新訳 そして伝説へ・・・   作:久慈川 京

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ランシールの村④

 

 

 

 洞窟の外にあるオアシスへと出たカミュは、頬に湿気のある風を受けながら空を見上げた。

 太陽は既に西の大地へ尾を掛け始めており、数刻もすれば、その半身を大地の中へ埋めてしまうだろう。<大地の鎧>を両腕で抱えたまま、カミュは歩き始め、砂漠の中で僅かに茂る林を出て行った。

 

「ルーラ」

 

 既に目的地が決まっている以上、カミュが再び砂漠を歩く必要はない。彼の帰りを待っているであろう者達の居る神殿を想い浮かべ、カミュは詠唱を紡いだ。 

 瞬時に身体が魔法力を纏い、空中へと浮かび上がる。目的地の方角を定めるように、真っ赤に染まった空を滞空した後、東の方角へと移動を始めた。

 

 

 

「今日も帰らないかもしれないな」

 

「…………カミュ…………」

 

 陽が落ち始め、真っ赤に染まった神殿内部で、未だに闇に染まる通路を見ていたリーシャが小さな呟きを洩らした。

 リーシャの声色が落胆の色を帯びていた事で、メルエの眉は下がってしまう。この一日、やはりメルエは通路から目を離す事はなかった。

 朝食の準備の為にリーシャと共に宿屋の厨房へと移動したきり、昼食を取る事無く、椅子に腰かけたままで彼女にとっての『勇者』を待ち続けていたのだ。

 

「かなり困難な試練なのかもしれませんね」

 

 不安そうに見つめるリーシャとメルエとは対照的に、頭にサークレットを着けたサラは、客観的に物事を見ていた。

 彼女の中では、カミュという『勇者』が帰還する事は当然の事であり、その帰りが多少遅れたとしても、不測の事態に結びつく事はない。常に冷静沈着な青年でさえも、二日という日数を掛けなければ越えられない試練なのだと考えはしても、その青年が帰って来れない状況に陥っているという考えには至らない。

 

「もしや、何かあったのか?」

 

「…………うぅぅ………カミュ…………」

 

 対するリーシャは、時間が経過するに従って、その胸に押し寄せる不安に戸惑っていた。

 カミュという人物を信じ、彼が『勇者』である事を信じてはいる。だが、それと同時に、彼が『人』である事を明確に認識しているのだ。

 『人』である以上、傷つき、倒れる事もあり得る。『人』である以上、その胸の中に『心』を持ち、それが齎す不安や恐怖、そして迷いという物が、進む足を鈍らせる事も経験から知っていた。

 故に彼女は、『人』であり、『勇者』である青年を案じるのだ。

 

 メルエという少女の心の中で、『勇者』である青年が支配する領域は、この場に居る他の二人の女性よりも広範囲に及ぶ。

 自分を照らし出す優しい光は、世界の広さと厳しさ、そして何よりも暖かさと優しさを教えてくれた。絶望も感じない闇の底から彼女を引き上げ、優しく暖かな光が差す大地へと下してくれたのは、カミュという青年である。

 一度、予想していなかった出来事によって逸れてしまった時に味わった『不安』と『恐怖』は、メルエという幼い少女の心に、未だに『傷』として残っているのだ。故に彼女は、絶対的な強者であり、絶対的な保護者である青年の帰りを待ち望む。

 

「もう……まるで旦那様を待つお嫁さんと、娘さんみたいですよ?」

 

「な、なに!?」

 

「…………むぅ……メルエ……むすめ……ちがう…………」

 

 心底の不安を表情に出すリーシャとメルエを見ていたサラは、苦笑と共に爆弾のような言葉を発した。

 それは、以前までのサラならば、考えなしに発言していたような内容ではあるが、今回は色々と自身の頭で思考を重ねてからの発言なのだろう。しっかりとリーシャとメルエの瞳を見ながら、声を発していた。

 カミュという青年は、何時の間にか、このパーティーの太い幹のような主柱となっていたのだ。

 カミュという幹の元に集った者達を繋ぎ止めたのは、メルエという幼い楔であり、楔を打ち付けた者達を繋ぎ合わせて来たのは、リーシャという鎖。

 『ならば、自分はこの四人の中でどんな役割があるのだろう』と、サラは感じていた。

 絶対的に必要な三人。その中でも自身の役割が見えないサラの言葉は、リーシャやメルエをからかう物ではなく、若干の寂しさを帯びている。

 

「ふふふ。そのように見えますよ、という話です。大丈夫、カミュ様は戻って来ます。それよりも夕食の準備をしましょう? カミュ様の分も作らなくては」

 

「そ、そうだな……昨日よりも少し豪勢な物を作ろう」

 

「…………メルエ………あらう…………」

 

 瞬間的に寂しさを押し隠したサラは、笑みを溢しながら話題を変えた。

 既にサラの中ではカミュが戻って来る事は決定事項であり、それは時間の問題だとも考えている。故に、この夕食にはカミュも同席すると考え、提案したのだが、その話題の転換にリーシャもメルエも乗っかって来た。

 リーシャは腕を振るう事を宣言し、メルエは今朝頼まれた事を実行する事を宣言する。先程に比べ、かなり冷静な空気へと戻った神殿から彼女達が出ようと動き出した時、彼女達が待ちに待った時間は訪れた。

 

「…………!!…………」

 

「あっ! メ、メルエ!」

 

 リーシャの手を取って宿屋へと移動をしようとしていたメルエは、突如として振り返り、その手を離して通路の方へと駆け出したのだ。

 昨日と違うメルエの様子にリーシャとサラも通路へと走り出す。メルエの表情には、昨日のような不安は見えない。

 歓喜に満ち溢れたメルエの表情が、何を示しているのかを解らないリーシャとサラではない。

 今の今まで進む事を躊躇っていた通路の奥へと入り込んだメルエを強引に止める事をせず、そのまま闇に包まれた通路へと続いて入って行った。

 

 

 

 <ルーラ>という移動呪文によってランシールへ戻ろうと考えていたカミュであったが、魔法力の効力も薄れ始め、辿り着いた場所は予想とは異なる場所であった。

 カミュが降り立った場所は、神殿内にいた男性に導かれて向かった通路の出口。砂漠の砂が入り込み、扉さえも閉じる事が不可能になった場所。そこにカミュは立っていた。

 カミュは明確に<ランシールの村>を浮かべて呪文を行使した筈なのだが、村の入り口ではなく、神殿からの裏口へと辿り着いていたのだ。

 

「何かに妨害されているのか?」

 

 実際に、<ルーラ>という呪文は、詠唱者の思い浮かべた場所へとその身を運んでくれる。思い浮かべた情景が鮮明であればある程、その精度は高まり、思い浮べた場所への入口へ運ぶのだ。

 カミュが思い浮かべたのは、神殿の入り口であり、ランシールという村。だが、辿り着いたのは、ランシールにある神殿の入り口である事には間違いないが、勝手口とも裏口とも言える場所であった。

 それが、意味する事を考えると、カミュの意志とは無関係に、何者かによって呪文自体が妨害されていた可能性もある。不思議に思いながらも、<大地の鎧>を抱えたカミュは、神殿内へと入って行った。

 

 

 

 メルエに追いついてもそれを追い越す事はなく、リーシャとサラはメルエの後ろを早足で歩き続ける。メルエは歓喜の表情を浮かべながら、脇目も振らずに真っ直ぐ通路を駆けていた。

 闇に包まれていた筈の通路の脇にある燭台には、メルエが進むのと同じ速度で火が灯り、前方の通路を照らし出す。視界が開けた通路を進む三人の前に分かれ道が現れたのは、メルエの息が切れ始めた頃だった。

 

「おや? ここまで来てしまったのですか?」

 

 突き当たりの別れ道には、神殿に入った時に出会った男性が立っており、突然現れたメルエ達三人を見ても、然して驚きもせずに口を開く。その顔をサラは思い出してはいたが、問いかけたとしても返答はないだろうという考えもあり、何も言わずに軽く頭を下げた。

 <雷の杖>を抱き締めて、不安そうに見上げるメルエの顔を見て微笑んだ男性は、リーシャ達から見て左手にある通路へと視線を移す。等間隔に設置された燭台に灯された炎が照らし出す通路は、先が見えないほど長く、吸い込まれるような空気を纏っていた。

 

「ここでお待ちなさい」

 

 その通路へと駆け出そうとするメルエの身体は、男性の静かな声に止められる。不満そうに顔を上げたメルエであるが、その男性の柔らかな笑みを見て、視線を通路の奥へと戻した。

 静かな時は流れ、幾度かの風が吹き抜ける。何か神聖な者の前に居るかのような緊張でリーシャが唾を飲み込んだ時、全員が見つめる通路の奥から、小さな音が響いて来た。

 石畳の床を踏みしめるような規則正しい音は、静寂に満ちていた通路に乾いた音を響き渡らせる。徐々に大きくなるその音に比例し、メルエの表情の明るさも強くなって行った。

 

「戻って来たようですね」

 

「…………カミュ!…………」

 

 暗い通路に差す燭台の灯りにその姿が照らし出された瞬間、先頭に立っていた幼い少女の身体は弾かれたように動き出す。神殿の男性が口を開いた時には、青年に駆け寄った幼い身体はその腰にしっかりとしがみ付いていた。

 『もう離れない』とでも言うように、その身体にしがみ付いたメルエを見たリーシャとサラは、安堵と共に苦笑を浮かべる。だが、ゆっくりと近付いて来る青年の姿は、そんなリーシャの表情を驚きの物へと変化させる程の物だった。

 

「メルエ、少し離れてくれ」

 

「…………いや…………」

 

 歩く事も困難になる程しがみ付くメルエを窘めるカミュは、完全拒絶を示す答えと共に首を横に振るメルエを見て、小さな苦笑を洩らす。彼自身、ここまで我が身を案じてくれる存在を初めて経験し、あの試練の洞窟内では、この幼い少女に救われた経緯もあった。

 故に、手に持っていた<大地の鎧>を下ろし、その手を小さな頭に乗せる。気持ち良さそうにその手を受け入れるメルエを見て、優しく微笑むカミュは、『幸せ』という物を生まれて初めて実感しているのかもしれない。

 

「カミュ、お帰り」

 

「お帰りなさい、カミュ様」

 

 そして、そんな青年の小さな微笑みもまた、先程まで驚きを表していた女性の言葉によって、驚愕と言っても過言ではない表情へと移り変わって行った。

 その言葉を聞く事は初めてではないだろう。だが、心から自身の帰りを喜んでいる事を示すように告げられた事は初めてではないだろうか。

 以前の彼ならば、その言葉の裏にある『想い』に気付かなかったかもしれない。いや、気付いたとしても、何も思わなかった筈。

 だが、今の彼は、三年前の冷たく冷え切った心を持つ者とは違う。一人旅を経て、一人での探索を経て、自身の目的を見つけ、自身の立ち位置を理解した彼は、その言葉の中にある温かみを感じる事の出来る『心』を得ていた。

 

「ああ……ただいま」

 

 故に、彼は口にする。

 自身の『想い』も乗せたその言葉を。

 一度として、何かを想って発した事のない言葉を。

 

「これこれ、仲間内で騒がぬよう」

 

 そんな微笑ましいやり取りを見ていた男性は、事の成り行きが収まったのを見計らい、言葉を発する。騒がしい程に浮かれていた物ではなかったが、何処か気恥ずかしくなってしまったリーシャは、慌てて男性へと視線を移した。

 それと同時に他の三人も視線を移し、自然と男性の言葉を待つように、周囲の音が消え失せて行く。

 

「まずは、よくぞ無事で戻った」

 

 全員の視線が集まった事を確認した男性は、カミュに顔を向け、最大限の賛辞を口にした。

 それは、純粋にカミュという青年の帰還を喜ぶというよりも、世界的に重要となる『勇者』の帰還を讃えるような色を含んでいる。メルエを優しく離したカミュは、一歩前に出て、静かに頭を下げた。

 もしかすると、彼の中でこの男性が誰であるのか、何故ここに居るのかを理解できているのかもしれない。

 

「一人の行動はどうであった? 寂しくはなかったか?」

 

「……いえ、一度経験しておりますので……」

 

 顔を上げたカミュの瞳を見た男性は、一度息を吐き出した後、静かに問いかける。その内容は、カミュという青年とは無縁と考えられる程の物。リーシャやサラは思わず笑ってしまいそうになるが、それは続くカミュの言葉によって驚きに変わる。

 カミュの言葉は聞きようによっては、男性の問いかけを否定しているようにも聞こえるが、男性の問いかける『寂しさ』という感情を一度は経験しているとも取る事が出来る。そのような感情を持っていると思っていなかった二人であるが、カミュの言葉の内に後者の想いがあるのではないかと感じたのだ。

 

「では、そなたは勇敢であったか?……いや……それは、そなたが一番良く知っているだろう」

 

 小さな笑みを漏らしたまま、男性は続く問いかけを発する。だが、その問いかけは、男性によって完結された。

 試練の洞窟と呼ばれる場所に何があるかという事は、リーシャ達三人には解らない。理解出来るとすれば、実際に赴いた青年と、この何でも見通していそうな男性だけであろう。故に、その自己完結の言葉にも、カミュ達は何も口にしなかった。

 

「メルエ、これを……」

 

「…………ん…………」

 

 男性の口から続く言葉が無い事を確認したカミュは、腰に下げた革袋から<ブルーオーブ>を取り出し、足下で首を傾げているメルエへと手渡した。

 両手でオーブを受け取ったメルエは、頬笑みを浮かべながら青く輝く珠を眺め、しっかりと頷きを返した後、それをポシェットへと仕舞い込む。

 既にメルエのポシェットの中には、三つのオーブが入っているが、そのどれもがメルエの拳よりも小さな物であり、重量を感じている様子もなかった。

 

「四つ目のオーブですか……残るは二つですね」

 

「そなた達が探す残りのオーブは、黄と銀である。<イエローオーブ>は、人から人へと世界中を巡っている。例え、<山彦の笛>であっても、それを探し出す事は難しいだろう」

 

「!!」

 

 メルエが仕舞い込む<ブルーオーブ>へと視線を移していたサラの呟きは、傍で見ていた男性の言葉に遮られる。その内容は、何かを感じずにはいられない程の物であり、カミュ達三人は、この場所に来て何度目になるか解らない驚愕の表情へと変化させた。

 自分達の『オーブの収集』という目的を見透かし、自分達でさえ知り得ない残るオーブの色さえも断定したのだ。

 それは、とても聞き流せる物ではない。だが、何かを問いかけようと口を開きかけたサラの言葉は、続く男性の言葉に遮られた。

 

「私には見える。もし、旅先で別の土地へと移った者がいるとすれば、その者がそなた達に希望を齎すであろう」

 

 口を開いたまま、男性の言葉を飲み込んだサラは、自身の思考を限界まで稼働させる。しかし、いくら考えてもサラの疑問は堂々巡りを繰り返し、一向に答えに辿り着く事は出来ない。

 一つの疑問を保留して次の疑問に向かっても、結局最初の疑問が先へ向かう事を拒むように、サラの思考を停止させてしまうのだ。

 

 『何故、自分達の目的を知っているのだろう?』

 『何故、伝承となっているオーブの色さえも把握しているのだろう?』

 『何故、現在自分達の持っているオーブの色が断定出来るのだろう?』

 『何故、自分達の行く先が見通せるのだろう?』

 

 様々な疑問は、サラの中で最も大きな『この男性は誰なのだろう?』という初期の疑問に戻ってしまう。どんな自問も、必ずこの疑問へ辿り着き、答えも霧中へと放り込んでしまうのだ。

 リーシャやメルエは、最初から疑問を解決しようとは考えていない。いや、メルエに至っては、疑問にすら思っていないのかもしれない。

 再びカミュの腰にしがみ付き、嬉しそうに微笑むメルエへと視線を向けたサラは、緩みそうになる頬を引き締め、男性に向かった口を開いた。

 

「……失礼ですが、貴方は……」

 

 紡がれた言葉は最後まで口に出来ない。サラは顔を上げ、口を開いた時にカミュと目が合ってしまったのだ。

 カミュの瞳を見たサラは、何故だか解らないが、それは今口にしても仕方が無いという事を理解してしまった。

 サラへ視線を向けていたカミュも、それを正確に理解している訳ではないのだろう。だが、何か思い当たる物が存在するのかもしれない。それは、テドンの村でサラが感じていた物を再び呼び起こす物だった。

 

「いずれ、再びそなた達と出会う事もあろう」

 

 サラがもう一度男性へと視線を移した時、そんな短い言葉と共に、男性の姿は虚空へと消えて行った。

 一瞬の出来事に唖然と見つめていたサラは、同じように唖然として見ているリーシャを見て我に返る。彼女には、考える事が山のように積まれていた。

 一つ一つは無関係に見えてる。だが、その答えを何時か必ず彼女は見つけるのだろう。その時、当代の『賢者』が何を想うのか、それはこの時点では誰にも解りはしない。

 

「…………あわ………あわ…………」

 

 物云わぬサラを見ていたメルエは、カミュの腰から顔を上げ、可愛らしい笑みを浮かべながら再びあの言葉を口にする。メルエにとっては、カミュ達三人がここに居れば、先程の男性が霧のように消え去っても興味はないのだろう。

 勢い良く振り返ったサラの顔を見て、笑顔を浮かべていたメルエは、同じように振り返ったリーシャへ視線を移すと、即座にカミュのマントの中へと逃げ込んだ。

 

「待て、メルエ! 何度言ったら、解るんだ!」

 

 リーシャとしても本気で叱っている訳ではない。だが、メルエのその言葉が、サラの中に眠る忌々しい記憶を呼び起こす物だと理解している以上、それを窘めなければならないのだ。

 故に、苦笑のような笑みを見せながらも、カミュのマントからメルエを引き摺り出し、その頭に拳骨を落とす。『ゴツン』という痛々しい音を立てる拳骨を受けたメルエの瞳に涙が溜まり、再びカミュのマントの中へと逃げ込んで行った。

 

「あのお方は、恐れるような方ではありません。それこそ、メルエにとっては……いえ、これも推測の話ですね」

 

 カミュのマントへと潜り込んだメルエは、その隙間からサラを見上げる。からかうメルエに対して本気で怒った事のないサラではあるが、拳骨を受けたばかりのメルエからすると、若干の不安があったのだろう。

 だが、マントの隙間から覗くメルエの視線に合わせるように屈んだサラは、何か理解出来ない言葉を独り言のように呟き、思考の中へと入って行った。

 

「しかし、試練の場という所は厳しい場所だったのだな……僅か二日程ではあるが、正直見違えた」

 

 メルエから視線を上げたリーシャは、小さく微笑むカミュの顔を見つめて、自分の胸に湧く喜びを表に出す。カミュという青年が戻って来た事も嬉しい事ではあるのだが、それ以上に見間違える程の成長の色を見せる彼が眩しく見えたのだ。

 僅か二日の間で、『人』が劇的に変化する事など有り得ない。カミュの髪の毛が伸びた訳でも、色が変わった訳でもない。顔の形や背丈が変わった訳でもない。

 だが、彼の成長という変化は、三年間を共にして来た者達からすると、とても大きな物だったのだ。

 

「そうですか? いつものカミュ様に見えますけど……」

 

 訂正しよう。

 その青年の内部から滲み出す変化は、『賢者』と呼ばれる『人』の頂点に立つ者でさえ見えぬ程の物だったのかもしれない。先程までの思考から離れたサラは、首を傾げながらカミュの上から下までを眺め、反対側へと首を傾げた。

 それを見ていたメルエは、楽しそうに微笑みながらマントから出て来て、サラと一緒に首を傾げて見せる。

 

「俺の事はどうでも良い。それよりも……この鎧に触れてみてくれないか」

 

「私がか? この鎧は……何なのだ?」

 

 自分に視線が集まっている事に居心地の悪さを感じたカミュは、それから逃れるように傍に置いた<大地の鎧>を掴もうと屈み込んだ。

 だが、先程まで、重量はあっても持てない程ではなかった鎧は、まるでカミュの手を拒むようにその重量を変化させていた。

 メルエの持つ<雷の杖>という神秘な物を見た経緯のあるカミュは、大きな溜息を吐き出した後、リーシャへと視線を移す。

 

「それは、大地の鎧という物らしい。試練の洞窟内に保管されていたようだが、どこか<雷の杖>に似た雰囲気を持っているみたいだな」

 

「どういう事ですか?」

 

 鎧に近付き、その手を伸ばすリーシャを見ながら発したカミュの言葉は、サラによって問い返された。

 <雷の杖>という物の特殊性をサラも理解している。持ち主となる者を自ら選び、その者を守護するかのように存在する杖。その特性故に、メルエという、幼いながらも世界最高位の『魔法使い』しか持つ事が許されない。 

 それと似た空気を持つとカミュが言うのだとすれば、この鎧もまた、自身の主を選ぶという事になる。そして、それはカミュという『勇者』ではないという事。

 

「この鎧は……生きているのか?」

 

「えっ!?」

 

「生きているとは言えないな。鎧は……鎧でしかない」

 

 そんなサラの疑問は、鎧を手に取ったリーシャの呟きによって遮られた。

 カミュは自身の予想が正しかった事に一息吐き出し、その呟きを否定する。確かに、鎧という物が金属である以上、生物である筈が無い。その物に意志があるとしても、それを生きているとは言わないだろう。

 だが、リーシャは、その<大地の鎧>と呼ばれる鎧に確かな息吹を感じていた。

 それは、懐かしくも暖かい息吹。

 幼い頃から……いや、リーシャがこの世に生を受けてからの人生の中で常に感じて来た優しさ。

 それはおそらく、鎧を手に取っているリーシャにしか解らない物であろう。まるで手に吸い付くような感覚、重みなども感じない程、そんな何とも言いようのない不思議な物をその鎧は宿していた。

 

「やはりか……その鎧は、アンタを主と定めたようだ」

 

「リーシャさんの為だけの鎧……」

 

 カミュはある程度予想していたのだろう。自分がある程度の重量を感じて運んで来た鎧を軽々と持ち上げるリーシャを見て、納得したように一つ頷いた。

 カミュの言葉に、サラはリーシャの持つ鎧へと視線を動かす。『羨ましい』という感情や、『悔しい』という感情がサラの中にある訳ではない。ただ、良い意味でも悪い意味でも『人』であるリーシャと、その不思議な現象が結びつかないのだ。

 メルエの時のような不思議な光景を見た訳ではない。だが、カミュが口にする以上、<大地の鎧>という物は、リーシャ以外に装備する事が出来ないのだろう。

 特別な力は何一つ有してはおらず、ただ愚直なまでに剣を振って来た『戦士』が、伝承に残るような防具に選ばれるという事実を、サラはとても不思議な思いを持って見上げていた。

 

「私を主にか? この鎧は……」

 

「わからない。試練の洞窟という場所に安置されていた。放り捨てられていた訳でもなく、店に陳列されているかのように置かれ、その近くに銘が打たれていた」

 

 サラが感じた想いは、リーシャも感じていたのだろう。

 メルエが<雷の杖>に選ばれたという事実は、メルエの特出した魔法の才能を考えれば、何ら不思議な事ではない。

 サラが『悟りの書』に選ばれた事も、それまで歩んだ道の中で彼女が悩み抜いた事実を知っていれば、納得も出来る。

 また、カミュが<草薙剣>によって選ばれた事も、彼がジパング王家の血筋を継ぐ者であり、世界的な英雄であるオルテガの息子というだけでも、何一つ疑問を挟む必要が無い物だった。

 

 だが、彼等三人に対して卑屈になるつもりはないが、リーシャ自身、自分を特別な存在であると思った事は一度たりともない。『人』としての枠を飛び出してしまっているかもしれないが、それでも鍛錬の末の結果であり、不可思議な力を手に入れる事が出来る存在ではないと考えていた。

 自身の父を誇りに思っていても、その父はアリアハン宮廷騎士隊長という地位の者であり、決して英雄として崇められる者でもなく、その娘として生まれたリーシャもまた、『精霊ルビス』や神の祝福を受ける事が出来るような稀有な者ではないのだ。

 

「大地の鎧……というのか。本当に、大地そのものに触れているようだな」

 

「そうか……アンタは、そう感じるのだな」

 

 だが、それはリーシャの思い違いなのかもしれない。何故なら、カミュが<大地の鎧>を手にした時、今リーシャが感じているような事を感じた記憶が無いのだ。

 大地に触れているような感触。

 それは、この世界を作る『土』に触れているのと同意。

 そのような感覚をカミュは味わった事が無い。いや、正確には『土』に触れる事に対して特別な『想い』を持った事はないのだ。

 

「母なる大地……『人』は皆、『精霊ルビス』様の下、大地に根差して生きて来ましたからね。暖かく、時に厳しく、そして何よりも深い優しさを持ち……植物や動物を育て、そして死と共に還る場所。魂はルビス様の許へ、肉体は母なる大地の許へ……まるでリーシャさんそのもののような鎧です……」

 

「…………リーシャ………おこる…………」

 

 カミュ達の会話を聞いていたサラは、その鎧と外へと繋がる通路を見て、静かに口を開く。それは、『精霊ルビス』を崇める者であれば、誰しもが知っている事。だが、リーシャからしてみれば、その言葉には何かが引っ掛かるのだが、サラの顔を見る限り、何かを揶揄しているようには見えず、また馬鹿にしているようにも見えない為、褒め言葉として受け取る事にした。

 そんなリーシャの顔を見上げ、眉を下げて呟くメルエの言葉は、一行に笑顔を戻す物となる。

 

 リーシャ自身、アリアハン貴族である。没落したとは言え、貴族は貴族。畑仕事をした事もなければ、家畜を飼った事もない。毎日欠かさずに土を弄って来た者達に対して、恥を知っていれば、土の有難みを知っている等と口が裂けても言えない立場であった。

 だが、平民を侮蔑したり、平民に権力を翳した事のないこの下級貴族は、その者達の苦労と生甲斐を知っている。自身の家に届けられた野菜に付着する土の香りを知っている。大地と共に生きる者達と共に歩んで来た彼女は、この大地に根差す『人』である事を誇りにさえ思っていた。

 

「あれは、メルエが悪いのだ。サラが怒らないからと言って、何時までもあのような事を口にするのであれば、私はもうメルエと話をしないぞ」

 

「…………いや…………」

 

 頬を軽く膨らませていたメルエは、リーシャの言葉に驚いたように顔を上げ、自分の意思を告げるようにリーシャへと駆け寄って行く。規格外の魔法力を有し、稀代の『魔法使い』となったとはいえ、この幼い少女の帰る場所もまた、母のようなリーシャという存在なのかもしれない。

 『離れない』とでもいうようにしっかりと自分にしがみ付くメルエの頭を撫でたリーシャは、<大地の鎧>を軽々と持ち上げた。

 

「さあ、カミュも戻った。今日の夕食は、宿屋で厨房を借りて私が作ろう。祝いの料理なのだから、少しくらい贅沢をしても良いだろう。そう言えば……この村の特産である<消え去り草>を食した事はなかったな……メルエ、手伝ってくれるのだろう?」

 

「…………ん…………」

 

 一度カミュへと視線を送ったリーシャは、その鎧が自分の装備品として貰って良いかを目で尋ね、それに頷きが返って来た事をみて笑みを浮かべる。そして、先程まで三人で語り合っていた物を思い出し、鎧を抱えたまま、提案を口にした。

 彼女の頭の中では、既に色々な料理の構想が出来上がっているのだろう。この村の不思議な特産である<消え去り草>もその中に入れたリーシャは、足下で不安そうに見上げるメルエの頭から手を離し、今朝話していた事を確認する。

 その言葉に、メルエは花咲くような笑みを浮かべ、大きく頷きを返した。

 

「ま、待って下さい! 私も手伝いますよ!」

 

「アンタがか? いや……悪いが遠慮して貰いたい」

 

「…………サラ………だめ…………」

 

 既に歩き始めたリーシャを追いかけ、サラは声高々に宣言するが、それは先程までの三人のやり取りを知りもしない筈の青年に拒絶され、リーシャの足下から振り返った幼い少女によって止めを刺される事となる。横から掛った拒絶の言葉に時が止まってしまったサラは、唖然とした表情でカミュを見つめ、その後厳しい視線をカミュとメルエに送った。

 

「そうだな……サラには買い物を頼もうか……」

 

「何故ですか!? 私だって、料理を作るお手伝いは出来ます!」

 

 そして、最後に発せられたリーシャの妥協案が、サラの心に燻っていた怒りに最後の炎を灯してしまう。両手を突き上げるように怒りを露にし、走り出したサラに怯えたメルエは、リーシャの手を取って神殿の入口に向かって逃げ出した。

 慌てるメルエに笑みを浮かべたリーシャも、満面の笑みを浮かべて走り出す。

 

 その腕には、『人』を象徴するような鎧。

 大地のような暖かさを持つその鎧は、優しく微笑むように輝く。

 主との出会いを喜ぶように。

 自身の出番を誇るように。

 

 

 

 




読んで頂き、ありがとうございました。

今年最後の更新になると思います。
この話で、この章を終えようかどうかを少し考え、終えるのであれば、装備品一覧を更新するかもしれません。

ご意見、ご感想を心よりお待ちしております。

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