新訳 そして伝説へ・・・   作:久慈川 京

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スーの村③

 

 

 

「そうか……町をな……」

 

 男は、椅子に座り天井を見つめながら、恩人でもあるディアンのその後について想いを馳せていた。その瞳には在りし日のディアンとその妻が映っているのかもしれない。彼という人物の狂い始めた人生を必死に留めてくれた人物。そんなディアンの無事を祈らなかった日はないのだろう。その瞳に安堵の色を浮かべていた。

 

「ディアンさんが、貴方達にこの場所を教えたという事は、何か理由があるのかもしれないな。見ての通り、この場所には様々な物がある。ディアンさんが見つけた時には、既にこの状態だったらしいから、この空間を作った者が集めた物なのだろうな」

 

 一息吐き出した男は、カミュ達へ視線を戻し、自分が二十年以上も暮らしている空間を紹介する。男の言葉通り、地下に出来た不思議な場所には、いくつもの本棚があり、その本棚にはぎっしりと書物が仕舞い込まれている。

 これ程の書物の数を収集するという事は、困難な事だろう。内容自体は解らないが、かなり貴重な書物なのかもしれない。本棚の傍には机や椅子があり、その風景はカミュ達四人の中の二人には見覚えのある景色であった。

 

「ディアンさんの友人だ。ここにある物は好きにしなさい。私も時間だけはあったから、ほとんどの書物は読ませてもらったが、さっぱり理解出来ない物ばかりでね。中には、『精霊ルビス』様の従者を蘇らせる方法などという夢物語もあったな」

 

「カ、カミュ様、ここは……」

 

「ああ、アンタの考えている通りだろう」

 

 周囲を見渡している一行の姿に苦笑を洩らした男は、この場所にある全ての物を委ねるような事を提案する。元々、彼の物でもディアンの物でもない物である。信じる事に値する者へと委ねる事に何の躊躇いも無いのだろう。

 だが、そんな彼がここ二十年の間に読んだ書物の中身を聞くと、その内容に驚いた物が二人。本棚と机という風景に覚えがある者がこの場所が誰の作った物なのかを確信した瞬間だった。

 

「ん? どういう事だ……そ、それよりも、メルエは何処へ行った!?」

 

 パーティーの頭脳である二人が驚愕の表情を浮かべる事に首を傾げたリーシャは、今更ながらカミュのマントを握っていた筈の小さな手がない事に気が付く。再び犯してしまった失態に焦るリーシャであったが、広い空間といっても、ここは全てを見渡せるような場所。数回首を回しただけで、彼女が探し求める者の姿を認識する事が出来た。

 

「メルエ! また勝手に動かないでくれ……どうした?」

 

 メルエは、本棚や机がある場所とは正反対の壁を見上げていた。慌ててメルエの許へ駆け、その行動を窘めたリーシャであったが、リーシャの声にも反応せず、壁を凝視しているメルエの姿にリーシャは再び首を傾げる事になった。リーシャの後を追うように傍に寄ったカミュとサラは、メルエが見上げている物へと視線を移す。

 

「これは……杖か?」

 

「どうなのでしょう……ですが、不思議な力を感じますね」

 

 カミュが発した言葉通り、それの見た目は『杖』である。しかし、その全長はメルエの背丈などを軽く超えている程の長さ。そして何よりも、その容貌がおぞましい。

 杖の先に巨大な目を思わせるような物があり、そしてその目を踏みつけているようなオブジェが装飾されている。そのオブジェが、また禍々しく、それはこの世界に生きる動物ではなく、完全なる魔物の姿。蝙蝠のような羽ではあるがその大きさは身体を覆う程に大きく、その羽を広げた顔には鳥のような大きな嘴が付いており、目は細く鋭く、体躯は鋼のような筋肉が彫られている。

 彫刻のようでありながら、まるで今にも動き出しそうな程に精密なオブジェ。それが見る者の心を魅了すると共に恐怖という観念も生み出す程の物であった。だが、そんなオブジェも長い月日の間放置されていた為か、色はくすみ、杖全体に輝きを失っていた。

 

「それは、ディアンさんがこの場所を見つけた時からあった物だそうだ。もう数十年も放ってある物だから、気に入ったのなら持って行くと良い」

 

 壁に掛けられたその杖を見上げていたメルエは、未だに吸い込まれるようにその杖を見つめ、身動き一つしない。サラはその杖の禍々しい見た目から、何か悪い思念によってメルエの魂が吸い込まれてしまったのではないかと心配するが、それはカミュとリーシャの手によって杖が降ろされた事で霧散して行った。

 

「お、重いな……」

 

 壁に掛けられてあった杖を下ろそうと手を伸ばしたリーシャであったが、その重量は想像以上にあり、とてもリーシャ一人では持てない程の物。カミュが手を貸す事によって下へと降ろされた杖であったが、その重量からこの中の誰も使用出来ない物である事は明白であった。

 しかし、呆然と降ろされた杖を見つめるカミュ達の中で、ようやく動き始めた幼い少女が、そんな事実を覆してしまう。

 

「メ、メルエ?」

 

「お、おい」

 

 下へ降ろされた杖に近寄ったメルエは、その杖に手を伸ばす。その重量を肌で感じているリーシャとカミュは、その行動を制しようと声を掛けるが、伸ばされた小さな手は、その杖をしっかりと握り込んだ。そして、カミュ達三人は、信じられない光景を目の当たりにする。

 軽々と持ち上げられたその杖は、メルエよりも頭一つ分長い全長をしているのだが、そんな重みも感じられない程に真っ直ぐと立っていたのだ。カミュとリーシャの二人がかりで何とか降ろす事が出来た物を、力など全く有していないメルエが片手で持ち上げ、その感触を確かめるように持ち直している。その事実にカミュは息を飲み、リーシャとサラは目を見開いた。

 まるで、その場所へ帰る事を待っていたかのように、メルエの手の中に納まった杖は、その身体を輝き出す。杖の先にある魔物のようなオブジェの口元に笑みが浮かんだかのような輝きは、杖全体を包み込み、そしてその全貌を変化させて行った。

 

「こ、これは……」

 

 この二年以上の旅の中で、不可思議な現象を何度となく見つめて来たカミュ達でさえ、言葉を失う程に驚いていたのだ。現実の世界を生き続けて来た元貴族の男にとっては、天地がひっくり返る程の衝撃だったのだろう。目を見開いた男は、その不思議な光景を呆然と見つめる他なかった。

 メルエの身体ごと包み込むような光は、収束するように杖へと戻って行く。全ての光が杖の中へと戻った時、その杖の姿は、先程までの物とは大きな異なりを見せていた。

 姿が変化したのではない。相変わらず、杖の先には禍々しい魔物のようなオブジェが付いてはいるが、それが纏う雰囲気は一変していた。まるで主を護る騎士のように、そしてメルエという主へと続く門を護る門番のような、そんな忠誠すらも感じる程。

 そして長年の埃やくすみは全て取り払われ、彫られたばかりのように美しく、眩いばかりの輝きを放っていたのだ。

 

「これは……古の『賢者』様の持ち物なのでしょうか?」

 

「否定は出来ない。それ以外に考えられない事は、アンタも良く解っている筈だ」

 

 サラの呟きは、カミュに静かに肯定される。カミュとサラが感じた物。それは、以前にガルナの塔で辿り着いた場所で感じた物と同じ物だった。ガルナの塔にあった不思議な空間にも本棚と机があり、何か言いようのない雰囲気があったのだ。

 『精霊ルビス』の従者という言葉が男の口から出て来た事で、それがカミュとサラの中で確信に変わっている。そして、メルエの手に納まったこの不可思議な杖が、『古の賢者』という伝承となっている者に完全に結びついた。

 

「アンタ達は何者だ?」

 

「この少女は、『魔法使い』なのです」

 

 メルエの持つ不思議な杖の巻き起こした現象を目の当たりにした男は、『畏怖』の念を持ってカミュ達を見始める。彼にとってみれば、初めて見る非現実的な物なのかもしれない。『魔法』という神秘の存在は知っているだろうが、古ぼけた杖さえも変化させる事の出来る超常現象までは見た事はない。だが、だからこそ、男はカミュの返しにある程度の納得を示した。『魔法使いという者は、ここまでの事が出来るか』と。

 『魔法使い』という職業は、一国にそれ程多くいる訳ではない。国の兵器といっても過言ではないその戦力は、国家の中枢に位置する宮廷に存在する事が多い。流れの魔法使いなどは本当に稀であり、その実力も『魔道書』に記載されている初期魔法を行使出来る程度である。故に、男は納得するところはしたが、未だに厳しい瞳をカミュ達へと向けていた。

 

「私達は、『魔王討伐』の命を受けて旅をしている者です」

 

「魔王討伐!? 正気か?」

 

 男の視線の意味を理解したサラが、その答えを告げる。その答えを聞いた男は、本気で驚きを示した。当初は、魔王の台頭など歯牙にもかけなかったエジンベアではあったが、近年の魔王の影響が無視できない状況にまで追い込まれている事をこの男も知っていた。

 エジンベアとの交流船が皆無となった事も、エジンベア自体がスーに対し興味を失った他にも、魔物の横行という理由が存在している事も承知していたのだ。故に、その元凶であり、誰も敵わないと云われている『魔王』という存在に、未だ向かって行こうとする者達がいる事に驚きを隠せなかったのだ。

 

「……そうか……」

 

 静かに頷きを返すサラを見た男は、力を失ったように椅子に座りこむ。予想もしなかった答えを聞き、脱力してしまったのかもしれない。だが、その口端には小さな笑みが浮かんでいた。邪悪な物でもなく、嘲笑のようでもない。その笑みは、自分では計り知れない物を見た時の、思わず出てしまったというような笑み。それが男の胸を満たしている感情を明確に示していた。

 

「その杖は、そのお嬢さんの物だな。魔法力のない私から見ても、その杖がお嬢さんを待っていたようにさえ見える。この部屋にある物を好きなだけ見て、何か気に入るような物があれば、持って行くと良い。ディアンさんもそのつもりでアンタ方をここへ招いたのかもしれないな」

 

 一つ溜息を吐き出した男は、カミュ達の方へ視線を戻し、柔らかな笑みを浮かべた。とても、無駄な誇りばかりが高い国の貴族であったとは思えない笑みを浮かべた男は、そのまま奥にある自室へと向かって行った。

 もう、彼の中でカミュ達と話す事はないのかもしれない。カミュ達の素性を知った彼は、自身の存在を村の人々に触れて回る者達ではない事を確信したのだろう。

 

「メルエ、それは重くないのか?」

 

「…………ん…………」

 

 男が自室へと消えて行ったのを確認したリーシャは、未だに自分よりも背の高い大きな杖を片手で持つメルエに問いかけるが、それはあっさりと肯定された。

 確かに、メルエの手に納まっている杖に重量感は見受けられない。まるでその手に吸いついているかのように鎮座する杖が不気味な程、メルエと同化していた。男の言うように、まるでメルエの到来を待っていたかのようにさえ感じるその杖は、禍々しさよりも不思議な魅力に包まれている。

 

「それは、メルエだけの杖ですね。しかし、どのような杖なのでしょう。そのような杖、見た事もありませんし、普通の物でもありませんよね」

 

「そうだな……流石に、このようなオブジェが彫られている杖など、見た事も聞いた事も無いな。一度トルドに見て貰おうか」

 

 メルエが自慢気に持っている杖を見つめていたサラの言葉通り、このような禍々しい姿をした杖は、世界に出回ってはいない。この二年の間で、彼等は様々な場所を見て来たが、このような杖の噂も聞いた事がなければ、実際に見た事も無いのだ。それは、本当の意味でのメルエだけの杖なのかもしれない。

 世界中でたった一本しかない杖。それは、規格外の魔法力を有するメルエの為にある杖とまで考えてしまう程の存在感を示している。その感想はリーシャも同じ様に感じており、彼等が一番信用する『商人』であるトルドに鑑識を頼もうと考える程の物であった。

 

「……メルエの杖も定まった。書物を見て回る」

 

「そ、そうですね」

 

「では、私はメルエと共に座って待っていよう」

 

 誇らしげな笑みを浮かべるメルエを見て溜息を吐き出したカミュは、本棚へ向かって歩き出し、それを追ってサラが動き出そうとした時に発せられたリーシャの言葉は、カミュとサラを勢い良く振り返らせた。

 当のリーシャは、驚いた顔で振り向く二人に首を傾げ、それを見ていたメルエも笑顔で小首を傾げる。リーシャ自体は、自分が発した言葉が当然の事と思っているのだろう。だが、カミュとサラから見れば、それは異質な主張であったのだ。

 

「リ、リーシャさんは、書物を見ないのですか?」

 

「ん? 私が見ても解らないだろ? 文字は読めるが、『古の賢者』様が残した物など理解する事は出来ないぞ」

 

 振り向いたサラが発した問いかけに対するリーシャの答えは、カミュとサラの二人に更なる驚きを齎した。もはや、リーシャは自身を良く見せようとする虚栄心を持ち合わせてはいなかった。アリアハンを出立した頃ならば、自身の考えがカミュやサラに及ばない事を恥じ、それを隠そうと見栄を張っていただろう。だが、既にそのような時期は遠い昔に過ぎ去っていたのだ。今は、前にいる二人の頭脳を心から信頼している。だからこそ、リーシャは自分の役周りではない事を悟り、後方に控える事を口にしたのだ。

 これが、戦闘に於いての物であれば、彼女の反応は全く異なっていたであろう。魔物との対峙であれば、彼女は誰が何を言おうと、誰よりも前に立ち、そして後ろにいる者達を護り切る筈なのである。

 

「俺は、こちらから見て行く」

 

「えっ! あ、は、はい!」

 

 呆然とリーシャを見ていたサラは、溜息を吐き出した後に発したカミュの言葉に我に返った。既に本棚から書物を抜き、開き始めているカミュは、一つ一つその内容を吟味して行く。サラもカミュとは反対の本棚から一冊の書物を抜き、その内容に目を走らせ始めた。

 その様子を見たリーシャは軽く笑みを漏らし、椅子に座り直す。その横の椅子にメルエを座らせる為に持ち上げたリーシャは少し驚きの表情を浮かべた。メルエの手には杖が握られたまま。つまり、カミュと二人がかりで壁から降ろした程の重量を持つ杖とメルエを同時に持ち上げた筈なのだが、リーシャの手には、メルエの重みしか感じる事はなかったのだ。

 

「本当にその杖は重くないのだな……」

 

「…………ん…………」

 

 再度問いかけたリーシャの言葉にメルエは大きく頷いた。足の届かない椅子に座ったメルエは、その太腿に先程手に入れた杖を横たえ、魔道士の杖であった物を胸に抱く。一見奇妙に見えるメルエの姿であるが、メルエの心を理解しているリーシャは、優しい笑顔を作ってメルエの頭を撫でた。

 メルエにとって、自分を育ててくれた杖も、今自分を認めてくれた杖も、同じように大事な物なのであろう。気持ち良さそうに目を細めてリーシャの手を受け入れたメルエは、書物を漁るカミュとサラの背中に視線を戻した。

 

「カミュ様、これを!」

 

 何冊目の書物になったであろう。反対方向から進んでいたカミュとサラの距離がかなり縮まった頃、ようやくサラが開いた書物を指差して、カミュを呼んだ。

 二冊の書物を小脇に抱えたまま別の書物を読んでいたカミュは、読んでいた書物を棚に戻し、小脇に二冊の書物を抱えたままサラの許へと近寄る。サラが示した書物に目を落としたカミュは、一度頷いた後、リーシャ達が待つ机の方へと戻って行った。

 

「何か見つかったのか?」

 

「はい。これを見て下さい。ここに、『オーブ』という言葉がはっきりと記されています。『六つ全てのオーブを手にしたのなら、レイアムランドの祭壇に捧げるべし』とあります」

 

 リーシャの横に座ったサラは、自分が見つけた書物を開き、その部分を指差しながら、声を出して読み上げる。リーシャは横から書物を覗き込み、そのリーシャの肩越しからメルエが顔を出している。しかし、サラの読み上げた地名には、ここにいる全ての人間に覚えがなかった。聞いた事も無い地名に、『祭壇』という物から結びつく物。

 

「どこかに神殿のような物があるのか?」

 

「おそらくは……ですが、問題はそこではないのです。それは、オーブを全て集めてから考えれば良い事なのですが、これには続きがありまして……『オーブを欲する者は、山彦の笛を手にすべし。オーブありし場所には、必ず山彦あり』と記されています」

 

 シャの疑問は当然の物ではあるが、サラの中では今すぐに考えなければならない事ではなかったのだろう。それよりも気になる部分があるサラは、続けてその部分も読み上げた。

 しかし、その言葉の意味を理解出来る物は、このパーティーの中に誰もいない。『オーブ』という物を探すには、山彦の笛という物が必要であるという事は、朧気ながらも理解は出来る。だが、その次の文が理解出来ないのだ。

 

「何だそれは? 笛というからには、吹いてみれば良いのか? 『オーブ』がある場所では、笛の音が返って来るという事か?」

 

「!!」

 

 書物を読み上げ終えたサラと、それを聞いていたカミュが考え込み、再び書物へと目を落とした時、メルエと共に首を傾げていたリーシャが口を開いた。その言葉は、カミュとサラの脳に電撃のように落ち、全てを理解させる起因となる。

 カミュとサラは難しく考え過ぎていたのだ。山彦の笛という物をそのまま捉える事をせず、何かの抽象であると考えてしまっていた。だが、リーシャの言うように、只の笛だと考えれば、吹くのは当然であり、『山彦』という以上、その笛の音は戻って来る事を象徴している事を示しているのだろう。

 

「カミュ様……」

 

「おそらくその通りだろうな……問題は、何処にあるかだが……」

 

 重大な言葉を発した事に気付いてはいないリーシャは、再び考え込んだカミュとサラを見て、メルエと共に首を傾げる。考える役目は、この二人なのだ。リーシャとメルエは、彼ら二人が決めた道を共に歩めば良い。それが明らかに誤った道でない限り、リーシャがその歩みを遮る事など有り得ない。それ程に、彼女はこの二人を信じていた。

 

「最後の一文に『山彦は、高き場所に眠る』とあります。これから考えるに、山の上か……」

 

「……塔か……」

 

 最後の一文を聞いたカミュが呟いた予想が間違っていない事の証明に、サラは小さく頷きを返した。『高き場所』となれば、この世界に存在する物として、自然が造り出した『山』か、人工的に作り出された『塔』しか有り得はしない。

 そして、『古の賢者』と呼ばれる程の者が残した書物であると仮定した場合、その者が自然物の中に隠すとは思えない。自然物の中に隠されたとすれば、発見する事はほぼ不可能であるからだ。そして、もし発見される事を恐れたのであれば、このような書物にその在り処を示すような一文を残す筈がない。そこまで考えてのカミュとサラの言葉であった。

 

「よし! 次の目的地は『塔』だな。早速、村の人間に近くに塔がないかを聞いてみよう」

 

「…………ん…………」

 

 カミュの呟きに頷いたサラを見たリーシャは、自身達の歩む道が確定した事を理解し、即座に行動しようと立ち上がる。話の内容が理解出来ず、退屈を持て余していたメルエは、リーシャの言葉に一も二も無く頷き、椅子から飛び降りた。

 その手には新しい彼女の戦友となる杖。彼女よりも背丈の高いそれは、世界最高の『魔法使い』であるメルエにその威厳を持たせるに充分な威圧感を持っていた。

 

「少し待て。メルエ、その杖を少し見せてくれ」

 

「…………???…………」

 

 しかし、動き始めたリーシャを止めるカミュの言葉に、一行の行動が再び停滞する。リーシャの後ろにいたメルエに声を掛け、その手にある杖を覗き込んだカミュは、小脇に抱えていた二冊の書物の内、一冊を開き、その中に描かれている杖の絵とメルエの持つ杖を見比べた。

 その書物には、色々な武器や防具、そして道具などが図入りで記載されていた。その種類はそこまで多くはないが、カミュ達が見た事も無い物ばかりであり、この世界の中でも希少価値のある物である事は推察出来る。

 

「雷の杖ですか……?」

 

 その書物には、その武具の名称が記載されていた。しかし、その物の絵柄と名称しか記載されてはおらず、武具が持つ特性などは記されていない。故に、サラはその名を呟き、首を傾げた。

 雷の杖という名は、サラもカミュも聞いた事はない。世界中の武具に精通している訳ではない為、普通に武器屋で販売している武具にも知らない物が多い彼等が、世界でも希少価値の高い物の名を知り得る訳はないのだ。

 

「雷の杖というのであれば、カミュが行使するあの雷の呪文が出て来るのか?」

 

 雷の杖というからには、それ相応の付加価値がある可能性が高い。メルエが所持していた魔道士の杖には、魔法力がなくともメラを行使する事が出来るという付加価値があった。ならば、リーシャの言うように、文字通りの『雷』が落ちて来ても可笑しくはない。

 それを問いかけるリーシャの瞳が、先程よりも輝いて見える事実をカミュとサラは無視する事に決め、暫しの間考え込んだ。

 

「いえ。おそらくそれは無理でしょう。あれは、カミュ様という『勇者』様が行使出来る呪文。それは、選ばれた者にしか行使が出来ない事と同義です。希少価値の高い武器といえども、それは無理でしょう」

 

 少し考えたサラは、そう結論付けた。後の世に『英雄』と成り得る者にしか行使出来ない呪文。それは、世界中を探しても、同時期に一人しかいないと云われている。それは、魔法に対する才能という話ではない。魔法力の量や、その才能が規格外であるメルエであっても、あのライデインという呪文の契約は不可能なのだ。

 ならば、その魔法を付加価値として武具に備える事の出来る者もいないという事になる。それこそ、神が造りし神器と呼ばれる物でもなければ、有り得ないだろう。

 

「……そうか……」

 

「ですが、リーシャさんの言う通り、何らかの付加価値はあると思われます。メルエの安全を考えれば、何処かで試してみる必要はありそうですね」

 

「…………メルエ………の…………」

 

 残念そうに肩を落としたリーシャであったが、再び開かれたサラの口から出た言葉に、笑みを戻す。だが、その持ち主となったメルエの拒絶反応を見て、結局肩を落とすのであった。

 久しぶりに自分に与えられた武器。しかも、その出会いは衝撃的な物であり、メルエの心にも特別な想いを齎した。それは、幼い心に再び独占欲を生み出す。『ぷいっ』と背を向けたメルエの背中が、『誰にも貸さない』という意思を明確に示していた。

 

「……魔法に関しては、諦めたのではなかったか?」

 

「ぐっ……わかっている。ただ、試し打ちというのであれば、誰が行っても良いのではないかと考えただけだ!」

 

 肩を落とすリーシャを見たカミュは、深い溜息を吐き出し、遠い昔に行った記憶のあるやり取りを再度口にする。メルエが魔道士の杖を手にした際に、魔法が発現せずに投げ捨てられた魔道士の杖を手にしたリーシャは、魔法を誤発動させてしまっている。その影響で、カミュは被害を被る危機に陥り、それに対しての罰則をリーシャに課そうとする程に追及していた。

 その際に、リーシャはメルエに対して『二度と魔法を使おうとは思わない』と告げているのだ。それを持ち出したカミュの言葉に、リーシャは言葉を詰まらせ、喚くような言い訳を口にするしかなかった。

 

「外へ出る前に、挨拶をして来る」

 

 リーシャの言い訳を鼻で笑ったカミュは、先程男が消えて行った自室の方へと歩いて行った。悔しそうに唇を噛み締めたリーシャは、そんなカミュの背中を睨みつけながら後ろを付いて歩き始める。苦笑を浮かべたサラは、自分の持っていた山彦の笛に関する書物を本棚へ戻した後、訳が解らずに首を傾げるメルエと共に、二人の後を追って行った。

 

「ありがとうございました。申し訳ありませんが、この二冊の書物と、あの杖は頂いて行きます」

 

「ああ。大丈夫だ。アンタ方の行く道に『精霊ルビス』様のご加護を……そうだ。村に出たら、長老の家に寄ると良い。この村の長は、話の解る人だ。外部からの人間も、エジンベア人でなければ、快く受け入れてくれるだろう。間違ってもエジンベアから来たなどと言わない事だな」

 

 自室の扉を叩くと、すぐに男が顔を出した。丁寧にお礼を言い、頭を下げるカミュを見て、男は優しい笑みを浮かべる。開拓地にいた老人とまでは行かないが、それ相応の年輪を重ねた顔に皺を大量に寄せて微笑む男の顔は、その人間の内面を表していた。

 そんな男が、善意からカミュ達へと助言を洩らす。『塔』に関しての情報を求めていたカミュ達にとって、男からの助言は渡りに船であった。再度男へ頭を下げたカミュは、後方へ振り返り、そのまま出口へと歩を進める。サラやリーシャも男へと頭を下げ、メルエはリーシャの手を握る反対の手を男へと振って歩き始めた。

 

 

 

 外へ出ると、既に陽は頂上を越え、西の空へと進路を取り始めていた。夕暮れには少し時間があるが、村は昼時の喧騒を過ぎている。地下へと続く階段を覆った鉄製の蓋を動かし、完全に階段を隠した後に、その上から丁寧に土をかけて行く。

 人目に付きにくい場所にはあるのだが、念には念を入れ、カミュ達はそれを隠して行った。メルエも土を手に取り、カミュ達が均している上から土をかけて行く。

 その場所を丁寧に均し終えたカミュ達は、近場を歩く村人に聞いた長老の家へと向かって歩き出した。長老の家は、村の最北にある一際大きな家屋。暖かな日光を浴びて輝く芝生が広がる庭のような場所には、馬が一頭飼われている。庭に柵などはなく、完全な放牧となっており、馬は自由に歩き回りながら、緑色に輝く芝生を口に入れていた。

 そんな馬の姿に目を輝かせたのはメルエ。何かを問いかけるように手を繋いでいるリーシャに瞳を向け、嬉しそうに微笑んでいた。

 

「あれは、馬だ。ポルトガで見た事があるだろう?」

 

「お馬さんですね」

 

「…………おう……ま…………?」

 

 リーシャとサラの答えが少し違う事に首を傾げたメルエであったが、その言葉を紡いだ後、花咲くような笑みを浮かべ、リーシャの手を離してしまう。そのまま馬の近くへ駆け寄り、芝生を食む馬の様子をしゃがみ込んで見始めた。

 メルエがこうなってしまっては、なかなか動こうとしない事を知っている三人は、揃って溜息を吐き出し、そして笑みを作る。この村には、リーシャ達が訪れた二か月前から動物達は放し飼いにされていた。しかし、カミュが戻るまでは、それらの動物達へ興味を向ける余裕がメルエにはなかったのだ。そんなメルエが、今はとても嬉しそうに微笑みながら馬の食事を見つめている。それが、三人にはとても喜ばしい事だった。

 

「食事を見つめるとは、趣味が悪いですよ。私は話す馬、エド。お嬢さんのお名前は?」

 

「…………!!…………メルエ…………」

 

 そんな和やかで優しい雰囲気は、突如一変した。自身の食事を見つめるメルエを窘めるように、馬が言葉を発したのだ。この言葉は、後ろにいたカミュ達には聞こえない。だが、驚いたようなメルエの姿は感じ取れた為、カミュ達三人は急いでメルエの許へと向かった。

 そんな三人とは裏腹に、若干の驚きを示したメルエではあったが、すぐに表情を笑顔に変える。メルエにとって、言葉を話す生き物は驚く事に値しないのだろう。ただ、突然話し掛けられた事と、自分の行動を窘められた事への驚きだったのかもしれない。

 意思の疎通が出来るという事だけで見れば、ランシールで出会ったスライムも、この村で生きる人々も、そしてこの馬も、メルエにとってはそう大差はないのだ。それがカミュ達に向けられているような『好き』という感情がない限り、彼女にとって、この世界に生きる者達への区別は存在しないのかもしれない。

 

「はじめまして、メルエ。食事を見つめては駄目ですよ」

 

「…………ごめん………なさい…………」

 

 丁寧な挨拶の後、再び窘められた事に、メルエは眉を下げながら謝罪を口にする。メルエの謝罪を受け、馬の瞳は優しさを取り戻し、メルエにはそれが笑ってくれたように感じた。しかし、そんな微笑ましいやり取りは、直前に駆け寄って来たカミュ達の驚きの声で阻まれる事となる。メルエを窘める声はメルエの前にいる馬から発せられており、それを受けたメルエも、馬に向かって頭を下げていた。その事実が、リーシャとサラという常識の中で育った者達の顔に驚愕を浮かばせたのだ。

 

「う、うまが話すのか!?」

 

「お、お、お馬さんが……え、え、えぇぇぇ!?」

 

 驚く二人の横で、カミュは盛大な溜息を吐き出した。カミュからしてみれば、この程度の出来事は、今更驚くに値する事ではない。彼等は、この二年以上の旅の中で様々な不可思議を目の当たりにして来た筈。その中に人語を話す異種族など、数多くいた筈である。

 エルフ族などは、人と同じ容貌をしているが故に驚かないとはいえ、人語を話す魔物は何度も見て来た。それならば、人語を話す動物がいても何の不思議もないというのが、カミュの正直な感想であったのだ。

 

「…………サラ………うるさい…………」

 

「しゃべる馬は珍しいですか? 私の名はエド。貴女のお名前はサラさんと言うのですね……ん? 貴方達は、『渇きの壺』を持っているのですか?」

 

 サラの発した大声に耳を塞いだメルエは、不満そうに頬を膨らませサラを睨むように視線を向けるが、そんなメルエを余所に、『エド』と名乗った馬は、サラへ言葉を投げかける。自分に向けて発せられた言葉を理解したサラは、再び目を見開き、驚きを身体全体で表現するように仰け反った。しかし、その後に続けられた言葉でようやく冷静さを取り戻した。

 それは、カミュも同様で、馬が発した渇きの壺という名に、瞳を厳しく細め、何かを探るように『エド』と名乗った馬へ視線を向ける。実は、この場所に渇きの壺はない。カミュは、リーシャ達と逸れてからは彼女達を探す事に専念していた。例えその途中で渇きの壺が必要な場所に辿り着こうとも、それを使用するのはメルエ達と合流を果たしてからでも遅くはないと考えていたのだ。故に、渇きの壺は近くの浅瀬に錨を下ろしている船の上に置いて来てある。つまり、カミュ達は所持してはいないのだ。

 しかし、今、この馬はカミュ達が持っていると断定した。いや、尋ねているのであるが、それは確定している事を問いかけているような雰囲気を持っている。その事がカミュの中に疑惑を生んでいた。

 

「ああ、警戒する必要はありません。元々、渇きの壺はこの村にあった物です。不思議な雰囲気を持つ物ですので、貴方にそれが残っているような気がして……」

 

 『不思議』というのであれば、今目の前で人語を流暢に話している馬自体が『不思議』な存在なのであるが、誰もその事を口にする事はなかった。カミュやサラは、渇きの壺が元々はこの小さな村にあったという事実に驚く事となる。そしてその壺が何故エジンベアにあったのか、そして何故男が『長老がエジンベアを嫌う』という助言をしたのかを理解した。

 どんな経緯があったのかは解らないが、村の想いを無視し、エジンベアへと運ばれたのだろう。それに気が付いたサラは、若干の動揺を見せ、カミュは厳しい瞳を更に厳しく細めた。

 

「ですから、警戒する必要はありませんよ。私が話せる事を知っている人間は、この村にはおりません。私が誰かにその事を話す事など有り得ません。信じる信じないは貴方達次第ではありますが……それと、もし渇きの壺をお持ちであるならば、それは西の海にある浅瀬の傍で使うのですよ。きっと、貴方達が求めている物へ導いてくれる筈です」

 

 厳しく睨むカミュを柔らかく制し、『エド』と名乗る馬は、何か重要な事を口にした。全く突然告げられた情報に、サラは多いに戸惑い、カミュは事の真偽を見出すかのように再び瞳を細くする。だが、当の馬は、話す事はもう終わりだというように、芝生の草へ鼻を伸ばし、青々と茂る芝生の香りを楽しみ始めた。

 

「…………エド………おうま…………?」

 

 カミュやサラも告げられた情報の処理に忙しく、リーシャに至っては、未だに人語を話す馬の登場の衝撃から立ち直れない中、会話に全く興味を示していなかった幼い少女は、もう一度馬の顔を覗き込み、笑顔で質問を口した。

 その質問は、常識に生きて来た者達から見れば、話にならない程のくだらない質問であろう。どこから見ても馬である者に対し、『貴方は馬ですか?』等という質問が口に出るなど、この世にメルエ以外はいないのかもしれない。だが、近くで初めて見た馬という動物が、メルエと意思疎通が出来るのだ。その事実は、メルエに新たな好奇心を芽生えさせていた。

 

「ええ。私は正真正銘の馬ですよ。貴女は馬を見るのは初めてですか?」

 

「…………まえ……みた………でも……ヒヒーン……いう…………」

 

 馬と語り合う少女。それは誰がどう見ても奇妙な風景であったろう。リーシャなどは未だに口を開けたままその光景に見入っている。メルエの言うように、以前ポルトガで見た馬は、夜の間は人に戻るが、昼の間は正真正銘の馬となっている。人語などは話す事は出来ず、哀しげに嘶きを上げるだけであった。

 人としての記憶が残ってはいても、馬の姿では人語を話す事が出来ないにも拘らず、この『エド』という馬は、生まれた時から馬であっても人語を話す程の知能と機能が備わっているのだ。メルエでなくとも疑問に思うだろう。

 

「ふふふ、そうですか。この世界は広いですから、私のような動物がまだいるかもしれませんよ。もし出会う事があれば、お話ししてみて下さいね」

 

「…………ん…………」

 

 少しの間、一行はメルエと馬のエドとの会話を上の空で聞く事となる。最後には、エドが顔をメルエの顔に寄せ、メルエがそれを笑顔で受け止めるという、何とも心温まる動物との触れ合いの光景となるのだが、カミュ達三人からすれば、やはり心に残る奇妙な感覚が拭えなかった。

 笑みを浮かべて嬉しそうに動物と戯れるメルエの姿は、昨日までのメルエの姿を見ているリーシャやサラにとっては、本当に心が救われた気分にはなる。だが、その相手の動物は常識外の生物でもあるのだ。

 

「貴重な情報を頂いた。感謝する」

 

 奇妙な感覚を抱きながらも、カミュは素直に『馬』に対して頭を下げる。その姿に、再びリーシャとサラの時間は膠着してしまった。カミュが頭を下げる姿は、もう何度も見るようになっている。だが、その数は決して多くはない。そのカミュが、動物に向かって頭を下げているのだ。

 良く考えれば、『人』であろうと『魔物』であろうと、そして『エルフ』であろうと、それこそ『動物』であっても、この『勇者』と呼ばれる青年は区別をしない。その事を一番理解しているのも、リーシャやサラであるのだが、やはり彼女達の頭に残る常識という枠の中では、動物に頭を下げる人間というのがなかなか理解出来ないのだろう。

 そんな固まってしまった二人を置いて、カミュは目の前にある大きな家屋の扉に向かって歩き出した。メルエもまた、何度も『エド』と名乗る馬に向かって手を振りつつ、カミュのマントの裾を握り締め、歩き出す。置いて行かれた二人は、エドの『行かなくて良いのですか?』という問いかけに我に返り、慌ててカミュの許へと駆け寄って行った。

 余りに慌てたのか、サラは『ありがとうございます』と言って、馬に対して頭を下げるのだが、それは余談である。

 

 

 

「……だれ……だ」

 

 扉に付いている金具を叩いた後、暫く待つと、真っ白な髭を蓄えた一人の老人が扉を開けた。訛りが強い言葉ではあるが、カミュ達を見た老人は、外部の者と理解してくれたのか、言葉をゆっくりと紡ぎ、言葉を伝えようとしてくれている。聞き取る事に成功したカミュもまた、自分の話す言葉を出来るだけ丁寧に、そして時間をかけて紡ぎ、自分と後ろにいる三人の自己紹介を伝えた。

 

「……中……入れ……」

 

 カミュ達の自己紹介を聞きながら四人を見ていた老人であったが、最後に目が合ったメルエの不思議そうな瞳を見て、柔らかな笑みを浮かべる。笑い掛けられたメルエは、嬉しそうに微笑み、その場の空気は一気に和やかな方向へと動いて行った。

 半分ほど開かれていた扉を大きく開けた老人は、そのまま中へとカミュ達を誘い、自分は暖炉のような場所に吊るされている薬缶を取る。そのまま机の上に人数分のカップを用意し、薬缶から暖かい飲み物を注いだ。この老人が、スーの村の長であり、長老なのだろう。

 

「突然お伺いし、申し訳ありません。少しお聞きしたい事がありまして」

 

 全員が机の周りにあった椅子に腰掛けた後、カミュが口を開く。既にメルエは出された飲み物を冷ましながら口へと運んでいた。

 メルエは、基本的にカミュ達の会話に興味を示さない。自分の名前が出たり、自分の知っている名前が出ない限り、その耳を会話に向ける事はないのだ。リーシャはそんなメルエの姿に苦笑を浮かべながら、視線を長老へと戻す。サラも飲み物には手をつけず、カミュと長老の会話に耳を(そばだ)てていた。

 

「この近くに何処か『塔』などあるのでしょうか?」

 

「……塔……ある……アープの塔……」

 

 カップの飲み物を口に含んだ後に発せられた問いかけは、少し考えた老人の口から即座に答えが出される。その塔の名は、アープの塔。長老の話を根気良く聞いて行くと、このスーの村がある大陸の西側にある、内海を望む塔だという。今はこの世界にあるほとんどの塔と変わりなく、廃墟同様になっており、魔物が棲みついてはいるが、その建造物は健在であるという事だった。

 

「ありがとうございました」

 

「あ、あの……この村に『古の賢者』様がいらっしゃったというお話は……」

 

 塔の在り処の情報を与えてくれた長老にカミュが頭を下げるが、長老との会話はそこでは終わらなかった。会話を打ち切ろうとしたカミュの横から、満を持してサラが口を開いたのだ。

 サラは、この村の井戸の近くにあった地下室が、『古の賢者』の作成した空間であると確信している。あの場所がディアン以外の誰にも見つからなかった事、あの場所にある書物の数や種類、そしてメルエの持つ雷の杖という存在。全ては『古の賢者』という存在がなければ、有り得ないと考えるのが当然であろう。

 故に、サラは問いかけた。この長老自体は出会った事がなくとも、長老から長老へと語り継がれる伝承の中に『古の賢者』という存在があるのではないかと考えたのだ。

 

「……」

 

「そうですか……」

 

 無言で首を横に振る長老の姿にサラは肩を落とす。『古の賢者』という存在の伝承がない事を示す態度に、サラは道標を失った感覚に陥った。

 現代の世で唯一の『賢者』となった彼女にとって、先代以前の『賢者』という存在は、自身の歩むべき道を考える事に於いて、何よりの道標になると考えていた。実は、その考え自体が、カミュやリーシャから見れば、完全な思い違いなのだ。カミュやリーシャは、サラ以外の『賢者』を知らない。『僧侶』という存在も『賢者』という存在も、サラ以外は認めていないのだ。

 サラという『賢者』が考え、悩み、そして決意した物。それは信じるに値する物と心から信じている。故に、余程道を誤らない限り、彼等はサラの歩む道を共に歩むだろう。

 

「……北……グリンラッド…ある……氷…覆われた島……その島の……草原…偉大な…魔法使い……いる……」

 

「えっ!?」

 

「……偉大な魔法使い?」

 

 肩を落としたサラに予想していなかった光が射す。長老は、何とか自分の言葉を伝えようと、懸命にゆっくりと話し始めた。スーの村の人間は、自分達の言葉が外部の人間に伝わり辛い事を理解しているのだろう。だからこそ、この村の人間達は、必要以上の事は言葉にしない。それは、余計な事で恥を搔きたくないという想いもあるだろう。だが、それ以上に、外部の人間を混乱させたくないという想いがあったのかもしれない。

 それはこの長老も例外ではなく、先程までは、どのような問いかけにも簡潔に答えて来た。だが、サラのこの質問だけは、必死に伝えようという想いまでもサラの胸に届いて来ている。驚きを表したサラではあったが、長老の想いを受け取るように、その言葉の一つ一つを真剣に聞き取って行った。

 

「本当にありがとうございました」

 

 『偉大な魔法使い』という者は、このスーの村に伝わる伝承。だが、その『偉大な魔法使い』という者がどのような者なのか、そして何を成した者なのかまでは、この長老には伝わっていなかった。

 その事をサラは残念に思うが、それを確かめたければ、その場所に行ってみれば良いのだ。幸い、サラ達には船がある。危険な海を渡る事の出来る仲間がいる。今の彼女に出来ない事の方が数少ないのだ。故に、彼女は柔らかな笑みを浮かべ、心からの謝礼を長老へと向けた。

 

 

 

 長老へ礼を述べ、家屋を後にした一行は、陽が傾き始め、空が赤く燃え始めた中、村の外へと歩き出す。安全を考えれば、もう一泊この村で宿を取り、朝陽が昇ると同時に船に向かって歩き出せば良いのだ。

 だが、それを口にする者は誰もいなかった。何故なら、彼等には目的地が出来たからだ。アリアハンという小さな島国を出てから二年以上の月日が流れた。その間、彼等の向かう目的地の情報がこれ程存在した事はない。目的地を選別し、その場所へ向かう事になどなった事も無い。いや、選別する程に情報がなかったのだ。だが、今は違う。

 

 山彦の笛があると考えられるアープの塔。

 『偉大な魔法使い』が住むと云われるグリンラッド。

 渇きの壺を使用する場所と聞かされた西の海の浅瀬。

 

「カミュ、まずは何処へ行く?」

 

「……北へ向かう……」

 

 メルエの手を引いて歩くリーシャが、前を歩くカミュへ声を掛ける。その表情も柔らかな笑みであった。彼女にとっても、自分達の歩む道が一気に開けたように感じたのだろう。信じる『勇者』との再会と、妹のように感じている『魔法使い』の復活。それが、彼女の胸の中に自信を蘇らせている。自身の役割を全う出来る環境は整ったのだ。

 それは、その後ろで微笑む『賢者』も同様であった。カミュが口にした目的地は『偉大な魔法使い』という者が暮らすと伝わっている島。ダーマ神殿の教皇の言葉通りであれば、先代の賢者は、既に魔王との戦いで命を落としている筈。だが、伝承が残っている以上、その場所に何らかの情報が残っている可能性があるのだ。

 彼女の役割はこのパーティーの『頭脳』の補助。行き先を決めるのも、その場所で出会う者と対峙するのも、先頭を歩く青年。その青年に、自分の考えやパーティーの想いを伝えるのが、自分の役割であると、彼女は考えていた。

 何よりも、リーシャの手を握っていたメルエの顔には笑みが浮かんでいる。待ちに待った全員の集結。自分の大好きな人間に囲まれた旅は、彼女の心に余裕と自由を取り戻させていた。

 リーシャの手を離したメルエは、そのまま先頭を歩くカミュの足下にしがみ付く。困ったような表情を浮かべる青年に、花咲くような笑みを浮かべたメルエは、そのままマントの裾を握りしめ、今度こそ離れないようにと歩き始めた。

 魔道士の杖を失ったメルエは、魔法をここまで行使していない。だが、雷の杖という新たな戦友を手にし、心に余裕を取り戻した彼女であれば、カミュと別れる前と変わらない魔法を行使する事が出来るだろう。いや、カミュのいない間に味わった寂しさの分、今まで以上の強さを身につけたのかもしれない。

 

 彼等の旅は、長く険しい旅。

 果ての見えない、遙かなる旅路。

 果てしなき世界を渡り行く、遠く長い旅。

 

 彼等は再び、その旅路を歩み始めた。

 

 

 

 




読んで頂きありがとうございました。

これにて、スーの村編及び、第十章は終了となります。
次は、勇者一行の装備品一覧を更新します。
少し、今回の話には情報を詰め込み過ぎたかな?とも感じているのですが、読み難くはなかったでしょうか?

ご意見、ご感想を心よりお待ちしております。

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