新訳 そして伝説へ・・・   作:久慈川 京

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第二章
ロマリア城①


 

 

 

 サラは、自分の顔を照らす熱気に目を覚ました。森程ではないが、周辺を木々に囲まれた美しい場所であった。

 サラの感じた熱気の元である焚き火が、中心で赤々と燃えており、その光が周辺の闇を照らしている。

 <いざないの洞窟>に入る頃は、まだ陽も傾いてはいなかったが、洞窟内で結構な時間を要し、また、サラが気を失っていた時間もあったのか、空には星が輝き、周辺には夜の帳が広がっていた。

 

「ん?……サラ、眼が覚めたのか……?」

 

 サラが夜空に広がる星の輝きに目を奪われていると、横からリーシャの声が聞こえて来る。

 サラが目を覚ました時にはそこにはいなかったのであろう。その手にはうさぎを二羽持っていた。 

 

「あっ、リーシャさん……申し訳ありません……ここは……?」

 

「ああ、ここは、おそらくロマリア大陸だろう。あの『旅の扉』は、ロマリアに通じている筈だからな」

 

 狩って来たうさぎを持ちながらリーシャが話す国の名は、サラにとって書物の中だけに存在していた国の名だった。

 アリアハンという島国から出た事のないサラは、この世界のあらゆる事の知識は、アリアハン教会にあった書物から得ているのだ。

 

「……ロマリア……」

 

<ロマリア王国>

アリアハンと同じように、王権による統治を行っている国である。その大陸の大きさから、広い領土と大きな生産力を持ち、産業などもアリアハンとは比べ物にならない力を持っている国である。

 

「ああ、アリアハンから出る事は出来た。ここからが本当の旅になるだろうな。カミュとも話し、まずはロマリア城に向かい、ロマリア国王様に謁見する事になった。とは言え、既に陽が落ちたからな……今日はここで休む」

 

「あっ、は、はい」

 

 頷いたサラの頭を、うさぎを持っていない手で撫でた後、火に薪を数本くべ、リーシャはナイフでうさぎを捌き始めた。

 その手つきはやはり慣れたもので、うさぎが解体されていくのを直視できないサラには見えないように捌かれていた。

 

 リーシャがうさぎを捌き終わった頃に、カミュも戻って来た。その手に種類の違う魚と、ねぎのような物を持っている。魚は川で捕れる種類ではない事が見て取れる為、この近くの海でカミュが捕って来たのかもしれない。

 

「カミュ、魚は捌くのか?」

 

「……アンタは魚を生で食べる趣味でもあるのか?」

 

 ナイフを水で清めながら問いかけるリーシャは、カミュの返しに口籠った。

 基本的に、料理を得意とするリーシャであれ、アリアハン国民である以上、魚を生で食す習慣はない。ソテーにしたり、煮込んだり、焼いたりして食すのが普通だ。

 遥か遠い所にある国ではそういう習慣があるらしいのだが、彼等はそれを知らない。

 

「……流石に私も生で食べる習慣はない……焼くのなら串が必要だろ?」

 

「……」

 

 カミュの厭味に近い物言いに対し、反論せずに串を渡すリーシャを眺めながら、サラの頭の中には先日の事が横切って行く。途端に、リーシャの拳骨が落ちた場所が痛み、余計な事は口に出す事はしなかった。

 串にうさぎの肉と、カミュが取ってきたねぎを交互に刺し、そのまま焚き火の周りに直に刺して行く。

 魚の方も同様だった。

 焚き火を囲うように三人が座り、身体を温めながら、肉などが焼けるのを待つ事になる。

 

「ロマリア国王様に謁見された後は、どこに向かわれるのですか?」

 

 いままで、焦点が合っていない瞳で炎を眺めていたサラが、ふと思いついたように顔を上げ、カミュの方を見ながら口を開いた。

 目的は『魔王討伐』の旅ではある。

 アリアハンを出てから今まで、サラは確認した事はなかったが、一言に『魔王討伐』とは言っても、実際その『魔王』の所在や、どう進めば近付いて行けるのかが分かっていない。

 故に、サラは何処に行くのも、カミュの判断について行くしかないのだ。

 

「ロマリア国王様との謁見内容次第だが、ロマリアの南東に<アッサラーム>という街があるらしい。その街は大きく、栄えているという話だ。何か情報は入るだろう」

 

 答えはカミュの横にいるリーシャから返って来た。

 カミュやリーシャにしても、『魔王』の居場所を知っている訳ではない。一つ一つ情報を掴みながら前進して行くしかないのだ。

 

「おそらく、宮廷魔術師の誰かが、<ルーラ>を使って、アリアハン国からカミュが旅立った事を伝えてはいるだろう。援助が受けられるかもしれない」

 

 サラの目を見て話すリーシャの言葉は、国の使命を受けた者としては当たり前の考えだろう。国の使命とは言え、『魔王討伐』という使命は全世界の希望であり、全世界の願いでもあるのだ。

 その使命を受けた者は、必然的に世界各国の命を受けた事に等しい。その者達への援助は、ある意味では当然の行いなのである。

 

「な、なんだ!?」

 

「……アンタの幸せな頭にはつくづく感服するよ……」

 

 しかし、リーシャの考えに対して盛大な溜息を洩らしたカミュは、頭に血が上りかけたリーシャの血流に、更に拍車をかける。

 カミュの考えている事など、リーシャには理解が出来ない。

 それはサラも同様で、至極当然のように聞こえるリーシャの考えの何が、カミュに言葉を吐かせるのか理解できなかった。

 

「なんだと!!」

 

「あれだけ、アリアハン国のやり方を見て来て、まだそんな事を言えるアンタを尊敬する。これ程の忠義者を、外へ出そうと躍起になっているアリアハンもアリアハンだがな」

 

 カミュの言う通り、アリアハンを出るまでに、リーシャもサラもアリアハン国の裏側を何度か見て来た。

 それは、とても許容出来る物ではなく、むしろ拒絶感さえ覚える物。

 それでも、リーシャは宮廷騎士なのだ。そして、『騎士』としてのそんなリーシャの姿を、カミュは評価していた。 

 

「……ロマリア国王に謁見したとしても、援助を受ける事など出来る訳がない。他国が推挙する人間を擁護すると思うのか?」

 

「し、しかし……今、国同士や人間同士で争っている場合ではありません。それは、一国をお治めになる国王様であれば、ご理解されているはずです」

 

 カミュが言った内容に、今度はリーシャではなくサラが噛みつく。

 その言葉に、カミュは『お前もか』とでも言いたげな視線を向け、溜息を吐き、そんな溜息を聞き、サラは身構える。

 次に出て来るカミュの言葉は、必ず辛辣な物である事は、サラにも予測できたのだ。

 

「それが、理解出来ないからこその国王だ。謁見した事などはないが、何処も同じだろう。自国の立場と、自分の立場を第一に考えている筈だ。でなければ、オルテガの死の時に、あれ程アリアハンに批難が集中する訳がない」

 

「!!」

 

 オルテガの死。

 その情報は、アリアハン国を絶望の淵に追い込む物だった。

 しかし、それは決してアリアハンだけではない。

 アリアハン国王が世界に向けて発した援助申請を受け、様々な国がオルテガの旅を援助して来た。それは資金援助であったり、物資であったりと様々であったが、世界中が一人の青年に期待と希望をかけていた事は事実なのである。

 その国々にとって、援助した相手が何も成さないまま命を落とすという事は、資金や物資をどぶに捨てた事と同じ物となるのだ。

 その矛先はそれを押し出した国家。

 それにより、世界中の国々から糾弾を受けたアリアハン国は、その立場を急落させ、現在のような辺境国という不名誉な扱いを受ける事となったのだ。

 

 勿論、その家族への影響もあったのだろう。

 オルテガの家への援助打ち切りの話は、何度となくあった。

 オルテガの台頭を快く思っていなかった、国家の重役に位置する貴族達や文官を牽引する者達等、それはかなりの数に上り、国命によって命を落としたにも拘わらず、オルテガの今までの功績を無にしようとしていたのだ。

 その数は、日を追うごとに数を増し、激しくなってくる他国からの糾弾により、遂に国王の判断が下る事となる。

 カミュの家は、オルテガの功績による恩給を停止された。

 残った収入は、祖父が宮廷騎士として残した功績に対する僅かな恩給だけとなったのだ。

 

「謁見が叶ったとしても、援助の申し出どころか、下手をすれば余計な依頼を押し付けられる事になるかもしれない」

 

 カミュは無表情で、夢も希望もない事を言う。その言い方と内容に、二人は言葉に窮した。

 以前リーシャが言ったように、カミュの生い立ちは自分が考えていた物よりも、ずっと過酷な物であったのかもしれない。親のいない孤児達は、今日食べていく物もなく、毎日に絶望している。

 それに比べれば良いとはいえ、『カミュは魔物ではなく、人間に人生を狂わされた人間なのかもしれない』。

 リーシャはそう思った。

 

「……も、もう、焼けただろ! ほら、明日も早い。サラもさっさと食べて、早く寝ろ」

 

「あっ、は、はい!」

 

 リーシャは、強引に話題を変えようと、刺さっていた串を取り、頬張り始める。

 重い空気に堪りかねていたサラも、そのリーシャの行動に乗り、慌てて魚が刺さった串を手に取った。

 呆れたような溜息を吐き、水を口に含んだカミュの横顔に浮かぶ僅かな悲壮感が、隣でねぎを口に入れていたリーシャの頭の中に、無意識に残って行く事となる。

 

 

 

 翌朝、焚き火の炎に土をかけて消し、一行は北へ向けて進路を取った。

 昨夜カミュが取って来た魚は、南方にある海で取ってきた物であり、その話から、南には海しかない事を知った一行は、目指す先は北と決まったのだ。

 いつものように、カミュを先頭に歩き出す。

 暫くは広く見渡す限り平原が続き、周囲の海から吹く潮風が心地良い。サラは、靡く自分の蒼味がかった髪を押えながら、壮大な平原を、目を細めて見つめていた。

 

 その内、前を横切っていく馬車が見えて来る。

 馬二頭に引かれた、かなり大きめな荷台には、白く大きな幌が被さっており、その内部は見る事が出来ない。先頭には一人の男が手綱を引き、馬車を制御している。その風貌は商人には見えず、むしろならず者と言っても過言ではない物。

 歩くカミュ一行から徐々に距離が離れていく馬車を、サラは何か言いようのない不安感を胸に抱きながら眺めていた。

 

「あの馬車は、おそらくロマリア城に向かっているんだろう。あれと同じ方向に向かおう」

 

 同じように馬車を見ていたリーシャは、自分達の向かうべき方向を示してくれた馬車の後について行くように指示を出す。

 それに対してカミュも頷いた事から、進路を若干変更し、馬車が向かった方角へ歩き出す事となった。

 

 

 

 馬車の車輪の跡を追いながら数刻歩くと、不意に先頭を歩くカミュが背中から剣を抜いた。

 その様子に、リーシャも腰の剣に手を置き周囲を警戒する。サラも<銅の剣>を抜き、リーシャとは反対方向に警戒の目を向けた。

 見渡す限り平原なだけに、それはすぐに確認出来た。

 草原を歩く一行を挟み込むように、両側から現れた魔物は、左手には巨大な芋虫のような魔物、右手にはアリアハン大陸に出て来た<フロッガー>のような巨大なカエル。芋虫のような魔物は、その大きな体躯に無数の足をつけ、こちらを威嚇するように身体を置き上がらせて来る。 

 

<キャタピラー>

見た目は蝶類の幼虫のような姿形ではあるが、芋虫とは違い、その背中は硬い鎧のような皮膚で覆われている魔物。その為、剣で斬り刻む事や、突き刺す事は容易ではない。特別な攻撃方法を持ち合わせてはいないが、アリアハン大陸に生息する魔物と比べれば、段違いの強さを誇る。

 

 カミュは右手に剣を持ったまま<キャタピラー>へと突っ込み、左手を掲げ<メラ>を唱える。

 カミュの指先から飛ばされた火球は、狂いなく<キャタピラー>に命中し、<キャタピラー>が苦悶の表情を見せる僅かな隙を作った。

 その隙を利用し、カミュは<キャタピラー>の懐に入り、剣を上から振り下ろすが、まるで金属と金属が衝突したような音を上げ、カミュの振り下ろした剣は上へと弾かれる。

 完璧な振り下ろしだったにも拘わらず、その剣を弾かれた事に驚きを隠せないカミュには若干の隙ができてしまい、<メラ>の炎から抜け出した<キャタピラー>は、そのまま態勢を崩したカミュに体当たりのように突進し、カミュの身体は後ろへ飛ばされる形となった。

 

「サラ!」

 

 カミュが魔物に遅れをとる姿を初めて見たサラは、その光景を不思議な眺めのように呆然と見つめていたが、リーシャの声に我に返り、間近に迫った巨大なカエルの攻撃を避ける事が出来た。

 

「サラ! そのカエルは毒を持っているようだ! 気をつけろ!」

 

 リーシャの言葉を裏付けるように、巨大カエルが振り下ろした手の先にあった木の枝に付く葉は、毒液を掛けられたように煙を吹きながら萎れて行く。

 

<ポイズントード>

その名の通り、その身に毒を持ち、その毒にて人間を食す魔物である。その毒はバブルスライムよりも若干強い性質を持ち、人の神経を侵すだけではなく、その身体をも傷つけて行くのだ。アリアハンに生息していた<フロッガー>と同様に、発達した後ろ脚を使った跳躍力は健在で、そこから繰り出される威力も段違いの物である。

 

「この!」

 

 サラに近づいて来た<ポイズントード>をリーシャが手に持つ剣で突き刺した。

 後ろからの刺突は、正確に魔物の脳天を貫通し、その傷跡から赤ではない体液がこぼれる。

 しかし、一体の身体から剣を抜き、もう一匹の<ポイズントード>に身構えたリーシャは、飛んで来る舌にその剣を絡め取られた。

 <ポイズントード>の唾液が滴る舌が剣に絡まり、力比べとなる。サラは、以前に<おおありくい>と力比べをした事を思い出し、魔物の力の強さにリーシャの身を心配したが、そのような心配は、このアリアハン随一の戦士には無駄な物であった。

 

「ふん!」

 

「ギニャーーーーー!」

 

 暫しの間、力比べをしていたリーシャは、剣を横に寝かせ、逆に舌に剣を這わせ、そのまま力任せに舌を斬り千切った。

 リーシャに舌を切られた<ポイズントード>は、力のぶつける場所を失い、奇声を発しながら後ろへ転がって行く。そこには、現在<キャタピラー>と戦闘中のカミュがいた。

 カミュは<キャタピラー>から剣を背け、その剣を転がって来たポイズントードの眉間に突き刺す。眉間に剣が深く突き刺さった<ポイズントード>は手足をバタつかせた後、その力も尽き絶命した。

 <ポイズントード>から剣を引き抜いたカミュは、その剣を横薙ぎに<キャタピラー>に向け振るう。剣は、カミュに向かって体躯を上げていた<キャタピラー>の腹部を薙ぎ、数本の脚と共にその体液を飛ばした。

 背中を覆う金属のように厚い殻と違い、腹部は通常の昆虫のように柔らかく、剣でも傷が付く事を理解したカミュは、怯んだ<キャタピラー>の喉元に剣を突き刺し、その剣を下に滑らせて行く。大した抵抗もなく滑るカミュの剣は、<キャタピラー>の喉元から腹部までを切り裂き、剣を引き抜いたカミュが距離を空けたのと同時に、その体躯から盛大に体液を撒き散らし、沈黙した。

 残るは一体だけ残った<キャタピラー>。

 傷一つない三人に敵う訳もなく、数秒で斬り伏せられて行く。

 

「ふぅ、何とかなったな。流石はロマリア大陸の魔物だ。アリアハンとは比べ物にならないな。まさか剣が通じないとは……」

 

 最後のキャタピラーを斬り倒したリーシャは、剣に付いた体液を振り払い、鞘に収めながら、今対峙した魔物達の感想を漏らす。

 サラは何もしなかったにも拘わらず、その場に座り込んでしまった。

 

「……カミュ様が飛ばされるところは、初めて見ました……」

 

「……」

 

 サラの正直な感想に、カミュは一瞬顔を顰めたが、そのまま表情を失くし、その瞳でサラを射抜くように見つめる。その視線を受け、慌てたのはサラだった。

 勢い良く立ち上がったサラは、大きく手を振りながら弁解を始める。

 

「あっ、い、いえ、そういう意味ではないのです! ただ、驚いてしまったというだけで……別にカミュ様が弱いとか……そういう……意味……では……」

 

「……」

 

 サラが言葉を紡ぐにつれ、カミュの視線が厳しくなって来るのを感じ、尻すぼみとなる。

 そんなサラを手助けする為、リーシャがカミュとサラの間に入った。

 

「いや、実際その通りだ。カミュはまだまだと言う事だな」

 

「……」

 

 サラの言葉を肯定するように、頷きながら腕を組むリーシャにカミュの視線が突き刺さる。

 そんなカミュの視線もどこ吹く風で、リーシャはサラを支えながら笑っていた。

 今のカミュの瞳は、アリアハンでリーシャが受けた物とは質が違う。他者を凍り付かせる物に変わりはないが、その内容が違うのだ。

 

「ん?……なんだ?……悔しかったら、せめて私に勝てるようになれ」

 

「……ちっ……」

 

 続くリーシャの言葉に舌打ちをしたカミュは、剣を背中の鞘に収め、先を歩いて行く。リーシャはそんなカミュの態度に軽く微笑みながら、起き上がったサラの手を放し、カミュの後に続いた。

 リーシャの優しい微笑み、カミュの拗ねたような態度、サラの頭の中でそれらが結びついた先は、やはり<レーベ>で考えていた事と同じ物であった。

 

 

 

 その後も何度か戦闘があったが、カミュとリーシャの活躍により、何とか魔物を撃退し、一行はロマリア城城下町の門前に辿り着く。ロマリア城はアリアハンと同じように、ロマリア城下町までを一括りに城壁で覆っていた。

 その門を潜った先には城下町が広がり、ロマリア国民の生活がある。その先に王族が住み、また国政を司る者達が働く本城が聳え立つのだ。

 門は、アリアハンのそれよりも大きく、そこから続く城壁の高さもアリアハンとは比べ物にならない。その城壁の長さも、肉眼では果てが見えない程の物であった。

 門の横には番所があり、兵士達が待機している。そこに、先程カミュ達の前を横切った馬車が止まっており、何やら兵士達と会話をしていたが、決着が着いたのか、門の中へ馬車ごと入って行った。

 

「……さっきの馬車ですね……」

 

「商人か何かだろ」

 

 サラの呟きに、リーシャは気にした様子もなく答える。

 リーシャの言う通り、この時代に馬車を使って移動する者は、裕福な者達がほとんどであった。

 自分達以外の荷物を馬車を使って運ぶしかない者など、裕福な貴族か商人の類しか考えられないのだ。

 

「……商人にしては、らしくない格好でしたけど……」

 

 サラは先程感じた以上の胸騒ぎを感じていた。

 実際、裕福な貴族や商人達の物であるならば、馬車の周囲を護衛の者達が囲んでいる筈なのである。この時代、裕福な者など数は限られており、町で生活できない者達の一部は、盗賊等に身を落とす者も多いのだ。

 故に、そんな盗賊への防衛手段として、腕の立つ冒険者や傭兵を雇う事が当たり前となっている。

 

「止まれ!」

 

 サラが物思いに耽っている間に、一行は城下町を護る門の前に辿り着いていた。

 城下町の護衛も兼ねている兵士が門の両側に立っており、その手に持つ槍をカミュの前で交差させ、その行く手を遮っている。

 これも、城下町に住む国民を守る為の仕事である。

 それは、カミュ達も解っていた。

 

「アリアハンから来ました、カミュと申します。後ろの二人は従者となります」

 

「……アリアハンから?」

 

 アリアハンという国名を出すと、右側にいた兵士は訝しげな顔をした。

 左側にいる兵士は、一目で嘲りの顔だと解る表情を浮かべ、カミュ達一行を舐めるように見ている。その視線はとても不快な物であったが、リーシャ達の前面に立っているカミュは、顔色を変える事無く、視線を向けていた。

 

「……私は、ここ数年ここの門を任されているが、お前達は初見だな……それ以前に、このロマリアへ来た事があるのか?」

 

「いえ、ロマリアには初めて訪れました」

 

 カミュの返答を聞いた右側の兵士は更に思案顔を深め、疑わしい者を見るようにカミュを見る。左側の兵士は、もはやにやけ顔を隠そうともせず、サラを見ていた。

 不快な視線にリーシャは顔を顰め、サラはその視線に耐えられず俯いてしまう。

 

「……では、<ルーラ>を使って来た訳ではないのだな……どうやって来た?」

 

「『旅の扉』を使用して参りました」

 

 兵士の問いかけに対し、間髪入れず答えたカミュの言葉は、大きな門の前を流れる時を止めてしまう程の威力を誇った。

 一瞬、何が起きたのか理解できないように、兵士は呆然と立ち尽くす。

 

「『旅の扉』だと!! あれが開通したと言うのか!?」

 

 アリアハンが『旅の扉』を封印し、行き来が出来なくなっているという事実は、ロマリアにも知られてはいる。その行為は、自国の安全だけを考えた卑怯な行為であり、『アリアハンは臆病者の国だ』と嘲る人間は多数いた。

 未だに、ニヤニヤと厭らしい目でサラやリーシャを見ている左側の兵士は、間違いなくその部類の人間なのであろう。

 

「はい。ですが、おそらく、我々が『旅の扉』に入った後、再度封印が施されたと思われますので、使用は出来ないでしょう」

 

「!!」

 

 カミュの言葉に驚きを表したのは、何も門兵だけではなかった。

 その言葉に、サラとリーシャの顔にも驚愕の色が表れている。まさか、自分達がアリアハンを締め出されるとは考えてもいなかったのであろう。

 

「へっへっ、やはりアリアハンだな。腰抜けの卑怯者ばかりが集まった国らしいや。自分達が犯した罪の尻拭いもせずに、小さな島に閉じ籠ったままだ……けっ!」

 

 予想していたのか、初めから決めつけていたのかは解らないが、左に立つ兵士がその手にある槍を下ろし、嘲るような笑いと言葉を一行へ向けて来る。その兵士の態度に真っ先に反応を返したのは、やはり彼女だった。

 

「くっ! なんだ……」

 

 しかし、頭に血が上りそうになるリーシャをカミュの手が押え付ける。

 ただ、リーシャの顔前に出されただけではあるが、その威圧感はリーシャでも声を紡ぐ事が出来ない程の物。力の強さという面では、まだリーシャに分があるが、こういう交流面では明らかにカミュの方が上なのだ。

 

「失礼しました。ロマリア国王様には、話は通っていると思います。謁見をお許し頂ければと思い、ここを訪れました。城下町に入る許可を頂ければと思うのですが」

 

 そう話すカミュは、一通の書状を右側の門兵に手渡した。

 それは、アリアハン城を立つ際に、国務大臣から手渡された物資の一つで、アリアハン国王の花押が押された認可状である。他国の街や城に入る際に、カミュ達の身分を証明する物となるのだ。

 

「……ああ…………うん、確かに……入れ」

 

 カミュから手渡された書状にじっくりと目を通した兵士は、許可を出し、槍を下げた。

 その兵士に一礼した後、カミュは門を潜って行く。リーシャは左側の兵士に、未だ収まり切らない怒りの視線をぶつけその後を追って行った。

 

「ふん! お前たちの国が、どれ程の事をしたと思っているんだ! 卑怯者が!」

 

「……」

 

 通り抜け様に罵声を浴びせられ、リーシャの顔色が変わるが、それは再度カミュによって抑えられる事となる。サラは、何故ここまで罵倒されるのかが理解できず、顔を俯かせながら門を潜った。

 

 

 

「何故止める! あそこまで祖国を馬鹿にされて、黙っていろと言うのか!」

 

 門から離れたところで、リーシャが今まで抑えていた怒りの感情が爆発し、その矛先は前を歩くカミュへと向かう。サラはリーシャを抑えるようにその腰に手をかけるが、その程度の力では、リーシャの突進は止められない。

 

「……アンタは本当に馬鹿なのか? アンタは、ロマリアの国敵にでもなりたいのか? ロマリアでアリアハンの人間が問題など起こしてみろ。今の人間を見て解るように、反アリアハン感情が爆発し、すぐにでも戦争になるぞ」

 

「……ぐっ……しかし、お前は悔しくはないのか!?」

 

 カミュの語る内容は、決して大袈裟な事ではない。それを、心の中ではリーシャも解っているのだ。

 ただ、知識として知ってはいても、実際に受けてみると、宮廷騎士としてではなく、アリアハンの一国民として納得が出来なかった。

 

「……アンタは、この俺に愛国心でも期待していたのか? それこそ、アンタの脳は、どういう構造になっている?」

 

「なっ、なんだと!!」

 

「……カミュ様……」

 

 カミュの言葉は、サラにも信じられない物だった。<レーベ>の生まれであるサラであっても、国籍はアリアハンであり、長く生活をしてきたアリアハンに対し、国の騎士であったリーシャ程ではないにしろ愛着はある。故に、あの兵士に対し、やはり抑えてはいるが怒りの感情は持っていたのだ。

 ただ、リーシャが我慢し、カミュもそれを抑えていると思い込んでいたからこそ、下を向き堪えて来た。

 

「あの兵士が言うように、アリアハンが送り出した者が、世界中での英雄という訳ではない。それはアリアハンに近ければ近い程、憎しみに近い物を持っている可能性が高い筈だ」

 

「なに!?」

 

 サラは、続いたカミュの言葉を理解する事が出来ない。

 彼が言う『英雄』とは、紛れもなく、アリアハンの英雄『オルテガ』であろう。それは彼の父親なのである。

 それを憎しみの対象と、平然と言いのけるカミュが信じられなかった。

 

「そいつの旅の為に、国家が提供する資金や物資の出所は、大抵その国に住む人間達だ。無理な搾取を受ければ、国民の生活水準は間違いなく下がるだろう。今、この城下町を見ると、その片鱗は見えない。それが、ここ十数年の中での国民の踏ん張りの為なのか、それとも為政者の手腕なのかは解らない。どちらにしても、そんな状況に追い込む原因を作った国が、それに対しての後始末もせずに、自国の為だけに鎖国したという事は事実だ」

 

 それは、リーシャも同様であった。

 自分が仕える国と、そして幼い頃からの憧れの人物を、これ程までに愚弄された事に、目の前が暗くなる程の怒りを覚えたのだ。

 故に、彼女はその内に湧き上がった感情を吐き出してしまう。

 

「カミュ!! お前は父親を何だと思っている!!」

 

 リーシャはその胸倉を掴み、怒りに燃えた瞳でカミュを睨みつける。そのリーシャの姿を抵抗する事なく受け入れ、冷やかな瞳でカミュは見つめ返していた。

 その瞳は、<キャタピラー>との戦闘の後に見せた物とは質を違えている物。

 サラの身体は硬直し、口は開くが言葉は出て来ない。

 

「以前にも話したと思うが、アンタが『オルテガ』という人物にどんな想いを持っているのかは知らないが、俺にはそれが理解出来ない。俺はあれを『英雄』だと感じた事はなく、ましてや身内だとも感じた事はない。この話は平行線を辿るだけだ」

 

「貴様!!」

 

「リーシャさん! 落ち着いて下さい!」

 

 カミュの言葉を聞き、今まで我慢していた怒りが爆発したリーシャは、掴んでいる腕を放し、カミュに向かって殴りかかろうとする。サラは、周囲からの奇異の視線を感じ、硬直した身体を無理やり動かし、リーシャの行動を止めるため、その背中に抱きつくような形でしがみ付いた。

 

「……アンタにはアンタの、俺には俺の考え方がある。俺の考えを押しつける事をするつもりはないが、逆にアンタの考えに染まる事もない。それを理解した上での旅ではなかったのか?……それに、今俺が言った事を、あの門兵が証明するのを見た筈だ。アンタがどう思おうと、この国では<アリアハン>も『オルテガ』も崇拝する対象ではないという事だ」

 

「……ぐっ……」

 

「で、ですが、この国の人達の中に、『魔王討伐』を志した人間がいましたか? 魔王に立ち向かおうとする人間を、その成否だけで判断するなんて……」

 

 リーシャがレーベの宿屋でカミュと交わした約束の中には、考え方については何も入っていない事を思い出し、言葉に詰まる。確かに、リーシャは『お互いの衝突については目を瞑る』と伝えていた。

 それは何もサラとカミュの間だけではない。リーシャとカミュの間の事も含まれている筈なのだ。

 言葉に詰まるリーシャの後ろから、サラは自分の考えをカミュにぶつけるが、それは本来カミュにぶつけるには筋違いの話だった。

 

「それこそ、ロマリア国民には関係のない話だ。力のない人間、その日を過ごす事に必死な人間に、『魔王』を倒せという方が馬鹿げた話だろう。要は、勝手に国から討伐に向かい、勝手に死んでいった人間のおかげで苦しんだという事実、唯それだけだ」

 

「か、勝手に死んだだと!!」

 

「リーシャさん!!」

 

 再度血が上って飛びかかろうとするリーシャを、サラは必死で押さえる。そんな二人を余所に、カミュは周りを気にした様子もなく、怒りに燃えるリーシャの目を無表情に見つめていた。

 

「アンタ方がどう考えていようと構わないが、この国の人間には、この国の人間の主張がある。これからロマリア国王に会いに行けば、おそらく今以上に理不尽な言葉を浴びせられる可能性もある事だけは理解しておいてくれ。それでなければ、旅の邪魔だ」

 

 リーシャとサラに向かって、淡々と話すカミュの言葉は抑揚がなく、それこそ人形相手に話しているような物。

 サラはカミュの話に納得は出来ないが、理解する事は出来ていた。

 今、<ロマリア>で問題を起こせば国同士の戦争となる。リーシャやサラが、一時の感情に流された事の結末は、多くの人間の死に繋がるのだ。

 旅を続けるどころか、それは大袈裟に言えば、人の歴史に終止符を打つキッカケになり兼ねない問題だという事だ。

 

「……わかりました……」

 

「……」

 

 カミュはそのまま大通りを歩き、真っ直ぐ王城に向かい歩を進める。その後を、未だに目に怒りの炎を残し、前を歩くカミュの背を睨みつけるリーシャが続いた。

 リーシャとて、カミュに言われる程の馬鹿ではない。カミュが何を懸念しているのかは十分に理解している。しかし、理解する事と、心で納得する事とは違うのだ。

 その冷めやらぬ怒りの全てをカミュにぶつけるしか、今のリーシャには、自分を抑える方法を見つける事が出来なかった。

 

「それで、どうするんだ!? このまま王城に向かうのか!?」

 

 先程の感情を捨て切れていないリーシャは、カミュに行先を訪ねる声がほとんど怒鳴り声に近い物になっていた。

 そんなリーシャをサラも抑える事はせず、カミュも気にした様子もなく歩いて行く。

 

「いや、宿屋を手配しておいた方が良いだろう。今日は謁見が終われば、ここに泊まる事になるだろうからな」

 

 カミュの言葉に、二人は反論することはせず、宿屋を探す為に歩き出した。

 その時、左手の方から声がかかる。その声は、綺麗ではないが良く通る声であり、昼の喧騒が広がるロマリア城下町に響いていた。

 

「いらっしゃい、いらっしゃい。今日は良い武器を仕入れといたよ。寄って行っておくれ」

 

 三人が声のかかった方向を確認すると、そこには盾に武器が重なった独特の看板を掲げている武器屋であろう店が開いていた。

 店先で、主人であろう人間が手を叩きながら客引きをしている。視線を動かしたカミュの瞳が店主とぶつかった。

 

「おい、兄さん。旅の人だろう? 見て行ってくれよ」

 

「どんな武器がある?」

 

 店主の言葉に興味を引かれたのか、珍しくカミュが街の人間の声に耳を貸した。

 カミュが店の方に歩いて行く事に驚きながらも、リーシャとサラもその後を追う。店主に誘われるままに入った建物の中には、大きなカウンターがあり、武器や防具の品揃えも中々の物であった。

 

「おっ、ありがとうよ。今日はな、これさ、これ。この<鉄の槍>が仕入れられてな。どうだい? 王宮の兵士達が使っている槍よりも良い物だと思うぜ」

 

「……」

 

 店主が差し出した<鉄の槍>は、柄の先に鉄製の刃が付いている、何処にでもある槍であった。

 王宮の兵士達が使っている物と大した違いはない。店主の商法なのだろう。カミュはそれを理解していた為、その事を責める事はなかった。

 

「いくらだ?」

 

「おっ、買ってくれるのか?650ゴールドになるぜ」

 

 650ゴールドは決して安い金額ではない。アリアハンを出る際に、カミュが手にした支度金は50ゴールドである。しかし、少し考える素振りを見せてから、カミュはリーシャへと振り返り、口を開いた。

 

「……アンタは槍も使えるのか?」

 

「な、なんだ、突然。私はそんな物は要らないぞ。この剣で十分だ」

 

 突然振られた話題に、リーシャは驚いた。しかし、自分の腰に下げている剣を軽く叩きながら、カミュへと返答をするが、その答えはカミュが期待していた物ではなかったようだ。

 

「……誰もアンタの為だとは言ってない。その僧侶にも、これから先は、戦闘でも役に立ってもらわなければならない。アンタが槍を使えるのなら、教えられると思っただけだ。非力な人間であれば、<銅の剣>より、射程距離が長い槍の方が戦い易い筈だ」

 

「わ、私ですか!!」

 

 リーシャとカミュのやり取りを、我関せずで眺めていたサラは、それこそ飛び上らん程に驚きを表していた。

 剣や槍等の武器を見る時、自分には関係のない物として考えていた節のあるサラは、当然ではあるが槍の使い方など分かりはしない。

 

「一概にそうだとは言えないだろう。槍のような長い武器は、それなりの訓練をしなければ、手足の様には動かせない。一朝一夕に使いこなせる武器ではないぞ」

 

「だからこそ、アンタが居る。それに、ここまで来る間に遭遇した魔物達を見ていなかったのか? あれは、アンタでもなければ、もはや<銅の剣>でどうにかなる魔物ではない」

 

 カミュの言う事は尤もな話だった。

 あの硬い殻に覆われた魔物などは、とても<銅の剣>で叩き潰せるような相手ではない。それこそ、殻ごと突き刺すような鋭利な武器でなければ、太刀打ちは出来ないだろう。それは、リーシャも解っている事だった。

 故に、リーシャは一度黙り込み、何やら考え込んだ後、もう一度顔を上げた。

 

「わかった。槍は私が教えよう……任せろ、伊達に宮廷騎士をして来た訳ではない。大抵の武器は、使いこなす事は出来る」

 

「え、えぇぇぇぇ!! リ、リーシャさん!?」

 

 少し考えた後、リーシャが発した言葉は、サラの戦闘訓練の過酷化を宣言する物であり、サラは驚きと共に、天を仰ぎたくなるような心境であった。

 今、現状の訓練でも、サラは悲鳴を上げているのだ。

 それが、槍の鍛錬となれば、再び一からの訓練となる。

 基本的な足捌きから、槍の振るい方。

 その全てが初めて尽くしのサラにとっては、気が遠くなる作業である事は間違いない。

 

「……決まりだな……親父、その槍を貰おう。それと、そこに掛けてある物は何だ?」

 

「ありがとうよ!! ん…これか? これは<鎖帷子>と言う防具だ。細い金属を編み込んだ物でな。まあ、刺突には弱いが、剣等で切りつけられても傷はつかないって代物だ」

 

 腰に付けている革袋を取り外したカミュは、店主の後ろに掛けてある網状に金属を繋ぎ合わせている服のような物を指差すと、店主は自慢気に答えを返す。まるで自分が作成したかのように語る店主を無表情で見つめていたカミュは、説明を聞き終わると一つ頷いた。

 

「なるほど……では、それも貰う。コイツに合うよう仕立ててくれ」

 

 カミュは、店主が指差す防具をサラに合わせるよう指示を出す。サラは、その言葉に更に驚く事となった。武器ばかりか、防具までも新調された事に驚いたのだ。

 確かに、<レーベ>にて、リーシャから『武器や防具の代金はカミュが支払う』と聞いてはいたが、自分ばかりが与えられる事に戸惑ったのだ。

 

「カ、カミュ様!! わ、私ばかり、そんな……」

 

「何を勘違いしているのか知らないが、アンタがこの中で一番危うい。命が惜しければ、下に着ている<革の鎧>を脱いで、これに替えておけ」

 

「そうだぞ、サラ。ゴールドの事は気にするな。確かに、旅にはゴールドは必要だし、私達の旅はそれ程裕福な旅ではない。だが、使う事を惜しみながら旅をしていても、命を落としてしまえば、そこで終ってしまう。私達も、この<青銅の盾>という物を買っておくさ」

 

 そう言って、自分の懐から出す訳でもないにも拘わらず、既に自分用の盾に目をつけていたリーシャは、店内に置いてある<青銅の盾>を手に取り、寸法を合わせるよう指示を出している。カミュはその様子を呆れたように眺め、自分の<青銅の盾>を手に取り、具合を確かめる事にした。

 

「おう、ありがとうよ。お嬢さん、こっちに来て一度試着してみてくれ」

 

「……は、はい……」

 

 つい何日か前にあった出来事を彷彿とさせるようなやり取りに、サラはどこか達観したような表情を浮かべながら、店主に言われた場所へと歩いて行く。試着室とは名ばかりの、布で仕切られただけの部屋で<鎖帷子>を着込んだサラは、再び店主の前に戻った。

 

「……そう言えば、私達が来る少し前に、馬車で来た人達がいましたけど、あの人達から商品を仕入れているのですか?」

 

 サラは、店主に寸法を合わせてもらいながら、街に入る時に感じた疑問を店主に投げてみた。

 あの馬車を動かしていた人間は、とても商人とは見えない姿だったが、『もしかしたら、色々な場所でものを仕入れて、店に提供するために旅をしている一団なのかもしれない』とサラは考えたのだ。

 だが、店主から返って来た言葉は、サラの想像を遥かに凌駕する物であった。

 

「とんでもない!! あんな奴らから仕入れる物なんて、うちの店で取り扱う訳がないだろ! その前に、あんな奴らから買う物なんて何もない!!」

 

 それは、怒りの感情を含ませた怒鳴り声だった。

 突然の怒鳴り声に、目を丸くしたサラであったが、すぐに店主が何故怒りを露わにしているのか疑問が湧いて来る。

 

「……どういうことだ……? あいつらは何者だ?」

 

 店主に疑問を投げかけたのは、サラではなくリーシャであった。

 サラと店主のやり取りを何気なく眺めていたリーシャであったが、店主の変わり様に、サラと同じ疑問を持ったのだ。

 

「……あいつらは……奴隷商人だよ。今の時代、自分達の子供を、口減らしの為に売る親も少なくない。そこから買って来たのか、それとも攫って来たのかは知らないが、定期的にここへ来ては奴隷を売って行く。その後、適度に城下町で遊んで行くから街は潤うが、俺は嫌いだ」

 

「……奴隷商人?」

 

「……」

 

 『魔王』が現れ、世が乱れたといえども、それ程に世情が変わる訳ではない。『奴隷』という存在は、それ以前から存在するのだ。

 それは、孤児であったり、攫われてきた者だったり、罪人であったりと様々ではあるが、大抵は碌な扱いを受けていない。

 

「……そんな……一体誰がそんな……奴隷などを買うというのですか?」

 

 サラは、孤児ではあるが、教会の神父にはそのような扱いを受けてはいない。

 アリアハンに奴隷商人などが来る事は、サラの記憶の中にはなかった。

 故に、そんな状況がある事が信じられないのだ。

 ただ、先程、店主に疑問を投げかけたリーシャと、最初から一言も発していないカミュは、そんなサラをそれぞれの表情で見つめていた。

 

「……誰って……そんなの貴族以外いねえだろうが! この国には、奴隷商人から奴隷を買える程に裕福な人間など、貴族達しかいねえよ」

 

「えっ?」

 

 国を担う人材であるはずの貴族が、奴隷商人から奴隷を買い、虐げているという事実をサラは信じる事が出来なかった。

 思わず、リーシャの方へと顔を向けるが、リーシャの表情を見て愕然とする。

 それは『既に知っていた』という表情。

 知っていて、それをサラが知った事を心配するような表情。

 つまり、アリアハンでも、貴族が奴隷を持っていたという事実に他ならない。

 

「……それにな……あいつ等が連れて来る者は、女ばかりなんだよ。奴隷として買われた女どもの扱いなんて、知れているさ」

 

「……慰みものか……」

 

 今まで一言も発していない、カミュがぼそりと呟くような言葉を発した。

 それは、サラに絶望を感じさせるのには、十分な威力を持った物であり、女性を『人』として認めていない行為。

 権力と金によって『人』の尊厳すらも冒涜する行為。

 サラの視界が闇に覆われて行く。

 

「リ、リーシャさん?」

 

 サラは救いを求めてリーシャに縋ろうとするが、その懇願は振り払われる事となる。

 目を伏せるように、サラから視線を外したリーシャは、その重い口をゆっくりと開いた。

 

「……サラ……貴族の中にはそういう人間もいる。勿論、少数ではあるが、奴隷商人から奴隷を買い、自分の欲求を満たそうとする人間がな。だが、今は国にそれを取り締まる法律がない」

 

「……そんな……」

 

 サラは教会で祈る時のように、胸の前で手を合わせ、リーシャを見つめる事しか出来なかった。

 サラの信じていた国家の根底に揺らぎが生じ始める。

 その揺らぎは、まだ小さい。

 だが、一つの物を信じ込んでいたサラの価値観に大きな変革を及ぼし始めていた。 

 

 この時代、このような城下町で暮らしている人間は、ゴールドさえあれば食に困るようなことはない。そして、五体満足であり、労働内容さえ選り好みしなければ、資金を稼ぐ方法はあるのだ。

 しかし、辺境の村などでは、自給自足の生活が当然である。作物が取れる内は良いが、天候などにより不作が続けば、それに比例して生活は苦しくなって来る。

 そうなれば、扶養家族が不要家族となるのも時間の問題なのだ。

 まずは歳をとり、労働力として戦力にならない老人達が対象となり、近くの山などに捨てられる。その後は、未だ食すだけの小さな子供達の順番になるのだが、そこでゴールドに変える方法が出て来るのだ。

 それが奴隷商人となる。

 奴隷商人に自分達の子供を、二束三文で売り払う。

 元は食費が掛るだけの存在だった者が、ゴールドへと変わるのだ、嬉々として我が子を売り払う親も出て来る。

 むしろ、そのために子を生し、母乳から離れる頃に売り払う親までもいるのだ。

 我が子に名前すら与えず、全く関心を示さない。教育も施さず、その子の将来を憂う事もない。

 

それが、今の時代なのだ。

 

「……調整は終わったか……?」

 

 そんな二人の心の葛藤にまったく関心を示す事なく、店主に向かって仕事の進み具合を問い質すカミュの表情は、能面のように冷めた物であった。

 

「あ、ああ、すまない。余計な話をした。頼む、忘れてくれ」

 

「……別に、アンタの今の話を上申しようとは思わない。それぞれ想いはあるだろう。だが、よく知らない人間に自分の内心を語るのは止める事だ」

 

 冷静さを取り戻した店主は、カミュの言葉に顔色を失う。それでも気を取り直し、その忠告を受け入れ、商品をカミュ達へと手渡した。

 

「ありがとう、肝に銘じておくよ。<鉄の槍>と<鎖帷子>と<青銅の盾>が二つ、全部で1630ゴールドだが、今の話を黙っていてくれるのなら、1500ゴールドで良いよ」

 

 先程、店主が語った内容は、完全な貴族批判である。このロマリアでは、どれ程の罪になるのかは解らないが、国民が犯してはいけない罪である事は、万国共通な事柄であろう。

 カミュは、再度、店主に公言しない約束をし、カウンターに袋から取り出したゴールドを置いて行く。

 

「……奴隷商人がこの街で遊ぶというのは、どういうことだ?……悪いが、見た限り娯楽がそれほどあるようには見えないのだが?」

 

 カミュから受け取ったゴールドを引き出しに仕舞っていた店主に、カミュが話しかける内容は、店主の話を先入観なく、全て聞いていた事を主張する物だった。

 カミュに国家批判をしてしまっている店主には、その質問に答えないという選択肢はない。

 

「……ああ……それなら、ほら。そこの階段を降りて行けば解る」

 

「……」

 

 店主の指さす先には、地下へと続く階段が存在していた。

 その先に、店主が言う娯楽があるのだろう。後ろを振り返った三人は、その階段を訝しげに見つめる。

 サラの胸の中に不思議な警告音が鳴り響いた。

 不安そうにリーシャを見つめるサラとは裏腹に、表情を完全に失くしたカミュは、店主へと振り返る。

 

「……わかった……」

 

「ああ、ありがとうよ。また何かあったら寄ってくれ」

 

 店主の謝礼の言葉を背に、カミュは階段へと歩を進めて行く。

 慌てたのはリーシャである。この旅に『娯楽』は全く関係しない筈だ。

 故に、カミュ達が向かう必要性もない。それでも、その場所に向かおうとするカミュに、リーシャは疑問を感じたのだ。

 

「カミュ! 行くのか?」

 

「何があるのか、見てみる」

 

 リーシャの問いかけにも、振り向く事なく答えたカミュは、下へと続く階段へと真っ直ぐ進んで行く。リーシャとサラは顔を見合せながら、それに続くしかなかった。

 

 

 

「血肉湧き躍る『闘技場』へようこそ!」

 

 階段を下りた一行に、真っ先に声をかけて来たのは、陳妙な格好をした男だった。

 蝶ネクタイに燕尾服、宮廷の舞踏会に出るかのような格好なのである。その男が、カミュ達に深々と頭を下げながら、不穏な言葉を発したのだ。

 

「……闘技場……?」

 

「はい! ここは、魔物達を戦わせる闘技場です。どの魔物が勝ち残るか予想して頂き、あちらでその券を買って頂く運びとなります。見事予想が当たれば、そのオッズに伴った配当が戻ってきます。ジャンジャン稼いで行って下さい!」

 

「……魔物を……?」

 

 闘技場という言葉に疑問を投げかけたサラの言葉に対し、男が返して来た言葉は、カミュの表情から熱を奪った。

 咄嗟にリーシャはカミュの横に立ち、いつでも抑え込めるように備える。それ程に、今のカミュの醸し出す空気は危うかった。

 サラには、その理由を正確に把握する事は出来なかったが、カミュをここに置いてはいけないという事だけは理解する。

 

「カミュ様……行きましょう……?」

 

 そんなリーシャの動きを視界の脇で捕らえたサラは、ここから出る事をカミュに提案するが、カミュは一つ首を振った後、奥へと進んでいった。

 慌ててその後を追うリーシャとサラは、その先で驚くべき物を見る事となる。

 

 中央には、下を見下ろすような展望席が設置されており、その下には、周囲を壁で丸く覆ったまさしく闘技場が存在していた。

 その円の至る所に、鉄格子があり、おそらくそこから魔物を出すのであろう。その光景を、カミュは冷たい目で見下ろしていた。

 その冷たい瞳は、周りをも凍りつかせるような雰囲気を纏っている。

 

「長らくお待たせいたしました! これより本日の10試合目を行います。皆さん闘技場にご注目下さい!」

 

 そんな中、会場全体にアナウンスが響き渡った。

 そのアナウンスに呼応するように、周囲の人間の狂気じみた声援が、闘技場を震わせる程の大音量となり、続く魔物の紹介のアナウンスの後に、闘技場内の鉄格子が三つ開き、中から<大ガラス>、<フロッガー>、<おおありくい>の三匹が、ゆっくりとした足取りで中央へと集まって来る。

 何か、特殊な魔法が掛けられているのか、それとも何か特殊な薬品が撃ち込まれているのか、魔物達の目は焦点が定まっていないような正気の目ではなかった。

 

「では、戦闘開始です!!」

 

 アナウンスと共に一斉に動き出した魔物達は、身体というお互いの武器を使い、襲い合って行く。それを見ていた観衆の熱気も更に増し、闘技場を包む空気も異様な物へと変わって行った。

 

 <大ガラス>が<おおありくい>目掛けて急降下をし、その鼻先を鋭い嘴で抉ると、<フロッガー>がその長い舌で<大ガラス>の体躯を叩き落とす。

 叩き落とされ、一瞬動きが止まった<大ガラス>に、<おおありくい>の鋭い爪が突き刺さった。

 数度痙攣した後、<大ガラス>はその息を引き取り、<大ガラス>の死骸を満足そうに見ていた<おおありくい>に今度は<フロッガー>が襲い掛かる。体当たりによって弾き飛ばされた<おおありくい>は、先程<大ガラス>に切り裂かれた鼻先から、血を撒き散らせて転がり崩れ、倒れ込んだ<おおありくい>の頭上に、<フロッガー>はその発達した後脚で大きく跳躍し、大きな前足で押し潰すように顔面へと着地した。

 <フロッガー>の全体重を掛けられた<おおありくい>の顔面は、まるで花火のように弾け飛び、その内部を形成する物を派手に撒き散らす。

 

「……うぉ……おぅぇ……」

 

 サラは、闘技場を直視する事が出来ず、吐き気を抑えるように口元に手を置いた。

 そんなサラの顔を自分の胸に押しつけるように、リーシャはサラの身体を抱き抱える。そんな二人へ視線を移す事無く、カミュはその冷たい瞳を闘技場へ落としていた。

 

「勝負あり!! フロッガーの勝ちです!! お賭けになっていた方々、おめでとうございました!!」

 

 戦闘の終了を告げるアナウンスの後、今まで以上の、声になっていない音が闘技場を取り巻く。それは、もはや人間が発するような物ではなく、気が触れた生物が発する奇声のように、サラには聞こえた。

 そして、再び闘技場の鉄格子が開いた。

 中から出て来た十人程の兵士が、残った<フロッガー>を切り刻んで行き、無残な死骸と化した<フロッガー>を引き摺るように運び出し、他の二匹の死骸も綺麗に片づけられる。

 魔物は負けても勝っても、待っているのは『死』だという事だった。

 

「……これが、『人』のする事か……」

 

「……カミュ……」

 

 その様子を能面のような表情で見つめていたカミュがぼそりと呟く。

 そんなカミュに対し、リーシャも、魔物に恨みを持つサラも、何も言うべき言葉を持ち合わせてはいなかった。

 唯、その能面のような横顔を眺める事しかできなかったのだ。 

 

「……<メダパニ>か<毒蛾の粉>で自我を消されていたのだろうな……」

 

「……カミュ様……」

 

 カミュの表情は、二人が見た物の中でも、一番と言っていいほど冷たい物だった。

 その表情が、カミュの心を雄弁に語っている。熱気と狂気が未だ渦巻く闘技場を、三人はそれぞれの想いを持ったまま後にした。

 

 

 

 武器屋の正面に位置する場所にあった宿屋に入るまで、誰一人口を開く事なく、カミュが宿屋の主人に宿の手配をし、一度それぞれの部屋に入るまで会話はなかった。

 カミュが、ここまでの道程で手に入れた魔物の部位を売り払って戻って来てから王城へ上がる事となり、サラとリーシャは荷物を置いた後、宿屋の広間でカミュを待つ事となる。その間にも、二人の間には会話はなく、ひたすら先程の光景が頭の中で繰り返されるという地獄のような時間であった。

 

 狂気に満ちた人々の表情と発する奇声。

 魔物達の正気を失った瞳。

 それらを煽るような主催者のアナウンス。

 

 それら、全てがサラの頭の中をぐるぐると回っている。自分がどこにいるのか、自分は何を成す為に旅を続けているのかすら解らなくなる程の物だった。

 そんな時間が経過していく中、カミュが戻って来る。手に持つ袋は、中身が無くなっている為、萎んでいた。

 

「……王城へ向かう……」

 

 未だに、その表情は能面のようなままでカミュは謁見に向かうと言う。リーシャは渋い顔をしていたが、反論を挟もうとはしなかった。

 この状態で謁見の間に入れば、リーシャとサラは、まともな表情を作る事は出来ないだろう。

 しかし、謁見の間にて、国王の前に跪くのはカミュなのだ。

 リーシャ達はその後ろに控える従者に過ぎない。彼女達に発言する機会など有り得なく、顔を上げる事さえ許されはしないだろう。故に、リーシャ達は黙ってカミュの後ろを歩き出したのだ。

 

 

 

「止まれ!!」

 

 王城の城門の前には、街の門と同じように兵士が立っていた。

 街と違うのは、立っている兵士の階級が、街の門番よりも上である事。

 着ている鎧には、ロマリアの国章が記されており、正規の軍の兵である事が分かる。

 

「アリアハンから参りました、カミュと申します。アリアハン国王様からの書状も持参しております」

 

「アリアハンからだと!!」

 

 カミュの仮面を被った話し方に、街にいた兵士と同じような反応が返って来る。

 その様子に、再びリーシャは顔を顰めるが、サラが腕にしがみ付いていた為、何とか気持ちを抑える事に成功した。

 

「卑怯者のアリアハンの人間が、今さら何の用だ!!」

 

「ロマリア領を通る許可を頂きたく、ロマリア国王様へのお目通りをお取次ぎ頂きたいのですが」

 

 普通一介の兵士が、国家に対しての侮辱をすれば国際問題になりかねない。

 しかし、それでもロマリアの兵士がこのような態度に出るのは、恨みの深さだけではなく、単純にアリアハンを辺境国として見ている侮りが存在しているのだろう。もしくは、『戦争になっても勝てる』という想いがそうさせているのかもしれない。

 

「ふん!! ここで待っていろ! 良いか、一歩でも動くな!」

 

 カミュが手渡したアリアハン国王の書状を持ち、一人の兵士が城内へと消えて行く。

 アリアハンとは違い、彼らのような兵士と平民の間には、高い垣根は無いのかもしれない。アリアハンへの憎しみが同じ物であるからなのか、それとも、彼らのような兵士が、平民出身の者達で組織されているのかはわからない。

 

「許可が下りた。このまま真っ直ぐ歩けば、謁見の間に続く階段がある。それを上れ。それ以外の余計な場所には行くな。良いな!」

 

 戻って来た兵士は、相変わらず横柄な態度で、カミュ達にあれこれと指図をする。リーシャの拳は怒りに震えてはいるが、カミュは涼しい顔で聞き流していた。

 

「ありがとうございました」

 

 カミュは兵士に一つ礼をした後、城門を潜って行く。リーシャを促し、サラもその後を続いた。

 すれ違い様に、兵士の発する大きな舌打ちが聞こえ、リーシャが顔を上げそうになったが、必死なサラの腕に我に返り、大人しく城門を超える。

 

 

 

 言われた通りの階段を一行が上った先に、広く開けた広間があり、その前方には二つの玉座が存在した。

 一つの椅子には、恰幅が良く、口に黒い髭を蓄えた中年の男が座り、もう片方には、年若く見目麗しい女性が座っている。おそらく、年の頃から、中年の男がロマリア国王であり、その隣に座るのが王女なのであろう。

 また、ロマリア国王の傍には、アリアハンと同じように、大臣らしき人物が立っていた。

 

「そなたが、あのオルテガの息子、カミュであるか?」

 

「はっ」

 

 前に進み、跪いたカミュの一歩後ろに、リーシャとサラの二人も同じように跪き、そんな一行に、国王自ら声を掛ける。

 跪いたカミュが、顔を上げる事無く、返答をし、その答えに満足そうに頷いた国王は、跪く一行を見渡した。

 

「ふむ。面を上げよ……なるほど、良い目をしておるの」

 

「……」

 

 カミュは答えない。真っ直ぐロマリア国王を見つめ、その真意を探ろうとしていた。

 彼の中では、『王族』という存在は、気を許して良い部類の人間ではないのかもしれない。表情一つ変える事はないが、顔を上げたカミュの瞳は鋭い光を宿していた。

 

「アリアハン国王からの書状は目を通した。そなたは、あのオルテガ殿と同じように『魔王討伐』に向かうとな?」

 

「……はい……アリアハン国王様より、そのように命を頂いております」

 

 国王の言葉は、カミュ達の旅の目的を尋ねる物であった。

 しかし、その口調はどこか冷ややかであり、まるで厄介者を抱え込んでしまったかのような響きを持っている。それを敏感に感じ取ったサラは、違和感を覚えつつも、広間に敷かれた赤い絨毯を見つめていた。

 

「……そうか……アリアハン国王からも、援助願いが来ておる。しかしの……そなたも知っての通り、度重なる魔物との闘いや、そなたの父への援助で、国は見た目以上に疲弊しておる。そなたの力量も解らない段階で、援助というのも難しい」

 

「……はっ……」

 

 国王の話は、カミュの予想していた通りだった。

 援助など断るつもりなのだろう。

 確かに、成功するか分からない『魔王討伐』という旅の援助を、毎回毎回してはいられないという想いは、国を預かる者として当然の発想であろう。

 

「……そこでじゃ、そなたの力量を見る為にも、今この国を騒がしている盗賊の討伐をしてもらいたい。その盗賊は、このロマリア城から盗みを働いた不届き者だ。生死は問わん。その盗賊が盗んだ物を取り返して見せよ。それが出来た時、ロマリアはそなたを真の『勇者』として認め、惜しみない援助を行う事としよう」

 

 実際に、カミュは援助などを願い出てはいない。

 ただ、ロマリア領の通行許可が欲しいだけなのである。

 それを、ロマリア王家の失態の尻拭いをすれば認めるなど、王族でなければ鼻で笑われるような事を、平然と言ってのけるロマリア国王にカミュは呆れていた。

 

「……はっ……確かに承りました。その盗賊の名と、王城から盗まれた物をお教え下さい。必ずや陛下の御前にお届け致しましょう」

 

「……」

 

 カミュの返答に、後ろに控える二人は言葉を失くしていた。

 国王の命を断る事など出来る筈もないが、不快感ぐらいは表すのではとリーシャは考えていたのだ。

 しかし、そのカミュは、表情を全く変えずに、再び赤い絨毯を見つめている。

 

「うむ。良き返事じゃ。その盗賊の名は『カンダタ』という。最近ロマリア国内で盗みを働いてはいるが、根城は分かっておらん。盗まれた物は『金の冠』じゃ。そなた達の良い報告を期待しておる」

 

「はっ! では、これにて」

 

 カミュは、もう一度深々と頭を下げた。

 それに倣い、リーシャとサラも赤い絨毯を見つめ直す。これで、国王との謁見も終了を迎える筈であった。

 

「……しばし待て……」

 

 しかし、盗賊の名と盗難物を聞き、早々にこの場を離れようとするカミュを、目の前に座る国王が引き止めたのだ。

 立ち上がりかけたカミュは、再び膝を付く。その姿を暫し眺めていた国王の口が、唐突に開かれた。

 

「ふむ。そなた、本当に良い目をしているの。そなたのような者が、一国の王となるべきなのかもしれん。どうじゃ、この国を治めてはみんか?」

 

「……は?」

 

「!!」

 

 続くロマリア国王の言葉は、カミュを含めた三人を混乱の渦に陥れた。

 『この王は何を言っているのだ』

 そういう考えが、三人の頭に同時に浮き上がって来る。

 

「国王様!!」

 

「良いではないか。この者が王となれば、否が応でも『金の冠』を取り戻さねばなるまい。同じ事ではないか。ならば、このような若者に国の未来を託した方が良い。娘と婚姻させ、婿となれば、王位を継ぐ事も可能であろう」

 

 カミュ一行を放って、国王と大臣の話は進んで行く。

 未だ混乱から抜け出せないサラではあったが、当のカミュと、その後ろに控えるリーシャの頭は冷静さを取り戻していた。

 その証拠に、カミュの表情はいつもの無表情へと戻っており、何の感情も湧いてはいないように、冷たく国王を見つめている。

 

「どうじゃ、カミュ? 一度、試してはみんか? そなたが出来そうにないと思えば、再びわしが王の座に戻ろう。これは約束しよう」

 

 そう続けるロマリア国王の横に立つ大臣を見ると、どこか諦めたような顔でこちらを見ている。まるで、カミュが肯定を示しても良いと思っているかのようだ。

 更には、国王の横に座る王女にしても、にこやかな笑みを崩す事なく、こちらを見ている。サラもリーシャも顔を上げないまでも、視界の隅にそれを入れ、不思議に思っていた。

 

 そして、暫しの静寂が謁見の間に流れた後、カミュの口が開かれる。

 

「……畏まりました……国王様の申し出、謹んでお受け致します。ただ、私は未熟な身ゆえ、王としての職務を何時投げ出すか分かりません。この事は、国民には告げずに置いて頂きたいのですが」

 

「!!」

 

「カミュ様!! 何を……」

 

 カミュの答えに驚いて声を上げそうになったサラの口を、リーシャの手が塞いだ。

 サラは『何故?』という表情でリーシャを見るが、リーシャは未だ顔を下げたままであった。

 

「ふむ、そうか。それも良い。一度試してみよ。政務で解らない事があれば、この大臣に聞くがよい。それでは今日より、カミュが国王じゃ! 皆の者良いな!」

 

 良い訳がない。

 しかし、大臣や周りの兵士達の表情には、怒りや戸惑いなどは微塵もなく、どちらかと言えば呆れに近い物が混じっていた。

 その表情が何を意味しているのかは、サラには理解出来ない。しかし、今この時を持って、カミュがロマリア国王になる事だけは、国政を預かる者達の中で承認された事を意味していた。

 ロマリア国王からマントが掛けられたカミュは、玉座に座り、そこからリーシャ達を見る事となる。

 

「供の者たちよ、表を上げよ」

 

 大臣の声にようやく顔を上げる事を許された二人は、玉座に座るカミュを見る。サラは、疑問と困惑が混ざった表情でカミュを見上げていたが、リーシャはどこか達観した様子で、玉座に座るカミュの瞳を見詰めていた。

 

「カミュ王、この者達は如何致しますか?」

 

 玉座に座るカミュへ大臣が問いかける。先程までそこに座っていたロマリア国王は、既に自室へと戻ってしまっていた。

 それでも、カミュの隣の玉座に座る王女の表情は、柔らかな笑みを湛えており、謁見の間に異様な空気を醸し出していた。

 

「……宿を取っている筈だ……今日はそこに泊まり、旅の疲れを癒してくれ」

 

「……と、言う事だ。下がって、ゆっくりと旅の疲れを癒すが良い」

 

 大臣からリーシャ達の処遇を聞かれたカミュが発した答えは、簡素なものだった。

 その内容は、今日の夜の事のみ。

 これから先の事などは、何一つない。

 

 『一体どうしろと言うのだ?』

 『ここまで来たのに、どうすればいいのだ?』

 サラはそんな気持ちを抑えきれなくなり、口を開きかける。

 

「……畏まりました……では、これにて……」

 

 だが、隣にいたリーシャの言葉に、サラは言葉を発する機会を失い、そのままリーシャと共に、謁見の間を後にするしかなかった。

 

 

 

「何故ですか!? 何故、何も言わなかったのですか!? リーシャさんは、このまま旅を止めるおつもりですか!?」

 

 王城から出ると、陽も落ち始め、街を赤く染め始めている時分になっていた。

 王城と街を結ぶ橋を歩き終わり、街に入ってすぐにサラの感情は爆発し、矢継ぎ早にリーシャへと謁見の間で渦巻いた疑問をぶつける。リーシャは立ち止まり、ゆっくりと振り返った後、真面目な表情でサラを見つめ返し、サラはその表情を見て、後の言葉を繋げなくなり、押し黙った。

 

「……サラ……ここから先の旅の為にも言っておく。これから先、数多くの国家に行き、その国にある城の謁見の間にて、国王様とお会いする事があるだろう。その際に、謁見するのは私達ではない」

 

「……えっ?」

 

 急に話し始めたリーシャの意図が掴めず、サラはもう一度聞き返す形で言葉を発した。

 謁見の間に入っている段階で、自分やリーシャも国王と謁見している筈だ。

 少なくとも、サラは今の今まで、ロマリア国王と謁見しているつもりだった。

 

「謁見の間で国王様とお会いし、お言葉を頂戴するのはカミュだ。私達はその従者に過ぎない」

 

「そ、そんな……」

 

 納得する事が出来ないサラを見て、一つ溜息を吐き出した後、リーシャは真っ直ぐサラの瞳を見詰めたままに語り出す。宮廷と言う場所がどのような場所であるかをリーシャは知っているのだ。

 

「私達だけの場合は、私もカミュも気にはしない。普通に話し、時には対立して罵声を浴びせる事もある。しかし、他国の代表と相対する時は、カミュは『魔王討伐』に向かうアリアハンの『勇者』であり、それに同道する私達は付き従う者なのだ」

 

「……」

 

 カミュが『勇者』だという事実を、最も認めていない人間が口にする内容は、説得力に欠けてはいた。

 しかし、リーシャの瞳は真剣であり、それが彼女の心の中を正確に表わしている事を窺わせる。

 

「サラには納得がいかないかもしれないが、そういうものだ。私達は、謁見の間でお許しの言葉がない限り、顔を上げる事も許されはしない。ましてや、言葉を発する事など以ての外なんだ。アリアハンを代表している人間は、カミュだけという事だ」

 

 リーシャの言っている事は、宮廷で働く人間にとっては当然の事でもあった。

 国王となれば、例え貴族であっても、おいそれと言葉を交わす事は不可能である。ましてや、他国の王族ともなれば、国家を代表して謁見する時にしか、言葉を発する事は許されない。

 だが、平民出のサラには、雲の上の存在過ぎて、想像が難しいのだ。

 

「……では……リーシャさんは、このままカミュ様がロマリア国王様となって、旅を終わらせてしまう事も仕方がないと言うのですか!?」

 

「そうは言わない。サラ、よく考えてみろ。あのカミュが、何の考えも無しに、あのような申し出を受けると思うのか?……サラもここまでカミュを見て来た筈だ。アイツが……魔物よりも国家や貴族、そして王族の方を嫌悪している節のあるカミュが、あのような申し出を喜んで受けると思うのか?」

 

 行き場を失ったサラの憤りは、リーシャへと向けられたが、諭すように語るリーシャには届かない。サラの感情の全てを受け入れるように、リーシャはサラの心へと入り込んで来た。

 

「……それは……」

 

「何か考えがあるのだと思う。それが何かは、私には解らないが、アイツがそうする理由があると思っている。だから、今夜は宿屋で休めと言ったのだろう……おそらく、明日には、アイツは国王という職を辞退するつもりなのではないか……」

 

 確かに、カミュは今日の宿の事だけを話していた。

 それが意味する事など、頭に血が上っていたサラは、考えもしなかったが、リーシャの言う通り、あのカミュが何の理由もなく、貴族や王族になるとは思えない。自分やリーシャが考えつかない事をするつもりなのかもしれない。

 その時、突如サラの頭に閃いた物があった。

 

「……もしかして……闘技場を潰すつもりでは!?」

 

 カミュが闘技場で見せた表情は、今までで一番の物であった。

 そこには怒りや哀しみを始めとした、色々な感情が混じりあった結果の無表情ではないかとサラは感じていたのだ。

 故に、その元凶の闘技場を廃止するのではとサラは考えた。

 

「……いや、それはないだろう。前に話した国民の不満の捌け口が、ロマリアではあの闘技場なのだ。それは、カミュも理解している筈だ」

 

「……そうですか……」

 

 自分の考えが否定された事の安堵に、サラは一つ息を吐き出す。それと共に、再びカミュの行動に対する疑問が湧き上がり始めた。

 頭の中を渦巻く疑問に目を回していたサラの肩が叩かれる。

 

「何にせよ、今、私達が考えたところで、何かが解る訳ではない。今日は、カミュ王のご好意に甘えて、宿屋でゆっくりと疲れを取るとしよう」

 

 リーシャは、サラの頭を軽く叩いた後、宿屋へと向かって行き、サラはどこか釈然としない思いを残し、リーシャの後を追った。

 その後、久しぶりに個室を取った二人は、湯浴みをし、ゆっくりと食事を取った後、少し早めにベッドへと入る。久しぶりのベッドは、サラを簡単に眠りに落とし、異国の地での夜は更けて行った。

 

 

 

 暗く、一寸先も見えない闇に覆われた王城の廊下を、一人の青年が歩いていた。

 手には、少し前に大臣から借り受けたランプを持ち、辺りを照らしながら慎重に歩を進めて行く。それは、衣装を替えたカミュであった。

 リーシャの考え通り、カミュはある目的の為にロマリア国王の申し出を受けていた。

 今、その目的を達する為、夜の廊下を一人歩いているのだ。

 

「……ここか……?」

 

 カミュの足は、一つの扉の前で止まり、その扉の上部に掲げられたプレートをランプで照らした後、その扉を開き中に入って行く。カミュが入っていった後、廊下には再び暗闇が戻って行った。

 

 どのくらいの時間が過ぎたであろう。

 再び扉を開け、戻ってきたカミュの手には、ランプ以外の物が抱えられていた。

 扉を閉め、歩き出したカミュは、それを小脇に抱えるようにして歩き、寝室へと戻って行く。

 静寂と闇に包まれた王城は、ランプの明かりが消えて行くと同時に、再び眠りへと落ちて行った。

 

 

 

 

 


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