新訳 そして伝説へ・・・   作:久慈川 京

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ドムドーラの町①

 

 

 

 砂漠の奥で見つけた集落は、結果的に言えばカミュ達が考えているような場所ではなかった。

 確かに、この砂漠の中で生きて行く為の水場はあるが、大国イシスのようにオアシスを中心に栄えているという物ではない。むしろ、残っている水場に寄り添っているだけという印象さえ受ける物であった。

 深まる闇の為なのか、町の雰囲気自体が陰湿な物であり、活気というのは感じられない。町で生活する人間はマイラの村よりも多いのだろうが、何処か何かを諦めているような表情さえも浮かべていた。

 

「宿屋を探すか……」

 

「そうだな。だが、その前に武器と防具の店にでも寄るか?」

 

 町の北側に当たる部分にあった門から入った一行は、周囲を見渡しながら先頭を歩くカミュの後ろを歩いて行く。ここまでの長い道程を考えれば、即座に宿屋に入りたい所ではあるが、新しい場所に辿り着いた時に必ず行う『買い物』という行動を人一倍楽しみにしている幼い少女の瞳を見たリーシャは、ある提案をカミュへと掲げた。

 振り返った彼は、期待と不安を宿した瞳で見上げて来るメルエを見て軽い溜息を吐き出し、了承の頷きを返す。花咲くように笑みを溢した少女は、サラの手を握って歩き出した。

 北側には武器と防具の看板を掲げる店舗が二店存在する。その中でも一番目の前にある武器屋へと向かった。それ程大きな店舗ではないが、一階部分が店舗、二階部分を住居と明確に分けている事を見る限り、それなりに繁盛している店なのであろう。

 しかし、その扉を開けて店舗に入った一行は、中の状況に驚く事となる。

 

「なんだ? ここは武器と防具の店だが、今は生まれて来る子供の名前を考えるのに忙しいんだ。買い物はまた今度にしてくれ」

 

 店の中は思っていたよりも広くはないが、奥には鍛治を行うような場所も設置されており、一から武器を製造する事は出来なくとも、修繕する事などは可能であるだろう。そんな武器屋の主人はカウンターに置いてある一枚の紙を睨みつけ、何やら唸り声を上げていた。

 店のカウンターの奥にいる男性が近付いて来たカミュに気付いて顔を上げるが、武器や防具を求める客である事を理解すると、即座に断り文句を口にして再びカウンターに乗せられ紙に向かって唸り出す。言葉通り、子供の名前を考えているのだろう。書き殴るような幾つもの文字が塗りつぶされていた。それでも幾つかの候補には絞られているのか、二つ三つは文字が残されている。

 店を開けておいて客を断るという武器屋の態度に思う所はあったが、自分の血を分けた子供の名前を考えるというイベントは、親にとっての一大事である事は理解出来るため、リーシャは苦笑を浮かべてサラへと視線を送った。

 店を後にしようとする一行の前にそれ程若くはない女性が現れ、丁寧に頭を下げる。見たところ、カウンターに居る男の妻なのであろう。男の言葉通り、下腹部が僅かに膨らんでおり、その中に新たな命が宿っている事を示していた。

 

「申し訳ございません。私がようやく身篭ったものですから、主人が張り切ってしまって……」

 

「いえ、おめでとうございます。天からの授かり物ですから、その喜びは一入でしょう。お生まれになるお子様にルビス様のご加護があらん事を……」

 

 自分の夫の行動を嬉しく思いつつも、他人に対しては恥ずかしく思っているのだろう。妻は恥ずかしそうに顔を赤らめながらカミュ達へ謝罪の言葉を紡ぐ。それを受けたサラは、笑顔を浮かべながら祈りを捧げるように胸の前で手を合わせた。

 このアレフガルドでは精霊神ルビスという存在が、上の世界よりも身近にあるように感じていたサラは、自身が僧侶であった時とは若干異なる想いを乗せて言葉にする。興味深そうに膨らんだ下腹部を眺めていたメルエも、サラの真似をするように胸の前で手を合わせた。

 そんな幼い少女の祈りを嬉しそうに受け取った女性は、愛おしそうに下腹部を撫で、カミュ達に礼を述べる。何も購入する事なく店を出た一行であったが、あれ程の両親の愛を注がれる子が無事に成長して行く事を心から願った。

 

「新たに生まれて来る子供達の為にも、早く平和な世界を取り戻さなければならないな」

 

「そうですね。でも、それも……もうすぐそこまで来ている筈です」

 

 扉が閉まった武器と防具の店を振り返ったリーシャの呟きに、サラは静かに頷きを返す。そして、何処か確信を込めた言葉を口にした。

 このアレフガルドの闇を払える可能性を持っているのは、現在はカミュ達四人だけであろう。彼等以外の人間が大魔王ゾーマに挑める訳はなく、それどころか、その部下に当たる魔物や魔族、そして竜族と戦う事さえも出来ない。故に、リーシャが口にした平和な世界という物を実現出来る可能性を持つ者は、彼等だけなのだ。

 そんな二人の新たな決意を余所に、先頭のカミュはもう一軒ある武器屋へと足を向けていた。

 

「いらっしゃい。何かお探しですか?」

 

「この町にある目新しい武器や防具を見せてくれ」

 

 もう一軒の武器と防具の店は、平屋ではあるがそれなりの広さを有した場所であった。鍛治をするような場所がない事から、この店では取寄せた物を販売するだけなのだろう。だが、それでも店に陳列されている商品の種類は多く、それなりの物が揃っていた。

 カミュがカウンターに魔物の部位の入った袋を置く。その中身を確認した店主はその意図を理解したように買い取り価格を計算して行った。ある程度計算が終わった後、その金額で了承したカミュに店主は先程の会話を続けた。

 

「ラダトームの方から来られたのですか? それでしたら、この『吹雪の剣』は如何でしょう?」

 

 ラダトーム王都から訪れた事を確認した店主は、重い金属で出来た細長い箱を開ける。その箱の蓋が開かれた途端、店内の温度が一気に下がってしまったのではないかと思う程の冷気が周囲を満たした。

 その刀身は細長く、綺麗な曲線を描くような反りを持っている。それでいて、周囲の水分をも凍らせてしまう程の冷気を放っているのか、刃の部分は真っ白な霜が覆っており、その霜が凍り付く事によって、鋭い刃を更に際立たせていた。剣自体が放つ冷気から護るように、剣の柄の部分はしっかりと布が巻かれており、柄の部分は雪の結晶を模したような形をしている。青く透き通るような刀身の色は見る者を魅了する程の輝きを放ち、霜が降りる程の冷気は他者を寄せ付けない空気を生み出していた。

 

「これは、私の店にある最上位の剣です。お値段も23000ゴールドとお高いですが、この一本しかございませんので、希少価値もございます。神代から続く剣であるとか、雪の女王が生み出し、愛し続けた剣であるとか、様々な逸話が残されていますが、間違いのない一品だと思います」

 

「……これも、付加効果のありそうな剣ですね」

 

 カウンターから流れて来る尋常ではない冷気を感じたサラは、その剣がカミュの持ってる稲妻の剣や雷神の剣と同じように、何らかの効果を持っている剣だと推測する。おそらくは氷結系呪文の中級程度の効果を持つ物であろう事は推測に容易い。だが、その効果を持つ剣を握り続ける事が出来るのかとなると、疑問に思う部分が多かった。

 暫く沈黙が流れる中、冷気に耐えられなくなった店主が金属の蓋を被せる。不思議と冷気を感じなくなった店内で一息ついた店主は、購入するかどうかを問うように視線を向けた。

 

「俺には必要ないな。アンタはどうだ?」

 

「私もこの斧があるからな……」

 

 現状では、カミュとリーシャには固有の武器が存在している。カミュに至っては、背中に背負っている雷神の剣の他に腰に稲妻の剣というもう一本を差していた。これ以上の武器は過剰となってしまうだろう。そして、リーシャという女性戦士は、既に自分の武器を剣ではなく斧と決めている節がある。長い旅路の中で彼女が手にする武器が斧であった期間が長かった事もあり、彼女の中でも自身の得物という認識になっているのであろう。そこに、彼女が溺愛する少女の思いという物も多少なりとも含まれている可能性はあった。

 そんな二人が必要ないとなれば、ゾンビキラーという細身の剣が自在に振るえる限界であるサラに必要な訳がない。ましてや剣など握った事もないメルエに必要性など皆無である。その剣にどれ程の特殊効果が備わっているとしても、現状の一行には不必要な物であった。

 

「そうですか……残念です。では、この『力の盾』は如何でしょうか? これも不思議な盾でして、装備した者の祈りに応え、傷ついた身体を癒すと云われています」

 

「……盾にそんな力があるのですか?」

 

 他者を癒すとなればホイミ系の回復呪文と同じ効力を持っていると考えられる。マイラの村の武器屋にあった『賢者の杖』と同じ効果を盾が持っているという事にサラは驚きを隠せなかった。

 そんなサラの表情を見た店主は満足そうな笑みを浮かべて、一つの盾をカウンターに置く。リーシャやサラが持つ水鏡の盾のように真円を描き、中央には青い宝玉が埋め込まれている。水鏡の盾と対照的に黄金色に輝き、中央の宝玉の周囲だけ銀色の装飾が施されていた。

 不思議な輝きを放つ盾がそれ相応の力を宿している事は、厳しい戦いを乗り越えて来たカミュ達には肌で感じる事が出来ていた。それだけの空気と力を宿していたし、何よりも盾の方から語り掛けて来るような優しい空気を醸し出している。

 

「カミュ、この盾を私にくれないか?」

 

「……店主、幾らだ?」

 

「15000ゴールドです」

 

 暫く盾を見つめていたリーシャは、それを購入して貰えないかをカミュへと尋ねる。その瞳を見つめた彼は、その中に単純な魔法への憧れが皆無である事を知った。おそらく、今の彼女にとって、己が魔法を行使出来るというのは二の次以下なのだろう。それよりも、危機に陥りそうな時に自分にサラやメルエを癒せる手段があるという事だけが重要なのだ。

 一度瞳を閉じて小さく笑みを溢したカミュは、店主へ値段を尋ね、返って来た金額を聞いて腰の皮袋からゴールドを置いて行く。新たな盾を手に入れたリーシャは、今まで装備していた水鏡の盾を外して店主に買取を依頼し、購入金額の半額で買取をして貰えた事で、力の盾の購入金額が大幅に軽減した。

 

「…………メルエも…………」

 

「もう……またメルエの我儘が始まりましたね。メルエの装備は揃っていますよ?」

 

 新たな防具を手に入れたリーシャを羨ましげに眺めていたメルエがいつもと同じ言葉を口にする。それを横で聞いていたサラは、深い溜息を吐き出して少女を窘めた。いつもならば、少女の可愛い我儘を笑って許す一行ではあったが、マイラの村での出来事を経たサラは、メルエに対して良い意味で遠慮が無くなっている。そんなサラからの窘めに頬を膨らませたメルエは、『ぷいっ』と顔を背けて反抗的な態度を取っていた。

 二人の微笑ましいやり取りを眺めていたカミュであったが、他に何かないかどうかを店主へと尋ねる。その問いかけに、今度は店主が困った表情を浮かべるのだった。

 カミュとしては、軽い気持ちで尋ねただけではあったが、商売人としての誇りを持っていた店主は、ここで何かを出さなければ恥だとでも云わんばかりに悩み続ける。そして、何かを思いついたのか、奥から小さな箱を取り出して来た。

 

「……その女の子には着る事は出来ないでしょうが、この地方で作られたこんな物があります」

 

「こ、これは!?」

 

 言い難そうに顔を歪めた店主が木箱を開いた時、カミュとリーシャとサラの三人は言葉を失う。カウンターに置かれた小さな木箱の中には、カミュ達の想像を絶する物が鎮座していたのだ。

 中に入っていたのは、一枚の布。いや、正確に言えば布とも言えない程の布切れである。真っ赤な布切れは大げさに言えば糸のように細く、それでいながら細い部分が繋がっている一枚の布となっていた。

 その布切れを店主が取り出し、リーシャやサラに見えるように広げた事で、サラは声にならない悲鳴を上げる。その横のリーシャでさえも珍しく顔を赤く染めて視線を外してしまった。

 その赤い布切れは、明らかに女性用の物。女性用の下着とも取れる物で、胸の一部と下半身の部分を隠す分しか面積のない物であったのだ。夜の町と謳われていたアッサラームの劇場にいる踊り子でさえも着る事を躊躇うようなそれは、リーシャやサラのような免疫のない人間にとってはかなり衝撃の強い物であっただろう。

 

「これは、この地方で女性が海に入る時に着る水着なのですが……着る事の出来る人も限られていまして。その……メリハリがある女性というか……スタイルの良い方にしか……」

 

「なっ!?」

 

 赤い布切れを広げながら呟く店主は、少し視線をサラへと向けた後、本当に申し訳なさそうに視線を外す。その意味を理解したサラは、声を詰まらせた後で顔を真っ赤に染め上げた。それは、何も恥ずかしさだけが原因ではないだろう。小刻みに震える程の怒りが今の彼女の心を闇に染めていっていた。

 代わりに視線を向けられたリーシャは堪った物ではない。粗忽で荒々しい印象のある彼女ではあるが、深窓の令嬢のような純情を持っており、貞操観念も年齢にそぐわない程に固いのだ。真っ赤になってしまった彼女は、両手を何度も目の前で振り、拒絶の意志を示す。そんなリーシャの行動と、隣で小刻みに震えて俯くサラを不思議そうに見上げたメルエが首を傾げていた。

 

「そ、そんな物、誰が着るか! そ、それに……そんな物を着たら、戦闘をしている途中に脱げてしまうだろ! ぼ、防御力など、皆無ではないか!」

 

「……まぁ、そうでしょうね」

 

 真っ赤になって叫ぶリーシャの言葉を聞いた店主は、大人しく木箱へそれを戻す。この店主にしても、その水着を購入するとは考えていなかったのだろう。『何かないか?』と問われたから、『ない』と答える事を良しとせずに出しただけであって、それを売りつけようとは思ってもいなかったのだ。

 小さな木箱に納められ、店の奥へと消えて行った事で安堵の溜息を吐き出したリーシャとは対照的に、奥から戻って来る店主を憎しみを持って睨みつけるサラの瞳は危ない色を宿している。傍にいたメルエでさえもサラから離れてリーシャの手を握る程に歪んでしまった空気を感じた店主は、慌てたように弁解を始めた。

 

「も、申し訳ありませんでした。このドムドーラも昔は緑に覆われた場所であったのです。その頃に海へ出る若い女性の為に作られた水着で、その頃の若者達の間では『危ない水着』として人気があった物ですから」

 

 その店主の弁解を聞いていたカミュは、店主の言葉の中にある文言に首を傾げる。この場所が昔は緑に覆われた場所であったという部分にである。それは、このドムドーラの砂漠が後天的に生まれた場所であり、砂漠に町を立てたのではなく、町があった場所が砂漠となったという事を示していた。

 何が原因なのかは解らない。だが、大魔王ゾーマの影響が少なからずある事は想像出来た。一地帯を砂漠に変える程の瘴気が垂れ流されているという事が、このアレフガルドに時間が余り残されていないという事を示している。一度砂漠と化した大地に緑は戻らない。どれ程に空気が浄化されても、砂丘となった大地は土には戻らず、草花が育つ土壌になる事はないのだ。つまり、このドムドーラは大魔王ゾーマを討伐しようとも、砂漠のままであるという事になる。

 

「何故、この場所が……」

 

 カミュと同じ疑問に達したサラが何かを思い悩むように呟きを漏らす。その言葉通り、ドムドーラが砂漠化した意味が解らないのだろう。大魔王ゾーマの居城に最も近い都市となれば、陸続きという事を考えない前提ではラダトーム王都であろう。未だに見ていない都市があるとしても、このアレフガルドを統べる王がいるラダトームが標的となっても可笑しくないのだ。

 だが、ゾーマ城の南西に位置する場所にあるドムドーラがその標的となる意図が解らない。上の世界でテドンが滅びる理由もカミュ達は正確には理解していなかったが、メルエの素性を知った今となっては、その理由を想像する事は難しくはなかった。それに比べ、このドムドーラが標的になる理由は薄すぎたのだ。

 

「……本当に、伝説の剣の素材がある場所なのかもしれないな」

 

 自分の物をまたしても買って貰えなかった事で膨れるメルエを諭しながら店を出た時、町にまで入り込んでいる砂地を見たリーシャが何気なく呟いた言葉は、衝撃を持ってサラの頭に打ち下ろされる。

 古の勇者が持っていたとされる剣は、それこそこの世にある全ての武器の頂点に立つ剣であろう。その剣は大魔王ゾーマに砕かれたという逸話は残っているが、それでもその素材自体が神代の希少金属であり、この世にはない物であった。

 その素材が持つ力は定かではないが、地形を変えてしまう程の力を有していても不思議ではない。神や精霊と並び称される古の勇者の武器となれば、可能性は捨て切れなかった。もう一つは、その素材の発覚を恐れた大魔王がドムドーラ地方を不毛の地として人間を寄せ付けないようにしたかったという事も考えられるが、これは現状を見る限り可能性としては薄いように思われる。

 いずれにしても、このドムドーラという地方が死滅へと向かっている事だけは確かであろう。

 

「……まずは宿屋に向かいましょう」

 

 大魔王ゾーマを討ち果たしたとしても、死滅へと向かう速度が緩やかになるだけであり、このドムドーラという町はいずれ廃墟となるだろう。住む事の出来なくなった者達は他所に逃れ、この砂漠から離れた場所に新たな集落を作るかもしれない。だが、住居などを放棄して新たな場所で集落を生み出す事は容易い事ではないのだ。トルドという商人が生んだ奇跡を知っているサラは、この町の行く末を案じながらも、今必要な行動を提案した。

 宿屋は町を東西に分ける大通りの向こう側にあった。ドムドーラの南町と言えば良いのか、北側の商店がある地域とは異なり、一般の家屋が立ち並ぶ住宅地のような場所に、その看板が下がった場所が見える。舞う砂が目に入り、愚図り出したメルエを抱き上げたリーシャが、最後にその扉を潜るとようやくカウンターに居る男性が来客に気付いた。

 

「いらっしゃい。このドムドーラにお客さんなんて珍しいね」

 

 カミュ達四人の姿を見た店主は来客に喜ぶというよりは驚いている方が強いようであった。確かに、大魔王ゾーマの台頭によって魔物達の凶暴性が強まり、見た事も無い魔者達が横行する中、このような砂漠の中心にまで足を運ぼうとする旅人は皆無に等しいだろう。つまり、このドムドーラの宿屋はほぼ開店休業なのかもしれない。

 店主の言葉通りのゴールドを支払い、それぞれの部屋の鍵を受け取ったカミュ達は、部屋に続く階段へと視線を向けた。そんな時、偶然に上の階から降りて来た女性と目が合ってしまう。その女性は見目麗しい妙齢の女性であり、一行の最年長者であるリーシャよりも明らかに年上であろう事は推測出来る。もしかすると、三十路は越えているのかも知れないが、そんな年齢という枷などを引き千切る程の美貌と、溢れるような愛嬌を持った女性であった。

 

「あら、珍しい。こんな場所に旅人なんて……。もしかして、上の世界の人達かしら?」

 

 この時代のアレフガルド大陸を旅する酔狂者はそうはいない。皆が自分の住処を守る事に必死になっており、その地を離れる事を嫌う。そんな中で旅をする人間となれば、新たな新天地を探す者か、それとも元々住処を持たない者のいずれかとなる。そして、それに当て嵌まる者となれば、このアレフガルドとは異なる世界である上の世界からの来訪者以外になかった。

 女性としては極当たり前の推測ではあったが、カミュ達からすれば突然現れた女性が口にした言葉であった為、警戒をするように口を閉ざしてしまう。そんな中でもサラの手を握っていた少女だけは、小さく微笑んだ後で頷きを返した。

 メルエという少女は自身への害意に関しては敏感である。敵意や憎悪のような感情だけではなく、恐れや怒りなどにも過敏な反応を示す事があった。そんな彼女が警戒もせずに笑みを浮かべて、更には相手に向けて肯定を示したとなれば、この女性に対して警戒を向ける必要が皆無である事が解る。その女性が柔らかな笑みを浮かべてメルエの前に屈み込んだ事でそれは明らかとなった。

 

「あら、こんな小さいのに大変だったね。私はアッサラームという町の出身で、名前をレナというわ。貴女のお名前は?」

 

 しかし、自分に好意を示してくれる女性を笑顔で見上げていた少女の顔が、一つの町の名を聞いた瞬間に強張りを見せる。それは奇しくもドムドーラと似た砂地に立つという形態を持った町の名であり、夜の町とも言える程に栄えた歓楽街でもあった。

 そして、先程まで嬉しそうに微笑んでいた少女にとって忌むべき記憶が残る町でもある。心優しいホビットによってその町の劇場近くに置かれた彼女は、その劇場でNO.1を争っていた程の踊り子によって拾われた。それは彼女にとっての幸せの始まりであると共に、苦痛の始まりでもあったのだ。

 その町の名は、その後にカミュ達と出会った事で彼女の頭の中に残る事になり、それは思い出したくない記憶となり、その名を聞くだけでも凍り付く程の傷を幼い少女の心に刻みつけている。そんな少女の姿を見たサラは、困ったように笑みを浮かべる女性へ視線を送った。

 

「申し訳ございません。よろしかったら、二階の部屋で少しお話を致しませんか?」

 

「え? え、ええ。こちらこそ、突然こんな事を言ってしまって、ごめんなさいね」

 

 メルエの変貌振りに驚いていた女性ではあったが、自分が発した言葉が原因である事を察し、サラの提案に了承を示す。サラに促されて二階へと上って行く女性の背中を見ながら、リーシャはカミュから彼の部屋の鍵を奪い取って、固まっているメルエを抱き上げた。

 当然のように唯一人の男性である自分の部屋で話し合いが行われる事実に溜息を漏らした彼は、湯浴みの準備だけを店主に依頼して階段を上り始める。暫し呆然と二階へ続く階段を眺めていた店主は、久方ぶりに訪れた客の為に慌しく動き始めた。

 

「私の名前はレナ。アッサラームの劇場で踊り子をやっていたわ。ただ、少し嫌な事が続いてね……劇場を飛び出して旅の一座として世界を回っている途中に……」

 

 カミュの部屋へと入ると、女性を椅子にかけさせ、リーシャとサラはそのテーブルの近くの椅子に腰を掛ける。その際にメルエはベッドに座らされ、その横にカミュが座る事となった。先程過ぎった嫌な記憶が少女の心を弱めており、メルエは続いて座ったカミュの膝の上へ移動する。そんな少女の我儘な行動に苦笑を漏らしながらも、その心を察したカミュは背中の剣を外してメルエを抱き抱えるように座り直した。

 女性が発した言葉は別段驚く内容ではない。年齢は隠せなくても、その美貌と愛嬌は健在であり、踊り子として成功を収めていた事は明白であったからだ。故に、アッサラーム出身となれば、踊り子であるという結論に達するのはそれ程おかしな事ではない。むしろあの町で武器屋を営んでいたといわれた方が驚いていただろう。

 それよりも、女性が口にした自身の名前の方にカミュとサラは驚いていたのだ。その名は、二人だけが聞いた名前である。あのアッサラームでアンジェから過去の話を聞いた際に登場した名前であり、アンジェと共にNo.1を争っていたトップクラスの踊り子の名前であったからだ。

 

「では、貴女はアンジェさんを……」

 

「アンジェを知っているのかい? あの人は元気でやっていた? 結婚するって息巻いていたから、今頃はあの旦那と女の子と幸せに暮らしているんでしょうね」

 

 サラが口にした名前を聞いたレナという名の女性は、身を乗り出すようにサラへ問いかける。このような自分が生まれた世界とは異なる場所に一人で投げ出されたのだ。彼女がどれ程の苦労をして来たのかなど想像さえも出来ない。もし、彼女が一人でこの世界へ落ちて来たのであれば、その美貌ゆえに男性に襲われるという経験もしているかもしれない。それこそ死んでしまいたいと願う程の苦痛を味わって来た可能性もある。それでも尚、五体満足で生きているのだから、抑え続けて来た望郷の念が溢れ出しても責める事は出来ないだろう。

 自分の好敵手であり、親友であった者の名を聞いたレナは、瞳に涙を浮かべながら過去を思い出している。陰湿で粘着質な客に悩まされながらも、煌びやかに踊り続けていた過去が輝いて見えているのだろう。だが、そんな彼女の心の旅は、申し訳なさそうに俯いたサラの言葉で終わりを告げた。

 

「……アンジェさんは亡くなりました。あのメルエを護って」

 

「メ、メルエって、貴女がアンジェの娘なの!? ああ……あの時はあんなに小さかったのに、こんなに大きくなって。辛かっただろうね……アンジェは本当に貴女を大切にしてたから」

 

 親友が死んでしまったという衝撃的な話を消してしまう衝撃がレナを襲う。思わず立ち上がったレナは、カミュの膝の上で冷めた瞳をしている少女の方へ視線を移し、ベッドの方へと歩き出した。そして、カミュが膝の上からベッドへ降ろしたのを見て、その小さな身体を抱き締めて涙を溢す。

 今や、彼女だけが赤子の頃のメルエを知る人物であるだろう。生みの親は父母共にこの世にはおらず、育ての母親もこの世を去った。一時期共に暮らしていた男は行方知れずである事を考えると、彼女だけが親友であるアンジェの死に涙し、その忘れ形見の成長を喜ぶ資格を有しているのかもしれない。

 

「いつもいつも、アンジェは貴女を劇場に連れて来ては、女将さんに怒られていたわ。貴女が泣けば踊りを中止して、貴女が笑えば誰よりも美しい踊りを踊った。アンジェにとって、貴女は宝物だったのよ」

 

 メルエの髪を優しく撫でながら昔を語るレナの言葉は真実なのだろう。彼女がアッサラームを飛び出す以前までのアンジェという女性は、メルエを溺愛していた事に間違いはないのだ。

 だが、彼女はその後のアンジェを知らない。愛していた男と、可愛がっていた後輩に裏切られ、身も心もボロボロになったアンジェが、その宝物に手を上げ、虐げて来た事を知らないのだ。故に、彼女とカミュ達の間には埋まる事のない温度差が存在する。最後に見せたアンジェのメルエへの愛情を見ているサラでさえも、何か居た堪れない想いに駆られていた。

 

「アンジェが私に語った夢でね、いつか、貴女と共に踊りたいって物もあって……。でも、貴女がもし踊り子に向いてなければ、貴女に楽器を弾いて貰いながら踊るんだって、笑いながら話していたわ。それを聞いていた私も呆れたし、いつも怒ってた女将さんも苦笑してた」

 

 そんなカミュ達の醸し出す空気に気付く事なく、レナは思い出話を語り続ける。踊り子にとって、他者との間合いを空気で読む事は必要であっても、お客が放つ空気には鈍感であった方が良いのかもしれない。

 それでも、先程まで無表情を通り越して氷のような瞳でレナを見つめていたメルエの顔から険が取れていた。記憶はなくとも、メルエなりにその愛情は感じていたのかもしれない。親の愛情というのは、注いだ者と注がれた者にしか解らない物も多いのだ。無償で注ぎ続けて来た愛情は、必ずその胸に残る。どれ程に上書きされても、辛い記憶が塗り潰して行っても、根本にある愛情の記憶は生涯消える事はないのかもしれない。

 だからこそ、虐待を受ける子供が自分の胸の奥にある暖かな愛情の記憶に縋り続けるという悲しい出来事も起こるのだろう。

 

「私もアンジェも楽器なんか弾けないのに……可笑しいでしょう? そうしたら、いつも恐い女将さんがね……大きくなって、貴女が楽器に興味を持つようになったら、笛でも教えてやろうかねって言ったのよ。貴女は教えて貰えたのかしら?」

 

 醒めていた気持ちに一気に熱が篭る。サラだけではなく、リーシャの瞳にまで涙が溢れた。

 メルエはオカリナという物限定ではあるが、笛を奏でる事が出来る。それは劇場の下働きとして出入りしていたメルエに最低限の芸事を教えた為であろうと考えていたが、その内情は想像以上に深い物であった。

 アンジェの変心振りに心を痛めていた劇場の主夫婦が下働きとしてメルエを引取り、食事を与えていたのも、過剰に優しさを与えずとも、何も知らないメルエが一曲を奏でる事が出来るまで笛を教えてくれたのも、そんな遥か昔の出来事が基因していると知る。誰からも愛されず、誰からも必要とされていないと思っていた少女の過去は、幾つもの小さな優しさに護られていたのだ。

 あの苦しく辛い日々が消える事はない。アンジェという義母がメルエに与え続けた虐待という事実が消える事も無い。それによって小さな心に刻みつけられた大きな傷は生涯癒える事もない。それでも、彼女がこれからも歩み続ける道の幅が、広がった事だけは確かであった。

 

「ご、ごめんなさい。懐かしくて、一気に話してしまったわね。このドムドーラも砂漠の町だから、アッサラームのように熱い夜を生み出すのかもと思ってここまで来たけれど、このアレフガルドという大陸の方が上の世界よりも恐怖に慄いているわ」

 

 頬を流れる涙の雫を恥ずかしそうに拭ったレナは、誤魔化すように自分の身の上を話し出す。アッサラームもイシスという砂漠の大国の傍にある町である為か、砂地の多い場所に建てられた町であった。夜の町と呼ばれる程に賑やかな場所だからこそ、人も集まり、物も集まっていたのだが、一踊り子にはその辺りは理解出来なかったのかもしれない。

 魔王バラモスが台頭していた上の世界ではあるが、魔物の数は増えても、世界が闇に包まれる事はなかった。その点から考えれば、上の世界よりもこのアレフガルドの方が人々の危機感や恐怖は強いだろう。それこそ、夢や希望全てが失われてしまう程に、人々の心にも厚い闇の帳が下ろされていた。

 

「大魔王ゾーマを討ち果たせば、アレフガルドを覆う闇も晴れます。その時には、ラダトーム王都や他の都市で踊る場所を探してはどうですか?」

 

「そんな日が来るのかしら……。でも、そうね、元気にやっていかなくちゃ。もし、アッサラームの劇場で旦那さんや女将さんに会った時、『元気でやっていた』と伝えられるようにしなくちゃいけないしね」

 

 この先の生活に不安を感じてはいても、良く言えば楽観的に将来を見る事が出来るのは、この踊り子の才能なのかもしれない。踊りの上手さではなく、その容姿と愛嬌でNO.1を争った踊り子に相応しい笑みを浮かべたレナは、何かを思い出したように部屋を出て行った。

 突然部屋を出て行ってしまったレナを呆然と見つめていたサラではあったが、何故か緊張してしまった身体をほぐすように、大きな息を吐き出す。そんなサラの様子を見たリーシャもまた、流れ落ちる涙を拭って照れ笑いのような笑みを浮かべた。

 すぐに襲い掛かる地獄のような時間を知る由も無く笑い合う二人の女性を余所に、メルエは眠そうに目を擦り、舟を漕ぎ始める。そんな時、先程出て行ったレナが勢い良くカミュの部屋の扉を押し開いた。

 

「良かったら、これを持って行って! メルエが大きくなった時に着ても良いし、貴女達のどちらかが……いえ、ごめんなさい、ちょっと無理かもしれないわね」

 

「なっ!?」

 

 扉を開いたレナが差し出したものは、先程武器屋で出された物とは異なる形状をした水着であった。魅惑を感じるような紫色の上下に分かれた水着は、水着というよりは踊り子の着る服のような形状をしている。下半身を隠す布の上から腰に巻くようなパレオもあり、それを着て踊れば、世の男性の目が釘付けになるであろう事が容易に想像出来た。

 だが、まさかレナにまで、その水着を着るのは難しいと駄目出しをされると思っていなかったサラは、顔を真っ赤に染め上げて言葉を失ったように口を開閉させ続ける。

 レナなりの好意なのだろう。もしかすると、この踊り子の服のような水着は、アンジェとの思い出の品なのかもしれない。それでも、そんな事を考える事が出来る余裕は、この一行の誰にも残されてはいなかった。

 

「そ、そのような物はいらないぞ!」

 

 怒声のようなリーシャの声がカミュの部屋に響き渡り、びっくりしたメルエが不満気な唸り声を上げる中、水着を持ったレナがおろおろと視線を彷徨わせるという奇妙な光景が広がる。我関せずを貫き通していたカミュの大きな溜息が吐き出され、そんな喧騒は宿屋の店主が湯浴みの準備が出来た事を告げに来るまで続けられた。

 その後、不機嫌そうに言葉を発しないサラを尻目にレナと共に食事を済ませ、カミュ以外の人間がリーシャ達の部屋に集まって遅くまで話し続ける。上の世界の事、昔のアッサラームの事、バラモスが討伐された事、上の世界に平和が近づいている事、様々な話を続けながらメルエが完全に眠ってしまうまでそれは続けられた。

 

 五年以上に及ぶ旅は、様々な出会いがあり、多くの別れがある。その中には二度とは会えない者も含まれてはいるが、そこから繋がる細い出会いがあった。

 人の出会いは稀有なものであり、不思議なものでもある。何処かで誰かと繋がり、その繋がりは決して悪い物ばかりではない。『人』という種族を嫌い、その交流を意図的に絶ち続けて来た青年の旅は、細々と繋がって来た『人』との繋がりによって切り開かれて来た。

 その繋がりが、青年を勇者へと変え、世界を変えて行く事になる。

 

 

 




読んで頂き、ありがとうございました。
ようやくドムドーラの町です。
この町は次話にも続きます。

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