新訳 そして伝説へ・・・   作:久慈川 京

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サマンオサ城②

 

 

 

 謁見の間を出た一行は、前後左右を兵士達に囲まれ、通路を北へ向かって歩いていた。

 周囲を囲む兵士の人数は、一行の倍となる数であり、彼等が如何にカミュ達を警戒しているのかが窺える。実際に、周囲を飲み込んでしまう程の威圧感を放つリーシャが最後尾を歩いているのだから、当然の事なのかもしれない。

 既にメルエはカミュのマントへと潜り込んでおり、サラはここまで遭遇した出来事を考えるように眉を顰めて、黙々と歩いていた。

 つまり、彼等四人の中で、投獄される事を恐れている者など誰一人としていないという事になる。幼い少女は、周囲の大人達の雰囲気を恐れているだけであり、信頼する者達と共にいれば心配がない事を知っているし、リーシャは怒りを覚えていても、カミュがこの理不尽な扱いを黙って受け入れるからには、そこに何らかの理由があるのだと理解しているのだ。

 

「カミュ様、投獄されている人々を早めに解放しなくては……」

 

「解っているが、今は無理だろう」

 

 そして、先程まで黙り込んでいたサラは、この国を取り巻く状況を正確に把握し始めている。それは未だに想像の物であり、確固たる物がある訳ではない。だが、彼女の胸の内に湧き上がる不安と焦りは、決して自分達が受けた処遇に対しての物ではなかった。

 振り向きもせずに、彼女にしか聞こえない程度の声で呟く青年もまた、その事を把握し、現状を掴もうとしているのかもしれない。

 

「黙って歩いてくれ。そうしてくれなければ、国王様に呼ばれる日が早まる事になるぞ」

 

 だが、彼等の会話は、カミュのすぐ横を歩いていた兵士には聞こえていたらしい。注意を促すように開かれた口から発せられた言葉は、カミュとサラを素直に驚かせる物であった。

 その口調は、とても罪人に対する物ではなかったのだ。

 例えどのような理由であれ、国王自らが罪人と認め、投獄を命じたとなれば、それは国敵と言っても過言ではない存在である。そのような相手の身を案じるような言葉を投げかける事自体、兵士としては異例な事であるのだ。

 そんな兵士に対し、軽く頭を下げながら、サラはこの国で起こっている事柄の分析を再び始める。おそらく、先程の踊り子の例を見る限り、兵士などでも納得の出来ない投獄や処刑が繰り返されて来ていたのだろう。積み重なった疑問は、時を重ねて不安となり、更に時を重ねて不満となって行く。

 

「またか……」

 

「ああ……他国からの使者を兼ねての方々のようだ。この時代に他国からここへ来た者達までも投獄されるとは、この国も……」

 

「それ以上は言うな。何処に耳があるか解らない」

 

 サラが思考の海へ潜っている間に、一行は、城内の北部にある階段を下りていた。

 階段を降りる直前に、城内の北側にある庭園に座る若い女性が、哀しみを湛えた瞳で自分達を見ている姿をリーシャは視界の端で捉えている。歳の頃は、ジパングの国主となったイヨとそう変わらない年頃の娘であろう。牢へ向かう一行がその者と会話できる訳もなかったが、何故だがリーシャの頭の片隅に、その少女の姿は残って行った。

 階段を降りた先には、牢への門を護る門番がおり、その者へ一行を引き渡す間に、兵士達との会話が聞こえて来る。毎日、何人もの人間が投獄される為に、この門を潜っているのだろう。辟易した様子で溜息を吐き出す門番に、声をかける兵士の言葉もまた、一国の兵の発する内容ではなかった。

 

「昨夜も何人か連れ出されたからな……牢の空きはあるが……牢の空きが無くなるよりも、国民の姿が町から無くなる方が早いのかもしれない」

 

 言葉を制された兵士の姿を見た門番は、もう一度深い溜息を吐き出し、苦しそうに表情を歪めながら言葉を吐き出した。

 カミュ達は黙して何も語らない。だが、耳だけはその言葉をしっかりと捉えていた。その証拠に、門番の言葉に驚いたサラの顔は弾かれたように上がり、前に居るカミュの横顔へと向けられる。視線を向けられた青年は、その視線に気付きながらも身動きはせず、眉を顰めるだけであったが、その言葉の中にある真意を探ろうと思考を巡らせている事は確かであった。

 

「こっちだ……」

 

 一行を連行して来た兵士達は、カミュ達が暴れない事を確認し、階段を上って行く。門番は、牢屋へと続く扉の鍵を開け、中へ入るように促した。

 ここまで来た以上、一行に逆らう気はない。もし、リーシャやカミュが本気になって抗えば、この場から逃亡する事は容易な事であろう。正確に言えば、このサマンオサという国家を滅ぼす事さえも可能なのだ。

 だが、先程まで怒りの炎を瞳に宿していたリーシャでさえ、今は落ち着きを取り戻し、無言で牢獄へと入って行く。

 

「メルエ、マントの中から出ては駄目ですよ」

 

「…………むぅ…………」

 

 周囲の雰囲気が変わった事を察したメルエが、カミュのマントから顔を出そうとするのを見ていたサラが抑えた。

 牢獄という名に相応しいその場所は、薄暗く湿っぽい。壁は整備されておらず、土壁のまま。囚人達の体臭なのか、汗と垢の臭いは、鼻が歪む程に強烈に牢獄内に充満していた。

 腐乱死体の魔物達と戦闘を重ねて来た一行ににとっては、顔を顰める程度の物ではあるが、案内する門兵は、何度か嘔吐くように咳き込みを見せている。

 自分の行動を止められた事と、その臭いに顔を顰めたメルエは、再びカミュのマントの中へと潜り込んで行った。

 

「ここに入れ」

 

 門兵は、一つの大部屋のような牢の鍵を開け、その中に入るように促す。人が五、六人は入る事が出来る程の大きさを持つ牢獄には、草を編んだような敷物が敷かれているが、他に何も無い。

 糞尿の匂いのこびり付いた壁の反対側で固まった一行は、その場に座る事無く、牢の扉を閉め、門兵が鍵を掛ける姿を黙って眺めていた。

 牢の鍵を掛けた門兵は、そのまま元の道を戻って行く。門兵の姿が見えなくなってから、リーシャがようやくその口を開いて行った。

 

「所持品を没収もせずに投獄など、聞いた事もないな」

 

「そのような気力さえもないのかもしれませんね」

 

 確かに、一行の腰や背中には、各々の武器が装備されたままである。一行が逆らう素振りを見せなかった為なのか、サラの言う通り、囚人の持ち物を取り上げる気力さえもなかった為なのかは解らない。

 ただ、この時点で所持品を没収されていない事は、彼等にとって幸いであった。

 もし、所持品の没収を要求され、力尽くでも奪おうとしていたのならば、彼等は凄まじいまでの抵抗を見せたかもしれない。それこそ、幼いメルエへ手を伸ばそうものなら、その者の腕は、カミュとリーシャによって細切れに斬り飛ばされていただろう。

 

「夜になり、鎮まるまで待つ」

 

「わかった」

 

 新たな囚人が投獄された事によって、牢獄内はざわめきを見せていた。

 それは、先程に門兵が語っていた内容が起因しているのだろう。

 新たに連行されて来た囚人は、この場所から誰かが連れ出される事を意味しているのだ。それは、処刑の為なのか、追放される為なのかは解らない。だが、その者達が二度と帰って来ないという事実は、この牢獄内で確実な物として認識されていた。

 次に処刑されるのは自分かもしれないという想いが、この牢獄に連行された者達に蔓延し、それは不安から恐怖へと変化して行く。恐怖のあまり叫び出す者や、泣き出す者など様々ではあるが、牢獄は喧騒に包まれて行った。

 

 

 

 結果的に、牢獄内の喧騒が鎮まるまでには、かなりの時間を要した。

 既に、一行が投獄されてから半日ばかりの時間が経過した頃に、ようやく牢獄内に落ち着いた空気が流れ始め、所々では鼾のような音まで響いている。

 もしかすると、新たな者達が投獄されてから、これ程の時間が経っても誰かが連れ出されないという事はなかったのかもしれない。誰も連行される事無く、夜を迎えたという事実に安堵した囚人達は、それぞれの時間を過ごし始めていたのだ。

 

「メルエ」

 

「…………ん…………」

 

 周囲の状況を把握したカミュは、マントの中に居る少女へと手を伸ばす。その言葉を受け取ったメルエは、肩から下げたポシェットに手を入れ、小さな鍵を取り出した。

 <最後のカギ>と呼ばれる神代の神秘は、どのような鍵でも開ける事が出来る。この世に開かない鍵はないと云われる程の鍵が、国家の牢獄の鍵程度を開く事が出来ない訳がなかった。

 格子状になっている牢屋から手を伸ばし、鍵穴に<最後のカギ>を差し込んだカミュは、静かにその手を捻る。

 

「出るぞ」

 

 乾いた音を立てて外された鍵は、重い格子状の扉を開かせた。

 一行の周囲の牢屋に囚人がいなかったという事も幸いし、騒がれる事無く、カミュ達は牢屋の外へと出て行く。薄暗い牢屋の中には、呻き声や鳴き声が静かに響き、この場所に投獄されている者達が、罪を自覚している訳ではない事を物語っていた。

 彼等は一様に、己の身を嘆き、その境遇に絶望しているのだろう。つまり、自身が投獄される事や、処刑される事に納得している訳ではないのだ。

 罪を罪として認めていない訳ではない。彼等は、何故、自分が投獄され、処刑されるのかを理解出来てはいないのだ。

 

「アンタ達はこんな所で何をしているんだ? 早くこのような場所から出て行った方が良い。このような場所を歩いている事が知られれば、牢屋に入れられ、処刑されてしまうぞ?」

 

 牢屋の入口に戻り、門兵を打ち倒して外へ出る事は出来ない為、一行は牢獄の奥へと進んで行った。

 左右に分かれるようにして作られている牢屋は、一行が入れられていた牢屋よりも小振りで、一人用の物が多い。ほとんどの牢屋には、人が収容されており、その者達の姿が朽ち果てていない事もまた、収容期間が短い事を意味していた。

 そんな中の一室を通り過ぎようとした時、不意にカミュ達に声をかける者がいた。

 格子越しに一行を発見した男性は、驚きに満ちた瞳を向けている。実際、投獄されている者以外でこの場所に居る事の出来る者は、看守を兼任している門兵ぐらいな物だろう。だが、そんな中で異様な組み合わせの男女四人が歩いていれば、誰であろうと驚くという物である。

 

「俺も、ここに来てから十日程になる。その間に連行された者は帰って来ていない。投獄されたが最後、処刑されるまでの期間は短い。アンタ方も見つからない内に早くここを出て行くんだ」

 

 鉄格子越しに小声で話す男性の姿は、衣服が破れたりはしていないが、随分くたびれた物になっている。瞳も虚ろで、顔は無精鬚に覆われていた。

 真剣に一行の身を案じている姿を見て、不思議に思うカミュ達ではあったが、これが現在のサマンオサ国の実態だと思うと、何ともやりきれない気持ちになってしまう。

 通常であれば、牢の外を歩いている人間を脱獄した者と考えて、自分も出して欲しいと懇願する物なのだが、そういう考えに至らない程に、彼等の精神は病んでしまっているのかもしれない。

 

「貴方は、どのような罪でこの牢獄へ?」

 

 だからかもしれない。何時もならば素通りする筈の牢屋の前で足を止めたカミュは、格子の向こう側に居る男性に向かって語りかけた。

 その姿にリーシャは驚くが、サラは同じ様な疑問を感じていたのか、カミュの横に移動し、男性の話に耳を傾ける。疑問が返って来るとは思っていなかった男性は、一瞬の間、呆けたような表情を作った後、その境遇を語り始めた。

 

「俺は、サマンオサの城下町で細々と店を開いていた。そんな時、この国に伝わると云われている伝承を耳にしたんだ」

 

「伝承ですか?」

 

 既に立っている事自体が苦しかったのか、男は鉄格子の傍に座り込み、地面に視線を落としながら口を開く。

 その内容は、カミュ達一行がここまで旅するに際し、必要不可欠であった情報と呼ぶ宝の匂いのする物だった。

 伝承とは、『人』から『人』を渡り歩く情報であり、信憑性の有無という問題はあれど、貴重な物である事は確かである。故に、サラは先を促すように、男性へと声を掛けたのだ。

 

「ああ……このサマンオサ城下町の南方にある<南の洞窟>に、真実を映し出す『ラーの鏡』という物があるという伝承だ。何でも、このサマンオサ国の国宝であったと伝えられているらしい」

 

「ラーの鏡ですか……」

 

「……真実を映し出す鏡……?」

 

 男性が話す内容は、カミュもサラも初めて聞く物だった。

 真実を映し出す鏡というのは、権力者にとっては恐怖の対象にもあり得る物である。その『真実』という言葉に、どのような意味が込められているのかは解らないが、心の内や、その者の本性等を映し出す物であるとすれば、それは自我を持つ者にとっては恐怖であろう。

 だが、カミュとサラが最も引っ掛かりを覚えたのは、それがサマンオサの国宝であったという伝承である。真実を映し出す鏡という存在を国宝とする国家が、このような状況に陥っているという事自体が不思議なのだ。

 そして、何故、国宝ともされていた物が、王城にではなく、南の洞窟などに保管されているのかが理解出来ない。

 それが、果たして保管されているのか、それとも封印されているのかさえも。

 

「この話を他人に話した途端、俺は投獄されてしまった。何が何やら、訳が解らない。どんな罪で裁かれるかも解らずに死んで行かなければならないなんて……」

 

 鉄格子を掴んでいた男性の手は、力なく地面へと落ちて行く。

 一行は、その姿を悲痛の表情で見つめる事しか出来なかった。

 いつの間にかマントから出ていたメルエだけは、会話の内容に興味を示しておらず、良く解らない雰囲気になってしまった三人を見上げ、小首を傾げていたが、何かに気が付いたようにポシェットへと手を差し込んだ。だが、その小さな腕は、隣に移動していたリーシャの手によって止められる。

 不思議そうに見上げるメルエに向かって静かに振られた首が、その行動が駄目な事であるという意思表示となり、メルエは静かに眉を下げた。

 もはや、絶望に沈んでしまった者を残して歩き出したカミュに驚いたのは、やはりサラである。リーシャに手を引かれたメルエが振り向くと、歩き出した三人と牢屋で崩れる男性を見比べていたサラが、ようやく我に返り、カミュを追って走って来た。

 

「カミュ様、何故ここから出して差し上げないのですか?」

 

 リーシャとメルエを追い抜き、カミュの横へと移動したサラは、意識的に潜めた声で疑問を投げかける。声こそ小さくはあるが、その語調は厳しく、それがサラの感情を明確に示していた。この時点で、この牢獄に来るまでに思考していた物は、全て吹き飛んでいる。サラの中で、サマンオサという国に渦巻いている何かへ思考を巡らすよりも、今目の前で苦しむ者達への想いが勝ってしまっていたのだ。

 対するカミュは、サラを一瞥すると、何も語る事無く、奥へと進んで行く。そのカミュの姿に、一瞬眉を顰めたサラであったが、これ以上はここで問答出来ないのだと理解し、黙って歩き始めた。

 彼女は、こうなったカミュが理由を語らないのは、この場所では語れないという意思表示である事を理解していたのだ。それは、何度となく彼とぶつかり合って来たサラだからこその物なのかもしれない。

 

「あ、貴女は……」

 

 一度顔を落とした後、再び厳しい表情に戻ったサラは、左側に見える牢屋の中で泣き崩れている人間を見て、思わず声を上げてしまう。

 牢屋の隅に投げ出され、そこから動く事も出来ずに泣き崩れている人物は、先程一行が見た踊り子であった。

 踊る事が出来なくなり、それを叱責された彼女は、国王の命によって、この牢屋へと入れられたのだ。立つ事も動く事も出来ない彼女は、兵士に担ぎ上げられ、この牢屋に投げ出されたのだろう。

 足に履いた踊り子の靴の先は、どす黒い血液が付着し、未だに痙攣している足は、肉離れでも起こしているのかもしれない。

 

「メルエ、鍵を」

 

「…………むぅ…………」

 

 その女性の姿を見たサラは、即座に振り返り、リーシャの手を握っている少女へと手を伸ばす。だが、その言葉を受けた少女は、眉を下げたまま、小さな唸りを発するのだった。

 メルエにとって、サラは師であり姉でもある。だが、カミュやリーシャと比べると、その言葉の強制力は低いのだろう。魔法の事となれば、サラ以上に信頼している人間はいないだろうし、彼女が発する『大丈夫』という言葉は、幼い少女の中で絶対的な強さを誇る言葉に違いはない。

 それでも、先程リーシャによって止められた行動をサラに依頼されるとなると、優先されるのは、制止したリーシャの行動の方なのかもしれない。

 故に、眉を下げたメルエは、何かを窺うように、カミュとリーシャを見上げるのだった。

 

「カミュ様がどうお考えなのかは解りません。ですが、彼女を放っておけば、その傷によって命を落としてしまうかもしれない。私は、それを許容する事は出来ません」

 

 メルエの視線を理解したサラは、顔を上げ、このパーティーを導く青年と瞳をぶつけ合う。その瞳は、燃えるような何かを宿してはいるが、何処か儚い。

 カミュは、その瞳を見て、小さな溜息を吐き出した。

 サラという人物を三年以上もの間見て来た彼にとって、この状況の彼女が好ましい物ではない事を理解している。常に何かを考え、何かに悩み、何かに涙する彼女は、感情の起伏が激しい。それは、相手への感情移入の多さが物語っているだろう。

 そんな彼女だからこそ、『人』だけではなく、『エルフ』や『魔物』の立場から物事を見るか事も出来るのであろうし、『賢者』として成り立っているのだ。

 目の前の事に懸命になる事は悪い事ではない。

 だが、彼女がもう一段上へと成長するには、その感情を制御し、常に広い視野を持つ事が必要なのかもしれない。

 それは、まだ先の話。

 

「……メルエ……」

 

「…………ん…………」

 

 メルエの視線に気が付いたリーシャがカミュを見つめ、頷きを返した彼が少女の名を呼ぶと、その小さな手をポシェットに入れ、小さな鍵を取り出す。その鍵を受け取ったサラは、開錠した後に牢屋へと入って行った。

 その後をリーシャとメルエが続き、軽い溜息を吐き出したカミュが続いて行く。

 牢屋の中は、他の牢屋と同様に、汗と垢や糞尿の匂いに満ちており、メルエは瞬時に顔を顰めた。

 だが、<くさった死体>と遭遇した時程ではないのだろう。顔を顰めるだけで、黙ってサラの後を付いて行く。

 

「大丈夫ですか?」

 

「……貴女方は……」

 

 牢屋の外から見る程、彼女は乱雑に扱われている訳ではなかった。

 彼女が横になっている付近には、真新しい枯草が敷かれており、動かす事の出来ない彼女の足は、重ならぬように静かに横たわっている。ここへ連れて来る際に、兵士達が用意したのかもしれない。それは彼女が女性という理由だけではない事が、ここまでの間で交わされていた兵士達の会話で推測が出来た。

 牢に入れられている囚人達は、全員がみすぼらしい恰好をしており、垢と埃に塗れてはいるが、痩せこけている訳ではない。餓死寸前のような者は誰一人としておらず、皆が皆、気力は失っていても、体力を失ってはいなかったのだ。

 

「今、治療をします。少し痛いかもしれませんが、我慢して下さい」

 

「ぐっ……」

 

 カミュ達を怯えるような瞳で見上げる彼女は、言葉と同時に自分の足に手を掛けたサラの行動に苦悶の声を上げる。

 骨が折れている訳ではないのだろうが、彼女の爪先の肉は削げ落ちているのかもしれない。踊り子の靴へサラが手を掛けると、その苦悶の声は悲痛な物へと変わり、大きな悲鳴へ変化した。

 このような牢屋で、大きな叫び声が上がれば、即座に看守が来るのだろうが、このサマンオサでは対して珍しくもない事なのか、誰かがこの牢屋へ近付いて来る様子はない。踊り子の悲鳴を聞き、表情を歪めていたサラであったが、心を鬼にして踊り子の足から靴を引き剥がした。

 

「きゃぁぁぁぁ!」

 

 先程以上の叫び声を上げた踊り子は、サラの肩に爪を喰い込ませ、『人』の握力とは思えない程の力で、その肉を抉って行く。<魔法の法衣>越しでも血が滲む程の力で握られても、表情一つ変えずに靴を引き剥がしたサラであったが、その足の惨状を見て、悔しそうに唇を噛み締めた。

 血液が固まり、靴と同化していた足は、引き剥がす事によって肉諸共に失ってしまっている。骨の見えた爪先は、『人』の身体とは思えない程の色に染まっており、それが本来の機能を取り戻す事が出来るかどうかも怪しい物であったのだ。

 

「ベホイミ!」

 

 それでも、サラは自身が持つ最高の回復呪文を唱え、その足先を癒して行く。

 淡い緑色の光が踊り子の足を包み込み、骨の周囲の肉や皮を再生して行き、どす黒く変色した足の色も戻して行った。

 一度の詠唱では治療し切れないのか、サラは間髪を入れずに再度<ベホイミ>を詠唱する。傷の修復と共に痛みも薄れて行く状況を見ていた踊り子は、失いそうになる意識を必死に抑え、修復される自分の足を見つめていた。

 

「すぐには歩けないかもしれませんが、無理をしてでも少しずつ歩いて下さい。必ず、歩けるようにはなります。ただ……以前のように、踊る事は出来ないかもしれません……」

 

「……歩けるようにさえなれるのであれば、そのような事は些細な事です。ありがとうございます……ありがとうございます」

 

 痛みも消え、元通りの形状へと戻った足に手を当てながら、踊り子は先程までとは異なる涙を流し続ける。既に、痛みの感覚さえも失い始めていた足そのものを失う覚悟をしていたのだろう。流す涙は、溢れる程の喜びに満ちていた。

 嬉しそうに微笑む踊り子を見ていたメルエもまた、小さな笑みを漏らし、その笑顔を齎した姉のような存在を誇らしく見つめている。

 しかし、そんな踊り子の喜びの表情も、すぐに沈痛な物へと変化して行った。

 

「私は、旅の踊り子でした。旅の途中で船が魔物に襲われ、このサマンオサに辿り着いたのですが……私はこのような牢屋で一生を終えるのですね……まるで、この国の英雄であるサイモン殿のように……」

 

「サイモン殿だと!?」

 

 暗い面持ちで地面を見つめていた踊り子が洩らした言葉は、一行にとって予想外の物であった。

 サマンオサの英雄であったサイモンという男の行方は、実の息子でさえも知らない程の極秘の情報なのだ。

 もしかすると、この情報を持っていたからこそ、彼女はあの場所で永遠と踊らされ、遂にはここへ投獄されてしまったのかもしれない。英雄サイモンという人物は、それ程の価値のある人物なのだ。

 

「はい……遙かロマリアの北東の湖にある、『祠の牢獄』にサイモン殿は囚われたと聞きます。旅の商人などの話ですので、信憑性はありませんが……」

 

「お、お前達、ここで何を……何故、牢屋が開いているのだ……?」

 

 踊り子がリーシャの問いかけに答えている途中で、突如後方から掛った声がそれを遮った。

 気配には気付いていたが、どうする事も出来ない以上、ここで何とかするしかないと考えていたカミュは、何時でも背中の剣を抜けるように体制を整えている。だが、サラは驚いた表情で、牢屋の外で同じように唖然としている門兵を見つめるだけであった。

 門兵は手に、<薬草>と思しき物を数多く持ち、それを磨り潰す為の道具と、それを含む為の薄い布が持たれている。おそらく、この踊り子の足を治療しようと考えていたのだろう。

 本来、サラが行使したような回復呪文は、教会に属する『僧侶』でなければ唱える事は出来ない。一介の兵士に行使出来る物ではないのだ。

 兵士であれば、国家の者として、教会で治療を受ける事が出来るが、踊り子のような囚人は、それを受ける事が叶わない為、<薬草>のような物に頼るしかなかった。

 だが、<薬草>のような物は、小さな傷などを修復する事は出来るが、深手を復元する事は出来ない。それを理解していて尚、この門兵は踊り子の足の治療の為に、この道具を持って来ていたのだ。

 

「そうか……私は夢を見ているのだな……牢の鍵を閉め忘れてしまっていた夢だ。目が覚めたら、鍵を掛けに行かなければな……」

 

 暫しの緊迫した時間が流れ、見つめ合っていた一行と門兵だったが、不意に小さな溜息を吐き出した門兵は、軽く頭を掻いた後、牢屋に背を向けた。

 独り言のように呟かれた言葉が、一行の行動を咎める物ではない事に全員が驚きを表し、サラに至っては、小さな笑みまで浮かべてしまう。もしかすると、この門兵は、囚人達の世話をしていたのかもしれない。男性であろうと、女性であろうと、その罪が理不尽な物であると感じれば、彼の中の信念の元、その囚人達の世話を行っていたのだろう。

 

「ありがとうございました」

 

「……きっと、私は眠っている。だから、これは寝言だ……」

 

 牢の外へ頭を下げ、感謝の言葉を口にしたサラの言葉に返答する事もなく、門兵は呟きを続ける。

 一行に背を向けたまま語るという行為が、彼の中で譲れない部分を示している。どれ程に今の国家情勢に不満を持っていても、どれ程に国家の先行きを不安視していても、彼はサマンオサ国に仕える兵士であり、この国を支える者の一人であるのだ。

 

「処刑される者は、二週間程の間隔で連行されて行く。昨日、処刑の為に三人の囚人が連行された為、暫くはないだろう。私はこの牢獄から動けぬが、噂によれば、この地下牢には、抜け穴があるそうだ……」

 

 振り返りもせず、独り言のように呟いた門兵は、そのまま牢獄の入口の方へと歩いて行く。その背を追いかける訳にも行かず、声を掛ける事も出来ない一行は、静かにその背に頭を下げた。

 牢獄という場所に抜け道があるという事も不思議な物ではあるが、囚人達は常に牢屋の中に入れられ、国家の作り出した鍵によって施錠されている為、その抜け道へと向かう事も出来ない事を考えると、それ程危険な物でもないのかもしれない。

 

「さあ、少し辛いでしょうが、一緒に行きましょう?」

 

 門兵の姿が見えなくなると、サラは足に手を当てている踊り子に向かって口を開く。それは、この場所から共に脱け出そうという誘いであり、サラにとっては当然の申し出でもあった。

 

「いえ……私は行けません……私がここを出てしまえば、あの兵士の方や、この王城に仕える数多くの方々が責めを負います。このサマンオサに漂流した私を優しく受け入れてくれた方々です。ご迷惑をお掛けする訳にはいきません」

 

「えっ……?」

 

 だが、サラの申し出は、踊り子の口によって即座に拒絶される。

 それは、とても強い信念に基づいた物なのだろう。

 自身の命さえも危うい状況で、それでも他者を慮れる精神というのは、育てようと思って育てられる物ではない。彼女の中で培われて来た感謝の念は、恩義となって育っていたのだ。

 『人』は、数多くの喜びは素早く忘れ、数少ない怒りや憎しみは心の奥底にしまい込んで温める。だが、それ以上に、心の奥底に刻みつけられた感謝の念は、『人』の根本をも変えてしまう程の力を有する事もあるのだ。

 

 確固たる瞳を向けた踊り子の言葉にサラは息を飲み、後方でその状況を見ていたカミュへ振り返ってしまう。そして、彼と瞳が合った時、彼女は全てを悟ったのだった。

 <ラーの鏡>という国宝の情報をくれた男性を見たサラは、カミュに対して、『何故出してあげないのか』と問いかけている。

 <最後のカギ>という神代の道具を使えば、ここに居る囚人の全てを開放する事が出来るのだ。

 サラは、全く口を開く事無く歩くカミュを見て、ここでは話せない内容だとは理解していたが、囚人達の心と、この国を憂いている者達の心までを考慮に入れていなかったのだ。

 

「貴女方は、どうぞお行きになってください。ここを出る時、再び自分の足で立つ事が出来るだけで、私は満足です。本当にありがとうございました」

 

 幸の薄い、それでいて慈愛に満ちた笑みを向ける踊り子の顔を見たサラは、不覚にも涙を流してしまう。それはリーシャも同様であったようで、まるでその暖かな瞳を避けるかのように逸らした顔は、小刻みに震えていた。

 カミュは知っていたのだろう。

 自分達が囚人達を逃がせば、その罪を問われた兵士達が、同じような咎を受ける事になるという事を。

 囚人達を救い出す事は簡単な事である。だが、一介の旅人である彼等が、サマンオサという大国を相手にする事は出来ないのだ。

 それが、『人』の造り、『人』が護りし国家ならば。

 

「……行くぞ……」

 

 無念の涙を流すサラに、何度も礼を述べる踊り子の瞳も濡れている。それでも、この場所に居続ける事の出来ない以上、誰かが冷酷な決断を下す他ない。

 そして、それは、常に背負い続けて来た青年の役目であった。

 冷酷な決断を下した青年の胸に、何の感情もないと考える程、リーシャやサラと、この青年の絆は浅い物ではない。非情とも思える言葉を吐く事しか出来ない己を責めているように、彼の表情はなくなっているのだ。

 能面のように冷たい表情を浮かべる彼が、これから何をするのかは解らない。だが、その先で待っている物が、希望の光である事を疑う者は、彼と共に歩んで来た三人の中には誰一人としていなかった。

 

 踊り子のいる牢に再び鍵をかけ、カミュ達はその場を後にする。

 小さく手を振るメルエに向けて、笑顔で手を振る踊り子の姿が、リーシャとサラの胸に哀しみを突き刺して行った。

 牢屋はその先も数多くあったが、その中に居る者達は、身体こそ健康であるのかもしれないが、精神が病んでいる者も多い。次に目を覚ました時が、この世との別れの日になるかもしれないと怯えながら生きているのだ。それは、徐々に心を壊して行く程の威力を持っているのかもしれない。

 

「ここよりも更に下の地下牢があるのでしょうか?」

 

 牢屋の集まる場所を抜けて歩き続けると、一行の目の前に下へ続く階段が見えて来た。

 既にこの場所が地下牢と言っても過言ではない場所であるだけに、更に地下に造られた牢獄がある可能性に、サラは驚く事となる。この牢獄の壁自体、土壁のような物であり、ここよりも地下に穴を掘る必要がある程の囚人達が居たと考えられるからであった。

 

「牢獄の数が限られているな……」

 

 下の階に降りると、その場所は細い通路になっており、更に先へ進むと、突き当たりに面して二つの牢獄が存在していた。

 いや、正確に言えば、牢屋とは言えないのかもしれない。

 突き当たりにぶつかり、右に折れた方にある物は、間違いなく牢屋である。鉄格子によって囲われ、床は土の空間は、誰がどう見ても牢屋であろう。

 だが、もう一方は、全く異なった様相をしていたのだ。

 

「牢屋というよりは……部屋のようですね……」

 

「カミュ、何故、このような場所に部屋があるんだ?」

 

「……解る訳がないだろう……」

 

 牢屋側ではなく、部屋のような場所の前に立った一行は、それぞれの感想を口にする。部屋というのは、言い得て妙であり、鉄格子のような物ではなく、しっかりした土壁によって中を隠していた。

 土壁も、ただ土を盛った物ではなく、土を捏ね、しっかりとした土台の上に作られた物である。そして、何よりも驚くのは、その壁に設置された扉の存在であろう。

まるで一戸の家屋のような佇まいに、一行は呆然と立ち尽くしてしまったのだ。

 

「…………ん…………」

 

「ああ……行くぞ……」

 

 呆然と扉を見つめる三人に業を煮やしたメルエが、肩から下げたポシャットに手を入れ、鍵を取り出した事で、時は再び動き出す。

 気を取り直したカミュは、鍵を受け取り、その扉の鍵穴に差し込んだ。

 乾いた音を立てて開錠された扉を開けて中へと入った時、三人は再び驚きで目を丸くする事となる。再び固まってしまった三人に、幼い少女が頬を膨らませる中、サマンオサ国は大きなうねりを見せ始めていた。

 

「誰か来ておるのか?」

 

 その場所は、外見通り、家屋に近い物であった。

 中には、机や椅子が置かれており、仕切りのような物で遮られた向こう側には、ベッドのような寝具までも用意されている。とても牢獄の中にあるとは思えないその場所で、一行は信じられない人物に出会う事になるのだった。

 

「貴方は?」

 

「無礼者、余が誰かと問うておるのだ。その方らが答えるのが筋であろう」

 

 仕切りに遮られた寝室の方から出て来た男性の姿に、カミュは思わず問いかけてしまうのだが、その言葉は予想外の言葉で遮られる。尊大不遜な物言いに驚いたサラは、先程よりも目を見開き、見た事もない男性を見上げていた。

 確かに、質問に質問で返す事は、問いかけて来た者に対して無礼な行為ではある。そして、この男性が口にしている内容も至極尤もな内容でもあった。

 カミュは静かに頭を下げ、目の前の人物に対して謝罪を述べる。その謝罪を受け入れるように一つ頷いた男性は、その瞳を後方に居る三人の女性へと向けたのだった。

 何故か、その視線を受けた途端、リーシャは居た堪れない気持ちになり、思わず頭を下げてしまう。それはサラも同様であった。

 不思議そうに皆を見上げるメルエが小さく頭を下げた事で、ようやく満足そうに頷いた男性は、再びカミュへと視線を移す。

 

「アリアハンから参りましたカミュと申します」

 

「アリアハンから? そうか……長旅、大義であった。他国からの来訪者を、このような場所でしか迎える事が出来ない事を、このサマンオサの王として、申し訳なく思う」

 

「えっ!?」

 

 カミュは、もう一度頭を下げた後、自身の素性を語るのだが、それに対する男性の答えは、サラの想像の遙か斜め上を行っている物であった。

 この男性は、よりにもよって『サマンオサ国王』と名乗ったのだ。

 それは、冗談や酔狂で口にして良い類の物ではない。

 ルビス教という物が浸透しているこの世界では、王族というのは選ばれた人種である。その名を騙る事は、王族に対する不敬ばかりか、『精霊ルビス』という絶対の存在に対する侮辱でもあった。

 故に、サラは冷静さを取り戻すと共に、頭に血が上ってしまう。

 

「何をおっしゃられているのですか!? 国王様の名を騙るなど、許されざる行為ですよ!? 国王様には、私達も先程ご拝謁致しました。そのお顔も覚えていますよ」

 

「……そうか……その方らは、『あれ』を見ているのだな?」

 

 今、一行の前に立つ男性は、先程サラ達が拝謁した国王とは異なる顔をしていた。

 似ていないとは言わない。

 だが、目元や鼻筋に面影はあれど、顔全体を見れば、それは全くの別人の物。それにも拘らず、『サマンオサ国王』と名乗るこの男性に、サラは憤りを感じていたのだ。

 そんなサラの直接的な怒りを受けて尚、この男性は尊大な態度を崩す事はなく、小さな呟きを洩らす。

 しかし、その漏らした言葉の中で、サマンオサ国王を『あれ』と称する態度に、サラは先程以上の怒りを感じてしまった。

 

「どちらが無礼者ですか!」

 

「止せ」

 

 再び前へ出て叫ぼうとするサラではあったが、その行動は、先程まで頭を下げていたカミュによって遮られる。

 有無も言わさぬ程の制止に、サラは黙り込むしかなく、それでも尚、治まらない怒りの瞳を男性へと向ける事になった。

 リーシャとメルエは、事の成り行きについて行けない。メルエは元からついて行く気が無いのだが、リーシャ自身は、何が何やら全く理解出来ないと言っても過言ではない状態だろう。

 

「ご無礼をお許し下さい」

 

「良い。その者の申す事は、至極尤もな事。今、あの玉座に座っているのは、余ではないのだからな……いや、元々、余ではなかったのかもしれん」

 

 カミュは、再び頭を下げた。

 その姿にサラは驚愕と言っても良い程の驚きを表し、事態を飲み込めていないリーシャも若干の驚きを見せる。

 カミュが頭を下げる事自体が少ない事ではあるのだが、二人が見たのは、仮面を被ったカミュの姿だったからだ。

 カミュも、今では常に仮面を着けている訳ではない。門兵のような兵士に対して、口調を改める事はあっても、仮面を着ける程に冷ややかな感情を持ってはいなかった。

 だが、今のカミュは、間違いなく冷たい仮面を着けている。その相手が、話すに値しない人物と考えている訳ではないだろうが、国王に謁見する際などに被る仮面を、彼は身につけて話していた。

 

「その方らは、『魔王討伐』を志しておるのか?」

 

「はい……アリアハン国王様から、そのように命を受けております」

 

 跪いてはいないものの、カミュの受け答えは、一国の国王に対するような物である。その事実が理解出来るだけに、リーシャもサラも困惑を隠し切れなかった。

 カミュが、冗談や酔狂でこのような態度を取る事は有り得ない。とすれば、彼は、この男性を『サマンオサ国王』として認めているという事と同意なのだ。

 それがサラには解せない。この場で口を挟むという愚行をしないだけでも、この賢者は成長しているのかもしれないが、それでもカミュの考えている事が理解出来ないし、納得も出来ない。自然と、厳しい瞳は、カミュへと向けられる事になった。

 

「そうか……思えば、オルテガという者が『魔王討伐』を志したのが最後であるな。あの時、是が非でもサイモンを共に行かせるべきであったと、今でも後悔しておる」

 

「オ、オルテガ様は、この国を訪れたのでしょうか?」

 

 リーシャは混乱していた。

 サラの言うように、目の前の男性が『サマンオサ国王』を騙る事など、子供が吐く嘘に等しい程に幼稚な物。だが、その幼稚とも言える言葉を信じているかのようなカミュの態度は、リーシャという人物の思考を狂わせて行っていた。 

 男性が『サマンオサ国王』を騙っていると思うからこそ、リーシャはこの場での発言をしたのだが、信じている『勇者』の態度は、彼女の口調を変化させている。サラのような丁寧な口調には、疑惑の心と共に、何やら解らない畏怖も含まれていたのかもしれない。

 

「うむ……あの時は、余が即位して間もなく、サイモン自身の子も幼かった事から、サイモンはこの国に残る事を決めてしまった。余は、そのサイモンの気持ちを有難がるばかりで、世界が見えてはおらなかったのかもしれん」

 

 もはや、リーシャとサラは、その会話に付いてはいけない。

 男性の口調と内容を考えて行けば行く程、これが児戯にも等しい嘘と断定する事が出来なくなっていた。

 もし、これが嘘であれば、国王の名を騙り、国の英雄の名を辱めた者として、重罪に課せられるであろう。

 だが、サイモンという名を口にする男性の瞳は、懐かしい温かみと、哀しい冷たさが同居しており、それが真実を語っているようにさえ思えてしまう物である事が、リーシャとサラを更なる混乱へと落として行った。

 

「それ程までの忠義を示してくれたサイモンを、余は見殺しにしてしまった……<変化の杖>を奪われた余を救い出してくれたあの者を……余はサイモンの子に顔向けが出来ぬ……」

 

 悔し涙を流し、崩れ落ちるように膝を折った男性の姿には、先程までの威厳は微塵も残っていない。何も言えず、立ち尽くす事しか出来なかった一行は、板が敷かれた床に涙を落す男性を見つめ続ける。

 その静寂を破ったのもまた、この場の空気を支配し続けた、その男性であった。

 突如として顔を上げた男性の瞳は、涙で濡れてはいるが、先程とは異なる炎をその瞳に宿している。それは、この場所に落ちてから、一度たりとも宿る事のなかった炎なのかもしれない。

 

「その方ら……『魔王討伐』を志す者達ならば、我が国の国宝である『ラーの鏡』を南の洞窟から持ち帰ってはくれぬか? <変化の杖>と対を成す、あの鏡があれば、この国に巣食う物を討ち果たす事が出来る」

 

「<ラーの鏡>があれば、貴方が国王様本人である事を証明できるのですね?」

 

 それまで黙って話を聞いていたサラが、ここでようやく口を開く。

 その言葉使いは、決して一国の王に向けられる物ではない。それが、サラの心を表すかのようであった。

 それでも、この『賢者』は、自分の中にある先入観や想いだけで物事を決定する程に浅はかな存在ではなくなっている。全てを決定するのは、全てをその目で見て、その耳で聞いてから。それは、彼女がこの旅で学んだ、最も尊い考えなのかもしれない。

 

「いや……<ラーの鏡>があっても、余が王である事を証明する事は出来ぬであろう。だが、今、玉座に座る『あれ』が、偽りの物である事は、必ず証明出来る筈だ」

 

「……充分でございます……」

 

 サラの期待する答えは、男性の口からは返って来なかった。

 だが、カミュという『勇者』からすれば、それだけで充分だったのだろう。

 彼は、この国を変革させようと考えている訳ではない。今の国王が偽物だと解れば、この国に渦巻く不穏な空気だけは払拭出来る。情報を欲しているカミュにしてみれば、それだけで充分なのだ。

 冷たい言い様ではあるが、彼にしてみれば、このサマンオサ国の国王が誰であっても変わりはない。現在の国王のように話をする事も叶わない程の傍若無人ぶりを見せる者でなければ、誰であっても良いのだ。

 

「南の洞窟は、このサマンオサ王城から南へ向かい、山を二つ超えた先にある。四日程歩けば、山は超えられる筈だ」

 

「帰りは<ルーラ>を使うとしても、洞窟内の探索を考えれば、時間はありませんね」

 

 <ラーの鏡>という国宝が封印されている場所の位置を聞いたサラは、先程門兵から聞いた、残された時間と照らし合わせ、現状を確認する。

 確かに、二週間の猶予があるとは聞いたが、それは確かな物ではない。

 国王の気分によって変動する可能性は大いに高く、二週間という時間が確実に残されていると油断は出来ないのだ。

 明日にも誰かが処刑されるかもしれない。

 一行が戻った時には、現在投獄されている者達は全て処刑されているかもしれない。

 楽観視できない状況ではあるが、焦りによって全てを無にする訳にも行かないという難しい状況ではあった。

 だが、そのような状況を、彼等は何度も経験して来ている。

 

「その方らのような者達に頼む事を許せ。今のこの国には、その目的を達する事が出来る程の者はおらぬ。サイモンの子は、この国を恨み、この国の為には立ち上がらぬだろうからな……」

 

「……サイモン殿のご子息か……」

 

 言葉とは裏腹に頭を下げる事をしない辺りが、この男性の気品を表しているのかもしれない。

 その姿を見ていたリーシャは、男性の口から零れた名に、小さな想いを巡らす。それは、この場所には似つかわしくない想いであった。

 

『三年以上も共に歩んで来たこの青年は、もしアリアハン国が窮地に立たされていたとすれば、祖国の為に立ち上がってくれるだろうか?』

 

 そんな想いが浮かんだリーシャは、即座に首を振り、自分の中に生まれた迷いを打ち消す。そのような事を今考えてみても、詮無き事であり、その答えは、誰よりも彼女が知っているからだ。

 リーシャが思考に落ちている間に、その青年は軽く頭を下げて、家屋のような空間を出て行こうと歩き出していた。

 話に全く興味を示していなかったメルエがそれに続き、形上の挨拶を交わしたサラも出て行く。その後ろ姿を見送っていたリーシャは、最後に男性と視線を合わせ、小さな呟きを口にする。

 

「サイモン殿のご子息のお考えは解りません……ただ、彼にまだ、護るべき者があるのであれば、必ず動いてくれる筈です。少なくとも、私が見て来た、アリアハンの英雄のご子息は、そのような男です」

 

「……そう…であるか……」

 

 既に全員がこの部屋を出て行った後に呟かれた言葉は、静かに響き渡る。

 その言葉を聞いた者は、目の前で小さな笑みを浮かべた男性だけであった。

 笑みを浮かべ、小さな頷きを返した男性の瞳には、先程の『決意』の炎とは異なる炎が宿り始めている。

 それは、何時の時代も人々の心に、『勇気』と『強さ』を齎す、『希望』の炎。

 英雄と謳われ、勇者と謳われる者が齎す事の出来る、人々の未来へと続く大きな力。

 

 

 

 全員が出て行き、部屋へと続く扉の鍵が落ちた音が響いた後、男性は静かな笑みを浮かべ、全ての準備に取り掛かる。

 彼にとって、この行動は全てが賭けであり、その対象は己の命であった。

 自身の全てを賭けてでも行わなければならない現状を喜ぶような彼の笑みは、小さな燭台の炎が揺れる一室で、強い決意へと変化して行く。

 

 サマンオサと呼ばれる、英雄を生みし国が再び動き出すまで、あと僅か。

 

 

 

 

 

 




読んで頂き、ありがとうございます。

サマンオサ城は、これにて一旦中断です。
次話から、ようやく戦闘を含めた「冒険の旅」に入ります。

ご意見、ご感想を心よりお待ちしております。

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