新訳 そして伝説へ・・・   作:久慈川 京

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地球のへそ③

 

 

 

 神殿内に色とりどりの光が差し込み始める。上空に嵌められたステンドグラスを通った光は、赤や緑に彩られ、サラの顔を照らし出していた。

 目の裏に強い光を感じたサラは、静かに目を開き、朝陽に映し出された神殿内を見渡す。暖かな光に包み込まれ、寒々とした冷気に満たされていた神殿内の気温は僅かに上昇していた。

 身体を起こし、包まっていた毛布を退けたサラは、横で眠っていた筈の二人がいない事に気が付く。

 

「サラ、起きたのか?」

 

 周囲を見ていたサラの後方から声が掛った。

 振り向いた先には、トレイにスープを三つ乗せて微笑むリーシャが立っており、その足下には物欲しそうにトレイの物を見上げるメルエが付いて来ている。おそらく宿屋の厨房を借りて作って来たのだろう。スープと一緒にトレイの上に乗っている果物に目を奪われているメルエを見たサラは、小さな笑みを浮かべた。

 

「メルエが先に起きていてな。お腹が空いているようだったので、宿屋で食材を買って、厨房を借りて来た」

 

「…………むぅ…………」

 

 宿屋の厨房でもリーシャに窘められたのだろう。大好きな果物を食べる事が出来ない事に頬を膨らませるメルエは、まるで『サラが早く起きないからだ』とでも言うように鋭い視線を向けていた。

 苦笑を浮かべたサラは、急いで神殿の外の泉で顔を洗い、再び神殿内へと戻って来る。眠っていた簡易ベッドを既に長椅子へと戻し、机の上にはスープと果物が並べられていた。

 湯気と共に良い香りを放つスープは、寝起きの胃を目覚めさせるには充分な威力を誇っている。

 

「では、食べよう……メルエ、まずはお祈りだ」

 

 サラが着席した事で、リーシャが号令をかけた。

 食事の前の祈りを始めたサラとリーシャを余所に、早速果物へと手を伸ばしたメルエは、そのまま口へと頬張り始める。『精霊ルビス』への感謝を示す為の祈りを捧げない事を、リーシャやサラは窘めた。

 カミュという特殊な考えを持つ人間とは異なり、メルエは単純に『精霊ルビス』という存在を知らないのだ。

 幼い頃からそのような教育を受けていない為、食事の時の祈り等を行う事を知らない。朝、教会での祈りを捧げる事などは、『僧侶』でない限り日課とはならない。だが、今日の糧への感謝の祈りは、万国共通であり、『人』の義務とも考えられていた。

 

「…………むぅ…………」

 

「ほら、手を拭いて」

 

 果物を取り上げられたメルエは、先程よりも頬を膨らます。そんなメルエの手を拭いたサラは、再び机の上で手を合わせた。

 カミュがいる時にも、何度かメルエに食事の前の祈りについて話した事がある。その時も、カミュは何も言わなかった。

 彼にしてみれば、メルエには普通の暮らしをして欲しいという想いがあるのだろう。故に、この世界で当然の行為を知っておく事に対し、否定的な事を言う事はない。

 だが、そのカミュが食事前に祈りを捧げる事はない為、メルエからすると、『何故、する必要があるのか?』と問いたい行為であるのかもしれない。

 

「今日中には、カミュ様も戻って来ると思いますよ」

 

「…………ん…………」

 

 祈りを終え、皆が食事に手を伸ばし始めた頃には、既にメルエの前にあった果物は、その胃袋の中へと消えていた。

 スープにスプーンを入れながら、メルエは昨夜に見つめていた通路へと視線を送る。その視線先に気が付いたサラは、苦笑を浮かべながらメルエの前に自分の果物を半分にした物を置き、その心の負担を軽減させる為の言葉を洩らした。

 サラの顔と自分の前に置かれた果物を交互に見比べたメルエは、小さな笑みを浮かべてその果物を頬張る。

 

「また、長い一日になりそうだな……」

 

 メルエの髪の毛を撫でながら、リーシャは通路へと視線を向け、溜息と共に言葉を吐き出した。ただ待つだけ、という行為がこれ程苦しい物になるとは、リーシャも思っていなかったのだろう。

 実際に、職業柄からも、彼女自身の性格からも、『待つ』という行為が得意ではない。この三年の期間でも、パーティーの危機には彼女がその手に持つ武器を振り、切り抜けて来た事も多く、彼女の行動によって救われて来た命も多いのだ。

 その反面、彼女の行動力によってパーティーが危機に陥った場面もあるのだが、そこは彼女の名誉の為にも割愛しよう。

 

 父親を失った時、自分自身の無力さを痛感し、何も出来なかった自分自身を恨む事によってリーシャは成長して来た。

 父が危機に瀕した時に、傍に自分がいれば助けられたと思える力を持つ為に剣を振り、二度と父のような犠牲を出すまいとして身体を鍛えて来たのだ。

 実は、彼女が討伐隊などで他者を押し退けてでも前へ出ていたのは、貪欲な程の出世欲ではなく、異常なまでの恐怖心から来る物であった。爵位を失い、それを取り戻そうという想いがなかったと言えば嘘になる。だが、それ以上に彼女を突き動かしていたのは、共に行動をしていた隊員達の死によって泣く家族の涙への恐怖だった。

 自身が受けた哀しみと、自身が流した涙、そして自身が生きて来た苦しみの道を他者に歩ませる事への恐怖が、彼女の足を前へと出していたのだ。

 

「大丈夫ですよ。夕食はきっとカミュ様と一緒に食べる事が出来ます。その時には、料理のお手伝いを私もしますよ」

 

「…………むぅ………サラ………だめ…………」

 

「そ、そうだな。それは、気持ちだけ頂いておく事にしよう」

 

 不安そうに通路を見つめる二人を元気付けようと掛けたサラの言葉は、予想外の方向から、とても不服な形で返って来る事となる。果物を食し終えたメルエは、眉を下げてサラの申し出を拒絶し、そのメルエの反応を見たリーシャも、その申し出を柔らかく固辞した。

 自分が考えていた物とは全く異なる返答に驚いたのはサラ。暫しの間、リーシャ達が何を言ったのかが理解出来ずに呆然としていたが、その真意を理解すると、顔を赤く染め、肩を震わせ始めた。

 

「な、何故ですか!? わ、私は料理を作った事はありませんが、味覚が異常な訳ではありませんよ! 手先が不器用な訳でもありませんし、お手伝いなら出来ます!」

 

「…………サラ………だめ…………」

 

「い、いや、サラを疑っている訳ではないぞ……そうだな、メルエと一緒に野菜を洗ってもらおう」

 

 椅子を蹴って立ち上がったサラの主張は、スープを口に入れながら見上げているメルエの呟きによって遮られ、リーシャの妥協案によって萎んで行く。サラにしても、まさかメルエのような幼子と同じ手伝いを申し付けられるとは思ってもみなかったのだろう。

 確かに、サラは包丁などを握った事もないし、鍋を火に掛けた事もない。彼女の育ての親である神父が、心に傷を負ったサラを過保護という程に接していた為、彼女に火の扱いをさせなかったのだ。

 その代りに、サラは掃除や洗濯といった物を率先してやるようになり、そちらの能力は高いのであるが、料理自体は未知の世界と言っても過言ではなかった。

 

「うぅぅ……酷いですよ……」

 

 泣きそうに眉を下げ、恨みがましい呻き声を上げるサラの姿にリーシャとメルエは微笑みを浮かべる。先程までの重苦しい空気は霧散しており、リーシャやメルエの心にも余裕が生まれていた。

 サラが意気消沈の姿でスープを啜る音と、リーシャとメルエの忍び笑いが、明るさを取り戻した神殿内に響き渡る。

 

 

 

 肌寒さを感じたカミュは、瞳を薄く開けた。

 何時の間にか眠りに落ちていたのか、既に焚火の炎は燻り始めている。カミュの背に鎮座する<大地の鎧>の影響なのか、カミュが目を閉じてから魔物が現れる事はなかった。

 思っていたよりも深い眠りに落ちていたようで、カミュの身体からは幾分か疲労が抜けている。立ち上がったカミュは、洞窟内の土を燻る焚き火へと掛け、後方にある<大地の鎧>へと目を向けた。

 

「この洞窟を探索し終えた後、もう一度戻って来る」

 

 生きている者に告げるように呟く言葉に、<大地の鎧>は沈黙によって返答する。カミュが座っていた地面や岩壁が一瞬暖かな光を放ったような気もするが、極僅かな物であった為、カミュはそれに気付かず、そのまま来た道を戻り始める。

 カミュが持つ<たいまつ>の灯りが遠退く中、暗闇に鎮座する鎧だけは、先程と変わらぬ方向だけを見つめて行た。

 

「この場所の構造的に考えれば、向かう方角は一つしかない訳か」

 

 昨夜に歩き回った下層階へと降りたカミュは、東へ向かって歩いて来た場所にあった階段という事から、フロア全体の大まかな構造を推測する。西側にあった階段を更に西に進むと壁へとぶつかった。

 その階段から北へ向かった先にあった階段を更に北へ向かうと再び壁にぶつかっている。それを考えると、今カミュの傍にある階段を更に東へ進んだり、南へ進んだりすれば壁にぶつかる可能性は高い。

 つまり、このフロアは正方形に似た形をしているという事になるのだ。その四隅に程近い場所に階段があると考えるのが妥当となり、カミュは北へと向かう事にした。

 

 カミュの想像通り、北へ向かって歩いた先には壁は見えず、<たいまつ>に照らされた床は更に奥へと続いている。周囲に注意を払いながら進んだカミュは、目の前に現れた闇に足を止めた。

 ぽっかりと空いた穴のような場所へ<たいまつ>を向けると、下へと続く階段が見えて来る。下の階層は真っ黒な闇に包まれており、<たいまつ>の炎を翳しても、その奥までを見る事は出来ない。

 一つ息を吐き出したカミュは、そのまま一歩足を踏み入れた。

 

「人工的な物だな……」

 

 階段を下りて行ったカミュは、下の階層に降りてすぐにあった燭台へ炎を灯しながら、周囲を見渡す。燭台の炎によって照らされた階段も、しっかりとした造りになっており、知恵のある者が作成した事が解る。燭台は、通路の岩壁に等間隔で配置されており、そこには枯れ木が残されていた。

 明らかに何者かの手が入れられた洞窟の中を一通り見渡したカミュは、燭台一つ一つに炎を灯しながら、奥へと進んで行く。

 

「……またか……」

 

 通路を真っ直ぐ進んだカミュは、目の前に広がった光景を見て、大きな溜息を吐き出した。

 この洞窟へ入ってから何度目になるか解らない選択肢。そこは左右に分かれる通路が見えている。闇に包まれた洞窟内は、左右共に奥を見通す事は出来ず、この段階では、どちらが正解なのかを判断する事は出来なかった。

 しかし、この場所で佇んでいる訳にはいかないカミュは、左右の通路へ<たいまつ>を向け、最終的に左の道を選び出す。左へ折れ、通路に設置されている燭台へと炎を移しながら、再び歩き始めた。

 

「ちっ!」

 

 左へと進んだカミュは、その通路を真っ直ぐに進み、突き当たりで右に折れているのを確認した時、横合いから突き出された鋭い刃物によって、頬を削り取られる。

 通路の見えない部分から突如として出された物は、刃毀れをしていながらも殺傷能力を残す剣。

 瞬時に<たいまつ>を傍にある燭台に掛けたカミュは、後方へ飛びながら<ホイミ>を詠唱し、背中の剣を抜き放った。

 

「一体、この洞窟には何人の犠牲者が眠っている?」

 

 炎によって照らし出された通路に現れたのは、剣を振い、相手を倒すという思念だけが残っている古い鎧。甲冑の兜の隙間からは吸い込まれるような闇しか見えず、ゆっくりとカミュの前へと歩み出て来た。

 照らし出された鎧は、上の階層で遭遇した<地獄の鎧>よりも下位に位置する<さまよう鎧>であろう。鎧の年季から考え、まだ新しい物であるように見受けられる。年数と共にその魔性を強くする系統であり、その年季によって力も上下して行くのだ。

 

「通すつもりはないか……ならば、押し通ろう」

 

 剣を構えたカミュが前方へと駆け出す。

 <地獄の鎧>でさえ、一対一ではカミュに歯が立たないのだ。ましてや、<さまよう鎧>などは、相手になる筈がない。

 カミュの剣を受ける為に盾を掲げるが、その盾は、防御力低下の付加がある<草薙剣>によって斬り捨てられた。

 本来であれば、新しい鎧の方が古い物よりも強固であるのだが、『魔王バラモス』の魔力によって強化される鎧は、その年数が長い程に強固になって行く。故に、<さまよう鎧>の纏う鎧は、同じ系統の魔物の中でも最も脆い物であるのだ。

 

「グモォォォォ」

 

 人ではない物が発する雄叫びを残し、喉元に剣を受けた<さまよう鎧>は崩れ落ちる。カミュは、崩れ落ちる<さまよう鎧>に合わせ、<草薙剣>を引き抜き、その鎧を両断した。

 鎧の中に閉じ込められていた魂の無念は、洞窟内へと溢れ出し、この世界との縛りを解き放って行く。鉄で出来た鎧を両断する程の剣の力は、カミュの考えを裏付ける物でもあった。

 この剣に付随する特殊な効果は、<さまよう鎧>にも十分に通用する物だったのだ。

 

「強力な魔物はいないようだが……」

 

 物云わぬ金属になった<さまよう鎧>を見下ろしたカミュは独り言を呟くが、その言葉は溜息と共に途中で止められる。カミュが何を言おうとしたのかは彼にしか解らないが、彼は剣を一度振るった後に、再び<たいまつ>を手に取り歩き始めた。

 

 

 

 燭台は通路の壁に続いており、それに一つ一つ炎を灯しながら進むカミュは、通路を右へと折れて行く。

 洞窟も地下三階層まで降りると、周囲の気温も大分下がっており、肌寒さを感じる程。周囲を照らす燭台の炎が通路を温める前に先へと進むカミュの吐く息は、白く濁り始めていた。

 そして、何個目かになるか解らない燭台へ炎を移したカミュは、その燭台の下にある物を見て、瞬時に後方へと飛退く。着地と同時に剣を抜いたカミュは、もう一度<たいまつ>を岩壁へと向けた。

 

「……引き返せ……」

 

「!!」

 

 <たいまつ>を向けた先には、岩で造られた人面。

 通常の人間の数倍の大きさはある顔面に彫られている瞳が怪しく光り、開かれている口から言葉が漏れ出す。突如響き渡った人語を聞いたカミュは、呪文の行使に備えるように身構えた。

 しかし、周囲に何の変化も無く、再び先程と同じ言葉が呟かれた為、カミュは警戒心を解かないまま、岩面を見つめる。

 

「……引き返せ……」

 

「どのような仕掛けなのかは解らないが、脅しなのか?」

 

 言葉を呟くばかりで、それ以外の行動を起こさない岩で出来た人面から視線を外さずに、カミュは独り言を呟いた。

 岩で出来た物が人語を話すという行為自体が驚くべき物なのだが、数多くの不可思議な現象を見て来たカミュは、それに対し取り乱す事はない。それでもその言葉の意味を理解する為、その場に留まった。

 いくら考えても答えの出ない物であり、同じ言葉が響く通路内へ<たいまつ>を向けると、先へと続く通路の右側の壁には、岩で出来た人面が等間隔で並んでいる事に気付く。

 

「先へ進むしかないか……」

 

 溜息と共にカミュは前へ足を踏み出した。

 『引き返せ』と告げられても、その先に何があるか解らない以上、カミュには進む事しか選択肢はない。リーシャという正確無比な方向指示機がない今では、この先の場所の予想を立てる事は出来なかった。

 それは、ここまでの旅で初めての出来事。洞窟や塔内部で常に歩む道を指し示していたのは、アリアハンから同道して来た宮廷騎士である女性だったのだ。

 カミュは、改めて彼女の言葉に甘えていた自分を痛感する事になる。

 

「……引き返した方が良いぞ……」

 

 次に見えた人面が言葉を洩らす。それでもカミュは前方を見据えながら、<たいまつ>を掲げた。

 もはや、彼を止める事が出来るのは、神殿内で彼の帰りを待っている者達だけであろう。

 基本的に、人と好意的に接する事のなかった『勇者』は、他人の意見を聞き入れるという考えを持った事が無い。常に自身で考え、自身のみで行動して来た彼だからこそ、その結果も自分の責任として受け入れて来たのだ。

 そんな彼が唯一聞き入れる意見というのは、三年という月日を共にして来た者達の発する物だけ。

 故に、彼は岩の人面の言葉に耳を貸さず、通路を道なりに歩いて行った。

 

 真っ直ぐ進むと、通路は右に折れ、岩壁の人面はカミュの行く手の左側に位置するようになる。

 再び発せられた言葉も、先程と同様の物。

 何一つ変わらない言葉に溜息を洩らしたカミュは、再び真っ直ぐ通路を歩き出した。

 しかし、左側に見えていた岩の人面が三つ目に差し掛かった時、カミュは前方から漂う禍々しい空気を悟り、背中の剣を抜いた。

 

「ふぁっ、ふぁっ、ふぁっ……お前の意志の強さだけは認めよう。だが……向こう見ずなだけでは『勇気』があるとは言えぬ。時には他人の言葉に従う『勇気』もまた、必要なのじゃ」

 

 前方へ<たいまつ>を向けようとするカミュの左側から掛けられた言葉は、ここまでのカミュの行動を嘲笑うかのような物。

 先程までの岩の人面とは異なる言葉を発し、まるで嘲笑するような笑みを浮かべる最後の人面を睨みつけたカミュは、ゆっくりと<たいまつ>を前方へと向けた。

 ここまでの旅で、カミュは他人の意見を考慮に入れた事など数度しかない。だが、その数少ない諫言は、カミュの凝り固まっていた心を時間をかけて溶かしていた。

 

「ちっ!」

 

 そんな彼の心を解き放つ事が出来る者達は傍にはいない。もし、本当に彼が『勇者』であるとすれば、それは彼一人で成り得る物ではないのかもしれない。彼と共に旅立ち、彼と出会い、彼の人間性を知って尚、彼と共に歩む者達がいてこそ、彼は世界に誇る『勇者』として存在するのだろう。

 カミュという青年を『勇者』としてしか見ていなかった者も、今はカミュ個人として接し始めている。

 カミュという存在を信じる者の中には、その身を案じる者も生まれている。

 そして、カミュを絶対的保護者として慕う者は、この無愛想な青年に家族へ向ける物と同等の愛情を持っていた。

 

 そんな仲間達の存在が、彼を『勇者』として押し上げている。

 世界を救うという目標を掲げてはいるものの、それを実行する気迫はなく、『魔王討伐』の旅を続けているものの、そこへ辿り着く事が出来るとは考えて来なかった一人の青年は、この三年という旅の中で、真の『勇者』として変貌を遂げ始めていた。

 まだ彼が自身の力と役割を確信するまでには時間が掛かるだろう。それでも、彼は自身の意志で、その道を歩み始めているのだ。

 

「グオォォォォ」

 

 剣を抜いたカミュは、舌打ちと共に後方へと飛退く。そして、カミュの居た場所には、真っ赤な火炎が渦巻いた。カミュの目の前に居る存在が、その巨大な口から吐き出したのだ。

 <燃え盛る火炎>はカミュとの間を遮るように燃え上がり、視界を奪う。既に<たいまつ>を放り投げたカミュは、左腕に装備された<魔法の盾>を掲げ、炎の海から飛び出した物を防いだ。

 

「……今は一人で戦うしかない、という事か……」

 

 沈静化する炎の向こうに見えた姿は、以前にも遭遇した事のある魔物。いや、正確には魔物というべきではないのだろう。

 ある地方では、神格を有する程に崇められる存在。

 この世界の種族の頂点に立つと考えている種族。

 何故、このような洞窟に生息しているのかは理解出来ないが、宙を浮く様に長い身体をうねらせ、鋭い牙と鋭い爪をカミュへと向けているのは、紛れもない『龍種』であった。

 最下位に位置する者ではあるが、カミュがここまで戦って来た魔物達とは一線を画す存在である事は間違いはない。<スカイドラゴン>と名を付けられた『龍』は、カミュの行動を妨げるように立ち塞がっていた。

 

「やぁぁ!」

 

 火炎を納めた<スカイドラゴン>に向かって駆け出したカミュは、勢い良く飛び上がり、宙に浮く尾に向かって剣を振り下ろす。自分へと襲いかかって来たカミュの行動に反応が遅れた<スカイドラゴン>は、身体を捩るが間に合わず、その尾に剣を受けた。

 尾を斬り落とすまでは行かなくとも、その尾を傷つける事には成功した剣が、派手に体液を撒き散らした<スカイドラゴン>の瞳を変化させる。怒りに燃えた瞳をカミュへと向けた<スカイドラゴン>は、再び大きな口を開け、渦巻く炎をカミュへと放射した。

 

「くそっ!」

 

 現在のカミュの周囲には、氷結呪文を最も得意とする『魔法使い』はいない。カミュへと迫る火炎を横から妨げてくれる後押しはないのだ。

 『龍種』の吐き出す火炎は、それこそその『魔法使い』が放つ最高位の灼熱呪文に匹敵する程の脅威。それでも、今のカミュにはそれを防ぐ方法が、左腕に装備している<魔法の盾>しかない。それがどれ程に頼りない事だろう。

 『自分一人で旅を続けて来た』というつもりはない。だが、いつの間にか、そんな援護が当たり前の事になっていた事実に気が付く。

 

 『自分が前に出れば、共に出る者がいる』

 『防御力の高い敵ならば、指示を出す前に対処してくれる者がいる』

 『脅威となる呪文を相殺し、止めを打ってくれる者がいる』

 

 そんな彼の無意識の想いが、ここまでの旅で彼を生かして来ていた。

 無意識に自分の後ろに居る者達を信じて来ていた心に、カミュは盛大に悪態を吐く。だが、それは不快な物ではなかった。

 自分が弱くなったとも感じない。むしろ、その想いこそが自身をここまで押し上げてくれたのではないかとさえ、カミュは思っていたのだ。

 悪態を吐き、舌打ちを鳴らすカミュの表情には、小さな笑みさえ浮かぶ。口端を上げただけの物ではあるが、それは彼の大きな変化なのかもしれない。

 

「悪いが……押し通るぞ!」

 

 火炎放射が弱まり始めたのを見計らい、カミュは未だに残る火炎の中へと飛び込んで行った。

 肌が焼け、髪の毛が焼けて行くのを感じながらも、<燃え盛る火炎>を抜けたカミュは、そのまま<草薙剣>を振り下ろす。炎を吐き出す為に下げられていた<スカイドラゴン>の口は、振り下ろされた剣によって、二つに斬り裂かれた。

 噴き出す体液と、轟く雄叫び。

 

「ぐっ……ベ、ベホイミ……」

 

 身体を蝕む火傷に倒れ込みそうになりながらも、カミュは即座に自身の持つ高位の回復呪文を唱えた。

 カミュの左腕が発した淡い緑色の光が、火傷による痛みと、意識を回復させて行く。朦朧としていた意識を覚醒させたカミュは、完全に治癒していない身体で、荒れ狂う<スカイドラゴン>に向けて再び剣を構えた。

 防御力低下の付加を持つ<草薙剣>は、『龍種』の鱗をも斬り裂く程の能力を持っている。それを肌で感じたカミュは、落ちて来る<スカイドラゴン>の首に合わせて、剣を突き上げた。

 

「グギャァァァ」

 

 凄まじい程の雄叫びが響く中、突き入れた剣を払うように振り抜いたカミュは、即座にその場を脱出する。自身の身体に再度回復呪文を掛け、剣を構え直した時には、宙で暴れ回る<スカイドラゴン>の身体から力が抜けていた。

 体液を大量に噴き出しながら地面へと落ち、それでも『龍種』としての強靭な生命力で命を繋いでいる<スカイドラゴン>の巨大な目と瞳を合わせ、カミュはその眉間に<草薙剣>を突き入れる。既に叫び声を上げる気もないのか、突き入れられる剣を受け入れた<スカイドラゴン>は、静かにその生命に終止符を打った。

 世界最高位に立つ『龍種』に恥じぬその気高き姿に、カミュは冥福を祈るかのように瞳を閉じる。

 

「ふん!」

 

 そして、再び瞳を開けたカミュは、一度剣を振って体液を飛ばした後、その剣を後方の岩壁に向かって振り抜いた。

 乾いた音を立てながらも、弾かれる事無く振り抜かれた剣は、その場にあった岩の人面を真っ二つに斬り裂く。既に物言わぬ岩となっていた人面を斬り裂いたところで何もならない事はカミュも理解しているだろう。

 それでも、この気高き『龍』の場所へ誘い、それを嘲笑うかのような言葉を発した人面をカミュは許せなかったのだ。

 

「しかし、何故このような場所に『龍』が……」

 

 <スカイドラゴン>が眠る向こうは、岩壁が塞ぐ行き止まり。つまり、あの岩の人面が話していた通り、この場所には何も無く、引き返す事が賢明であったという事になる。だが、このような場所に『龍種』がいる事自体にカミュは疑問を持った。

 思えば、<スカイドラゴン>と遭遇したのは、『悟りの書』を求めて入ったガルナの塔が初めてである。世界最高位の生物である『龍種』という存在は、その強大な力の為か、希少種とまでは行かなくとも、数が多い訳ではない。

 そのような希少種が、『悟りの書』を隠されていたガルナの塔に引き続き、この試練の洞窟である<地球のへそ>と呼ばれる場所にも存在したという事が、この場所にある何かを守っていたのではないかという想像へ向かわせるには充分な物であったのだ。

 

「戻るしかないな。あの分かれ道は右だったか……」

 

 床へ落ちた<たいまつ>を拾い上げたカミュは、再び道を戻り始める。物言わぬ肉塊となった<スカイドラゴン>の遺骸が、カミュの背を静かに見つめていた。

 

 

 

 先程の別れ道まで戻ったカミュは、その道を真っ直ぐに進み、周囲の燭台に炎を移して行く。<スカイドラゴン>との戦闘による負傷は既に癒えており、進む足はしっかりと大地を踏みしめていた。

 先程進んだ道とは逆に通路は左に折れ、カミュも<たいまつ>の炎を翳しながら慎重に歩を進める。そして、通路の中央にある燭台に炎を灯した時、再び現れたその姿にカミュは眉を顰めた。

 

「……引き返せ……」

 

「ちっ! またか……」

 

 そこには、先程と同じような岩で出来た人面があり、先程と同様の言葉を発していたのだ。燭台の炎に浮かび上がる巨大な人面は不気味で、この場にサラがいれば、声を上げていたかもしれない。そんな人面に向かって大きな舌打ちを鳴らしたカミュは、溜息を吐き出した後に、その言葉を無視して通路を歩き出した。

 実際に、この階に下りてから歩ける場所は先程の行き止まりへの通路と、現在歩いている通路しかない。ここもまた岩の人面の言う通りに行き止まりへの道だとすれば、この階層へ降りた事自体が誤りという事になってしまう。だからこそ、カミュは敢えて無視して歩き続ける事を選択したのだ。

 

「……引き返した方が良いぞ……」

 

 その後も並ぶ岩人面の言葉は同じ物だった。カミュの行く手を阻むように告げられる言葉であるが、妨害される程の実害は何も無い。ただ、カミュがその前を通ろうとすると、怪しく目を光らせて同じ様な言葉を繰り返すだけなのだ。

 鬱陶しく感じないと言えば嘘になるが、先程のような魔物が出現しないのであれば、何も問題のない物。警戒を怠らず、慎重に歩を進めるカミュは、その通路が再び左に折れるのを確認し、そちらへと<たいまつ>を向ける。

 

「こちら側の通路には、魔物は生息していないのか?」

 

 <たいまつ>を向けた先にも、魔物の姿はなかった。そればかりか、何かに護られているかのように神聖な空気が漂い、魔物の気配すらない。

 左に折れてすぐ、再び左へ折れるように通路は続き、カミュは道なりに歩を進めて行く。相変わらず左の岩壁には等間隔で岩人面があり、同じ言葉をカミュへと投げかけるが、既に通路の先から漂う神聖な空気がこの通路が正しい事を物語っていた。

 

「……これは……」

 

 辿り着いた場所の光景に、カミュは<たいまつ>の炎を燭台に移す事も忘れて、呆然と魅入ってしまう。

 赤々と燃える炎に映し出されたその場所の姿は、信仰心の薄いカミュでさえも吸い込まれてしまう程の神聖さに満ちており、そこに置かれた石像は、その存在感を否が応でも認めざるを得ない程の物であった。

 暫しの間、魅入っていたカミュは、我に返るのと同時に傍に立てられた燭台に火を灯し、その場所を隅々まで照らし出すように設置して行く。

 

 その場所は、今までの通路の床とは異なり、青く塗られた石板が敷き詰められ、土の色などは何処にも見えない。先程の通路のように行き止まりではあるが、少し開けた空間になっており、その突き当たりにはカミュにも見覚えのある石像が立てられていた。

 カミュに同道する若き『賢者』が崇拝する対象。

 町や村の教会にも置かれるその石像は、瞳を瞑り、左腕の胸の前に置き、右腕を前へと伸ばしている。全体に人の手が入っている洞窟である事は解ってはいたが、この場所に辿り着いたカミュは、手を入れた者が並の者ではない事を改めて実感する事となった。

 

「この石像はルビスか……ならば、これは……」

 

 世界で生きる者達の信仰の対象を呼び捨てにしたカミュではあったが、既にその視線は『精霊ルビス』の石像にはなく、その前にあるもう一体の石像へと移っている。

 ルビス像の目の前には跪く一人の男の石像があった。

 正確には性別などは特定できないが、彫り込まれた髪の長さやその体格から男性である事はまず間違いないだろう。

 跪く男性の石像は、恭しく頭を下げ、両腕を『精霊ルビス』の前へ差し出している。

 

「……ブルーオーブ……」

 

 そして、その差し出された男性の両手の掌の上には、青く輝く小さな珠が置かれていた。

 神秘的な輝きを放ち、まるでこの二体の石像を護るように周囲を照らす光は、魔物のみならず、望まれない者全てを排除する程の神聖さに満ちている。その男性の石像が『精霊ルビス』へ<ブルーオーブ>を捧げているようにも見えるが、逆に『精霊ルビス』が男性に<ブルーオーブ>を下賜しているようにも見える。

 手にする事を躊躇する程の神々しさを持つ<ブルーオーブ>ではあったが、二体の石像の間に入ったカミュは、その小さな珠を手中に納めた。

 これがサラであったのならば、こうは行かなかっただろう。神聖な空気をも作り出している二体の石像に近付く事も、このオーブを手にする事も畏れ多いとして、一歩も足を踏み出せなかったに違いない。

 カミュは何を畏れる事も無く、その珠を手に取り、腰に付けた革袋の中へと落とした。だが、その時に男性の石像を正面から見たカミュは、驚きに目を見開いた後、何か納得したように静かに瞳を閉じる。

 

「これで、四つ目か……」

 

 目を開け、二体の石像から離れたカミュは、再び来た道を戻り始めた。

 燭台に灯された炎は消され、二体の石像を照らしていた明かりは闇へと消えて行く。『精霊ルビス』へ頭を下げる石像の頭にはサークレットが彫られており、そのサークレットに嵌め込まれていたであろう物は、既に抜き取られていた。

 その嵌め込まれていたであろう物は何なのか。

 そして、それは誰の手に渡り、何処へ行ったのか。

 何故、この場所に<ブルーオーブ>だけが残されていたのか。

 それは、既にこの場所から離れた青年の胸に封印される事になるのかもしれない。

 

 

 

 来た道を戻ったカミュは、<大地の鎧>が静かに鎮座する場所へと戻って来る。途中で何度かの戦闘を行っては来たが、全ての魔物もカミュを脅かすような存在ではなかった。

 <スカイドラゴン>が再び現れる事はなく、カミュの力量に届く魔物はいない。一人旅を経験し、自分が生きる目的を理解したカミュにとって、この試練の洞窟は、彼をまた一歩『勇者』へと近付ける布石となった。

 自身の存在を認め、その存在を願う者達を認め、そして彼は自分の生きる道を見出して行く。

 

「待たせたな……お前の主の許へ向かおう……」

 

 カミュの言葉に対しても沈黙を続ける<大地の鎧>に柔らかな笑みを向けたカミュは、台座のような物から鎧を外し、それを手に取った。

 手にしていた<たいまつ>は燭台に掛け、<大地の鎧>を両手で抱えるように持つ。ずっしりとした重量を持つ<大地の鎧>は、サラやメルエでは装備など出来ないだろう。このパーティーの中でカミュを主として認めないのであれば、可能性があるとすれば唯一人。

 その者の顔を思い浮かべたカミュは、苦笑のような笑みを浮かべ、詠唱の準備に入って行った。

 

 これだけの鎧を手で持ったまま移動する事は困難に近い。魔物と遭遇する度に地面に置き、剣を振るうのであれば、瞬時の判断に遅れる可能性もあるだろう。鎧を着込む訳にも行かない以上、それは足枷となり得るのだ。

 だが、移動するだけであれば、何の問題もない。カミュには移動呪文という手段があり、それはこのような洞窟や塔などから自身の身体を粒子に変えて脱出する呪文。

 『魔道書』に記載されている中級の移動呪文は、その詠唱者とその詠唱者の身体に触れている者達をも運ぶ能力がある。詠唱者の身体に触れた『人』をも同時に運ぶことが可能であるのだ、装備品を運ぶ事が不可能である筈が無い。

 

「リレミト」

 

 静寂に満ちた洞窟内に、『勇者』の詠唱が響き渡る。

 試練の洞窟を制覇したカミュは、『勇者』と呼ばれる事だろう。

 小さな一歩を繰り返し、彼は偉大な者へと変貌を遂げて行く。

 この洞窟での彼の成長も、そんな小さな一歩の一つであるのだろう。

 

 

 

 

 




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