新訳 そして伝説へ・・・   作:久慈川 京

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~幕間~【エルフの隠れ里】

 

 

 

 『トルドバーグ』の朝は早い。

 この場所で生きる者達は、アッサラームで生きる者とは異なる夢を描く者達が多いからだ。

 アッサラームという町は若者が多く、そのほとんどが未来への希望と、一獲千金のような夢を描いて移住して来る町である。それに対し、この開拓地に来る者は、ある程度の年齢を重ねた者や、家族を持つ者達が多いのだ。

 『魔王バラモス』の台頭以後、この世界で生きる『人』という種族は、滅びた訳ではないが衰退の一途を辿っている。

 全盛期に比べれば、種族の数も半数近くになっているのかもしれない。毎日のように新しい命が生まれはしているのだろうが、それ以上に『人』が死んで行く。魔物に殺される者、魔物に食われる者、国家の衰退によって仕事を無くし路頭に迷った果てに死んで行く者など様々ではあるが、それらの全てが『人』から希望や、生きる活力を奪っていた。

 若者であれば、それらを全て逆境と思い、『自分ならばそれを跳ね返すだけの力を持っている』という根拠のない強さのまま突き進む事も可能であろう。だが、家族を持ち、守るべき者を持った者は、そのような冒険心は萎んで行く物だ。

 自らが生きる集落が衰退すれば、そこで物が売れなくなる。買う者が少なくなるのだから、それを生産し、売る者の収益も当然減って行く。野菜や果物、それに水を食しているだけで『人』が生きて行けるのならば苦労はないのだが、『人』には様々な欲があり、趣向がある。

 今まで生きて行た場所から離れ、新天地でもう一度やり直すという考えを持つのに、この『トルドバーグ』のようなゼロから作り出された集落は適した場所であったのだ。

 仕事など数多くあり、同じ夢を持った者達が集う事によって、現在の世界の中でも最高位に立つ程の活気に満ちている。

 そんな、『町』への道を直走る集落にとって、朝というのは最も重要な時間帯であった。

 

「……うぅぅん……」

 

 宿屋の一室でベッドに入っていたサラは、自分の顔に差し込む陽光の明るさで目を覚ます。

 カーテンによって遮られていた陽光であるが、その隙間から差し込む光は、一日の始まりを示すように力強く、夢も見る事無く熟睡していた『賢者』を覚醒させたのだった。

 身体を起こしたサラは、ゆっくりと部屋を見渡した後、その違和感に気が付く。

 まだ、陽が昇ったばかりなのだろう。隣のベッドでは、いつも早起きであるリーシャが未だに寝息を立てている。だが、その隣で眠っている筈の小さな膨らみが見えない。いつも最も遅くまで眠っている少女の姿がなかったのだ。

 

「メルエ?」

 

 自分の上に掛っていた毛布を取り、入り口の扉へ視線を移すが、その扉には内側から鍵が掛けられたままである。それは、この部屋から誰も出て行っていない事を示しており、メルエ自体がこの部屋に残っている事も示していた。

 窓も閉じられたままであるが、部屋の周囲を見回してはみるが、幼い少女の姿を見つける事は出来ない。それ程大きな部屋ではない為、メルエの姿が見つからないという方が可笑しいのだ。

 不思議に思ったサラは、リーシャの隣で眠っている内に奥へ潜り込んでしまったのではないかと考え、リーシャのベッドに近づいて行く。

 サラが向かう場所で眠っている女性は歴戦の戦士である。そんなサラの小さな行動だけで、眠りから覚醒していた。

 

「サラ、どうした?」

 

「あっ、リーシャさん、おはようございます。メルエは毛布の中にいるのですか?」

 

 ゆっくりと身体を起こしたリーシャに朝の挨拶を済ませたサラであったが、自分が続けた疑問をリーシャの身体から離れた毛布が否定している事を悟り、再び周囲へと視線を動かした。

 ベッドが二つしかない部屋であり、その他の家具といえば、壁側に取り付けられた机程度しかない。この小さな部屋で、如何に幼い少女とはいえ、メルエの姿を見失うという事は異常以外の何物でもないだろう。

 サラの言葉に事の重大さを理解したリーシャも慌てて毛布を剥ぎ取り、身体を完全にベッドから起き上がらせた。

 

「…………サラ…………」

 

「えっ? メルエ、いたのですか……!!」

 

 不意に後方から掛った呟きを聞き、サラはその小さな胸を撫で下ろした。その声は、彼女が知るような呟くような拙い言葉であり、いつでも自分の後ろに控えている幼い少女の声である事を悟ったのだ。

 だが、安堵の溜息と共に叱る準備をしていたサラは、ゆっくりと振り返った先に佇んでいた者の姿を見て、大きく息を飲む。そのまま驚愕の為に目を見開き、飲み込んだ息を勢い良く吐き出したのだった。

 

「きゃぁぁぁぁ!!」

 

「サラ、武器を持て!」

 

 劈くようなサラの悲鳴が部屋の中に響き渡り、同じように驚いていたリーシャは、即座にベッドの傍に立てかけている<バトルアックス>に手を掛ける。

 だが、飛び退くようにベッドから落ちてしまったサラが、強かに打った尻を摩りながら武器を探す頃には、先程までいた筈の者が消え失せていたのだった。

 

「サラ、あの魔物は何処へ行った!?」

 

「えっ、えっ?」

 

 先程サラが振り返った先には、恐ろしい程に鋭い牙を剥き出しにした魔物が立っていたのだ。その魔物は、今までの旅路で見た事のない姿をしていた。

 振り返った直後にいる筈のない魔物の姿を見た事と、今までに見た事のないその姿に、サラは驚きの声を上げてしまったのだ。

 だが、その魔物もリーシャとサラが少し目を離した隙に、煙のように消え去ってしまった。再び静けさを取り戻した部屋には、悪しき気配など微塵もない。ゆっくりと見渡すように部屋の隅々まで見ていたサラは、壁側に置かれた机付近で跳ねる青い影を見つけた。

 

「ス、スライム!?」

 

「なに!?」

 

 先程の異形の魔物といい、今自分の方へ飛び跳ねて来るスライムといい、この小さな部屋に何故これ程の魔物が入り込んだのか理解が追い付かないサラは、困惑を極める。スライムは真っ直ぐにサラを目指して飛び跳ねて来るが、何故かそのスライムに邪気は感じられず、恐怖も感じない。既に、スライムのような魔物は脅威ではない事を差し引いても、その感覚はとても奇妙な物であった。

 それはリーシャも同様であったようで、手にした<バトルアックス>を振り上げる事はなく、何処か楽しそうに飛び跳ねるスライムを見つめている。

 

「…………ふふ…………」

 

 サラの足元まで来たスライムが、突如小さな笑い声を上げる。

 それは、リーシャやサラが何時も聞いているような小さな笑い声。

 この世の全てに希望と夢を感じ取り、そのどれもが輝いて見えているのではないかと思う程に、咲き誇る笑みを浮かべる少女に酷似した笑い声であった。

 

「メ、メルエなのですか?」

 

「なんだと!?」

 

 奇妙な感覚に襲われたサラは、自分の足元で纏わり付くように飛び跳ねるスライムに向かって、常識では考えられないような問いかけをしてしまう。どれ程に常識外れの疑問なのかは、サラの傍で素っ頓狂な声を上げているリーシャの姿が物語っているだろう。

 だが、サラの中では、何か確信に似た物が存在していたのも事実であり、それはスライムである筈の物と一緒に奇妙な形をした杖までもが飛び跳ねていたからである。

 

「…………ん…………」

 

 メルエの頷きのような言葉が返って来たと同時に、何かが弾けるような奇妙な音が部屋の中に響き、スライムの姿が消え失せる。代わりにサラの前に現れたのは、可愛らしい笑みを浮かべた幼い少女の姿。

 悪戯が成功した時の子供そのものの笑顔を作った彼女の手には、奇妙な形をした杖がしっかりと握り込まれている。サラの記憶が正しければ、それはサマンオサ国王となったアンデルから下賜された国宝。使用者の姿を変えてしまう程の神秘を生み出す神代の宝物であった。

 

「メルエ、それを勝手に持ち出して! 駄目ではないですか!」

 

「…………むぅ…………」

 

 国宝だろうが、王から下賜された物であろうが、その物の実質的な価値にしか興味のないカミュは、この杖もまた鏡と同様に、使用可能なサラへ預けたままになっていたのだ。

 幼いメルエは、杖の効力などを詳しく知りはしなかったであろう。だが、朝早くに目を覚ましたメルエは、ベッドの傍に立て掛けられている杖を見つけ、それを手に取ったのだ。

 杖を振る度に自分の姿が変わるという事に驚き、不安になったのだろうが、暫くすれば元の姿に戻る事が確認出来た彼女は、何度かそれを繰り返す事によって、楽しみへと変えて行く。そして、その楽しみは、他者を驚かせようという悪戯心へと摩り替って行った事を誰も責める事は出来ないのかもしれない。

 

「そうだぞ、メルエ。何に変化しても良いが、魔物は駄目だ。魔物の姿になってしまえば、身の危険を感じた『人』が攻撃して来てしまうぞ」

 

「リーシャさん、そういう事ではありませんよ」

 

「…………むぅ…………」

 

 何処か観点の異なる注意を促すリーシャに、サラは表情を崩してしまった。

 メルエが身内である自分達へ悪戯心を表すという事は、決して悪い事だけではない。それ程に自分達を信頼している証拠でもあり、そのままの姿で外へ出なかった事は、メルエ自体がこの行為が重い事である事を自覚している証拠でもあった。

 だからこそ、自分の行いを咎めるサラに対してむくれ、『魔物であれば攻撃する』というリーシャの考えに頬を膨らませているのだ。

 

「何を騒いでいる」

 

「…………カミュ…………」

 

 小さな部屋で、朝早くからあれ程の悲鳴を上げ、ドタバタと部屋を駆け回れば、隣で眠っていたカミュが起きて来るのは当然の事である。扉の向こうで中の様子を窺うように声を掛けて来たカミュの声を聞き、先程まで頬を膨らませていたメルエは笑みを浮かべて扉へと駆け寄って行く。

 鍵に手が届かないメルエの代わりに扉を開けようとするリーシャは、既に寝巻から着替え終えているが、先程までメルエとやり取りを繰り返して来たサラは起きたままの姿であり、寝癖のついた黒みがかった青色の髪はあちこちへ跳ねていた。

 

「あっ、リーシャさん、待って下さいよ!」

 

 開けようとするリーシャの手を止めたサラは、大急ぎで着替え始めるが、カミュの侵入を妨害した彼女に対して、幼い少女は更に頬を膨らませる事になる。

 サラが着替え終わった事を確認し、リーシャが扉を開ける頃になっても、メルエの手にはサマンオサの国宝である<変化の杖>が握られていた。

 部屋に入って来たカミュに喜び勇んで近づこうとするメルエの首根っこを摑まえたリーシャは、少女をベッドに座らせ、もう一度屈み込んで彼女と目を合わせる。リーシャの真剣な瞳を感じ取ったメルエは、一度首を傾げるが、その瞳を恐れるように顔を伏せた。

 

「メルエ、先程の件だが……サラはメルエの身を案じているんだ。その杖はとても強い力を持っている。私達の前であれば構わない。だが、メルエの事を知らない人間がそれを目にすれば、皆メルエを恐れて近づこうとしなくなるかもしれない」

 

「…………むぅ…………」

 

 諭すように話すリーシャの言葉を聞いても、メルエは少し頬を膨らませる。幼い彼女にとって、この数年間は色々な事を学ぶ時間でもあった。

 それは、喜びや悲しみ、怒りや苦しみ、夢や希望に世界やそこに生きる多くの者達。そんな当たり前の事に加え、嫉妬や楽しみ、不満や使命感なども彼女は学んで来たのだ。

 <変化の杖>という特殊な杖の効果は、<消え去り草>の特殊効果を『楽しい』と感じたメルエにとって、とても不思議でとても魅力的な物に映ったのだろう。新しい玩具を与えられた子供のように、極当然の感情ではあるのだが、それが余りにも強力な物であるだけにリーシャは窘めている。だが、それは色々な感情を学び始めているメルエにとっては不満に感じる事なのかもしれない。

 

「……何があった?」

 

「あ、はい」

 

 経緯の解らないカミュに対し、サラは朝に起きた出来事を全て伝えた。

 話を聞いている間、カミュの表情は一切変化する事はなく、その事自体に興味がないかのようである。それでも、メルエが魔物の姿に変わり、スライムの姿になったという部分でだけは、視線を<変化の杖>へと移し、何かを考えるように瞳を閉じた。

 ベッドではリーシャの話に納得がいっていない様子を見せながらも首を縦に振ったメルエが、その小さな頭を撫でられている所であり、サラはそんな二人の様子を優しい瞳で見つめる。

 

「メルエ、魔物の姿にしかなれなかったのか?」

 

「カミュ様?」

 

「…………なれる…………」

 

 そんな中、不意に告げられた言葉にサラは首を傾げ、先程まで神妙な顔で俯いていたメルエは、輝くような笑みを浮かべ、<変化の杖>を持ってカミュの足元へと駆け寄って行く。リーシャはそんな少女の行動に軽い溜息を吐きながら小さな笑みを溢し、サラもそんな二人を微笑ましく見つめた。

 お叱りの時間は終わった。それをメルエが正確に把握したかは定かではなく、むしろ納得をしていなかったとしても、『無断で行えば叱られる』という認識が頭の片隅にでも残っていれば、リーシャやサラの目論見は達成されたと考えても良いだろう。

 子供を産んだ事もなく、子供を育てた事もない二人ではあったが、数は少なくとも深い愛情を受けて育って来た二人だからこそ、その辺りの線引きが出来ていたのかもしれない。

 

「魔物以外では何になれるのだ?」

 

「リーシャさんにもなれるのではないですか?」

 

 <変化の杖>を手に持つメルエを囲むように集まった三人は、誇らしげに杖を掲げる少女に様々な問いかけを行い、その事を笑い合う。そんな和やかな雰囲気の中、幼い少女は<変化の杖>へ念を送り始めた。

 眩く輝く光が小さな身体を包み込み、奇妙な音を立てたかと思うと、先程までそこに立っていたメルエの姿が消え失せる。代わりに現れたのは、メルエと同じような背格好をした少女であった。

 

「……エルフか?」

 

「……子供のエルフみたいですね」

 

 一見すれば、何処にでもいる人間の子供のように見えるが、メルエと同じように切り揃えられた短い髪から尖った耳が飛び出している。瞳も何処となく『人』の物とは異なりを見せ、その形状や色が人外の物である事を示していた。

 『人』自体が『エルフ』に似せて作られたのか、『エルフ』が『人』の身体へ近づいたのかは解らない。だが、その少女の姿は、間違いなく『エルフ』の物であったのだ。

 カミュが口にした疑問にサラが肯定で答え、自分の姿が思い描いていた物に違いない事で、目の前にいるエルフの少女は、眩いばかりの笑みを溢す。皆に姿を見せるようにその場で回り始めた少女は、先程まで叱っていた筈のリーシャの腰に抱き着いた。

 

「ふふ。メルエ、凄いな」

 

「…………ん…………」

 

 抱き着いて来たエルフの少女を抱き上げたリーシャは、メルエの面影など背丈ぐらいしかない顔を覗き込んで笑みを浮かべる。顔を突き合わせるように微笑み合う姿は、とても『人』と『エルフ』の姿には見えず、それを見ていたサラは、自分の目指す道の先にある光景を夢見るのであった。

 メルエと額を擦り合わせるリーシャの姿は、本当に親子や姉妹のようであり、この先の時代に、『人』や『エルフ』の垣根を越え、このような光景が世界のあちこちで見られたとしたら、それはサラの目指す世界に少しでも近づいた事を示す指標とさえなるだろう。

 

「カミュ、このようにエルフの姿になれば、あの隠れ里で買い物なども出来るのではないか?」

 

「えっ?」

 

 しかし、そんな理想の先を夢見ていたサラは、何気なく口にしたリーシャの言葉で現実に引き戻された。

 リーシャの表情を見る限り、それは只の冗談である事が解る。それはカミュも理解しているのだろう。溜息を軽く吐き出しながら、リーシャへと視線を送り、それを諌めるような言葉を口にした。

 

「アンタは、あのエルフ達を騙してまで、あの場所で買いたい物でもあるのか?」

 

 『騙す』という言葉は、リーシャとサラの胸を深く抉り込む。サマンオサの惨状を見て来た彼女達だからこそ、カミュのその言葉の重みを理解する事が出来たのだろう。

 姿を偽る事は、その者を見る相手の心をも欺く事になる。それは、結局の所、自分自身さえも偽る事になり、多くの者達を傷つける事になってしまうのだ。それを、あのサマンオサの新国王から彼女達は学んだばかりである。故に、先程までの陽気な雰囲気は一気に消え失せ、何か言いようのない不快な空気が部屋を包み込んで行った。

 

「…………メルエ……いく…………」

 

 しかし、そんな重苦しい空気も、エルフの少女の姿を模した者に打ち破られる事になる。

 リーシャが何気なく口にした言葉ではあったが、メルエの中でその場所に行く理由が出来てしまったのだろう。カミュへと送る視線は、エルフ特有の鋭い瞳の影響だけではなく、強い意志さえも有しているように感じる物であった。

 溜息を再び吐き出したカミュは、睨み付けるようにリーシャへ視線を送り、その視線を受けたリーシャは逃げるように顔を背ける。

 

「エルフの女王様のいる隠れ里に行っても、メルエの装備品などはありませんよ?」

 

「そうだな、先程のは冗談だ。あの場所に行っても、買い物などしないぞ?」

 

 自分の物を買って貰う事は、この旅の中に存在するメルエの楽しみの一つである。故に、サラやリーシャは、その場所に行っても何も購入するつもりがないという事を伝えるが、それを聞き取ったエルフの少女の姿をしたメルエは、大きく首を横へと振るのだった。

 それが示す事は、メルエがその場所に行く目的は、別の物であるという事。しかし、その目的はカミュ達には理解出来ない。首を横へ振り終わったメルエは、そのまま再びカミュへと視線を送った。

 

「…………メルエ……いく…………」

 

「……わかった」

 

 こうなってしまったメルエは、もはや誰の言う事も聞かない。それを三人は誰よりも理解していた。

 自分自身に非がない事であれば、メルエの頑固さはパーティーの中で最高位に位置する。アリアハン時代から『人』を信じて来なかったカミュも、宮廷内で爪弾きにされる程に硬い頭を持っていたリーシャも、教会が唱えるルビス教を盲信していたサラでさえ、この幼い少女の頑固さには敵わないのだ。

 『エルフを騙してまで買い物がしたい』という理由でここまで頑固な態度を取っている訳ではない事は、メルエの瞳を見れば理解出来る。故に、カミュは首を縦に振ったのだった。

 

「よし。ならば、朝食を取って、船に戻ろう」

 

「そうですね。一度ポルトガへ戻ってからルーラで移動しましょう」

 

 目的地はカミュが決める。これは、アリアハンを出立したあの日から何も変わる事のない事柄。だが、その目的地が決定した後は、全員がその目的に向かって全力で動く事もまた、アリアハン出立の日から変わる事のない物であるのだ。

 メルエを床へ下したリーシャは、その姿を元に戻す事をメルエに命じ、そのまま出立の支度を始める。カミュも一つ頷きを返した後、自分の部屋へと戻って行った。

 

 

 

 トルドの見送りを受けて『トルドバーグ』を出た一行は、変わり行く町をもう一度振り返り、それぞれの想いを胸に船への道を始める。

 船に戻る道の途中で、何人もの商人達とすれ違いながらも船へと戻った一行は、そのまま二日程の日数を要してポルトガの港へと入って行った。

 

「じゃあ、俺達は『トルドバーグ』で仕入れた品を売った後、またアンタ方が戻るのを待つ事にするよ」

 

「ああ、おそらく二、三日で戻ると思う」

 

 船を降りたカミュ達は、頭目との会話の後、ポルトガの城下町を出て行く。

 城下町へと続く門を抜けた一行は、そのまま暫く歩き、カミュの唱えるルーラによって、上空に浮かび上がった。

 上空へと浮かび上がった魔法力の塊は、方向を定めた後、北東の方角へと消えて行く。

 

 

 

 <エルフの隠れ里>と呼ばれる場所は、深い森の中にある。その森にはエルフの魔法による結界のような物が張られ、人々の侵入を拒み続けていた。

 故に、その場所へ直接ルーラで向かおうとしても無駄であり、一度近場の町や村から徒歩で向かわなければならないのだ。

 ルーラの魔法力が降り立った場所は、数年前まで村人全てが眠りに落ちていた場所であり、『人』という種族の大きな弱さと、小さな強さをカミュ達に教えた村であった。

 ノアニールと呼ばれるその村は、数年前に訪れた時よりも幾らか活気を取り戻しているようにも見える。ロマリア国家が数年間の税収を取り戻すかのように重い税を取り立てていたと考えられるその村は、眠りから覚めたばかりの村人達を混乱に陥れていた筈だが、今は、全ての村人達が笑みを浮かべながら日々の営みを行っているようにも見えたのだ。

 

「この村も随分変わったな」

 

「おそらく、税率が下がったのだろうな。一度課せられた重税が下がれば、例えそれが以前よりも割高な税だとしても、そこで生きる者達にとっては喜びとなる……あのロマリア王女らしい政策だ」

 

 村の入り口から中へ入ったリーシャは、その活気に驚くと同時に何処か感心してしまう。その言葉を聞いたカミュは、考えられる可能性を口にする事で、この状況の答えとした。

 サラは、為政者としての巧みな政策に対し、純粋に感心を示し、憤りや不満を感じる事もなく、村人達の笑顔を心から喜んだ。

 だが、カミュ達一行は、別段この村に用がある訳ではない。即座に村を出た彼等は、そのまま大陸を西へと歩み始めた。

 

「魔物達の姿さえも見えませんね」

 

「それだけ、サラやメルエも成長した証しだろう。二人の身体から溢れ出す魔法力が、この大陸にいる魔物達を怯えさせているのだ」

 

 西に向かって歩き出して数刻経ち、陽が西の大地へ沈む頃になっても、彼等は魔物と遭遇する事はなかった。

 魔物は夜が近づけば、その凶暴性を増して行く物である。だが、彼等の周囲には魔物の姿どころか、気配すら感じない。それは魔物自体が彼等を避けるように行動していると感じてしまう程であった。

 それは陽が完全に落ちてしまっても変わる事なく、魔物の気配がしない森の入口で、一行は火を熾し野営を行う事となる。

 

 翌朝、森の中へ入る前に<変化の杖>によって姿をエルフの物へと変えた一行は、森の結界の影響を然程受ける事無く、森の中心部へ向かって歩み続ける。

 その結界が表面の姿だけを認識しているとは思えないが、サマンオサ国が『精霊ルビス』から授かったと言われる程の神代の道具であるだけに、エルフの結界の影響も受け難いのかもしれない。

 確かに、サマンオサ国を混乱させた<ボストロール>という魔物の巨大な身体を人間の姿にしただけではなく、その異臭と言える程の体臭や、人間を喰らう事による生臭い息なども消してしまった杖である以上、結界を誤魔化す程度の事は可能なのかもしれない。

 

「こら、メルエ走るな!」

 

 見覚えのある木々のアーチを目にしたメルエは、幼いエルフの少女の姿のままそこへ向かって駆け出した。

 全員がエルフの姿となり、カミュ達三人に至っては声色も若干変わっているのであるが、それでも尚、『人』では遠く及ばない程の力を有する『エルフ』と呼ばれる種族が生活をしている場所に入る事を躊躇ってしまう。それは、生物として当然の、本能による恐れなのかもしれない。

 既に人類最高位に立ち、この世界の最大の脅威である『魔王バラモス』に挑もうとするリーシャやサラでさえ、やはりエルフの持つ未知なる強さに対して恐怖を持つのである。いや、人類最高位に立つ彼女達だからこそ、その恐ろしさを実感出来るのかもしれない。

 その証拠に、以前にここを訪れた際に感じていた戸惑いと、現在の躊躇いは異なる物であった。

 

「ここだけは、何も変わる事はないな」

 

「はい。これも、『人』とは異なる強さなのでしょうね」

 

 木々のアーチを潜り抜け、エルフ達が生活する空間へと出たリーシャは、数年前と寸分も違わないその姿に感嘆の声を上げてしまう。そして、サラはそれもまた、人間が持つ強さとは異なる強さの表れだと感じていた。

 変化を望み、今よりも良い暮らしをと願う『人』とは異なり、ここで暮らすエルフ達は今と同じ平穏を望む。そこに進化はなく、変化もないだろう。だが、『人』では感じる事の出来ない世界を、ここで暮らす者達は感じる事が出来るのかもしれない。

 全ての生き物達が生涯を全う出来る世の中という、到底実現不可能な世界を夢見るサラにとって、草花の中で笑みを溢すエルフ達は、何処か儚く、それでいて力強い、不思議な存在に映っていた。

 

「あら、いらっしゃい。こんな時期に新しい仲間に会えるなんて嬉しいわ。それにこんなに可愛いお子さんも……お二人の子供?」

 

「えっ?」

 

 隠れ里の光景に目を奪われていたサラ達は、横から不意に掛った声に驚きの表情を浮かべた。

 声がした方を見ると、人の良さそうな笑みを浮かべた妙齢のエルフが立っている。その視線は、カミュ達というよりも、リーシャの手を引いたメルエに注がれていた。

 エルフ族というのは、他種族の集合体である。実際に、リーシャやサラはこの場所にいるエルフ達と変わらぬ女性のエルフの姿をしているが、カミュに至っては何処か中性的な姿に変化している。

 以前、エルフの女王の話にあったが、もしかするとこのエルフ族が子孫を残す方法は、『人』とは少し異なりを見せるのかもしれない。その答えは、『賢者』となったサラであっても、導き出す事など出来はしなかった。

 

「この子にピッタリのローブがあるのよ。良かったら見て行ってくれない?」

 

「…………ん…………」

 

 そのエルフは、後ろに見える店舗を指差し、カミュ達を誘う。よくよく見れば、そのエルフは以前、道を聞いているのに『売る物はない』の一点張りで答えてくれなかったエルフであった。

 優しい笑顔を浮かべるエルフは、メルエに対し好意を向けている。それは営業的な物だけではないのだろう。純粋に新たな仲間の出現を喜び、これから先の未来を担う幼いエルフの誕生を喜んでいるのだ。だからこそ、メルエはその笑顔に無条件で頷きを返した。

 逆に、リーシャやサラは、このような良い心を持っているエルフを騙している事に罪悪感を感じてしまう。しかし、カミュがメルエに引かれて動いた事によって、その後をついて行く事しか選択肢がなかった。

 

「これは<天使のローブ>という物なの。これを着ていれば、理不尽な死を望むような死の呪文の効力も弾き返してしまうわ。幼いエルフが無事に成長するようにという願掛けでもあるの」

 

 店舗に入ったエルフは、店の奥から一つのローブを手に戻って来る。それは、僧侶や司祭が着るような物によく似た形式をしてはいるが、それよりも数段高価な物である事が良く解る。中に着込む物も一緒になっており、上から羽織る生地は、鮮やかな桃色をしていた。

 ジパングという島国で見た、春風に漂う<サクラ>の花弁のように鮮やかな桃色のローブは、朝陽が注ぐ光に輝き、優しく暖かな輝きを放っている。

 このエルフは、商品に対して誇張していたり、嘘を吐いていたりする事はないだろう。それは、本当に心から信じているという瞳と、幼いエルフの未来を願う想いが証明していた。

 <天使のローブ>という物は、幼い我が子の幸せを願い、同じ種族の幼子の成長を願う想いと共に、特殊な技法によって編み出された物なのだろう。エルフ族という集合体の種族だからこその願いは、身に着けた者を理不尽な死から遠ざける効力さえも持ち、不幸を寄せ付けない程の強さを持つのかもしれない。

 

「おいくらですか?」

 

「本当は3000ゴールドだけど、久しぶりに会った未来の希望のお祝いに、1500ゴールドで良いよ」

 

 人の良い笑顔を向けるエルフの表情を見たサラは、自分の顔が歪んで行くのを自覚してしまう。慌てて顔を伏せた彼女は、こんなに同種族の幸せと未来を願う者を騙している罪悪感を覚えると共に、今のエルフ族という種族の状況を悟り、静かに涙の滴を地面へと落とした。

 リーシャもサラと同様に、言いようのない想いに苛まれ、視線をエルフから外す事になる。その時、奥の棚に置かれている見覚えのある物に視線が止まった。

 

「サラ、あれは<祈りの指輪>ではないのか?」

 

 棚に置かれた物は、小さな指輪。

 イシス国の女王が、約束と共にメルエの指に嵌めた物であり、装備者の願いを『精霊ルビス』に届け、その者の魔法力を大幅に回復させる効力を持っている。

 カミュ達が<ヤマタノオロチ>と呼ばれる強敵と戦闘を行った際に、燃え盛るような火炎から前衛部隊を守り続けて来たメルエが魔法力の枯渇によって膝をついた時、その幼くも切実な願いを聞き届け、奇跡を齎した指輪であった。

 

「そうだよ。<祈りの指輪>を知っているのかい? あら、貴女も指に嵌めているのね。お母様の祈りなのかしら?」

 

「今後の事を考えると、サラも一つ持っていた方が良いのかもしれないな」

 

「ああ」

 

 メルエの前に屈み込んだエルフは、その小さな手に嵌められた指輪の存在に気が付き、柔らかな笑みを浮かべる。

 本来であれば、この<祈りの指輪>の語源もまた、幼い我が子の幸せを願う親の祈りから来ているのかもしれない。それが『人』の手に渡り、時代を追う毎に、その祈りは親の願いではなく、『精霊ルビス』への祈りという解釈へと変わって行ったのだろう。

 効力は同じでも、その想いは異なるのだ。

 そんな不思議な感覚を覚えたリーシャは、その必要性を説き、カミュへと視線を移す。そして、その効力を肌で感じているカミュもまた、静かに頷きを返した。

 

「ありがとう。この<祈りの指輪>も本来は2500ゴールドするけれど、<天使のローブ>と合わせて、3000ゴールドで良いよ」

 

 もしかすると、このエルフから見ると、サラとメルエは姉妹のように見えたのかもしれない。姉妹の幸せを願い、未来を願う想いを微笑ましく見つめ、そして優しく値引いたのだろう。

 メルエを奥へと連れて行き、着ている<アンの服>を脱がせると、その上から<天使のローブ>を着せて行く。その際に、<マジカルスカート>はそのまま残される事となった。

 

「この<みかわしの服>は、処分しても良いのかい?」

 

「…………だめ…………」

 

「申し訳ないが、それはこの娘の友の形見なのです。こちらで引き取らせて頂きます」

 

 メルエが脱いだ<アンの服>を畳んだエルフは、処分する物を入れる箱へそれを入れようとするが、それは新しい衣服に目を輝かせていた幼い少女によって遮られる。そして、それを補足するようにカミュが前に出ると、エルフは申し訳なさそうに顔を伏せた。

 少し前まで、『人』と『エルフ』の間では過酷な戦いが繰り広げられていたのだ。その戦いの中で数多くのエルフ達が命を落とし、その中には若い者や幼い者も含まれている。それは、今も尚、多くのエルフ達の心に傷となって残っていた。

 

「そうかい……それは無神経な事を言ってしまったね、ごめんよ」

 

「…………ん…………」

 

「こちらこそ、色々とお気遣い頂きありがとうございました。代金はこちらに置かせて頂きます」

 

 悲しそうに瞳を伏せ、涙を流すかのような悲壮感を漂わせるエルフに、メルエは花咲くような笑みを浮かべて頷きを返す。その笑顔は、エルフ達の心に残る傷さえも癒す程に優しく、暖かな物であった。

 このやり取りは、心を凍らせたまま成長を続けて来た青年でさえ、何か感じる物があったのだろう。涙を拭って笑顔を浮かべるエルフに向かって深々と頭を下げて礼を述べるその姿は、心からの感謝と、そして深い謝罪の意を表していた。

 

 メルエに向かって何時までも手を振るエルフに何度も頭を下げながら店から離れた後、一行は隠れ里の中でも一際大きな屋敷へと足を向ける。

 未だに<変化の杖>の効力は解ける事無く、一行の姿はエルフ族のままであり、里で生活する者達は皆、新たな仲間の来訪を喜ぶように声を掛けて来た。

 その全てがこの場所を訪れた事に対する罪悪感へと摩り替って行く。メルエの目的はカミュ達には解らない。だが、あれ程頑なにここへ来る事を望んだ以上、メルエにはどうしてもこの場所を訪れ、女王に会う理由があった事だけは理解出来た三人は、胸を蝕む罪悪感に苦しみながらも、里を歩くエルフ達に笑顔を返すのであった。

 

「お前達は何処から来たのだ? まだ同志が生き残っているなど、女王様から聞いてはいなかったが……」

 

「『人』に紛れて海を渡って参りました。この里の噂は聞いておりましたので」

 

 以前と同じように、館の門を守る側近のエルフは、突如現れた同族に戸惑い、喜びとは別に疑惑の視線を送る。この里に入り込める人間はいない筈なのだが、数年前に入って来た人間がいる事で、この側近も警戒感を持っていたのだろう。

 罪悪感に苛まれるリーシャとサラを退け、カミュが前に出て側近の質問に答える。それは、リーシャやサラにとっては罪悪感を増して行く程の嘘ではあったが、メルエの願いを叶える為には、致し方ない方法でもあった。

 現に、その側近は、彼等の身なりを見て、遠くから旅を続けて来たのだという事を察し、歓迎を示す笑顔へと変わっている。笑みを浮かべた側近を見ていたメルエの顔にも笑みが浮かび、それに気づいた側近はその場に屈み込んだ。

 

「おお! 幼子もいるのか! よく来た、よく来た。女王様は、この奥にいらっしゃる。中の者に取り次がせる故、しっかりとご挨拶をするのだぞ」

 

「…………ん…………」

 

 『人』には見せる事のない、優しい笑みを見せる側近を見ながら、サラは心苦しく顔を伏せてしまう。これ程の優しさと喜びを示してくれる者達を騙し続ける自分達の愚かさと罪を感じ、もはや相手の目を見る事さえも出来なかった。

 如何にメルエの望みを叶える為とはいえ、このエルフの隠れ里を訪れたのは、『人』の傲慢ではなかっただろうか。それ程に強い後悔の念を抱えながら、自分が宿屋で何気なく口にした言葉をリーシャは飲み込むしかなかった。

 

「こちらに女王様がおられます」

 

「ありがとうございました」

 

 案内の者に頭を下げたカミュは、そのまま一行を引き連れて以前に訪れた事のある謁見の間へと足を踏み入れた。

 人間の王族とは異なり、その謁見の間はエルフの女王の為だけに存在し、他の者は誰一人としていない。取次の者でさえ中に入る事もなく、尚且つ来訪者を告げる事もなく去って行く。以前も見た光景であったが、人間が造った全ての国家を見たサラは、『人』と『エルフ』の違いを見たような気がした。

 

「……そなた達、それがどれ程に我々エルフ族を侮辱する行為であるかを解っている筈です」

 

「はっ」

 

 しかし、そんな思考は即座に吹き飛んでしまう。玉座の前まで辿り着く前に、そこに座す女王によって、彼等の行動は遮られたのだ。

 鋭く細められた瞳は、彼女の怒りを明確に示しており、咎めるような口調からは嘲りさえも感じる。だが、リーシャやサラには、女王のその言葉の中に、若干の失望も含まれているように感じていた。

 このエルフの女王は、『人』の中でも異質な存在であるカミュ達を、他の人間達よりも信頼してくれていたのかもしれない。そんな一行が、エルフの姿を模して現れた事によって、侮辱された事への怒りとそのような愚行を起こす者達であったという失望が見えていた。

 

「姿を変えようと、私には解ります。我々エルフ族の誇りを侮辱する事は許しません!」

 

「も、もうし……」

 

「…………ごめん………なさい…………」

 

「メ、メルエ!」

 

 先程まで微かに見えていた失望の色は消え失せ、純粋な怒りとなって表情に現れた女王は、カミュ達四人に向かって、今までに聞いた事のないような大声を上げた。

 それは、どんなに強力な魔物の放つ威圧感よりも、どれ程に偉い王族が持つ威圧感よりも強く、サラは身体を跳ねさせてしまう。ここまでの旅で、手足さえも動かせない程の怒りを向けられた事は一度たりともなかった。それは、その全てを前に立つカミュが濾過していてくれたからという部分もあるが、一行全員に向けての怒りや威圧感など、<ヤマタノオロチ>や<ボストロール>との戦闘でも感じた事はなかったからだ。

 しかし、リーシャでさえも手に汗を握る程の威圧感が部屋の空気を占める中、その手を握っていた筈の幼い少女がカミュよりも前に出て行った。

 一行の中で一番先頭に立ち、瞳を怒らせる女王の前で深々と頭を下げる少女の姿は、ここまでの旅の中でも見た事がない。常に誰かの護られ、咲き誇る花々や飛び回る虫達に目を輝かせる時以外は後方にいた少女が、誰しもが指一本動かせない状況で前へ踏み出したのだ。

 

「幼き者、何故そなたが謝る。そなたは只、この者達と共にここを訪れただけであろう」

 

「…………ちがう………メルエ……会う……いった…………」

 

 エルフの女王からすれば、メルエという幼い少女は、この年若い『人』の希望達に従う者の一人でしかない。しかも、年端も行かぬ者である為、自分の意志で目的地を定める事など出来ないと考えていたのだろう。

 だが、そんな女王の考えは、その幼い少女によって否定される。必死に首を横へ振り、まるでカミュ達三人を護るかのように立つ彼女の背中は、後方のサラからは、とても大きく見えてしまった。

 それは、魔物との戦闘で前衛に立つカミュやリーシャのように。

 サラは、何故かそんなメルエの背中を見ながら、メルエから見た自分の背中も同じように見えていたらと願ってしまう。それ程までに、自分がこの幼い少女に依存している事に、サラは小さな喜びを感じ、先程まで硬直していた身体が解けて行くのを感じていた。

 

「幼き者、私に何か用があるのですか?」

 

「…………ん………これ…………」

 

「メ、メルエ、それを渡す為に……」

 

 意志の強い瞳を向けるメルエに対し、ようやく女王は怒気を収める。

 メルエという少女がこの里を見たいというだけであれば、わざわざ危険を冒してまで女王のいる館に来る必要はない。それにも拘らず、この館の謁見の間まで来たという事は、それ相応の理由があるのだと感じ、女王はメルエへと問いかけた。

 その問いかけに、我が意を得たりと表情を笑顔へと変えたメルエは、自身の肩から下がるポシェットへ手を入れ、小さな青色の欠片を取り出す。その欠片は、ここまでの旅でサラ達も何度も見て来た物であり、自分に好意を示し、自分に笑顔をくれる者へメルエが差し出す『命の石』の欠片であった。

 その石の欠片を見たカミュの眉は険しく歪み、それとは対照的にリーシャは微笑む。そして、ここまでの道中、そんなメルエの心情を理解出来なかった自分を恥じると共に、メルエが心優しいままで生きている事にサラは涙した。

 

「これは……どうして、私に?」

 

「…………メルエ……アンの………おかあさん……すき…………」

 

 本来であれば許されぬ行為ではあるが、許可もなく女王へと近付いたメルエは、その掌に『命の石』の欠片を置く。淡い青色の輝きを放つ欠片は、手にした女王を護るように輝き、それはまるで目の前で微笑む幼い少女の微笑みそのもののようであった。

 『人』の子であるこの少女が、何故このような石の欠片を自分へ渡してくれるのかが解らずに女王はメルエへ視線を送るが、そこから返って来た言葉を聞いた時、遠い昔の記憶が頭に蘇る事となる。

 

 それは、娘のアンが未だ里の外に興味を示さず、里の中で探検を繰り返していた頃。

 里の中で見つけたガラスの割れた欠片を、アンは宝物のように大事に仕舞っていた。だが、『人』への復讐に燃える同族の怒りを鎮め、エルフの誇りを取り戻させる為に奮闘し疲れた母親を見た彼女は、大事に仕舞っていた欠片を笑顔で母親に差し出した事がある。

 大好きな母親の辛そうな表情を見たアンは、自分が大事にしている物を渡す事で、その想いとその願いを伝えようとしていたのだろう。

 あの時は、それ程重要な事だとは考えもしなかった。

 これ程に喜びを感じるべき事だとは気付かなかった。

 だが、今も尚笑顔を向けるメルエの顔が、幼い日のアンの顔と重なり、女王の瞳から数滴の滴が零れ落ちる。

 

「畏れながら……それは、メルエが大事に思っている者へ託す宝物でございます。メルエの大事な者を護ったその石の欠片が、他のメルエが大事に思っている者も護ってくれるようにと願いを込めてございます」

 

「……そうですか……幼き者、ありがとう……」

 

「…………ん…………」

 

 時が止まったように石の欠片を見つめていた女王に向かって、リーシャが初めて口を開いた。

 彼女が、このような場所で口を開く事自体初めての事ではあったが、メルエの保護者として、幼い少女の足りない言葉を補足するのは、自分であるという自負があったのだろう。

 そんなリーシャの補足によって我に返った女王は、流れ落ちる涙を隠す事無く、メルエに向かって軽く頭を下げ、小さな微笑みを浮かべた。

 自分に笑みを浮かべてくれる者へメルエが返す物といえば、それは笑顔以外に有り得ない。花咲くような笑みを浮かべたメルエは、満足そうに一つ頷きを返した。そして、そんなメルエの顔が、エルフ族のそれから、元の人間の物へと変化して行く。それと同時に、カミュ達全員の姿も元の物へと戻って行った。 

 夢の時間が終わったのだ。

 

「そなた達に、この幼き者と同じ心があるのであれば、姿を変えてここからもう一度里を通るのは辛いでしょう。そこからバルコニーへ出る事が出来ます。出たのならば、<ルーラ>をお使いなさい。里を囲む結界は緩めておきましょう」

 

「此度の非礼、誠に申し訳ございませんでした。以後、如何なる時も、このような愚行を犯さない事をここに誓います」

 

 短い謁見は終わりを告げる。

 自分達の浅慮と浅はかな行動を詫びたカミュは、その想いに偽りがない事を示す為、その場で膝を折り、深々と頭を下げた。

 それに倣うように膝を着いて頭を下げたリーシャ達は、カミュを追うようにバルコニーへと出て行く。

 

 メルエという幼い『人』に救われた心は、長い時間を掛けて蝕まれていた異種族の王の物。

 自身の娘の願いと想いを知りながら、それを同族の命と天秤にかけ、切り捨ててしまった親の懺悔は、この日に天へと届いたのかもしれない。

 幼き日の娘のように、花咲くような笑みを向ける無垢な少女は、微笑みという表情を取り戻した女王に向かって何度も何度も手を振り続けていた。

 二度と会う事もないだろう。

 二度と声を聞く事もないだろう。

 それでも、女王はこの少女の笑みと声を忘れはしない。

 そして、その少女の笑顔を護る三つの光の存在も忘れる事はない。

 

 『勇者』の旅は、果てしなく長い。

 遥かなるその旅路の中で出会った者達は数少なく、それでもその数少ない者達の記憶には『勇者』として残って行く。

 『人』であろうと、『エルフ』であろうと、それこそ『魔物』であったとしても、その記憶にとどまる存在、それこそが『勇者』と呼ばれ続ける者なのかもしれない。

 

 

 

 




お読み頂き、ありがとうございました。

8月中には間に合いませんでした。
申し訳ありませんが、8月は1度の更新だけです。9月は頑張って描いて行きたいと思います。

ご意見、ご感想を心よりお待ちしております。

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