新訳 そして伝説へ・・・   作:久慈川 京

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ラダトーム王都②

 

 

 

 宿屋で一泊した一行は、未だに明ける事のない夜の王都へと出る。朝と称する事が果たして本当に正しい事かも解らない空には、太陽も月も星さえも浮かんではいない。『まだ暗い』と愚図るメルエを無理やり起こし、手を引いて宿屋を出たサラは、真っ黒な空を見上げて、これから先の旅への不安を感じていた。

 王都から王城までの道は、王都を二つに分けるように中央にあり、東に向かって真っ直ぐに造られている。石畳で綺麗に舗装されたその道が、ラダトーム国の裕福さを物語っており、この場に太陽の輝きが有れば、カミュ達が生まれ育った大陸の中でも並ぶ物のない美しさを持っていた事が窺えた。

 

「メルエ? どうしたのですか?」

 

 王城へと続く石畳の道を歩いている最中に、先程まで目を擦りながら愚図っていた筈のメルエが、突如として立ち止まり、ある方向へと視線を向けた事で、サラも立ち止まる事となる。ラダトーム王都の中にまで魔物が入って来る事がない以上、それ程危険な物ではない事が解っているからこそ、サラは少し屈み気味にメルエの瞳の先へと視線を向けた。前を歩いていたカミュも振り返り、最後尾を歩くリーシャが追い着いた事で、全員がある場所へと視線を向ける事となる。

 その視線の先には幼い子供が何やら呟きながら腕を振っている姿が見えた。まるで何かの呪文を詠唱しているような姿に、サラもまた興味を引かれる。しかし、その幼い子が呟く詠唱が何なのか解らないメルエは、小さく首を傾げてサラを見上げていた。

 

「少し行ってみましょうか?」

 

「…………ん…………」

 

 メルエの視線に気付いたサラは、その少年に近付く為に歩き出し、リーシャと視線を交わしたカミュは小さな溜息を吐き出して戻って来る。サラとメルエが手を繋いだまま先頭を歩き、その後ろをカミュとリーシャが追うような形で少年へと近づいて行った。

 その少年は、メルエよりも歳が上であろう。十二、三歳と思われ、この世界で最初に会った舟漕ぎの少年と同年代のようにも見える。家屋の外で一人腕を振るうその姿は、サラにとっても、リーシャにとっても懐かしい物であった。

 魔道士の杖という媒体を使いこなす事が出来ず、それでも皆を護ると心に誓った幼い少女が、誰にも告げる事無く森の奥へと向かい、一人精神が尽きるまで杖を振るった姿に酷似していた。だからこそ、サラもリーシャもその少年の力になろうと考えたのだろうし、溜息を漏らしながらもカミュもまたそれを了承したのかもしれない。

 

「何をなさっているのですか?」

 

「…………なに…………?」

 

 一心不乱に腕を振るう少年に近付いたサラは、その少年の行動を問いかける。そして、メルエにしても珍しく声を発した。それ程、この少年の動きが不思議な物だったのだろう。突如近付いて来た四人の人物に驚いた少年は、今まで行っていた行動を隠すように戸惑い、その後不審そうに四人へと視線を向けた。

 警戒されている事を感じたサラは、少年の目線に合わせるように膝を曲げ、もう一度優しく問いかける。サラの優しさに対する嫉妬よりも、少年が行っていた行動への疑問が勝っていたメルエも、小さく小首を傾げて目線で問いかけた。

 

「将来……呪いを解けるように成りたいんだ。夜が終わらないような呪いは解けなくても、皆が苦しむような呪いは解けるようになりたい」

 

 サラの優しい瞳に警戒心を緩めた少年は、自分が続けていた行動の内容を少しずつ話し始める。それは、歳若い少年の未来としては華やかさに欠ける物でありながらも、聞いている者達の心に暖かな風を運んで来る内容であった。少年の優しい心がこの先いつまでも続く事を願いながら、自分の横で小さく首を傾げる少女を見てサラは小さな微笑を浮かべる。

 この少女の心も出会った頃から変わりはしない。全ての生物に対して偏見を持たず、その真意を見つめ続けている。小動物や草花を愛し、自分より弱い物としてではなく、対等の生物として見ていた。自分に笑顔を向けてくれる者を大切にし、自分を護ってくれる者を護りたいと心から願い続ける。そんな彼女だからこそ、皆が笑顔を向けてくれているのだという事を、彼女自身は気付いていないのだろう。

 

「呪いを解く呪文……シャナクを覚えたいのですか?」

 

 笑みを浮かべながら腰を屈めたサラは、少年の目を真っ直ぐに見つめ、その真意を問いかける。太古からある様々な呪いを解く事の出来る呪文と言えば、サラは一つしか知らない。それは『経典』にも『魔道書』にも記載されていない呪文であり、『裏魔道書』として別管理された呪文であった。

 宮廷魔術師と呼ばれる高位の者でも契約は出来ず、それを行使する事の出来る者となれば皆無に近い。以前、一行の中で話題に上がった際には、己は行使出来るとメルエが胸を張った事があったが、おそらく世界中を探しても、行使出来る者はサラとメルエ以外にはいないだろう。

 

「え!? おばさんは呪いを解く呪文が使えるの!?」

 

「お、おばさん!?」

 

 行使したいと考える呪文の種類も、その理由も、他者の事を考えての物である少年の想いに頬を緩めていたサラは、その少年の口から飛び出した単語に言葉を失ってしまう。

 既にアリアハンを出立してから四年以上の月日が経過しており、サラの年齢も二十二に近付いていた。だが、それでも彼女は未婚の若き女性なのであり、目の前にいる少年の倍も生きてはいないだろう。故に、その言葉は衝撃的で心に突き刺さる程の物であった。

 思わず崩れ落ちそうになるサラを不思議そうに見ていたメルエであったが、その少年が発した言葉によってサラが傷ついた事を察すると、瞳を細めて厳しい視線を少年へと送る。

 

「…………おばさん………じゃない…………」

 

「ご、ごめんよ」

 

 自分よりも年下の少女から注がれる厳しい視線を受けた少年は、思わず頭を下げてしまった。それは、目の前の少女が纏う膨大な魔法力に気圧されてしまったからなのかもしれない。

 シャナクという呪いの解除呪文を修得しようとする少年であるのだから、少なからず魔法力を有しているのだろう。だからこそ、メルエという少女が纏う魔法力の強大さに気付いたのだ。それは、自分など一瞬にして消されてしまうという確信に似た恐怖と同じ物であった。

 小さく頭を下げる少年の姿に怒りを納めたメルエは、『許してあげて』とでも言うようにサラを見上げる。メルエが同年代の人間を庇う事は珍しい。もしかすると、魔法という神秘の高みを目指す少年に、彼女も何か共感を得ていたのかもしれない。

 

「私の名はサラといいます。もし、貴方が今の想いのまま、将来多くの方々を救ってくださるのならば、私がシャナクをお教えしましょう」

 

「ほ、本当に!?」

 

 メルエの視線を受けた事で我に返ったサラは、一つ咳払いをした後、威厳を見せるように少年へと口を開いた。その姿は、少年からは神々しく映ったかもしれない。だが、後方にいるリーシャやカミュからすれば、メルエと同じような背伸びをした子供のようにしか見えなかった。

 肩を震わせるように笑いを堪えるリーシャを鋭い視線で睨み付けた後、サラは地面に魔法陣を描き始める。それは、本来は裏魔道書という国家管理の書物にしか記載されない物ではあるが、実は『悟りの書』にもしっかりと記載されていたのだ。

 古の賢者の一人が、その呪文によって救われる人が一人でも多くなるのならばと、人の間に伝わる『魔道書』に記載したという経緯があるのかもしれない。だからこそ、メルエの修得が済んでいるのであるし、賢者であるサラも修得する事が出来たのであろう。

 

「貴方の魔法力は余り多くはありません。大人になれば、今よりも多くなるかもしれませんが、この呪文を何度も行使出来るようにはならないでしょう。それでも良いですか?」

 

「うん! 一日に一度でも良い。一日に一人は呪いを解く事が出来るから」

 

 描いた魔法陣へ少年を誘導する際に、サラは忠告を口にする。この世界にいる人間達全てを見た訳ではないが、サラはこの世界の住民達が、向こうの世界の住民達よりも魔法力が少ないと感じていた。それは、一部だけなのかもしれないが、それでも向こうの世界で生きる宮廷魔術師程度の魔法使いや、教会の司祭などの魔法力を持つ者も皆無である事が予想される。上の世界と下の世界の人間では、その魔法力の質や量に差が有るのかもしれない。

 その差の理由は解らないが、それでも高位呪文であるシャナクという呪い解除呪文を何度も行使出来る者ではない事は確かであった。上の世界と呼ばれる場所で生きる魔法使いの中でも、限られた者しか修得出来ない呪文である。とてもではないが、魔法力も少なく、更には年端も行かぬ少年に修得出来るとは思えない。

 そう考えたリーシャが言葉を発しようとしたが、それはカミュによって止められた。

 

「魔法に関してだけは、アレが一番上に居る。アレが可能だと言えば、それが正しいのだろう」

 

「……そういうものか?」

 

 リーシャはカミュが口にした言葉に、不思議そうに首を傾げながら頷いたが、その内容に改めて気付き、嬉しそうに頬を緩めた。カミュのそれは信頼の証である。何度も何度も確認はして来たが、彼の信頼を勝ち取ったサラを誇りに思うと同時に、曇りなき眼でその人間性を見つめる事の出来るカミュを嬉しく思うのだ。

 カミュの横で腕を組んで見守るリーシャの顔は優しい笑みを湛えている。勇者一行という特出した能力を持つ中でも魔法という神秘に特化した二人が未来を夢見る少年に力を分け与えるその姿に、このアレフガルドの輝く未来を見たのかもしれない。

 サラが自分の描いた魔法陣の中心に少年を導き、メルエが少年にその場所に座る事を指示する。自分よりも幼い姿の少女に指示される事に若干違和感を覚えながらも、大人しく魔法陣の中へ入った彼は、そのまま魔法陣の中央に座り込んだ。

 魔法の才がないリーシャであっても、少年が座ると同時に、魔法陣を模る文字が微かに光った事が解った。だが、それも一瞬の事で、その光は少年を包み込む事もなく消えてしまう。その光が少年にも微かに見えていたのだろう。不思議そうに空中を見上げた彼は、即座に不安そうな瞳をサラへと向けた。

 

「大丈夫ですよ。これで、貴方がシャナクを契約出来る準備は整いました。もう少し大人になり、契約が可能な時期になった時、もう一度この魔法陣を描いて中に入って下さいね」

 

「…………だいじょうぶ…………」

 

 不安になっている瞳には、優しく微笑む女性が映る。頭部にサークレットを嵌め、そこには印象的な深い青色の石が埋め込められている。その石に映り込む自分を見つめている少年の心に不思議な安堵感が生まれて来ていた。

 絶対的な安堵感が生まれるようなその笑みは、成長期に差し掛かったばかりの少年の心の中に焼きつき、彼を突き動かす将来の原動力となって行く。憧れであり、目標であり、夢となるその女性は、彼の中で永遠に輝き続けるのかもしれない。

 

「ありがとう。毎日、試してみるよ」

 

「…………だめ………おおきく……なってから…………」

 

 先程の不思議な光景が、自分が願い続けていた魔法の修得の準備段階であった事を告げられた少年は、満面の笑みを浮かべてサラに対して頷きを返し、努力を怠らない事を誓う。しかし、その誓いは、自分よりも幼少に見える少女によって否定された。

 若干の不満を持って少女へ視線を向けた少年であるが、少女の言葉に笑顔で頷く女性を見て、しぶしぶ了承の頷きを返す事となる。今の自分ではシャナクという名の解呪魔法の契約が無理であると断言されたに等しくはあるが、絶対に無理だと言われた訳ではない。むしろ、可能な年齢となれば、契約が完了する事を示唆されたと言っても過言ではなかった。

 導かれた少年は、後にこのアレフガルドで暮らす多くの者達を救い、そして彼の子孫が後世で不思議な縁を感じる事となる。

 

「あれで大丈夫なのか?」

 

「はい。魔法使いや僧侶としての才はないと思いますが、シャナク一つだけを突き詰めて行くのならば、行使する事は可能だと思っています。それに、あのような志を強く持つ少年をルビス様が見放す訳がありませんから」

 

「…………かぜ………でた…………」

 

 嬉しそうに微笑む少年の許を離れたサラとメルエは、後方で待つ二人の許へと向かう。笑顔で待っていたリーシャからの問いに、はっきりと答えたサラの表情は、正しく『賢者』と名乗るに相応しい物であった。

 その大いなる能力を有しながらも、その力を無闇に振るう事無く、後世の人間達へと伝えて行く。それが『賢者』と呼ばれる者の使命でもある。矮小でありながらも、最も強欲である人間という種族が、その力によって道を間違える事のないように見守る義務を持ち、正しき道を指し示し続けなければならないという責務を負うのだ。

 自分が見た事を誇らしげに告げるメルエに柔らかな微笑を浮かべるサラを見たリーシャは、彼女の中に太い芯のような物が一本出来上がり始めているのだと感じる。だが、それは未だ危うい感が否めない。

 

「では行こうか」

 

「はい」

 

 サラという賢者は、この四年の中であらゆる経験を積んで来た。その度に苦しみ、悲しみ、悩み、泣いて来たのだ。だが、彼女はまだ真の苦しみを知らないだろうとリーシャは見ている。確かに魔物によって目の前で両親を殺された事は、彼女の心の傷となっているだろう。それでも、その後の神父から与えられた愛は本物であり、復讐という憎しみを捨て去る事は出来ずとも、その傷は過去の物となっていた。

 身を引き裂かれるような想い、涙を流せない程の悔しさ、血が出る程に握り締めた拳。そのような状況に、彼女はまだ陥ってはいない。

 自分の価値観を否定された事はある。打ちのめされて倒れ込んだ事もある。苦悩し、嘆き、涙した事もあるが、それは全て自身の内なる問題ばかりであった。トルドの娘のアンの事も、エルフの女王の娘のアンの事も、どれだけ人の業を感じて悩んではいても、他人の苦しみである事に違いはない。

 いつか、彼女自身がその苦しみと悲しみ、そして嘆きを再び味わう時、その時は最早記憶の片隅へと追いやる事の出来る年齢ではないだろう。幼い自身の心を護るという自衛手段が取られる事はないのだ。真っ直ぐにその苦しみとぶつかり、その悲しみを受け止めなければならない。

 もし、この世界に誕生したサラという『賢者』が完成する時があるとすれば、その全てを乗り越える事が出来た時だろうとリーシャは考えていた。

 

「あれ? あの作業場にいる人って……」

 

「ん? おい、カミュ!」

 

 そんな考えに没頭していたリーシャは、不意に掛けられた声に我に返る。彼女の少し前を歩いていたサラは、メルエの手を引きながらとある方向へ視線を向けていた。その方角へ何気なく視線を移したリーシャは驚愕の声を上げてしまう。呼び止められたカミュもまた、その方角へ振り向き、珍しく目を見開いた。

 その場所はサラの言葉通り、作業現場である。新しく家屋を建てようとしているのだろう。大柄な男性が木材を肩に担いで、周辺に居る男性達に声を掛け回っている。木造の家屋が多いのは、急普請の物ばかりだからだろう。上の世界と呼ばれる場所から来た者達の多くは、このラダトーム王都に押し寄せている。難民達がスラム街を形成する前に国家によって家屋を立て、その借金を徴収する方が国の政策としては良策なのだ。

 もしかすると、このラダトーム国自体の財政がカミュ達が考えるよりも豊かなのかもしれないが、あの家屋が上の世界からの難民の為に造られている事だけは確かだろう。

 

「カ、カンダタさん!」

 

 そのような国家事情よりも、今はそんな作業現場を仕切っている大柄な男性の事であろう。サラの叫び通り、その男性の容姿は、彼等四人と浅からぬ因縁のある者に酷似していたのだ。

 カミュ達三人がメルエという少女に出会う機会を与える事となり、サラという平凡な僧侶が、人類を救うと謳われる『賢者』へ転職する程の成長の機会を与える事となった原因。一地方の盗賊団だった集団を一国を脅かす程の集団へと変えてしまった男である。

 遥か昔に存在したと語り継がれる義賊の名を継承したその男は、己の罪を理解して尚、勇者一行と二度に渡る死闘を繰り広げた。そして、後に『賢者』となる女性の苦悩の末に救われた彼は、重ねて来た罪を償い続ける人生を選び、苦しい道を歩み始めていた筈である。

 そんな男が、異世界であるアレフガルドで大工のような事をしているのだ。カミュでさえも驚くのは無理もないだろう。

 

「ん? お、おお……おお! お前達か!?」

 

 自分の名を呼ぶ声で振り返った大柄な男もまた、予期せぬ遭遇に動揺し、言葉に詰まる。声を発したであろう女性の姿に戸惑うが、その後ろに控えている青年と女性の顔を見て、その素性に思い至ったのであろう。

 最早、カンダタという男と別れてから三年以上の月日が経過している。カミュという勇者は、僅かに残っていた少年のような幼さは消え、精悍な青年へと成長していたし、背丈に関しても今や女性戦士と同じ高さへと変貌していた。隣に立つリーシャは姿形こそ然程変わりはないが、その瞳からは完全に迷いは消え、溢れ出す優しさと慈愛が周囲にいる者達を包み込んでいる。それは彼女が浮かべる笑みを見ていれば自ずと解る物であった。

 唯一人、あの頃と全く変わらない幼い少女だけは、青年のマントの中へと逃げ込み、表情を無くしたような顔でカンダタを見つめていた。

 

「随分変わっちまったな……誰だか解らなかったぞ」

 

「あ……僧侶帽や法衣を纏っていませんでした」

 

 サラの前まで移動したカンダタは、額の汗を布で拭いながら豪快な笑みを浮かべる。それは、カンダタ一味と恐れられた盗賊団の中でも限られた七人の者達しか知らない優しい笑みであった。

 あの頃のサラは迷い、悩み、苦しんでいた。僧侶として生きて来た彼女の価値観が何度も覆され、目の当たりにする人の業が彼女の信じて来た全てを打ちのめしていたのだ。ルビス教の信者である象徴の法衣と僧侶帽を身に着け、歪められた教えを信じていた彼女は、この一行の中で最も不安定な存在であっただろう。カンダタの言葉の中には、そういう思いも含まれていた。

 つまり、今のサラは、最早この一行の足手纏いに成り得る存在ではないと映ったのだ。

 

「改めてあの時の礼をさせて貰うよ。アンタのお陰で、こうして他人の役に立てる。これで償えるような軽い罪ではないが、少しずつ返して行こうと思っているんだ」

 

「い、いえ……私はそのような事は。それよりも、どうしてアレフガルドへ?」

 

 静かに頭を下げたカンダタは、心からの感謝を伝える。彼の言葉の一言一句に想いが詰められており、それを感じたサラは慌てて手を振った後、即座に話題を変えた。彼女の疑問は、この場に居る一行全員が感じた疑問でもあり、上の世界の人間達がギアガの大穴を通らずにどうやってアレフガルドに辿り着いたのかという根本的な疑問でもあった。

 ギアガの大穴というのは、魔王と恐れられたバラモスの居城の傍にある。カミュ達であっても、ラーミアという霊鳥が居なければ降り立つ事の出来なかった場所であり、通常の人間がその穴から下の世界へ落ちる事は不可能であった。それにも拘らず、このアレフガルドには多数のガイア世界からの来訪者がいる。それは他の行き方があるという事実に他ならないのだ。

 

「バハラタでの一件の後、辛うじて出ていた船などを使って色々な場所を回っていたが、定住が出来るような場所がなくてな。途方に暮れそうになっていた時に、巨大な地震が起きた。その地震はかなり長く続いて、それによって生じた地割れに飲まれちまったのさ。気付いたら、このアレフガルドに居たって訳だ」

 

「……巨大な地震ですか?」

 

 このアレフガルドを下の世界と称する以上、異世界からの来訪者は上層から落ちて来ると考えられる。だが、上の世界の地面の先にこの世界があるという訳ではないだろう。たまたま、その地割れの闇にアレフガルドへの繋がりが出来てしまったと考えるのが自然であった。

 このアレフガルドに来た上の世界の者達の多くは、そのような地割れに飲み込まれたと考えても良いだろう。全てが全て、カンダタ同様に地震で出来た地割れではないだろうが、ガイア世界のあちこちにはそうした地割れが幾つも生まれているのかもしれない。

 

「カミュ……可能性の話でしかないが、ネクロゴンド火山の噴火の影響だろうか?」

 

「可能性は否定出来ないな」

 

 カンダタと別れてから遭遇した大地震となれば、ネクロゴンド火山の火口へガイアの剣が落ちたあの時以外ない。巨大な火山の大噴火があったのだから、世界中で大なり小なりの地震が起こった可能性は高いだろう。その中で、震源地の近くであれば、多少の地割れが生まれていても不思議ではなかった。

 魔王バラモスへと続く道を切り開く為とはいえ、火山が噴火してしまったのはカミュ達が原因である。そうなると、このアレフガルドへ落ちた大半の人間は、世界を救うと謳われる勇者一行の歩みの犠牲になったと言えるだろう。それをサラに聞こえないように呟いたリーシャに向かって、カミュは静かに肯定を返した。

 

「まぁ、向こうの世界では償う場所さえもなかったからな。俺としてはこっちの世界に来れて良かったと思っている。このラダトームの城に『太陽の石』という宝物があると聞いた時には、昔の血が騒いだが……あ、いや、本当に真面目に働いているさ」

 

 カミュやリーシャの罪悪感を余所に軽口を叩いたカンダタは、無表情を貫いたメルエの視線と、厳しく細められたサラの視線を受けて、慌てて弁明を始めている。彼としては再会の中で交わす軽い冗談のつもりだったのだろうが、元々彼を信用していないメルエと、彼を逃した事で様々な苦しみを味わったサラとしては、とても看過出来る内容ではなかったのだ。

 とは言えども、先程まで材木を抱えながら汗を流していた彼を疑っている訳ではない為、サラは即座に瞳を緩め、柔和な笑みを浮かべる。

 

「わかっていますよ」

 

「そ、そうか……だが、このアレフガルドには言い伝えのような宝物が多くあるらしい。ここから東の小さな大陸にはマイラという村があって、『妖精の笛』という宝物があるそうだ。その笛にどんな言い伝えがあるかまでは知らないがな」

 

 サラの笑みに胸を撫で下ろしたカンダタは、元盗賊の棟梁らしい情報をカミュ達へと提供する。様々な伝承のある宝物らしいが、この世界に来て日の浅い彼では、今のところは余り深くまで探る事は出来なかったのだろう。それでも、このアレフガルド世界の右も左も解らない状態のカミュ達にとってはとても有力な情報であった。

 このラダトームにて国王と謁見した後の行き先が一つ決まる。それは地図もなく、太陽も昇らない場所ではとても有益な事である。ただ、それはカンダタが口にした宝物に何の力があるのか、何をする為に必要なのかという情報を仕入れた時、宝物の情報が何かを成す事だろう。それでも、方向性だけでも定められた事だけでも意味があったのだ。

 

「色々と教えてくださり、ありがとうございます。こちらでのお仕事、頑張って下さい」

 

「二度と会う事はないと思っていたからな。アンタとの約束は必ず護るよ。俺も大工のような力仕事が天職だったようだしな。何故か、こっちの世界の人間達は、力が弱い者達が多いみたいだ」

 

 異なる世界に来ても、交わした約束を護り続けていたカンダタに向かってサラは満面の笑みを浮かべる。

 彼がこのアレフガルドの地を踏むまでの数年間は想像を絶する苦難があった事だろう。だが、それでも彼は諦める事無く、そして決して楽な道へ戻る事をせずに、ここに辿り着いたのだ。それだけでも、彼は罪を償う為の道に踏み入れたと言っても過言ではない筈である。

 サラが笑みを浮かべ、それに豪快な笑い声で返すカンダタを見つめながら、柔らかな笑みを浮かべるリーシャとは別に、カミュは何処か難しい表情で考え込んでいた。それは、カンダタの言葉の何かに引っ掛かりを覚えたからなのかもしれないが、彼のそんな表情に気付いたのは、そのマントの中で不満気な顔をしていたメルエだけであった。

 

「だが、お前達がアレフガルドに来たという事は、本当に魔王バラモスを倒したのだな! 他の自称勇者達とは違うとは思っていたが、お前達ならばアレフガルドを闇に覆う大魔王なんて奴も倒せるだろうよ」

 

「……最大限、努力します」

 

 笑みを浮かべていたリーシャは、今のサラの言葉を振り返る。彼女は決して安請け合いをしていない。それは今までとは少し態度が異なっているだろう。魔王バラモスを倒す為に出立した旅の途中では、『必ず倒します』と明言した事もあるし、それを相手に約束した事もあった。

 サラは自分では気付いていないだろうが、そこまでの旅路の険しさと、大魔王ゾーマという存在の理由を探っているのだ。人間至上主義という凝り固まった考えから脱却した彼女だからこそ、人間も、エルフも、そして魔物でさえも幸せに暮らせる世界にする為に何が必要なのか、何を成すべきなのかを日々考えているのだろう。

 リーシャは彼女達の剣であり、盾である。だからこそ、道を模索し続けるサラの想いを嬉しく思う。魔物だから悪という考えに執着する事無く、その力の使い所を考えるサラこそ、やはり『賢者』の器なのだと、改めて実感したのだ。

 残るは、『賢者』の完成を待つだけとなる。

 

「アンタらしくないな? 俺は、アンタがこの一行の足枷だと思っていた。だが、バハラタで再戦した時、俺が間違っていた事を理解したよ。アンタはもっと自信を持て! アンタによって救われた人間も、魔物も多いのだろう。その救われた者達が未来を作って行くんだ。それに、アンタの後ろには、どんな苦境も跳ね返してくれる仲間がいる筈だ」

 

「……は、はい!」

 

 カンダタの言葉に瞳を潤ませたサラは、力強く頷きを返す。

 彼女は一人で悩み、苦しみ、そして泣いて来た。だが、彼女が再び前を向いて歩き始める時は、必ず誰かが支えてくれていたのだ。それは、姉のように慕うリーシャであったり、妹のように可愛がっているメルエであったり、いつも無口でありながら核心を突くカミュであったり様々ではあるが、彼女は一人で立ち上がった訳ではない。

 サラという凡庸な僧侶が、魔王を倒す旅に同道し、その途中で『賢者』として世界唯一の存在となれたのは、彼等三人の存在が不可欠であった。他のどのような人間と旅をしようと、あのままアリアハンという国の教会で過ごそうと、彼女は『賢者』には成り得なかったであろう。

 逆に言えば、彼等三人と共にいるからこそ、彼女は『賢者』なのである。

 

「じゃあ、俺は仕事へ戻るよ」

 

「はい。お元気で」

 

「悪事を再び働いた時には、私達が必ずその首を貰い受けに来るからな」

 

 別れの挨拶は簡易な物であった。サラは柔和な笑みを浮かべ、リーシャは軽口を叩く。カンダタはその軽口に苦笑を浮かべて胸を叩き、そのまま建設作業へ戻って行った。

 四年近く前に出会った頃は、悪党の棟梁として絶大な統率力を発揮していた。カミュとリーシャという魔王へ挑もうとする者達二人を一度に相手しても引けを取らない程の力量を持ち、逆に勇者一行を追い込む程の戦闘経験を持っていたのだ。

 二度目の対戦ではその関係は逆転していた。魔王バラモスへ近付く小さな一歩を歩み続けて来たカミュ達は、僅か一年の月日で大きく成長する。既に人間という枠では納まる事が出来ない程の力を有し始め、カンダタを遥かに凌駕する。カミュという勇者の輝きを有し始めた青年一人に敗北した彼は、己の人生を償う覚悟をした。

 そんな彼が別世界で汗を流して働いている。彼を取り巻く者達は、純粋に彼の仕事ぶりを賞賛し、共に働いている事が解る。皆が笑みを浮かべながら、徐々に形を成して行く家屋に瞳を輝かせ、新たに訪れる輝く未来へ想いを馳せているのだ。

 それは、サラという『賢者』が生み出した奇跡の一つなのかもしれない。

 

「メルエ、いつまでもそんな顔をするな。メルエが感じた恐怖も、苦しみも、悲しみも、忘れろとは言わない。だが、それを許す事の出来る心を育んでくれ。悪人が善を積み重ね、今まで真っ当に生きて来た者達と同等の暮らしをするまでの道は険しい。それでも、隠れもせず、隠しもせず、その道を歩もうとする者を蔑んではいけない。カンダタは死ぬまでの長い時間を、苦しみと悲しみに捧げたのだ」

 

「…………むぅ…………」

 

 しかし、サラが生み出した奇跡のもう一つは、そんなカンダタへ険しい表情を向けていた。彼女としては、自分を奴隷として攫った者達の棟梁に良い感情は持っていないだろうし、更に言えば、自身の唯一の友であるアンを殺害した一党の棟梁へ憎しみさえ持っていてもおかしくはない。

 そんなメルエを抱き上げたリーシャは、ようやく表情を戻した少女に言葉を投げかける。カンダタの人間性を考えると、おそらく自分が犯して来た罪を隠しはしないだろう。それを誇示する程愚かな者ではないが、それを隠す程臆病でもない。自らが犯した罪の重さを自覚し、それに対する蔑みの視線も、憎しみの感情も甘んじて受ける道を選んだ筈なのだ。その上で、彼はこのアレフガルドの地で受け入れられた。それが、彼の努力の度合いを明確に物語っている筈である。

 

「メルエがそんな感じだと、昨日メルエが倒したスライムも、メルエの事を許してはくれないぞ?」

 

「…………むぅ…………」

 

 頬を膨らませていた少女は、リーシャの言葉で更に頬を膨らませる。昨日の戦闘で、スライムベスに攻撃したのはメルエだけであり、打ち倒したのはメルエ唯一人であった。つまり、スライムベスが怒りや憎しみを向ける相手も、メルエだけとなるとリーシャは言っているのだ。

 魔物に人間的な感情があるかどうかは別にしても、魔物との対話を望む幼い少女にとって、それは全力で拒否したい事柄なのだろう。難しい顔で唸り声を上げながら、最後にはリーシャの肩に顔を埋めてしまった。

 

「行くぞ」

 

 今まで事の成り行きを黙って見ていた青年の言葉に、ようやく一行は歩みを再会する。両脇に灯された松明の灯りに照らされた石畳を真っ直ぐ東の方角へ進んで行く。王都の外れには、様々な木々が植えられており、太陽の恵みさえあれば数多くの花々が咲き誇る美しい庭園である事が窺えた。

 小さな昆虫達が動き回る庭園は、本来ならばメルエの格好の遊び場となるのだろうが、闇の中では小さな虫達の姿は見えない。地面に下ろされてリーシャと手を繋いで歩く少女は、少し残念そうに草花の方へと視線を向けていた。

 庭園を抜けると、一際大きな松明が灯された城門が見えて来る。アリアハン城の城門などとは比べ物にならない程に巨大な城門には凝った装飾が施され、城自体は王都を囲む外壁とは別の城壁によって囲まれていた。

 

「上の世界から訪れました。大魔王ゾーマ討伐に際し、ラダトーム国王様への謁見を望みます」

 

「……カミュ様」

 

 城門を護るように立つ門兵によって行く道を遮られたカミュは、謙る事もなく、真っ直ぐに門兵を見つめて口を開く。その内容は、ここまでのカミュを見て来たリーシャやサラにとっては予想外の物であった。それにサラは驚きの声を上げるが、リーシャは柔らかな笑みを浮かべて青年の背中を見つめる。

 彼等四人は、魔王バラモスを討ち果たした強者である。今この時、大魔王ゾーマを討伐出来る者がいるとすれば彼らだけであり、それを自負する事は自惚れではない。

 奇妙な組み合わせの一行が放った事の内容に、門兵は訝しげな視線を送り、自分達では判断出来ない事として、一人の門兵が城の中へと入って行く。暫く待つと、戻って来た門兵がもう一人の門兵へと声を掛け、勝手口から戻って行った。

 

「開門!」

 

 勝手口からカミュ達を通す訳ではなく、重く巨大な大手門がゆっくりと開き始める。重々しい音を立てながら開く門の前には、歪な組み合わせの四人の若者達が立っていた。

 後世へと語り継がれて行く伝説が、今、幕を上げる。

 

 

 

 




読んで頂き、ありがとうございました。
大変遅くなってしまい、申し訳ありません。
年内にもう一話は更新したいと思っています。

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