新訳 そして伝説へ・・・   作:久慈川 京

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いざないの洞窟

 

 

 

 カミュが向かった先は、先日来た武器屋であった。

 中に入ると、まだ開店したばかりということもあり、客もいない。

 カウンターでは、店主が武器の手入れをしているところだった。

 

「おっ、いらっしゃい」

 

 カミュ達三人が入って来たことに気が付いた店主は、その厳つい顔に精一杯の営業的な笑顔をを貼り付け、歓迎を現してくる。

 

「……すまないが、先日言っていた好意に甘えさせてもらえるか?」

 

「ん?……ああ、剣の手入れのことか?良いぜ、どれをするんだ?」

 

 先日、金額を多めに払ったカミュ達に、店主が約束したサービスをさっそく使おうとするカミュに対し、拍子抜けしたような顔をしながらも、店主は快く承諾した。

 

「ああ、俺のこの剣と……アンタはどうする?」

 

「あ、ああ、そうだな。これも頼む」

 

 カウンターに鞘ごと剣を置くカミュの言葉に、リーシャも腰の剣をカウンターへと置いて行く。二人の剣は、アリアハンを出てから手入れを欠かした事はないが、専門の職人に手入れをして貰えるのであれば、それに越した事はないのだ。

 

「確かに預かった。少しの時間で出来ると思うから、適当に店内を見ていてくれ」

 

「ああ、わかった。それと、その<革の盾>も三つくれ。それぞれの手に合うように加工して欲しいのだが」

 

 剣を持って奥へ下がろうとする店主に向かって、カミュは店主の横にある<革の盾>を指差す。カミュの言葉を聞いて、店主は商売人らしい笑顔を向けて、壁に掛けられてあった盾を下ろし、カミュ達の前に置いた。

 

「おう、ありがとうよ。じゃあ、剣を研いでいる間に盾を装備してみて、不具合を確認しておいてくれ」

 

「この先は、どんな魔物が出てくるのか分からない。万全の用意をしておく為にも、盾は必要になる筈だ」

 

 サラはカミュから手渡された盾を両手で抱えながら、自分の盾の具合を確認しているカミュを見ていた。

 サラの心の中では、未だに様々な想いが渦巻いている。

 浮かんでは消え、浮かんでは消えの繰り返しを続ける疑問を消化する事が、彼女には未だに出来ないのだ。

 

 『なぜ、何事もなかったように振る舞えるのか?』

 『カミュにとって、この一連の出来事は、関心を示す価値もないものなのだろうか?』

 

 今のカミュの姿に、無理をしている様子は見えない。

 『やはり彼は、『人』としての感情を持っていないのかもしれない』とサラは考えてしまっていた。

 

「サラ、あまり考えるな」

 

「……リーシャさん……」

 

 そんなサラの肩に手をかけ、覗きこんでくるリーシャは、まだ無理をしているようだが、それでも普段通りに接しようとしている事が理解出来る。そんなリーシャの優しさに、サラは昨日の夕食時に感じた疑問をぶつけてみる事にした。

 

「あ、あの……リーシャさん……?」

 

「……ん?…どうした?」

 

 リーシャは、左腕に<革の盾>をつけ、具合を確かめながら、サラを見ずに返答した。

 新たな防具の具合を確かめるのも、『戦士』として当然の行為である。ましてや、カミュやリーシャといった最前線に出る人間にとって、盾は生命線に等しい防具でもあるのだ。

 しかし、その重要な行動は、サラのたった一言で狂い始める。

 

「……リーシャさんは、カミュ様のどういった所をお好きになったのですか?」

 

「……はぁ!?……な、なに!?」

 

 突然ぶつけられた、サラ特製の大型爆弾にリーシャは思わず大声を張り上げた。

 サラの問いかけの内容は聞こえていなかったカミュも、突然上げられたリーシャの奇声に振り返り、訝しげに二人を見ている。

 

「な、何を言っているんだ、サラ!?」

 

「えっ、えっ?……リーシャさんとカミュ様は、あの……そういったご関係に……なられたのではないのですか……?」

 

 自分が、この堅物な戦士に投げつけた大型爆弾の威力を、サラは理解していない。

 故に、突如として、とんでもない事を言い出したサラに凄い剣幕で詰め寄って来るリーシャの圧力に対し、昨日確信していた自信と共に声まで尻すぼみになって行った。

 

「なっ!? なにが、どうなって、そうなったんだ!?」

 

 もはや、完全なパニックに陥ってしまったリーシャは発する言動も支離滅裂であった。

 『これは、もしかしたら、照れているのではないか?』という盛大な勘違いを、サラがしてしまう程の取り乱し様であり、先程萎んでいった自信が再び膨らみ始めて来たサラは、カミュに聞こえないようにリーシャへと話しかける。

 

「い、いえ、何となくなのですけれど、リーシャさんのカミュ様への対応が、最初の頃より柔らかくなったような気がして……」 

 

「どこがだ!!??」

 

 もう、リーシャの声は怒声になっていた。

 確かに根も葉もない事を突然言われれば、頭に血が昇るのも当然だ。

 ましてや、リーシャは色恋には全く縁がない生活を送って来ていただけに尚更である。

 幼い頃から父より剣を学び、父が死んでからは宮廷に入り剣を磨いた。

 異性からの視線など、リーシャの剣への羨望よりも、嫉妬の方が多く、とても甘い香りのする物とは程遠い青春時代であった。

 

「……サラ……お前が、何をどう勘違いしたのか全く理解出来ないが、アイツのような捻くれた奴とそんな関係になる事は、世界が引っ繰り返ってもあり得ない!」

 

 サラの両肩を痛いぐらいに掴み、ゆっくりと否定をするリーシャは、それこそ鬼の形相に近い表情であった。

 しかし、もはやリーシャを姉のように慕い始めているサラには、そんな鬼気迫るリーシャの変貌も通じなかった。

 

「あっ、も、もしかして、照れていらっしゃるのですか?」

 

 サラが発したその言葉は、リーシャの顔から表情を無くさせるのに十分な威力を持っていた。

 まるで、カミュを彷彿とさせる無表情。そんなリーシャを見て、サラは自分の言った事の重大さに気が付き始めたが、それは既に遅過ぎた。

 

 ゴツン!

 

 盛大な鈍い音と同時に、サラは自分の頭部に凄まじいまでの痛みを感じた。

 目の前に火花が飛ぶ。

 眩暈と共に、一瞬サラは自分が立っているのかも分からなくなる程の衝撃だった。

 曲がりなりにも、アリアハン随一の戦士の拳骨を受けたのだ。

 

「……そうか……どうやら、私はサラを甘やかしすぎたのかもしれないな……」

 

 サラに対し振り上げた拳骨を納めながらも、未だに表情を取り戻さないリーシャは、サラに向かって何やら不穏な空気を出している。

 落ちぶれたといえども『貴族』。

 平民の出であり、しかも孤児であるサラが、本来ならば対等に話せる人物ではないのだ。

 何を話していたのか聞こえていなかったカミュでさえ、今のリーシャが放つ雰囲気を感じ、間に入ろうとしていた。

 

「……サラ、今日の朝の訓練は、確か剣の素振りだけだったな……?」

 

「……えっ?……あ、は、はい……」

 

 痛む頭に手を伸ばしかけたサラにリーシャが問いかける内容は、サラの脳裏に疑問符を浮かび上がらせる。

 しかし、近寄っていたカミュは、リーシャの言葉に何かを理解したのであろう。それ以上近寄る事はせず、遠巻きに二人の様子を窺う事にした。

 

「……魔物との実戦を経験しているサラに、素振りだけでは失礼だったな。明日からは、私が直々に稽古をつけてやる。まぁ、簡単な模擬戦だな……」

 

「えっ?……えぇぇぇぇぇぇ!!」

 

 リーシャとの模擬戦。

 それはいつもカミュと剣を打ち合っている、あれの事である。 

 剣を持って数日のサラには、土台無理な話であるだろう。

 『リーシャは、自分を殺すつもりなのか?』という疑問が湧いて来る程に、その提案は無茶な物であった。

 サラがリーシャの言葉を理解すれば理解する程、その身を恐怖が支配して来る。

 

「……あ、あの……リーシャさん……?」

 

「ん?……なんだ、サラ?」

 

「ひっ!」

 

 恐る恐る顔を上げたサラが見たものは、先程まで無表情だったリーシャの貼り付いたような満面の笑みだった。

 無表情だったリーシャを見た後だけに恐怖が大きい。サラは、痛む頭をさすろうと手を伸ばしながらも、その目を伏せた。

 

「……えっ!?……あ、あぁぁぁぁぁ!!」

 

「!! 今度はどうした!?」

 

 突然上がったサラの奇声に、笑みを張り付けていたリーシャも驚き声を上げる。

 サラは、自身の頭を摩る為に僧侶帽を取り、それを見つめて呆然と立ち尽くしていた。

 

「……私の帽子が……へこんでしまっている……」

 

 先程、リーシャが下ろした拳骨は、サラの脳天を捉える為に、サラが被っていた僧侶帽をも突き抜けていた。

 その際に、当然帽子に拳骨がぶつかり破壊したのだ。

 通常、僧侶が被る帽子は、その形状を崩さない為という理由と、頭部を守るという理由で、その内部をなめし皮で覆っている。つまり、リーシャにあっさりと破壊されはしたが、本来の強度は<革の帽子>よりも高いという事になる。

 

「……柔な帽子だな……そうだ、少し待っていろ……」

 

 自分が破壊した事を全く意に介さず、何かを思いついたように店内を見渡すリーシャを見て、サラはへこんだ帽子を眺めながら溜息を吐く。傍観していたカミュも、盛大な溜息を吐き出し、再び<革の盾>の具合を調整し始めた。

 

「おっ! あった、あった」

 

 そんな言葉と共に戻って来たリーシャは、帽子を外したサラの頭に、取って来た何かを被せる。サラは、突然の事に目を丸くし、リーシャの顔を見つめ返すが、そのリーシャの顔は徐々に崩れて行った。

 

「……ぷっ、あははははははははは! サラ、良く似合っているぞ! あはははは! それを被って、昨日の皺だらけの寝巻きを一緒に着たら、最高装備だ!」

 

「……ぷっ……」

 

 崩れていったリーシャの顔は、爆笑という結果を生み出していた。

 腹を押えながら笑い出すリーシャは、もう止まらない。その状況で、ようやく自分に被せられた物が<革の帽子>である事にサラは気が付いた。

 普通の装備品の筈が、リーシャにあれだけ盛大に笑われると、恥ずかしい物のように感じてくる。カミュにまで噴き出された事が、その感情に拍車をかけた。

 

「それに組み合わせて、<亀の甲羅>でも背負ったらどうだ?」

 

「ぶっ! あはははははは!」

 

 更なるカミュの追い打ちに、収まりかけたリーシャの笑いは、歯止めを失い暴走して行く。

 腹を抱え、崩れ落ちてしまいそうな程に笑うリーシャを見ている内に、今度はサラの顔から表情が失われて行った。

 

「……なんだい?……いやに賑やかだな?」

 

 リーシャの笑い声が響きわたる店内に、店主が戻って来る。手にはカミュとリーシャの剣を持ち、あまりにも賑やかな店内に苦笑を洩らしていた。

 武器屋の店内がこれ程の笑い声に満たされる事は、通常ではあり得る事ではない。

 しかも、自慢気に討伐した魔物の話をする冒険者の不快な笑いではなく、本当に心から湧き上がったような笑いは、店主自体も久しく聞いた事がなかった。

 

「あっ! こ、これも直してください!」

 

 未だに笑い収まらないリーシャに顔を背け、頭から<革の帽子>を取り払ったサラは、手に持つ僧侶帽をカウンターに置き、店主に修理を頼み込む。

 カウンターに置かれた帽子を手に取り、暫く鑑定を行っていた主人だが、サラの瞳を見つめ、若干顔を歪めた。

 

「……ああ、僧侶帽か……まあ、直せなくはないが、何せ特製品だからな……ちょいと値が張るぜ……?」

 

「……えっ?」

 

 店主の言葉に、ゴールドが必要な事に初めて気が付き、サラはカミュに向けて視線を向けるが、そこに立っていたカミュからは、とても良い答えが返って来る様子はなかった。

 必要な装備品を整える為の資金は出すが、個人の所有物に関する事は、自己責任だとでも言うような瞳を向けている。

 

「……自分の懐から出せよ……」

 

 案の定、カミュから帰って来た回答は『出せない』というものであった。

 カミュの瞳を見た瞬間に予想は出来ていた事ではあるが、その答えにサラは愕然としてしまう。

 今、サラの味方は何処にもいなかった。

 

「どうすんだい?」

 

「うぅ……リーシャさんが壊した物なのに……」

 

 三人の様子を見ていた店主が、サラに向かって再度問いかける。カミュから視線を外し、壊れた僧侶帽を哀しそうに見つめたサラは、小さく恨み事を呟いた。

 笑い声が収まり、静けさを取り戻した店内に、その小さな呟きは響いて行く。

 

「サラ……何か言ったか?」

 

「い、いえ! 何も!……修理をお願いします」

 

 『本来ならば、壊したリーシャが出してくれても良い筈だ』という、サラの胸の内はあっさりと見破られ、僧侶帽を壊した張本人に先手を打たれた。

 サラの投下した大型爆弾の結果は、サラの剣の訓練の過酷化と、アリアハンから持って来ていた少ない資金の減少という、サラにとって最悪な状況へ陥れるものとなった。

 

 

 

 武器屋を出た後、一行はその足でレーベの村から出る事になる。村から出た三人は、抜けるような青空の下、アリアハンへ向かう道と反対方向へ歩き出した。

 

「カミュ、他大陸に行く為に必要な『旅の扉』は、<いざないの洞窟>と呼ばれる洞窟内にある筈だ。この先の山道を超えた先に、その洞窟はある」

 

リーシャがカミュの横に立ち、これから進むべき道を指し示している。そこから、少し離れた所で、サラはしょんぼりと俯いていた。

 未だに、リーシャの拳骨が落とされた頭部には、鈍い痛みが伴い、大きな瘤が出来ている。

 

「サラ! 行くぞ!」

 

 リーシャの声に顔を上げると、既に二人は先に歩き出していた。

 慌てて、サラはその後を追いかける。

 彼らの頭上には力強い太陽が輝き、楽な道程ではない事を示していた。

 

 一行はレーベの村から、真っ直ぐ東へと向かって歩き出す。途中の道で出て来る魔物の中には、『ナジミの塔』に住む魔物達なども存在した。

 カミュやリーシャの敵ではなかったが、剣を持ち始めたサラにとってはどれも難敵であり、しかも、<レーベの村>の一件以来、極力、サラを単独で魔物に向かわせるようになったリーシャは、サラの身に危険を感じるまでは手を貸す事をしなかった。

 サラの身に危険が迫ればリーシャが救ってはくれるが、二人が既に魔物を片付け終わった後も、一人で魔物と対峙しなければならない事は、戦闘初心者のサラにとっては辛い物だった。

 中でも、山道に入ってすぐに姿を現した魔物との戦闘は、サラにとって辛い経験となる。

 

 

 

 陽も高くなり、見渡す限り草原だった場所を抜けた辺りで、道が傾斜になり始め、そのまま山道へと入っていった。

 山道を歩く事を知っていたカミュとリーシャは、日が暮れる前に山道を抜ける為、ここまでの道で休憩を挟まずに来ている。その為、サラの息遣いは若干荒れ、歩む速さも衰えていた。

 そんな矢先、先頭を行くカミュの足が止まったのを視界の隅で確認したサラは、『休憩か』と胸を撫で下ろしたが、その期待はもろくも崩れる事となる。

 

「……」

 

 無言で背中の鞘から剣を抜き放つカミュの姿に、サラは大いに落胆した。

 剣を抜いたという事は、また魔物との戦闘の合図なのだ。

 しかし、リーシャに続いて、サラが腰にさした<銅の剣>を抜き、身構えた先に出て来たのは『人』であった。

 黒に近い色のフードを頭からすっぽりと被り、異様な雰囲気を持ってはいるが、姿形は『人』そのものである。それが三人、脇道から姿を現した。

 

「サラ! 気を緩めるな!」

 

 出て来た『人』の姿を見て、一瞬『ほっ』と息を吐いたサラに向かって、リーシャの檄が飛んだ。

 何を言っているのか理解の出来なかったサラの視線の先にいる、フードを被った一人がサラに向け右手を掲げる。サラがそれを視認したと同時に、フードの男の掲げた手から炎を纏う球体が、サラ目掛けて飛んで来た。

 サラがそれを『メラ』だと認識できた時には、避ける事も防ぐ事も出来ない距離まで、火球は迫っていた。

 思わず目を瞑ってしまったサラは、予想していた衝撃と熱が来ない事を不思議に思う。ゆっくりと目を開けると、そこには<レーベの村>で新調した<革の盾>を掲げたリーシャの背中が見えた。

 

「サラ、あれは人ではない。<魔法使い>という魔族だ」

 

<魔族>

獣のような魔物とは違い、知能が発達した者。本能で人を襲う魔物とは違い、理性を有し、理知的に獲物を追い詰める事が出来る者。この世界の魔物には大きく分けて、二種類の魔物が存在する。自然界に存在する獣のような姿形を持ち、知能が低く、本能で人を襲う<魔物>。そして、『魔王バラモス』が登場するまではこの世界には存在してはおらず、『魔王』の出現と共に、この世界に現れた<魔族>。知能は高く、時には魔物を従えていたりする事もある。

 

<魔法使い>

『魔王』の出現と共に現れ、アリアハンが旅の扉を封じる前にこの大陸に渡って来た種。最下級の<魔族>とされ、その身に宿す魔法力も少ない。人間の『魔法使い』と呼ばれる職業の初歩の魔法である<メラ>以外に魔法を行使できない事から、人間の『魔法使い』が魔族に堕ちた者ではないかという説もある。

 

 サラが人の姿をした魔物に戸惑っている間に、カミュは一人の<魔法使い>を斬り捨てていた。

 カミュの剣によって袈裟切りに切られた<魔法使い>は、肩口から盛大に血を噴き出し、山道を赤く染めながら崩れて行く。

 サラには、それが、『人』が倒れて行く様に見えた。

 

「サラ! 呆けるな!」

 

 我に返ったサラは、再び剣を握る手に力を込めるが、その手は小刻みに震えている。

 初めて見る人型の魔物。

 それは、『魔物=獣』という図式が成り立ってしまっていたサラの心に、大きな波紋を作り出していた。 

 

「くそ!」

 

 再びリーシャに向かい『メラ』を放ってきた<魔法使い>に向かって、火球を避けながら突き出したリーシャの剣は、魔法使いの胸を突き抜け、背中からその刀身を見せる。フードの奥にある口のような部分から、血液を吐き出す姿が、サラの目の裏にこびり付いた。

 勇者一行に動揺が走る中、サラが動けない事に気がついた<魔法使い>が、一点突破を考えてサラへ向かい攻撃を繰り出して来た。

 『メラ』による目くらましを仕掛けた後に、そのまま突進を始める。サラは自分に向かって来る魔法を辛うじて避ける事は出来たが、態勢を崩し、<魔法使い>の突進に対処する術はなかった。

 

「サラ!」

 

 リーシャの叫びが空しく響く。

 サラは、リーシャの叫びを耳にし、苦し紛れに手に持つ<銅の剣>を振り抜いた。

 それが、サラの持って生まれた運なのか、サラの言う『精霊ルビス』の加護の賜物なのかは解らない。

 それでも、サラが振るった剣は、カウンター気味に突進してきた<魔法使い>の、フードに隠れた眉間部分に吸い込まれて行った。

 元々打撃系の武器である<銅の剣>が、まともに眉間を打ち抜いたのだ。

 いくら非力なサラの剣とはいえ、その衝撃は相当な物である。

 <魔法使い>は、頭部から噴水のように血液を撒き散らし、崩れるように倒れて行った。

 

「……あ…あ……」

 

 自分の剣が起こした事象を確認したサラは、声にもならない呻き声を上げる。

 リーシャは一息安堵の溜息を洩らし、サラに近寄って行くが、カミュの方は、<魔法使い>の持っていた物資などを革袋に入れた後、そんなサラの様子を冷ややかに見ていた。

 

「サラ……何度も言うが、あれは『人』ではない。サラは『人』の命を奪った訳ではない」

 

 リーシャは、今サラが何を考え、何に押し潰されそうになっているのかが解っていた。

 リーシャも討伐隊に入隊したばかりの時に、あの<魔法使い>という魔族に遭遇し、今のサラと同じような状況に陥った事がある。

 魔物と言えば、その姿は獣のようなものが多い中、突如出現した人型の魔物。

 討伐隊に入隊する以前から、その存在は知っていたが、初めて目にした時、殺人に近い行為をする事に手が震え、足が竦んだ。

 

「……は、はい……」

 

「サラだけではない。私も、初めてあれと対峙した時には、同じ葛藤があった。殺した後は、今のサラと同じように罪悪感にも苛まれた」

 

 俯きながら小さく返答したサラであったが、そんなサラの肩に手を置いたリーシャの言葉を聞き、弾かれたように顔を上げる。躊躇なく<魔法使い>を斬り倒して行ったカミュとリーシャを見て、『自分の感覚が異常なのだろうか?』という疑問を持っていたサラにとって、そのリーシャの言葉は、光明にも見えたのだ。

 

「リーシャさんも……ですか……?」

 

「……ああ……恥ずかしい事だがな。あの時は、今のサラの歳よりも下だった」

 

 リーシャの告白に、今まで胸を締め付けるようにあった罪の意識が軽くなったような錯覚に陥る。今の自分よりも年若い時に、このような感情を抱く事になったリーシャに同情する反面、強い精神力を有していると考えていた宮廷騎士でさえ、そんな葛藤を持っていた事に安堵したのだ。

 

「だが、どんな姿形をしていても魔物は魔物。私が属す、アリアハン国で暮らす国民達の生活を脅かす存在に変わりはない……そう考えるようにした」

 

「……そうでしたか……」

 

 自分と同じような葛藤を、アリアハン随一の戦士が駆け出しの時分に持っていたという事実。

 そして、それを克服するための考え方を聞き、サラも下げていた頭を上げる。顔を上げたサラを、リーシャは優しく見つめていた。

 すぐに克服出来る物ではないが、その為に歩き出す事を決意したとリーシャに伝えるために、サラはリーシャに向けて微笑んだ。

 

「獣であれば殺しても良いとは、随分都合の良い話だな」

 

 その時、微笑み合う二人の表情を凍りつかせる言葉が、後ろにいる無表情の青年から発せられる。

 今まで前にいた筈のカミュが、いつの間にか二人の後ろに移動していたのだ。

 その言葉に、勢い良く振り向いたリーシャとサラの表情は、対照的な物となっていた。

 

「なんだと!?」

 

 いつものように、過剰に反応を返すリーシャに対し、サラはその真意を知りたくなる。この無表情な青年の思考を知る事こそが、その考えを正し、『精霊ルビス』の教えを伝える事への第一歩となると考えた。

 

「では、カミュ様は、なぜ魔物を殺すのですか?……カミュ様も、今まで数え切れない程の魔物を倒して来た筈です」

 

 リーシャのいつも通りの反応を受けていたカミュは、突然自分に向け強気な発言をしたサラの方に視線を向け、少し考える素振りを見せた後、その口を開いた。

 それは、辛辣な言葉を予測していたサラや、怒りを見せていたリーシャの予想を外す物だった。

 

「……俺に敵意を向けたからだ……魔物であれ、人間であれ、俺の存在を無にしようとする者ならば、殺す……それが、旅に出る時に決めた事だ」

 

「……人間でも……」

 

 カミュの言葉の一部分がサラの胸に突き刺さる。

 それは、サラが受けて来た『教え』の中では、最大の禁忌とされている行為。

 それを、目の前の青年は、平然と言ってのけた。

 軽い衝撃を受けたサラは、答えの解っている問いかけを向けてしまう。

 

「……ああ……例え人間でも……だ」

 

 サラは予想外の答えに言葉を失った。

 世界を救う存在である『勇者』が、その救うべき対象の『人』を殺す事を宣言したのだ。

 サラの視界が揺らいで行く。

 サラの信じていた『勇者』という偶像が音を立てて崩れ落ち、彼女を思考の迷宮へと誘って行った。

 

「……もしかして……もう……既に……」

 

 サラの思考は、最悪の方向へと向かって行く。

 それは、『カミュが、既に人間を殺しているのではないか?』という疑問。

 そして、もしそうだとすれば、『殺人者』という大罪人を、『勇者』として国家が送り出した事となる。サラにとっては、信じる事はできず、そして許す事のできない事実だった。

 

「……何を考えているのかは解るが……残念ながら、『人』を殺した事は、未だにない」

 

「……本当か?」

 

 サラの問いかけに答えるカミュに向けて、横にいたリーシャから再度確かめるような言葉が飛ぶ。

 リーシャにしても、カミュが『人』を殺した事がないという確信が欲しかった。

 もし、他国と戦争にでもなれば、リーシャのような宮廷騎士は、前線に立ち他国の兵士を殺して行く事が仕事となる。

 だが、ここ数十年、魔物が横行している影響で、国同士の争いは皆無となっている。『魔王バラモス』の登場により、人同士が寄り添っていかなければ、生きてはいけないからだ。

 故に、現在では、犯罪者以外に『人』を殺すという行為をする存在はいない。

 

「……俺がアンタ達に嘘を付く必要性は見当たらないが?」

 

 そんなリーシャの真剣な問いかけに対しても、カミュは無表情のまま答えを返す。暫しカミュの瞳を睨むように見つめていたリーシャは、その瞳に嘘がないと判断し、一つ息を吐き出した。

 視線が外れた事を確認し、カミュはもう一度口を開く。

 

「……それで?……アンタ達はこれから先、何の目的で旅を続けるつもりだ?」

 

「……は?」

 

 カミュの問いかけの意味が理解できず、リーシャは素っ頓狂な声を上げた。

 サラもリーシャの横で首を傾げている。カミュの質問の意味は解り過ぎる程に知っている。アリアハンが国を挙げて送り出した『勇者』の目的など、唯一つなのだ。

 その目的の為に、リーシャもサラも、この捻くれた青年に付いて歩いているのである。

 

「……え?……『魔王討伐』の旅ではないのですか?」

 

「目的が『魔王討伐』ならば、この先、魔物であれ人間であれ、自分達に敵意や害意を持つ者を倒していかなければ、自分達が目的も達せずに死ぬだけだ。悪いが、俺にそのつもりはない。自分の力量不足で殺されるならまだしも、何もせずに死ぬ事は断る」

 

 続けられたカミュの言葉に、リーシャとサラの二人は返答に窮していた。

 確かに、カミュの考えを否定する事など出来ない。最終目的は『魔王討伐』なのだ。

 それは、世界を救う為、そして人々を今の苦しみから救う為の旅。

 そのような大義のある旅をしている自分達に敵意を持つ者へ抵抗をしなければ、自分達の使命は果たせず、土に還る可能性も否定は出来ない。

 

「何れにしろ、俺は魔物だからという理由で殺す訳ではない。これから先も、それは変わらないだろう。魔物であれ、俺に敵意を見せず生活をしている魔物なら殺す事はしない」

 

「……傍で人が襲われていても……ですか……?」

 

 カミュは言葉と共に、二人に背を向け歩き出していた。

 サラはそのカミュの背中に向けて、疑問を投げかける。それは、サラにとって最後の境界線だった。

 そんなサラの心情を知ってか知らずか、珍しくカミュは立ち止まり、少し考えるように天を仰いでから、口を開いた。

 

「実際、その場に立ってみなければ解らないな。それが魔物にとって、『食料』という死活問題なのか、単純に襲っているだけなのか……襲われている人間にも、襲っている魔物にも言い分はあるだろうからな」

 

「……カミュ……」

 

 リーシャは、以前カミュから聞いた言葉を思い出した。

 『魔物にも生きる権利はある』

 人の中にも、弱い魔物をいたぶり殺す者はいる。それは、世間では肯定されてはいるが、カミュはそれを許さないのだろう。

 そんな事をリーシャは考えたが、それ以上に、サラに対して、カミュが自分の考えを語る事に驚いていた。

 

 『仲間として見る』というリーシャとの約定はあるが、自分を曝け出す事を義務付けた覚えはない。考えてみると、カミュの一連の言葉は、言い方は最悪だが、サラを悩ます罪悪感を軽減させる効果がないとは言い難いものだった。

 『自分に襲いかかって来る者を殺すのは、正当な行為だ』と言っているのだ。

 その真意がサラに届いているかと言えば、それに関してリーシャは自信を持てはしない。それでも、リーシャの中での『勇者カミュ』という存在に小さな変化が生じていた。

 

「日が暮れる前には、山道を出たい」

 

 再び背を向け歩き出したカミュに、リーシャもサラも黙って従うしかなかった。

 カミュが語った内容に対し、二者二様の想いを持ったまま、一行は再び山道を歩き出す。まだ彼等の旅は始まったばかりであり、この先の道は果てしなく長い。

 

 

 

 その後も、山道には魔物が多く、今まで出会った事のない魔物等も、一行の前に立ちはだかった。

 尻にある針に潜む毒によって、人の神経を麻痺させ、動けなくなった人を食す<さそり蜂>などは、アリアハン大陸にいる魔物の中でも最上級の魔物だ。

 針による攻撃を回避しながら、その胴体を切断して行くリーシャとカミュを、サラは呆然と見ている事しかできなかった。

 その姿を見ていたサラは、『カミュの考えを否定するにも、その行動を止める為にも、自分の力量が足りない』という事を改めて実感し、今後のリーシャによる稽古を、今以上に真剣にこなす事を決意するのであった。

 魔物との遭遇の多さに、一行の計画は崩れる。山道を抜ける前に陽が沈み始め、周辺を赤く染め始めていた。

 そんな太陽を忌々しげに見つめ、カミュは軽く舌打ちした後に振り向く。

 

「……予想より時間がかかった……このまま進んでも、陽が完全に沈んでしまえば、方向感覚も狂う」

 

「そうだな……この周辺で、休める場所を探そう……」

 

 カミュの申し出を快諾したリーシャは、周辺を見回し、火を熾せるような場所を探し始める。サラにとっても、この申し出は渡りに舟であった。

 朝から、休憩を取る事もなく歩き続け、戦い続けて来た為、サラの膝は笑っている状況だったのだ。 

 やがて、宿営地を決め、リーシャは火を熾し始めた。

 その周りを囲むように三人は座り、<レーベ>で購入した干し肉を炙り食して行く。そんな中、リーシャが、干し肉を噛み切りながら、おもむろに口を開いた。

 

「そう言えば、サラ……はむはむ……先程、サラの歳の話になったが……ああ! この干し肉は噛み切れないな!……実際、何歳なんだ、サラは?」

 

「……え?」

 

 干し肉を口に入れ、もごもごしながら話すリーシャの言葉を、何とか聞き取ったサラであったが、質問の意図が見出せない。突然年齢の話をし始めた理由が解らないのだ。

 干し肉を片手に呆然としているサラに、リーシャはもう一度口を開く。

 

「いや……カミュと同年代だとは思ってはいるが、はっきり聞いた事はなかったからな……別に、深い意図がある訳ではないんだ」

 

「え?…あ、はい……十七になります」

 

「はぁ?」

 

 リーシャに対しての回答であったのだが、返答したのはカミュの間の抜けた声であった。

 良く見ると、リーシャも口に入れた干し肉を噛む事を忘れてしまったように、唖然としている。

 

「……何かありましたでしょうか……?」

 

「アンタは、俺より年上だったのか?」

 

 二人の姿に、何か変な事を言ってしまったかと思い、慌てるサラに対して発したカミュの言葉は、非常に失礼な言い草だった。

 リーシャも、そんなカミュの言葉に我に返り、何かを思いついたような笑顔を見せる。

 

「この中では、お前が一番年下という事になるな。これからは、その辺りを弁えた言動をするんだな」

 

「ぷっ!」

 

 リーシャが得意げに話す姿が滑稽で、思わずサラは噴き出してしまう。カミュは一瞬不機嫌そうな顔をしたように見えたが、すぐに元の無表情に戻っていた。

 そして、視線をリーシャへと向ける。

 

「旅に年功は関係ない筈だ。唯単に、先に生まれたというだけだ。その証拠に、少なくとも、俺はアンタよりも『賢さ』を持ち合わせているつもりだが」

 

「なんだと!」

 

 無表情のまま、失礼極まりない言葉を発したカミュに、リーシャは激昂する。

 今にも立ち上がり際に、剣を抜きそうな勢いのリーシャに向かって、カミュは大きな溜息を吐き出した。

 

「俺は<マヌーサ>にかかって、味方を攻撃したりはしていない筈だが?」

 

「ぐっ……くそっ、古い話をいつまでも……」

 

 サラはいつの間にか、こんな二人のやり取りに慣れてきている自分がいる事に驚いた。

 旅に出たばかりの時は、リーシャの怒声を聞く度にどうしようかと慌てたものだが、今は笑みを零し、食事を続けながら二人を見ている事が出来る。それが良い事なのかどうかは解らないが、少なくとも、少しずつ仲間として行動し始めていると感じていた。

 怒鳴りながらも、本気で怒っている訳ではなさそうなリーシャと、時に口端を上げながら話すカミュのやり取りは、サラが眠るまで続いた。

 

 

 

 翌朝、陽が昇ると同時に山道を歩き始め、陽が高くなる前に一行は平原に出る事が出来た。

 平原の中、地図を見ながら歩くカミュが先頭を歩き、魔物を警戒しながらリーシャが最後尾を歩くという、いつもの布陣で目的地を目指す。

 途中に一軒の家が立っており、その中には<いざないの洞窟>を管理しているという老人が住んでいた。

 その老人と話をし、その家から北にある湖の畔に<いざないの洞窟>に続く道があるという情報を得て、一行は北に歩を進める。

 老人の話の通りに北へ進むと、周りを山に囲まれた澄んだ湖があり、その畔に大きく口を開けた洞窟が存在した。

 十年以上も前に閉じられた場所へ続く洞窟とは思えない程に手入れがされており、滑って足を踏み外したりする心配もなく、一行は地下へと降りて行く。

 

「貴方は、カミュ殿ですか?」

 

 階下に降り、一本道を進んだ先に、何人かの兵士が立っていた。

 着ている鎧は、リーシャが着ている物と同じ物であり、その鎧が、この人間達がアリアハンの兵士である事を物語っていた。

 

「……はい。カミュと申します」

 

 いつも通り、対外の仮面を被ったカミュを見て、リーシャとサラはお互いの顔を見合せて苦笑し合う。目の前に立つアリアハン兵士は、そんな従者二人の態度を訝しげに見つめるが、カミュの視線に気づき、話を前に進める事にした。

 

「国王様から話は聞いております。どうぞお通りください」

 

「……国王様から……?」

 

 リーシャの問いかけに表情を崩さず、一人の兵士が答えるために前に出る。それはリーシャも良く知る、宮廷騎士の一人であった。

 上級貴族の出身で、剣技や指揮力は皆無に等しいが、父親とその家柄の力で、宮廷部隊長まで伸し上がった人物である。そして、常にリーシャを嘲っていた人物でもあった。

 

「久しぶりだね……どういう風にこの大陸を出るつもりなのかは知らないが、国王様から、そこの若い奴が大陸から出る所を見届けるようにと指示を頂いたのでね。余りに遅かったんで、使命の重さに逃げ出したのかと思ったよ」

 

「なに!?」

 

 その七光の言葉に一瞬頭に血が上りそうになったリーシャだが、よくよく考えると、毎日のように交わされるカミュの皮肉の方が、ずっと身に詰まされる物である事に気付き、抑える事にした。

 この男の言っている事は、全く自分には関係のない事なのだ。

 カミュ流に言うと、『名前を覚える必要性も価値もない人間の戯言であり、別段、敵意と殺意を向けてきた訳ではない。相手にする必要さえもない』。

 そうリーシャは考える事にした。

 一向に噛みついて来ないリーシャを不審に思ったが、その部隊長はリーシャを無視し、カミュへと声をかける。

 

「それで?……どうやって、この壁の向こうにある『旅の扉』へ向かうつもりなんだ?」

 

「……下がっていてください」

 

 サラは後方からやり取りを見ながら、カミュの対外的な仮面にも、二通りの物がある事に気が付いた。

 一つは、本当にカミュが敬意に近い物を持って相手に接している時の仮面。

 もう一つは、全く相手にする気もない人間に対する時の仮面である。

 サラは不謹慎ながらも、もし、今あの部隊長がカミュの態度に腹を立て、剣を抜いたとしたら、カミュはどうするのだろうと考えていた。

 しかし、少し考えた結果、簡単に切り捨てた後、『こいつらを洞窟内に捨てておけば魔物に食われる。アンタ方が話さなければ判明しないことだ』と語るカミュの言葉しか思い浮かばない自分の頭を振り、考える事を止めてしまった。

 そんなサラの関係ない脳内会議を余所に、カミュは<魔法の玉>を壁に引っ掛けていた。

 壁に取り付けられた<魔法の玉>からは、一本の紐が飛び出ている。その紐にカミュは小さく、『メラ』によって火を点けた。

 

「下がれ!」

 

 点火し走って戻って来るカミュの言葉に、その場にいた全員が数歩後ろに下がる。

 そして、カミュが自分達の場所まで辿り着いた時、凄まじい程の爆音と眩いばかりの閃光が地下のそれ程広くない広間を包み込んだ。

 

「な、なんなのだ、一体!お前達、何をした!」

 

 耳を劈くような爆音に、兵士達の全員の耳が機能しなくなる。

 声は発しているが、聞こえてはいないのだろう。もはや、怒鳴り散らしているとしか思えない程の音量で、宮廷部隊長がカミュへ問い質すように詰め寄って来た。

 全員の耳の機能が回復した後に、カミュが兵士達に説明を返す。

 <魔法の玉>の出所は明確にせず、『ナジミの塔で見つけた古の道具』とだけ答えた。

 部隊長は完全に納得は出来はせずとも、余りにも信じられない光景だった為、追及を諦めざるを得なかった。

 

「……では、私達は参ります。お勤めご苦労様でした」

 

 全く心の籠っていない労いの言葉をかけ、カミュは先へと進む。その後を、小走りにサラが追って行った。

 最後に残ったリーシャは、瓦礫が散乱する広間を見渡し、一つ溜息を吐き出す。

 

「ふ、ふん。精々頑張るんだな。まあ、『魔王討伐』という使命を失敗すれば、アリアハンにお前が帰って来る場所などはないだろうがな」

 

「……」

 

 『やはり、カミュが語った内容は事実だったのか』

 リーシャは、部隊長の一言に腹を立てるよりも、その事実が確認できた事が何よりも哀しかった。

 『出来るならば、自分が『魔王』を討伐し帰って来るまで、自分を育ててくれた古い使用人である、あの老婆だけは無事でいてほしい』

 そう思いながら、リーシャは二人の後を追った。

 

 

 

 カミュ一行の姿が、洞窟の奥へと消え、広間には近衛兵達しかいなくなった。

 誰もが、先程ここであった出来事が信じられない心境であり、皆口を開く事をしなかった。

 

「……何を呆けている! これより国王様の命を遂行する。外で控えている職人達を呼び寄せ、作業に当たらせよ! くそっ! 派手にぶち壊しやがって! 何を使ったのか知らないが、時間を掛ける訳にはいかない。早急に壁を修繕するぞ!」

 

 部隊長の指示の下、部下である兵士達が慌ただしく動き始める。

 外に職人を呼びに行く者。

 弾け飛んだ瓦礫を片付け、修繕の準備をする者。

 部隊長が言うようにそれは時間との戦いであった。

 いざという時の為に、部隊全員を連れてきてはいるが、他大陸の魔物と対峙した事のない兵士達である。

 何がどうなるか、予想もつかない。

 先に進んだカミュ達が取り溢した魔物達が、こちらに向かって来る可能性も充分に有った。

 その為にも、最低限の防壁は、すぐにでも作っておかなければならないのだ。

 

 部隊長は『国王の命』と叫んだ。

 つまり、アリアハン国は、自国が送り出した『勇者』を、自国で締め出す算段なのだ。

 アリアハン大陸から出れば、その後の援助はなく、自力で『魔王討伐』という使命を遂行しろという事なのだろう。しかし、国としても『魔王討伐』は願うが、自国の民をこれ以上苦しめない為にも絶対的に必要な事でもあったのだ。

 それが、この行動として表れていた。

 

 

 

 更に地下に進んだカミュ達は、入り組んだ洞窟内を彷徨いながらも、着実に前へと進んでいた。

 しかし、洞窟内部は長年の放置により劣化が進んでおり、ところどころの床が抜け、進む事が不可能であったり、壁が崩れ進めなかったりと、行ったり来たりを繰り返している。その中でも、魔物の種類の変化が、サラに負担をかけていた。

 

「サラ、大丈夫か?」

 

「……はい……ホイミ……」

 

 サラの詠唱と共に、淡い緑色の光が、サラの患部を包み癒して行く。つい先程の、<一角うさぎ>の上位種である<アルミラージ>との戦闘で、その鋭い角によりサラの腕は傷を負っていた。

 魔物は、アリアハン大陸では見た事のない種の物ばかりだった。

 そして、その魔物達の力量も、アリアハン大陸の魔物とは大きく違っていたのだ。

 カミュとリーシャはいつも通りに斬り伏せては行くが、ようやく剣を振るう事が出来るようになったばかりのサラにとっては、それらの魔物との戦闘は厳しい物だった。

 リーシャがサラを護るように、戦闘をしてくれてはいたが、少しの気の緩みで、サラの腕は<アルミラージ>の角の攻撃を受ける事となる。

 

「……すまない……今日は、少しやりすぎたかもしれないな……」

 

 リーシャがサラに謝っている内容は、今朝の山道での事だろう。朝、陽が昇る前に起こされたサラは、すでに剣の稽古とは名ばかりの模擬戦をカミュと共に終えたばかりのリーシャに、剣を構えるように言われた。

 最初は戸惑っていたサラであったが、自分から頼み込んだ事でもある為、その指示に大人しく従い、出発までの間、リーシャに剣を打ち込む事となったのだ。

 

「……当然だな。剣を持つ事も初めてに近い相手に、初めからあれ程の事を求める事自体がおかしい。俺には、アンタがコイツを殺そうとしているようにしか見えなかったがな」

 

「そ、そんな事、ある訳がないだろ!」

 

「……何故口籠るのですか……?」

 

 一瞬口籠ったリーシャを見て、サラは一抹の不安を抱いたが、杞憂であるという希望を胸に問いかけてみる。『戦士』であるリーシャにとっての訓練と、『僧侶』であるサラにとっての訓練には、雲泥の差がある事をリーシャもサラも気付いてはいなかったのだ。

 

「サ、サラまでか!? 私の時は、最初からあんな感じだったんだ! 私がサラに害意を持つ訳がないだろ!」

 

 その証拠は、次のリーシャの言葉で明らかになった。

 彼女は、自分が行って来た鍛錬を、若干の手加減はあるにしても、サラへと求めていたのだ。

 幼かったとはいえ、リーシャは宮廷騎士隊長の娘であり、剣の才を有している娘である。それと比べられては、サラでなくとも疲労困憊になるのは当たり前であった。

 

「……脳筋戦士と同様に考えられたら、普通の人間は倒れるぞ……」

 

「なっ、なんだと!」

 

 しかし、こんな魔物が蔓延る洞窟内でも全く雰囲気を変えない二人が、サラにはとても頼もしく映る。それと共に、完治した腕を見ながら笑いが込み上げて来た。

 剣の鍛錬にしても、リーシャに悪気がない事は明白である。サラの願いに応えようと、彼女なりに真剣である事は、サラも理解していた。

 

「ふふふ、大丈夫です、リーシャさん。私も、いつまでもこのままでは駄目ですので、これからも稽古をお願致します」

 

「そ、そうか。よし、わかった。だが、その日の旅に支障をきたさないようにしよう。すまない、今日は私も張り切り過ぎた」

 

 困ったような表情で頭を下げるリーシャの貴族らしからぬ行動に、今度はサラの方が慌ててしまった。

 手を大きく振りながら、リーシャに顔を上げてもらい、一行は再び洞窟の奥へと歩を進めて行った。

 

 

 

「こっちではないか?」

 

 先程、稽古について話した階から一つ降りた階層は、階段を降りたところから、道が三方向に分かれていた。

 右、中央、左の三方向にである。リーシャが示したのは階段を降りて、左の方向であった。

 

「……そうですね。とりあえず行ってみましょう」

 

 リーシャの言葉に同意するサラの一言で一行の進行方向が決まり、左へと進路を取る。左の方角へ真っ直ぐ進むと、更に右に折れる道があり、そこに大きな扉があった。

 

「……鍵がかかっているな……」

 

「ほら見ろ! そんな立派な扉があるんだ。やはり左だっただろう?」

 

「<盗賊の鍵>では開きませんか?」

 

 一人得意げに語るリーシャを無視し、カミュはサラに言われた通りに、革袋から取り出した<盗賊の鍵>を、扉とは反比例に小さな鍵穴に差し込む。

 乾いた金属音と共に鍵が開き、カミュと未だに得意げに鼻を鳴らすリーシャの二人で、大きく重い扉を押し開いて行った。

 開かれた扉の先には、再び一本道の通路が続いている。そのまま進むしか選択肢のない一行は、その通路を真っ直ぐに進んで行った。

 

「……行き止まりですね……」

 

「……」

 

 サラの言う通り、その通路は少し進むと壁にぶつかった。

 この壁が、<魔法の玉>で破壊する必要がない物であれば、間違いなく行き止まりであろう。

 

「……戻りましょうか……」

 

 溜息交じりなサラの提案に、カミュは素直に頷き、来た道を戻って行く。リーシャも何とも言えない表情を作りながら後に続いた。

 

「……左ではないのなら、中央の道だな……普通は、中央の道が怪しい物だ」

 

「……リーシャさん……」

 

 リーシャの言葉にサラは曖昧に返事を返すが、再びリーシャの提案通り、降りてきた階段から中央にある通路を進む事となる。

 

 

 

「……」

 

「……もう進路に関しては、アンタは黙っていてくれ」

 

 中央の道の先にあった鍵のついた扉の先は、再び壁であった。

 言葉が出ないサラとリーシャは、無言で壁を見上げていたが、カミュは溜息交じりに辛辣な言葉をリーシャに投げかける。

 

「くっ……」

 

 悔しそうに顔を歪めるリーシャを申し訳なさそうに見ていたサラも、内心はカミュの申し出に賛成であった。

 『ナジミの塔』への地下通路の時から、リーシャの指し示す道は行き止まりばかりなのだ。

 サラやカミュでなくとも、溜息が出て当然であろう。

 

 

 

 気を取り直し、残った右への通路を進む。ここにも、先程までの二本の通路と同じように扉があったが、その扉の先は今までとは違っていた。

 扉を開け、進んだ先には、少し開けた広間があり、中央には渦を巻いている小さな泉があった。 

 

「……これが、『旅の扉』?」

 

 サラが確認するように口を開くが、残る二人も知識こそあれ、実物を見るのは初めてだった。

 故に、サラの問いかけに確かな回答が出来ない。三人が泉へと近付き、神秘的な輝きを放つ水の渦を見下ろした。

 小さな泉は、カミュ達が手に持つ<たいまつ>の明かりを反射するように輝き、不思議な事に渦巻くような動きを見せている。

 

「……おそらく、そうだろうな……」

 

「……これに、飛び込むのか?」

 

 カミュの自信なさ気な答えに、リーシャは弱気な質問を返した。

 そんな二人のやり取りに、サラの不安は大きくなって行く。

 少し泉を眺めながら考えていたカミュではあったが、意を決したようにリーシャを見つめ口を開いた。

 

「俺から先に入る。状況上、これが『旅の扉』である事に間違いはないだろう」

 

「……わかった。その後にサラを入れ、私が最後に続こう」

 

「……えっ!? 私ですか!?」

 

 不安が高まっていたサラは、リーシャよりも先に飛び込まなければならない事に驚き、思わず問い返してしまう。しかし、そんなサラの問いかけに、リーシャの方が驚きを見せた。

 

「なんだ?……サラはここに残るのか?……最後にサラを残しては、魔物が出て来た時の対応が出来ないだろう? 二番目に入れば、向こうにはカミュがいる」

 

「……はい……」

 

 リーシャの当然の心配に反論する事が出来ず、リーシャの申し出を受ける事しかサラには出来なかった。

 確かに、カミュやリーシャがいない状況で、この洞窟を住処にする魔物と遭遇しては、サラ一人ではどうする事も出来ないだろう。

 

「……先に行く……」

 

 リーシャとサラのやり取りを尻目に、カミュが『旅の扉』へと飛び込んで行った。

 眩い光と共に、カミュの姿が『旅の扉』の中へと消えて行く。それを見届けたリーシャが、サラの背中に手を置き、先を促した。

 心細そうにリーシャを見上げたサラの目を見つめ、リーシャが一つ頷きを返す。サラも覚悟を決め、リーシャに頷き返した後、目を閉じ、鼻を摘まんで『旅の扉』に足から飛び込んで行った。

 カミュの時と同じような光を伴って消えて行ったサラを見送った後、リーシャもまた、周囲の警戒をしながら泉へと飛び込む。

 最後の光に包まれた後、暗い洞窟内を再び闇と静寂が支配した。

 

 

 

 

「国王様、先程魔法兵士から報告があり、勇者一行がアリアハンを出たようでございます」

 

 大広間にて食事中のアリアハン国王に、国務大臣が火急な用事と近寄り報告をする。その内容を聞いた国王は、手に持つフォークとナイフを置き、しばし目を瞑った。

 

「……そうか……それで、<いざないの洞窟>は?」

 

「はっ! ご命令通り、兵士と職人達により、再び閉じさせております」

 

 その大臣の報告に安堵した為か、国王は一つ頷きを返した後、食事を再開した。

 時折何かを考えるように、手を止めながらも食事を続けて行く国王の姿は、締め出す形になってしまったカミュ達への懺悔の為か、それとも『魔王討伐』に馳せる想いか、それは横に立つ大臣にも解らないものであった。

 

 

 

 

 

 


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