新訳 そして伝説へ・・・   作:久慈川 京

211 / 277
竜の女王の城

 

 

 

 イシス城下町で一夜を明かした一行は、ラーミアの背に乗り込み、再び上空へと舞い上がる。オアシスの湖が朝陽を反射して輝き、砂しかない砂漠を黄金色に輝かせていた。ラーミアの背中から見える景色に目を輝かせたメルエが身を乗り出し、それを諌めるサラの声が響くという一連のやり取りもいつも通りである。

 彼等の目的地は、北東の大陸。カザーブの東部に位置する森と山に囲まれた場所であった。アリアハンを出立してから四年以上の月日が流れる中、一度も上陸した事のない場所であり、一度も通過した事のない場所である。

 

「メルエ、アッサラームが見えますよ」

 

「…………むぅ…………」

 

 上空へ舞い上がったラーミアは、そのまま東へ進路を取り、アッサラームの上空から北へと進路を変える。その際に見えた、夢と現実が交差する町の姿にサラが声を上げた。しかし、その声に反応したメルエは何処か不服そうに頬を膨らませる。彼女にとって余り良い思い出のないその場所は、今でも彼女の心に蟠りを残しているのだろう。

 小さな苦笑を浮かべたサラは、メルエの頬を両手で挟み込み、頬を萎ませた後で笑みを溢す。その笑みを見たメルエもまた小さな笑みを浮かべた。

 

「サイモン殿の亡骸の場所をサマンオサ国王様にお伝えしなくても良かったのか?」

 

「あの牢獄の存在が広まれば、ようやく治まりを見せた国に新たな火種を生む事になる。それに、英雄には英雄の役割がある筈だ」

 

 アッサラームを北へ進むと、巨大な湖があり、その中心に浮かぶ小島を見つけたリーシャはカミュへと問い掛ける。その場所には地下へと続く牢獄があり、食べ物も水もないその場所は死しか見えない場所でもあった。

 その場所にあったのは、サマンオサの英雄の亡骸。既に事切れて十数年の時間が流れており、肉も皮も無くなり、骨さえも風化した部分が多くある物であった。サマンオサの新たな英雄となった彼の息子であるサイモン二世は、父であるサイモンの居場所を探していた筈である。人としての情けがあるならば、その場所を教える事が当然の義務であろう。

 だが、それをカミュは否定した。彼にとって、サイモンという存在は過去の人間なのである。今、新たな道を歩み始めたサマンオサ国にとって、その存在は害悪にしかならない。心苦しい事ではあるが、サマンオサ国家は過去を忘れずとも、振り返る事無く進む時なのだ。そこに、あの惨い牢獄の存在を伝える事は、情の上に於いては正しい事でも、政治上は愚行にしかならないだろう。

 そして、カミュが言うように、『英雄には英雄の死に様がある』のかもしれない。英雄の役割は、戦いで勝利を勝ち取る事だけではない。その死もまた、意味のある物でなければならないのだ。

 当代の勇者である彼が、それをその身で証明している。

 

「オルテガ様にもその役割はあるのか?」

 

「……遺骸が残っているだけ、サイモンの方が上だろう」

 

 吐き捨てるように溢したカミュの言葉に、リーシャは小さな笑みを浮かべる。決して許す事の出来る発言ではない。死者を冒涜するような発言である事は理解しているが、それでも彼の小さな変化に喜びを感じてしまう自分に彼女は笑みを溢してしまったのだ。

 『英雄オルテガ』の名が出て来る時、これまでならば、彼は頑なにその口を閉ざしていた。鼻で笑い、他人の事のように語る事はあっても、その存在自体を明確に認めた発言は初めてかもしれない。『サイモンの方が上』という事は、それ以下であっても、オルテガもまた英雄としての役割を担っていた事を認めているのだ。

 魔王バラモスを討伐した事によって、彼もその偉業を一人きりで成し遂げる事が不可能である事を理解したのだろう。それでも世界各国に残るオルテガの名が、英雄として魔王バラモスの許まで辿り着いていた事を示していた。その功績は、カミュでさえも認めざるを得ない状況にまで達していたのだ。

 

「……お前は死ぬなよ。それだけは、絶対に許さんぞ」

 

「死すら許されないのか……残酷な話だ」

 

 笑みを消したリーシャは、真剣な表情でカミュを睨みつける。その言葉は、勇者として確立したカミュに対する願いであり、命令でもあった。そんな言葉を聞いたカミュは、口端を小さく上げ、苦笑を漏らすように笑みを溢した。

 英雄として生きて行く道と、勇者として行きて行く道は異なる物かもしれない。英雄としての役割、勇者としての役割、その違いはリーシャには解らない。だが、それでもその先にある未来が、天寿を全う出来ない死ではならないというのが彼女の信じる勇者の道であった。それはとても厳しく、とても重い願い。それと同時にとても優しく、とても暖かな想いでもある。

 メルエとじゃれ付いていたサラも、二人のやり取りを聞きながら笑みを溢し、そんなサラを見たメルエも花咲くような笑みを浮かべていた。

 

「…………おしろ…………」

 

「え? あっ、本当ですね。山脈に囲まれた森の中央に大きなお城が見えます」

 

 そんな和やかな空気の中、再びサラの脇を抜けたメルエが地上に大きな建物を見つける。

 基本的に、メルエの言葉遣いはサラを真似ている節がある。言葉自体を流暢に話す事の出来ないメルエである故に単語のみにはなるのだが、馬や城などの頭に「御」という言葉を付ける事が多かった。

 メルエが見つけたその城は、アリアハン城の倍近く有る敷地面積で建てられており、この世界の人間が建造した物とは異なる風貌をしている。通常の国家の城には周囲に城下町が存在し、多くの国民が生活する住居などがあるのだが、その城にはそれが存在していなかった。

 煉瓦や石を組み合わせて建造する『人』の城は、本来敵襲に備えた造りとなり、堀に水が張られていたり、跳ね橋を架けたりする物が多い。しかし、この巨大な城は、まるで自然が造り出したような形状で、堀も無く橋も架かっていない。それでいて、難攻不落の城のように悠然とその場に建っていた。

 

「この辺りに国家などあったか?」

 

「いや、私が知る国家は、六つしかない」

 

「そうですね……アリアハン、ロマリア、イシス、ポルトガ、エジンベア、サマンオサの六カ国。その他に神殿のような物はありましたが、神殿には見えませんね」

 

 メルエの見つけた城の上空を旋回するラーミアの上で、カミュはその城の所持国を考えるが答えは出ない。リーシャに問い掛けてみるも同様であり、サラもまた一つ一つの国家の名を出しながら考えるが、それらしい物は思い当たらなかった。

 何処かの国家に属する支城であったとしても、人が入り込む事の出来ない程の険しい山脈に囲まれた森の中に建造する意味がない。砦や支城という物は、本城への補給路の確保や他国からの侵攻への備えとして建造するのが常識であり、誰も入り込めない場所に建てる意味はないのだ。

 誰も入り込めないという事は、この場所に元から暮らしていた者達が建造したものか、それとも『人』ではない者が建造したとしか考えられない。

 

「…………おりる…………?」

 

「どうしますか?」

 

 幼い少女は皆が行く場所に行くだけ。当代の賢者は考えるが決定する事はない。彼等の行動の全てを決めるのは今代の勇者。二人の問い掛けに静かに頷きを返した事で、彼らの行き先は決定された。

 一鳴きしたラーミアがゆっくりと地上に向けて下降して行く。徐々に近付いて来る山脈が予想以上に険しい物である事に気付いた。地上に立っていれば、果ての見えない森ではあるだろうが、空から見たその場所は、完全に巨大な山脈に取り囲まれており、山脈の外側からはその森に入る事さえも不可能に近い行為であろう。この場所が『人』が入り込む事も出来ない未開の場所である事は確かであった。

 

「近くで見ると、圧倒される程の城だな」

 

「そうですね。自然が生み出した城なのか、それとも手を加えられた物なのかは解りませんが、人間では生み出せない建物だと思います」

 

 城のすぐ傍に着陸した一行は、その外観に圧倒される。常に冷静さを失わないカミュでさえも、その圧倒的な存在感に気圧されていた。

 森を刳り貫いたような平地に建てられたその城は、人間が建造した城などとは比べ物にならない程の大きさであり、それは正に巨大な山があるかのような物である。それでいて精巧な装飾が施されており、窓のような物や、勝手口のような扉、そして来訪者を迎える為の巨大な門まで存在していた。

 人族ではない他種族の城と言われても納得してしまうその存在感は、進入不可能な森の中でも際立っている。それでいて、他者を恐怖させない空気が流れているのだ。魔王バラモスが居城としていたネクロゴンドにある城もその存在感は大きく、他者を圧倒させる物ではあったが、同時に恐怖で足を竦ませる物でもあった。だが、この城にはそのような威圧感はなく、その証拠に鳥達や小動物達が多く城の周りで営みを生んでいる。

 

「メルエ、行きますよ」

 

「…………ん…………」

 

 巨大な城に興味を示さず、その傍で生活している動物達へ視線を向けて頬を緩めていたメルエは、サラの呼びかけに応じてその手を取る。しかし、一羽の小鳥がそんなメルエの被っている帽子の先に留まった事で、幼い少女の身体は停止してしまった。

 帽子の先に感じる微かな重みを確認する為に首を動かす事も出来ず、それでも自分の近くに来た物を確認したいと願う少女は困ったような表情を浮かべる。そんなメルエの表情に雰囲気を和らげたカミュ達は、城へ入る事を後に回し、メルエの傍に座り込んだ。

 まずはリーシャが芝生に座り込み、それを見たサラもまたメルエの手を外して腰を下ろす。最後に、苦笑交じりの溜息を吐き出したカミュがメルエを囲むように腰を下ろした事で、暫しの休息が決まった。

 ラーミアも羽根を休めるように身体を丸め、暖かい陽光を浴びながら瞳を閉じる。そんな穏やかで優しい時間が流れて云った。

 

「ほら、メルエもゆっくり座って」

 

「…………むぅ…………」

 

 未だに身動き一つ出来ないメルエは、サラの言葉に不満そうに頬を膨らませる。動いてしまえば、折角自分の傍まで来てくれた何かが逃げてしまうかもしれない。それは少女にとって哀しい事以外の何物でもなく、それを指示するサラに不満を漏らしたのだ。

 だが、そんなメルエの考えを否定するように、帽子の先に留まっていた小鳥は飛び立ち、重さがなくなった事でそれを感じたメルエは、残念そうに眉を下げる。

 

「大丈夫ですよ、メルエ。ほら、鳥さん達を驚かせなければ、またメルエの傍に来てくれます」

 

 泣きそうな表情でサラを見つめるメルエの帽子を取ってあげたサラは、美しい鳴き声を放つ小鳥達が、物珍しそうにカミュ達を遠巻きに見つめている事に気付いていた。

 害のない者達である事を理解し、突如動き出す事さえなければ、小動物達は距離を縮めてくれるだろう。その証拠に、一羽の小鳥がメルエの傍に近付き、その肩の上に乗ったのだ。

 突然の出来事に驚いたメルエであったが、再び指一本動かす事の出来ない状況に陥り、首を動かそうにも動かせず、その存在を確認出来ない事に眉を下げる。そんな少女の表情が可愛らしくも滑稽であり、リーシャもサラも優しい笑みを溢すのだった。

 一羽の小鳥がメルエの肩に乗った事を機に、小さな動物達がメルエの傍へと近寄って来る。数羽の鳥達がメルエの足元に乗り、小さなうさぎのような動物が、メルエの傍の草を食べ始めた。

 

「しかし、メルエの傍ばかりに集まるな」

 

「そうですね。メルエが動物達に好意を持っている事が伝わっているのかもしれませんね」

 

 小動物達はメルエの傍ばかりに集まっている。メルエの横にいるリーシャやサラの傍を避けるように集まる小動物達に疑問を持ったリーシャであったが、そんな小動物達との戯れに満面の笑みを浮かべている少女の姿に頬を緩め、それを追及する気はなかった。

 それはサラも同様であり、メルエの身体から溢れる好意が小動物達にも伝わっているのかもしれないと考えるようにし、その様子を和やかに見つめている。笑みを浮かべていたメルエが、傍で草を食むうさぎを見つめ、サラの方へと視線を向けた事で、その内容を察したサラは優しく口を開いた。

 

「うさぎさんですよ」

 

「…………うさぎ……さん…………」

 

 何度か見た事のある動物である事は知っているのだろう。だが、大抵は食料として登場するその動物を死骸でしか見た事のなかったメルエは、その名を覚える事はなかった。死んでしまっているうさぎを哀しそうに見つめ、そのまますぐに目を離してしまうメルエは、その後の食事は食べるものの、それが何の肉なのかを理解しないままこの場まで来ていたのだ。

 本来、人間は他者を食らわなければ生きて行けない。魔物が人間を食うように、人間も小動物を食すのだ。それを幼いながらも理解し始めたメルエにとって、今後うさぎを食す事に難色を示すかもしれないと、うさぎの背を恐る恐る撫でている少女を見てサラは思っていた。

 サラにとっても、うさぎは得意な部類の動物ではない。彼女の記憶に残る傷跡は、母親を殺した一角うさぎである。明確に憶えている訳ではないが、それが原因でうさぎを好きにはなれない事は事実であった。それでも賢者となり、何にでも興味を持つメルエが小動物達を分け隔てなく見つめるのを見ていて、彼女の中の気持ちにも幾分かの変化が見えている。生きとし生ける物全てが、己の生を全うする為に懸命に生きている事を、サラという賢者はこの長い旅路の中で学んで来たのであった。

 

「グオォォォォォォ!」

 

 誰もが笑みを浮かべるような和やかな時間は、突如響き渡った咆哮によって打ち壊される。大地が揺れる程の大声量は、メルエに寄って来ていた小動物達を驚かせ、一瞬の内に散開させてしまった。

 何も小動物だけではない。その咆哮は生物の奥に存在する潜在的な恐怖心を煽る程の物であり、サラはおろか、リーシャやカミュでさえも臨戦態勢に入る程の物であった。

大地が震え、木々が振るえ、鳥達が本能のままに飛び去る。それと同時に、サラの胸に何かが飛び込んで来た。

 

「…………サラ……サラ…………」

 

「メ、メルエ、どうしたのですか? 落ち着いて……ね、落ち着いて」

 

 サラの胸に飛び込んで来たのは、幼い少女。先程まで満面の笑みを湛えていた筈のメルエは、小刻みに震え、サラの胸に顔を押し付けるようにしがみ付いている。小刻みに震えた身体は、生物としての根本的な恐怖を示していた。

 メルエがここまで怯えた姿を見たのはいつ以来であろう。サラの言葉も聞こえていないように、サラの名前を呼び続けて離れまいとしがみ付き続ける。

 カミュ達四人は、これまでに何度も強敵と相対して来た。それこそ、自分達の数倍もある敵と戦い、勝利をもぎ取って来たのだ。何度も死を覚悟したし、何度も絶望を味わって来ている。それでも世界最高位に立つ程の魔法使いであるメルエが、ここまでの怯えを見せた事は一度しかない。

 

「カミュ、どうする?」

 

「……警戒は怠るな。だが、これは威嚇の咆哮というよりは、何かに苦しんでいるような叫びに近いな」

 

 魔神の斧へ手を掛けたリーシャではあったが、それに対するカミュの答えを聞き、何故か納得してしまう。確かにその声は誰かを威嚇して遠ざけるというよりも、自分の中にある苦痛を叫ぶような物に聞こえる。それは、何かに耐える苦しみのようであった。

 カミュの言う通り、警戒を解く事は出来ないが、魔王バラモスに挑む時のような過剰な戦闘態勢は必要ないだろう。それは、恐怖を湧き上がらせる程の咆哮でありながらも、この場所の空気が殺気に満ちた物でない事からも明らかである。

 問題は、未だにサラの胸に顔を埋める一人の少女。小刻みに震えた身体は治まる事はなく、背中を摩るサラは困惑したようにカミュ達へ視線を向ける。メルエの様子が尋常でない事に改めて気付いたリーシャとカミュは、少女の傍に屈み込んだ。

 メルエの怯えがここまで強かったのは、ジパングにてヤマタノオロチという魔物が生息する溶岩の洞窟へ入った時以来だろう。あの時のメルエも、サラの腰にしがみ付くように怯え、戦闘を開始する事が出来なかった。

 

「メルエ……私がいるぞ。私がいる限り、メルエには指一本触れさせない。相手が誰であろうと、何であろうとだ」

 

「…………リーシャ……リーシャ…………」

 

 考えてみれば、あの時のメルエを奮い立たせたのも母のように、姉のように少女を護って来た女性戦士であった。彼女の声は、いつでも仲間達を奮起させる。彼女が居るという事だけで、賢者も魔法使いも自分の役割を思い出し、自分達が護られている事を思い出すのだ。

 サラの胸からリーシャの豊かな胸へと移動したメルエは、未だに震えが治まらないながらも、しっかりと顔を上げる。小さな身体を抱き上げたリーシャは一度カミュへと視線を送り、彼がその行動を了承した事で、メルエを抱いたまま城へ入る事にした。

 

「……行くぞ」

 

 大きな門を押し開き、中の様子を確認したカミュは、後方で控えた三人へ合図を送る。押し開かれた城内は、しっかりと明かりが点されており、外から差し込む陽光も相まって、かなり明るく照らされていた。

 外見とは裏腹に、とても綺麗にされている城内には埃一つなく、正面に見える扉のノブに至るまで輝くように磨かれている。それは、この城の城主の他に、それを世話する者達などが多く存在する事を示しており、その者達が今も尚この場所にあり続けている事を物語っていた。

 

「ここが、竜の女王様の居城と知っていての来訪か?」

 

 城内の様子に驚いていたカミュ達は、突如横から掛けられた声に息を詰まらす程に驚いた。彼等四人は、世界を飲み込む程に凶悪な魔王バラモスを打ち倒した者達である。彼等に気配を察知させずに近寄る事が出来る者など、最早この地上に誰もいない筈なのだ。

 それでも、彼等に声を掛けて来た執事服を着た男性は、声を掛けるその時になって突如現れたかのように気配を感じさせていない。それは、カミュやリーシャという包囲網を抜けて、夜の森の中で呪文契約を行うメルエのような物であった。

 その突然の出来事に思考が付いて行かないカミュ達は、執事風の男性からの質問に答える事も出来ずに呆然と視線を向けてしまう。そんな一行の様子に先程までの険しい空気を納めた男性は、もう一度ゆっくりと口を開いた。

 

「再度問おう。ここが竜の女王様の居城である事を知っての来訪か?」

 

「……申し訳ございません。竜の女王様が治める城とは知らず、ご無礼致しました」

 

 ゆっくりと告げられた問い掛けに殺気は込められていなかったが、それでも男性の瞳は油断なくカミュ達へと注がれている。四人同時に掛かれば、決して負ける相手ではないだろう。それでも、彼等四人の内、何人かが黄泉へと旅立つ事になるかもしれない。そう思える程に、その男性の持つ存在感は強かった。

 『竜の女王』という存在自体、この世界のどの文献にも残されてはいない。龍種と呼ばれる世界最高位に立つ種族は、人間達よりも先にこの世界に存在しているのだから、その王がいる事に何ら不思議はないのだろう。

 細かな話にはなるが、龍種と竜種は全く同じようで、細かくは異なる。大地を好み、二本の足で大地を踏み締める物を『竜』と呼び、大地よりも空を好み、翼が無くとも空を飛ぶ物を『龍』と呼ぶ。これは諸説色々とあるが、どちらが劣化された物であるかという事も含め、人間達の間では議論されている物であった。

 

「竜の女王様は、この世界の創造神様の使い」

 

「カミュと申します。大魔王討伐の為に旅をしております。女王様との謁見は可能でしょうか?」

 

 男性の言葉に対し、暫し口を閉じたカミュであったが、会釈程度に頭を下げ、女王との謁見を希望する。しかし、そのカミュの言葉にリーシャとサラは驚きと喜びを滲ませる事となった。

 彼自身の目的は、魔王バラモスの討伐で終了したと言っても過言ではない。その後、リーシャもサラも大魔王ゾーマという存在を知ったが、ここまでの道中でその事をしっかりカミュと語り合う事はなかった。

 カミュの口から『大魔王ゾーマ』という存在の名が出て来る事はなかったし、リーシャやサラも敢えて確認しようとはしなかったのだ。それは彼女達の絆の証なのかもしれないが、カミュが地図で目的地を考え始めた事を見た二人は、確認する必要性を感じてはいなかったのだろう。

 だが、ここで明確にカミュの口から『大魔王討伐の為の旅』という事を聞くと、改めて自分達が何に向かって旅をしているかという実感が湧くと共に、彼が何に向かって歩み始めたのかを把握する事が出来たのだ。

 

「大魔王……そうでしたか。女王様は奥の部屋にいらっしゃいます。女王様がお会いする気があれば、謁見も叶う事でしょう」

 

 カミュの口から出た『大魔王』という単語に、執事風の男性は瞳を閉じて苦痛の表情を浮かべる。何かを悔いるように、何かを憎むように刻み付けられた眉間の皺は僅かの間で消え去り、開かれた瞳は慈愛のような温かさに満ちていた。

 胸に手を当て、城の奥へと片方の手を上げた男性は、軽くカミュ達へと頭を下げる。客人に対する執事の対応のように整然とした動きは、受けた者に涼やかな風を運んで来た。先程まで怯えたようにリーシャの首にしがみ付いていたメルエでさえも、その男性へ顔を向け、小さな笑みを浮かべる程である。

 その執事のような男性が『人』である事はないだろう。涼やかなその身体が持つ力は、単体であればカミュをも凌ぐ物であったかもしれない。だが、その者がエルフであれ、例え魔物であろうとも、礼には礼で返す事が当然である。返礼のように静かに頭を下げたカミュに倣い、リーシャ達三人もまた、男性に向けて頭を下げた。

 

「メルエ、自分で歩かないのか?」

 

「…………むぅ…………」

 

 執事風の男性から離れ、城内の奥へと歩く中、自分の首に腕を回したまま離れようとしないメルエにリーシャは声を掛ける。どの場所に行っても基本的にメルエがカミュ達から離れる事はないが、好奇心旺盛な少女は、初めて見る場所などでは忙しなく周囲へ首を動かす姿が当たり前であった。だが、この竜の女王の城へと足を踏み入れた彼女は、一切の興味を捨て去ったかのように、絶対的保護者の腕の中で身動きさえもせずにいる。リーシャの問い掛けにさえも、頬を膨らませるような仕草は見せるが、首に回す腕に力を込める事で首さえも振る事はなかった。

 苦笑を浮かべたリーシャがメルエを抱き直した時、カミュは奥へと続く小さな扉のノブへと手を掛ける。先程の男性の対応を見て、警戒感を最小にまで落とした三人は、ゆっくりと奥へと足を踏み入れた。

 

「誰じゃ?」

 

「……失礼致しました。カミュと申します。女王様への謁見を望み、お伺い致しました」

 

 奥の部屋へと入ると、通常の城でいう兵舎のような場所へと出る。武器などが置かれている訳ではなく、いくつかのベッドと机が置かれている事から、使用人部屋と言った方が正しいのかもしれない。そんな取次ぎ部屋の一室に、一人の小柄な男性が腰掛けていた。

 突然現れた者へ視線を送り、見知らぬ者であった事から一気に警戒心を剥き出しにする。その警戒心からの威圧感は半端な物ではなく、部屋中の空気が張り詰めるような感覚に陥った。再びメルエがリーシャの肩に顔を埋める。小さな身体は震えこそ無いものの、強張りを見せる程に固くなっていたのだ。

 しかし、その張り詰めた空気も一瞬の内に霧散する。恐れずに真っ直ぐに向けられたカミュの瞳を受け、そしてその名乗りを聞いた小柄な男性は、即座に瞳を和らげたからだ。

 

「そうか、お主が魔王バラモスを打ち倒した者か。女王様がゾーマとの戦闘によって受けた傷から病を得なければ、本来、バラモスなどという小者にこの世界を好き勝手にさせる事など無かったのだが……」

 

「……大魔王ゾーマと竜の女王様が?」

 

 思わぬ所で思わぬ名を聞いたカミュ達は、一様に驚きを表す。大魔王ゾーマという名は、アリアハン国の重臣達が吹聴しなければ、世界中で知る者のない名である。更にいえば、この場所は険しい山に囲まれた人類未開の土地であった。そのような場所で生きる者が、大魔王ゾーマの名を知っている事自体が不思議な事であるのだが、その内容がまた彼等を驚かせる。

 竜の女王は、大魔王ゾーマと戦ったという事実。そして、大魔王と戦った竜の女王から見れば、魔王バラモスなど小者程度の存在でしかないという事実。

 それは、命を賭して魔王バラモスとの戦いを生き抜いていた彼等にとって、衝撃の情報であった。

 

「女王様は新たな時代を予見されておる。その為に、病の身体でありながら、お命を賭して卵をお産みになるという」

 

「……新たな時代?」

 

 バラモスなど小者程度に吹き飛ばす事の出来る竜の女王を傷つけ、更に命を奪う程の病を植え付ける存在が、大魔王ゾーマという巨悪なのだ。それがどれ程に絶望的な情報なのかを知るのは、カミュ達四人以外にいないだろう。

 大魔王ゾーマがここまで登場しなかったのは、ゾーマもまた竜の女王との戦いによって何らかの傷を負っていた可能性が高い。だが、その存在が復活した今、対等に渡り合える竜の女王という存在が消え去るならば、対抗出来る勢力が無いという事になる。それは、世界の終焉を意味する程の物であった。

 世界最高位の種族である竜種の頂点に立つ竜の女王。その存在でさえも打ち倒す事の出来なかった大魔王ゾーマ。そのような相手に、只の人間であるカミュ達が立ち向かおうとしている。それは、絶望以外の何物でもないだろう。

 それでも、竜の女王は『新たな時代』を予見している。新たな時代というからには、それが世界の終焉である訳がない。その先に続く世界の未来があるからこそ、竜の女王は子を成そうとしているのだ。

 

「女王様のお命もあと幾許か……勇者よ、女王様は奥の部屋におられる。そなたは女王様と会わねばなるまい」

 

「……はい」

 

 その心にどれ程の暗い闇が覆っただろう。目の前が真っ暗になる程の絶望を感じたサラではあったが、静かに頷きを返す勇者の声で我に返った。そして、自分の前に立つ世界の希望の瞳が宿す光を見て、我を取り戻す。

 幼い少女を抱き抱えていた女性戦士は、そんな賢者の背中を軽く叩いた。見上げる先にあったのは、優しい笑み。その笑みは何よりも強く、何よりも暖かい。自然と溢れる涙で歪む視界を振り払い、当代の賢者は前を歩く勇者の背中を見つめた。

 絶望などはいらない。恐怖もいらない。諦める必要など何処にもない。

 彼等の前にあるのは、輝く希望の光だけ。

 それを、前を歩く勇者と共に求め続けて来たではないか。

 

「さぁ、サラ。行こう」

 

「はい!」

 

 奥の部屋へと続く扉を開けたカミュを見て、リーシャがもう一度サラの背中を押す。その声を聞いたサラは、再び賢者の顔を取り戻した。

 しかし、扉の先で見た物は、そんな彼女達の勇気を一気に萎ます程の光景。誰もが息を飲み、誰もが身体を膠着させる。魔族の王と討ち果たして来た者達であっても、一歩も動けない状況に陥ってしまったのだ。

 

「グゥゥゥ」

 

 メルエは再び小刻みに身体を振るわせ始める。それは、目の前の圧倒的な存在に対する明確な恐怖であろう。先程は確かに奮い立った勇気が一気に萎んで行くのを感じたサラもまた、膝が笑うように震えていた。

 先頭に立つカミュは後方の者達を護るように立ち、その後ろでメルエを抱くリーシャもまた、鋭い瞳を前方へと向けている。

 その視線の先には一体の巨竜。建物の全てを覆い尽くす程の巨体を持った竜が、大きな翼を広げて苦悶の表情を浮かべていた。カミュ達の数倍はあろうかというその竜の力は、見ただけでも圧倒的な物である事は解る。

 カミュ達が魔王を討ち果たす程の力を有していようとも、数多くの強敵達を退けて来たとしても、目の前に存在する竜に勝てると思う程、彼等は愚かではない。指一本動かせない緊迫した状況の中、巨大な竜の瞳が動き出す。メルエの頭部ほどの大きさがある黒目が動き、その視線を受けた一行の身体に緊張が走った。

 だが、一目カミュ達を視界に納めた竜は、苦悶の表情を緩め、その身体を変化させて行く。大きく広げられた翼は背中の中へと消え、大きく裂けた口元から覗く牙は小さく縮んで行った。

 

「……私が、竜種の女王です。そなたらが、魔王バラモスを討ち果たした一行ですね?」

 

 この空間では納まりきらない程の巨体は徐々に小さくなって行き、美しい妙齢の女性へと姿を変える。人型へと姿を変えた女王には、先程のような強烈な威圧感はない。その身の内に全ての力を納めたのか、今の姿であれば、カミュ達四人でも勝利を収める事が可能ではないかと思う物であった。

 とても美しいその容姿ではあるが、先程の従者が語った通り、重い病で苦しんでいる事が解るほどに顔がやつれている。目の下には真っ黒な隈が刻み込まれ、珠のような汗が額から流れ落ちていた。

 

「……そうですか、あの魂を持つ者が『勇者』であり、そなたのような者がその供をしていたのですね」

 

「カミュの魂……」

 

 しかし、敢えて苦しみをも押し隠そうとする女王は、一つ息を整えた後で、柔らかな笑みを浮かべる。先程までこの部屋を覆い尽くしていた強い威圧感は霧散し、とても優しい空気が満ちて行った。

 一度カミュへとその瞳を向けた女王は小さく頷き、その後にリーシャにしがみ付くメルエへと視線を向ける。その優しく細められた瞳は慈愛に満ちており、この竜の女王こそが、多くの者達が生きるこの世界の守護神であるのではないかとさえ思う程であった。

 空気が変わった事によって、リーシャの首筋から顔を上げたメルエは、優しく微笑む女王と視線を合わせる。暫しの間、視線を合わせていたメルエの身体から震えは消え、自分を取り巻く暖かな空気に頬を緩めた。

 

「……怖がる必要はありません。さぁ、おいでなさい」

 

 メルエの微笑みを見た女王は、先程とは異なる心からの笑みを浮かべ、自分の許へとメルエを誘う。この場所にある玉座へと座り直し、その膝元へと手を差し出した女王を見たメルエは、リーシャへと顔を向けた。

 メルエが何を問うているのかを理解したリーシャは一つ頷きを返し、ゆっくりと少女を地面へと下ろす。地面へと足を着けたメルエは、カミュやサラへ確認した後、女王の許へと歩き始めた。一歩一歩確かめるように歩くメルエの姿に対し、微笑を浮かべたままの女王の顔には、先程まで浮かんでいた汗は消えている。それは、この女王の死期が近い事を物語っていた。

 

「よく、ここまで来ましたね、我が子よ」

 

「我が子?」

 

 女王に辿り着いたメルエは女王の手を取り、導かれるままにその膝元に首を横たえた。膝枕をされるように瞳を閉じたメルエは、優しく背を撫でる女王の手を受け入れ、気持ち良さそうに表情を緩める。先程まで完全に萎縮し、怯えていた少女の姿は何処にも無く、まるで母親に甘えるようなその姿にリーシャだけは優しく目を細めていた。

 カミュとサラは、竜の女王の言葉に強い違和感を覚える。その言葉の中にあった一単語が強く印象に残ったのだ。

 メルエの母親は既に解っている。それはカミュやサラの想像ではなく、しっかりとした裏付けのある事実である。だが、この女王はメルエを『我が子』と呼んだ。それは、ここまで不明瞭であったメルエの能力に何らかの答えが見つかるかもしれない程の言葉であった。

 

「我が竜族は、この世界の守護を創造神より託されております。私はその竜族の長です。ならば、この世界に生きる者達は全て我が一族であり、我が子という事。それは『エルフ』であろうと、『人』であろうと、『魔物』であろうと変わりません」

 

 物腰の柔らかな言葉ではあるが、その一言一句に込められている力はとても強く、世界最強種の長として相応しい物である。それだけの威厳と優しさに満ちた存在だからこそ、この広い世界を守護する役割を担えるのだろう。

 精霊ルビスと呼ばれる精霊と、竜の女王が守護するこの世界は、本来であれば優しさに満ちた世界である筈なのだ。しかし、ここ数十年、この世界は荒れに荒れていた。

 

「魔王バラモスや、大魔王ゾーマもまた、女王様のお子なのでしょうか?」

 

 そんな疑問がつい、サラの口から漏れてしまう。本来女王への謁見中であれば、リーシャやサラが口を開く事はない。だが、既に最年少のメルエがその膝元で眠り、先程見た竜の姿との落差に安堵していた彼女は、雰囲気に飲まれて口を開いてしまったのだ。

 そんなサラの不躾な質問にも表情を変えず、竜の女王は優しい笑みを浮かべながらサラへと視線を向ける。別段、睨まれた訳でも殺気を向けられた訳でもないが、サラはその視線を受けて身体を硬直させてしまった。

 

「あの者達は、本来この世界で生きる者達ではありません。ゾーマを封印する為に負った傷を癒す為に、私はこの場所を動く事は出来ませんでした。バラモスは小者であり、この世界の全てを手中にする程の力は有していません。しかし、ゾーマであれば、この世界を消し去る事も可能でありましょう」

 

「!!」

 

 自分達四人が死力を尽くし、死を賭してまで討ち果たした魔王を小者呼ばわりする竜の女王にサラは絶句する。確かに、魔王バラモスが台頭してから数十年の間、この世界に生きる全ての生物の中で絶滅した物はない。だが、それが魔王バラモスの力不足が理由であるなど誰も考えはしなかった。

 しかし、考えてみれば、魔王バラモスという存在に対し、危機感を持っていたのは『人』という種族だけであったのかもしれない。エルフ族の長である女王は、人間に対して危機感を持ってはいても、魔王に対して警戒している様子は微塵もなく、魔物達が凶暴化して行く中でも、その成り行きを見守る姿勢を取り続けていた。

 今目の前に居る竜族の長の持つ圧倒的な存在感は、病によって衰えているとはいえ、魔王バラモスなど一瞬の内に消滅させるだけの力を持っている事を示している。ならば何故、人間達の平和が脅かされている中で、その力を発揮してバラモスを倒さなかったのかという疑問が生まれて来るのだ。

 その理由が、この場所に来る前に出会った男が語る、『ゾーマとの死闘の末に負った傷から来る病』という物だけではない事をサラは朧気ながらも理解していた。

 

「精霊神ルビスが、この世界を模倣して生み出した世界があります。しかし、例え精霊神といえど、ルビスは創造神ではありません。世界を創造した時に生まれた歪が年月を経て広がり、その爪痕から大魔王ゾーマは現れました」

 

「……それが、あちらの世界ですか」

 

 もう一つの世界という物が想像出来ない彼等ではあったが、この世界の守護者が精霊ルビスと竜の女王であるという事だけは理解出来た。

 他者を打ち倒す事の出来る圧倒的な力と、模倣とはいえ一つの世界を生み出す事の出来る精霊ルビスの力を持ってすれば、この大きな世界を護り抜く事は出来るだろう。

しかし、精霊ルビスとはいえ絶対ではない。例え、精霊の長として『精霊神』の称号を与えられていたとしても、この大地を生み出した創造神と同等の力を有している訳ではないのだ。創造神とは絶対神でもある。この大地や海や空、そして様々な生物達を生み出したと云われる神は、あらゆる者達の頂点に君臨する物であった。

 精霊ルビスが生み出した世界の僅かな歪は、他世界にいる王の野望に火を点けたのかもしれない。その歪から世界を渡って来たゾーマは、己の力とそれに従う配下の者達で世界を蹂躙し始めたのだろう。

 

「ゾーマの力はルビスの想像を超えた物でした。彼女一人では対処は出来ず、私が加勢してもあの者を封印する事が精一杯な程。そして、ゾーマとの戦いで弱体化したルビスはバラモスによって封じられ、ルビスの力を失ったゾーマの封印は弱まっています。例えバラモスを討ち果たしはしても、ルビスの封印は完全に解かれた訳ではありません。そして、私の力も弱まった事で、ゾーマの復活を許してしまいました」

 

「ルビス様と竜の女王様が力を合わせても、封印する事しか出来ない存在……」

 

「大魔王ゾーマ……それ程までの存在か」

 

 竜の女王の言葉に、サラは自分達の成そうとしている事の無謀さを改めて知る事になる。今、自分達の目の前に存在する竜の女王の力は、自分達よりも遥か上にいるだろう。一瞬の内に全滅する事はないだろうが、勝利を収める事は難しいと言える。それ程の存在と精霊ルビスという信仰の対象が力を合わせても、滅ぼす事の出来ない大魔王ゾーマという存在に、改めて恐怖を感じた。

 リーシャは、あのアリアハン城で感じた恐怖が間違いではなかった事を知る。魔王バラモスを討ち果たした自分でさえも、足が竦む程の恐怖を感じ、身動き一つ出来なかった事を思い出し、彼女は表情を苦々しく歪めた。

 『絶望』に近い感情と空気が竜の女王の間に広がり、太陽の光が届かないこの空間の灯りが一段小さくなったように感じる。それだけ、彼らの目指す先にある闇は大きく、その目的が無謀な事である事を示していた。

 

「それでも、そなた達にはゾーマと戦う勇気がありますか?」

 

「……私には、それしか道がありません」

 

 しかし、その中で心を折らぬ者がいる。

 若き『勇者』である。

 リーシャやサラの心に小さな絶望と諦めを垣間見た竜の女王は、優しく諭すように言葉を発した。まるで子供を慈しむように、大事な子供達の命を尊ぶように発せられたその声は、例え彼等四人がゾーマとの対峙を拒もうとも、それを咎めない事を約束するように優しかった。

 だが、それでも勇者は真っ直ぐ女王の瞳を見つめ、答えた。

 彼が歩む道の先には、必ず希望の光があるのだという事を。

 

「そなたの道は無限にありますよ? 今、そなたが見ている道は、そなたが歩む事を決めた道です。この子や、その者達に照らされ、そなたが選んだ道です。そして、そなたがその道を歩むのならば、この光の珠を授けましょう」

 

「…………ん…………」

 

 カミュの言葉を聞いた竜の女王は、まるで手の掛かる子供を諭すように口を開く。我儘をいう子供に対してするような困った笑みを浮かべた女王の手には、いつの間にか輝く珠が置かれていた。

 この世界に六つ存在していたオーブという名の珠と同程度の大きさを持つ珠ではあったが、その輝きは似て非なる物。まるで空に輝く太陽の輝きを封じ込めたような眩いばかりの光は、先程まで絶望と諦めで影の差した広間を照らし出した。

 竜の女王は、その珠を膝元で目を瞑っていたメルエへと差出し、それを受け取った少女は、笑みを浮かべてポシェットへと入れ込む。目を開けている事さえも辛くなる程の輝きが収まり、周囲の明かりが通常に戻った頃、再び竜の女王は口を開いた。

 

「この光の珠の輝きが世界を照らし、一時も早く平和が訪れる事を願っています……産まれて来る、我が子の為にも……」

 

「……必ずや」

 

 メルエの背を押し、カミュ達の許へと戻した女王は、己の下腹部を優しく撫で、そして優しい笑みを浮かべる。それは正しく母の慈愛。自分の子が生きる世界が、平和に包まれた世界である事を願い、その子の未来が優しく輝かしい物である事を願う母の想い。

 世界中に生きる者達全てが我が子と口にした女王ではあるが、やはり血を分けた子への想いは別格なのであろう。既に己の死期を悟り、我が子の成長を見る事が叶わない事を知っているからこそ、その笑みは儚く、脆い。

 再び苦しそうに顔を歪めた女王は、珠のような汗を浮かべ、苦悶の声を上げ始めた。

 

「……さ、さぁ、お行きなさい。この身体も、天へと還る時が近いようです。そなた等の歩む道に大いなる希望と幸ある事を祈っています。小さき我が子達よ……恐れず進みなさい……」

 

「!!」

 

 カミュ達を優しい空気がふわりと撫でる。母親に撫でられたように優しい感触を残し、竜の女王の身体が光の粒となって宙へと霧散して行った。

 最後の最後まで優しい笑みを浮かべ続けた女王の身体の全てが光の粒となり、広間の隅々まで行き渡った後、その光の粒達は女王の座していた玉座の前へと集まり始める。幻想のような光景に目を奪われていたカミュ達が我に返る頃、玉座の前に大きな一つの球体が現れた。

 メルエの身体並の大きさもあるそれは、竜族の卵。

 斑模様が刻み込まれたその卵は、女王の亡骸である光の粒に包まれ、優しい輝きを放っている。脈動を打つように輝く卵からは、安らかな寝息が聞こえて来るような気がしていた。

 

「女王様!」

 

 呆然と卵を見つめていたカミュ達の後方の扉が勢い良く開かれ、数人の竜族と思われる者達が入って来る。皆それぞれに悲しみを宿した表情を浮かべてはいるが、その事を予期していなかった者はいなかったのだろう。卵へと視線を移した彼等全員は、その瞳から大粒の涙を溢しながらも小さな笑みを浮かべていた。

 竜の女王の死というのは、この世界の死にも繋がる程の一大事である。だが、世界の守護者である存在が消えるという事は、その役目を受け継ぐ者が新たに誕生した事も示しているのだ。古き守護者の役目は終わり、新たな守護者が誕生する。それは、新たな時代の到来であった。

 

「卵は私達が大事に育てて参ります。それが女王様の願いであり、この世界の願いでもある筈ですから」

 

「……失礼します」

 

 最早、この場でカミュ達に出来る事など何一つ無い。それを告げるようにカミュへと言葉を発した女性に頭を下げた彼は、そのまま入り口へと戻る為に歩き始めた。

 リーシャが続き、サラもまた歩き出す為にメルエの手を取る。サラの手を取ったメルエは、女性に向かって手を振り、それに応えるように女性もまた笑顔で手を振った。メルエへ優しく手を振る彼女の背には白い羽根があり、それは竜族が持つ者とは少し異なる物ではあったが、誰一人それを気にする者などいない。気付かない訳ではない。だが、この場所にいた竜の女王は、天にいる創造神に最も近い者である事を誰もが理解していたからであった。

 

 

 

 竜の女王。

 世界最強の種族である竜種の王である。その力は魔王を遥かに凌ぎ、全ての竜種を従え、魔物達でさえも従える事の出来る程の存在であった。

 だが、長きに渡る大魔王ゾーマとの戦いで負傷した事によってその力は弱まる。弱まった女王の許から離反した竜種も多く、女王の後ろ盾を失った為に魔王の魔力に取り込まれた竜種も多かった。

 守護者たる証であり、この世界を温かく見守る太陽のような輝きを持つ『光の珠』を勇者へと託し、己の後継者として竜族の王となる我が子が守護する事になる世界の平和を願い、創造神の許へと旅立ったと語り継がれて行く。

 

 

 

 




読んで頂き、ありがとうございました。

何とか今月中に間に合いました。
次話で十七章も締めとなります。

ご意見、ご感想を心よりお待ちしております。

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。