新訳 そして伝説へ・・・   作:久慈川 京

163 / 277
過去~サマンオサ②~

 

 

 

 そして月日は流れる。

 王弟アンデルが偽国王として玉座に鎮座する事になってから二年の月日が経った頃、『魔王バラモス』の影響は無視できない程までに増大し、世界を覆い始めていた。

 サマンオサも例外ではなく、世界を覆う闇と同様に、未来に対する不満と、現状に対する僅かな疑念を抱く民達の心は荒んで行く。国民は、何処かで少しずつ国家が変化している事を実感しているのかもしれない。それは、今は見えずとも、少しずつ国家を蝕んで行く猛毒となるだろう。

 王弟アンデルが努力していないとは言わない。

 兄であり、名君であった先代を追いかけるように、合議に参加し、周囲の意見を聴き、自分の考えを成り立たせている。だが、それは所詮紛い物に過ぎないのだ。

 国王アンデルとして、先代へ近付こうと努力しているのであれば、それは周囲にも理解出来るだろうし、落胆する者もいるかもしれないが、それでもその努力を嘲笑う者はいない。

 だが、先代国王の姿のまま、能力だけが落ちれば、それは疑惑となる。

 『国王も老いてしまったのか』という僅かな落胆は不安となり、宮廷の重臣内に渦巻き始めていた。

 

「このままでは、サマンオサ国は魔物に呑まれてしまうのではないか?」

 

 以前と同様に魔物討伐の軍を率いて出陣していたサイモンが、帰還途中で空を見上げて呟いた頃、一人の青年がサマンオサを訪れる。

 帰還後、即座に王宮に呼び出されたサイモンは、討伐の成果の報告も兼ねて謁見の間へと向かった。

 通された謁見の間には、国内の重臣達が揃い、先代の姿をした王弟アンデルが玉座へと腰を下している。だが、サイモンは、召集された自分よりも先に、玉座の前で跪く者がいる事に驚きの表情を浮かべた。

 

「サイモン、大義である。此度も無事魔物討伐の命を果たした事、余も嬉しく思う」

 

 王弟アンデルは、変化の杖で姿を変えてからは、自身の呼称を『余』と改めた。

 それは、生前の先代国王が使用していた呼称ではあったが、実力が伴わない者が使うと、虚勢にしか聞こえないというのも事実。

 実際に、その呼称を聞く度に、サイモンは何処か寂しい物を感じてしまっていた。

 それが、先代国王と比べてしまっているという不敬な行為である事を理解していても、先代と同じ姿形をしている以上、それは致し方ないのかもしれない。

 

「この者は、辺境国であるアリアハンの英雄と名高いオルテガという。その名はお主の耳にも届いておろう」

 

 玉座の前まで近付いてから跪いたサイモンに、声が掛かる。

 その言葉を確認するように、顔を横へ向けたサイモンは、同じように跪く青年の姿を見て、国王の言葉に納得してしまった。

 アリアハンの英雄の話は、ここ数年で聞くようになった名である。

 周辺国を旅し、その地域で苦しむ者達の為に魔物を討伐いて行く程のその男は、世界の中でも小国に分類される辺境の国であった、アリアハンという島国の出身であった。

 剣の腕だけではなく、神魔両方の呪文を行使する事が出来ると云われており、その男の存在が、アリアハンという小国を支えていると言っても過言ではないとさえ語られる存在であったのだ。

 

「此度、アリアハン国は、このオルテガに『魔王バラモス』の討伐を命じたとの事。その為の援助を申し出て参った」

 

「それは……良き事と存じます」

 

 『魔王バラモス』という存在は、この世界の現状を悪くしている元凶である。『人』という種族だけではなく、全ての生き物にとっても、その存在は脅威であり、この世界の未来を覆う深い闇でもあった。

 そのような諸悪の根源の討伐は、全人類の希望であり、要望でもある。

 そして、噂を信じるのであれば、サイモンの横で跪く青年には、それだけの力があると考えられた。

 

「ふむ……余も、出来る限り援助をしたいと思う」

 

 サイモンの返答に対し、満足そうに頷きを返した国王は、自国の状況を把握して尚、援助の申し出を受ける事を口にした。

 先代国王が存命の頃から、王弟アンデルの考えは、魔王討伐にあった言っても良い。『魔王バラモス』さえ排除すれば、この悪循環に終止符は打たれ、全てが上手く回り出すと考えていた節もあった。

 それは、大臣やサイモンにとっては甘い考えであったが、世界中がその考えに傾いている傾向があり、国王の言葉に重臣達も了承を示す。

 

「だが、この場にオルテガしかおらぬが、供の者はおらぬのか? 『魔王バラモス』という魔物の頂点を打ち倒すには、一人だけというのは難しいのではないか?」

 

「……畏れながら申し上げます。ここまでの旅で、何度か共に歩む者達はおりましたが、命を落とす者も多く、今は申し出をお断りしております」

 

 国王からの問いかけに、直答の許しを請い、オルテガという名の青年は口を開いた。

 その言葉を聞いた玉座に座る王の瞳は見開かれ、隣で跪くサイモンは言葉に詰まる。周囲を囲んでいた重臣達だけではなく、玉座の横に立つ大臣までも言葉に窮してしまった。

 この世界の全ての人間の頭の中には、『魔王バラモス』という存在しかない。例え、自分達が多くの魔物達によって苦しめられていたとしても、『魔王バラモス』という諸悪の根源を討伐すれば、その魔物の脅威さえも無くなるとしか考えていないのだ。

 だが、現実は異なる。

 『魔王バラモス』という存在の根城さえも把握できていない中、それに向かって旅を続けているという事は、その道中で多くの魔物達と戦闘は必然なのだ。

 その魔物達も『魔王バラモス』へ近付けば近付く程に強力になって来る。生半可な実力の者達であれば、太刀打ちは出来ないだろう。しかも、このオルテガという青年が旅立ったのは、既に何人もの『勇者』が旅立った後である。

 世界中の実力者達が既に旅立ち、散って行った後であれば、呪文の実力者達も、剣の実力者達も国に囲われている者ばかりとなる。自国の防衛をしなければならない国家にとって、実力者の確保は死活問題になってしまうのだ。

 

「そうか……やはり、一筋縄ではいかぬ旅であったか……」

 

「異種族の者達の中にも、同道してくれている者達はおりますが……」

 

 落胆の息を吐き出した国王に向かって、続けて発せられた言葉は、故意的に途中で途切れた。

 王弟アンデルは名君の弟として比較されてしまうが、決して暗愚な人間ではない。オルテガのその言葉だけで、その全てを把握した。

 この場所は『人』が造った国家の中枢。

 その場所に異種族が入り込めば、快く思わない者も多いだろう。オルテガに同道している者達の中に異種族の者がいるとなれば、それはオルテガへの蔑みにも変わる事がある。それだけ、『人』の心も荒んでしまっているのだ。

 

「サイモン! お主も共に行くのだ!」

 

「なっ!」

 

 暫しの間、憂いの表情を見せていた王弟アンデルだったが、何かを決心するように、オルテガの隣で跪く者へ声を張り上げる。

 その言葉に、謁見の間に居た者達は全て、驚きの表情を浮かべた。

 サマンオサ国の現状を正確に理解している者である程、その驚きは大きく、自身の耳を疑ってしまう程の言葉に声を失う。跪いていたサイモンでさえ、その顔を弾かれたように上げ、玉座に腰を下ろす者の顔を凝視してしまった。

 

「畏れながら、国王様……現状の国勢を鑑みると、サイモンを旅に出すのは愚行と思われます」

 

「魔王を倒さねば、このサマンオサ国も無事では済まぬぞ?」

 

 声を失ったサイモンの代わりに、玉座の横に立つ筆頭大臣が重い口を開いた。

 それは、諫言といっても過言ではない程の厳しい言葉。

 主君の勘気を怖れる者であれば、口に出す事は有り得ない程の物である。

 国王が発した物を、愚行として断じたのだ。それは、国王の決断を真っ向から否定する所業である。短気な王であれば、首を刎ねかねない言動と言えるだろう。

 しかし、元々、王弟アンデルは、自身の器が足りぬ事を知っている。故に、その言葉に腹を立てる事もなく、意見の一つとして受け入れ、それを考慮にいれて再び口を開いた。

 

「畏れながら……国王様の御懸念は最もと存じます。しかし、私には私の別の使命がございます。その使命を果たさぬまま、このサマンオサを離れる訳には参りません。何卒……何卒、このサイモンに、サマンオサ国の為に働くご許可を」

 

「私からもお願い申し上げます。今のサマンオサ国に、サイモンという男は不可欠であります。何卒、ご再考の程を」

 

 しかし、王弟アンデルの言葉は、彼が最も信頼する二人の寵臣によって遮られる。

 彼等のその表情を見る限り、その嘆願が、己の保身の為の物ではない事ぐらい、アンデルにも理解出来た。

 彼等は、先代国王から、このサマンオサ国とアンデルという王弟を託された経緯がある。それ故の嘆願である事が理解出来るだけに、当の王弟アンデルは、己の未熟さを悔やみ、表情を強張らせる。

 そんな国王の眉の顰めは、他者から見れば危うい物と映るのだ。

 諫言とも聞こえる重臣二人の言葉に立腹した国王が機嫌を損ねたとも映り、周囲の重臣達のざわめきが起こり始めた。

 

「畏れながら、サマンオサ国王陛下に申し上げます。国王陛下の寛大な御配慮、このオルテガ、心より感謝申し上げます。しかしながら、そのような寛大な御配慮を頂いた国王陛下のお国に、これ以上ご迷惑をお掛けする訳には参りません。名高きサマンオサ国の英雄であるサイモン様が共に歩んで下さる事は大変栄誉な事ではありますが、平にご辞退を申し上げます」

 

「むっ……そうか……ならば致し方ない。我が国から、同道者を出せない代わりに、そなたの望みである援助は出来る限り致す事を約束しよう」

 

 不穏な空気が広がり始めた謁見の間に響いた声は、とても力強く、誰の言葉も聞き入れない程の決意に満ちていた。

 その声と言葉を聞き、王弟アンデルは、これ以上の問答は無意味である事を悟る。無理やりオルテガへ同道者を押し付けたとしても、世界を味方に付けて戦う英雄の印象を損ねてしまうだけなのだ。

 オルテガは、数多くの国家の援助を受けて旅をしている。しかし、ここで強引にサイモンを連れ出してしまえば、サマンオサ国の民衆の支持は得られない。そればかりか、国王の姿を模したアンデルの地位さえも揺らぎかねない物だった。

 

「アリアハン国の英雄オルテガの旅に、多くの加護があらん事を」

 

 その言葉で、世界を救う為に旅を続けるアリアハンの英雄との謁見は幕を閉じた。

 サマンオサ国の英雄と名高いサイモンよりも若い新たな英雄は、再び城下町を出て、果てしない旅へと戻って行ったのだ。

 そして、この時の決断を、王弟アンデルは生涯悔やむ事となる。

 

 

 

 更に時は流れ、魔物の脅威は増して行った。

 十年程以前にこのサマンオサ国を訪れた他国の英雄は、その志半ばで倒れていた。

 『魔王バラモス』は未だに健在であり、その魔力の影響は、日増しに大きくなっている。まるで、影響を及ぼす魔力自体が強大になっているようにさえ感じる物だった。

 『魔王バラモス』の根城があると噂されるネクロゴンドの麓にある村も、その大きくなる瘴気によって滅ぼされたという話まで、サマンオサ国へ届いている。

 

「もし、あの時、強引にでもお主を同道させておれば、バラモスを討伐出来ておったかもしれん」

 

「いえ……そのような事はありませんでしょう」

 

 サマンオサ国城の謁見の間で、玉座に腰を下ろす王の言葉に、髪に白い物が混じり始めた戦士が答える。

 既に、名高きサマンオサ国の英雄も、齢四十を超えてしまった。

 魔物との戦闘などによって命を落とす事も多い『戦士』等の中では、かなりの長命であるとは言えるが、その力も年齢と共に衰えて行く。以前よりも魔物討伐で部下を多く連れて行くようになったサイモンは、まるで自身の後継者を育てようと考えているようであった。

 

「お主の腰には、大地の女神から授かったと云われる剣があろう。その剣があれば、オルテガも火口で命を落とす事はなかったのではないか? この世界の大地を冠する名を持つ、その剣であれば……」

 

 王弟アンデルは、自身の前で跪く英雄の腰に下がっている剣を指差し、小さな溜息を吐き出す。その溜息を受け、サイモンは深々と頭を下げた。

 英雄サイモンの腰に下げられている剣こそ、このサマンオサ国の英雄が持つ神代の剣。

 若かりし頃のサイモンが、国外より持ち帰ったその剣は、大地の女神から『人』が授かった物という言い伝えが存在していた。

 ガイアの剣と名付けられたその剣は、この世界を意味する言葉を冠する剣。

 その一振りで地を割り、もう一振りで大気を割くとさえ伝わるその剣は、サマンオサ国が有する二つの国宝にも劣らぬ伝承を有していた。

 

「この剣には、そこまでの力はございません。それは、長年共にし、幾度となく振り続けた私が、一番理解しております」

 

「そうか……」

 

 サイモンの言葉に落胆を見せた彼は、あれから一度として王弟アンデルとしての姿を見せた事はない。

 変化の杖とて万能ではなく、その効力は有限である。

 時間と共に、その姿は元に戻ってしまうのであるが、彼はその度に変化の杖を振り、自身の兄の姿へと変化していた。

 兄の姿を借りたまま、十年以上の月日を過ごした彼は、国王の後妻として、一人の妾を王宮に入れ、その女性との間に姫を儲ける。

 久方ぶりの王族の誕生に国内は湧き、それまで沈み切っていたサマンオサ国にも明るい光が差し込んだ。

その姫も今年で十を数える歳となる。

 母親である妻は、数年前に流行り病で命を落としたが、健やかに育つ姫の姿は、疑惑が広がっていた王宮の中を変えて行った。

 王弟アンデルの力量が先代に及ばない事に変わりはないが、それを補うように重臣達が積極的に動くようになり、先代の願いであった自給自足の国家という基盤も出来つつある。その功績を少しも誇らず、功績は重臣達の物と謳う国王の姿に、重臣達は益々やる気を出し、サマンオサ国は少しずつ良き方向へと進み始めていたのだ。

 

 だが、それも、仮初の安寧であった。

 時は無情にも訪れる。

 自身の姿を隠し、兄の威光を借りていた偽国王への酬いは、非情な形で下された。

 

 

 

「サイモン様、至急のお呼びでございます」

 

 成人間近の息子に剣の稽古を付けていたサイモンは、急使の来訪によって、即座に身支度を整えて登城する。

 謁見の間に通されたサイモンは、その場に筆頭大臣しかいない事に、嫌な既視感を覚えるが、そのまま大臣に続いて王宮の奥へと進んで行った。

 向かった先は、国王陛下の寝室。

 以前と同様の到着先に、サイモンは胸騒ぎを覚え、前に立つ大臣の顔色を窺うが、その厳しい表情の内にある感情までは読み取る事が出来ない。

 

「国王様、サイモンを連れて参りました」

 

 部屋の扉を叩いた大臣は、中からの返答を待たずに、その扉を開けた。

 人が一人通れる程度に開けられた扉から滑り込んだ大臣を追うように、サイモンもまた部屋の中へと滑り込み、即座にその場で跪く。

 

「サイモン、面を上げよ」

 

 しかし、即座に掛けられた声を聞いた時、サイモンは驚きを露にし、指示どおりに顔を上げて、更に驚愕した。

 その声は、この十数年の間聞く事が出来ず、十数年ぶりに聞く事の出来た声。

 彼が敬愛していたサマンオサ先代国王の弟にして、皇位継承権第一位に座していた同年代の青年の声だったのだ。

 僅かに年老いた感のある声色ではあったが、その声をサイモンが忘れる筈もなかった。彼が先代から託され、命に代えても護ると決意した相手の声なのだ。

 そして、顔を上げたサイモンの瞳に映る姿も、十数年の年齢を重ねているとはいえ、昔の面影を色濃く残すその顔は懐かしさと共に、感動を覚える程の成長を見せている。昔は、経験も自信も皆無であった王弟は、幾多の政務を重ねる事によって、良い意味での年齢を重ねていた。

 それが明確に表れていた表情を見たサイモンは、驚きを忘れ、感動が湧き上がる胸を抑える事に苦心していたのだが、そんなサイモンの感動を呼び込んだ表情は瞬時にして崩れ去る。

 

「変化の杖が何処にもないのだ。あれが無くては、兄上の代わりはこなせぬ。盗まれたのではないか!? 国宝たる変化の杖を盗むとは、万死に値する!」

 

「こ、国王様……」

 

 突如発狂するように叫び始めたアンデルの姿に、サイモンは言葉を失った。

信頼する寵臣がいない間は、毅然と気を張っていたのだろう。だが、ようやく心を許せる者達が揃った事で、アンデルの心を支えていた物が崩れ、余裕を奪ってしまったのだ。

 故に、アンデルには、先代国王の姿でない自分を、周囲に人がいないこの場所で尚、『国王様』と呼んだサイモンの心が届かない。先程までの彼の姿を見て、このサマンオサ国を任せるに足る人物になっていると認めた事に気付かないのだ。

 

「大臣、サイモン、変化の杖を探してくれ! 私は、ここから一歩も出ぬように心がける。誰もここへは近づけるな、良いな!」

 

「し、しかし国王様……」

 

 もはや、大臣の言葉も、サイモンの言葉も届かない。

 完全に混乱状態に陥ってしまったアンデルは、縋り付いていた物の消失に心を惑わされ、自身が積み重ねて来た経験と自信を投げ捨ててしまっていた。

 それがどれ程哀れな事か、どれ程に哀しい事か、どれ程に落胆する物なのかを、大臣もサイモンも知っている。それでも、彼以外にこのサマンオサを治める血筋を持つ者がいない以上、彼等はその命を受け入れなければならない。

 深々と頭を下げた後、二人は王室を退去した。

 

「サイモン、この国は限界なのかもしれない……」

 

 王宮を出て、謁見の間に戻った大臣は、静かに口を開く。

 その呟きはとても小さく、そして小さい震えを帯びていた。

 それが、大臣の心を明確に表していたのだろう。先程見たアンデルの取り乱し様は、ここまでの十数年を堪えて来た者の心をも壊してしまう威力を秘めていた。

 軽い溜息と共に吐き出された言葉は、それだけの重みと哀しみを持っていたのだ。

 だが、その傍に立つもう一人の男の考えは異なっていた。

 

「お言葉ではございますが……王室に入った直後、私はアンデル様の前で、もう一度臣下の礼を取りたいと思いました。私の命を賭けるに惜しくはない王だと……。国宝を奪われた事は一大事ではございますが、これを機にアンデル様自らが玉座に腰を下して頂ければ、サマンオサは変わります」

 

「ふむ……その為に、我らはアンデル様の噂を流したのだったな」

 

 王弟アンデルの死という事を事実として公表する傍らで、大臣とサイモンは、小さな噂を国内に流していた。

 それは、アンデルは生きており、いつ戻るか解らない武者修行に出ているという噂だ。

 噂とは、出所を突き止める事は困難であり、誰が聞いたのか、誰が話したのかというは噂をする人間達にとっては必要のない情報である。しかも、それが王族の人間が生きているという、国民の願いも含まれた伝説のような噂であれば、宮廷で働く者達にとっても、敢えて処罰する案件ではなかったというのも一つの要因だろう。

 故に、その噂はサマンオサ国内を駆け巡り、今ではそちらが真実のように伝わっていた。

 

「変化の杖は、我が国にある二対の国宝の一つ。それの捜索は全力を挙げなければならぬが、例え発見できても、我々の手で封印する事も……」

 

「国王様を欺く咎は、甘んじてお受けいたしましょう」

 

 二人の決意は決まった。

 お互いに頷き合った二人は、それぞれの方角へと歩き出し、国宝の捜索へと向かう。国宝である以上、それが国内になければならず、万が一他国の物に盗難されたとすれば、その者を見つけ出して処断しなければならない。その時こそ、サイモンの腰で輝く剣の出番となると二人は考えていた。

 だが、その二人の目論見も、翌日には散ってしまう事となる。

 

 

 

 「こ、国王様!」

 

 変化の杖の捜索に思うような成果はなく、王の不在の理由を重臣達へ語ろうと謁見の間に姿を現したサイモンは、玉座に座る者の姿を見て、驚愕に声を発してしまった。

 玉座には、先代国王の姿そのままに、こちらへ視線を向ける者が腰を下していたのだ。それは、何処から見ても国王その者であり、誰しもがその姿に疑いを見せる事無く、国王の傍で跪いている。

 しかし、サイモンは、玉座に座る人間が先日まで腰を下していたアンデルではない事を本能的に悟っていた。

 姿形は、間違いなく先代国王の物。そこに疑いの余地はないが、先代国王の死を知っているサイモンにとって、変化の杖によって誰かが姿を模した物である事は明白である。そして、玉座に座る者の醸し出す空気の禍々しさが、サイモンの考えを如実に表していた。

 そして、それは玉座の傍に立つ大臣が首を横へと振った事で確定される。

 玉座に腰を下ろす者は、サマンオサ国の王族とは何の縁もない者なのだ。

 

「サイモン、お主に命を下す。南の洞窟に赴き、ラーの鏡を破壊して参れ」

 

「なっ!?」

 

 跪くサイモンに掛けられた最初の言葉が、謁見の間を騒然とした空気に包み込む。

 それは、誰しもが予測もしていなかった物であり、誰もが疑惑を持つに等しい物でもあった。

 ラーの鏡とは、サマンオサ国の創始者である国王が、『精霊ルビス』より授かったと伝えられる二対の宝物の一つ。

 真実を映し出し、その全てを変える力を持つと謳われる程の力を有した鏡。

 それは今、サマンオサの南に位置する場所にある洞窟内の祭壇に祀られ、ラーの鏡自体が造り出す結界によって護られている。

 サマンオサ王族でなければその結界は破れないとも、『精霊ルビス』の加護を持たぬ者には触れる事が出来ない物とも云われていた。

 そのような神代の宝具の破壊を命じるという事自体、国王の言質を疑うに値する物であったのだ。

 

「し、しかし……」

 

「余の命が聞けぬのか!? 命に背くとあれば、死罪を申し渡す!」

 

 その瞬間、謁見の間は大きなどよめきに満たされた。

 国家の英雄であるサイモンに死罪を申し付けるなど、今までの国王では考えられぬ物であったのだ。

 サイモンは、一家臣でありながらも、国王に重用されていた経緯がある。それを妬む者も少なくはなかったが、それでも国家を守護する英雄であるからこそ、その権利は認められていたのだ。

 だが、この国王の命は、立ち並ぶ様々な重臣達の胸の奥に眠っていた暗い感情をも浮かび上がらせてしまう。嫉妬や憎悪のような暗い感情は、死罪を言い渡されて驚きを露にするサイモンの姿に笑みを溢すという、醜い表情を生み出す。それは、一人や二人という数ではなかった。

 

「国王様、お待ちください。未だにサイモンは命に背く様な事は申しておりません。サイモン、国王様の命である。速やかに遂行せよ!」

 

「は、はっ!」

 

 奇妙な空気が渦巻く謁見の間で、助け舟を出したのは、筆頭大臣であった。

 即座に、命を復唱する事で、もう一度サイモンに返答をする機会を与えたのだ。それを理解したサイモンは、言葉に詰まりながらも、深々と頭を下げる。

 そんなサイモンの姿を見た国王の姿を模した者は、不愉快そうに鼻を鳴らし、踵を返して謁見の間を出て、王宮へと入って行った。

 国王が消えた謁見の間から、また一人、また一人と重臣達が消え、最後に筆頭大臣とサイモンだけが残る事となる。

 

「サイモン、アンデル様は外へお逃がしした。早急に庭に出て、アンデル様を保護してくれ」

 

「大臣様、あの者は何者なのでしょうか?」

 

 王弟アンデルの無事を聞いたサイモンは、一度大きな溜息を吐き出し、再び大臣を見上げる。そんなサイモンの視線を受けた大臣は、静かに首を横へと振った。

 何者かは解らないが、あの国王の右手に握られていた物は、見間違う事無く変化の杖その物である。重臣達は誰一人として気付いていないが、一度見た事のある二人には、瞬時にその正体を看破出来たのだ。

 

「解らぬ。だが、あの禍々しい雰囲気は、並大抵の物ではあるまい。強く心を律しなければ、あの空気に飲み込まれてしまうようであった」

 

「あの者……恥ずかしながら、私でも敵う相手であるかどうか……」

 

 サマンオサ国の英雄であり、世界的にもその名を轟かす程の男が、そのような弱気な事を口にした事に、大臣は驚きを露にした。

 しかし、歴戦の勇士であるサイモンが相手の力量を測り間違う訳はないと考え、大臣は気を落ち着かせると共に厳しい視線をサイモンへと送る。

 

「変化の杖を奪われている今、あの者をどうにかする事は難しい。まずはアンデル様を安全な所へお連れするのが先だ」

 

「はっ」

 

 大臣の言葉は尤もであり、サイモンにも反論する余地はなかった。

 変化の杖で姿を変えられてしまえば、時間の経過を待つ以外にそれを見破る方法はない。国王の死を知っている人間は、大臣とサイモン、そしてアンデルという王弟だけである以上、何を喚いても意味を成さないだろう。

 今やるべき事は、唯一の王族であるアンデルの保護と、その娘である姫の保護に他ならない。

 

「姫の身柄は、私が保護した。娘である姫を害する可能性はないと思うのが、念には念を入れる必要があるだろう。アンデル様の保護場所も、サイモンの自宅では駄目だな……」

 

 娘であるという筈の姫を害すれば、王への疑惑は決定的な物となり、国王の姿形を似せていても、無駄な事になる筈。

 あくまでも可能性の話ではあるが、この大臣は先を読んで手を打っていたのだ。

 そして、肝心の王弟を匿う場所に関しても、考えを巡らせていた。

 今回の謁見で、サイモンは偽国王の勘気に触れてしまっている。余りにも理不尽な物ではあるが、その勘気は彼の家族へも及ぶ可能性があった。

 

「サイモン、まずはそなたの妻と子を、サマンオサ城下町から遠ざけよ。その後、アンデル様のお顔が見えぬように布を掛け、地下牢の入り口まで来るのだ」

 

「ち、地下牢でございますか?」

 

 大臣が矢継ぎ早に捲くし立てる言葉を聞き、サイモンは思考が追い付いて行かなかった。

 自身の家族の移住場所を考えようとする矢先に、今度はアンデルの移動場所を告げたのだ。しかも、それは想像すらしていなかった場所。

 驚きの余り固まってしまったサイモンに眉を顰めた大臣は、叱責のような言葉を投げかけ、即座に対応するように指示を出す。我に返ったサイモンは、そのまま城下町へと飛び出し、家族の移動を始めた。

 

 城下町から少し離れた場所にある農村のような小さな集落へ家族を移動させたサイモンは、城の勝手口傍の茂みに身を隠していたアンデルに布を被せ、薄暗くなり人が少なくなった王城内を移動する。

 城の北側に位置する場所にあるのが、このサマンオサ国にある地下牢への入り口である。湿った空気と不快な臭いに満たされたその場所に初めて足を踏み入れたアンデルは、その先に見えた光景に絶句する。

 朽ち果て、骨に成り果てた者や、未だに苦痛に喘ぐ者。

 その悲惨さは様々であるが、罪を犯した者の末路は、華々しい場所で生きて来たアンデルにとって、その世界観を大きく変えてしまう程の物であった。

 

「お待ちしておりました」

 

 既に門番のような者はおらず、その場所には大臣が控えていた。

 牢獄の鍵を開け、中へと誘われたアンデルは、周囲のおぞましい光景を目にしないよう、固く目を瞑りながら、手を引くサイモンの腕を強く握り締める。

 牢獄など、それ程の広さがある訳ではない筈であるが、アンデルは想像以上の距離を歩かされる事となった。

 その間に、何故か更に下へと続く階段を降りた感覚があったが、アンデルは何も言わずに、ただ引かれるままに、牢獄を歩いて行く。

 

「こ、このような場所が地下牢の中に……」

 

 下へと続く階段のような物を降りた先辺りから、先程まで感じていた不快な臭いや、べたつく様な湿り気を感じなくなり、それについてアンデルが違和感を覚えた頃、隣で手を引いていたサイモンから、驚きの声が上がるのが聞こえた。

 恐る恐る顔を上げたアンデルは、自身の想像以上の物を見上げる事となる。

 それは、地下牢にある筈の無い程の建物。

 正確に言えば建物と呼べる程の物ではないが、壁と扉がある時点で、地下牢にあるべき物ではない事は明白であった。

 

「昔、王族の方が罪を犯した事がありました。反逆のような物ではありませんでしたが、厳格な国王は、その王族を地下牢へ入れるよう命じたそうです。その際に作られたのがこの場所です」

 

 確かに、罪を犯したとはいえ、王族は王族。

 国王に反逆するような重い罪でなければ、蓋をされてしまうのが通常である。

 だが、その時代の国王はそれを許さなかった。

 一般の者と同様に地下牢でその罪を償う事を命じたのだ。

 困惑したのは、家臣たちであろう。如何に罪人とはいえ、高貴な血を継ぐ王族を無碍には出来ない。故に、牢獄内にこのような立派な物を作り上げたのだ。

 

「アンデル様、申し訳ありませんが、この場所で時をお待ち下さい。我々の力で、何とかあの偽国王の正体を明かし、再びアンデル様に玉座をお返し致します」

 

「このサイモンの命に代えましても」

 

 扉を開けて中に入ると、アンデルは再び驚きを露にした。

 中にはベッドのような寝具まであり、とても罪人が過ごす場所ではなかったのだ。しかも、その場所で時を稼ぐ為の食料は支給され、水は地下から湧く綺麗な水を溜める場所さえも存在している。自身の前で跪く二人の寵臣達を見たアンデルは、小さな笑みを浮かべた。

 しかし、それは何処か自嘲気味な空気の漂う物。

 

「偽国王が、新たな偽国王に取って代わられただけだ」

 

 力ない笑みを溢すアンデルを見て、大臣もサイモンも言葉に窮してしまった。

 アンデルは、妾腹の子とはいえ、確かに高貴な血を継いでいる。だが、その血は彼にとって自信となる物ではなく、逆に重荷となっていたのかもしれない。

 それを理解した大臣は、一度深く頭を下げると、静かに扉の外へと出て行き、その後をサイモンを続いた。

 

「今、アンデル様が表に出ても、余計な混乱を招くだけだ。お前は偽国王の命を受け、そのまま南の洞窟へ向かえ。そして、ラーの鏡を破壊するのではなく、ここへ持ち帰るのだ」

 

「はっ……しかし、私のような者が、ラーの鏡に触れる事が出来ますでしょうか?」

 

 大臣の言葉に頭を下げたサイモンであったが、その命には一抹の不安があった。

 それは、神代からの国宝に、下級騎士の家系の自分が触れる事が出来るのかという物。

 高貴な血を受け継ぐ王族ならばまだしも、英雄とはいえ、一家臣に過ぎないサイモンが触れる事が出来る確証などないのだ。

 

「そなたは、ガイアの剣という神代の武器を所持している。それは大地の女神から授かりし物。ならば、『精霊ルビス』様の加護高きラーの鏡にも触れる事は出来るであろう」

 

 大臣が紡ぎ出した推測は、所詮勝手な解釈にしか過ぎない。

 だが、一刻の猶予も許されない状況を考えると、サイモンは、その言葉に頷く他なかった。

 そして二人は別れる。

 大臣は、偽国王の下で情報を集めながら、アンデルの庇護を行い、その間にサイモンはラーの鏡を持ち帰り、決定的な証拠を作り出す。

 だが、彼等は、失念していた。

 正体が解ったとしても、それに抗える力がこのサマンオサに残っているかという可能性を。

 

 

 

 サイモンは、自身の直属の部下達を引き連れて、ラーの鏡を求めて旅立った。

 部下達は、皆精鋭揃い。選りすぐりの者達を従えて向ったサイモンではあったが、予想以上の魔物達との遭遇回数によって、その行軍は遅れに遅れる事となる。

 彼等が南の洞窟に着いた頃には、サマンオサ城下町を出てから十日が経過していた。

 それでも、南の洞窟に入ろうと進んだサイモンは、そこで自分達が罠に陥った事を知るのだ。

 

「サイモン様!」

 

「取り乱すな! 初見の魔物等、一体もおらぬ!」

 

 南の洞窟の入り口付近には、埋め尽くす程の魔物達がサイモン達の到着を待っていた。

 その数は、サイモン達の人数の数倍。

 サイモンの言葉通り、初めて見る魔物は一体もいないが、その数は暴力的なまでの物である。如何に英雄サイモンを有する精鋭達といえども、その数を相手に勝利する事は、万に一つも有り得ないだろう。

 襲い掛かって来た一体をガイアの剣で斬り伏せたサイモンは、剣を抜き放った部下達に大声で命令を下した。

 

「深追いはするな! ルーラを行使出来る者は、詠唱の準備に入れ! 一度サマンオサへ引く!」

 

 目の前で豪快に振るわれたコングの腕を避けたサイモンは、その魔物の胸にガイアの剣を突き刺し、一歩後ろへと下がる。

 命令通り、詠唱の準備に入った数人の部下達を護るように、他の部下達が構えを取っている中、サイモンはゾンビマスターの腕を斬り落とし、そのまま近寄って来たもう一体を袈裟斬りに斬り伏せた。

 

「サイモン様、詠唱を始めます!」

 

「私は、自身のルーラで戻る。ルーラで戻った後、お前達は城下町へ入るな!」

 

 詠唱の準備が終わり、数人に服を掴まれた部下がサイモンに声を掛ける。その声に反応したサイモンは、最後の命を与え、飛び行く魔法力の塊を見上げた。

 その隙をついたコングの腕を盾で受けたサイモンの身体は、洞窟の入り口側へと弾き飛ばされ、体勢を立て直そうとした時、彼の脇腹から、一本の剣が生えて来た。

 洞窟内部から顔を出したアンデッド系のモンスターである骸骨剣士の持つ一本の剣が、後方からサイモンの脇腹を抉ったのだ。

 それでも強引に剣を抜き放ったサイモンは、即座に回復呪文を唱えるが、血が噴き出す状態での詠唱は完全な物ではない。ましてや、サイモンが行使出来る回復呪文は最下級のホイミであるのだから、傷が塞がり切れないという状況に陥った。

 

「な、なぜ……このような場所にアンデッド系が……魔王の魔力の影響がここまで強まっているというのか……?」

 

 アンデッド系の魔物というのは、元々生命の持たぬ者を強制的に蘇らせる物である。元々命の無い物質が魔物化するよりも、現実的には有り得ない物とされていた。

 長い年月と共に、徐々に形を成した魔物とは異なり、元々生命を持っていた肉体や骨格を利用している分、直接的な魔力の影響が必要となるのだ。

 『魔王バラモス』の影響が大きくなって来ている昨今である為、アンデッド系の魔物が出現する事も珍しくはないが、曲がりなりにも『精霊ルビス』の加護のあるラーの鏡が祀られている場所でアンデッド系の魔物が出現する程、サマンオサに瘴気が満ちていた訳ではない。

 腑に落ちない状況に表情を顰めながら、サイモンはホイミの行使を中断し、ルーラの詠唱を始めた。

 

「ルーラ!」

 

 振るわれたコングの拳を間一髪でやり過ごしたサイモンの身体は、魔法力に包まれたまま上空へ浮かび上がり、そのまま北の空へと向かって飛んで行った。

 

 

 

 サマンオサ城下町の入り口付近に戻ったサイモンは、居合わせた部下達によって傷を癒してもらい、その足で王城へと向かって歩き出す。

 その時、後を追うように歩き出した部下達を止めたサイモンは、彼等に次のように語りかけたのだ。

 

「おそらく、私は二度と戻らぬ。であればこそ、この場でお前達に告げておこうと思う」

 

 その言葉は、とても重く響き、尚もサイモンの後を追うと口にしていた部下達の口を閉ざしてしまう。

 誰もがサイモンの瞳だけを見つめ、その言葉だけに耳を傾ける。

 そして、その言葉は、彼等の未来を決定付ける物であった。

 

「必ず、真のサマンオサ国王が立ち上がる。その時、お前達が国王様を支えるのだ。それまでは、南の洞窟にあるラーの鏡を魔物達から護ってくれ」

 

 そして、誓いは成される。

 故郷であるサマンオサの町に入る事も許されなくなった彼等は、その身を魔物として扱われる事になろうとも、その誓いを破る事はなかった。

 サマンオサ城下町付近に出没するデスストーカーの誕生である。

 心を決め、誓いを遂行しようとする尊い志を胸に抱いた者達は、城下町へと入って行くサイモンの姿が人混みに消えて行くまで見つめていた。

 

 その後、城下町へと入ったサイモンは、登城する前に、王弟アンデルの許へと行き、今後の事を話す。

 サマンオサの現状、自分の境遇、サマンオサの未来を語った後、サイモンは涙ながらにアンデルへと言葉を掛けた。

 それは、この後十年近くの時を経て、アンデルの心に残り、再び彼の心に炎を点す言葉となる。

 

「アンデル様というお人そのものが、このサマンオサ国の王として相応しいと、このサイモンは信じております。先日、アンデル様の真のお姿を見て、ようやく先代国王様が信じておられた事が、このサイモンにも理解出来ました。私は、その礎を築く為、先代国王様との誓いを破ります。私の祖国を、この国で暮らす全ての者達の故郷を、お願い致します」

 

 サマンオサ国で英雄と称えられた者からの言葉は、何よりも重くアンデルの胸に沈み込む。

 歪む視界の中、サイモンの言葉を否定し、その行動を制しようとするが、英雄を止める事が出来る者はいないのだ。英雄とは、時として国王でさえ止める事の出来ない決意を宿す者。

 故にこそ、彼等のような者を、畏れ、讃え、『英雄』と称した。

 

 アンデルの許を離れたサイモンは、そのまま王城へと入り、謁見の間に向かう。

 謁見の間に入った時、玉座の周囲には重臣達が揃っていた。

 しかし、その余りに少ない数に、サイモンは疑惑を持つ。玉座の隣に立つ大臣の表情が曇っている事が、その疑惑に拍車をかける事となる。

 玉座の前に立ったサイモンは、跪こうとはしない。それは明確な反旗を意味する行為である事に、謁見の間に居る者達は驚き、一瞬の間、時間が硬直してしまった。

 

「サイモン、ラーの鏡は破壊して来たのか!?」

 

「いえ、大量の魔物に洞窟は囲まれており、中へ入る事さえも出来ませんでした」

 

 跪かないサイモンに対して、国王の姿を模した者の怒声が轟く。

 その声は、確かに先代国王の物である筈だが、その声量は全く異なり、まるで地底より響く音のように、人々の臓腑に恐怖を浸透させていた。

 その声を聞き、身を振るわせる重臣とは異なり、微動だにせずに答えるサイモンは、未だに国王に跪く事はない。その瞳には何かの決意に燃えるような炎が宿っていた。

 

「英雄と謳われた者の実力もその程度であったか!? しかも、命を果たせなかったにも拘らず、余の前で跪きもしないとは、反逆の意志の表れか!?」

 

 その言葉に周囲の兵士達がようやく我に返る。

 大臣やサイモンにはそれが偽国王だという確信があるが、周囲の者からすれば、少し性格は異なるが、姿形は以前の王その物である。故にこそ、王の命令は絶対であり、それに抗うサイモンは、英雄とはいえ反逆者となり得るのだ。

 手に持つ槍を一斉に横に構えた兵士達を見て、焦燥感に駆られたのは大臣であった。

 何とか場を鎮めようと考えるが、彼には頭脳はあっても武力はない。

 それでも国王の暴走を止めようと口を開きかけた彼の視界の端に、英雄サイモンの瞳が映り込む。

 その瞳を見た瞬間、大臣は全てを悟った。

 彼が、あの宣言通り、命に代えてもこの国を護るつもりだという事を。

 

「牢へぶち込んでおけ!」

 

 国王の命が下り、兵士達が動き出す。

 彼等のような一般兵士が何の抵抗もなく王の命に従い、それに対して重臣達が反発の声を上げないという事実が、サイモンが不在にしていたこの十日余りの時間で何があったのかを明確にしていた。

 この十日余りの時間で、既に何人もの人間が牢へ入れられ、処刑されて来たのだろう。今まで、国王と共に国を造って来たと自負する者達の心を追ってしまう程に頻繁に行われた凶行は、謁見の間に控える重臣の数を大幅に減らしていたのだ。

 

「処刑は明日、余自らが行う!」

 

 一般兵士に抑えられたサイモンは苦々しく表情を歪め、謁見の間には恐ろしいまでの静けさが漂う。

 サイモン程の力があれば、この場に居る一般兵士など容易く打ち倒す事は可能であっただろう。それでも、彼は自国の民を傷つける訳にはいかなかった。

 彼等は、この状況を正確に把握しておらず、国王という権力者の命に忠実に動いているのだ。それは、見方を変えれば罪となるが、堅固な国家を維持する為には重要な要素の一つでもある。

 故に、サイモンは、素直に地下牢へと進んで行った。

 

 

 

 その後、処刑は速やかに行われる。

 多くの兵士達に連れられて運ばれたサイモンは、サマンオサ城の北東にある『旅の扉』へ向かい、その場から知らぬ土地へと追放された。

 『旅の扉』近くにある『精霊ルビス』の像は、その際に、国王自ら破壊したとも、乱心したサイモンが破壊したとも云われているが、その真相は定かではない。

 何故なら、『旅の扉』を使って異国の土地へ向かった筈の者達は、国王唯一人を除いて、誰一人戻る事はなかったのだから。

 戻った国王の身体には、無数の傷があり、追放を受け入れる事を拒んだサイモンが国王に刃を向けたとして、国王はサイモンを反逆者として公表する。

 だが、その言葉を信じる者は、サマンオサ国民の誰一人としていなかった。

 それから始まるサマンオサ国の地獄が、それが正しかった事を物語っており、誰しもが英雄サイモンの帰還を待ち望んだ。

 

 交わされた数少ない誓いが実を結び、花を咲かせるその日を。

 

 

 

 

 




読んで頂き、ありがとうございました。

本編の進行が遅くなってしまいますが、これが久慈川式サマンオサです。
私の中でのサマンオサ国王はこのような形でした。

ご意見、ご感想を心よりお待ちしております。

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。