新訳 そして伝説へ・・・   作:久慈川 京

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バラモス城②

 

 

 

 魔王の膝元で一夜を明かす事は、かなりの困難であった。

 夜が更けるほどに、周囲の庭園には魔物の咆哮などが轟き、交代で見張り行う筈であったカミュとリーシャが揃って起きなければならない場面が多かったのだ。実際に、室内へと続く扉が大きく揺れる場面などもあり、幼いメルエでさえも何度か眠りから強制的に戻される場面もあった。

 それでも、階段から上って来る魔物はおらず、直接的な戦闘がなかった事だけは僥倖であろう。十分な休息を取る事は出来ず、身体的な疲労が抜けはしなかったが、余計な体力と魔法力を使用せずに済んだ事は確かである。

 

「メルエ、起きて下さい。出発しますよ」

 

「…………むぅ………メルエ……ねむい…………」

 

 眠るメルエを揺り起こしたサラは、幼い少女が眠たそうに目を擦る姿に苦笑を浮かべる。この四人の中では、メルエが最も眠っていた事は事実である。だが、魔法力の量は圧倒的にメルエが上位に立っており、その魔法力を回復させる為にも、身体が眠りを欲しているのだと考えれば、彼女が不機嫌そうに頬を膨らませるのも尤もな事なのだ。

 これから数多くの魔物と遭遇しながらもそれを討ち果たし、辿り着く先に居るであろう魔王バラモスをも討伐しなければならない。その戦闘の数々は命を賭した戦いであり、その戦闘にメルエの行使する呪文は必須である。それを理解しているからこそ、カミュやリーシャ、そしてサラは、メルエという最も幼い少女の体力を最優先に考えていたのだ。

 

「メルエ、我慢してくれ。この先の戦いにはメルエの存在が絶対に不可欠なんだ」

 

「…………ん…………」

 

 むずかるメルエと視線を合わせたリーシャは、その瞳を見ながら真剣に語り出す。その言葉を聞いたメルエの瞳がしっかりと開かれ、強く頷きが返された。

 『自分が必要とされている』という気持ちは、どんな人間であっても嬉しい物である。それが自分が最も信頼する者からであれば、尚の事であろう。リーシャという母のように慕っている相手にここまで言われたという事がメルエの自信になり、誇りとなる。

 先頭のカミュが慎重に扉を開け、庭園へと出た事によって、その後ろを女性三人が続いた。外は晴れ晴れとしており、昨日以上に暖かな太陽の光が降り注いでいる。昨日訪れた時と同様、とても魔王という物が作った場所には思えない。それ程に美しい光景にサラは目を細めた。

 

「カミュ、もう一度正門から入るよりもあの階段から下って戻った方が良いのではないか?」

 

「そうですね。正門から入った先の広間に居た骸骨達が蘇っていたら厄介です」

 

 一度外へ出た一行ではあったが、リーシャの発言は的を射たものであり、サラもその発言に同意を示す。確かに、広間に詰めていた地獄の騎士の数は尋常ではなかった。その地獄の騎士が再び待ち構えていたとすれば、それはかなり厳しい戦いになる事は間違いがない。

 カミュ達の力量は人外の物へと昇華してはいるが、その肉体は間違いなく『人』であり、昨日の疲れが取れていない現状での過酷な連戦は魔王への道を困難な物へと変えてしまう可能性さえある。それ故に、リーシャは来た道を戻るような提案をしたのだ。

 

「一応、選択しなかった方へも向かってみましょう」

 

「……わかった」

 

 リーシャの提案を即座に聞き入れたカミュが階段を下る際、サラはもう一つの提案を口にする。地下の階層では、一度だけリーシャに道を尋ねた分かれ道があった。彼女が指し示した方向ではない道を選択した結果がこの状況である以上、もう一つの道に何かがある可能性もあるのだ。

 少し誇らしげなリーシャの顔に溜息を吐いたカミュは、サラの提案に明確な返答をしないままに階段を下って行く。しかし、問題の分かれ道に辿り着いた時、迷いなくリーシャが指し示した事のある方へ足を向けた事から、サラの言い分に一理がある事を理解していたのだろう。

 右へと道を折れた後は完全な一本道となっており、陽の光の届かないような通路を歩く為に『たいまつ』を取り出した一行は、そのまま突き当りまで真っ直ぐに進んで行く。そして、いつものように行き止まりへと辿り着いた。

 

「……ここは」

 

「…………ベッド…………」

 

 地下の一室と言っても過言ではない広さのある空間には、照らし出す明かりさえない。手に持つ『たいまつ』を向けたリーシャは、その異様な光景に絶句し、その後ろから顔を出したメルエが、所狭しと並べられている物の名称を口にした。

 メルエが言うように、この空間には幾つものベッドが置かれている。それは、家屋にあるようなベッドではなく、怪我人や病人を運び入れる為に用意されるような簡易的な物ばかりであった。

 かなりの時間が経過している事を感じさせる年季の入ったベッドは埃塗れになっており、木造の足が折れている物さえある。足の折れたベッドは傾き、その上に乗っていたであろう物を硬い地面へと落としていた。

 ベッドに横たわっていたであろう物。それは、やはり人骨であった。

 無数のベッドの上には、朽ち果てた白骨が散らばっており、既に腐臭さえも漂っていない事から、白骨化したのが遥か昔である事を示している。中には包帯であったのではないかと思わせる布が巻かれた白骨などもあり、この場所が怪我人の収容所であった可能性もあった。

 

「この城に人が住んでいたのでしょうか?」

 

「……この城は、人間が建造した物であると言われても納得出来る程の構造をしている。襲撃に備えるような造りは、魔物を束ねる魔王には必要のない物だろう。もしかすると……遥か昔にはこのネクロゴンドにも王国が存在していたのかもしれない」

 

 ベッドに横たわる白骨であった物を見ていたサラは、自分の胸の中に湧き上がった疑問を抑える事が出来ず、隣に立つリーシャへと問い掛けてしまう。その問い掛けに眉を顰めたリーシャは、搾り出すように言葉を紡いだ。

 この四人の中で国家に属していたのはリーシャ唯一人である。正確に言えば、世界中に広まるルビス教会に属していたサラもアリアハン国民であるし、アリアハンの町の片隅で暮らしていたカミュもまた、歴としたアリアハン国民であるのだが、国家の職に就いていたのはリーシャだけなのだ。

 そのリーシャから見ても、この城の外観は篭城を意識した造りになっているように感じる物であった。城壁は遥かに高く、二重の門が敵の侵入を防ぎ、城の内部へと続く道も数多くの虚偽に満ちている。これ程に攻め難い城は、世界中の国家を回った彼女であっても見た事がなかったのだ。

 魔王という存在は、世界中を恐怖に陥れるほどの者であり、その力は脆弱な人間ばかりか、魔法力を持つエルフ族でさえも敵わない程の物であろう。それ程の存在が他者の襲撃を恐れる意味がない。どれ程の存在であろうとも退け、屈服させる程の力があるからこそ魔王なのである。それ故に、リーシャはそう結論付けたのだ。

 

「魔王バラモスの台頭は、それ程昔の話ではない。だが、それ以前にも歴史に埋もれた存在が居た可能性はあるだろうな」

 

「魔王バラモス以前の存在……それは?」

 

 リーシャの言葉に暫し思考していたカミュではあったが、自分達の知らない歴史がある可能性を示唆する。魔王バラモスが台頭して数十年と言われている。これ程世界を恐怖に陥れてからでも百年は経過していない筈であった。

 だが、魔物はそれ以前にも存在していた事は事実であり、それこそ人間などよりも遥かに長い歴史を持っている。人間がこの世に生まれ、国を作ってからの長い歴史全てが書として残っている訳ではない。語られる事のない歴史や、受け継がれる事のない歴史も当然存在するのだ。

 魔物に長い歴史があるように、突然台頭して来たバラモスという魔王にも歴史がある筈であり、その出生や経歴があっても可笑しくはない。魔王バラモス台頭以前にこの世界を席巻した存在が居ても何ら不思議な事ではないのだ。

 

「サラ、それを考えるのは今ではない。今は唯一点だけを見つめろ。私達がここへ来たのは、魔王バラモスの打倒であり、それ以外を考えるのはそれを成した後だ」

 

「は、はい」

 

 カミュの言葉に更に疑問を被せようとするサラを制したのは、そんな疑問の元を生み出した女性戦士であった。どこか納得が行かないような表情を浮かべたサラであったが、その言葉が尤もである事を理解し、再度表情を引き締める。

 どんな疑惑がこの場所にあろうと、彼等の目的は唯一つ。

 『魔王討伐』唯一点だけである。

 

「……戻るぞ」

 

 この場所でいくら考えたところで彼等の目的が変わる訳ではない以上、この場所に居る事自体が不要である。短く呟かれたカミュの言葉に他の三人が頷きを返し、再び来た道を戻って行った。

 分かれ道を過ぎ、正門を潜った先にあった広間へと続く階段を上る。地獄の騎士のような存在の強襲を警戒し、慎重に顔を出したカミュは、『たいまつ』を向けた先が昨日のまま放置された状態であった事で、後方の三人を誘導した。

 もはや、消し炭になった骨の残骸や、カミュとリーシャによって核までも傷つけられた骨の残骸が散らばる中、カミュは窓らしき物から差し込む陽光と『たいまつ』の明かりによって周囲を確認する。そして、上って来た階段の対角線上に、更に上の階層へと続く階段を発見した。

 最早言葉は必要ではなく、全員が小さく頷きを返し、その階段を上って行く。警戒をし過ぎるという事はなく、『たいまつ』の炎を消さずに上階へと上がるのだが、その場所から見える光景に、彼等は再び驚きの表情を浮かべる事とった。

 

「……また外なのか?」

 

「バルコニーのような場所でしょうか……」

 

 その場所は完全に行き場を失ったバルコニーのような場所であり、唯一の行動可能場所は、庭園へと降りる階段だけである。つまり、この正門から入った場所からは城の内部へ行く道が皆無と言う事になるのだ。

 これ程までに侵入者を恐れる城の構造というのは多くはない。まるで人間以外の襲撃を予定しているような建物の造りに、カミュ達は改めて驚きを表した。

 空から注ぐ太陽の輝きは、まるで霧によって遮られているかのように弱くなっており、照らされている城の各所に小さな影を作り出している。夜のように暗い訳ではないが、どこか頼りないその光を見上げた一行は、ここから先の行動に不安を感じていた。

 

「カミュ、こうなったら庭園を歩き回るしか方法はないぞ」

 

「……わかっている」

 

 階段があった下の広間には他に道はなかった。昨日の状況であれば見落としがあった可能性はあるが、今日は『たいまつ』まで使用しての細部の確認を行っている。故に見落としなどある筈はないのだ。そうなると、必然的にこのバルコニーから下の庭園へと下り、その庭園を歩き回る他に道がない事になる。

 バルコニーから見下ろす庭園に魔物の姿はない。いや、正確に言えば魔物の姿が見えないのだ。霧が掛かったように霞む庭園の視界は悪く、魔物の放つ瘴気に満ちたこの場所では、魔物の気配を細かく感じる事など出来はしないからである。

 

「カミュ様!」

 

 そんな状況の中で庭園へと先へ下りたカミュの頭上から迫る不穏な気配に逸早く気付いたのはやはりメルエであり、メルエが腕を引く事でそれに気付いたサラは前方のカミュに向かって叫び声を上げる。咄嗟に発せられた叫びによって、カミュは頭上から迫る存在に反応し、その鋭い爪を辛うじて避ける事が出来た。

 彼を襲った存在は、そのままカミュの前に浮かぶように滞空し、一行を睨みつける。両者動けない状況の中、新たにもう一体が上空から舞い降りて来た。

 それは、この世界の中でも希少種と呼ばれる存在であり、その鋭い牙と爪で敵を葬り、その堅固な鱗によって身を守り通す種族。『龍種』と呼ばれるその存在は、この世界の中でも魔族や魔物とは一線を画した存在であり、魔王とは関係を持たないと考えられていた。

 その種族が、魔王バラモスの居城と云われる場所に二体も現れたのだ。それが意味する事は、この龍種もまた魔王の眷属と成り下がってしまったという事。それは、これまでの歴史では考えられない事であり、魔王台頭後数十年の月日が経過する中、魔王バラモスの圧倒的魔力が更に強まった可能性を示唆していた。

 

「メルエ……大丈夫だ。カミュ、ここは私に任せてくれないか?」

 

 カミュ達一行の前に現れたのはスノードラゴン。グリンラッドやレイアムランドのような雪原を棲み処とする龍種であり、最下級のスカイドラゴンよりも上位の物ではあるが、その差は今のカミュ達にとって些細な物である。

 一歩前へと踏み出したリーシャが右手に握るのは、その龍種の牙や爪によって練成された剣。『龍種を殺す剣』という名を持つその剣は、リーシャが持つ事によって更なる輝きを放っていた。

 彼女がこの剣をカミュから譲られたのは数ヶ月前になる。ネクロゴンドの洞窟で稲妻の剣を手に入れたカミュは、それまで使用していた剣をリーシャへと手渡した。その日から、彼等が友と思う程に信頼する人間が作成に携わっていたこの剣を、リーシャは毎日丁寧に手入れを行っている。魔物の体液などで曇り始めていた刀身は、その丁寧な扱いによって、新品以上の輝きと鋭さを取り戻していた。

 

「二体同時に対処するつもりか?」

 

「サラやメルエもこの場所に挑むだけの力を有した。これくらい出来なければ、私はこの場所に挑む資格はないだろう」

 

 二体の龍種というのは、通常の人間であれば絶対に相手をしない存在である。通常の人間から見れば、圧倒的な存在であり、それこそ神の使いと考える地方さえもある。それ程の存在に対し、単身で挑もうと考えているリーシャに、カミュは少しばかり眉を顰めた。

 だが、リーシャは、目の前で唸る二体の龍種に脅威を感じては居なかったのだ。それは彼女が歩んで来た経験の裏付けであるのだが、その経験を彼女は誰よりも信じている。サラやメルエといった呪文使い達が次々と強力な魔法を行使し、魔王バラモスという存在に立ち向かえるだけの力を示して行く中、彼女はその力を自身の腕と身体だけで示していかなければならない。そして、それが出来るだけの力を既に自分が有している事を彼女は知っているのだ。

 幼いと思っていたメルエや、常に迷い悩むサラの力を見て焦りを感じている訳ではない。ダーマの頃のように、自分の力を卑下している訳でもない。先程まで、グリンラッドで見せたような表情をするメルエの肩に手を置いたリーシャは、胸を張ってスノードラゴンの前へと進み出たのだ。

 

「さぁ、曲がりなりにも龍種の力、見せて貰おう」

 

 『龍殺し』と『龍種の護り』という名の付く剣と盾を掲げた女性戦士が単身で二体の龍種と向かい合う。スノードラゴンが威嚇するようにその長い身体を伸ばして咆哮を上げた。

 人類最高位に立つ『戦士』と、世界最高種と呼ばれる『龍種』の戦いが始まる。

 

「グオォォォ」

 

 先制を取ったのはスノードラゴン。

 大きく開いた口から冷たく凍りつくような息を一気に吐き出した。晴天の庭園に突如吹き荒れる吹雪がリーシャに襲い掛かる。それでも瞬時に盾を掲げたリーシャは、その隙間からスノードラゴンの位置を把握し、真っ直ぐに歩を進めて行く。

 龍種といえども、吐き出す息が永遠に続く訳ではない。更に言えば、リーシャの掲げるドラゴンシールドという盾は、劣化した種族といえども龍種の鱗を張り合わせた物である。その効力として、火炎や吹雪といった物に対しての抵抗力は高いのだ。

 盾を持つ手が痺れるほどに冷たくなっている事を構わずに突き出された剣が、吹雪を吐き出し終えたスノードラゴンの胴体へと吸い込まれて行く。苦悶の叫びを上げたスノードラゴンの落ちて来た首をリーシャが一閃した。

 

「くっ!」

 

 一体のスノードラゴンの首が庭園に落ちた瞬間、リーシャの身体が真横へと吹き飛ばされる。もう一体の残ったスノードラゴンが、仲間の命を救おうと彼女へ体当たりをして来たのだ。龍種の身体がリーシャへと届く前に、仲間の首は地面へと落ちてしまったが、それを成した女性戦士の身体は渾身の力で吹き飛ばされた。

 地面を転がるように滑ったリーシャは、即座に態勢を立て直して剣を構える。そんな彼女の目の前で再びスノードラゴンの口が大きく開かれた。

 吹き荒れる吹雪。

 凍りつく草花。

 

「メルエ、いけません! これはリーシャさんの戦いです。手を出せば、後でリーシャさんに怒られてしまいますよ」

 

「…………むぅ…………」

 

 即座に盾を構え、吹雪に対して防御姿勢を取るリーシャを見た少女は、その背に縛り付けた杖を持ち、体内にある魔法力を動かし始める。しかし、その行動は、彼女の隣に立って真剣な表情で戦いを見つめていた『賢者』によって制された。

 この魔王城に来て、個人的な戦いも何もある訳ではないだろうが、先程のリーシャの表情を見る限り、彼女はこの戦いに並々ならぬ想いを持って挑んでいる事が理解出来たのだ。故に、サラはその戦いに割り込もうとするメルエを制した。

 メルエにとって、他人の矜持などに興味がない事など解っている。それこそ、この少女は大事な物を護る為ならば、常識も通例も、正論も正義も関係ないのだろう。誰が何を思おうと、誰が何を言おうと、大事に思う限られた者達を護るという事が、この幼い少女の誇りであり願いなのだ。

 それでも、この戦いにだけは手を出す事は許されない。それこそ、リーシャ自身が命の危機に瀕しているのであれば別ではあるが、今の現状であればその時ではない。サラの横にいるカミュは、全く動く気がないのか、胸の前で腕を組んだままであった。

 

「龍種の力、その程度の物なのか?」

 

 メルエの不安が杞憂であり、サラの信頼が正しかった事が、吹き荒れていた吹雪が収まったその先で明らかとなる。氷の付着するドラゴンシールドを下ろし、煌びやかに輝く剣を手にしたリーシャは、その場所に悠然と立っていた。

 メルエは花咲くような笑みを浮かべ、サラは先程までの自信が本物だったのかを疑いたくなる程の安堵の溜息を吐き出す。そんな二人の横では、微動だにしないカミュが戦いを見守っていた。

 無傷に近い状態で現れたリーシャの姿を見たスノードラゴンは、甲高い咆哮を上げて半狂乱の状態に陥る。そのまま、鋭い牙と爪をリーシャに向かって突き出し、空中を泳ぐように向かって行った。

 この龍種が何故この城に居るのかは解らない。

 魔王に呼び出されたのか、魔王の魔力に引き寄せられたのか。それとも、この場所に迷い込んでしまったのか、意図的にこの場所へ来たのかも解らない。もしかすると、誰かと共にこの場所を訪れたのかもしれない。

 ただ、この場所に限って言えば、如何に世界最高種族である『龍種』であろうと、スノードラゴンのような下位種よりも強力な魔物が多く蔓延っている。これが、スカイドラゴンが棲み処としたガルナの塔や、スノードラゴンの本拠であるグリンラッドやレイアムランドなどであれば、それぞれが連鎖の頂点に君臨していただろう。だが、この魔王の本拠地に居る魔者達は、この龍種よりも遥か高みに居る存在なのだ。

 そんな龍種が己よりも下位の存在と思って攻撃を仕掛けた『人』という種族もまた、彼らよりも遥か高みに居る存在であったという事実に、スノードラゴンは恐慌に陥ってしまったのかもしれない。

 

「ふん!」

 

 迫り来る巨大な爪をドラゴンシールドで上へと弾き、それを予測していたかのように降りかかる鋭い牙を剣で弾いたリーシャは、先程から一歩も動かずにその場に立っている。それは、この龍種と人間の戦士の力量の差を明確に物語っていた。

 真っ赤に燃え上がるような怒りの瞳を浮かべたスノードラゴンを冷たく見つめたリーシャは、『龍殺し』と名の付く鋭い剣を掲げ、一歩前へと足を運ぶ。近づいて来る脅威に唸り声を大きくするスノードラゴンではあったが、最早その脅威に抗う術など残されてはいなかった。

 

「さらばだ」

 

 小さく呟かれた別れの言葉の後、一気にスノードラゴンとの間合いを詰めたリーシャは、驚きに目を見開き、慌てて吹雪を吐き出そうと開かれた巨大な口諸共、真上から真っ二つに斬り裂いた。

 噴き出す体液と、苦悶の叫び。

 一撃で仕留められなかった事に眉を顰めたリーシャであったが、痛みと苦しみ暴れるスノードラゴンへの哀れみの表情を浮かべ、その苦しみから解放させる為に再び剣を振るう。真横に薙いだドラゴンキラーは、スノードラゴンの小さな腕を斬り落とし、そのまま巨大な頭部を支える首をも斬り落とした。

 太い龍種の首を一刀の元で全て斬る事は不可能である。だが、堅固な鱗を斬り裂き、首の半分近くも裂いてしまえば、その頭部の重さに耐えられずに、花が落ちるように地面へと落ちて行った。

 重量のある音と振動が地面へと伝わり、それが戦闘終了の合図となる。短い戦いではあったが、一行の並外れた力の一端を垣間見る戦闘となった。

 

「リーシャさん、左腕を見せて下さい!」

 

「…………リーシャ………すごい…………」

 

 戦闘が終了した事を理解したサラが、吹雪を支えたリーシャの左腕が凍傷などになっていないかと慌てて駆け寄り、先程まで不安そうに戦いを見つめていたメルエは、感動を抑え切れずにリーシャへと駆け寄って行く。

 ドラゴンシールドを地面に置いたリーシャの左腕を取り、回復呪文を唱えようとしたサラではあったが、リーシャの胸に飛び込むように掛けて来たメルエの行動によって、回復呪文が霧散してしまう。軽いお叱りの言葉が魔王城に響き渡り、半泣きになったメルエの頭をリーシャが撫でる事になるのだが、そんな和やかなやり取りは、この一行を率いる青年の登場によって終了を告げた。

 

「回復呪文という保険がない以上、今後単身で魔物に挑むのは控えろ。アンタの力量なら、この場にいる全員が把握している筈だ」

 

「……そうだな」

 

 表情を緩める事無く発せられた言葉は、リーシャの軽挙を咎めるような物であった。その発言にサラは驚きを示し、メルエは『むぅ』と頬を膨らませる。サラの治療を受けるリーシャを庇うように前へ踏み出した少女は、『いじめるな』と言うようにカミュを鋭い視線を送った。

 一つ大きな溜息を吐き出したカミュではあったが、リーシャ自体は彼の言葉の意味を正確に理解しており、首を縦に振る事でその言葉を受け入れる。無事であった右手でメルエの頭を撫で、幼い少女の憤りを静めると共に、自分が行った事によって余計な気遣いをさせてしまった事に謝罪の言葉を口にした。

 

「治療が終わり次第、奥へ向かう」

 

 スノードラゴンの血の臭いに他の魔物が集まって来ていない事を確認しながら呟いたカミュの言葉に、他の三人が頷きを返す。不気味な程の静寂に包まれた魔王城では一瞬たりとも気を抜く事は出来ない。いつどのような形で、どれ程の魔物と遭遇するか分からず、まだ見ぬ強力な魔物が出現した場合、咄嗟の判断の誤りが即座に死へと繋がる危険性を孕んでいた。

 故に、カミュを先頭に歩き始めた一行はここまで来る道と同様の隊列を組んで行く。先頭をカミュが歩き、メルエの手を引いたサラが続き、最後尾をリーシャが歩く物。それは、ロマリア近郊の森でメルエという少女に出会った頃から変わりはない。ある意味で言えば、この一行の最強布陣なのかもしれない。

 

「あの建物の脇を入って行くしかなさそうですね……」

 

「カミュ、十分に気を引き締めて行け」

 

 庭園ともいえる外は、かなりの大きさを誇ってはいるが、その中心に聳える城が巨大であるため、城内にはいる為の扉などがない事は歩き始めてすぐに解る。魔物に遭遇する事もなく、庭園内を東側へ移動していた一行は、庭園をも広く囲む城壁と城との間に細い通路のような物を発見した。

 陽光さえも届き難くなっている脇道は、色濃い影が重なっており、細い道の向こう側から魔物に急襲されてしまえば、全滅の危機に陥る可能性も否定出来ない。だが、その道しかない以上、彼等の目的が魔王バラモスであるならば、その道を歩まなければならないのも事実であった。

 慎重にカミュから細道へと入って行く。常に城壁の影になっているその細道は湿気に満ちており、草花よりも苔などが多い。小さな虫達が巨木から落ちる枯葉の下に集まっており、それに目を輝かせたメルエの動きを制する事にサラは苦心するのであった。

 

「カミュ!」

 

「ちっ!」

 

 陽光の届かない暗がりに何か小さな輝きを確認したリーシャの叫びが最後尾から轟く。前方を向いていたカミュが視界の端にその生物を捕らえ、盛大な舌打ちを鳴らした。

 その生物は、ネクロゴンドの洞窟でも遭遇したスライムの亜種中の亜種。希少種と言う点で言えば、龍種よりも更に希少な存在である。崩れて溶けたように地面に広がるその身体は、陽光の届かない闇の中であっても輝きを放っていた。

 はぐれメタルと呼ばれるその亜種は、行く手を阻むかのように不快な笑みを身体に貼り付け、嘲笑うかのようにその身体を震わせている。左右を城壁に挟まれ、人が二人通れるかという幅の細道で最も遭遇したくはない魔物であった。

 ギラという最下級ではあるが灼熱呪文を放ち、カミュやリーシャであっても目で追う事が出来ない程の素早さを持つ魔物。その身体は見た目とは異なり、魔法の鎧を歪ませる程の強度を持っている。そして、最悪な事に、目の前に広がるように現れたのは、そのはぐれメタルが三体であったのだ。

 

「メルエ、魔法は効きません。せめて自分の身を護れるように毒針を手にして下さい」

 

「…………ん…………」

 

 カミュ越しにその魔物の姿を捉えたサラは、腰の鞘からゾンビキラーを抜きながらメルエを自分の後方へと誘導する。そんなサラの忠告通り、メルエも腰の革鞘から毒針を抜き、その襲撃に備えた。

 サラの言う通り、ここまでの道中で遭遇したスライムの亜種には全ての魔法が打ち消されている。スライムが何かをした訳ではなく、その特殊な身体が魔法という神秘を受け付けないようにさえ思えた。

 呪文の行使の意味がないとなれば、サラはともかくとしてもメルエの出番はない。ガルナの塔で乾坤一擲を打ち込んだ時とは状況は異なり、メルエがその毒針を持ってはぐれメタルに攻撃を繰り出すという事は不可能に近いだろう。はぐれメタル自らメルエの持つ毒針に向かって来ない限り、その攻撃が掠める可能性は著しく低いのだ。

 

「来るぞ!」

 

 リーシャの叫びよりも一瞬早く動き出した一体のはぐれメタルは、先頭のカミュへと体当たりを仕掛けた。咄嗟の判断で盾を掲げたカミュは、その衝撃に歯を食いしばる。龍種の鱗が軋む音を立て、その圧力が緩むと同時に、カミュは抜き放っていた稲妻の剣を振り下ろした。

 乾いた金属音を立てて弾かれた剣が空を仰ぐ。まるで液体のように揺らぐ魔物の身体は、瞬時に神代の剣さえも弾く強度を持ったのだ。そして、剣を弾いたはぐれメタルが地面へと着地すると同時に、もう一体の魔物がカミュへと襲い掛かる。

 

「いやぁぁ!」

 

 しかし、宙を飛んだはぐれメタルの身体は、瞬時に後方から移動したリーシャが振り下ろした剣によって、真下に叩き落された。

 大きな金属音を響かせ、地面へと落ちたはぐれメタルではあったが、無傷にしか見えない。逆に、あれ程の力を込めて振り下ろしたリーシャのほうが、剣を持つ右手を押さえて苦悶の表情を浮かべていた。

 硬い岩や金属を叩いた時のような痺れを腕に感じたリーシャは、その腕を押さえて回復を待つ事しか出来ない。その間に割り込んだカミュが再び飛び掛って来たはぐれメタルに剣を振り抜く。しかし、今度は空中を飛ばず、地面を這うように突進して来た為、カミュの振るった剣は空を斬り、その腹部に強烈な衝撃を感じる事となった。

 カミュが纏う刃の鎧が、自身の主が攻撃を受けたと認識し、はぐれメタルに対して刃を生み出すのだが、その全ての刃ははぐれメタルの身体に弾かれ虚空へと消えて行く。その隙を突いたように、リーシャの攻撃を受けた方のはぐれメタルがギラの詠唱を完成させた。

 

「…………ヒャダルコ…………」

 

 しかし、サラの後方で控えていた『魔法使い』がそのような魔物の動きを見落とす訳はなく、瞬時にそれを相殺出来る呪文の詠唱を完成させる。ぶつかり合う熱気と冷気が濃い霧を生み出し、視界を奪う中、腕の痺れが抜けたリーシャが、霧の中で動く物に剣を振るった。

 リーシャのドラゴンキラーが弾かれた事を認識したカミュが同じ場所へと稲妻の剣を振り下ろす。正確に魔物が居る場所を把握している訳ではないが、ここまで培って来た戦闘の勘が彼等二人を動かしているのだろう。

 乾いた金属音が再び響くが、追撃するように横に薙いだカミュの剣は空を斬る。その一撃は蒸気の霧をも斬り裂き、周囲の視界を開かせた。

 

「二体はまた逃げたのか……」

 

 霧の晴れた景色を見たリーシャが忌々しそうに呟きを漏らす。彼女の言うように、既に三体中二体の姿が消えていた。先程の蒸気に紛れて逃げてしまったのだろう。カミュとリーシャの剣撃を受けた一体だけが、軽く目を回した形で地面へと転がっているだけである。

 しかし、しっかりと意識を変えたカミュとリーシャが、起き上がるはぐれメタルに向かって連続して剣を振り下ろし、強度を保てなくなった魔物は、そのまま灰色の液体へと変わって行った。

 カミュとリーシャの全力の攻撃を数度加えなければ倒れない魔物という物は、ここまでの道中でも数える程しかいない。それが、この魔王城の異常性を明確に物語っているのかもしれない。

 

「この細道を抜ける」

 

「はい」

 

 はぐれメタルだった物が地面へと熔けて行き、再び静寂が戻った事を確認したカミュは、隊列を立て直す。狭い通路で遭遇した魔物との戦闘の割には、彼等の被害は少ない方だろう。カミュの纏っている刃の鎧は、あの強度を持つはぐれメタルの体当たりを受けてもへこみ一つない。

 後方支援組みの二人に至っては、狭い通路であった為か、魔物が回り込む事もなく、戦闘に参加さえしていなかった。唯一、メルエが相手のギラを相殺する為にヒャダルコを放ったぐらいであろう。最悪だと思っていた相手ではあったが、この場所で更に強力な呪文を行使する魔物と遭遇していたらと考えると、はぐれメタルという相手であった事の方が幸いであったのかもしれないと誰もが思っていた。

 

「泉が……瘴気に包まれています」

 

「……ああ。あの場所に魔王がいると考えて間違いはないだろう」

 

 城壁伝いに細道を抜けると、少し開けた庭園が広がっており、北側には大きな泉が水を湛えている。しかし、その泉を見た瞬間、誰もが表情を引き締め、拳を握り締めた。

 泉の水が濁っている訳ではない。それでも、その泉の向こうから漂う瘴気が、カミュ達全員の身体を震わせる。それは、人類の憎き敵である魔王に向けられた物ではなく、生物としての本能が訴える恐怖であった。

 メルエを除く三人の心は既に決まっている。魔王討伐の為の覚悟も決意もした。

 だが、それでも彼等の身体は、その瘴気を受ける事によって小刻みに震える事を止められはしなかったのだ。圧倒的な魔力と威圧感が、その泉の向こうから漂っている。それは、『魔の王』としての威厳なのかもしれない。

 カミュ達の前に自ら出る必要などなく、勇者一行が辿り着けたとしてもそれを容易に打ち払う事が出来ると考えているような圧倒的な存在感がそこにはあった。

 

「まずは、城内に入る」

 

 いつまでも泉の向こうを見つめるリーシャとサラを動かす為、敢えてカミュは解りきった事を口にした。先程よりも小さな空間の庭園の先には、城内へ続くであろう扉が見えており、瘴気に覆われた泉を泳いで渡る事が出来ない以上、その扉の向こうへ進む以外に道はないのだ。

 我に返った二人は引き締めた表情で頷きを返し、再び隊列を整えた後、カミュがその扉に手を掛ける。

 

 度重なる戦闘を超えて尚、魔王への道は遠く、果てない。

 魔王は全ての魔物を掌握する『魔の王』であり、この居城には未だに遭遇した事のない魔物も数多くいるだろう。

 それらを全て越えた後に対峙する王は、それら全ての魔物を凌駕する存在。

 その入り口をようやく彼等は潜ったばかりである。

 

 

 




読んで頂き、ありがとうございました。

バラモス城はあと3話ぐらい続くと思います。
冗長的に思われるかもしれませんが、もう暫くお付き合い頂ければ嬉しく思います。

ご意見、ご感想を心よりお待ちしております。

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