新訳 そして伝説へ・・・   作:久慈川 京

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サマンオサ城①

 

 

 

 

 サマンオサ城は、城下町の南西に聳え立つ。

 城下町から城へと延びる街道は、石畳で整備されており、真っ直ぐに城へと伸びていた。

 

「ここはサマンオサ城だ。何用だ?」

 

「アリアハンから来ました、カミュと申します」

 

 城門の前には、二人の門番が立っている。二人の後ろには、巨大な金属の城門が侵入者を阻むように立ち、その門はしっかりと閉じられていた。

 門番の前まで歩み寄ったカミュが丁寧に頭を下げるが、門番は厳しい表情のままカミュを見つめ、手渡された各国の王からの書状も受け取ろうとはしない。

 ここまでの旅で、高圧的な態度を取る門番を何度も見て来た一行ではあったが、書状さえも受け取らないという態度は初めてであった。

 

「国王様に呼ばれたのか? 私達は、そのような話を一切聞かされてはいない。早々に立ち去られよ」

 

 門番の態度に違和感を感じていたサラであったが、その違和感の正体が何であるかという事を、追い返す為に口を開いた門番達の表情を見て気が付く事となる。

 二人の門番は、その言動を心苦しそうに発していたのだ。

 元々、高圧的に追い返すエジンベアなどの門番とは異なり、本来の仕事である筈の取り次ぎさえも出来ない自分自身に、苛立ちを感じている事が目に見えて理解出来る。出された書状に目を通さないのも、それを見てしまえば、取り次がずにはいられないと考えているのかもしれない。

 何にせよ、彼等の態度が無理に作られた物である事は明白であった。

 

「許せ……無用な波風を立てれば、この城で働く者達の命に係わる……」

 

 そして、サラのその考えは、諦めた一行の背中に向かって呟かれた一言で証明される。

 国王が自ら呼んだ者以外を城へ通せば、それを咎められる者達が数多くいるのだろう。そして、罪を咎められた者達の末路は、先程一行が見て来た者と何も変わりはない。明確な『死』が待っているのだ。

 呟きを聞いたカミュは、一度門番へ頭を下げ、再び元来た道を戻って行った。

 

「お前達も追い返されたのか?」

 

 城下町へと続く街道を戻っていたカミュ達の横から突如として声が掛かる。カミュの横を歩いていたメルエは、マントの中へと潜り込み、全員がそちらへ視線を送った。

 そこに立っていたのは、しっかりした肉体を持つ男性。背丈はカミュと同程度か、若干それよりも低い。年齢は、リーシャよりも上なのかもしれない。身体には鎧のような防具を纏い、背中には剣を背負っていた。

 見た目だけでも、それなりの力量を持つ者である事が解る。だが、このパーティーの中で、その者の存在に動じたのは、驚いてマントの中へと逃げ込んだメルエだけであった。

 

「この国は、徐々におかしくなって行く。来訪者を門前払いするなど、昔では考えられないというのに……挙句には、我が父を追放し、この国は狂ってしまった」

 

 若干厳しい瞳を向けるカミュを余所に、男性は静かに語り出す。見ず知らずの人間に国の内情を語る程に、不満が溜まって来ているのだと理解はしていたが、その男性の語る内容を聞いている内に、リーシャとサラは、驚きの表情を浮かべる事となった。

 この国を追放された人物となれば、一行が得ている情報には、英雄サイモンという人物しか当て嵌まらない。そして、この男性は、追放された者を父と呼んだのだ。それは、サマンオサの英雄と呼ばれる男の息子である事を示していた。

 

「貴方は、サイモン様のご子息なのですか?」

 

「ん? ああ……英雄サイモンの息子だ。追放された後、行方知れずになった父を探している。捕縛された父は、追放後に国外の牢に入れられたという噂があるのだが、城に入れない為に、真偽を確かめる事が出来ない」

 

 サラの問いかけに胸を張って答える男性を目にしたリーシャは、何故か眉を顰める。別段、この息子と名乗る男性が特別な事を口にした訳ではない。しかも、リーシャは、その父親であるサイモンを英雄として憧れてもいたのだ。

 だが、父親を誇るように胸を張る男性を見て、何故か奇妙な不快感を覚えてしまう。父を誇る事は悪い事ではない。事実、リーシャ自身も、アリアハン宮廷騎士隊長の父を誇りに思っているし、アリアハンを出た頃は、自身の名乗りに関しても、『前宮廷騎士隊長クロノスの娘』と名乗った事もある。

 そんなリーシャであったのだが、何故か、その名乗り以外で、自身の名を口にしない男性に不快感を覚えた。それは三年間という間で、『オルテガの息子』としか見て貰えない人生を歩んで来た青年を見続けて来たからなのかもしれない。

 

「悪いが、アンタの父親の情報を、俺達は何も持っていない」

 

「そうか……何か情報を得たのなら、教えて欲しい」

 

 アリアハンの英雄の息子として、アリアハンの勇者となった青年は、その父を誇る事はない。最近では、その理由を朧気ながらもリーシャは理解し始めていた。

 彼は、世界中で語り継がれる英雄を見た事はないのだ。自身の父親であるにも拘らず、その声を聞いた事もなく、その顔を見た事はない。肖像画などが残される高貴な身分ではない為、その表情を想像する事さえ出来ないのだ。

 そして、そんな顔を見えない相手の代わりとしての人生を義務付けられ、『人』では敵わない存在の討伐を使命付けられた。

 母親は確かに彼を愛していたのかもしれない。だが、彼の話を聞く限り、その愛は歪んでしまっていたようにさえ感じる。母親の愛も、父親の愛も知らないこの彼は、考え方こそ歪んではいたが、性根の部分が歪んでいなかった事自体、奇跡に近い物ではないだろうかとさえ、リーシャは感じていた。

 逆に、おそらく、英雄サイモンの息子は、幼年時代から少年時代に掛けて、父親の愛情を受けて育って来たのだろう。故に、父を誇り、それを自身の力と思っているのかもしれない。

 そこに、アリアハンの英雄の息子と、サマンオサの英雄の息子の違いが、明確に表れていると感じてしまったのだ。

 

「追放された英雄の行方を捜して、どうするつもりなのだ?」

 

「なにっ!? 父が追放される理由がない! このサマンオサ国に尽して来た父が、何故追放されなければいけない! 何故お前達のような余所者にまで辱めを受けねばならぬ! 私は、この国を許しはしない」

 

 リーシャのそのような想いが口を吐いてしまう。追放されたサイモンは、余所者であるカミュ達から考えても、既に生存している可能性はとても低い。それが理解出来ているにも拘わらず父親を捜す気持ちは、リーシャにも良く解るのだが、一つ解せない事があったのだ。

 だが、リーシャの何気ない一言に過剰に反応した男は、親の仇でも睨みつけるようにリーシャへ憎しみの瞳を向ける。その瞳を真っ向から受け止めたリーシャは、英雄の息子の心の中にある想いを理解した。

 彼の心の中にある想いは、サラが遠い昔に胸に秘めていた物と似通った物。憎しみに彩られたその想いは、彼の視界を何処までも狭めて行く。

 アリアハンを出たばかりの頃の三人のように、狭い視野の中で動いている彼の姿は、リーシャの胸の内に哀しみを運んで来ていた。

 二人の英雄が残した遺児達は、やはり英雄の血を継いでいるのだという実感が湧くと共に、片方の遺児が歩んで来た道を共に歩んで来た彼女は、自分よりも年上であろう目の前の男性が、とても幼く見えてしまう。

 だが、それはカミュと彼の違いではなく、リーシャが敬愛するオルテガとサイモンという、二人の英雄の決定的な違いが何処かにあるからなのかもしれない。その決定的な違いが何なのかは、今のリーシャには解らないのだが、彼女はそんな哀しい想いを胸に、顔を俯かせてしまった。

 

「失礼します」

 

 城下町へ戻るのではなく、城門へ戻る訳でもなく、何故か城の側面の方角へ移動し始めたカミュに疑問を感じながらも、リーシャとサラはサイモンの息子へ会釈をし、その後を付いて歩き出す。

 

「カミュ、何処へ行くんだ?」

 

「城へ入る」

 

 サイモンの息子の姿が見えなくなった頃に、ようやくリーシャが口を開く。カミュが向かった場所は、町へ戻る道ではなく、どう考えても城への裏道のように感じる程、城の敷地内にある庭園のような場所。

 英雄の息子程の者ならば、一行の行動を注進する事はないだろうが、それでも一行の行動は不審を覚えられても仕方がない事だったのかもしれない。

 

「それ程に、この国は危ういのですか?」

 

 しかし、逆を返せば、基本的に無関心なカミュが、それ程までに急いて城へ入る必要があると考えていた事にもなる。サラは、それを問いかけているのだ。

 現状で一行が手に入れている情報の内容を吟味してみても、このサマンオサという国を取り巻く環境が全く見えて来ない。国民が牢へ入れられても、死刑に処せられても、国家としての在り方を維持している以上、他国の個人がそこに介入する謂れはない。

 

「英雄の息子とやらが言っていた事を聞く限り、追放された英雄の行方を知るのは、国家の上層部にしかいないのだろう」

 

「私もサイモン殿の行方は気になるが……」

 

「……ガイアの剣ですか?」

 

 立ち止まったカミュが振り返り様に語った内容に、リーシャは少し俯いた。

 サイモンという英雄は、オルテガの次に憧れを抱く存在ではあるが、正式な手続きを踏まずに城へ入る危険を冒す必要性には疑問を持ってしまったのだ。

 それは、サラやメルエも危機に晒すという事への危惧でもあった。

 だが、そんなリーシャの考えは、的を外した物である事が、サラの言葉で明らかとなる。サイモンという英雄の行方を探る理由は、その人物を憐れと思った訳でもなく、その息子の哀しみを考えた訳でもなく、ましてやサマンオサ国の現状を憂いての物でもなかったのだ。

 

「ガイアの剣がなければ、その先の道は途絶える」

 

「そうか……そうだったな」

 

 カミュの人間味を感じたような気がしていたリーシャは、哀しみと落胆を滲ませるような溜息を吐き出した。

 ルザミという忘れられし都で出会った預言者と名乗る老人が、一行の進む道を見た際に、『ネクロゴンド火山の火口にガイアの剣を投げ入れる』と予言していたのだ。そして、魔王バラモスへの道を切り開くとまで云われた事を、ここまでの道中で、リーシャはすっかり忘れてしまっていた。

 一行の目的は、何があろうと『魔王討伐』である事には変わりはない。それは、道中でどんな出来事に遭遇しようと、どれ程の哀しみを知り、どれ程の喜びを知ろうとも変わらない。

 それを、この哀しい青年だけは常に考えていたのだろう。

 

「ガイアの剣は、サイモン様がお持ちだという事でしたから……ですが、それだけではないですよね?」

 

「サラ?」

 

 何処か哀しい気持ちが胸に湧き上がっていたリーシャの心を代弁するように、確認を込めたサラの言葉が響く。その声に、先程まで落ち込むように下げられていたリーシャの顔が上がった。

 一行の話に興味の無いメルエが、庭園の花に止まる蝶のような虫を眺める為にしゃがみ込んでいる横で、陽光を受けて瞳を細めたカミュの顔に影が射す。

 何も語らないカミュを見たサラは、自分が発した失言を悔いるように顔を顰めたが、先程まで落胆していたリーシャは、逆に顔を徐々に輝かせて行く。

 彼女は忘れていたのだ。

 この『勇者』の性根が歪んでいない事を。

 

「人の心が変わる事はあるだろうが、人そのものが変わる事は有り得ない」

 

 輝き出したリーシャの顔は、眩いばかりの笑みへと変わる。

 先程まで、蝶を眺めていたメルエもまた、そんな彼女の笑みを見て、花咲くような笑顔を作った。

 もはや、昔のように、『関係ない事』と切り捨てる青年は、彼女の前には存在しない。彼女の手を握った幼い少女によって浮き上った『人』としての心は、彼女を含めた三人の力で、無理やり引き上げられていたのだ。

 彼は、冷徹な人形ではなく、誰かの代替品でもない。

 『勇者』ではあるが、『勇者』ではなく、彼女が最も頼りにし、最も信頼する人間の一人。

 アリアハンの英雄の息子にして、アリアハンの勇者であり、メルエという少女の英雄でもあり、勇者でもある。

 そして、何よりも、リーシャという女性戦士が背中を預ける事の出来る『勇者』でもあった。

 

「残るのは、『人』そのものが何かに摩り替っているという可能性だけだ」

 

「魔物……という可能性ですか?」

 

 喜びに打ち震えるリーシャは、カミュの言葉に答える事は出来ない。代わりに応えたのは、先程まで自分の言葉を悔いていたサラだった。

 実際、カミュが語る可能性が、どのような経路を辿って辿り着かれた結論なのかという事をリーシャは正確に把握出来てはいない。それは、そんな彼女を見上げながら微笑むメルエも同様であろう。

 つまり、ここから先は、このパーティーの頭脳二人の会話となり、それに導かれる道を共に歩むだけで、リーシャとメルエは良かったのだ。

 今のカミュの言葉を聞く限り、それが間違った道である訳がない事が理解出来ただけでリーシャの役目は終わったのかもしれない。

 

「現時点では特定は出来ないが、集まった情報を整理して行く限り、その可能性は高いと考えるのが妥当だろうな」

 

「よし! 城の中へ入るぞ! それで、どうやって入るつもりなんだ?」

 

 最後まで聞く必要はないとでも言うように高らかに声を上げたリーシャに倣い、その手を握っていたメルエもまた、高らかに<雷の杖>を掲げる。

 どのような状況が待っているかも考えずに、笑顔を浮かべる二人に対して溜息を吐き出したカミュは、庭園の先に見える、小さな勝手口へ指を伸ばした。

 

 通常の城という建造物は、城門の周囲を堀などで囲う事が多い。アリアハン城などは典型的で、城門へ向かうには、長い橋を渡らねばならず、ロマリアにしても同様であった。

 それは、他国からの侵攻に備える為であり、籠城という形での戦闘も考慮に入れ、敵を迎える際の備えとして作られているのだ。

 だが、このサマンオサ国は例外であり、堀などは存在しない。イシスのように砂漠という劣悪な環境の場所にある城であれば、侵攻軍が城へ攻め上る前に、軍自体が崩壊する可能性が高い為に、それ程大がかりな備えをしている訳ではないのだが、サマンオサ国の場合は、その特殊な地理が影響していた。

 『旅の扉』でしか訪れる事の出来ない国である以上、その場所からしか軍は侵入出来ない。『旅の扉』は大勢で移動できる程の物ではない為、何度も何度も使わなければ、軍自体が成り立たないだろう。編成を終える前に叩く事が出来る以上、城の備えを強固にする必要はないのだ。

 同じ『旅の扉』がある国家でも、海から侵攻出来るアリアハンとは、根本的に異なっているという事である。

 

「メルエ」

 

「…………ん…………」

 

 勝手口のような場所の扉にも、当然鍵がかかっているのだが、門番が存在しなければ、そのような鍵など、カミュ達にとって物の数ではない。

 メルエから手渡された<最後のカギ>を手にしたカミュは、鍵穴に差し込み、その扉を開錠する。乾いた音を立てて開錠された扉を開き、中を覗き込んだカミュは、後方で合図を待つ三人に、目配せを行った。

 何か釈然としない想いを抱いたサラではあったが、楽しそうにその手を引張るメルエに付いて行くように、城の中へと足を踏み入れる事となる。

 

「ああ、忙しい! あれ? アンタ達はお客人かい? お客人は、台所などに入って来ないでおくれ! 王様の食事が遅くなってしまったら、殺されちまう!」

 

 中に入ってすぐ、勝手口が何処へ繋がっていたのかを一行は理解する事になる。既に、太陽は西の空へ傾きかけていた事を考えると、数刻もすれば、夕食時になるのだろう。厨房では、何人もの給仕が所狭しと駆け回り、かなりの量の料理を作り上げていた。

 その量は、この城で暮らす全ての人間の分なのかと考えてしまう程の物で、肉や魚なども大量に捌かれている。これ程の量であれば、相当な人数の人間が城内で働いているという事になるのだが、何故かサラ達はそれを鵜呑みにする事が出来なかった。

 

「申し訳ございません、道に迷ってしまいまして……場内の方々のお食事を作っている最中に、失礼致しました」

 

「はぁ!? 何を言っているんだい! これは全て王様の分さ! 間違っても、私達の分があったなんて、王様にお話ししないでおくれよ。これだけ一生懸命に作っているのに、謂れもない罪で死刑にされたくはないよ」

 

 しかし、厨房という場所を離れる為に、頭を下げながら口にしたカミュの言葉に対する返答を聞いて、一行は驚愕する。

 どれだけの目で見ても、この量を一人で食す事など出来はしない。パーティー内で一番食が太いメルエであっても、この四分の一も食す事は出来ないだろう。一行の脳裏には、必然的に、全てを食す事無く残し、捨ててしまう驕り高ぶった王族の姿が浮かんだ。

 

「こんな良い材料の料理を残すなど、材料にも、作った人間に対しても失礼だな」

 

「はぁ!? アンタ、気を付けなよ。そんな事が王様の耳に入ったら、即刻死刑だよ。それに、これは王様の一食分さ。全て平らげて下さる。ただ、食費は膨大だし、少しでも料理が遅れたり、味が悪かったら、私達の命もないけどね」

 

 リーシャの言葉に大袈裟に反応した大柄な女性は、最後まで話し終わる前に、人を掻き分けて、厨房の奥へと駆けて行ってしまう。残された四人は、ただ呆然と、その光景を眺めているしか出来なかった。

 この量を国王一人が食し、しかも一食分として全てを平らげるのであれば、それは既に異常である。食欲があるとか、食道楽とかいう次元の問題ではない。それは正に、『人』という枠組みでは考える事など出来ない物であった。

 

「カミュ様……やはり」

 

「国王への取り次ぎを頼める人間を探す」

 

 サラの言葉を最後まで聞く事無く、カミュはマントを翻して厨房を出て行く。表情を引き締めたリーシャとサラがそれに続き、美味しそうな匂いに目を輝かせていたメルエは、軽く頬を膨らませながら手を引かれて行った。

 台所を出ると、城の中は静寂が広がる世界であった。

 通常の城内であれば、宮廷で働く人物が何人もいる事が当たり前である。その役職や仕事の内容は異なっていても、場内を歩く人間がいても何も不思議ではない。

 だが、厨房に居た人間の数に比べて、場内の廊下に居る人間の数が圧倒的に少ないのだ。いや、少ないという次元の物ではなく、皆無と言った方が正しいのだろう。

 

 廊下を歩き、城門の方へ向かっても、人が一人もいない。城門から真っ直ぐ伸びる回廊には、真っ赤な絨毯が敷かれている事から、その先が謁見の間である事が予想されるのだが、そこまでの道に人がいるという雰囲気もないのだ。

 それは、国家として異常な状態である。しかも、ここはサマンオサという大国である。魔物の横行が無い時代では、その意志もなく、その行動が無くとも、強力な軍事を要する国家として、周囲に無言の圧力を持っていた国である事を考えると、その異常さは際立っている事が解る。

 

「おい、お前達は何処から入って来た?」

 

 呆然と城内を眺めていた一行の後方から突如声が掛かった。

 振り向くと、兵士とは異なる様相をした男性が立っており、この国家の中枢に居る人物である事が一目で解る。訝しげに細められた瞳が、四人を厳しく見咎め、その真偽を見極めようと光っていた。

 どう答えたらいいのかを迷っていたサラが口籠る中、即座に男性の前に立ったカミュが、仮面を被り直して対面する。真っ直ぐに男性の瞳を受け止めた彼は、静かに頭を下げた。

 

「国王様への謁見を願い出ようと人を探していたのですが、場内に人が見当たらず、途方に暮れていた所です」

 

「国王様に? 私は、このサマンオサ国の大臣ではあるが、そのような話は聞いておらぬぞ?」

 

 カミュの語る内容に、大臣を名乗る男性の瞳は更に細められる。

 それは、大臣という職に就く者として、当然の心構えであろう。通常であれば、門兵から伝言を受けた文官等が、大臣へ話を通し、大臣が国王へお伺いを立てるというのが筋道である。その順序を通さずに、謁見を願い出る者が城内に居るという事自体が、疑惑を生んでしまっていたのだ。

 

「これを」

 

 それを察したカミュは、先程門番に手渡した物を取り出した。

 ここまで訪れた五カ国の内、四カ国の国王が印章と共に記した書状である。何処の国を訪れようとも、カミュ達四人の身分を証明する物であり、その地位を確立させる物。

 それを受け取った大臣は、一つ一つの書状にされてある封の国章を見て、驚きに顔を上げ、各書状の文言を読み進める内に、驚愕で目を見開いた。

 書状の内容をカミュ達は見た事が無い。如何に使者の役割も担っているとはいえ、一国の王族から王族への書状を、カミュ達のような身分の者が目を通して良いという事にはならないのだ。故に、彼等は、大臣が何に驚いているのかさえ理解は出来なかった。

 

「拝見した……これ程の国家から認められた者達に無礼を働いたようだ、申し訳ない」

 

 書状をカミュへ返した大臣は、深く腰を折って、四人に対して謝罪の言葉を口にする。一国の大臣が腰を折って謝罪を向けるなど、通常であれば、考えようもない。ましてや、『勇者』といえども、カミュは年若い青年であり、その他の三人は女性ばかり。その内の一人は、年端も行かぬ少女である。

 その大臣の行為が、書状の内容と、この大臣の人格を明確に表していた。

 信頼に値する人間との出会いは、一行にとって幸運だったのかもしれない。

 

「しかし、今のこの国に、そなた達へ支援をする余裕は残されておらぬ。資金という面だけではなく、国民達の心にも余裕はない。差し出がましい事だが、国王様への謁見も、諦めた方が良いかもしれぬ」

 

「ご忠告、痛み入ります。ですが、『魔王討伐』の使命がある以上、各国の国王様へご報告申し上げるのも、私の務めでございます」

 

 大臣とカミュとのやり取りの間に他の人間が割り込む隙間はない。

 真っ直ぐ目を合わせた二人は、厳しい瞳のまま沈黙を貫き通す。お互いの主張を曲げるつもりもなく、折れるつもりもない事が、彼等を取り巻く緊迫感が明確に示していた。

 しかし、一国の大臣といえども、強力な魔物を相手にも一歩も引かない青年の瞳を受け続ける事は不可能であった。

 溜息のような息を吐き出した大臣は、再び厳しい瞳をカミュへと突きつけ、重い口をゆっくりと開く。

 

「国王様にお通ししよう。だが、一つだけ言っておく。国王様との謁見が叶っても、そなた達の希望に添えるとは限らない。むしろ、そなた達の身の安全さえも保証は出来ない。どのような結果を生もうとも、この国を恨まないでくれ」

 

「……畏まりました」

 

 『どんな結果になっても国を恨むな』という言葉は、非常に重い。それは、国を恨んでこの世を去るという可能性も示唆しているのだ。

 謁見を許されても、それ以後の保証は何もないだけでなく、既に四人の命がないという結果が見えているように話す大臣の瞳を見つめていたカミュは、静かに頷きを返した。

 リーシャの瞳も厳しく細まり、サラは緊張の余りに、メルエの手を握っている手に力を込める。急に力を込められた事に不満の声を上げるメルエの唸り声だけが、場違いのように、場内の廊下に響き渡った。

 

 

 

 謁見の間は、一行が大臣と出会った通路を真っ直ぐ北へ向かった場所に存在した。

 まず、大臣が中へ入り、国王に謁見の許可を得るという事で、カミュ達四人は、謁見の間に続く扉の前で待たされる事となる。扉を開け、中へと入って行く際に、大臣の顔が一瞬歪んだのをカミュが見逃す事はなかった。

 だが、その真意は、彼等が中へ入るまで理解する事は出来ない物だっただろう。 

 

「入れ」

 

 謁見の間に大臣が入ってから、暫しの時間が流れた後、扉の向こう側から声が掛かる。扉に手を掛けたカミュが、ゆっくりとそれを押し開け、一行は中へと入って行く。通常であれば、先導役がいてもおかしくはないのだが、現状のサマンオサ国を見る限り、そこまで人の手が回っていない事が予想出来た。

 真っ赤な絨毯が真っ直ぐ敷かれる方角へ目を向ける前に、一行は、謁見の間に広がる光景に絶句する。それは、彼等のような通常の人間の感覚では理解出来ない程の壮絶な光景であった。

 前方に見えるのは、玉座である事に間違いはない。

 だが、その周囲を舞う女性達の姿は、常軌を逸していたのだ。

 踊り子と考えても良い服装を身に纏った女性達は、国王と思わしき人物の周囲を煌びやかに踊っている。その姿を見たメルエは、一瞬眉を顰めた後、リーシャの影に隠れてしまった。

 

「何をしておる!」

 

 呆然と眺めていた一行に、大臣の厳しい声が届く。

 国王の前で呆けるなど、本来であれば不敬となるのは当然であるのだが、大臣の声には、それだけではない焦りが表れていた。

 大抵の国王であれば、庶民が宮廷内の景色に驚く事は当然であると考え、それだけの力を有した王族の力を誇り、気を良くする者も多い。だが、このサマンオサの国王に限っては、その常識は通用しないのかもしれない。

 

 玉座に近付いて行くカミュは、その周囲で踊っていた踊り子達の姿を見て、更に驚愕する事になった。

 遠目に見た踊り子達は、とても煌びやかに見えていたのだが、実際には真逆であったのだ。

 踊り子の額には、嫌な汗がびっしりと浮かび上がり、踊り子の靴の先は、どす黒く変色した血液がこびり付いている。既に限界を迎えた足は、細かな痙攣を繰り返し、瞳からは止め処なく涙が流れ落ちていた。

 既に、立っている事さえも厳しいのだろう。

 一人の踊り子が、カミュ達が玉座に辿り着く前に、地へ伏すように倒れ込んでしまった。

 

「なんじゃ、踊り続けよ! ちっ、役立たずが……もう良い! こ奴を牢へ連れて行け! 即刻死罪にしてくれる!」

 

 倒れ伏した踊り子は、痙攣する足を奮い立たせ、何とか立ち上がろうとするが、心と体は一つではない。どうあっても動きはしない足に、絶望の表情を浮かべ、それを見た国王と思しき人物が、非情な命を下した。

 数人の兵士に連れられて謁見の間を去る女性は、何度も泣き叫び、許しを請うのだが、それは誰にも受け入れられる事はない。誰しもが唇を噛み、目を合わせぬように俯くその状況は、異常以外の何物でもなかった。

 驚愕によって固まっていたリーシャが怒りに打ち震え、理解の範疇を超えた景色に戸惑っていたサラが瞳を細めた時、先頭を歩いていたカミュが、静かに玉座の前で跪いた。

 

「アリアハン国のカミュと申します。国王様に於かれましては、ご機嫌麗しく、恐悦至極にございます」

 

 これ程の皮肉を込めた言葉を、嘗て、カミュは口にした事が無い。

 それがカミュの胸の内を明確に示している事を知ったリーシャ達は、静かにカミュの後ろで跪いた。

 国王と謁見出来る人間はカミュだけであり、リーシャ達はその従者に過ぎない。王族と会話できる人間も、使者の役割も担っているカミュだけであり、リーシャ達は口を開く事さえ出来ない。

 その状況でも、カミュならばという想いが、彼女達にはあったのだ。

 

「お前達か……魔王討伐へ向かおう等という馬鹿げた輩は?」

 

「はっ、アリアハン国王様から、そのように命を受けております」

 

 赤い絨毯を見つめながらも、リーシャは拳を握り締めている。先程の光景で怒りが頂点に達しようというのにも拘わらず、『魔王討伐』という誇りある使命までを、馬鹿げた物と一蹴されたのだ。握り締めた拳から赤い血液が滲み出し、噛み締めた口内は鉄の味が満たして行った。

 同様にサラも、この王族の頭の中身が理解出来ず、困惑していた。

 サラの場合、怒りで湧き上がる頭の中を強引に冷やし、何とか冷静に思考出来るようにと努力していたが、ここまで出会って来た王族の中でも例を見ない程の醜悪さに、思考が纏まっていない。困惑は、更なる困惑を生み、現状を把握する事さえも出来なくなりつつあった。

 

「そうか……この者達を牢へぶち込め!」

 

「なっ!?」

 

 下げているカミュの頭を暫しの間見つめていた国王は、突如として兵士へと命を下す。その余りな内容に、珍しくリーシャが声を上げてしまった。

 宮廷騎士として仕えて来たリーシャは、謁見の間で口を開いた事などほとんどない。サラやメルエへ注意を促す為に口を開いた事はあるが、王族へ向けて声を発した事はなかった。

 そのリーシャが声を上げてしまう程の命である。周囲の者達にも動揺は走り、カミュ達をこの場に通した大臣は、思わず前へと身体を出してしまった。

 

「恐れながら、この者達は……」

 

「何だ? 貴様も牢へぶち込まれたいのか? そうでないのならば、早くこの馬鹿者どもを牢へぶち込んで参れ!」

 

 国王の前へ歩み出た大臣が言葉を漏らすが、その言葉に被せるように発せられた国王の言葉が、全ての音を搔き消してしまう。

 先程まで騒がしさを見せていた者達も口を噤み、緊迫した静寂が流れる中、数人の兵士がカミュ達の傍へと近付いて行く。

 怒りに燃えた瞳を向けるリーシャに怯えた兵士ではあったが、真っ先に立ち上がったカミュに手で制された事によって、若干の落ち着きを見せる女性戦士の姿に立ち直りを見せた。

 カミュ達四人に対し、その倍近くの人数の兵士が動いている事が、その警戒感の高さを物語っている。

 

「し、しかし、ここでこの者達を牢へ入れてしまっては……」

 

「うるさい! お前は黙って、私の言う事を聞いていれば良いのだ!」

 

 サマンオサ国王の怒号が響き渡る中、その他の音は全て消え失せ、兵士達が歩く際に擦れる剣の音だけが静かに聞こえていた。

 これ以上の発言が何を生み出すのかを理解している大臣は、悔しそうに唇を噛み締め、これから起こる出来事から目を逸らす。周囲に視線を向けると、勇者一行へ視線を向けている者は、サマンオサ国王唯一人である。

 立つように促された四人は、前と後ろを兵士に囲まれ、そのまま謁見の間を連れ出された。

 重い音を響かせて閉じられた扉を見つめる大臣の瞳から、ここまでの十数年間で決して消える事のなかった光が消え失せて行く。

 

 

 

 世界の希望を閉じ込めようとする巨大な扉は、この国で生きる者達にとって、絶望への入り口となる扉だった。

 闇が降り、絶望が支配する国の夜明けは、何時になるのか。

 それは、何時か来ると信じ続けて来た者の心が折れたこの瞬間に、潰えてしまったのかもしれない。

 

 

 




読んで頂き、ありがとうございました。

本格的なサマンオサ編の始まりです。
十三章に入ってから七話目にまで入っていますね……
この章は結構な話数になってしまいそうです。

ご意見、ご感想を心よりお待ちしております。

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