新訳 そして伝説へ・・・   作:久慈川 京

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戦闘⑫【リムルダール地方】

 

 

 

 ルーラにてドムドーラへと移動した一行は、町の中に入る事なく東に向かって歩き始める。精霊神ルビスが解放されたとはいえ、このアレフガルドに太陽が戻って来た訳ではない。その兆しが見えて来たというだけであって、未だに闇の元凶である大魔王ゾーマは健在であるのだ。いや、正確に言えば、完全復活し、更に力を増していると言えよう。その為、他に明かりのない道を、カミュ達は三本の『たいまつ』の明かりだけを頼りに歩かなければならなかった。

 メルキドへ向かう際に上った南にある山へ続く道へ向かわず、その東側にある森へと入って行く。真っ暗な森の中に鳥の鳴き声が不気味に響き、吹き抜ける風が木々を揺らした。一昔前のサラであれば、この状況に怯え、メルエの手を握っていたかもしれないが、既にこのアレフガルド大陸に舞い降りて一年の時間が経過している。闇の行軍にも慣れ始めていた一行は、そのまま森を抜けて行った。

 

「カミュ、どのくらい掛かるんだ?」

 

「メルキドの町を囲う山脈を抜けて行く。かなりの高度がある場所を歩く事になるだろう。少なくとも、一日二日で辿り着ける距離ではない」

 

 一旦森と抜けると、小さな橋が向こう岸に架かった場所に出る。その先には再び大きな森が見え、その先には雄大な山脈が広がっていた。

 マイラの村の武器屋が口にしていたように、メルキドの北西にある山脈を抜けなければリムルダールという町がある地方には行けないのだろう。しかも、見上げる山脈は闇も相まって、山頂が見えない。この山脈を登り、向こう側へ渡るとなれば、山の中でも数度の野営を行う必要性がある事は明らかであった。

 森を歩いている間に、一行は一度の休憩を挟む。火を熾して狩った獣の肉を焼き、果物を口にした。ゆっくりする時間はないが、それでも体力を戻す為に交代で仮眠を取り、メルエが目を覚ますのを待って再度歩き始めた。

 

「北側の海の向こう側の闇が濃い……」

 

 森を抜け、険しい山道に入り始めると、周囲には大きな木々は見えなくなって来る。所々に木々が生えてはいるが、森のように密集している訳ではなく、高度が上がって行くにつれ、周囲を見渡せる程になって行った。

 見渡せるとは言っても、結局見えるのは闇だけである。しかし、山を登り始めて左側へと視線を向けたサラは、その方角が北である事に気付き、その闇の濃さに驚きを表した。このメルキド地方の山脈から北側に何があるかという事を今更言葉にする必要もない。そこは、彼等が目指す者が居を構える城がある場所であった。

 このアレフガルドを絶望の闇に包み込む大魔王ゾーマが拠点とする城がそこにはある筈であり、このような離れた場所からでも視認出来る程に歪んだ闇が、その力の大きさを明確に表している。『闇が濃い』などという言葉は比喩である。実際にそのような事がはっきりと視認出来る訳がないのだ。だが、サラの言葉に顔を動かしたリーシャは、その先の空間が歪む程の深い闇に驚愕の表情を浮かべた。

 

「解っていた筈だ。アレを倒す事は並大抵の事ではない……」

 

「その先は言うなよ、カミュ。私達全員がお前と共に行くと決めたのだ」

 

 立ち止まった一行の先頭で、カミュが口を開く。だが、その言葉は最後まで語る事を許されず、リーシャによって途中で遮られた。不思議そうに見上げるメルエの頭を撫でながら微笑むリーシャは、サラに先を促して山を登り始める。

 険しい山道では、如何に常人よりも旅慣れている一行とは言えども速度は落ちる。特に膨大な魔法力によって体力を補っているメルエは、その身体の違いからも一行の足手纏いとなりかねなかった。故に、途中からはリーシャがメルエを抱き上げ、険しい山道を登り始める。草木もなく、傾斜も厳しい道を片手の筋力と足腰だけで登るリーシャを見ながら、サラは懸命に付いて行く事しか出来なかった。

 

「カミュ、一度傾斜の緩やかな場所で休憩を取ろう」

 

 サラの体力が明らかに落ちている事を確認したリーシャは、先頭を歩くカミュへと提案する。それに頷きを返したカミュであったが、現状では四人が休む事の出来る場所が見つからない。闇に包まれた険しい山道であるからこそ、中途半端な場所に留まる事の危険性が高いのだ。

 今この場所で魔物と遭遇すれば、彼等にとって相当な危機となる。狭い場所での戦闘が如何に危険な物であるかを知っているからこそ、彼等も慎重になっているのだ。

 ダーマ神殿に向かう為の山道では大した戦闘はなかったが、それでも一歩足を踏み外せば真っ逆さまに落ちてしまうという状況では十分な力量を発揮する事は不可能であろう。しかも、このアレフガルド大陸の魔物は強力な者が多いとなれば尚更である。

 しかし、そんな彼等の警戒は悪い方に的中する事となる。少し平坦な獣道へ出た時、彼等の左手に真っ赤な光が突如として現れたのだ。

 

「ちっ」

 

「サラ、カミュの後ろへ!」

 

 左手に見えた輝きは、凄まじい熱と共に先頭を歩くカミュへと襲い掛かる。真っ赤に燃え上がる火炎を左腕に装備した勇者の盾で防ぎ、その熱量と勢いに圧されぬように踏ん張りを利かせた。

 古の勇者の装備である盾の効力を活かし、盾を掲げるカミュの後方へとサラとメルエを動かしたリーシャは、足元に転がる岩などを気にしながらも、一気に炎の出所へと駆け出す。しかし、再度迫り来る熱によって、周囲の景色が露になり、自分が向かっている場所を正確に把握したリーシャがその足を止めた。

 炎によって照らし出された場所は、断崖絶壁。一歩踏み外してしまえば、この場所に戻るどころか命さえもなくなるような崖になっていた。そして、そのような崖から炎を吐き出せる魔物となれば数は限られている。

 

「また、あの複合種か……」

 

 目の前に見えるのはこのアレフガルドで何度か遭遇している忌み種である複合体。キメラと名付けられたその魔物が、大きく嘴を開けて宙を飛んでいた。

 背中に生える翼は、決して大きくはない身体を自在に飛び回らせる。その嘴は鋭く、吐き出す炎は激しい。アレフガルドの魔物の中でも上位に入る力を持ったキメラ二体を相手する場所とすれば、この山道は厳しいと言わざるを得なかった。

 吐き出される炎を受ける事しか出来ず、直接攻撃しか出来ないリーシャには打つ手がない。それはカミュも同様であり、今の現状では彼がキメラに対して有効な呪文を有していないのだ。多少のダメージを与える事は出来るかもしれないが、その命を奪うまでには至らない。故にこそ、彼等はキメラの吐き出す炎を受ける盾をなった。

 彼等の後方に控える者達の為に。

 

「…………マヒャド…………」

 

「マヒャド」

 

 カミュとリーシャの盾の隙間から噴き出した圧倒的な冷気が、炎を吐き出し続けるキメラへと襲い掛かる。相当な熱量を受け止めていた盾にさえも霜が降りる程に強力な冷気は、険しい山道にある全ての物を凍り付かせて行った。

 冷気の申し子であるメルエの放つ氷結最上位呪文に、この世で唯一の賢者となったサラの緻密な冷気が上乗せされる。氷の結晶さえも視認出来るほどに周囲の気温は下がり、先ほどまで辺りを照らしていた炎の光を受けて輝くように一面を氷の世界へと変えて行った。

 そのような世界で生きる事が出来る者は、既に伝承と化した氷竜だけかもしれない。『たいまつ』の炎さえも凍りつきそうな世界の中、目の前を飛んでいたキメラの身体が氷像と化す。生命ごと凍り付いたキメラが、そのまま絶壁を落ちて行った。

 もしかすると、このメルキドを囲うように延びる山脈がキメラ達の住処なのかもしれない。複合体として生み出された者達は、森などでは生きられないだろう。断崖絶壁に巣を作り、そこで命を育んでいるのだとすれば、既にそれも生命の系譜に序列される物となる筈だ。真っ暗な闇の底へと落ちて行くキメラの氷像を見ながら、サラはこの先の未来で彼等にも神や精霊の祝福が届く事を願った。

 

「カミュ、やはりこの場所での戦闘は出来るだけ避けるべきだな」

 

「呪文が効かない魔物にでも遭遇しなければ、何とかなるだろう」

 

 再び闇と静寂の戻った山道で、リーシャはこの場所での戦闘の難しさを改めて感じていたが、対するカミュは異なった感想を抱く。それは、彼の後方にいる二人がいれば、ある程度の魔物であれば退ける事が出来るという物であった。

 メルエとサラが攻撃呪文を行使し、それまでの防御をカミュとリーシャで行えば、足場の悪い場所であっても、魔物を倒す事は可能である。それこそ呪文が効かないメタルスライムやはぐれメタルのような魔物でなければ、攻撃の主を彼女達二人にすれば良いだけと考えたのだ。

 そんなカミュの返答に暫し考えるように口を閉ざしたリーシャであったが、大きく頷きを返して笑みを浮かべる。彼女にとってメルエやサラは護る対象であるという想いが強かったのだろう。故に、戦闘の主力として考えるという思考に辿り着かなかったのだ。

 だが、確かに船での移動時などは、主にメルエやサラの呪文が主戦力であった。それから考えれば、彼女達二人に全てを任せるという事が如何に心強い物であるかという事に思い至る。そんな笑顔であった。

 

「カミュ様、あの洞穴のような場所であれば、少し休憩が出来るのではないでしょうか?」

 

「…………メルエ………ねむい…………」

 

 戦闘を終えてから更に進むと、『たいまつ』を掲げていたサラが洞穴のような場所を見つける。休憩という言葉に反応したメルエが、目を擦りながら不満を漏らしていた。

 既にマイラの村を出てから半日以上の時間が経過している。一日中歩き続ける事が不可能である以上、何処かで休みを挟まなければならないのだが、幼い彼女が口にしたその言葉が決め手となった。

 このような山脈にある洞穴であれば、既に他の生物の棲み処となっていても可笑しくはない。『たいまつ』を持ったカミュが先に入り、奥が深くない事、そして何かが生活していたような空気が無い事を確認して全員を中へ誘う。周囲から枯れ草や枯れ木を集めて火を起こし、所持していた保存食の干し肉などを炙って食した。

 食事をしながら舟を漕ぎ始めたメルエを寝かせ、リーシャとカミュが交代しながら見張りを行う。闇の中でも青白い光を放ち続けるカミュの鎧の輝きを見ながら、リーシャもまた身体を休めた。

 

 

 

 メルエの目覚めを待って再び歩き出した一行であったが、山脈の頂上に辿り着くまでに更に一泊の必要があった。山頂に近付けば近付く程に気温は急降下して行き、寒さに強いメルエ以外は身体を震わす程の物となる。次第に気持ちの問題なのかもしれないが、空気も薄く感じられるようになっていた。

 ネクロゴンド火山を登った事もあるカミュ達ではあったが、昼夜共に闇に包まれた山を登るという危険を改めて感じる事となる。魔物だけではなく、その気候さえも彼らの敵となる可能性を秘めており、その大いなる自然の力が魔物や人間などよりも恐ろしい力を持っている事を実感した。

 

「登るのに二日掛かった。降りるにも二日以上の日数が必要だぞ」

 

「休み休み行くしかないだろう」

 

 『たいまつ』という頼りない明かりの中、一行は下り坂となった山を下りて行く。下りの方が楽だという見方もあるが、足腰への負担は、下りの方が強いという考えもあるだろう。登りで二日掛かったのであれば、下りはそれと同日数かそれ以上の日数を必要とするとカミュは考えていた。

 案の定、細い山道を下って行くのは、如何に旅慣れたカミュ達とは言えども膝に掛かる負担は避けられず、休憩を挟みながらの行軍となる。途中でダースリカントのような魔物との戦闘を繰り返しながら、三日目の半分を過ぎた頃に、ようやく山の麓が見えて来た。

 山の麓は巨大な森が広がっており、樹海と言っても過言ではない程に闇が支配している。メルエなどは木々の香りが漂うその中を嬉しそうに歩いてはいるが、四方八方が木々によって同じ光景に見え、地図を見ながら先導しているカミュは若干顔を顰めていた。

 

「カミュ、妖精様が言っていた聖なる祠へ向かうのか?」

 

「いや、まずはリムルダールへ向かう。拠点を確保しなければ危うい」

 

 『たいまつ』の薄暗い明かりしかない中で、リーシャはカミュの持っている地図を覗き込み、聖なる祠があると考えられる小島を指差す。アレフガルド大陸の南東に浮かぶように記された小島には、橋などが架けられているようには見えない。つまり、海を渡る何かがなければ向かう事は不可能である事が推測出来た。

 カミュの言葉通り、何も対策がないままで対岸に向かっても仕方がないだろう。まずは拠点を確保し、そこで情報を得るというのが、彼等の旅の基本であった。それはこの六年という年月の間で一度も変わる事はなく、そんな細い糸を手繰るように続けて来た結果が今である。それを理解しているリーシャは、柔らかな笑みを浮かべて大きく頷いた。

 

「しかし、ここまで深い森ですと、迷ってしまう可能性もありますね。何か目印でもあれば良いのですが」

 

「地図上では、南東へ進んで行けば、広い平原に出る筈だ。そこで野営を行い、その後は森を真っ直ぐ北に向かう」

 

 真っ暗な森というのは、不気味な物である。夜の闇とは異なり、月明かりさえもないとなれば尚更であろう。闇は人の方向感覚さえも狂わせ、己がどの場所にいるのかさえも解らなくさせる。ここまでの旅で、正確な方向探知を持つカミュと、正確な行き止まり探知を持つリーシャが居たからこそ、彼等は迷う事なく歩き続けて来れたのだ。決して方向音痴という訳ではないが、その点に掛けては常人であるサラだけであれば、森の中を彷徨う可能性もあっただろう。

 このような場合に限り、サラはメルエと同様に役に立たない。前を歩く者の後を追う事しか出来ないのだ。枯れ木の棒を拾ったメルエが、誇らしげに高々と掲げるのを見たサラは、そんな自分の立場を理解して苦笑を浮かべた。

 細い木の棒を振りながら歩くメルエの手を握り、地図を見ながら歩くカミュを追って行くと、その言葉通り広い平原に出る。森の木々に囲まれた円に近い形の平原であったが、山脈から流れる小川などがあり、太陽が出ていれば、森に生きる者達の憩いの場である事が推測されるような綺麗な場所であった。

 

「水は確保出来るな。流石に手持ちの水筒も空になっていたからな」

 

 小川を見つけたリーシャは、各々の持つ水筒を受け取り、メルエと共に水を補給して行く。旅なれた彼らであれば食料は何とか調達出来るが、水だけは川や井戸からでしか調達が出来ない。多めに水筒を用意していても、歩き続けであればその消費も早く、残る水では一日も持たない程であったのだ。

 小川の傍に屈み込んで水を水筒へと入れるメルエの身体を支えるリーシャを見ながら、サラとカミュは野営の準備を始める。幸い樹海の中で枯れ木は多く入手出来たし、火を熾す事に不自由はなかった。

 既にマイラの村を出てから二週間近くの時間が経過してはいるが、それでも未だにリムルダールの町の姿は見えない。旅慣れたカミュ達でさえもこれだけの時間を掛けているのだ。更に言えば、彼等はマイラの村とドムドーラの町の間をルーラで短縮している。商品を運ぶ商隊などであれば、カミュ達の倍も三倍も必要とする筈であった。

 

 

 

 睡眠をとって回復した一行は、そのまま平原を越えて再び森へと入って行く。森へ入って暫く東へ進む中、獣道が徐々に北方向へ向かい始めた。

 十数年前には、この辺りを商隊などが歩く為にもう少し歩き易い道であったのだろう。しかし、荒れ放題となった森の中は、草が生い茂り、陽の届かない為に湿気を含んだ泥濘まで出来ていた。本来であれば、雨が降ろうと、太陽の恵みによって大地が乾き、その恵みを土中に溜め込む事で地下水などが出来るのであろうが、太陽の恵みの無い今のアレフガルドでは、いつ森が牙を剥くか解らない状態になっている。

 深く長い樹海を歩く中、リーシャはメルエと共に枯れ木を探して拾って行く。ここからでもリムルダールの町へ一日二日で辿り着ける距離ではない事は解る為、野営の準備をしていた。

 

「……カミュ」

 

 しかし、そんな慎重な行軍は、闇の中に浮かび上がった一つの影によって遮られる事となる。前を進むカミュの後方で、右手に続く森の中へ『たいまつ』を向けたリーシャが静かに彼の名前を呼んだのだ。

 その声には若干の緊張が含まれており、それが魔物の襲来を予感させるが、立ち止まってリーシャの翳す『たいまつ』の炎の先へ視線を向けた三人は、何処か釈然としない表情を彼女へと向ける。ここまで遭遇したような魔物の姿はなく、巨大な咆哮が聞こえる訳でもない。ただただ静かな闇が広がっているだけの光景にサラは少し息を吐き出した。

 

「……以前、上の世界で見た奴だ」

 

「え?」

 

 明らかに緊張を解いてしまったサラとは異なり、リーシャは依然として警戒態勢を取っており、既に背中から魔神の斧を取り出している。歴戦の勇士である人類最強の戦士がここまで警戒を露にしている以上、それが只事ではないと確信したカミュは、メルエとサラを後方へ下げ、自身も光り輝く剣を腰から抜き放った。

 鎧と同様に青白い輝きを放つ王者の剣が、森の闇を一瞬打ち払う。その際に見た光景が先程と全く変わらない事に、サラは首を傾げた。見える物は、森を模る大量の木々と地面に生い茂る草。苔が蒸した大きな岩達と、それより幾分小さな球体の岩である。

 

「…………うごいた…………」

 

「え? ま、まさか、あのホビット族が居た祠付近の森で遭遇した岩の魔物ですか?」

 

 しかし、そんなサラも、隣で漏らされたメルエの呟きを聞いて警戒の内容に思い至る事となる。メルエの言葉が嘘ではないように、『たいまつ』の炎を掲げた先にあった筈の球体に近い岩が、いつの間にか自分達の間合いに入って来ていたのだ。

 それを以前見たのは、上の世界で彼等がまだ『最後のカギ』という神秘の道具を入手する前、巨大な四つの岩が結び合う場所で『世界樹』と呼ばれる神代の樹木を発見した頃まで遡る。あの頃は正体不明のそれとの戦闘の危険性を考えて、敢えて戦闘を行わなかった。だが、この場所での遭遇は、戦う以外に方法はない。四方が森に囲まれ、地面の泥濘が足を取ってしまう為、逃げ果せるとは考え辛かった。

 

「転がってくる岩が三体だ。どうする、カミュ?」

 

「呪文は使うな。何が起きるか解らない。まずは、俺とアンタで直接叩く」

 

 自分達の存在を発見された事で、その岩達は行動を開始する。まるでカミュ達を取り囲むように転がり始め、カミュ達を中心に配置に付いた。

 闇に包まれていながらも、その岩に浮かぶ人面のおぞましさは解る。三白眼の瞳は対象であるカミュ達を射抜き、大きく裂けた口からは疎らな牙のような物が除いていた。無機物である筈の岩に浮かぶ人面が、カミュ達四人に生理的な不快感を感じさせる。まるで非力な人間達を嘲笑うかのように、そしてそれを弄ぶように、その岩はカミュ達の周囲を回転し始めた。

 

【爆弾岩】

火山のマグマが固まった岩石に命が吹き込まれた物という説や、長い年月を経て命を宿した岩という説など、様々な説がある。高い山脈や岩山の麓の樹海などに多く生息しており、只の岩だと思って近付いた人間などを食すと云われていた。

基本的に、不用意に近付いたり、攻撃を加えたりしなければ、無害であるという説もあるが、確かな情報ではない。生理的な恐怖を植えつけるような人面を浮かべ、人間を嘲笑うかのような行動をする事で、パニックとなった者達が生還する事はなく、その真相は闇に包まれていた。

 

「カミュ、行くぞ」

 

 ゆっくりと、回転を続ける爆弾岩に向かってリーシャが駆け出す。一体の爆弾岩に肉薄した彼女は、持っていた斧を力一杯に振り下ろした。

 金属と硬い岩がぶつかり合う音が響き、欠けた岩の欠片が周囲に飛び散る。まさかこれ程に硬い岩だと考えていなかったリーシャであったが、神代の斧に刃毀れなどは一切なかった。しかし、この爆弾岩を形成する岩は、人工で作り上げられた動く石像や大魔人よりも硬い物であったのだ。

 削り取られた岩が散乱する中で、攻撃を受けた爆弾岩は尚もその不気味な表情を崩す事なく、転がり始める。自分の攻撃がそれ程効力を発揮しなかった事で一歩下がったリーシャに代わり、一気に肉薄したカミュが青白く輝く剣を振り下ろした。

 

「グギャ」

 

 リーシャの攻撃によって欠けた部分に突き刺さった剣は、その僅かな亀裂に滑り込むように硬い岩を斬り裂いて行く。渾身の力を込めて振り抜いたカミュは、まるでチーズでも切るかのように真っ二つに分かれた爆弾岩に驚きを表した。

 確かに会心の一撃と言っても過言ではない一振りではあったが、それでも硬い岩が柔らかいチーズのように切れるとは思っていなかったのだろう。それはこの王者の剣に秘められた力なのか、それとも単純なカミュの力量の上昇なのかは解らないが、一体の爆弾岩が消滅した事だけは確かであった。

 一体が瞬く間に消滅させられた事で、二体の爆弾岩が停止する。『じっ』とカミュ達を見つめるように様子を見ている姿は、油断が出来ない物であった。

 

「カミュ、その剣でもう一度あの岩を斬り裂けるか?」

 

「いや、おそらく無理だろう。たまたまアンタが作った亀裂に上手く嵌っただけだと思う」

 

 先程のように一撃で戦闘を終結させられるとすれば、それ程に楽な事はない。だが、そのような甘い考えが通用する程、このアレフガルドの魔物達は弱くはなかった。確かにカミュの持つ剣は特別な物である。以前に所有していた稲妻の剣や雷神の剣も特別な物であるが、この王者の剣はそれを遥かに越える物でもあった。

 それでも、全ての敵を一刀の元に斬り裂く事が出来る程の物ではない。脆弱な人間であれば別であるが、硬い鱗や体毛で覆われた魔物や、硬い岩や石で出来た魔物を両断するには、その力と斬り口、そして速度などが合わさった会心の物でなくてはならないのだ。

 条件さえ同じであれば、リーシャの持つ魔神の斧であっても、目の前の爆弾岩を両断出来る可能性は高いだろう。その一撃を出せるか出せないかという問題であり、常時出せるのだとすれば、それは既に会心の物ではないという事にすらなるのだ。

 

「削りながら倒すしかないだろう」

 

「わかった」

 

 再度各々の武器を構え直した二人は、身動きせずにこちらの様子を窺っている爆弾岩へと突進して行く。元々動きの遅い岩は、カミュやリーシャの速度に付いて行く事は出来ず、無防備の状態でその一撃を受ける事となった。

 甲高い衝突を響かせ、王者の剣が爆弾岩を形成する岩を砕いて行く。追い討ちを掛けるように振り下ろされたリーシャの斧が爆弾岩に大きな亀裂を生んだ。徐々に広がって行く亀裂は、岩で出来た爆弾岩の仮初の命を蝕んで行く。

 しかし、一旦距離を取った二人は、亀裂が入った爆弾岩が赤く染まって行くのを見て驚愕する事となった。

 

「はっ!?」

 

「M3G@N7」

 

 何かに気付いたようにサラが声を発するが、その声がカミュとリーシャに届く事はなく、大きな光に包まれる。本当に一瞬だけ訪れた静寂の反動のように、凄まじい爆発音が響き、粉々に粉砕された爆弾岩の欠片が前衛二人に襲い掛かった。

 細かく砕かれた岩の欠片は、凄まじい速度でカミュ達に襲い掛かり、咄嗟に掲げた盾に衝突して行く。避け切れない欠片が、鎧で護られていない足や腕に突き刺さり、酷い物ではそのまま身体を貫通して後方へと飛んで行った。

 それでも、カミュ達の後方にいるサラやメルエまでは届かず、二人に怪我はない。だが、前衛二人は立っている事が出来ずに崩れ落ちた。幸いな事に、凄まじい爆発に巻き込まれたもう一体の爆弾岩も誘発するように砕け散り、目の前の脅威も消滅している。慌てて駆け寄ったサラは、その惨状の酷さに眉を顰めた。

 

「メルエ、水筒を!」

 

 カミュもリーシャも、その両足から夥しい血液を流し、身体を支える事が出来なくなっていた。突き刺さった大きな岩を抜けば、堰を切ったように血液が流れ、その中に細かな岩が無いかを確認しながらベホマを行使して行く。メルエから手渡された水筒によって傷痕を洗い、溢れ出す血液を流しながら岩の欠片を取り出して行った。

 岩が体内に残ったまま回復呪文を掛ければ、その身体に後遺症が残ってしまう可能性もある。その為に大きな岩以外の細かな物を排除する必要があった。

 泣きそうに眉を下げるメルエを構う事が出来ない程に切羽詰った状況でありながら、痛みを堪えて微笑むリーシャの足をサラは懸命に手当てして行く。カミュもまた、自身で破片を取り除き、血液で真っ赤に染まった手を掲げて傷を癒して行った。

 

「この光景を見て、サラへの怒りが蘇りそうだ」

 

「え?」

 

 水で傷口を洗い流し、一つ一つ丁寧に治療を施して行くサラを見ながら、リーシャは溜息と共に言葉を吐き出す。突然の予想外の言葉に、サラは思わず顔を上げてしまう。そこには、本当に哀しそうにサラを見つめる姉のような存在の表情があった。

 カミュ達の血液が飛び散り、大地をどす黒く染めている。だが、その先には、先程まで活動していた爆弾岩と呼ばれる魔物の残骸が飛び散っていた。砕け散った岩は周囲の木々に突き刺さっている物もあるが、それが少し前までは球体に近い大きな岩であったという名残すらない。原型を留めない程に砕け散ったのが、岩ではなく血の通った生物であったらと思うと、想像すらしたくない光景が目に浮かんだ。

 

「あれが、メガンテという呪文なのだろう?」

 

「……は、はい。おそらくは」

 

 違っていて欲しいという願いも虚しく、問いかけに頷くサラを見たリーシャは、強く瞳を閉じる。何かを願うように、そして何かに感謝するように上げられた顔に後悔の念が浮かんだ。

 自己犠牲呪文。それは、『悟りの書』に記載されていながらも、契約出来る人間は限られている。正確に言えば、誰しもが契約出来、誰しもが行使出来る呪文であるにも拘わらず、実際に行使出来る者がいないのだ。

 魔法力を必要とせず、その内にある全ての生命力と引き換えに敵を葬り去ると云われている呪文。魔法力を発現する才を持たぬ者であっても、本来は契約も行使も可能な呪文なのだ。だが、常に生と死を見つめ続けて来たような僧侶だけが、己の生命力を燃やし、死という物と引き換えに行使出来る呪文だと信じられていた。

 

「サラ、二度と使うな。その呪文の名を口にする事さえ許さない。もし、この呪文を行使して己の命を粗末に扱うならば、サラが自分を殺す前に、私がこの手でサラを殺してやる」

 

「リーシャさん……」

 

 傷痕が全て癒えても立ち上がろうとはせず、真っ直ぐ目を見て語りかけるリーシャの言葉に、サラもまた身動き一つ出来ない。その言葉の重み、その言葉の強さ、それがサラの心に太い杭となって突き刺さった。

 爆弾岩と呼ばれる魔物が放った物が、メガンテという自己犠牲呪文であった場合、あのスカルゴンとの戦闘でサラもまた無残な姿に成り果てた可能性がある。原型を留めない程に粉々に砕け散り、周囲に真っ赤な鮮血と肉片が飛び散っていただろう。それを見るぐらいならば、己の手で殺すという大罪を犯し、その罪の意識に苛まれた方がマシだと考えたリーシャを誰が責められよう。

 険悪な雰囲気に先程まで泣き叫んでいたメルエも涙を止め、不安そうに眉を下げる。緊迫した空気が流れる中、リーシャもサラも互いの瞳から視線を外す事が出来なかった。

 

「要は、アレを使用するような機会を作らなければ良い。俺もアンタも、あの塔でのような醜態を二度と曝さないと誓った筈だ」

 

「…………カミュ…………」

 

 そんな空気を打ち破ったのは、先程の壮絶な自己犠牲にも傷一つ付かない鎧と盾を纏った勇者であった。

 傷を癒し、立ち上がった彼は、不安そうに眉を下げる少女の肩に手を置き、厳しい瞳を賢者へ向ける女性戦士に語りかける。救いの手が差し伸べられた事で、ようやく笑みを浮かべたメルエに小さく微笑んだカミュは、虚を突かれたように呆けた表情を向けるリーシャから視線を外した。

 一つ大きな息を吐き出したリーシャはゆっくりと立ち上がり、己の纏う大地の鎧にも傷がない事を確認して、武器を背中へと納める。そして、未だに立ち上がれないサラへ向かって手を伸ばした。

 

「確かにその通りだったな。私達は負けない……何があろうと、どんな傷を負おうと、再び立ち上がる。サラも、メルエも最後の最後まで私達を信じていてくれ」

 

「……はい」

 

「…………ん…………」

 

 差し伸べられた手を握ったサラの瞳から一筋の涙が零れ落ちる。それは悲しみの涙ではなく、喜びと悔いの涙。『この人と共に歩めて良かった』という心からの感謝と、『あの時の自分は何故自己犠牲に走ろうとしてしまったのか』という後悔であった。

 彼等が歩んで来た道は、一歩踏み外せば奈落の底へと落ちてしまう細く険しい道。それでも歩み続けて来れた理由は、その道で築き上げて来た『信頼』という絆である。互いを信じ、支え合いながら歩んで来た。

 だが、彼女が行使しようとしたあの自己犠牲の呪文は、その信頼の絆を自らの手で切ってしまうような行為である。『皆を救う為に』という建前を使いながらも、『皆を信じていない』という結果を残すその呪文を、この一行の鎖であるリーシャが許す筈がないという事を、サラは改めて気付かされたのだった。

 

「しかし、あの岩は危険だな。攻撃を加えなければ素通り出来るのであれば、逃げた方が良いのではないか?」

 

「ああ。遭遇した時は、放置する方向で行く」

 

 はらはらと涙を溢すサラを心配そうに見上げ、その手を握り締めるメルエの姿を微笑ましく見たリーシャは、思い出したようにカミュへと提案を口にする。確かに、リーシャの言葉通り、傷を負わせると自爆するような魔物であれば、下手に手を出す訳には行かない。危害を加えなければ、こちらにも危険がないのであれば、放置するのが一番だろう。

 尤も、アリアハンを出たばかりの頃のリーシャやサラからはそのような提案自体が出て来る事はなかった筈である。魔物を悪と信じ込んでいた彼女達が魔物を放置するという考えに行き着く訳がないのだ。ましてや、猪突猛進が代名詞とも言えた女性戦士が、撤退を良しとする言動は、宮廷騎士だった頃の彼女を知っている人間であれば、皆が驚くであろう。

 そんな事を思ったのか、小さく笑みを浮かべたカミュは、静かに一つ頷きを返した。

 

「良し。では進もう」

 

 カミュの返答に満足したリーシャはサラとメルエを促して、再び『たいまつ』を翳して歩き出す。先頭のカミュが真っ直ぐ北へと向かって歩き始めた。

 闇に包まれた森の中は、奇妙な静寂に包まれている。まるで生物が死滅してしまっているのかと思えるほどに静まり返った森の中を、一行は慎重に進んで行った。

 途中で休憩を兼ねた野営を行い、植物の小さな実を齧って空腹を満たす。短い睡眠時間を取った後で再び北へと歩き続けた。既にこのアレフガルド大陸全体を闇が覆ってから長い時間が経過している。カミュ達がアレフガルドに降り立ってからでも一年以上の時間が経過しているのだ。

 植物の中にも徐々に闇に覆われた世界での順応を見せる種は現れてはいるが、それでも種族を存続させる為に付ける果実などは小さくなって来ている。太陽の恵みがない状態では実も大きく並ばず、その実を食しながらも種を遠くに運んでくれる筈の動物達も減っていた。このアレフガルドの終末もそう遠くないのかもしれない。

 

「……想像以上の場所だな」

 

 そんな厳しい現実と未来を見せ付けられながら歩いて来た一行は、森を抜けて見えて来た光景に息を飲んだ。

 そこは、海と見間違える程に大きな湖が広がり、その中央にぽっかりと浮かぶように町の明かりが見えていた。大きな都市なのだろう、その町から漏れる明かりが、町の規模を明確に表している。

 カミュ達が抜けて来た西側からでは町へ向かう道はなく、湖に沿うように東側へと歩いていかなければ町へ繋がる道はないのかもしれない。しかし、闇の中に浮かび上がるように見える明かりが、本当に神秘的な光景であり、四人は湖畔から暫くその明かりを見つめていた。

 

 アレフガルド大陸にある最後の都市。

 その名を『リムルダール』。

 王都ラダトームの南東に位置する場所にある町である。王都から最も離れた場所にあるにも拘らず、アレフガルド一栄えた町であった。

 大魔王ゾーマの城がある島は、リムルダールからでなければ行く事が出来ない。ラダトーム王都南の海域は、東西からの海流がぶつかり、複雑な渦を描いている為に船を出す事は出来ないのだ。故に、今では『魔の島』と呼ばれるその場所の豊富な資源を最初に通過するのがリムルダールという町であった。

 だが、リムルダールから魔の島へ渡る海峡の海流も、ラダトーム王都との海峡と同じように激しく複雑な海流であり、船を出す事は出来ない。ならば、何故、リムルダールに資源が集まったのかとなるのだが、それは遥か昔に架けられた橋にあった。

 ルビスの加護の象徴として語り継がれるその橋は、アレフガルド大陸と魔の島を結ぶ唯一の手段であったのだ。だが、その橋もアレフガルド大陸が闇に包まれると同時に、まるで加護の光さえも失ったように消え失せてしまった。

 魔物の凶暴化、そして見た事もない魔物達の襲来によって、町と町の往来が減少して行くにつれ、リムルダールの繁栄にも陰りが差し始める。今では新たに訪れる者達は皆無であり、あれ程潤っていた町は自給自足の生活を余儀なくされていた。

 その町に一筋の光が差し込む。

 青白く輝く鎧を纏い、不死鳥の加護と精霊神の愛を持った青年が、ルビスの加護によって繁栄を続けて来た町へと足を踏み入れる。

 

 

 




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