新訳 そして伝説へ・・・   作:久慈川 京

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聖なる祠

 

 

 

 ラーミアの背から見るアレフガルドは、漆黒の闇であった。そこに光の欠片もなく、あるのは深く飲み込まれるような闇。カミュ達が歩いて回った数多くの都市や村があり、そこには人の営みを示す灯火があった筈であるが、その小さく儚い光さえも全て飲み込むような闇は、アレフガルド大陸全土を覆っていた。

 満面の笑みでラーミアの背中に寝転ぶメルエとは異なり、下を見下ろしているサラの表情は暗い。改めて全土を見渡しても、何処が陸地で何処が海かさえも解らない闇は、心に不安と焦りだけではなく、絶望さえも広げて行く。歴戦の勇士であるサラでさえもその絶望に抗う術はなく、これが力の無い者達であれば、心を塞いでしまっても可笑しくはない程の物であった。

 

「大丈夫だ、サラ。この闇はいずれ晴れる。いや、私達が晴らすのだろう?」

 

「……はい」

 

 いつもならば、力強く感じるリーシャの言葉でさえ、今のサラには届かない。それ程の絶望を感じさせる大魔王ゾーマの力が彼女の心にある勇気を萎ませてしまっていた。言葉とは裏腹に曇っているリーシャの表情も、サラと同様の感情を抱いている事を物語っている。

 そして、リーシャは救いを求めるように隣に座る青年へと視線を送った。今では昔よりも口数が多くなった彼ではあるが、それでも必要最低限の会話しか極力しない事に変わりはない。いつも冷静沈着に、そして的確に物事を見ている彼は、その想いを胸に納め、表に出す事はしないのだ。

 だが、常に彼はその背中で、その瞳で、その勇気で、彼女達三人を導いて来た。暗中模索で旅を続ける中、どんなに苦しい時も、絶望を感じた時も、涙を流した時も、彼は彼女達を奮い立たせ、数々の壁を共に乗り越えて来たのだ。そんな彼をサラやメルエ以上に頼りにしているのは、隣に立ち続けて来たリーシャなのかもしれない。

 

「やる事は変わらない。どれ程に闇が深くとも、どれ程に相手が強大であろうとも、俺達が向かう先にいるのは、大魔王ゾーマだけだ」

 

「そうだな」

 

 単純な言葉。誰しもが理解している筈の事。それでも、常に先頭に立ち、ここまでの全てを打ち払って来た勇者が口にすれば、それは実現可能な事となる。

 目的は只一つ。このアレフガルドを闇に覆う諸悪の根源、大魔王ゾーマ唯一人。それを討ち果たし、世界の平和と、アレフガルドの朝を取り戻す為に彼等は旅を続けて来た。魔王バラモスという悪の根源と考えていた者を倒し、更なる絶望を知った彼等が尚も歩き続けるのは、ゾーマを討ち果たすという目的の為である。

 ゾーマを討ち果たすという目的に進む理由は各々異なるだろう。リーシャは、宮廷騎士としての最後の矜持と、アリアハン国王と密かに交わした誓いの為。サラはこの広い世界の真の平和を取り戻す為であり、人も魔物もエルフも、そしてその他の動物や植物も天寿を全う出来る世界を造るという理想の為である。メルエは、カミュ達三人と共にある為であり、それは最も単純でありながら、最も崇高な想いなのかもしれない。

 そして、カミュという勇者の理由。それを知るのは、世界中でも彼女しかいない。アリアハン王城という起点から彼の傍に立ち続けて来たリーシャという女性以外に、彼がアレフガルド大陸に渡り、そして強大な大魔王ゾーマという敵に向かう理由を知る者はいないのだろう。

 

「サラ、必ず朝は来る。それを誰よりも知っているのは、六年もの長い旅を続けて来た私達ではなかったか?」

 

「……はい、そうですね。誰よりも、私達が知っていました。晴れぬ事のない闇など無いという事を」

 

 再度言葉を告げたリーシャの顔には、先程とは異なる優しい笑みが浮かんでいた。そして、そんな姉のような存在の笑みを見て、当代の賢者は心の余裕を取り戻す。賢者として完成した彼女ではあるが、まだまだ若輩者である事に変わりはない。『人』としての成熟は、もう少し時間が掛かる事だろう。それでも彼女は前を向く。暖かく優しい笑みを浮かべる人間達に囲まれて、彼女は一歩一歩進んで行くだろう。

 ようやく余裕を取り戻したサラは、自分達のやり取りも気にせずにうつ伏せになって羽毛に横たわるメルエを見て苦笑を浮かべる。再び会えた大好きな相手に対する好意を隠しもせず、再会の喜びを全身で表現する少女の純粋さが羨ましくさえ思えた。

 

「メルエ、寝てしまっては駄目ですよ。気持ち良くても駄目です」

 

「…………むぅ…………」

 

 笑みを浮かべながらまどろみに落ちていたメルエは、サラからの警告に不満を漏らすように唸り声を上げる。頬を膨らませて目を細める彼女は、離れる事を拒否するようにラーミアの身体に頬を擦り付けた。

 どんなに強力な呪文を使おうと、竜の因子を受け継いでいる事を受け入れようと、彼女もまた『人』として未熟な存在であり、成長過程を歩んでいる真っ只中なのである。幼子から女性へと変わるにはまだまだ時間を有するであろうが、それでも彼女の傍にこの三人がいる限り、悪い方向へと彼女が進む事はないだろう。

 

「あれが、聖なる祠と呼ばれる場所なのでしょう」

 

 ほのぼのとするやり取りの中、ラーミアの声が直接頭の中へと響いて来る。高度を下げたラーミアが海に浮かぶ小島へと近づくと、その小島らしい影の中央に灯火による道筋が浮かんで来た。

 まるでカミュ達一行を誘導するような光は、ポルトガ港近くにある数多くの灯台の光に良く似ている。そこに誰かがいるのか、それとも神による導きなのかは解らないが、その光がラーミアに乗るカミュ達へと向けられている事だけは確かであった。

 誘導灯に誘われるように降下して行ったラーミアは、一際大きな炎が灯る大きな燭台の傍に着陸する。安らぎの時間が終わった事を悟ったメルエが眉を下げるが、心を鬼にしたサラがその身体をラーミアから引き剥がす。体毛である羽毛を握ったりする事の無いメルエだからこそ、その身体は抵抗なくラーミアから離され、嫌がるように首を振る彼女をリーシャが抱き上げた。

 

「私はここで帰りを待ちます」

 

「……すまない」

 

 全員が陸地へと降りた事を確認したラーミアは、羽を休めるように身体を丸めて足を折る。

 この小島に辿り着けさえすれば、カミュ達には帰る手段があった。ルーラという移動呪文を使用すれば、そのままリムルダールへと戻る事が出来るし、時間の短縮にもなるだろう。本来は、この小島へと辿り着けば、ラーミアの役目は終わったと言っても過言ではないのだ。

 だが、そんなラーミアを見上げて、今にも涙を溢しそうに眉を下げる少女を見て、伝承にさえなっている不死鳥でさえ、その別れを僅かに先伸ばす事にしたのだろう。確実に訪れる別れを先に伸ばす意味はそれ程ある訳ではない。それでも、これ程の好意を無碍に出来るような絆を築いて来た訳ではなかった。

 ラーミアと過ごした時間は短い。だが、その中身は本当に濃い物である。その復活の為に各地に点在するオーブを集め、その途中で様々な経験を重ねて来た。そして、復活の後、厳しい戦いを制した彼等を待っていたのも、この美しい神鳥であったのだ。

 

「メルエ、ラーミア様は待っていてくれるようです。ですが、それが最後になりますよ。最後は笑ってお別れをしないと」

 

「…………ん…………」

 

 哀しそうに眉を下げながらも、しっかりと頷きを返したメルエもまた、その別れが絶対に避ける事の出来ない物である事を知っている。故にこそ、サラの言葉通り、懸命に笑みを浮かべようと努力をするだろう。だが、それが永遠の別れである事を心の何処かで察している彼女は、再び涙を溜めるに違いない。それが明確に想像出来るリーシャとサラだからこそ、柔らかな笑みを浮かべてそんな少女の手を取った。

 一際大きな燭台を起点として、真っ直ぐに伸びる道のように両脇に小さな燭台が建てられている。カミュ達が一歩歩くごとに揺らめく燭台の炎が、その先にある小さな祠を映し出していた。

 岩で出来た小さな建物。それは人間などが住むような造りではなく、何かを祀っているようなそんな神聖な空気に包まれた物であった。入り口を封鎖する扉は無く、開け放たれた入り口から入った様々な物が散乱している。

 このアレフガルドが闇に包まれる以前は、ここに参拝者が訪れて清めて来たのだろう。それが無くなって久しく、祠内は荒れ果てていた。それでも、中には美しい祭壇のような物が置かれており、装飾豊かな祭壇の両脇には、これもまた見事な彫刻がなされた燭台が置かれている。

 

「よくぞ辿り着いた」

 

 祠内に入ったカミュ達は、その中身の荒れように顔を顰め、同時に中の調度品の美しさに感嘆するが、その途中に突然祭壇両脇の職台に炎が灯り、後方から声が発せられる。

 驚きで振り返った一行の前に立っていたのは、一人の男性。その男性は、青年と言っても過言ではない若さでありながらも、歴戦の勇士であるカミュ達にも劣らない程の体躯の持ち主であった。

 だが、何よりもリーシャ達を驚かせたのは、その青年の在り様である。その存在感、醸し出す雰囲気、それが彼女達の良く知る人物に似通っていたのだ。顔の形、輪郭、目や口元、背丈や筋肉の付き方など、全く似ても似つかない。それでも、目の前に居る不思議な青年には、彼女達が勇者と信じて止まない一人の青年を思わせる何かがあった。

 

「人の希望達よ、お主達が『太陽の石』と『雨雲の杖』を持っているのならば、その祭壇へ捧げよ」

 

「……メルエ」

 

 何かを言いたそうにカミュと不可思議な男性へ視線を交互に送っていたリーシャを遮るように、目の前の青年が口を開く。そして、その言葉を聞いたカミュは、不思議そうに首を傾げているメルエへと手を伸ばした。

 伸ばされた手に気付いたメルエは、そのままポシェットの中に小さな手を入れ、一つの杖を取り出す。それはステッキのような大きさの杖であり、その先端からは雨雲のような物を生み出す神代の道具であった。

 それを受け取ろうとしたカミュを避けるように身を捩ったメルエは、そのまま小走りに祭壇の前に辿り着き、その上に静かに『雨雲の杖』を置く。ラーミアとの再会の喜びを継続させているような少女の行動に苦笑を浮かべたサラは、目の前に立っている青年へ問いかけたい物を飲み込み、メルエと同様に祭壇へと近付き、その上に『太陽の石』を置いた。

 

「うむ。間違いなく、太陽の石と雨雲の杖。もし、お主達が虹の大橋を望むの者ならば、その胸にルビスの愛を宿している筈。お主達を守護する者達の愛と加護を今こそ掲げよ」

 

 輝くような太陽の光、そして徐々に漏れ出す雨雲のような湿った大気。その二つが燭台の炎に揺らめき、それを見たメルエがサラへと微笑みかける。メルエの微笑みの意味が解らないサラではあったが、何かが起りそうなそんな状況に、サラの胸も興奮に打ち震えた。

 リーシャがカミュに向かって頷き、それを見たカミュが首から下げられている黄金色に輝く首飾りを高々と掲げる。外で待つラーミアを象徴するような大きな鳥が翼を広げた象徴画が刻まれたそれは、闇に揺らめく燭台の炎を受けて眩い輝きを放った。黄金色の光は、太陽の光と雨雲の水を合わせるように包み込む。

 そして、小さな祠は神聖な光によって覆われた。

 

「…………きれい…………」

 

「す、すごいです」

 

 呆然とその光景を見ていたリーシャやカミュとは異なり、その輝きの中で生まれたそれを見たメルエは『ほぅ』と感嘆の息を吐き出す。そして、呟かれた感想によって我に返ったサラがその光景に改めて驚愕した。

 雨雲の杖から噴き出した雨雲に太陽の石の放つ熱と光が重なり、それを包むように光を放った黄金の首飾りが静けさを取り戻した時、その場所には小さな水晶のような欠片が浮かんでいたのだ。それは七色の輝きを宿した水晶であり、眩いばかりの輝きではなく、静かでありながら儚い光を有していた。

 赤、橙、黄、緑、薄い青、青、紫の七色。上の世界にあった六つのオーブとは異なる配色ではあるが、その水晶の中に閉じ込められた七つの色は、互いに交じり合う事なく、独自の色を輝かせていた。

 水晶の形は、中から今にも零れそうな色の雫を示すような形状。見る方角によって色の輝きは異なり、幻想的な輝きを放つ。それは、メルエが見惚れるに十分な美しさを備えていた。

 

「それこそ、『虹の雫』。それを持ち、魔の島の入り口に立つが良い。その雫が闇を照らす時、虹の橋が架けられる筈だ」

 

 宙に浮いた七色の雫は、まるでその持ち主を待つように揺らめく輝きを放つ。『虹の雫』と名付けられたそれは、数多くの想いと願いが合わさった希望である。そして、それを持つ者といえば、一人しかいない。リーシャもサラも、そしてメルエも、その持ち主となる青年へと視線を送った。

 だが、当の青年はその場を動こうとはしない。そして、静かに首を横に振った。それが何を意味するのかが理解出来ないリーシャとサラは眉を顰め、メルエは不思議そうに首を傾げる。ここまで来て、唯一と言っても過言ではない手掛かりを拒否するという行為が全く理解出来ないのだ。

 

「……アンタが持つべきなのかもしれない」

 

「私がか?」

 

 しかし、カミュが口にした言葉を聞き、その手掛かりそのものを拒絶している訳ではない事を悟る。彼は、自分が持つべきではなく、隣に立つ女性戦士が持つべきだと考えているのだ。

 その理由をはっきりとは口にしない。いや、正確には出来ないのかもしれない。だが、それでも何故かその雫を持つ人間はリーシャであるという考えがあり、それを譲る気は全く無い事だけは理解出来た。

 ここまでの旅でリーシャが重要な道具類を持った事はない。それは、彼女の性質が原因なのではなく、彼女の戦闘方法が原因なのだろう。誰よりも前へ出て、その武器を振る彼女の戦闘方法は、逆に言えば誰よりも魔物の攻撃を受け易い。その為、重要な物を持っていた場合、それが破損する可能性が誰よりも高い事になる。

 以前、リーシャが持っていたエリックのロケットペンダントは小さな物でありながらもしっかりとした金属で出来ていた。だが、この雫は神代の物と同様の力を有しているであろう事は想像出来るが、それでもその輝きからも水晶のような脆い物である事は想像に容易い。それを戦闘の最前線に立つリーシャが持つという事はそれなりの危険を伴う事になるだろう。

 

「……そうですね。私がお借りした『太陽の石』、メルエが妖精様からお預かりした『雨雲の杖』、そしてカミュ様がルビス様から授かったご寵愛。その全てが合わさって出来た物ならば、それを持つに相応しいのはリーシャさんしかいないのかもしれません」

 

「…………ん…………」

 

 しかし、戸惑うリーシャとは異なり、他の二人は納得したように笑みを浮かべ、カミュの提案に同意を示す。サラの言葉通り、三人全員に授けられた物全てを合わせた結晶であるのならば、それを所有するのは、リーシャが相応しいのかもしれない。

 綺麗な物を好む少女であれば、『ずるい』と頬を膨らませるのではと考えていたサラも、自分の言葉に間髪入れずに同意を示した事で、驚きと共に嬉しさが込み上げて来る。おそらく、この場に居る者の中で、当の本人であるリーシャを除く三人全てが、彼女の事を一行の要だと認識しているのだろう。

 前に進む時の旗頭は誰が何を言おうとカミュである。勇者として、魔に立ち向かう象徴として彼は立ち続ける。己の心に蓋をしてでも、その役目を全うして来た彼が、この一行の象徴であり全てである事に変わりはない。だが、生い立ちも価値観も思考も異なる四人を結び付けているのは、リーシャという女性である事は、この三人の誰もが知り得る事であった。

 何度も崩壊しそうになる一行を叱咤激励し、崩れ落ちる賢者を何度も立ち上がらせ、心を失いそうになる勇者を何度も引き戻し、絶望に落ちようとする魔法使いを何度も抱き上げて来たのは、彼女である。彼女自身が思うよりも、彼女の存在は大きな物となっていたのだ。

 

「……わかった。皆の想いの結晶は、私が預かろう」

 

 真剣な表情の勇者、笑みを絶やさない賢者、そして眩しそうに見上げて来る魔法使いの視線を受けた彼女は、何故か瞳に溜まって来る水分を振り払うように頷きを返す。

 祭壇に近付いたリーシャが七色に輝く結晶へと手を伸ばすと、先程以上の輝きが祠内を照らし出した。大きく輝く光は、一瞬の内に結晶の中へと収まり、それと同時に結晶の上部から細い鎖が現れる。そのまま抵抗なくリーシャの手に収まった結晶は、七色の輝き全てを内に閉じ込めたように静かな光を放った。

 大事そうに両手でそれを包み込んだリーシャは、一度瞳を閉じた後、鎖を首から掛ける。丁度リーシャの胸の上に結晶が来る程の長さであり、そのまま結晶を胸の内へと納めた彼女は、優しい笑みを浮かべながら、自分の胸に手を翳した。

 そんなリーシャの笑みを見ながら、サラは『太陽の石』と『雨雲の杖』を回収する。これ程の力を有した物を放置しておく事は出来ないからだ。

 

「良き仲間達と巡り会ったのだな。最早、ここには用はない筈だ。行くが良い、お主達の望む夜明けまでは近い」

 

 その存在を今まで忘れていた事が不思議な程に、静けさを取り戻した祠内に圧倒的な存在感が広がる。カミュ達一行のやり取りを見つめ、虹の雫という結晶の出現を見届けた青年は、厳しく引き締めた表情でありながらも優しい瞳をカミュ達へと向けていた。

 当代の勇者であるカミュと何処か似通った物を持つ者。姿形は全く異なるにも拘らず、何処かカミュを思わせる者。それに思い当たる者がいるとすれば、それは唯一人しかいないだろう。おそらく、首を傾げているメルエ以外の人間がそれに気付いている。だが、それでもそれをここで尋ねる者はいなかった。

 何故なら、圧倒的な存在感を示し、勇者カミュと似通った物を持っている者であっても、それは似て非なる者。彼女達と旅を続け、様々な困難を越えて来たのは、カミュという真の『勇者』である。

 その存在感、その安心感、そして何よりもその信頼は、例え似た雰囲気を持った者であっても遠く及ばない。もし、この目の前の青年がカミュ以上の力と加護を有していたとしても、彼女達はカミュという勇者と共に歩み、大魔王ゾーマと相対する道を選ぶだろう。

 人間では敵わない神代の勇者であろうと、それだけは譲れない。それが彼女達の総意であった。

 

「この世界を……そこで生きる者達を頼む。行け、我が称号を受け継ぎし者よ」

 

 その青年の言葉に驚く者は誰もいない。リーシャもサラも、この青年が誰であるのかを理解していた。そして、この青年の存在が今は既にこの世界にあってはならない物であると云う事も。故にこそ、振り返りはしない。古の勇者と呼ばれ、このアレフガルドの危機を救った者だからこそ、今のカミュという勇者に全てを託す事が出来るのだ。

 その道の困難さを知っている。その道の先にある未来も知っている。その道でぶつかる困難も苦難も、絶望も希望も知っているのだろう。そして、もしかすると、その道の先に見える結末さえも知っているのかもしれない。勇者としての結末を。

 リーシャやサラが口に出す事の出来ないその結末を、彼だけは知っている。それでも尚、彼は全てを当代の勇者へと託した。

 精霊神ルビスから愛を授かり、不死鳥ラーミアから加護を与えられ、古の勇者から想いが託される。それ程の存在が、自分達の前を歩いているのだと思うと、リーシャやサラの胸に何か言いようの無い熱い想いが湧き上がった。

 

「…………ラーミア…………」

 

 振り返る事なく祠を出た一行の前に、ゆっくりと翼を広げる神鳥が待っている。中で起こった事をある程度は知っているのだろう。その瞳は優しさに満ちており、その姿を見た少女は再び満面の笑みを浮かべて駆け寄って行った。

 近付いて来る少女に目を細めた神鳥は、静かに広げた翼で彼女を包み込み。嘴を使ってその身体を背中へと乗せる。背中へ乗ったメルエは再び嬉しそうに寝転び、まどろむように瞳を閉じた。

 

「ゾーマの許へと向かう準備は出来たようですね」

 

「ああ」

 

 背中で寝転ぶメルエに苦笑を浮かべながらも頷いたカミュを見て、ラーミアは足を折る。背中へと全員を乗せる為に身体を低くしたのだが、カミュ達が動くよりも前にラーミアが首を上げた。

 警戒するように首を一方向へと向けたラーミアは、そのまま背中で寝るメルエの身体を再度嘴で摘み上げ、サラの傍へと降ろす。最初は不満そうに頬を膨らませていたメルエであったが、周囲を取り巻くその雰囲気に雷の杖を取り出した。

 神鳥と竜の因子を持つ少女が起こした行動が、これから始まる魔物との戦闘を示している。それを察したカミュ達は各々の武器を持ち、一斉に身構えた。

 

「カミュ!」

 

 ラーミアとメルエの視線の先へ注意を向けていたカミュ達であったが、突然叫ばれたリーシャの声に、カミュは反射的に後方へと飛ぶ。そして、その判断が正しかった事の証明に、カミュがいた場所の地面から黄金色に輝く腕が飛び出した。

 その場所にいたカミュの足ごと握り潰しそうな程の勢いで握り込まれたその腕は、宙を掴んだ事を理解すると、再び地中へと潜って行く。『たいまつ』の炎という頼りない明かりしかない中でも、輝くような光を放っていたその腕は、警戒をするカミュ達四人を取り囲むように一気に飛び出して来た。

 

「溶岩や氷のような生命のない魔物の類か?」

 

「いや……どちらかと言えば、メルキドで造られていたゴーレムに近い物かもしれない」

 

 カミュ達の周囲を三本の腕、そして、顔の部分だけが地面から生えたような魔物が取り囲み始めている。暗闇の中でその姿を見たリーシャは、ジパングの近くにある溶岩の洞窟内で遭遇した魔物や、グリンラッドの永久凍土で遭遇した魔物を思い出していた。

 しかし、剣を構えながらも警戒を崩さないカミュは、少し認識が異なっている。溶岩や氷塊という物よりも、金属のような物に見えるそれは、人工的に生み出された物に近しいと考えたのだ。

 だが、人工物であれば、このような場所にいる事も不可思議であり、地中にある事もまた考えられない。それはリーシャの言葉通り、地中にある何かが大魔王の魔法力により実体化したと考える方が自然であろう。

 そのような可能性を考えても、『聖なる祠』という神聖な祠も、今では信仰する者達でさえも遠ざかって久しい。廃墟に近い状態の祠周囲に魔物が棲み付いていても可笑しくはないが、それでも大魔王の魔法力の影響が他所よりは少ないと言える。つまりは、この魔物が遥か昔からこの場所で生息していた可能性も高かった。

 

「来るぞ」

 

 今は、その魔物の出自を考える時ではない。三本の腕に三体の頭部。それが示す事はその魔物三体がカミュ達に敵対行動を示しているという事実である。

 頭部だけを見る限り、その体躯はかなりの大きさを誇るだろう。地面から全身を出せば、カミュが口にしたゴーレムの完成形に近い大きさとさえ考えられる。動く石像や大魔人以上の大きさの物が三体となれば、如何にカミュ達といえども苦戦は必至であった。

 リーシャの言葉通り、地面から生えた黄金色の腕が振るわれる。その勢いに周囲の風が暴風のように吹き荒れた。風切音を鳴らせて振るわれた腕を見たカミュは、それを盾で防ぐのではなく、王者の剣を下から合わせる。

 

「!?」

 

 そして、そのカミュの行動は、前衛二人にとって予想外の結果を生み出した。

 金色の腕に入った剣は、そのまま巨大な腕を斬り飛ばす。宙に吹き飛んだ腕は、数度の回転を経て、地面へと突き刺さったのだ。

 それは、後方支援組であるサラやメルエの前方へと落ちる。『たいまつ』の頼りない炎の明かりに煌くそれは、人間の心の奥深くにあるある種の欲望をくすぐる何かを秘めていた。

 

「……金?」

 

 近付いたサラが間近で見て、その腕を形成する原料を口にする。それは、上の世界でもこのアレフガルドでも売買に使用する共通の通貨である、ゴールドという通貨の原料となっている物と同一のものであった。

 腕全てが金色に輝いており、その腕一本だけでもどれ程の価値があるのか解らない。魔力が含まれており、尚且つ地中から出た物である事を考えれば、純正の金ではないかもしれないが、それでもその腕に金が大量に含まれている事だけは確かであろう。

 金という金属は通貨に形を変える事が出来る程に柔らかい。熱によって形を変え、それに必要な温度も鉄などの加工に比べれば低かった。カミュが持っている王者の剣を模る『オリハルコン』と比べれば、金属としての強度は雲泥の差がある。故にこそ、カミュが合わせた剣によって腕は容易く斬り飛ばされたのだった。

 

「カミュ様、リーシャさん、後方へ下がってください! メルエ、ベギラゴンで一気に焼き払います」

 

 その原料を見て、当代の賢者が動き出す。通常の人間という種族であれば、光り輝くその金属に欲望が表に出てしまっただろう。だが、今の彼等にとって、ゴールドという物は必ずしも必要な物ではない。この後で使用するとすれば、一度や二度宿屋に泊まる為だけである。既に最後の町での買い物も済ませ、この先、新たな人里が現れる可能性がない以上、必要最低限の資金があれば良いのだ。

 この身体の一部を買い取って貰えるだけで良い。それ以上の物を入手する必要がないのだから、全てを焼き払う事が最も手っ取り早い。鉄よりも容易く解けるのであれば、石像よりも一掃する事は難しくはないのだ。

 

【ゴールドマン】

その身体は『金』で出来ている。地中や鉱山に含まれた金という金属が集まり形を成した魔物。それは、大魔王ゾーマの復活よりも昔、遥か太古から命を宿した生物であった。

黄金色に輝くその体躯は、人類以外の知的生命体の欲望を煽り、一時はその姿を追い求める者達が後を立たない事もあったが、奇しくも大魔王ゾーマの台頭、その他の魔物の凶暴化という影響からその悪い傾向が下火になり、この聖なる祠近辺にのみ生息するようになっている。

基本的にそれ程凶暴な生命体ではないが、大魔王ゾーマの魔法力の影響と、自身以外の知的生命体への警戒から、その他の知的生命体へ襲い掛かるようになっていた。

 

「アンタの斧でも容易く斬り飛ばせる! 一度下がるぞ!」

 

「わかった!」

 

 一体の腕が斬り飛ばされても尚、自分達へ襲い掛かろうとするゴールドマンの腕を剣で払いながらカミュは指示を出し、そしてリーシャもそれに対して頷きを返す。闇夜に煌く黄金色の腕が空を斬った時、後方にいる人類最高位に立つ呪文使い達の腕が閃光を放った。

 異なる詠唱の声が重なり、それと同時に災害にも等しい程の火炎が周囲を焼き払う。燃え上がる灼熱の炎は、漆黒の闇に包まれるアレフガルドの空へと火柱を上げた。

 金属の焼ける臭いと、それが地面へ溶ける臭いが周囲に充満する。魔法力によって生まれた灼熱の火炎がその媒体を失って燃え尽きた後には、金色の液体だけがその場に居たゴールドマンという魔物の名残を残していた。

 

「あの巨大な大きさの割には、液体の金の量が少ないな」

 

「それだけ不純物が混じっていたのだろうな」

 

 凄まじい勢いの炎の名残を見つめながら、何時まで経ってもその影響力の大きさに慣れない前衛二人は、焼け野原になった一帯に残るゴールドマンの残骸について口を開く。確かに、三体ものゴールドマンが溶けてなくなったという割には、地面に広がる金色の液体の量は少ない。三体の内の数体が逃げ果せたとは考え辛い為、カミュの言葉が正しいのであろう。

 黄金色に輝いてはいても、その全てが金で構成されている訳ではない。色々な金属が含有され、あの形状を保っていたのだろう。闇夜にその金の部分が明るく輝いていたと考えられた。

 

「少し持って行きますか?」

 

「…………重い…………」

 

 敵が一掃された事でカミュ達へ近づいて来たサラであったが、その残骸を持ち運ぶ事には否定的であった。近づいて来たメルエが既に固まり始めた金の小さな塊を手にとって苦痛の表情を浮かべている。それ程大きな物ではないが、それでも幼子が抱えるには相当な重みがあるのだろう。

 ラーミアに乗り、そして近場からはルーラを使用するだけに、持ち運ぶという苦労はない。だが、この場所にある全ての金塊を持ち帰る必要性もなかった。

 故に、一つ頷いたカミュは、メルエが持ち上げようとしている物を持ち、リーシャが比較的小さめの塊を持つ。そして、そのまま傍で成り行きを見つめていたラーミアの許へと歩いて行った。

 

「では、行きましょう。これが貴方達を背に乗せる最後になるでしょう」

 

「…………むぅ…………」

 

 不死鳥ラーミアは、自ら戦闘を行う事はない。世界を渡る者であり、世界を見守る者であるこの神鳥は、余程の事がない限りは自らの手で他者を殺める事はないのかもしれない。そして、そんな神鳥の言葉に、先程までの笑みを消した少女は不満そうに眉を下げた。

 暖かく包み込むように広げられた翼から背中へと真っ先に乗った少女は、悲しみと悔しさを隠すように、神鳥の羽毛に顔を埋めてしまう。少女の気持ちが痛い程に解るリーシャやサラは、苦笑を浮かべながらもその姿を愛おしく見つめていた。

 出会いと別れを繰り返しながら進んで来た旅も、終幕がもうすぐ目の前まで迫っている。大切な出会いは、辛い別れとなり、そして大事な思い出へと変わる。今は悲しみの涙を流す少女の心には、多くの思い出が残って行く事だろう。

 その為にも、彼等は最後に強大な敵と相対する。人類どころか、精霊の神や竜の王でさえも敵わなかったその存在に、アリアハンという小さな小さな島国を発した者達が挑む日も近かった。

 

 

 




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