新訳 そして伝説へ・・・   作:久慈川 京

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幽霊船①

 

 

 

 廃船内の明かりは、月から降り注ぐ淡い物しかなく、船内は暗い闇に覆われていた。

 カミュが持つ『たいまつ』から燭台へと炎を移す事によって、少しずつ船内の状況が見えて来るが、その様相はとても海の上に浮かぶ船の物ではない。

 甲板の板は抜け、足元に炎を向けなければ、下の船室へ落ちてしまうだろう。マストに掛けられた帆は破れ、もはや海の上を吹き抜ける風を受け止める事など出来る物ではない。それに加え、主となるマストは無事ではあったが、補助のマストは途中から折れ甲板に突き刺さっていた。

 

「これで良く海上を動く事が出来ているな」

 

「それが幽霊船の所以でもあるのだろう」

 

 周囲を見渡したリーシャは、この廃船が海に浮かんでいるという事実が信じられない物に映る。確かにこの様子を見る限り、船底にも穴が開いていても不思議ではなく、そこから海水が僅かでも入っていれば、その量は徐々に増し、船体を暗い海の底深くへ引き摺り込む事になる筈なのだ。

 だが、この船は海上に浮かび、海の上を吹き抜ける風を受けて動いている。その事実がある以上、ここまでの旅で彼等が目撃して来た不可思議な現象と何ら変わりがないという事だろう。

 

「…………サラ………いたい…………」

 

「ふぇ!? あっ! ご、ごめんなさい」

 

 そんな不可思議な現象を目の当たりにし、周囲に『たいまつ』を向けていたカミュとリーシャの足元から、何とも情けない声が聞こえて来た。

 この廃船に乗り組む前の騒動の流れでサラに手を引かれていたメルエが小さい苦悶の声を上げたのだ。

 余程の事が無ければ苦しみの声を上げないメルエが眉を下げて声を発したという事で、その手を握るサラの力が相当強い事を示している。乗り込む際には、からかうメルエに対して強気の姿勢を見せていたサラではあったが、実際に『幽霊船』と呼ばれる廃船に入った途端、その意気込みは萎んでしまったようであった。

 足が竦み、支える膝は笑う。表情は青ざめ、周囲を見渡す余裕のない瞳は、節操なく泳いでいる。冷たい汗が頬を流れ、握っていた少女の小さな手を握り潰さんばかりに力を込めていたのだ。

 

「サラ……本来であれば、この船で苦しんでいる者達を救うのが、サラの仕事なのだぞ?」

 

「アンタはこの僧侶擬きに何を期待している?」

 

「そ、僧侶……もどき……」

 

 溜息と共に吐き出されたリーシャの言葉は、傍で<たいまつ>を前方へ繰り出していたカミュから辛辣な物言いに掻き消される。それを聞いたサラは、先程までの怯えきった表情から、愕然としたような表情へと変化し、肩を大きく落とした。

 既に『賢者』という敬称が付く者へと昇華したサラではあるが、その胸の内は、『精霊ルビス』という絶対の存在を信じ続けており、信心深い女性なのだ。だが、カミュの言う通り、本来の『僧侶』であれば、修行の過程で行う霊的な物への対処を苦手としているのもまた事実。霊の存在を怖がり、年端もいかない少女の手を握り締める『僧侶』など、『僧侶(もど)き』と称されても弁解の余地はないだろう。

 

「サラの『人』を救いたいという想いは、『人』であった者には向かわないのか!?」

 

「……」

 

 カミュの辛辣な言葉と、それに対するサラの反応に対して大きな溜息を吐き出したリーシャは、少し厳しい視線をサラへと向け、その胸の中で燻っている炎を燃え上がらせようとするが、その言葉に対して向けられたサラの瞳を見て、全てを諦めた。

 その瞳は自信無さ気に揺らぎ、まるで叱られた時のメルエのように眉を八の字に下げられている。何をどう言ったところで、『怖い物は怖い』という事であり、それが元僧侶であろうと、現賢者であろうと変わりはないのだ。

 そんなサラの怯えが伝わったのだろう。先程まで痛みに歪んでいたメルエの表情が変化し、まるで相手を慈しむような穏やかな物となる。からかい続けていたサラの様子が尋常でない物である事を悟り、その不安を和らげようと、手に力を込めた。

 

「メ、メルエ?」

 

「…………だいじょうぶ………メルエ……いる…………」

 

 その言葉は、幼い少女にとっては魔法の言葉。

 自身が常に勇気と自信を貰って来た言葉。

 笑みと共に紡がれた言葉は、怯えの闇に支配されていたサラの心に一筋の光を注ぎ込む。

 

「ありがとうございます」

 

 儚く脆いながらも、ようやくサラの顔に笑みが戻った事に安堵したリーシャは、カミュへと視線を戻し、そのまま船内の探索へと意識を向けて行った。

 暗闇に支配された船内は、視界が限りなく狭く、一歩一歩歩きながら、傍にある燭台へと炎を移して行く作業となる。カミュが先頭を歩き、その後ろにメルエに手を繋がれたサラが続く。最後尾にもう一つの『たいまつ』を握ったリーシャが周囲を警戒しながら進むという布陣となった。

 幽霊船と呼ばれる廃船の大きさは、カミュ達が所有する船には及ばないまでも、かなりの大きさを有している。甲板の中央まで出たカミュは、そこで周囲へと『たいまつ』を向け、向かう方角を導き出した。

 

「こちらは操舵室のようだな」

 

「行っても行き止まりなだけだ」

 

 カミュが向かおうとしたのは、推測にはなるが船尾の方角。それを理解したリーシャは、船首の方へ『たいまつ』を向け、近くに見える小さな小屋のような物を見つめた。

 船の構造などに詳しい訳ではないが、ここ数年間の間、船に乗る回数も増えていたリーシャは、その小屋らしき場所が何をする為に存在するのかを正確に言い当てる。だが、即座に返された言葉に、瞬時に眉を上げ、憤怒の形相で振り返った。

 別に方角を示そうとした訳でもない為、カミュの物言いが何とも腹立たしい。リーシャとて、自分が指し示した方角が運悪く行き止まりにぶつかる事が稀にある事ぐらいは自覚している。だが、明らかに発言を抑止しようとするカミュの物言いに、流石のリーシャも怒りを感じてしまったのだ。

 

「操舵室が行き止まりである事ぐらいわかっている! だが、何かあるかもしれないだろう!」

 

「いや。アンタがそう言う以上、何もない筈だ」

 

 悔しさを滲ませて叫ぶリーシャの言葉も、容赦のないカミュの一言に切り捨てられる。

 それは、最早カミュの中で、リーシャの発言という物を何よりも信頼しているという一面もあるのだが、当のリーシャから見れば、馬鹿にされているとしか感じる事が出来なかったのだろう。

 悔しさと怒りに歪んだ表情を浮かべたリーシャであったが、背中の武器を手にする事はない。以前のように一触即発という場面にはならないという事が、リーシャの心の変化を示しているのかもしれない。

 

「…………ふふ…………」

 

 しかし、そんな二人のやり取りが、場の雰囲気を和ませる物であった事だけは確かであった。

 二人の会話と、リーシャの表情が面白かったのだろう。サラの手を握っていたメルエが小さな笑みを溢し、暗闇に支配されている甲板に和やかな空気を振り撒いていた。

 恐怖に怯え、足元を震わせていたサラでさえ、笑みを溢すメルエに釣られるように小さく微笑みを浮かべる。

 

「行くぞ」

 

「むっ……カミュ、憶えていろよ」

 

 ようやく何時もの調子に戻って来た事で、カミュは先程『たいまつ』を向けた船尾の方角へと歩き始める。サラの手を引くメルエがその後ろを歩き出した事によって、リーシャは怒りや悔しさを胸に仕舞い込まなければならなくなった。

 最後にせめてもの文句を述べ、リーシャが歩き出した事によって、操舵室近辺が闇に覆われて行く。

 『たいまつ』という光源が無くなった甲板は静かな闇に閉ざされるが、静寂が支配する中で小さな炎がポツリポツリと浮かび上がって来る。

 それは、この船に残る無念を表す魂なのか、それとも船に乗り込んで来る不作法者が静かな眠りを遮る事への怒りの表れなのかは解らない。

 

 

 

 後方の船尾へと向かう途中、下の船室へと続くであろう階段らしい入り口を発見するが、取り敢えずは船尾へ向かうというカミュの方針に従って、一行は歩き続けた。

 考えていた以上に大きな船の中、先程和んだ筈の空気は、再び緊張感に支配され始める。それは、サラという『賢者』が、自分を引っ張る少女の手を両手で握り締めた事から発していた。

 突如歩き難くなった事に眉を下げたメルエではあるが、自身が唱えた『大丈夫』という言葉が魔法の言葉である事を誰よりも知るメルエは、一切の弱音を吐かずにカミュの後を歩き続ける。『大丈夫』と言った以上、『大丈夫』にしなければならないという事を、この少女は誰に教わる訳でもなく理解しているのだ。

 だが、歩く速度が遅くなってしまう事だけは避けられない。どれ程にメルエが責任感を持っていたとしても、成人した大人の全体重を掛けられた状態で、幼い少女が通常の速度で歩ける訳はないのだ。

 

「サラ……メルエが困っているぞ。何か霊的な物が出て来たら、ニフラムを唱えれば良いだろう? いくら除霊などが苦手で、『僧侶』としての才覚がどうであろうと、サラは呪文の熟練者なのだ。そのくらいは出来るだろう?」

 

「テドンの時もそうだが、問答無用で昇華させるというのはどうなんだ?」

 

 立ち止ったカミュは、テドンの村へ入る際と同じ事を口にするリーシャに対して、呆れた表情を見せる。

 しかし、再びカミュとリーシャのやり取りが繰り返されそうになるその横で、サラは放心した表情をリーシャへ向け、徐々に絶望に近い程の物へと変化させて行った。サラとしても、まさかリーシャにまで『僧侶失格』の烙印を押されるとは思わなかったのだ。

 特に、カミュやリーシャは、あのガルナの塔やダーマ神殿にて『サラ以外を僧侶しては認めない』とまで口にしてくれた人間である。

 あの時のサラは、この世に存在する多くの『僧侶』が信じる捻じ曲がった信仰と、自分が歩む道程で見て来た現実との間で悩み、泣き、苦しみ、それでも前へ進もうと足掻き続けていた。その姿は、元々ルビス教を信仰していたリーシャだけではなく、『僧侶』という存在を嫌悪していたカミュでさえも認める物であり、彼ら二人は、そのサラの姿こそ『僧侶』本来の姿だと感じたのだ。

 その二人が、口を揃えて『僧侶としての才覚』という物に疑問を呈している。サラはこの旅で、ここまでの絶望を感じた事はなかったかもしれない。目の前が真っ暗になる程の絶望感は、先程までの恐怖と合わさり、全ての視界を奪ってしまう程の闇となる。

 

「…………サラ………いじめる……だめ…………」

 

 しかし、絶望の底へと落とされたサラを掬い上げたのは、彼女の手を取っていた小さな光。力強く握られた小さな手が、『賢者』として成長を果たしたサラの心に残る熱い想いを揺り動かし、再び大きな炎となって燃え上がらせた。

 カミュやリーシャとしてもサラを虐めていたつもりは微塵もないだろう。だが、いつまで経っても怯え続ける『賢者』に辟易した部分は否めないし、確かに彼女を奮起させようとする配慮に欠けていた事も事実である。それ故に、サラの身を護るように前へと踏み出した幼い少女の姿に、二人は言葉を飲み込む事にした。

 

「ありがとうございます、メルエ。すぐには無理ですが、何とか頑張ってみますね」

 

「…………ん…………」

 

 温かく包み込まれた手へ視線を落としながら、サラは誓いを立てる。

 いつものような魔法の言葉は口に出来ない。あの言葉は、サラ自身さえも絶対的に縛られる事になるからだ。

 サラが挫折したとしても、今のメルエがサラに対して失望する事はないだろう。だが、それを許してしまっては、サラ自身が自分を許す事が出来ないに違いない。サラが積み重ねて来た物が全て崩れ去り、彼女自身の存在自体をも危うくさせてしまう。

 彼女達四人は、今や人類最高位に立つ程の力を有している。だが、それは尋常ではない速度で駆け上がった結果でもあるのだ。誰よりも濃い経験を積み、誰よりも苦しみ、悩み、それでも前へと踏み出して来た彼等だからこそ有するその力は、『人』の身には過ぎたる物なのかもしれない。

 『人』の身では過ぎたるその力は、その力を有する物を護る者達が居てこそ輝く物であり、その護り手の光を失ってしまえば、自力では輝く事の出来ない力。

 だからこそ、彼等は一つとなる。

 共に悩み、共に苦しみ、共に前へ踏み出す。

 そういう集合体なのだ。

 

「ふっ……サラ、すまなかった。しかし、私にはサラの恐怖が理解出来ない。それは今もこの先も変わらないだろう。私達が相手する者達は、命ある者達ばかりではない。サラの目指す場所は、多くの命と多くの屍の先にあると知れ」

 

「は、はい……」

 

 メルエの視線を受けたリーシャは、一度表情を緩めて素直に謝罪を口にする。だが、即座に表情を引き締め、未だに幼い少女の手を握る妹のような女性に厳しい瞳を向けた。

 それは、人生の先輩として、そして多くの命を葬り去って来た先駆者としての言葉。

 彼等の目指す先にあるのは、多くの者達の未来。

 それは、多くの者達の命と、その屍の上にこそ成り立つ物である事も事実である。それを再度サラの心に植え付ける事で、彼女の心を定めようとする、優しくも厳しい一言に、サラは言葉に詰まりながらも大きく頷きを返した。

 

「…………むぅ…………」

 

 サラの頷きに対して、満足そうに表情を緩めたリーシャは、その手を握っている少女の視線が自分達から異なる方角へ向けられている事に気が付く。

 先程まで姉のように慕う女性を護る為に上がっていた眉は不安そうに下がり、何か不満そうに唸り声を上げて見ている先は、暗闇に支配された一角であった。

 甲板の後方に位置する場所にある一角には、横揺れでも荷が動かないようにする為の仕切りのような物が造られており、その囲いの中に向けられたメルエの瞳に気が付いたカミュやサラもまた、メルエの視線を追うように暗闇へと目を凝らす。

 

「どうした、メルエ?」

 

「…………なにか………いる…………」

 

「えぇぇぇ」

 

 歩み寄ったリーシャが視線を外す事無くメルエへ問いかけると、こちらも視線を暗闇から外す事無く答えを返した。

 メルエの不思議な感覚に関しては、この旅の中で何度も助けられてきている。それが魔物と断定する事は出来ないが、この少女がこう言う以上、その場所に何かが存在する事だけは確かであり、それを理解しているからこそ、先程の決意も虚しく、サラは情けない声を発する事になった。

 

「カミュ、魔物か?」

 

「解らない。行ってみるしかないだろう」

 

 振り向きざまに発せられた疑問に対して答える事の出来る物をカミュも所持してはいない。何かが存在する事だけは確かである為、その場所に行ってみるか、それとも避けて通るかの二択しかないのだが、カミュは敢えてその場所へ踏み込む事を選択した。

 この幽霊船自体に何があるか解らない上、魑魅魍魎の類から魔物に至るまで、この船の中を住処としていても不思議ではない。<船乗りの骨>という物が、この船に乗る誰の骨かも解らず、この船にオリビアという女性の恋人となるエリックが乗っていたという確証さえないのだ。

 故にこそ、彼等はこの船を隅から隅まで調べなければならない。彼等でさえ、何を目的としているのかを明言出来ない為、それを見つけ出す為にも、ここを避けて通る訳には行かないのだ。

 

「……ギッ!」

 

 仕切りの向こうへと<たいまつ>を向けた瞬間、その場所に居た生物がカミュ達の存在に気付く。『人』では有り得ない不快な音を発したそれは、異常なまでに光る眼をカミュ達へと向けた。

 <たいまつ>の炎でも照らし尽くせない闇の中で動く二つの光は、真っ直ぐカミュ達を射抜く。暗闇に浮かぶ二つの光に、先程までの恐怖が再び舞い戻って来たサラの足は、その場所から一歩も動く事が出来ない。

 そんなサラの横を抜け、<たいまつ>を掲げて進み出たのは、『勇気』という見えない物の象徴でもある一人の青年だった。

 

「ヒヒヒッ……。幽霊船ニハ屍が相応シカロウ。オ前達モ死ヌガ良イ!」

 

「くっ……」

 

 しかし、その足は途中で遮られる。

 一歩踏み出したカミュは、突如として発せられた人語と共に自分へ向かって来る殺気に背中の剣を抜いたのだ。

 持っていた<たいまつ>が甲板へと落ち、カミュの足元だけを照らし出す中、金属と金属がぶつかる音が響き渡る。咄嗟に<たいまつ>を前へと出したリーシャは、そこに映った姿に息を飲んだ。

 

「魔物!?」

 

「アッサラームに居たあの魔物か!?」

 

 カミュの胸元目がけて突き出されていたのは、三又の槍。フォーク型と言えば良いのだろうか、奇妙な形をしたその武器の切っ先は、カミュの纏う<魔法の鎧>の接している。辛うじて鎧を突き破っていないのは、三又の武器の根元を<草薙剣>が押さえ込んでいるからだった。

 その魔物の姿は、リーシャの言葉通り、アッサラームでメルエの義母を刺殺した魔物と瓜二つである。身体は小さく、メルエより少し大きい程度。背中には蝙蝠に似た羽を生やし、尻からは奇妙に長い尻尾を生やしている。

 子供のような体格に似合わない程の力でカミュの胸へと武器を押し込み、受けているカミュは苦悶の声を上げる。愉悦に歪む口からは、紫色の舌と鋭い牙が覗いていた。

 

「アッサラーム? アノ場所ヘ向カワセタ<ベビーサタン>ガ戻ラナイノハ、オ前達ニ殺サレテイタカラカ……」

 

「な……に?」

 

 苦悶の声を上げていたカミュは、予想外の言葉に驚きを示す。そして、先程まで込められた力を緩めてしまう。

 途端に突き進む三又の槍は、<魔法の鎧>の表面を削るように刺さり、穴を空けないまでも傷をつけて行く。サラもリーシャもその魔物が語った内容に驚き、行動に移れない。サラは先程までの霊的な物への恐怖が尾を引いているのであるが、リーシャは目を見開いたまま身動き一つ出来ずにいた。

 そんな中で動いたのは、この魔物が語った<ベビーサタン>に刺殺されたアンジェという女性を義母に持つ一人の少女。

 

「…………メラミ…………」

 

「ギッ!」

 

 唱えられた呪文は、『魔道書』の記載された最高の火球呪文。戦友である<雷の杖>の嘴から放たれた火球は、カミュを押し込む小さな魔物の身体へと向かって飛んで行く。

 しかし、人類最高位に位置する<魔法使い>の放った火球呪文は、咄嗟に三又の槍を外して後方へと飛んだ魔物によって避けられてしまった。

 カミュの髪の焼きながらも暗闇の空へと消えて行く火球は、一瞬の内に幽霊船の甲板を照らし出し、その魔物の姿も四人の瞼に焼き付ける。魔族の子供と称しても可笑しくはないその姿に似つかわしくない獰猛な笑みを浮かべ、長い舌を垂れ流す魔物に、サラは唾を飲み込んでしまった。

 

<ミニデーモン>

知能の低い魔物とは一線を画す魔族という種族。

<ベビーサタン>の上位種にも当たり、<ベビーサタン>を部下として持つ事もある。『魔王バラモス』の子飼いの魔族とも考えられ、多くの<ベビーサタン>を従えて、魔王直属の命を遂行する事もあると云われていた。

姿に似つかわしくない程に獰猛で残忍な性質を持ち、人間の子供を好んで食す。その姿を見た者は全てこの世から消えている事から、想像上の魔物として考えられている節もあった。

 

「テドンデ取リ逃ガシタ者ヲ始末スルヨウニ厳命シタニモ拘ラズ、数年経過シテモ戻ラナイ。ドノヨウニ殺シテヤロウカト思ッテイタガ、オ前達ガ代ワリニ始末シテクレテイルトハ」

 

「……テドンで?」

 

 態勢を立て直した魔物のその言葉は、先程まで霊的な物への恐怖で怯えていた一人の女性の瞳の色を描き換える。

 この勇者一行の頭脳と称しても過言ではない女性は、その一文で全てを察したのだ。その察した内容は、カミュとも、リーシャとも、そして幼いメルエとも異なっているかもしれない。先程までの足の震えはピタリと止まり、固まっていた指先は強く握り込まれる。自信無さ気に揺らいでいた瞳には、燃えるような感情が宿り、不快な笑い声を発する魔物に強く向けられていた。

 

「ふん!」

 

 自身への圧迫が無くなった事によって、一歩踏み出したカミュが剣を横薙ぎに振う。その剣を三又の槍で受け止めた<ミニデーモン>は、即座に口を開いて息を吐き出した。

 その口から吐き出された息は、グリンラッドという永久凍土で遭遇した<スノードラゴン>と同等の物。雪の結晶を大量に舞わせる風を含んだ吹雪である。

 剣を引き、<ドラゴンシールド>を掲げたカミュは、手元が凍る程の冷気を受けながらも、<ミニデーモン>の動向に目を光らせ、油断なく身構えた。

 

「ベギラマ!」

 

 カミュと同様に<ドラゴンシールド>を掲げながら前へ突進しようとしていたリーシャは、先程喝を入れたばかりの『賢者』が発する力強い詠唱を聞いて踏み止まる。

 カミュと<ミニデーモン>との間に割り込むように迸る灼熱の炎は、吐き出された冷気に威力を弱められながらも、カミュと<ミニデーモン>を分断した。

 襲って来る吹雪が消え、<ドラゴンシールド>を下げたカミュは一歩下がり、隣に立つリーシャと共に、先程の呪文の行使者であるサラへと視線を移す。

 そこに立つのは、今や彼等二人が最も頼りにする『賢き者』。

 常に悩み、常に迷い、理想と現実の狭間で涙を流しながらも前へと進む者。

 

「カミュ様……その魔物は、私とメルエにお任せ下さい。一切の手助けは無用に願います」

 

「……サラ?」

 

 呪文を放った余韻を左手に残したまま、腰に差した<ゾンビキラー>を抜き放ったサラの瞳は、真っ直ぐに<ミニデーモン>へと向けられている。その瞳に宿る炎を見たリーシャは、その『怒り』とその『決意』を理解するのだが、その危うさをも理解した。

 だが、隣に立つカミュが、<ミニデーモン>の動きに注意しながらも、<草薙剣>を鞘へと戻した事によって、一つ息を漏らし斧を下げる。

 『何時でも飛び出せる』、『危うい時には、サラの決意を壊そうとも動く』というカミュの想いを、その瞳を見ただけでリーシャは理解したのだ。斧を下げ、胸の前で腕を組んだリーシャは、<ミニデーモン>へ向けていた殺気を緩める事無く、戦いを見守る姿勢を取った。

 

「クククッ……子供ノ肉ハ柔ラカク旨イ。望ミ通リニ、真ッ先ニ喰ラッテヤロウ」

 

「メルエ、行きますよ。あれは、メルエの二人のお母様の仇です。私も手助けしますが、メルエが倒すべき魔物ですよ」

 

「…………ん…………」

 

 サラの目指す世界では、他種族の住処に入り命を失った者は自業自得という節もある。だが、その仇が目の前にいた場合は別であろう。

 カミュ達四人が倒して来た魔物の子供がカミュ達を敵と見て襲い掛かって来たとしても、彼等はそれを倒して前へと進む。この<ミニデーモン>が殺して来た人間の子供達が襲い掛かっても、<ミニデーモン>の食糧になるだけである。

 しかし、一方の力がその仇よりも強かった場合、カミュ達も、そしてこの<ミニデーモン>も土へと還るのだ。それもまた、世の摂理という物なのかもしれない。

 

「死ネ!」

 

「させません!」

 

 小さな身体を目一杯に使って飛び込んで来る<ミニデーモン>の三又の槍は、真っ直ぐメルエへと向かっていた。だが、その槍の道筋は、横から振われた<ゾンビキラー>によって変えられてしまう。

 振るわれた<ゾンビキラー>は、派手な金属音を響かせて三又の槍を弾き、<ミニデーモン>の身体ごと吹き飛ばす。前へと向いていた力は、横からの力に弱く、カミュのような力比べをしていない分、非力なサラでも魔族の攻撃を弾く事が出来たのだ。

 そして、非力とはいえ、彼女とて四年の間、人類最高の『戦士』の手解きを受けて来た者である。槍から剣へと武器が変わったとしても、その力量は一般兵士などでは足元にも及ばない。技量だけで言うならば、一国の兵士長に収まってもおかしくはないのだ。

 

「…………スクルト…………」

 

「バイキルト」

 

 この世界で生きる人類の中でも、最も魔法に長じた者達の戦いである。己の持つ技と呪文を使う事に何の躊躇いがあろう。

 史上最高と言っても過言ではない『魔法使い』がそれぞれの身に魔法力を纏わせ、数十年ぶりに誕生した『賢者』が、己の武器に魔法力を纏わせる。

 弾き飛ばされた<ミニデーモン>が忌々しそうに顔を歪め、三又の槍を持ち直した時には、彼女達二人の戦闘準備は整っていた。

 

「クワァァ!」

 

「メルエ!」

 

「…………ん………ベギラマ…………」

 

 自分達に向かって大きく口を開いた<ミニデーモン>を見たサラは、即座にメルエへと指示を出す。その指示に間髪入れずに答える事が出来るという事自体、既に彼女達二人が並みの者ではない事を示しているのだが、幼い少女が振った杖の先から迸る灼熱の炎が、その事を雄弁に物語っていた。

 吐き出された吹雪は、先程サラが唱えた物よりも威力が勝る火炎に相殺され、蒸気となって夜空へと立ち上って行く。魔族が吐き出した吹雪である分、ベギラマでも相殺し切れない冷気が周囲の温度を下げるのだが、サラ達の身体を凍りつかせる程の力は残されていなかった。

 

「シャァァ」

 

「ぐっ」

 

 蒸気によって視界が遮られ、<ミニデーモン>の姿が視認出来なくなった事で、サラは即座にメルエの前へと移動する。そして、そのまま<魔法の盾>を掲げた。

 その行動を待っていたかのように飛び込んで来た槍先が<魔法の盾>にぶつかり、金属音を撒き散らす。押し込まれる力の強さに、盾を掲げるサラが力負けしてしまい、盾が上へと弾き上げられた。

 蹈鞴を踏むように後方へと下がったサラの胸目掛けて再度<ミニデーモン>の槍が突き出されようとしたその時、それを許さない少女の詠唱が闇の濃い甲板に響き渡る。

 

「…………メラミ…………」

 

 倒れ込むサラの後方から飛び出した火球が、槍を突き出そうとする<ミニデーモン>へと襲い掛かる。

絶妙の間合いであり、圧倒的な魔法力を有する火球である。通常の魔物であれば、その火球をその身に受け、命を失わないまでも、その身体に多大な火傷を負い、戦闘が困難になる筈であった。

 だが、この<ミニデーモン>は、これまで遭遇して来た魔物とは格が違う。曲がりなりにも、『魔王バラモス』の傍で生き、<ベビーサタン>と呼ばれる部下を多数有する程の実力者。

 一歩下がった<ミニデーモン>は、迫り来る火球に向かって、その詠唱を完成させた。

 

「メラミ」

 

 三又の槍の先から発せられた火球は、メルエが放った物と同等かそれ以上の物。真っ赤に燃え上がった火球は、暗闇の支配する幽霊船の甲板の隅々までも照らし出す程の熱量を誇り、戦いを見守るカミュ達でさえも息苦しさを感じる程に強力な物であった。

 火球と火球がぶつかり合う。弾け飛ぶ火花が甲板へと落ちて行くが、その拮抗は続く。お互いを燃え尽くそうと鬩ぎ合う火球は、空中で制止したように留まり、その熱気を霧散させて行った。

 だが、<ミニデーモン>は魔族。人類よりも長い時間を魔法と共に過ごして来た種族であり、生まれ持ったその才覚が、習得する呪文を固定させ、その呪文の熟練度を上げているのだ。

 つまり、この<ミニデーモン>と呼ばれる魔族は、メラミという火球呪文を唱える以上、その呪文の高段者でもあるという事になる。『人』では敵わない力を有する魔族が放つ火球呪文は、例え人類最高位に立った『魔法使い』でも敵わない。

 徐々に押し込まれて行くメルエが放った火球は、相手の火球の威力と大きさを大幅に奪いながらも、その力を失い消滅して行った。

 

「ヒャダイン!」

 

 しかし、その火球の余波をメルエが受ける事はない。何故なら、彼女は一人で<ミニデーモン>と相対している訳ではないからだ。

 周囲に吹き荒れる冷気が、威力の弱まった火球を飲み込み、空へと立ち上る蒸気へと変えて行く。如何に魔族の放つ火球とはいえ、大幅に威力を奪われているのならば、人類唯一の『賢者』が放つ氷結呪文に敵う訳もない。

 瞬時に蒸気へと変えられた火球は消え、今度は残った冷気が<ミニデーモン>に襲い掛かる。

 

「クワァァ!」

 

 状況を理解した<ミニデーモン>は、忌々しそうに口を開き、吹雪を吐き出す事によって冷気を相殺する。熱気と冷気が入り乱れる甲板の上では、黒焦げになった樽が数個転がり、煤けた仕切りがその戦いの苛烈さを物語っていた。

 そんな凄まじい魔法合戦の間、カミュとリーシャは身動き一つせずに戦いを見守り続ける。腕を組んだリーシャは、二人の成長に驚きながらも、その姿を頼もしく思いながら小さな笑みを浮かべ、鋭い瞳で<ミニデーモン>を睨み付けるカミュは、何処か自身を押さえつけているようにも見えた。

 

「メルエ、よく聞いて下さい。あの魔物には、おそらく氷結呪文や灼熱呪文はあまり効果がありません」

 

「…………むぅ…………」

 

 自分の呪文が効果を発揮しない事にむくれるメルエを諭すように、サラは小さく言葉を漏らす。その間も、視線は<ミニデーモン>から外す事はなく、油断なく<ゾンビキラー>を構えていた。

 <ミニデーモン>の方も、人間の予想外の力に驚きを示しており、攻撃の機会を窺うように三又の槍を向けて警戒感を表している。

 この小さな魔族が人間に対して驚きを表すのは、これで二度目。自分に対して、怯えを見せる事無く、あろう事か攻撃の姿勢を見せて、強い視線を向けて来る。そんな人間は、長い魔族の生涯の中でも一人しかいなかったのだ。

 それはテドンを襲う理由となった女性であり、この魔族がその三又の槍で背中から刺し貫いた筈の女性であった。

 

「良いですか? 私が飛び込んで隙を作ります。メルエは、再び<メラミ>を唱える準備をして下さい。あのエジンベアで唱えた時のように、集中して魔法力を調整するのです。あの、限界まで圧縮した<メラミ>ならば、魔族の唱える<メラミ>であっても負ける事はありません」

 

「…………ん…………」

 

 サラの言葉に確かな信頼を感じ取ったメルエは、先程まで膨らませていた頬を萎め、真剣な面持ちで頷きを返す。

 この少女の誇りは魔法である。初めて契約を済ませたあの時から、常に自分と共にあり、常に自分の大事な者達を護って来た神秘。それを行使し、自身の存在を確立する事が出来る魔法という存在が、彼女の誇りであり、光でもあった。

 故にこそ、サラの言葉に応える事が出来なければ、それはメルエ自身が自分の誇りを傷つける事になる。それを、この幼い少女は誰よりも理解し、その決意を相手に伝えようとしたのだ。

 

「では行きますよ。大丈夫、メルエならば必ず出来ます」

 

「…………ん………メルエ………だいじょうぶ…………」

 

 お互いに魔法の言葉を口にした以上、彼女達はここから先の行動を『大丈夫』にしなければならない。お互いにその言葉に秘めた想いは違えど、それが向かう先に違いはない。

 メルエに対して口にする『大丈夫』は、サラにとって誇りである。

 サラに向かって口にする『大丈夫』は、メルエにとって決意である。

 そして、その先にある物は、目の前に居る魔物の打倒であった。

 

「やあぁぁ!」

 

「チッ」

 

 小さな微笑みを浮かべたサラは、瞬時に笑みを消して<ミニデーモン>の懐へと飛び込んで行く。虚を突かれた<ミニデーモン>は、三又の槍を突き出して応戦しようと身を動かした。

 

「バギマ」

 

 しかし、それは槍の動きを予想していたサラによって別方向へと避けられる。身体を横へ避けたサラの纏う法衣を僅かばかり切り裂いた三又の槍ではあったが、そのまま虚空を突き、翻ったサラの手から発せられた真空の刃が<ミニデーモン>へと襲い掛かる。

 研ぎ澄まされた真空の刃は、容赦なく<ミニデーモン>の身体を切り刻み、その体液を撒き散らかせた。

 だが、上位種に位置するこの魔族は、バギマ程度で命を散らす程の弱者ではない。真空の刃の隙を突き、三又の槍を横へと振り抜く。振り抜かれた槍は、容赦なくサラの腹部へと吸い込まれ、無理な体勢で呪文を行使したサラの身体を吹き飛ばした。

 

「サラ!」

 

 カミュ達とは反対側へと吹き飛ばされたサラの姿を見たリーシャは、組んでいた腕を解いて斧を握り締めるが、走り出そうとする身体を力強い腕によって引き留められる。遮るように握り込まれた腕の強さに振り向いたリーシャは、ゆっくりと首を横に振るカミュの表情を見て、冷静さを取り戻して行った。

 彼とて、今すぐにでも飛び出して、四人がかりで<ミニデーモン>を討伐したいのだ。だが、それでも彼が動かないという事は、彼の中でサラとメルエの危機だと認識していないという事になる。

 彼女達二人が危なくなれば、彼が必ず動く。<アストロン>という絶対防御の呪文を有するこの青年が一切の動きを見せない事が、サラという『賢者』とメルエという『魔法使い』へ絶対的な信頼を持っている証でもあるのだろう。

 ゆっくりと元の位置まで戻ったリーシャは、再び腕を組んで戦いを見守る事にした。

 

「ベホイミ」

 

 仕切りに叩きつけられた筈のサラは即座に起き上がり、自身の身体に回復呪文を唱える。三又の槍によって受けた内部の傷も癒され、切り裂かれた法衣の下から滲む血液が止まる。

 これこそ、彼等『勇者一行』の強みでもあるのかもしれない。

 何度攻撃を受けようとも、何度瀕死の重傷に陥ろうとも、このサラという女性がいる限り、勇者一行は地に伏す事はない。パーティー全員の回復役を請け負いながらも、自身も戦闘に参加出来る彼女という存在が、勇者一行をこの場所まで連れて来たと言っても過言ではないのだろう。

 

「キサマ……回復呪文サエモ行使出来ルノカ?」

 

 立ち上がったサラの手元で光る淡い緑色の魔法力を見た<ミニデーモン>が驚愕の表情を浮かべる。実際に、魔族の表情の変化などは、人類であるカミュ達には解り難い物ではあるのだが、その瞳が見開かれている事から、この魔族が驚きを表している事は確かであった。

 何に驚いているのかは解らない。魔物の中には、攻撃呪文も回復呪文も唱える事が出来る物も居る筈であり、元々呪文を分けてしまったのは人類であるのだから、この魔族が驚く意味がないのだ。

 だが、確かに<ミニデーモン>は驚愕している。その証拠に、人類最高位の『戦士』の扱きに堪えて来たサラには、<ミニデーモン>に隙が出来ている事が見えていた。

 

「やぁぁ!」

 

「グギャ!」

 

 鋭く研ぎ澄まされた<ゾンビキラー>の刃は、生命を持たぬ者以外の身体をも斬り落とす事は可能である。振り抜かれた剣は、<ミニデーモン>の左腕の肘から先を斬り飛ばし、派手に体液を撒き散らす。

 吹き飛んだ<ミニデーモン>の左腕が空中を舞い、甲板に落ちる瞬間、三又の槍が突き出された。

 隙が出来たとはいえ上位種の魔族である。瞬時に敵を認識し、突き出された槍はサラの腹部へと突き刺さる。三又の一本がサラの脇腹を抉り、真っ赤な血液を絞り出した。

 

「ヤハリ、アノ時ニ持ッテイタノハ……」

 

「メルエ!」

 

 サラの腹部を突き刺した槍を抜いた<ミニデーモン>は、失った左腕の痛みに顔を歪めながらも何かを呟くが、その呟きは、流れ出る血液を左腕で押さえつけるサラによって遮られる。

 自身の身体への回復呪文の詠唱よりも優先させたその指示は、後方で控えていた少女の決意を神秘へと変換させて行った。

 

「…………メラミ…………」

 

 血液を流しながらも離れるサラを待っていたかのように紡ぎ出された詠唱は、振り下ろした杖の先で敵を見据えていたオブジェの瞳を光らせ、その嘴から巨大な火球を吐き出させる。

 真っ赤に燃え上がる火球は、先程以上に甲板を明るく照らし出し、周囲の木片を焦がし尽くす程の熱量を誇って、その攻撃対象となる魔族へと襲い掛かった。

 

「チッ……何度ヤッテモ同ジ事ダ」

 

 自身へ迫り来る火球を見た<ミニデーモン>は、失った左腕から流れ落ちる体液を無視し、残った右手で三又の槍を振り下ろしながら詠唱を完成させる。

 先程メルエが唱えた物と同様の詠唱を行った<ミニデーモン>の槍先から迸る火球。それは、一度目の<ミニデーモン>が唱えた物と同等の威力を誇り、迫る火球へと一直線に向かって飛んで行った。

 ぶつかり合う火球と火球。

 弾け飛ぶ火炎。

 全てが先程の繰り返しのような光景ではあったが、全てが同じように見えるその光景に、決定的な違いが見え始める。

 

「ナ、ナニ!」

 

 先程とは異なり、メルエが放った火球が、<ミニデーモン>が放った火球を飲み込んで行くのだ。

 魔族が放つ魔法と、人類が放つ魔法では、同じ呪文でもその威力が異なって来る。魔族のメラミを人類のメラミが飲み込むなど、何がどうあっても不可能なのだ。

 だが、確かに今目の前で起きている現象は、メルエのメラミが相手の火球を飲み込んでいる物である。それは、先程の<ミニデーモン>の唱えた火球のように、相手の呪文によって威力を削られていくような物ではなく、相手の火球の威力そのものを飲み込んで行く物。

 つまりそれは、同等の呪文では有り得ない事が起きていると言った方が正しいのだろう。

 

「マ、マサカ……ソノ呪文ハ……メラゾ……。ソウカ、オ前ガ……!!」

 

 <ミニデーモン>が唱えた火球の全てを飲み込んだ圧縮されたメラミは、そのまま対象となる<ミニデーモン>へと襲い掛かる。

 自身の身体が焼け焦げて行く熱さを感じながらも発した<ミニデーモン>の呟きは、闇に包まれた幽霊船にいる誰も聞き取る事は出来なかった。

 全てを飲み込む火球は、全てを焼き溶かし、虚空の彼方へと消えて行く。幽霊船の甲板の木板や、破れていた帆なども溶かした火球が消えた後、再び暗闇と静寂が戻って行った。

 

「カミュ、私達はとんでもない二人を生んでしまったのかもしれないぞ」

 

「あの二人がいなければ、魔王討伐など夢のまた夢だ」

 

 夜空へと消えて行った火球を目で追っていたリーシャは、冷たい汗を頬に流しながら、横に立つ青年へと言葉を掛ける。だが、それに対しての答えを聞いた時、リーシャの胸の中に生まれた不安は瞬時に霧散して行った。

 カミュの目的が明確に『魔王討伐』になっている事は、あのポルトガでの一言で理解している。だが、ここまで他者を信頼し、他者と共に歩む事を明言したのは初めてであるし、何よりもリーシャが誇りに思っている二人の力を、彼自身が誰よりも信じている事に喜びを感じたのだ。

 

「メルエ! アンジェさんとお母様の仇をメルエが討ったのです。これで二人のお母様が戻って来る訳ではありませんし、メルエの心が晴れる訳でもありませんが……ぐずっ」

 

「…………サラ………また……泣く…………」

 

 魔物の消滅を見届けたサラは、最大の功労者に向かって笑みを浮かべようとするが、その試みは賛辞の言葉の途中で崩れ去る。メルエの手を握った瞬間、サラの中の何かが感極まってしまったのだ。

 メルエ自身はその感覚がないのだろうが、先程の戦闘は親の仇討ちなのである。

 サラもまた、自身の生みの親を魔物の襲撃によって亡くしている。そして、サラはその仇討ちをする事が出来ず、その憎しみは魔物全てに及ぶに至った。今でこそ、その憎しみが間違っていた物だと理解出来るサラではあるが、当時は年々増して行く憎しみだけが彼女の生きる目的のような物であったのだ。

 そんな自分が取る事の出来なかった親の仇を、この幼い少女が自らの手で討った事で、『賢者』となってからもサラの心の奥底に残り続けた憎しみの源を消し去ったのかもしれない。

 実母の仇であり、養母の仇でもある魔物は、その二人が最も愛した少女の手によって葬り去られた。それは喜ぶべき事なのか、それとも悲しむ事なのかはサラには解らない。だが、この出来事は、自分の中に確かに残っていた負の感情を隠し続けていた『賢者』の心を開放し、幼く無邪気な『魔法使い』の一段上への成長を促す事となった。

 

「サラ、メルエ、よくやった」

 

「…………リーシャ…………」

 

 泣き出してしまったサラに困惑していたメルエは、ようやく登場したリーシャに向かって眉を下げ切った表情を向ける。そんな少女の表情に笑みを溢したリーシャは、ゆっくりとその小さな頭を撫でつけた。

 目を細めてその手を受け入れたメルエの頬も緩み、愚図ったように泣き続けるサラもまた、その少女の身体を抱き締める。

 

「メルエは偉かったな。サラも、ようやく憑き物が落ちたようだな」

 

 リーシャのその言葉が、サラの胸に残る最後の壁を打ち壊した。自身の中に残っていた闇の存在に気付いていたリーシャへの驚きもあったが、その存在を知っていて尚、自分を信じ続けてくれていたという事実に、彼女の感情が爆発してしまったのだ。

 止めどなく流れ落ちる涙と共に、嗚咽を繰り返しながら自分の胸で泣き続けるサラの背中を、メルエが優しく叩く。

 闇と静寂が支配する廃船の甲板の上で、暫しの休憩が取られる事となった。

 

 若い勇者一行は、また一つ大きな成長を遂げる事となる。

 自身の持つ理想へ向かって歩み始めていた『賢者』の心の中に唯一残されていた闇は晴れた。

 これより先、彼女が迷う事は少なくなるかもしれないが、それでも彼女は迷い、悩み、泣き、そして前へと足を踏み出して行くのだろう。それでこそサラという人間であり、サラという『賢者』の在り方だからである。

 その道は、『賢者』だけで歩む事が出来る物ではない。

 彼女を知り、彼女を理解し、彼女と共に歩む者達が居るからこそ、当代の『賢者』は輝くのである。

 

 

 

 




読んで頂き、ありがとうございました。

幽霊船は一話で纏めようと思ったのですが、とんでもない間違いでした。
ここから先の事も含めると、30000文字になってしまいそうですので、二話に分ける事に致しました。

ご意見、ご感想を心よりお待ちしております。

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