きゃぁぁぁぁぁぁぁ!!」

 

 そのすぐ後に、盛大な叫び声にも負けない程の破壊音を立てて、木で出来たテーブルを派手に破壊しながらサラが落下して来る。その派手な音を気にする様子もなく、探るように周辺へと視線を巡らして行った。

 

「メ、メルエ、大丈夫か?」

 

「…………ん…………」

 

 腕の中にすっぽりと納まっているメルエの状態を確認する為にリーシャは声を掛ける。それに対し、腕の中から若干上目使いでメルエはこくりと頷いた。

 

「……いたたた……メルエのかけてくれた<スクルト>のおかげで助かりました。ありがとうございました。あれがなければ、私はどうなっていたか……あいたた……」

 

「そうだったな。ありがとう、メルエ」

 

「…………ん…………」

 

 テーブルだった木片を身体に付着させながら、サラが近寄って来る。

 如何に<スクルト>で強化されていたとはいえ、木のテーブルに直撃した痛みはあったのだろう。身体のあちこちをその手で押さえていた。

 

「……もう一度、上に上がるぞ……」

 

「あっ、カミュ様、お待ち下さい」

 

 階段に足を掛けそうになったカミュが足を止め、サラの言葉に振り返った。

 リーシャとメルエも、サラが何を言うのかと若干不安な物を感じ、サラを見つめる。

 

「……なんだ? 文句なら聞き飽きたが……」

 

「違います! あ、あの……私は何故生きているのでしょうか? カンダタに蹴飛ばされ、斧を目にしたところまでは記憶にあるのですが……」

 

 しかし、リーシャやメルエの不安は杞憂に終わる。サラは、ただ、自分がどうなっていたのかの疑問を訊ねただけであった。

 サラ自身、あの時に死を覚悟したのだろう。薄れ行く意識の中で、踏み込まれるカンダタの足と、振り降ろされる斧を見ていたのだ。

 

「…………サラ………硬かった…………」

 

「え!? やはり死んでしまっていたのですか!? で、では、蘇生呪文を?」

 

「あはははっ。違う、違うぞ、サラ。サラは『鉄』になっていたのだ」

 

 メルエの言葉が、死後硬直の事を言っていると勘違いしたサラは、自分を蘇生させる程の事が出来る人間がいた事に驚きの声を上げる。しかし、横から豪快な笑い声と一緒に出て来たリーシャの言葉に、驚きを通り越して言葉を失ってしまった。

 

「ん? そう言えば、あれは何という魔法なんだ?」

 

「魔法? 私は魔法で鉄になったというのですか!?」

 

 魔法という言葉に、サラは過剰に反応を示す。

 このパーティーで魔法に重きを持つ者はサラとメルエであり、その一人であるサラはそんな効力のある魔法を聞いた事がない。

 いや、『魔道書』の方を網羅していない為、もしかすると『魔道書』にある上位魔法なのかもしれないが、それならメルエがその魔法の名前を口にしても良い筈だ。

 

「……アストロンだ……」

 

「<アストロン>? そ、そんな名前の魔法、聞いた事もありません」

 

「私もないな……『魔道書』にあるのか、メルエ?」

 

 カミュがその魔法の名前を口にしても、やはりサラには聞き覚えのない物であった。

 それは、リーシャにしても同じのようで、『魔法使い』としての才能の片鱗を見せ始めるメルエへと問いかけるが、メルエもゆっくりと首を横に振った。

 まず、第一に、まだメルエは全ての文字を読める訳ではない。ようやく自分の名前の文字を読み、そして書く事が出来るようになったばかりだ。

 そんなメルエに『魔道書』の中にあるかどうかを尋ねるリーシャもリーシャであったが、メルエの反応にサラまでも納得してしまう。

 

「……通常の『経典』や『魔道書』には記載されていない……」

 

「……では、古の賢者様が残した最上位魔法という事ですか!?」

 

 この世界には、もう何十年と『賢者』は存在していない。しかし、数十年前にはたった一人、『賢者』と呼ばれる人間がいた。

 その人間は、魔と神の魔法を使いこなし、『経典』や『魔道書』には載っていない魔法をも行使する事が出来たと云われている。その魔法は、<ホイミ>の様な回復呪文を一度に複数の人間に掛ける事が出来たり、『魔道書』に記載されている攻撃呪文の威力を跳ね上がらせた物だったりと、鍛練を続けた『僧侶』や『魔法使い』にも行使出来ない物であった。

 その『賢者』が自分の使用していた魔法の契約方法や効力などを記した書物が、この世のどこかに存在するという伝説がある。ただ、誰も見た者はおらず、また、手にした者も当然いない事から、その話の信憑性はかなり怪しいものではあるのだ。

 

「いや、この魔法は、契約者を選ぶ物らしい」

 

「もしや! それは、『勇者』だけが行使できるという、あの魔法か?」

 

「えっ!?……そんな魔法が?」

 

 『経典』にも『魔道書』にも記載されていない魔法。

 そして、本当にあったとしても、おそらく『賢者』の残した書物にも記載されていないであろう魔法があるとリーシャは言うのだ。

 この世には、教会が持つ『経典』に載る神との契約魔法と、『魔道書』に載っている魔との契約魔法の二つがある。『賢者』が行使していた魔法も、その例外に洩れてはいない。

 ただ、その他に、後に英雄と呼ばれる人間だけが使う魔法があると云われていた。

 それは、有史以来、現代に至るまで、等しく英雄と呼ばれる人間だけが手に入れる事の出来る魔法。しかも、その英雄は同じ時系列に二人と存在しないと云われる。

 そして、その魔法は、その力を手にした者が後世の若者に残す為、その契約方法と効力を書き残していたと伝えられていた。

 だが、その魔法は余りにも強力な為、一つの魔法につき一冊とし、世界中に分散される事となった。

 主に国家の国宝として保管される事が主ではあったが、近年では契約出来る英雄は出現せず、その存在すら忘れ去られかけている。故に、実際にそのような魔法があるかどうかという事自体、疑わしい物だったのだ。

 

「お前……ま、まさか、ロマリアで……」

 

「ああ、ロマリアの図書室の中にあった」

 

 リーシャの問いかけに対し、カミュは即座に返答する。その返答を聞いたリーシャの瞳が怒りの炎を宿し始めた。

 

「だから、お前は国王になったのか!? し、しかも、国宝とも云われる物を、ロマリアから盗んで来たと言うのか!?」

 

 リーシャには大方理解する事が出来た。

 先程のカミュの発言で、リーシャの脳の中でバラバラになっていた摩訶不思議な出来事が、高速に繋がって行く。しかし、それはアリアハンの勇者が盗みを働いたという結論に達する事になるものだった。

 ロマリアの中で、その書物の存在を知る人間が何人いるか分からない。いや、もしかすると、もはや国王ばかりか、財務を担当する人間すら知る者がいないかもしれない。

 それでも、犯した罪は罪。

 リーシャの持つ雰囲気が久しく見なかった剣呑な物へと変わって行った。

 

「……始めはそのつもりだったが、王女と話す機会があった為に、許可を貰う事が出来た」

 

「何!? それは本当だろうな?」

 

 カミュの様子から見て、リーシャに弁明をしている訳ではない事は明らかだった。

 ただ、単純に問いかけに応えているだけなのだろう。しかし、それを理解出来ないリーシャは、念を押すように問い質す。

 

「……何度も言うが、俺がアンタに嘘を言わなければならない理由が分からない……アンタに嘘を言ってまで自分を正当化する理由がない」

 

 旅を続けているのも、リーシャ達が付いて来ているだけだと暗に示す内容。

 嘘を言ってまで自分を正当化し、ついて来て欲しいとは思っていないとでも言いたいのであろう。

 

「カミュ様しか使えない魔法……」

 

「…………カミュ………ずるい…………」

 

 何かを思い悩むようなサラとは別に、微妙に着眼点がずれているメルエが、カミュへ嫉妬を露わにする。魔法が自分の存在価値という考えが抜けきれていないメルエらしい発言と言えばそれまでだが、頬を膨らますメルエを見て、リーシャは頬を緩めた。

 

「そ、その<アストロン>ですか? それで、私は『鉄』にされたのですか?」

 

「……ああ……」

 

<アストロン>

前述の通り、古より、英雄と謳われる才のある人間しか契約する事が出来ない魔法。それ以外の人間が契約の魔法陣を作成しても、契約が履行されない。効力は、対象をある程度の時間『鉄』に変えてしまうもの。しかも、その『鉄』は通常の鉄とは違い、熱などで溶ける事もなく、何で打ちすえても欠ける事もない。故に、<アストロン>によって『鉄』に変えられた者には、どんなに切れ味の鋭い武器も、どれほど強力な魔法も効果を発揮する事はない。絶対無敵の存在となるのだ。ただ、『鉄』となった者も、自ら動く事は出来なくなり、また思考する事も出来なくなる。非常に使いどころが難しい魔法でもあるのだ。

 

「そうですか……で、では、カミュ様……私を救って下さり、ありがとうございました。あのままでは、確実に私は死んでいました」

 

 自分が九死に一生を得たのはカミュのお陰だった事を認識し、サラはカミュへ深々と頭を下げた。

 本当は、心の何処かで今回もまた、自分の命があるのはカミュのお蔭なのだろうという思いもあったのだが、サラは改めて確認の意も含めて訊ねていたのだ。

 

「確かに、そうだな。あの時は、流石にサラの身体が真っ二つになる事を疑いもしなかったからな」

 

「……リーシャさん……酷いです……」

 

 再び笑顔に戻ったリーシャが笑い話でも話すように、あの時のサラの状況を口にするが、サラにしてみればそれは笑えるどころか、血の気を引かせてしまうのに十分な威力を持ったものだった。

 

「い、いや、それは仕方がないだろう。カミュの魔法だって間一髪というタイミングだったんだぞ!」

 

 慌てて弁明するリーシャであるが、サラの顔色が晴れる事はなかった。

 自身が摩訶不思議な魔法によって変化させられていなかったら、既にこの世に存在する事が出来なかった事を知ったのだ。

 それは、かなりの衝撃であったろう。

 

「……もう良いか? さっさと『金の冠』をもらって、この塔を出るべきだな」

 

「そ、そうですね」

 

 三人は、カミュの言葉に頷き、もう一度上へと続く階段に足を掛ける。おそらく、カンダタは消えているだろう。

 上のフロアに続く階段は、この階段しか見つけられていないが、アジトとしている一味には他に脱出方法があるのかもしれない。

 

 

 

 上のフロアに戻った四人の視界に、目を覆いたくなるような惨状が広がっていた。

 先程、カンダタが居た場所にあの大男は既におらず、その代わりに、光輝く『金の冠』が置かれている。しかし、四人の視線の先はそれではなかった。

 カンダタとやり合う前に戦闘不能に陥っていたカンダタの手下四人全て、首から上がなくなっていたのだ。

 メルエの<イオ>によって完全に虫の息だった奴隷商人をはじめ、下の階から逃げて来た者や、閃光により目をやられた者も首を落とされていた。

 カンダタが、あの戦闘用に改造された斧で首を落としていったのであろう。ただ、カミュがその喉を突き刺した者までも首を落とされている。

 もしかすると、カミュが突き刺した人間はまだ息があったのかもしれない。それでなければ、カンダタがわざわざ首を落として行く必要性を説明する事は出来なかった。

 

「……酷い……」

 

「……もはや、用済みという事か?」

 

 その光景にサラは眉を顰め、リーシャはカンダタの仕打ちに怒りを覚える。しかし、カミュ一人だけは、その光景を冷たい瞳で眺めながらも、異なった感想を持っていた。

 

「……いや……あれは、カンダタの慈悲だろう……」

 

「ど、どういう事だ! この状況が慈悲だと!」

 

 リーシャには、カミュの言っている事が全く納得出来なかった。

 自分の部下の首を斬り落とす事が優しさなど聞いた事がない。ましてや、部下達も、自分の組織の長に殺される事を望む訳がないのだ。

 

「……もし、カンダタがあいつ等を殺さずに置いて行ったとしたら、奴等はどうなっていたと思う? もはや歩く事も出来ない人間達を連れていける訳がないという事が前提だが……」

 

「も、もしかして……」

 

 カミュの言葉に、サラは何かを思いついたようだった。

 リーシャには、まだ解らない。

 その答えは、リーシャの腕の中にいた少女から発せられた。

 

「…………メルエ………やる…………」

 

「はっ!?」

 

 メルエの言葉にようやくリーシャもカミュが言う結論に達する。

 あの手下達は、自分達の憎しみの対象と言っても過言ではない存在。もちろん、自分の身内や、自分の身に何かをされた訳ではない。

 しかし、許せない存在である事は間違いないのだ。

 

「メルエにさせるかさせないかは別としてもだ……奴等が生きていたのなら、それ相応の報いを受けさせるつもりだった。それこそ、『早く殺してくれ』と願う程の報いをな」

 

「……カミュ様……」

 

 いつもと同じカミュの無表情。

 しかし、そこには、静かな怒りと、静かな悲しみが入り混じっているようにリーシャは感じていた。

 それが、自分の手で報いを受けさせる事が出来なかった事への物なのかというと、おそらくそうではないのだろう。サラは、カミュの言動が恐ろしく、その報いの内容まで聞く事は出来なかった。

 聞いてしまえば、もはや、カミュの目を見る事等、永遠に出来なくなるような気がした為だ。

 

「……『金の冠』を取って、早々にこの塔を出るぞ。このままだと、この雨の中で野宿をする事になる」

 

 カミュは、何かを振り払うように、視線を手下達の死体から外し、『金の冠』の場所へと歩いて行く。そのまま、目的の物を手にして戻って来たカミュへ、リーシャは疑問に思っていた事を聞く事にした。

 

「カミュ、野宿をする必要はないだろう。塔の外に出れば、またお前の<ルーラ>で<カザーブ>へ戻れば良いだろう? 一度あの村には行ったのだから」

 

「……流石は、短絡的な考えしか思い浮かばない脳だけはある」

 

 しかし、返って来たのは、リーシャを挑発する内容ではあるが、心底疲れ切ったカミュの言葉だった。

 溜息を吐き出すカミュの表情には、疲れが見え隠れしており、それは何も、リーシャの言葉に対しての物だけではないのだろう。

 

「な、何だと!!」

 

「……まぁ良い。メルエ、今<リレミト>を行使できるか?」

 

「…………ん…………リレミト………????…………」

 

 カミュの問いかけに、こくりと頷いたメルエは、脱出呪文を詠唱した。

 

<リレミト>

魔道書に載っている、<ルーラ>と並ぶ移動呪文の一つ。対象を頭に浮かべた場所へ飛ばす<ルーラ>と異なり、<リレミト>は洞窟や塔などの入り口付近へと移動する為の呪文である。原理は解っていないが、<ルーラ>と違い、<リレミト>は時間すらも飛び越える。それは、何も、過去に戻ったり、未来へと進めたりするものではなく、術者の魔力により、粒子と化した対象を瞬時に入り口付近へと運んでくれるのだ。

 

「…………できない…………」

 

 <リレミト>の詠唱を行った筈にも拘わらず、魔法が発動しない。

 その事に、哀しそうに眉を下げ、メルエは俯いてしまう。

 

「……大丈夫だ。発動しないのは当然だ。魔法力が枯渇に近い状態なのだろう。俺も同じだ。アンタにかけた<ホイミ>が限界だった。元来、俺の魔法力は、メルエやそこの僧侶程高くはないからな」

 

「な、何!? では、この豪雨の中、再び歩いて<カザーブ>へ戻るというのか? <キメラの翼>は!?……無いのだったな……」

 

 魔法力がある人間と言えど、無限に魔法力が続く訳ではない。枯渇したからと言って、生涯魔法を使えなくなるという訳ではないが、魔法力といえど人間の力である以上、しっかりとした休養を取り、体力気力共に回復しなければ魔法の使用は出来なくなる。つまり、メルエもカミュも、例外なく疲労困憊である事を示していた。

 

「リ、リーシャさん……仕方ありませんよ。下の階で少し休んでから出発しましょう。外に出れば雨で濡れてしまいますので、下の暖炉の薪を少し持っていきましょう」

 

「そうだな……ん? メルエ、そんなに落ち込むな。メルエの落ち度ではない。元々歩いてここまで来たんだ。さっさと帰って、ゆっくり眠ろう」

 

 魔法が使えなくなってしまった事に顔を伏せているメルエを慰めながら、三人は階下へと降りて行った。

 生きている人間がカミュ以外誰も居なくなったフロアで、カミュはもう一度首から上を失ったカンダタの手下達に視線を送る。

 

「良かったな……楽に死ぬ事が出来て」

 

 心まで凍りつくような表情で呟いたカミュの言葉は、誰も居なくなった<シャンパーニ>の塔の最上階に溶けて行った。

 

 

 

 

 




読んで頂き、ありがとうございました。

第二章も残すところあと1話です。
明日には更新できると思いますので、よろしくお願い致します。

ご意見、ご感想を心よりお待ちしております。

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。