新訳 そして伝説へ・・・   作:久慈川 京

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バラモス城③

 

 

 

 外観から城内に入る為の裏口のような扉は、強固な物ではなかったが、木製ではなく鉄製の重い扉であった。

 鍵は掛かっておらず、ノブを回すと重さはあっても容易に引く事が出来る。先頭のカミュが警戒しながら城内を見回し、魔物の気配を感じない事を確認した後、扉を引き開いた。

 城の一階部分という事もあり、開け放たれた木窓から差し込む陽光によって、場内の隅々まで見渡す事が出来る。全員が城内に入ると、鉄扉がその重さによって自然と閉じられた。

 大きな音を立てて閉じる鉄扉に驚いたメルエがサラの腰にしがみ付き、その音で魔物が現れる事を警戒したカミュとリーシャが各々の剣を抜く。だが、静寂に支配された一階部分は、物音一つなく、聞こえて来るのは一行の小さな息遣いだけであった。

 

「全ての木窓を開けよう」

 

 リーシャの言葉に、一階部分に取り付けられている木窓が開け放たれ、広間の全貌が明らかになる。それ程広くはない空間には、上の階に向かう為の階段以外には何もなく、魔物の姿もない。即座に戦闘という危険性がない事に安堵したサラがメルエの手を握る力を緩めた。

 ここまで、通常の人間であれば精神が壊れてしまいかねないほどの緊張感を続けている。それはサラだけではなく、カミュやリーシャも同様であろう。軽率な行動が即座に死へと繋がる危険性という物は、人間の心に想像以上の負荷を与え、その精神を摩り減らしてしまう。僅か一時ではあるが、その危険性が薄い事に安堵するサラを誰が咎める事が出来ようか。

 

「サラ、酷なようだが、休憩をしている暇はないぞ」

 

「は、はい。解っています」

 

 だが、その心を察してはいても、この場に留まる事が出来ない以上、先へ進むしかない。彼等の目的がこの城の探索という事だけであれば、それ程急ぐ必要はないのだろうが、今回に限って言えば、この城の探索など二の次なのである。最終的な目的は『魔王バラモス』の討伐であるからだ。

 それはサラも重々承知しているし、未だその入り口に足を掛けただけである事も理解している。故に、リーシャに向かって大きく頷いた彼女の表情は、厳しく引き締まり、上へと続く階段へと視線を向けていた。

 

「カミュ、注意して進め」

 

 リーシャの忠告に頷きを返したカミュが先頭となって階段を上って行く。一歩一歩慎重に足を進めるカミュの姿が、彼もまたかなり神経質になっている事を物語っていた。

 先に行ったカミュの合図によって三人が階段を昇り終える。二階部分は、既に全ての木窓が開け放たれており、『たいまつ』などの炎がなくとも、見渡せる状況になっていた。小さな部屋は、中央の広間へと繋がっており、その向こうにもう一つの部屋が見える。魔物の姿は見えないが、警戒を緩める理由にはならない。

 咄嗟の戦闘になった際の弱みとなるメルエは、サラとリーシャに挟まれる形で広間へと顔を出す。中央の広間へと足を踏み入れた一行は、小さな溜息を吐き出した。

 

「奥の部屋にあるのは、また下る階段ですね」

 

「……進むしかないだろう」

 

 見晴らしの良い部屋の奥にあったのは、再び下の階へと戻る階段。一歩進んでは二歩下がるような一進一退を繰り返している事に、サラは不安を感じてしまったのだ。しかし、カミュの言葉通り、他に道がなかった事をここまでの道中で確認している以上、この階段を下りる以外に選択肢はない。

 しっかりと頷きを返したサラは、周囲を警戒し続けるリーシャの代わりに、先に降りて行ったカミュからの合図を待つ。不安そうに階下を覗き込むメルエが眉を顰めたままサラへ振り返った。メルエの表情から何かを察したサラは、後方のリーシャに声を掛け、カミュからの合図を待たずして階段を降り始める。

 

「カミュ、大丈夫か!?」

 

 いつの間にかサラを追い抜いたリーシャが無事を確認する声を上げた。

 突如降りて来た三人に驚いた表情を浮かべたカミュではあったが、溜息を吐くより先に腰にしがみ付いて来たメルエを見て、小さな笑みを浮かべる。優しく背を撫でられた事で安堵したのか、メルエが花咲く笑みを浮かべる顔を上げた。

 城の一階部分であるこの階の木窓は全て閉じられており、漆黒の闇とまでは行かなくとも、奥が見えない程度の薄暗さを持っている。カミュとメルエの微笑ましいやり取りを横目に、リーシャとサラはその薄暗さから漂う不快な感覚に表情を引き締めていた。

 その不快感が何かは解りはしないが、それでも彼女達の経験がこの暗がりの向こうに何か危険な物が待ち受けている事を示唆しているのだ。それは未だ見ぬ強敵なのかもしれないし、魔王の罠かもしれない。

 だが、どのような物が待ち受けていようとも、彼等は進むしかないのだ。

 

「木窓を開けながら進もう」

 

 リーシャの提案を否定する者はおらず、魔物を警戒しながらも、一行は一階部分の木窓を開放しながら先へと進んだ。開け放たれた部分からは陽光が差し込み、周囲を照らして行く。しかし、建物内に十分な陽光が入って来たにも拘らず、何処か曇った空気を感じる程、この場所は瘴気に満ちていた。

 嬉しそうに微笑みながら陽光を浴びるメルエを手を引いたサラが厳しい瞳のままカミュへ視線を送り、それに対してリーシャと共に頷いた彼は、真っ直ぐに進路を取る。そして、その先にある光景を見て、文字通り彼等は絶句した。

 

「こ、これは……」

 

「凄まじい程の瘴気だな……」

 

 一階部分の西側にある階段から中央へ移動した彼等は、中央にある南側へと続く大きな回廊に出る。そこには、左右に二体ずつの龍の石像があり、その四体の龍がお互いに向かい合いながら大きく口を開いていた。

 左右向かい合うよう設置された龍種の石像の口からは、夥しい程の瘴気が吐き出され、一行の行く手を妨げている。瘴気である為、即座に死へ繋がる物ではないだろうが、その石像の間を通る事は相当の覚悟が必要であり、体力が必要であろう。幼いメルエのような存在は、これ程の瘴気を一気に受けてしまえば、その場で昏倒する可能性さえあるのだ。

 幸いな事に、石像間で交わされる瘴気が部屋に充満せず、まるで線引きされているように一定間を覆っている。石像の異様さと、そこから吐き出される瘴気に呆然としていた三人は、最も幼い少女が杖を掲げた事に気付いた。

 

「そ、そうですね。メルエ、二人で行使しましょう。まずはメルエがトラマナを」

 

「…………ん………トラマナ…………」

 

 勇者であるカミュに同道している呪文使いは二人。その二人は、敵を打ち倒す攻撃呪文だけを唱える為に存在している訳ではない。回復呪文や補助呪文、そして移動呪文の他にも、このような場所を歩く為の呪文さえも契約を済ませているのだ。

 それは、世界を覆う程の恐怖を撒き散らす魔王に対抗出来る程の力を有する者である証。人類最高位に立ち、今やその契約数はエルフや魔族にさえ引けを取らぬ程になっている『賢者』と『魔法使い』だからこその力の証明であった。

 サラの言葉に頷いたメルエが雷の杖を高々と掲げ、詠唱を完成させる。四人を大きく覆うように少女の魔法力が展開され、周囲の空気を遮断した。それを確認したサラが同様の詠唱を完成させ、更にその魔法力を覆うように展開して行く。瘴気を遮断するだけではなく、その空気を濾過させるような効力を有する障壁が完成した。

 

「……行きましょう。この回廊の途中で魔物と遭遇する事は避けたいですが、魔物が待ってくれる訳もありませんから」

 

「大丈夫だサラ、私とカミュに任せておけ」

 

 サラとメルエが展開した障壁は、周囲の空気や地面への物であり、魔物の攻撃を阻止する事が出来る物ではない。魔物が行使する魔法を弾く事が出来るのは光の壁だけであり、物理攻撃を防ぐ壁を生み出す呪文はない。つまり、魔物と遭遇してしまえば、この障壁内で戦わなければならないのだ。

 余り激しい戦闘は不可能であり、尚且つメルエやサラの放つ強力な攻撃呪文も行使出来ない。それは彼等の戦力を半減させる要因であり、決して楽観し出来る物ではなかった。だが、それでも後方から頼もしい笑みを浮かべて答えるリーシャを見て、サラは心から安堵する。楽観視出来る状況でもなく、安心出来る場面でもないが、彼等の間にある絆や信頼感は、それに勝る程の物なのだろう。

 

「視認出来る程の瘴気か……」

 

「魔王城の先へ進める者かどうかの線引きが行われているのかもしれませんね」

 

 サラとメルエの魔法力に護られて進む中、リーシャはその瘴気の濃さに驚く。通常、瘴気など目に見えぬのが当然であり、まるで着色されているかのように目に見える瘴気は、通常の人間の心に恐怖の感情を植えつけるのに十分な威力があるものであった。

 この回廊は、サラの言葉通りの選別の間なのかもしれない。この瘴気の中を平然と進む事が出来るのは魔族や魔物であろうし、間違っても人間などが通り抜ける事は不可能に近い。どのような構造になっているのかは解らないが、この場で命を落とした者も数多いのかもしれない。

 

「……またか」

 

 等間隔に設置された四体の石像を通り抜けた一行は、その先にあった分かれ道を見て、軽い溜息を吐き出した。

 最早何度目になるか解らない別れ道を見て、辟易するなという方が無理なのかもしれない。カミュはいつものようにリーシャへ視線を送り、それに気付いたサラとメルエも彼女達が最も信頼する女性戦士へと視線を向けた。

 視線を受けたリーシャは暫し左右に顔を向け、行く先を確認する。向かって右手には下の階層に降りる階段が、左手には上へと向かう階段が見える。そしてその上の階層へ向かう階段を見たリーシャは何かを感じ取ったように素早くカミュへと振り返った。

 

「左だ!」

 

「……そうか」

 

 ここ最近では有り得ない程の声量で行く先を告げるリーシャに驚いたカミュではあったが、そのまま右手にある下への階段へ足を向ける。サラやメルエも何時もの事である為、何も不思議に感じずにカミュの後ろを付いて歩き始めた。

 だが、ここで歩き始めたカミュの足が止められる。カミュの肩に掛けられたリーシャの手は、恐ろしい程に力が込められており、その掌に血管が浮かび上がっていた。力を込められて握られた肩に痛みを感じたカミュが、眉を顰めて振り返ると、いつも以上に血相を変えた女性戦士の顔が寸前に迫っていたのだ。

 

「カミュ、今回だけは私の言う方へ行ってくれ! 何かが呼んでいるんだ!」

 

「……呼んでいる?」

 

 ここ最近は、自分の指し示す道の反対方向へ進む事を半ば了承していたリーシャが、ここまで抵抗を示す以上、その場所に何かがある可能性は否定出来ない。しかし、彼女の言葉の中にあるその一言が、カミュの中で何か嫌な予感を沸き上がらせていた。

 リーシャという女性戦士は、この四年間の旅の中で何度となく敵の呪文に惑わされている。混乱や眠りなども経験したし、幻に包まれる事も幾度となくあった。しかも、今回は今も吐き出されている濃い瘴気の中を突き進んで来た経過があり、カミュは瘴気の影響で何らかの悪い影響があったのではないかと疑っていたのだった。

 

「カミュ様、例え罠だとしても、それを突き破る事が出来る力を私達は有している筈です。不測の事態が起こった際は、不本意ではありますが、一度戻る事も出来ます」

 

「…………いく…………」

 

 リーシャの珍しい態度を見ていたサラは、迷っているカミュを動かす一言を告げる。それに呼応するようにメルエも言葉を繋ぎ、小さな溜息を吐き出したカミュは、進路を左手にある上り階段へ取ったのだった。

 慎重に階段を上った先には細い回廊が繋がり、一つだけある木窓から差し込む陽光だけでもその全てを照らし出す事が出来ている。魔物の姿はなく、その気配さえもない。危険性はないと判断したカミュは、そのまま回廊を真っ直ぐに進んで行った。

 先へ進むと見えて来たのは下の階層へ降りる階段。再び現れた階段に顔を見合わせた一行は、階下の様子を探りながらも、一歩一歩下へと降りて行く。再び一階部分になる筈の場所にも拘らず、漆黒に近い闇に覆われた場所の為、カミュとリーシャは『たいまつ』に火を点した。

 

「ちっ!」

 

「な、なんだ、これは……」

 

 階下へと降り、周囲にあった燭台へと炎を移したリーシャは突如として現れた物に目を見張り、カミュに至っては盛大な舌打ちを鳴らす。

 この階層は小さな一つの部屋しかなかった。その部屋は天井の高さは高く、広さもかなりの物となる。だが、それが彼等の驚きの理由ではなく、その部屋に置かれた一つの巨大な石像が彼等の意識を奪っていたのだ。

 トロールという巨人族と言っても過言ではない魔物と同程度の背丈を持つその石像は、禍々しい程の空気を放つ兜を被り、右手には人間の意識を圧倒する程の装飾が施された斧を持っている。その奥には何もなく、広間にはその石像一体しか置かれていない。だが、その石像は何かを護るかのように、階段がある方向に向かって立っていた。

 

「あの斧は……」

 

「……以前に泉の精霊様がお持ちしていた物ですか?」

 

 その石像に目を奪われていたカミュとメルエであったが、リーシャとサラはその石像の右手に握られている武器に目が行っていた。特に女性戦士にとって、その斧は意識の全てを持って行かれる程の存在感を示していたようだ。

 一言呟いたまま、固まってしまったように視線を動かさないリーシャに、サラはその武器を以前に見た場所を思い浮かべる。彼女は傍で不思議そうに見上げるメルエの顔を見て、嫌な思い出と共にその場所を思い出した。

 以前、最後のカギを入手した後に立ち寄った船の食料調達場所で、休憩を兼ねて一行が訪れた巨大な泉でそれを見ている。ミミズという未知の生物に興味を示したメルエが、それを嫌がるサラを追い駆けた際に泉に落としてしまった鉄の槍を巡っての一連の騒動。

 泉の精霊が落ち込むメルエに救いの手を差し伸べる。落ちた物とは別の物を泉から拾い上げ、その心の清らかさを試したのだ。その拾い上げた物は全てで三つ。

 一つは、只の檜の棒。

 一つは、サラの持ち物であり、メルエが落とす原因を作った鉄の槍。

 そして、今、目の前の石像が右手に持つ斧である。

 

「今の私ならば、アレを扱えるだろうか……」

 

 あの泉で斧を見た時も、リーシャはその斧に瞳も心も奪われている。

 彼女は『戦士』である。

 その手に武器を持ち、己の肉体とその武器の扱いのみで戦って行く者。

 故にこそ、彼女は誰よりもその斧に心を惹かれる。

 

「……あれ? 今、あの石像の目が動きませんでしたか?」

 

「…………うごいた…………」

 

 呆然と見上げるカミュと、石像の手にある武器に釘付けになっているリーシャの横でサラはその石像の変化に気付いた。そして、その問いかけを不思議そうに小首を傾げながら隣で見ているメルエにすると、サラの目を見て彼女は頷きを返す。

 魔王城という場所に居ながら緊張感が足りなかったと言われれば、それに反論する事など出来ないだろう。だが、如何に不可思議な出来事を見続けて来た彼等であっても、まさか石像が動くとは思わなかったに違いない。

 だが、それが危機を生み出す事になる。

 

「リーシャさん!」

 

 石像の右腕に気を取られていたリーシャが一瞬で消え去った。

 部屋の壁に叩き付けられる音を立て、人類最高位に立つ『戦士』が真横へ吹き飛んだのだ。斧を持った右腕ではなく、石像の左腕がリーシャを真横から殴り飛ばしている。サラの言葉通り、この石像が動き出した事の証拠であろう。

 何が起こったのか解らないカミュとメルエは、戦闘に入るのが遅れてしまう。サラは隣に居たメルエを後方へ弾き飛ばし、未だに呆然としているカミュへ大声を張り上げた。後ろに転がるメルエの苦悶の声が響くより前に、サラの頭上から巨大な岩拳が振り下ろされる。

 壁に叩き付けられたリーシャの安否は定かではない。その上で唯一の回復役と言っても過言ではないサラを失えば、この一行が全滅するどころか、人類だけではなく世界の命運の幕も閉じる事になりかねない。それだけの威力をこの石像の拳は持っていた。

 

「アストロン!」

 

 しかし、その危機は、世界を救う存在によって阻まれる。

 いつもでは絶対に聞く事の出来ない程の声量で唱えられた詠唱は、巨大な岩拳を受け入れるだけしか選択肢のなかったサラの身体を、何物も受け付ける事のない鉄へと変えて行った。

 振り下ろされた岩拳の方が砕けてしまったのではないかと思う程の轟音が広間に響き渡る。それ程の威力を持った一撃であり、もし『勇者』特有の呪文がなければ、サラの身体など跡形もなく潰れてしまった事だろう。

 

「メルエ!」

 

「…………ん………イオラ…………」

 

 再度振り下ろされる拳を見たカミュが、杖を支えに立ち上がったメルエに向かって指示を飛ばす。その内容を正確に把握した少女が、その杖を石像に向かって振り下ろした。

 瞬間的に圧縮された空気が、一気に開放される。拳が生み出した轟音に勝るとも劣らない爆発音を生み出し、石像の拳を後方へと吹き飛ばす。続いて、態勢を崩した石像に向かって高々と掲げられたカミュの剣が、その力の一部を解放した。

 石像の顔面部分の空気が一気に圧縮され、凄まじい程の爆発音を立てて開放される。狭くはない広間の壁が揺らぎ、天井から細かな破片が舞い落ちて来た。

 

「はっ!? リーシャさんの具合を診に行きます!」

 

「頼む!」

 

 カミュとメルエの奮闘により、近々の脅威は回避出来た。轟く爆発音によってようやく意識を取り戻したサラは、反対側の壁に叩き付けられたリーシャの早急な回復が必要である事に気付き、駆け出して行く。その際、背中に掛けられた言葉を聞き、不謹慎ながらも小さな笑みが浮かんでしまうのだが、それはサラとリーシャにしか解らない感情なのかもしれない。

 岩で出来た石像に、多少の爆発が通用するかは定かではない。土埃と煙に撒かれた向こう側の魔物から注意を逸らさず、カミュは己の剣を握り締めた。

 サラという『賢者』は、最高位の回復呪文を習得している。腕や足を欠損していない限り、大抵の傷は治癒させる事が出来るだろう。故に彼は女性戦士の身を案じている訳ではない。だが、治癒途中で再度魔物の脅威に曝される事になれば、最悪命を落としかねない。その危険性がある以上、この未知なる魔物を彼女達二人の場所へ行かせる訳にはいかないのだ。

 

「ちっ! 無傷か……」

 

「…………むぅ…………」

 

 強大な敵とはいえども、メルエの呪文と神代の剣の神秘をその身に受けたのだから何らかの損傷をしているかもしれないというカミュの淡い期待は、煙の向こうにはっきりと見えたその姿に脆くも崩れ去る。カミュの足元で杖を握っていたメルエも、自分の魔法に何の効果もなかった事に不満そうに頬を膨らませていた。

 カミュの背丈の倍もあろうかという巨体がその巨大な右腕を振り下ろす。禍々しい威圧感を放つ巨大な斧が今代の『勇者』へと迫り、その素早い行動に避ける事が叶わないと悟った彼は両腕で盾を頭上へと掲げた。

 

「…………スカラ…………」

 

 盾に真っ直ぐ振り下ろされた斧が、龍種の鱗で覆われたその面に触れる直前に、人類最高位に立つ『魔法使い』の魔法力がカミュを覆った。魔法力によって緩和された斧の衝撃であるにも拘らず、カミュの身体が床に沈み込む。呼吸をしていてはその力に押し込まれそうになってしまう為、呼吸を止めたカミュの顔が赤く染まって行った。

 いつもならば横合いから救いの一撃を放ってくれる筈の女性戦士は、唯一の回復役であるサラの治療を受けている。抗う事の出来ない程の圧力から逃れる方法が思い浮かばないカミュの心に小さな諦めが生まれていた。

 どんな時でも彼が諦めという感情を持った事はない。いや、正確に言えば、彼は幼い頃からその生を諦めていたのだろう。故に、何が起ころうとも、何を見ようとも、どれ程の苦境に曝されようとも、諦めという感情を持つ事はなかった。

 既にどんな事も諦めているのだ。再度物事に希望を持つ事もなく、希望を持つ事がないからこそ諦めという想いを持つ事もない。

 そんな彼の心に、僅かではあるが諦めという感情が戻った。

 それは、彼の周囲にいる三人の女性が、絶え間なく注いで来た感情の結果なのかもしれない。

 

「バシルーラ!」

 

 『勇者』として生きる事を強要されて来た青年の心を変えて来た女性の一人の詠唱が、広間に響き渡る。リーシャが吹き飛ばされた方向から紡がれた詠唱は、一陣の風と、抗う事の出来ない程の強制的な反発力を生み出した。

 カミュに斧を押し付けていたその魔物は、見えない力に弾き飛ばされたように、その巨体を反対側の壁に叩き付けられる。巨体が壁にぶつかる轟音と、崩れる天井の一部が再び一行と魔物の間を裂いた。

 

「リーシャさんならば大丈夫です! まだ気を失っていますが、身体の異常は治癒しました!」

 

 圧力から開放されたカミュは呪文の行使者の方へ視線を送り、満足行く答えを貰い大きく頷きを返す。

 気を失っているとはいえ、屈指の戦士であるリーシャであれば、即座に目を覚ます事だろう。不意を突かれた為に思わぬ危機に陥った一行ではあったが、四人揃った状態で魔物に遅れを取った事など一度足りともない。ここからが本当の戦闘になるのだ。

 巨体の魔物はこの部屋から飛び出してはいない。外での戦闘であれば、魔物の姿は遥か彼方に吹き飛ばされていただろう。だが、篭城や襲撃を前提に造られたであろうこの魔王城の壁は、想像以上に堅固であり、巨体の石像が激しく衝突しても、崩れる事はなかった。

 起き上がる石像。その手に握られていた斧は、先程の衝撃で石像の手から離れてしまっている。だが、その身体には僅かな亀裂が入っているものの、その擬似的な生命に何一つ損傷はない。咆哮一つ上げず、奇声一つ発しない魔物が再び目の前に立つ事は、命を持つ生物にとって恐怖を感じさせる程の物であった。

 

<動く石像>

ネクロゴンドの城には、襲撃者を数多く討ち取り、退けて来た者達を讃える石像が数多く作られていた。その偉業を讃えるように、その力を讃えるように、石像の身体は実寸よりも大きく造られ、その偉大さを後世まで残して行ったのだ。

だが、ネクロゴンドにある城が魔族の手に落ち、その城を強大な魔法力を持つ魔王が居城とした頃から、その石像達には生前の英雄達の意思が蘇って行く。

それは、『襲撃者の排除』という使命。

城の平和を乱す者達を殲滅するという想いだけが宿った石像は、魔王の魔法力の影響もあり、その矛先を生前護り続けて来た者達に向ける事になった。

 

「メルエ、援護を」

 

「…………ん…………」

 

 立ち上がる石像の拳を掻い潜ったカミュは、その手にある稲妻の剣を横なぎに振るう。しかし、如何に神代の剣であろうとも、魔王の魔法力によって強化された石像を一刀両断出来る訳ではない。石像の左足部分を斬りつけるが、その足に小さな傷を生む程度の効果しかなかった。

 稲妻の剣に刃毀れはないが、打ち付けた腕に痺れは残る。眉を顰めたカミュに向かって間髪入れずに巨大な拳が迫っていた。唸りを上げる拳が直撃すれば、如何に神代の鎧を纏っているとはいえ、無傷では済まない。咄嗟に盾を構えたカミュの身体に圧倒的な衝撃が襲い掛かった。

 

「…………イオラ…………」

 

 カミュが衝撃の強さに耐えられずに後退し、それを追うように振り翳された拳を見たメルエは、その杖を真っ直ぐに振るう。再び爆発音が広間に響き渡り、動く石像の身体が再び反り返った。

 既に三度目となる爆発呪文に加え、先程のバシルーラによる壁への衝撃を考えると、この部屋が如何に耐久力に優れていたとしても、限界が近い可能性は否定出来ない。この場所で強力な攻撃呪文を行使する事は自滅行為に近いと言っても過言ではないのだ。

 

「…………バイキルト…………」

 

 そして、その事を理解出来ないメルエではない。自分の頭に降り注ぐ細かな埃や岩の欠片を見たメルエは、以前に受けたサラの小言を思い出したのだろう。即座にカミュの武器に向かって補助呪文を行使し、その魔法力を纏わせる事にした。

 ジパングという異国の国にある洞窟内で、ヤマタノオロチという強大な敵と戦闘を行った際、その洞窟の崩壊を危惧したサラは、爆発呪文を抑制するようにメルエを窘めている。その時は、イオとイオラという呪文の違いを理由に逆らうような態度を取ったメルエではあるが、現在の彼女は自身の魔法力が生み出す脅威を理解しているし、その脅威が大事な者を傷つける可能性がある事も明確に把握しているのだ。

 

「メルエ、よく耐えてくれました。あの魔物を弾く為には、爆発呪文も致し方ありません。それに、建物が壊れないように、調整してくれていたのでしょう?」

 

「…………サラ…………」

 

 そんな幼い少女の成長は、彼女を教え導き、その成長の過程を見守って来た姉のような存在に認められた。柔らかな笑みを浮かべたその顔は、メルエの心に勇気と安心を運んで来てくれる。大きく頷いたメルエは、再び自分達に襲い掛かる石像へと視線を送った。

 人類最高位に立つメルエという『魔法使い』の本気の魔法力でイオラを唱えていれば、如何に魔王の魔法力に護られた動く石像といえども無傷でいられる訳はない。そして、それ以上にこの場所が崩壊しない事など有り得はしないのだ。

 それを知っているサラは、メルエが魔法力を調整しながら、動く石像を怯ませる程度に爆発の規模を抑えているのだと考える。その証拠に、カミュの持つ稲妻の剣が生み出す神秘と、メルエの放ったイオラの威力に大差がなかった。神代の剣という事を考えても、メルエという稀代の『魔法使い』が生み出す力と拮抗するような物を、武器という存在が生み出す事など不可能に近い。ならば、幼い少女がその部分をしっかりと調整している事に他ならなかった。

 

「ふん!」

 

 サラがメルエの横に立ち、動く石像へ視線を送る頃、態勢を立て直したカミュの攻撃が再度動く石像の足を捉える。横薙ぎに振られた稲妻の剣が、再度石像の左足の膝裏部分に辺り、火花が散るように輝きを放った。

 先程のように弾かれる事なく突き刺さった剣の部分から、石像に小さな亀裂が入る。石像の足をける事によって剣を抜き放ったカミュ目掛け、もう片方の足が振られた。

 巨大な石像の足が唸りを上げる。そんな迫り来る脅威に盾を構えたカミュの横から一陣の風が吹き抜けて行った。

 

「うおりゃぁぁ!」

 

 飛び込んで来た人物が一気に振りぬいた細身の剣は、薄暗い部屋の中でも輝き、その残像を残す程に鋭い。世界で唯一の『賢者』の魔法力を纏ったその剣は、凄まじい勢いで迫る石像の足に突き刺さり、その膝から下を斬り飛ばした。

 巨大な足がまるでチーズを切るように斬り落とされ、その勢いを失う事無くカミュの方へ飛んで行く。自分の身体の半分以上もある巨大な足が自分に向かって飛んで来る事に気付いたカミュは、構えていた盾を下げ、横に飛んだ。僅かにカミュの左足に当たり、骨が折れる音が広間に響き渡る。その音を聞いたサラは、即座にカミュへと駆け寄った。

 

「あの馬鹿力が……」

 

「ふふふ。カミュ様、すぐに回復呪文を唱えます。それに、リーシャさんの援護がなければ、如何にメルエのスカラの効力があるとしても、全身の骨が砕けている可能性もあるのですから……」

 

 痛みに表情を歪めたカミュの悪態を聞いたサラは、再び不謹慎ながらも笑みを溢す。メルエの魔法力を纏っているカミュの稲妻の剣でさえ、その左足に亀裂を入れる事しか出来なかったにも拘らず、サラの緻密な魔法力を纏っているとはいえども、まるでナイフでチーズを切るように石像を斬ったリーシャに対する評価としては、余りにも酷い物だったからだ。

 それがカミュなりの信頼を示しており、その中に僅かばかりの悔しさを含んでいる事を知っているサラは、この二人の関係を羨ましく思えていた。自分よりも一つ年下ではあるが、何処か兄のように思う事もあり、姉のように慕うリーシャとのやり取りを頼もしく思う事も多い。

 それだけ感情の変化をして来た自分を不思議に思うと同時に、それ程の強い絆を築いて来た事を誇りに思う。笑みを浮かべながらも、無意識に溜まって来る涙が床へ一粒零れた事で、ようやくサラは自分が涙している事に気付いた。

 

「メルエを頼む。それと、全員にスクルトを」

 

「はい。補助と回復はお任せ下さい」

 

 足の骨が繋がれ、即座に立ち上がれる程に回復する最上位の回復呪文の凄まじさを実感したカミュは、驚きの表情を浮かべながらも、足の具合を確かめる。異常がない事を確認した彼は、剣をしっかりと握り締め、振り返る事無く動く石像と対峙しているリーシャへと視線を向けた。

 自分を見ようともせずに指示を出すカミュの言葉を、サラは何故か嬉しく感じる。そこには確かな信頼と、見えない絆があると胸を張って言える程の暖かさがあったからだ。歪む視界を強引に振り払い、前を向くカミュは見る事のない笑みをサラは浮かべた。

 人類最高戦力が、最高の形で結集した。

 

「…………マヒャド…………」

 

 片足を失い、身体の重心の置き場を失った動く石像が片腕を床に着ける。亀裂の入った左足に一撃を加えたリーシャは、そのまま一度飛び退いた。その瞬間を逃さず、メルエがその杖を振るう。

 一気に吹き荒れた冷気は部屋の全ての物を一瞬で凍りつかせて行く。人類最高位の『魔法使い』が唱える最上位の氷結呪文を見ると、外観で遭遇したスノードラゴンが吐き出す吹雪など児戯に等しい。カミュやリーシャの吐く息も瞬く間に凍りつき、動く石像の足元だけではなく上半身までも氷で包み込んで行った。

 石像が氷像に変わって行く。床に着いた腕をそれでも動かそうとするが、急速に凍りついた掌は床と結合しており、肘から先が折れてしまった。

 その状況を見たリーシャとカミュは己の武器を掲げて一気に動く石像へと駆けて行く。振り抜かれたカミュの稲妻の剣が亀裂の入っていた左足を斬り飛ばし、振り下ろされたリーシャのドラゴンキラーが根元から凍りつき始めた石像の首を強打した。

 バイキルトという付加呪文の支援を得たドラゴンキラーであっても、魔王の魔法力で強化された石像の首を斬り落とす事など通常であれば不可能である。それを考えれば、動く石像の足を斬り飛ばしたあの一撃は、リーシャという戦士の会心の一撃だったのであろう。

 

「最後だ!」

 

 完全に凍りついた石像の首には、先程のリーシャの一撃で亀裂が入っている。その亀裂に寸分の狂いもなく、再度彼女の剣が食い込んだ。

 金属が硬い物を叩いた音が部屋に響き、亀裂が一気に首全体へと広がって行く。飛び込んで一撃を繰り出したリーシャが着地すると同時に、床を揺らす程の振動を残して動く石像の首が落ちた。

 戦闘の終結である。

 息を吐き出したカミュが稲妻の剣に布を巻き始めるのを見て、メルエがその腰へとしがみ付いた。そんな少女の行動に苦笑を浮かべながらもサラが近づいて行く。だが、そんな三人とは一歩離れた場所で、リーシャだけは自分の剣を掲げてそれを見つめていた。

 

「刃が反れた……」

 

「ドラゴンキラーがか?」

 

 不思議に思ったカミュが近づくと、陽の光に照らすようにドラゴンキラーを掲げていたリーシャが小さな呟きを漏らす。その呟きを聞いたカミュは驚きに目を見開いた。

 刃が反ってしまったという事は、余りにも硬い物を斬った為に歪みが生じてしまった事と同意である。龍種の牙と爪を鍛えたドラゴンキラーは、龍種の鱗でさえも容易く斬るという逸話の元、その名が付けられていた。それにも拘らず、ドラゴンキラーの刀身が歪んでしまったという事は、それ以上に石像の強度があったのか、それともこのドラゴンキラーの改良の中で落ち度があったのかのどちらかという事になる。

 ドラゴンキラーの本来の形は、斬る物ではなく穿つ物である。それを剣としての機能を持つ為に、カミュが改良を依頼し、ジパングの鍛治が鍛え直した事によって、リーシャが持っている形へと作り直されたのだ。カミュがその剣を見た限り、ジパングの鍛治屋の腕に疑うような部分はない。それでも、本来の形の時よりもその耐久度が落ちているという可能性は捨て切れなかった。

 

「…………おの……ある…………」

 

 『龍殺しの剣』という名を持つ程の物の喪失というのは、武具を愛するリーシャにとってかなり心に堪える部分があったのかもしれない。そんな意気消沈した姉のような存在の様子を見ていたメルエが何とか元気付けようと、その足元に立って崩壊した石像の向こうを指差した。

 その場所に転がるのは、石像が持っていた斧。

 怪しく禍々しい程の輝きを放つその斧は、何かを待つようにその場所に横たわっている。

 

「あれ? 石像が持っていた時よりも小さくなっていませんか?」

 

「……また、その類の武器か」

 

 横たわる斧を見たサラは、その姿に一抹の疑問を持つ。斧の形態が余りにも不可思議な物だったからだ。リーシャの倍近くある巨人が右手に持っていた斧である以上、それ相応の大きさを持つ物である筈だが、床に横たわるそれは、カミュ達が持つ武器とそれ程大差ない。

 巨人が持っていた為大きく見えたのか、それとも巨人の手を離れた為にその大きさを変化させたのかは解らない。唯一つ言える事は、カミュの持つ稲妻の剣や、メルエの持つ雷の杖と同様、そのような武器であるという事だろう。

 

「アレはアンタの物だ」

 

「そうですね。リーシャさんの武器ですね」

 

「…………リーシャ……おの……つよい…………」

 

 ドラゴンキラーを腰の鞘に収めたリーシャは、横たわる斧の傍に近づき、震える手でその斧を手にした。吸い付くように右手に収まった斧は、ずっしりとした重量を持ちながらも、使い慣れた武器のような感覚にさえ陥る。

 両刃でありながら片方の刃が広く、その鋭さは近づいただけで切り刻まれそうな程。小さい方の刃も鋭く、その斧がまともに当たれば、全ての物を斬り裂くのではないかと思う程である。両刃を支える柄の先端には、龍種の首のようなオブジェが付けられてはいるが、その禍々しさは龍種ではなく魔族であると言われても納得する物であった。

 

「魔人の斧ですね」

 

「……ほぅ、それは私が魔人のようだという事か?」

 

 手にした斧を数度振るリーシャを見て、サラは久方ぶりに失言をしてしまう。サラにしてみれば、英雄を模したとはいえ、自分の倍近くの大きさがある石像が手にしていた武器である。あの石像を見る限り、『魔人』と称しても何らおかしくはないだろう。故にこそ、彼女はその斧を『魔人が持っていた斧』という意味で口にしたのだ。

 だが、その斧を手にした事で少なからず喜びを感じていたリーシャからすれば、何とも不快な言葉である事も事実である。元々吊り目気味の瞳を鋭く細めた視線を受け、サラは久しく感じていなかった冷たい汗の感覚を思い出した。

 

「あの兜も被ったらどうだ?」

 

「そ、そうですね! あの兜も良い品なのではありませんか!?」

 

 迫る恐怖に耐えられなくなったサラへ思わぬ助け舟が出される。その言葉に慌てて乗ったサラは、裏返った声で、床に転がる兜を指差した。

 そこには、先程の石像が被っていた兜が転がっている。こちらも、石像が装備していた時よりもその形状を変化させており、人間が被れる程の大きさになっていた。見た目は無骨な兜であり、特徴的な物は何一つない。使用されている素材は貴重な物なのだろうが、一目では解らない物であった。

 

「……あれは何か嫌だな。それに、石像が最後まで被っていた兜など、何処か縁起が悪いだろう。私の運気まで落ちてしまいそうだ」

 

「由緒正しい物かもしれませんけれど……」

 

 誤魔化すように提案したサラであったが、その兜に不思議な力があるのではないかと考えていた事も事実である。だからこそ、リーシャの余りの物言いに、驚いてしまったのだ。

 あの石像がどのような意図で作成されたのかを彼等は知らない。だが、形状を変化させるような武具が只の物である訳がない。何らかの謂れがある物である可能性は高く、それなりの力を備えている物であると考えるのが普通であろう。ましてや、リーシャの頭部を護る防具は、ポルトガ国で購入した鉄兜であり、この魔王城まで来た彼らにとって、心許ない防具であるのは確かであった。

 故に、サラは再度リーシャに勧めるのだが、そんな真剣な提案にもリーシャは頑として首を縦に振らなかった。

 

「アンタが被らないのであれば、必要のない物だ」

 

「……何か勿体無い気もしますね」

 

 カミュは父親が装備していた兜を被っており、サラやメルエが重い兜を装備する事は出来ない。必然的にリーシャが必要ないと言えば、その兜は打ち捨てて行く他ないのである。何か惜しい気持ちを捨てきれないサラであったが、満足そうに斧を背中に括りつけるリーシャを見て、それを持って行く事を諦めた。

 来た道を戻るカミュに続いて、マントの裾を握ったメルエが階段を上り、リーシャに促されたサラが続いた後、リーシャは石像の残骸へ最後に視線を送り階段を上って行った。

 闇と静寂が戻った部屋の中で、床に転がった兜からは、悲痛の声が響いていた。

 

<魔神の斧>

サラは、それを手にしていた石像や、その後を継承した女性戦士を見て、『魔の人』という意味で『魔人』と称していたが、本来は『魔の神』が所有していたと伝えられる斧である。魔族や魔物の頂点に立つ魔王という存在よりも遥か高みに存在する、『魔の神』。世界を手中に収める事が出来る程の力を持ち、精霊ルビスよりも高位の力を有する者である。遥か昔、世界に神や精霊しかいない時代に、戦い破れ、その部下と共に封印されたと伝えられる。その際に創造神が拾い上げた武器が、この斧と云われ、長い年月を経て『人』の世界に降りていた。

 

<不幸の兜>

リーシャが感じ取った通り、装備した者の運気を下げると伝えられる兜である。遥か昔英雄と呼ばれた者が装備していた兜であったが、その英雄がとある戦いで流れ矢に貫かれて死んだ事に始まり、その後の所有者も次々に不慮の死亡理由で他界して来た事から、敬遠され続けた兜である。三代目の所有者辺りまでは偶然の産物に過ぎないだろう。だが、度重なる不幸は人々の心に恐怖を運び、その恐怖を煽るように噂は肥大して行く。結果、その兜には不幸な死を迎えた者達の怨念が宿り、只の噂を真実へと変えてしまった。以来、この兜を装備した者は、自ら死地へと赴くような行動を取るようになり、装備者を不幸へ導く兜として『不幸の兜』と名付けられる事となる。

 

 

 

 




読んで頂き、ありがとうございました。

バラモス城も三話目です。
ようやくこの武器を描けました。

ご意見、ご感想を心よりお待ちしております。

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