新訳 そして伝説へ・・・   作:久慈川 京

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地球のへそ②

 

 

 

 神殿の外は既に陽が落ち切り、周囲を闇が支配している。神殿内も、灯された篝火以外の明かりはなく、気温も落ちていた。

 冷気が漂い始めた神殿の中で、宿屋から借りて来た毛布に包まったメルエを膝の上に抱いたリーシャは苦笑を浮かべている。先程までカミュが消えて行った通路をじっと見つめていた瞳は、瞼を落とし始めていた。

 うつらうつらと舟を漕ぎ出してはいるが、首が落ちると再び通路へ視線を戻す。しかし、眠気に勝てないのか、再びこくりこくりと首を落とし出す姿は、リーシャやサラの顔に苦笑をもたらしていた。

 

「メルエ、眠いのだろう? 少し横になろう?」

 

「…………うぅぅん…………」

 

 眠気には勝てないが、それを認めてしまう事を嫌い、メルエは愚図り出す。リーシャの優しい手を嫌がるように首を横に振ったメルエは、目を擦りながら、再び浅い眠りへと落ちて行った。

 溜息を吐き出したリーシャは、サラへ目配せを送る。サラは長椅子を繋げ、その上に毛布を敷いて簡易的なベッドを作り上げた。再び舟を漕ぎ出したメルエをその上に寝かせ、上から毛布で包んでやる。暫く唸り声のような物を発していたメルエであったが、すぐにそれは寝息へと変わって行った。

 

「ふふふ。メルエは、本当にカミュ様が心配なのですね」

 

「サラは心配していないのか?」

 

 メルエの寝顔を見つめながら呟いたサラの言葉は、同じようにメルエの寝顔を見ていたリーシャによって遮られる。心から不思議そうに自分を見つめるリーシャの視線に、何故かサラの方が驚いてしまった。

 カミュが試練へと出て行ってから既に半日以上の時間が経過している。夜も更け、ランシールの村にも静けさが広がっていた。だが、その時間の間、不安そうな姿をしていたのは、メルエ唯一人であった筈。

 そんなメルエを気遣っていたリーシャの問いかけは、サラにとっては青天の霹靂であったのだ。

 

「えっ? あ、あの……リーシャさんは心配されているのですか?」

 

「当たり前だ。カミュの事を信じてはいるが、『試練』という名が付いている以上、不測の事態という物が起こっても不思議ではないだろう?」

 

 何処か落ち着かない気持ちになりながらもリーシャへと問いかけたサラは、今度こそ、心底驚く事となる。

 リーシャがカミュを信じている事は、既にサラも知っているし、それについてはサラも同様にカミュを信じている。だがサラは、信じているからこそ、カミュが戻って来る事を心配してはいなかった。

 サラは、ここで初めて、自分がカミュを信じている『想い』と、リーシャがカミュを信じている『想い』が異なっている事を知るのだ。

 

「そ、そうですね……あはは……」

 

「なんだ? 私は何か変な事を言ったか?」

 

 自分の発言を笑われた事で『むっ』と眉を顰めるリーシャの顔を、サラは何処か乾いた笑みを浮かべて眺める事しか出来なかった。

 おそらくリーシャは、サラと自分の『想い』の違いに気が付いてはいないだろう。いや、もしかするとこの心優しい女性騎士は、生涯気が付く事はないのかもしれない。

 サラがリーシャという人間を、正確に女性として認識した瞬間でもあった。

 

「カミュ様も、一度休まれている筈です。私達も少し休みましょう」

 

「……どこか釈然としないが……久しぶりに魔物を警戒せずに休む事が出来るんだ。ゆっくり休むとしよう」

 

 『人』の心は、色々な形で成長を続けている。

 今のサラには、リーシャの厳しい瞳を受け流す技術さえも備わった。

 様々な者達の『想い』を受けて旅する彼女等の『想い』もまた、変化を続ける。

 その『想い』の先にある物を、彼女達はまだ知らない。

 

 

 

 自分の事を心配している人間がいる事など、生来考えた事もない青年は、階段を降りた場所から北にある階段登った場所にあった手狭な空間で瞳を閉じていた。

 <地獄の鎧>が護っていた階段を降りた場所は、想像以上に広い空間であり、その場所でカミュは溜息を吐く。洞窟などで道を指し示してくれる者がいない以上、カミュに残されている選択肢は、隅々まで歩くという方法だけであった。

 階段付近は闇が広がり、カミュの持っている<たいまつ>だけが頼みの灯りとなっており、周囲を警戒しながらも<たいまつ>を掲げて真っ直ぐ進んだカミュは、かなりの距離を歩いた後に上へと続く階段を発見する。

 その道が行き止まりである事を示唆する者がいない今、それを上るしか選択肢はないのだが、上った先は、見事な程の行き止まりが待ち構えていた。

 溜息を一つ吐き出したカミュは、一時の休憩も含め、ここで身体を休める事にしたのだ。

 

 燭台に残されていた枯れ木などを一纏めにし、焚き火を起こしたカミュは、その傍で剣を抱えながら身体を休める。神殿を出る頃に昇ったばかりだった太陽は、おそらく完全に地の底へと沈みきっているだろう。

 一人で洞窟を探索するという事による疲労は、彼が考えていた以上の物であった。

 一人旅は初めてではない。

 エジンベア付近で受けた<ヘルコンドル>の呪文によって、リーシャ達三人と逸れたカミュは、その後二か月近くの時間を一人で旅して来た。

 しかし、その間で探索の必要な場所を訪れた事はない。平原を歩き、森を歩き、山を越え、海を越えて来た。

 その全てを考えても、この洞窟程の疲労を感じた事はなかった。

 常に警戒感を怠らず、何時でも戦闘へ入れるようにしておかなければならない。また、自然に作られた物なのか、人工的な物なのか解らない通路は、迷う事無く平原を歩くカミュの方向感覚を微妙に狂わせていた。

 

「……眠る暇もない訳か……」

 

 焚き火の炎に照らし出されていたカミュは、静かに目を開く。浅い眠りに入ったばかりにも拘わらず、侵入して来た無粋な来客に対して、不機嫌そうに立ち上がったカミュは、背中の剣を抜き放った。

 カミュの耳に届いたのは、不快な羽音。

 虫が発するような羽を擦り合わせる音が狭い空間に入り込んで来る。焚き火の炎によって、その全貌が映し出される瞬間に、カミュは地面を蹴っていた。

 

「キシャ――」

 

 来訪した魔物は、バハラタ付近に生息していた<ハンターフライ>と呼ばれる巨大な蜂の魔物。その尾には毒を持ち、魔物特有の呪文までをも行使する事の出来る。

 カミュの周りに三人の仲間がいれば、脅威にも値しない程の魔物ではあるが、今のカミュは一人。それに対して、<ハンターフライ>は四体で周囲を取り囲み始めていた。

 故に、カミュは先制を取る為に駆け出し、一体の<ハンターフライ>の羽を斬り飛ばす。飛ぶ事が出来なくなった魔物は床へと落ち、もがく様に羽を動かしていたが、自身の腹部へと突き刺さる剣によって、その生命を絶たれた。

 

「@#(9&)」

 

「ちっ!」

 

 地面で肉塊となった魔物から剣を抜き取ったカミュの耳に、別の<ハンターフライ>が発する奇声が轟く。その奇声も聞き覚えのある物であり、<ギラ>と呼ばれる最下位の灼熱系呪文の行使。

 カミュは即座に<魔法の盾>を掲げて後方へと飛んだ。

 <魔法の盾>に弾かれた光弾は、床で炸裂し真っ赤な炎の海を作り出し、生み出された炎の海がカミュと魔物を隔て、視界を遮った。

 

「いやぁ!」

 

 視界を遮られたカミュではあったが、既にこの程度の魔物に苦労する程の力量ではない。炎の隙間から飛び出して来た<ハンターフライ>一体を下から斬り捨て、胴を斜めに斬り裂かれた魔物は、断末魔の叫びを上げて床へと落ちて行った。

 床へと落ちた死骸は、<ギラ>の生み出した炎に巻かれ、全てを消し炭へと変えて行く。それと共に、カミュと魔物達を遮る炎の壁もまた、消滅して行った。

 

「マホトーン」

 

 目の前に再び現れた<ハンターフライ>二体に向けて、カミュは掌を突き出す。唱えられた呪文は、同道している『賢者』が得意とする補助呪文。

 彼女達と逸れた数か月の間、カミュは闇雲に剣を振っていただけではない。一人で行動する際に必要な物は、攻撃魔法や回復魔法だけではないのだ。

 魔法に重きを置く魔物等と対峙した際には、力押しだけでは自身の身体を傷つけるばかりであり、それを軽減する為にも、補助魔法の存在は重要となる。

 軽視しているという程ではないにせよ、攻撃魔法や回復魔法に比べて優先順位が低かった補助魔法の重要性を、カミュはあの一人旅で嫌という程に実感したのだ。

 

「@#(9&)」

 

 カミュが再び剣を持って駆け出した時、<ハンターフライ>の奇声が轟く。しかし、カミュが必要性に駆られてその精度を高めていた魔封じの呪文は、的確に<ハンターフライ>の魔法力を狂わせていた。

 詠唱を行ったにも拘わらず、何の現象も起きない事に戸惑う魔物達をカミュの剣が斬り刻んで行く。羽を傷つけられ、胴を斬り捨てられ、床へと落ちて行った<ハンターフライ>は、暫しの痙攣後に絶命した。

 

 魔物の死骸と体液が落ちている空間で眠る気になれないカミュは、そのまま焚き火を消し、<たいまつ>を持って、再び階段を下りて行く。暗闇に支配された広々とした空間にもようやく目が慣れて来たのか、<たいまつ>を掲げる先の空間が朧気ながらも見えて来ていた。

 迷う可能性を考えたカミュは、もう一度最初の階段へ戻る為、階段から真っ直ぐ南へと歩を進めて行く。

 目が慣れたとはいえ、闇の中での戦闘は、闇を本来の棲み処とする魔物相手には圧倒的に不利となる。故に、カミュは物音を立てないように静かに歩きながら、慎重に周囲へ<たいまつ>を掲げていた。

 

「……ふぅ……」

 

 何とか元の階段を見つけたカミュは、一つ息を吐き出す。この短い時間でもかなりの疲労を感じていた。

 常に警戒心を解く事は出来ず、行動さえも慎重に行わなければならない事が精神を蝕んでいるのだ。

 他人を気に掛けながらよりも、自分自身の身だけを案じている方が楽だと考えていた節のあるカミュは、その認識の誤りを肌で感じている。他人を気にするリスクを負ってでも、その他人によって護られているメリットが大きい事を改めて感じているのかもしれない。

 いや、それもリーシャという世界の頂点に立つ『戦士』と、今や世界に唯一人しかいない『賢者』となったサラ、そして幼いながらも人類最高の『魔法使い』となったメルエという、異質な仲間達であるが故の物であり、そして、彼等が歩んで来た、決して楽ではない道のりがあったからこその物。

 アリアハンを出発した時からは、想像も出来ない程に成長を続けて来た仲間達の存在は、閉ざされ凍り付いたカミュの心の中でも成長を続けて来たのだ。

 

「……進むしかないな……」

 

 再び周囲へと<たいまつ>を向けたカミュは、東へ向けて歩き出す。これも、最初にこの階段から西へ向かって歩いた時に、壁にぶつかり、その場所で<アントベア>という魔物と遭遇した経験があったからなのだ。

 要は、カミュの選択肢が南と東という二択しか残っていなかっただけの話。

 この洞窟には、バハラタ近郊で生息する魔物が多いようで、階段前で遭遇した<地獄の鎧>などは珍しいのかもしれない。

 

「……また上か……」

 

 真っ直ぐ東へと歩き続けるカミュの前に、再び階段が見えて来た。

 それは、やはり上層階へと続く物。しかし、道標はなく、カミュはその階段を上る事しか許されてはいないのだ。

 溜息と共に足を前へと出したカミュは、そのまま階段を上り、周囲へ<たいまつ>を向ける。先程<ハンターフライ>と遭遇した場所のような、階段を上ったその場で行き止まりだと解る物ではない事に安堵したカミュは、上層階へと踏み入れ、通路の壁に備え付けられている燭台へと炎を移して行った。

 道なりに歩を進めて行くと、洞窟の壁はゆっくりと左方向へと曲がり、そのままもう一度左方向へと折れている。燭台に灯った炎が通路全体を照らしている為、先程よりも警戒感を緩めていたカミュではあったが、二度目の左へと折れる道を曲がった時には厳しく目を細め、背中の剣へ手を伸ばしていた。

 

「ちっ!」

 

 大きな舌打ちをしたカミュの脇腹へと飛び込んで来た物を何とか盾で防ぎ、カミュは剣を抜き放つ。即座に<たいまつ>を燭台へと掛け、炎に照らされた剣を目の前に掲げた。

 その場でカミュを見つめる魔物も、以前に遭遇した事のある者達である。銀色に輝く身体を震わせている小さな魔物が二体。

 <メタルスライム>と呼ばれるスライム系魔物の希少種がカミュの事を嘲笑うかのように身体を震わせていたのだ。

 

「ふん!」

 

 目で追う事がやっとの魔物の動きを落ち着いて見ていたカミュは、射程圏内に入った事でその剣を振るった。

 だが、その剣は、大きな風切り音を残して空を斬る。カミュとて、尋常ではない速度で剣を振っているのだ。それでも、この<メタルスライム>の移動速度には追い付く事が出来なかった。

 それは、人類では届かない高みなのかもしれない。

 

「ぐっ……」

 

 態勢を崩したカミュの背中をもう一体の<メタルスライム>が襲う。装備している<魔法の鎧>が歪むのではないかと思う程の衝撃を受けて、カミュは息を詰まらせた。

 振り返り様に剣を振るうが、その場所には既に魔物の姿はない。これまで、どんな魔物相手でも、苦戦はしても手が出ない等という事はなかったカミュが、たかが二体の魔物に翻弄されていた。

 もし、この場にサラがいたのならば、目を丸くしていたかもしれない。

 

「ちっ! 次から次へと……」

 

 銀色の身体を震わせて動き回る二体の<メタルスライム>を忌々しく睨みつけていたカミュであったが、その後方の影から滲み出るように現れた者に対して、盛大な舌打ちを鳴らす。

 まるで登場する機会を窺っていたように現れた魔物。手には巨大なフォーク型の武器を握り、背丈はメルエ程しかない。

 この魔物もまた、初めて遭遇する魔物ではなく、メルエの育ったアッサラームを恐怖に陥れた魔物。

 

「イオナズン」

 

 突如として現れた<ベビーサタン>へ視線を動かしたカミュは、杖を掲げるように武器を高々と上げた魔物の動きに身体を硬直させた。

 呪文の詠唱だという事は解っている。そして、その呪文の名を聞く限り、メルエが持つ爆発系呪文の物だというのも想像が出来る。

 だが、その実物を見た事のないカミュは、身構える隙も与えられぬまま、その脅威を身に受ける筈であった。

 

「???」

 

 しかし、一向にカミュの身体はおろか、周囲にも変化が見えない。

 呪文の詠唱が可能であり、更には身近に強力な『魔法使い』を持つカミュは、この状況が呪文の不発である事を悟る。自身の武器から魔法が発現しない事に首を捻る<ベビーサタン>に向け、カミュは即座に駆け出した。

 呪文の発動に向けて力を向けていた<ベビーサタン>は、カミュの行動に反応出来ず、登場して早々にご退場頂く事になる。

 

「H&U4$」

 

「ちっ!」

 

 だが、そんなカミュの予定も周囲を飛び回っていた希少種によって遮られた。

 カミュの鼻先を掠めるように通り過ぎた火球は岩壁にぶつかり、炸裂するように弾ける。カミュが足を止め、少し躊躇した事で<ベビーサタン>も余裕を取り戻し、態勢を立て直した。未だに周囲を飛び回る<メタルスライム>を合わせて魔物が三体。

 <ベビーサタン>などは、カミュが苦戦する相手でもないのだが、目で追う事が精一杯の速度で動き回る希少種が合わさると話は別である。

 

「やぁぁ!」

 

 まずは目の前を飛び回る魔物を片付けようとしたカミュが剣を振るうが、それも空を斬り、再びもう一体がカミュ目掛けて飛び込んで来る。何とか<魔法の盾>で防いだカミュであったが、反対側から突き出されたフォーク型の武器によって、頬の肉が削り落とされた。

 噴き出す血液は、カミュの首筋までをも真っ赤に染め上げる。一旦後方に下がって回復呪文を詠唱しようとするカミュだったが、視界の片隅に<メタルスライム>が口を開けた姿を入れ、即座に盾を掲げた。

 

「くそ!」

 

 回復呪文も唱える暇も与えられず、カミュは悪態を吐き出す。それでも魔物達の攻撃が止む事はなく、一進一退の攻防が続けられた。

 何度目かの<メタルスライム>の攻撃を盾で防いだカミュの頬は、どす黒い血液が固まっている。盾に弾かれた<メタルスライム>の着地時を狙って振われたカミュの剣が、乾いた金属音を立てた。

 金属に当たり、弾き上げられたカミュの剣とは正反対に、<メタルスライム>は壁際まで吹き飛び、床を転がる。

 

「H&U4$」

 

 追撃をしようとしたカミュの横を火球が通り過ぎ、それに気を取られている隙に、先程目を回していた<メタルスライム>は、通路の先へと消えて行った。

 散々カミュを撹乱して行った<メタルスライム>が逃げ出した事に、状況を掴めないカミュではあったが、そんな短い時間は、先程まで状況を傍観していた<ベビーサタン>に搔き消される。

 

「ちっ!」

 

 カミュに向けて大きく口を開いた<ベビーサタン>は、大きく息を吸い込んだ後、一気に息を吐き出した。

 睡魔に襲われるような神経系の物と予想したカミュは、息を止めようとするが、自分の周囲を満たして行く冷気に気が付き、慌てて後ろへと飛んだ。

 冷たく凍り付くような冷気は、メルエの行使する<ヒャダルコ>程の威力はないものの、剣を持つ手を悴ませる力は有している。鎧やマントには霜が降り、カミュの吐き出す息も白く濁り始めた。

 

「ピキュ――――」

 

 悴む手に力を込めて剣を握ろうとするカミュに向かって、未だに残っていた<メタルスライム>の一体が飛び込んで来る。カミュは、その魔物に対して剣を向け、合わせるように剣を突き出した。

 手に余計な力が入らない状況であった事が功を奏したのか、カミュの突き出した剣は、何の抵抗も無く<メタルスライム>の身体へと突き刺さり、その不思議な身体を破壊する。

 カミュは、自身の持っている<草薙剣>には、防御力低下の付加があると考えていた。だが、その効果は、実際に魔法の効力がある相手にしか発揮されず、<メタルスライム>や<ミミック>のような抗魔法力の強い魔物の防御力が低下した節はない。

 故に、今、<メタルスライム>を貫いたのは、純粋にカミュの実力なのだろう。同じ事をもう一度行えと言われても、即座に実行できる事はないだろうが、カミュの剣技の幅が広がった事だけは確かであった。

 

「P¥5%*」

 

 残る一体となった<ベビーサタン>は、地面に落ちて銀色の液体と化す<メタルスライム>の姿と、振り向くカミュの瞳を交互に見た後、まるで怯えるように奇声を発する。その奇声は、この洞窟で聞くのは二度目となる物。

 人語が操れる魔族である<ベビーサタン>の余裕が失われている事を示す奇声は、この洞窟に入った頃に遭遇した<ミミック>の唱えた恐るべき魔法の一つであった。

 それを理解したカミュは、あの不快な感覚を想定して身構える。

 

「???」

 

 だが、またしてもその呪文は不発に終わった。何も起こらない事に慌てて武器を見る<ベビーサタン>ではあるが、それを見たカミュの行動は素早い。即座に間を詰め、<ベビーサタン>へと突き出された剣が、魔族の腹部を抉り、その刀身が背中から顔を出した。

 背中から吹き出る体液が岩壁に飛び散り、カミュが剣を抜き去った事によって、止め処なく流れ落ちる。命の源である体液が噴き出した<ベビーサタン>は、その場に立っている事も出来ずに倒れ込み、そのまま痙攣を繰り返した後に絶命した。

 <ベビーサタン>という魔物は、本来の魔法力の量が少ないのかもしれない。いや、見た目通り、この世に生を受けてから間もない魔物なのだろう。

 故に、呪文の契約が済んでいないのか、それとも契約は出来ていてもそれを行使する程の力量を有していないのかは解らないが、呪文を行使出来ないのだ。<イオナズン>という魔法や死の呪文にどれ程の魔法力が必要なのかはカミュには理解出来ないが、少なくとも、床に倒れ伏して絶命している魔族に扱える物ではなかったという事。

 

 通路で倒れ伏す魔族の死骸を乗り越え、カミュは更に通路を進んで行く。その場所は、やはりカミュの想定通りの行き止まりではあったが、少し開けた空間であった為、カミュはその場所で休む事を決めた。

 周囲の燭台に残された枯れ木を集め、<たいまつ>から炎を移す。長い間、放置されていた為か、暫く燻りを見せていた後、ようやく炎が灯り出した。

 そして、その時になって、ようやくこの狭い空間の全貌が明らかになる。

 

「……これは、鎧なのか……?」

 

 照らし出された空間の奥には、誰の手にも触れさせないかのような光沢を持つ鎧が鎮座していた。

 人の手で置かれた事が明白である証拠に、それは武器と防具の店で展示されているように、人型を模した物に掛けられた形で存在している。

 胸に十字のマークがある事から『精霊ルビス』を信仰する者の手で作られた物なのだろう。いや、その存在感と漂う雰囲気を考えると、『精霊ルビス』を崇めているのではなく、この世界その物を奉っているようにも感じた。

 

「……大地の鎧……」

 

 吸い込まれるように引き寄せられたカミュは、その鎧の傍の壁に刻まれた文字に気が付く。ここにこの鎧を安置した者が刻みつけたのだろう。

 <地球のへそ>と呼ばれる、この世界の中心に位置する場所にある洞窟内に存在するに相応しいその名をカミュが呟くと、まるでそれを待っていたかのように、鎧を囲む岩壁が淡い光を放った。

 

 この世界の大地が祝福するその鎧は、新たな主人を待っていたかのように輝きを放つ。だが、カミュがその鎧に触れようと手を伸ばし、肩当てに施された角のような物に触れると、その光は瞬時にして鎧に中へと吸い込まれてしまった。

 メルエの持つ<雷の杖>との出会いの時と似ているようで、全く異なったそれは、周囲の空気や雰囲気さえも変化した事が明確に物語っている。先程まで洞窟内の大地全てが鎧を祝福するように輝きを放っていたのだが、それも全て瞬時に消え失せ、鎧自体もその辺りの武器屋で販売している物と然程変わらない空気を纏っていた。

 

「……俺を主人としては認めない、という事か……」

 

 唖然として見上げていたカミュは、小さな呟きと共に柔らかな笑みを浮かべる。不思議な雰囲気を持った物が、まるで生きているように主を定める姿を、カミュはこの旅で何度か見て来ていた。

 メルエを待っていた<雷の杖>、サラを待っていた<悟りの書>、カミュを待っていた<草薙剣>、その何れもが、主と定める者以外の手に渡る事を嫌っている。ならば、何故、先程まで輝きを放っていたのか。

 この暗い洞窟という場所から離れる事を喜ぶように輝いた鎧は、何を主として見ていたのか。それを考えてカミュは笑みを浮かべたのだった。

 

「お前を装備出来る人間は、もう一人いると言うのだな?」

 

 物云わぬ鎧に問いかけるように発せられた呟きは、静かな沈黙によって返される。もう一度笑みを浮かべたカミュは、鎧に背を向け、この空間の入口を向くように座り込んだ。

 そのまま、剣を肩に掛けたまま、静かに瞳を閉じ、浅い眠りへと落ちて行く。

 静かに佇む鎧は、赤々と燃える炎に照らされ、不思議な輝きを放ち始めていた。

 

 

 

 

 篝火の炎が揺らめく神殿内は、闇と静寂に満ちていた。

 既にメルエは完全に眠りに落ち、静かな寝息を立てながら身動き一つしない。その横に長椅子で簡易ベッドを二つ作り、メルエを挟むようにサラとリーシャが身体を横たえていた筈だった。

 しかし、ふと目を覚ましたサラは、メルエの向こう側で寝ている筈の女性の身体が起き上がっている事に気が付く。身体を起こし、長椅子に座るような形で背を向けている女性は、先程までメルエが凝視していた通路へと視線を向けていた。

 

「リーシャさん? 眠れないのですか?」

 

「ん?……ああ、起こしてしまったか?」

 

 後方から掛った声に振り向いたリーシャは、自分の身動き等でサラを起こしてしまった事を謝罪する為に頭を軽く下げるが、すぐに視線を元へと戻す。ゆっくりと起き上ったサラも、そのまま毛布に包まりながら、リーシャが見ている方向へと視線を動かした。

 吸い込まれるような闇しか見えない通路の先は、『勇者』と呼ばれる青年を飲み込んだ直後と何一つ変わりはない。

 

「リーシャさんがメルエへ話したように、カミュ様が戻られた時にリーシャさんの調子が悪くては元も子もありませんよ?」

 

「ああ……解ってはいるのだがな……カミュが試練と戦い、無事に戻って来た時に、私達が寝ているというのもな……」

 

 サラの言葉に苦笑を浮かべたリーシャは、何やら居心地が悪そうに頬を指で掻いていた。

 確かに、カミュが夜通しで試練に挑んでいる可能性は否定出来ない。だがサラは、今回のような切羽詰まった状況ではない場面ではカミュは無理をしないと考えていた。

 それに対しリーシャは、カミュの性質上、無理な行動はしないとは思ってはいるが、必要となれば、多少の苦を無視する傾向がある事も知っているだけに、その辺りに不安を感じていたのだ。

 

「カミュ様がメルエへ『すぐ戻る』と言った以上、無理はしないでしょう。『急いて事を仕損じる』という可能性は、カミュ様に限っては無いと思いますよ? お一人では、満足に休む事は出来ないかもしれませんが、<聖水>も持っているでしょうし、<トヘロス>という呪文もありますから」

 

「そうだな……サラの言う通りだ」

 

 通路から視線を外したリーシャの顔に浮かぶ笑みを見て、サラは小さく微笑んだ。

 リーシャは、<聖水>という道具や<トヘロス>という魔法が、洞窟内のような場所で効力を持つかどうかを知ってはいない。だが、サラがこう言う以上、その効力があるのだと考えたのだ。

 それは、詭弁かもしれないし、方便かもしれない。だが、それを信じる事が出来るだけの『絆』をリーシャとサラも、リーシャとカミュも、そしてカミュとサラも築いて来ている。

 

「サラは先に休め。私は、もう少しの間、起きている事にするよ」

 

「わかりました……無理せずに眠ってくださいね」

 

 リーシャの表情を見たサラは、自分の伝えたかった事は伝わっている事を理解し、それ以上は強く言う事無く、再び身体を横たえた。

 閑散とした神殿の中は、夜の闇と冷気によって支配されており、毛布に包まったサラは、メルエを抱くように眠りへと落ちて行く。

 

「サラに窘められるとはな……」

 

 静かな寝息を立て始めたサラを振り返ったリーシャは、苦笑のような笑みを浮かべ、妹のように想う二人の頭を優しく撫でた。

 神殿内に漂う冷気によって冷たく冷え切った髪の毛が、リーシャの心をも静めて行く。一つ息を吐き出し、もう一度通路の方へ視線を動かしたリーシャは、ようやく身体を横たえ、瞳を閉じた。

 

 

 

 距離の離れた心は、培って来た『絆』によって結ばれている。

 導かれて来た者は、時間の経過と共に導く者へと変貌していた。

 導いて来た者は、周囲の者達の成長を喜び、そして戸惑う。

 誰も必要としなかった者は、己の周りに集う者達を心より信じ始めていた。

 それぞれの胸に宿る『想い』を抱き、それぞれの夜は更けて行く。

 

 

 

 

 

 




読んで頂き、ありがとうございました。

少し短くなってしまいました。
本来であれば、二話で終わらす予定だったのですが……
すみません、いつもの事だと許して下さい。
地球のへそ編は、全三話になると思います。

ご意見、ご感想を心よりお待ちしております。

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