新訳 そして伝説へ・・・   作:久慈川 京

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第二十一章
マイラの村③


 

 

 

 精霊神ルビスとの対面を終えた一行はリレミトで塔を脱出した後、ルーラでマイラへ戻るのではなく、近場に繋いでいた小舟に乗ってマイラ周辺の海岸まで戻っていた。

 以前ルビスの塔を探索した時は、ドラゴラムを唱えたメルエを運ぶ為、舟を置いてルーラで戻ってしまっていた為、それを返す為にも闇の海を渡る危険を冒してでも舟での帰還を試みたのだ。闇の続く海は想像以上に危険であり、海が荒れていれば即時に沈没しそうな小舟という難点とは別に、海では魔物の気配を察知する事が遅れてしまうという危険も伴っている。故にこそ、『たいまつ』を三本焚き、それに加えて定期的にカミュ、サラ、メルエの三人で周囲にメラを放つという形で周囲の状況を確認する必要があった。

 幸いにしてテンタクルスなどの巨大イカとの遭遇はなく、舟が転覆するような海の荒れは起っていない。だが、アレフガルドでも北部にあるルビスの塔周辺の気温は低く、ちらちらと振り出した雪が、舟を漕ぐカミュやリーシャの手を悴ませた。

 

「雪ですね……闇の中でもこんなに綺麗に」

 

「…………ゆき…………」

 

 真っ黒な空から舞い落ちる雪は、闇の中にも拘らず、神秘的な輝きを放つ。白く透き通ったそれは、まるで精霊ルビスの解放への喜びと、それを成し得た勇者一行達を讃えるようにゆっくりと海へと降り注いでいた。

 空を見上げてその美しさに感嘆の声を上げるサラの横で、自分の頬に落ちる冷たい粒に嬉しそうな微笑みをメルエが浮かべる。氷竜の因子を持っているという事も関係はしているのだろうが、彼女の根本は子供らしい感情なのだろう。舞い落ちる雪の美しさと、それが積もった時の真っ白な大地を思い起こした彼女は、満面の笑みを浮かべてリーシャへと視線を動かした。

 だが、彼女が見た物は、不快そうに眉を下げて上を見上げる母のような存在であった。

 

「…………リーシャ……ゆき……きらい…………?」

 

「ん? 綺麗だとは思うが、寒いだろう? 特にこんな海の上では暖を取る訳にも行かないからな」

 

 不思議そうに首を傾げたメルエの問いかけに苦笑を浮かべたリーシャは、自分の身体に舞い落ちる雪を払いながら、岸に向かって力強く舟を漕ぐ。確かに、上の世界でカミュ達が乗っていた舟は、暖炉もあれば、食事で火を使う事も出来た。だが、このような小舟では火を熾す事は出来ず、防寒着を用意していない今では、突き刺すような寒さが身体を蝕んで行くのだ。

 そんな母のような存在の言葉に、先程よりも首を大きく傾げた少女は、『自分は寒くない』という言葉を口にし、再び舞い落ちて来る雪へと手を翳し始める。一度目の探索の帰りにはぐったりと目を閉じていた彼女が、今では無邪気に手を天へと翳す姿に、小さく震える身体を押さえながらリーシャは微笑むのであった。

 

「陸へつけるぞ」

 

「お前は降りるのか?」

 

 岸が近づいて来た事で小舟を上げる作業が必要となる。雪が舞い散る程の寒さの中、海の中へ飛び込む覚悟が流石のリーシャにも出来なかった。しかし、そんなリーシャの問いかけにカミュは苦笑を浮かべ、光の鎧を装備したまま海へと飛び込んだ。

 腰まで浸かる程の場所でありながらも、力強く引っ張り上げるカミュの背中を見ながら、三人はどこか懐かしく感じるマイラの村がある大陸へと視線を動かす。

 精霊ルビスという存在が封印されているか、解放されたかの僅かな違いでしかないが、今のアレフガルドは夜明けを待つかのような静けさを湛えている。ルビスが解放された事をアレフガルドの住人が知っている筈もなく、これから先もカミュ達が口にしなければ知る事もないだろう。それでも確かにアレフガルドは輝きを取り戻そうと静かに動き始めていた。

 

「…………ゆき……ない…………」

 

「あの海域だけだったのかもしれませんね。アレフガルドには雪が降る場所はそんなにないのかもしれませんよ」

 

 上陸した舟から降ろされたメルエは、先程降っていた雪が止んでおり、大地にも降り積もっていない事に対して不満そうに口を尖らせる。彼女の中では真っ白に埋め尽くされた大地が見えていたのだろう。それが実際に上陸してみれば、雪の欠片さえも見えないとなれば不満に思う事も仕方がないのかもしれない。

 サラの言葉通り、このアレフガルドに雪が積もるような場所はないのかもしれない。季節ごとに移り変わる景色の中に、雪化粧が広がる可能性があるのは、ルビスの塔のある小島かガライの実家がある北西の半島だけであろう。もしかすると、スカルゴンのような魔物がいる以上、遥か昔は雪が降り積もる地方があったのかもしれない。そのスカルゴンが下位の氷竜の成れの果てだとすれば、気候の変化によって住処を奪われた事もまた、滅亡の理由の一つとも考えられた。

 

「アレフガルドの最北端と最南端は、上の世界のそれよりも離れていないようだからな」

 

「はい。ですが、ルビス様がおっしゃっていたように、この世界自体が未だ発展途上のようですので、これから先、このアレフガルド大陸の人々の目が外へと向いた時に、この世界もまた広がって行くのかもしれません」

 

 カミュが岸に上げた舟を木に結びつけるのを手伝いながら呟いたリーシャの言葉はこの四人の共通的な印象であった。上の世界では、それこそ数ヶ月掛かる航海が必要であった最北端と最南端の距離が、このアレフガルドでは同じ数ヶ月でも徒歩で制覇出来る距離なのだ。

 だが、リーシャの言葉を聞いたサラは、雪がなくとも海岸で動き回るメルエを追いながらその回答を口にする。それは、本当に壮大な物語であり、夢物語と言っても過言ではない物であった。

 精霊ルビスが創造したこのアレフガルドは、世界もそこで生きる人々も成長途中である。上の世界に比べれば歴史は浅く、その命の繋がりは短い。今はまだ、このアレフガルド大陸で生きる事に必死な者達がアレフガルド大陸の外へと目を向けた時、大海原は広がり、その先に新たな大陸が現れるのだろう。それこそが、生命の歴史となり、世界の歴史となるのだ。

 

「メルエ、カミュがルーラを唱えてしまうぞ!?」

 

「…………だめ…………」

 

 舟を固定し終えたカミュは、海水で濡れた衣服や鎧を拭き、そして詠唱の準備に入る。このままマイラの村へ徒歩で戻る必要はない。

 今回の塔探索で魔法力が枯渇する事はなかった。それこそが一行の成長の証なのだが、既にドラゴンとの再戦を終えた彼等の次なる目標は『大魔王ゾーマ』である以上、今よりも更なる向上が必要となる事が明白であった。

 詠唱の準備が始まっても、暗闇が広がる海岸で生き物を追うメルエを見ていたリーシャは、『置いて行くぞ』という勧告を告げる。それに反応した少女は頬を軽く膨らませながらも、慌ててサラと共にカミュの許へと駆け出した。

 いつもの居場所であるカミュの足元へ到着したメルエは、そのマントの裾を握り、花咲くような笑みを浮かべてカミュを見上げる。一つの試練を乗り越えた勇者の心は、今までに無い程に晴れ渡り、少女の笑みに向かって小さく柔らかな笑顔を生んだ。

 

「さぁ、古の勇者の剣を取りに行こう」

 

 自分に向けられた優しい笑みに嬉しくなった少女は、青年の腰にしがみ付く。それを見ていたサラも笑みを浮かべ、リーシャの放った掛け声と共に上空へと浮かび上がった。

 一つの光となった彼等が東の空へと飛んだ後、海岸に押し寄せる波の音だけが響く。

 

 

 

 マイラの村へ辿り着いた一行は、門番に素性を告げて村の中へと入って行く。しかし、既に一日の活動を終えていた村は、人も疎らになっており、武器屋の扉も閉まっていた。

 一行は宿屋で宿を取る事にし、軽い食事を取った後、このマイラの村の名産でもある温泉へと向かう事となる。最初の頃は、その独特の臭いに顔を顰めて嫌がっていたメルエであったが、何度か入る内に、その雰囲気と温かさが気に入ってしまい、サラの手を引くように嬉々として温泉へと向かって行った。

 入り口で男性と女性に分かれ、カミュと離れる事を残念がるメルエを宥めたリーシャは、更衣室のような場所でメルエの衣服を脱がせて行く。未だに裸体を晒す事に抵抗があるサラは、周囲を確認しながら衣服を脱ぎ、既に素っ裸になったリーシャとメルエの後を追うように、湯気でむせ返る風呂場へと入って行った。

 

「…………リーシャ…………」

 

「最初に少し身体を洗おうな。汚れたままでは皆に迷惑になってしまう」

 

 早く入りたそうに見上げて来たメルエの頭を撫でたリーシャは、持っていた布でメルエの身体を洗って行く。少し石鹸をつけた形で洗い、それを湯船とは遠い場所で洗い流す。熱いお湯を掛けられているのに拘わらず、当のメルエは嬉しそうに微笑み、可愛らしい声を上げていた。

 そんな二人の様子に和みながら、サラも身体の汗と埃を流して行く。髪も洗い、すっきりとしたところで三人揃って湯船へと入った。

 今日は、山や森からの珍客の来訪はないようで、時間も遅い為か人も少ない。寂しい雰囲気の温泉に残念そうなメルエを抱きながら瞳を閉じてゆっくりと浸かるリーシャに向けてサラが口を開いたのは、三人の顔がほんのりと紅く染まって来た頃であった。

 

「この旅を始めた頃には、ルビス様にお会い出来るとは思ってもいませんでした」

 

「ん? そうだな……私もルビス様を崇めていても、ルビス様本人のお姿を拝見出来るとは考えていなかったな」

 

 アリアハンという小国を出た頃の二人であれば、信仰の対象となる精霊ルビスと対面する事が出来るなど、夢にも思わなかっただろう。そもそも、サラは別としても、リーシャ自身、信仰の対象となる精霊ルビスが人間が視認出来る者であるとは考えていなかったかもしれない。

 それでも彼等はここまで辿り着いた。絶対の存在として君臨する精霊神でさえも認める存在として、立つ事を許されたのだ。最早、精霊神ルビスがこの世界に干渉する事はないのかもしれない。この世界で生きる者達に託された未来は、そこで生きる者達が切り開いていかなければならない。

 精霊ルビスの庇護がなくなるという事は、生きる者達にとっては過酷な事かもしれない。だが、その愛と加護は未来永劫に続く物であるだろう。

 

「……やはり、カミュ様は『勇者様』でした。色々な事がありましたが、あれ程にルビス様に愛されるカミュ様が少し羨ましいです」

 

「ルビス様は等しく愛されているとおっしゃっていた。カミュもサラも同じ愛を受けている筈だぞ。それに、カミュはカミュだ。勇者がカミュなのではなく、カミュが勇者だったという事だな」

 

 気持ち良さそうに目を閉じるメルエは、サラとリーシャの話の中にカミュの名前が出て来た事で不思議そうにリーシャを見上げている。そんなメルエの濡れた髪を優しく梳きながら『カミュはカミュだ』と再度リーシャが口にすると、メルエは嬉しそうに微笑みを浮かべ、大きく頷きを返した。

 彼女が最も早くその事実に気付いていた。勇者という存在としてではなく、カミュという一人の青年をこの少女はずっと見て来たのだ。彼女にとって、誰よりも強く、誰よりも優しいその青年こそが、彼女にとっての勇者であり、英雄なのだろう。今、彼女を抱いている女性戦士も、元騎士ではあるが、今ではこの少女の騎士なのかもしれない。

 

「ですが、ルビス様がおっしゃっていた『最後の試練』というお言葉が気になります。ルビス様がお言葉を下さるという事は、かなり困難な物なのでしょう。しかも、大魔王ゾーマを討ち果たすという事が容易いと感じる程の……」

 

「ん? ああ、その事か……」

 

 メルエの微笑みに釣られるように笑みを浮かべたリーシャとは異なり、サラは深刻そうに眉を顰めながら口を開く。その内容は、精霊神ルビスがカミュ達の前から姿を消す時に口にした物であり、賢者としては聞き逃せない物でもあった。

 カミュが遭遇する試練であれば、必然的にリーシャ達三人も同道する事になるだろう。精霊の神と謳われるルビスが敢えて言葉にするのであるから、それは相当厳しい試練に違いはない。しかも、このアレフガルドを絶望の闇で包んでいる元凶である大魔王ゾーマの打倒でさえも、その試練を乗り越えるよりは容易であると言い切られるのであれば、その試練を四人が乗り越えられる確証は何もないのだ。

 そんな緊張感で満ちたサラの横で、リーシャは優しくメルエの髪を梳きながら視線を空へと向ける。その顔に不安など微塵もなく、何かを確信しているような微笑みさえも浮かんでいた。それがサラには不思議で仕方なかった。

 

「サラが心配する事など何もない。だが、ルビス様のおっしゃる通り、ここまでの旅で最も厳しい試練だろうな。乗り越えられない可能性もあるだろう。そこでこの旅が終わりを告げる可能性も、この世界の終わりとなる可能性もある」

 

「そ、そんな……。リ、リーシャさんは、その試練が何かを知っているのですか?」

 

 リーシャの浮かべている表情に反した言葉に、サラは絶句する。『心配する必要はない』と言いながらも、不安しか湧いて来ない言葉を漏らすリーシャの真意がサラには解らなかった。

 自分達一行の旅が終わりを告げるという事が、この世界の終わりと同意である事をサラは理解している。それが自分達全員の死であろうと、例え誰かが生き残ろうとも、アレフガルドの夜は明ける事がないだろう。そんな危険のある試練にも拘わらず、心配する必要がないと言われて、一体誰が納得するというのだ。

 サラは、自分が見通す事の出来ない未来が、リーシャには見えているのではないかと錯覚する。それ程に、リーシャの表情は穏やかであり、優しかった。幼いメルエを抱くその姿は、聖母にすら見える。この世界に語り継がれる母神とは、リーシャのような姿をしているのではないかと、サラは見当違いな想いを抱いていた。

 

「サラではないが、これは私の推測に過ぎない。だが、心配はするな。私の考えている通りの物であれば、カミュは大丈夫だ。きっとな……」

 

「…………だいじょうぶ…………」

 

「え? まさか、メルエも解っているのですか?」

 

 真っ黒な空を見上げながら発したリーシャの言葉は、サラやメルエの耳に溶け込むように湯気と共に消えて行く。その言葉に目を開けたメルエが魔法の言葉を呟いた事で、サラは先ほど以上の衝撃を受けた。

 しかし、この中で、最大の試練となる物が何であるかに気付いていないのは自分だけなのではないかという驚きは、小首を傾げた少女がゆっくりと首を横に振った事で脱力してしまう。しかし、理解をしていなくとも、それが何かを知らなくとも、絶対の信頼を示すように微笑む少女を見て、サラもまた微笑みを漏らした。

 その後、ゆっくりと湯に浸かり、身体の疲れを流した一行は、深い眠りに就く事で身体の奥底に残る疲労を取って行く。

 

 

 

 翌朝、いつものように洗濯を済ませた一行は、食事も取らずに眠ってしまったメルエの要望によって食事を済ませ、マイラの村の南西にある武器屋の二階へ向かった。

 ここ数ヶ月、店を締め切って、朝から晩まで金属を打つ音を響かせていた武器屋ではあったが、今では通常に営業を開始している。以前と異なる事は、一階部分のスペースがサロンのようになっていて、そこでお茶や軽食を楽しむ人達が多くなったという事だろう。どれだけ世界が恐怖に陥っても、温泉という癒しがあるこの村だけは、少し世間との感覚がずれているのかもしれない。

 

「待っておりました」

 

「……出来たのか?」

 

 一階のサロンで食事やお茶を運んでいたジパング出身の女性に会釈をして階段を上ると、上がって来たカミュに気付いた店主が満面の笑みを持って歓迎の意を示す。何人かの客がいたのだが、店主はそのお客全てに謝罪してお引取り願い、カミュ達だけとなった店内でようやく言葉を口にした。

 先程の笑顔と、今の言葉で、この店主が満足行く出来の剣を造り上げた事は明白である。それでも、カミュは真っ直ぐ店主の瞳を見て問いかけた。

 そんなカミュの意を汲んだように店主は大きく頷きを返し、カウンターの置くから細長い木箱を取り出す。木箱の幅は雷神の剣の幅ほどもない。しかし、その長さは雷神の剣よりも長かった。

 

「その鎧も、古の勇者と伝えられる方の装備していた物ですか?」

 

「そうだと思う」

 

 木箱を空ける前に、カミュが纏う鎧へ視線を向けた店主は、その鎧に刻まれている紋章を見て笑みを浮かべ、それが古の勇者に纏わる物なのかを尋ねる。

 彼に出会った時には既にカミュは『勇者の盾』を装備していた。だが、それが古の勇者が装備していたと伝えられる盾だと口にした事はない。それでも、古の勇者が装備していた剣を打つ者であれば、気付かないという事はなかったのだろう。

 青白いその輝きは、他の装備品とは一線を画している。特に盾に大きく記され、鎧の胸や兜の前面に描かれた神鳥の紋章は、人の目を惹き付けて止まない。その鎧の上から羽織られている紅いマントが、目の前に居る青年を更に神々しく映していた。

 

「良かった。やはり、古の勇者と呼ばれる者と、その紋章は深い関係があるのですね」

 

 安堵の笑みを浮かべた店主は、ゆっくりと木箱の蓋を開ける。その瞬間、カミュ達三人は、自分の目が眩む程の眩い光に包まれた。一人背の届かないメルエだけは、上を見上げながら不思議そうに小首を傾げ、途端に頬を膨らませる。自分だけが仲間外れになっている事に不満を持ったのだ。

 武器屋の二階部分全てを覆うかのような光が収まり、蝋燭の薄暗い明かりだけに戻る頃、カミュ達は木箱の中に納まる美しい剣を目にする。不満の訴えるメルエの声さえも聞こえないかのように固まった三人は、その剣の神秘的な輝きに言葉を失っていた。

 真っ直ぐに伸びた両刃は、まるで鏡のようにカミュ達の姿を映し出す。鋭く研がれた刃先は、全てを斬り裂くように青白い輝きを放ち、見る者を魅了していた。

 樋の部分は、溝が掘られるのではなく、逆に刃を支えるように金色の金属が嵌め込まれている。本来血溝として剣の軽量化をする為の物でもあるが、世界最高峰の勇者の武器には不必要と判断したのかもしれない。その金色の金属が、持つ者が歩く道を示すように真っ直ぐに剣先へと伸びていた。

 そして、何よりも眼を惹くのが、その鍔である。ようやく抱き上げてもらったメルエがその剣を覗き込み、嬉しそうに微笑みを浮かべた事で、それが何かは想像が付くだろう。

 

「…………ラーミア…………」

 

「この鳥の名は、ラーミアというのですね。まるで勇者を象徴するようなこの紋章は、必ずこの剣にも刻み込まなければと考え、この鍔の部分を作りました。私が伝え聞いて来た『天叢雲剣(あまのむらくものつるぎ)』に影響を受けてはいますが、この鍔の部分は遥か昔の姿を想像して作りました。実は、この部分にはドラゴンキラーの大部分を使わせて頂いたのです」

 

 まるで神鳥が羽ばたくように翼を広げた姿が、そのまま鍔として造り上げられている。黄金に輝くラーミアが、剣先へと続く黄金の道を今にも飛んで行きそうな姿に、カミュ達は声を失う程の感動に襲われていた。

 しかも、この鍔の部分は、リーシャが置いて行ったドラゴンキラーという武器を使用していると云う。上の世界でのカミュ達と一人の商人の絆の証であり、この店主にとっての師との絆の証である。竜種の牙や爪を持って造り上げられた刃は、どんな竜種の鱗さえも斬り裂くと伝えられていた。強力な竜種が少なくなった上の世界では最早造る事の出来ない剣と言っても過言ではないだろう。

 神代の希少金属であるオリハルコンという金属と、そして彼等が紡いで来た絆の結晶の融合。それこそ、今代の勇者に相応しい武器なのかもしれない。眩く輝く神鳥の姿が、それを示すように優雅に羽ばたいていた。

 

「これをお返し致します。凄まじい熱量を持つ石でした。幾らそれを吐き出そうとも、その輝きは消えず、熱も失われません。このアレフガルドの国宝である事も頷ける一品です」

 

「はい。これを私達に貸し与えて下さった王太子様に心から感謝しております」

 

 剣に目を奪われているカミュ達を嬉しそうに見つめながら、店主はカウンターの下から太陽の石を取り出す。オリハルコンという神代の希少金属を溶かし、その形状を変える程の熱量を発したにも拘らず、真っ赤に燃え上がるような輝きは失われてはいなかった。

 ラダトーム王国が精霊神ルビスより賜ったと云われるその石は、このアレフガルドから失われた太陽のような輝きを放ち、それを取り戻そうと進む勇者達を導く光となる。

 『雨と太陽が合わさる時、虹の橋が架かる』。その言葉は、ラダトーム城にて次期ラダトーム国王から賜った物である。『太陽の石』、『雨雲の杖』、そして『ルビスの愛の証』を持って、南東にある神殿を目指せとルビスの従者であった妖精にも告げられていた。今、その全てが勇者一行の手許に揃ったのだ。

 

「代金は、あの金額だけで良いのか? 結局ドラゴンキラーの全てをこの剣に費やしてしまえば、費用分は損をする事になる筈だ」

 

「いえ、これ以上は望めません。この世の中で最高の金属を打ち、この世界に光を取り戻す者の武器を生み出しました。これ以上の名誉も、栄誉もありません。その剣は、私の生涯最高傑作です。もう一度作れと言われても、二度とは作れないでしょう。それだけで満足です」

 

 吸い付くように己の手に収まった剣を見ながら発したカミュの言葉に、店主は満面の笑みを浮かべて首を振る。彼にとっても、この剣の作成に全てを込めたのだろう。それこそ、全身全霊を掛けた一品なのだ。

 そして、一職人、一鍛治師として、自分の全てを賭けて生み出した剣が生涯最高傑作だと胸を張って言える出来であった。他に何を望むというのだろう。そして、それを振るってくれるのが、この絶望の闇に染まった世界に光を取り戻す勇者であれば、他に何も要らないのだ。

 

「ただ、一つだけお願いがあるとすれば、この剣へ名を送らせて下さい。私は貴方だけの為にこの剣を生みました。おそらく、その剣は貴方以外の者を主として認める事はないでしょう。今、その剣が発している輝きが証拠です。この世に光を取り戻す貴方だけの剣……」

 

 願いがあると言い出した店主の言葉を拒む理由はない。基本的に銘を打つのは製作者の権利であり、その剣が素晴らしければ素晴らしいほど、その製作者が打った銘は伝承にさえなるのだ。

 この店主が、目の前に立つカミュだけの為に打ったというのであれば、この剣の名を付けられるのは、店主とカミュだけである。そのカミュが静かに頷いた事を見た店主は、ゆっくりと瞳を閉じ、静かにその名を吐き出した。

 

「王者の剣」

 

 まるで時が止まったかのように静寂が広がる店内に、店主の言葉だけが溶けて行く。

 何を以て王と成すのかと思う程に傲慢な名。このアレフガルドを統べる者としてラルス国王家が存在するにも拘わらず、その剣の所有者を『王者』とする。創造神、精霊神、大魔王という強大な存在を押し退けて『王』を名乗る事が許される事なのかは解らない。それでも、この店主の心は、このアレフガルドで生きる全ての者達の願いなのだろう。魔の王を討ち果たす、真の王者。それをこの世界の者達は待ち望んでいるのだ。

 そんな店主の心がリーシャやサラの胸にも素直に落ちて行く。カミュという青年が歩んで来たこの六年の旅を彼女達は知っている。その苦しみも、その優しさも、その強さも知っている。誰が何と言おうと、彼こそが勇者であり、彼こそが強者である。 

 魔王バラモスを討ち果たす事が出来たのは、ここに居る四人の力ではあるが、その力が集まったのは彼が居たからこそである。彼がいなければ、サラがリーシャに出会う事はなく、彼女の導きがなければ賢者になる事もなかっただろう。そしてその根底にある物が揺らいだのはカミュが居たからこそであった。そのサラとの対立がなければメルエが救われる事はなく、そのメルエがいなければリーシャはカミュの心の奥にある大きな優しさに気付く事はなかっただろう。

 全ての起点はこの青年であり、勇者一行の原点はカミュなのだ。リーシャやサラやメルエにとって、確かに彼は王者である。僅か三人の小さな小さな王者であった彼は、六年間の旅での出会いによって、この世界の生きとし生ける者達の王者となった。

 その彼を主として定めた剣であれば、『王者の剣』という名も相応しいのかもしれない。

 

「この剣を残りの代金代わりに置いて行く。以前預けた『稲妻の剣』はいずれ取りに来るが、この『雷神の剣』はアンタの物だ」

 

「いや、それでは……」

 

「店主、受け取ってやってくれ、カミュの想いを」

 

 鞘ごと外した剣を、カミュはカウンターへと置く。それもまた、神代から受け継がれて来た武器の一つ。雷の神が愛し、その力の一部を顕現すると云われる程の剣である。その剣に主と認められた者であれば、一国を滅ぼす事さえも可能であるとさえ云われていた。

 そんな剣を与えると言われた店主は慌てて返そうと手を伸ばすが、その手はメルエを抱いた女性戦士の片手に制される。

 いつでもこの勇者は言葉が足りない。この店主の想いを受け止め、それに応えようとしているのに、それが伝わらないのだ。それはカミュの責任ではあるのだが、そんな彼の優しさを理解する事が出来る者が今はすぐ傍にいる。柔らかな笑みを浮かべて雷神の剣を店主へと渡したリーシャは、王者の剣を鞘へ納め、背中ではなく腰に吊るすカミュに向かって苦笑を漏らした。

 

「わかりました。この剣は有り難く頂戴致します。この後はどちらに向かわれるのですか?」

 

「……リムルダールという町へ向かおうと思っている」

 

 これ以上の拒絶は、カミュ達の心を蔑ろにする行為であると悟った店主は、大剣を持ち上げ、カウンター下へと納める。おそらくではあるが、彼はこの剣を販売する気はないのだろう。その理由は、これ程の剣が主として定め、そしてそれを振るう事が出来る者が現れるとは考えていないという点と、店主自身の気持ちの問題であった。

 剣を納めながら聞いたカミュ達の目的地の名に、店主は顔を上げる。彼とて、アレフガルドに降り立って数年の間、この土地で商売をして来ているのだ。この大陸にある町の名は全て網羅しているのだろう。

 

「リムルダールですか……何でもメルキドの北部にある山脈を、ドムドーラ方面から抜けなければならないそうです。今、このマイラの南から掘られている海底洞窟が繋がれば、移動日数も大幅に変わるのですがね」

 

「……海底洞窟ですか?」

 

 リムルダールへの道を話してくれた店主の言葉の中にあった聞き慣れぬ単語に、サラは小さく首を傾げる。今まで海底にある洞窟と言えば、最後の鍵を入手したあの浅瀬にあった洞窟だけであった。しかし、正確に言えばあの洞窟も大陸と大陸を海底から繋ぐトンネルではない。唯一上の世界でそれに当たる物といえば、ロマリア大陸とポルトガ大陸を結ぶ地下通路か、アリアハンのナジミの塔がある孤島へ繋がる洞窟だけかもしれない。

 ただ、それらの物は、サラ達が生まれる前から既に存在していた物であり、海底を繋げる通路を掘る作業が如何に大変な事なのかという事が想像も出来ないのだ。

 

「ええ。何でも既に掘り終わっている箇所に作業員達の宿所を作って、昼夜交代で掘り続けているようです。アレフガルドが闇で包まれている限り、マイラの村からリムルダールへ向かうには一年近くの時間と、それ相応の危険がありますからね」

 

「……そうですか。このアレフガルド大陸も、いつかは一つに繋がるのですね」

 

 マイラの村のある大陸は、ラダトーム王都のある大陸とは海域で離れている。ラダトーム王都との隔たりは、それ程距離もなく、海から流れ込む水流も激しくはない為、平和さえ取り戻せば橋が架けられるだろう。だが、リムルダールがある大陸との間の海域は流れが激しく、大魔王のいる城から流れる瘴気の濃さも影響して橋が架けられない。

 この海底洞窟は、アレフガルドで暮らす者達にとって、希望の証となるだろう。どんな状況でも何とかしようと懸命に生きる人間の強さを、サラは改めて感じていた。

 

「行くぞ」

 

「いつか、アレフガルドの太陽と共に、貴方が剣を取りに戻られる日を楽しみにしています」

 

 このマイラの村での用事は全て済んだ。踵を返して武器屋を後にするカミュの背中に、店主が言葉を投げる。それに小さく頷いたカミュのマントを掴んだメルエが、店主に向かって小さく手を振り、それに続くようにリーシャとサラが階段を下りて行く。

 静けさが戻った店内で、店主は暫くの間、一行が降りて行った階段へと視線を向けたまま微笑みを浮かべていた。その笑みは、我に変える頃には満面の笑みとなり、抑え切れない喜びと希望が店主の胸に湧き上がる。

 もしかすると、彼の頭の中には、明るい太陽が差し込む世界が既に見えていたのかもしれない。

 

 

 

「カミュ、ドムドーラまでルーラで行くのか?」

 

「他に予定がない以上、それが一番早い筈だ」

 

「南東にあると云われる『聖なる祠』へも行かなければなりません」

 

 マイラの村を出て、傍に咲く花を見る為に屈み込んだメルエを中心に、カミュ達が進路を決定する。このアレフガルド大陸で未踏の地はリムルダール地方と大魔王ゾーマがの城がある場所だけであった。

 最後に残るリムルダールの町を拠点として、ゾーマの城へ挑むとしても、その前にサラが口にした祠へ向かわなければならない。『虹の橋』という物が何を示すのか解らないが、それでもこのアレフガルドに伝承として残され、精霊ルビスの従者である妖精さえも口にする物であれば、この旅にとって重要な物である事だけは確かである。

 

「ルーラ」

 

 カミュの下へと集まった者達が、一つの光となって浮かび上がり、南西の方角へと飛んで行く。

 今代の勇者の許に、神代から伝わる全ての装備が揃った。

 空を斬り裂き、大地を斬り裂くと謳われる『王者の剣』。

 青白い輝きを放ち、身に着ける者を護り、癒すと伝わる『光の鎧』。

 炎を避け、吹雪を溶かすと云われる『勇者の盾』。

 その全てを揃えた者は、世界を手中にするとさえ云われる物が、最弱の種族である一人の人間の下に集ったのだ。それは、この世界の新たな幕開けとなり、夜明けとなるだろう。

 

 

 




読んで頂いてありがとうございます。
ようやく第二十一章に入りました。
残り二章です。

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