新訳 そして伝説へ・・・   作:久慈川 京

118 / 277
海賊のアジト①

 

 

 

「……スーの村へは行かなくても良い。その代り、お前達の棟梁の場所へ私達を連れて行け……」

 

「メ、メルエ、落ち着いて。杖は背中にしまいましょう……」

 

「…………むぅ…………」

 

船頭は、自分の考えの浅はかさを恨んだ。彼は、その仕事内容を洩らしたとしても、彼女達三人には何も出来ないと高を括っていた。しかし、彼の想像とは正反対の光景が目の前に広がっている。先程、斧に手を掛けた女性戦士は、その瞳に憤怒を宿したまま船員達を射抜き、身も凍る程の魔法を行使した少女は、今にも再び魔法を行使しそうな程に杖を握りしめていたのだ。

 

「ちょ、ちょっと待ってくれ。そんな事をしたら……」

 

「何度も言わせるな! 私は、お前に依頼しているのではない! これは命令だ……それとも、この場で斧の錆になりたいのか?」

 

女性戦士の怒気は天を衝く程に激しく、船頭の言葉は、最後まで発する事も出来なかった。少女の手から杖は離されたが、あれ程の魔法を行使した者が杖を持たずに魔法を行使出来ない訳がない。他の二人を抑えるような動きを見せている女性も、抑えはしているが、最終的に船員達の味方になるかと問われれば、否としか答えようがないだろう。たった三人の、それも女性に対し、この海で敵無しと自負する荒くれ者達は、足が竦み、身を強張らせている。通常では考えられない程の光景に、船頭の頭は混乱を極めて行った。

 

「呆けている時間はない! 早急にお前らのアジトまで船を進めろ!」

 

「言う事を聞いて下さい。貴方達が向かった先の人は、私達にとってとても大事な人なのです。今は私が抑えてはいますが、あの人に何かがあった場合、この二人を止める事は私にも出来ません」

 

<鉄の斧>の柄を再び船の甲板に突いた女性戦士が怒鳴り声を上げる。船の隅々まで響き渡るような音と声は、身を竦めていた船員達の身体を跳ね上げさせた。彼等には既に選択肢など存在はしなかったのだろう。それは、一番冷静だと思われた女性の一言で現実味を帯びる。彼女が上げた顔に光る瞳にも、明確な怒りが含まれている事が理解出来たのだ。その怒りの度合いは、怒鳴っている女性戦士や、きつく睨む少女と遜色はなく、彼女が語る内容が事実である事を示していた。

 

「わ、わかった。だが、最低でもここから一週間近くかかるが良いか?」

 

故に、船頭は頷く他ない。彼が如何にこの船を纏める者として抜擢されていたとしても、この三人の女性に逆らう事など出来ない。彼等の棟梁である人物にも軽口などを叩ける程に腕には自信を持ってはいたが、彼女達は次元が違い過ぎたのだ。もしかすると、彼の敬愛する棟梁でさえ、この女性達には成す術がないかもしれない。背中に冷たい汗を掻きながら、彼は三人の女性達を眺めていた。

 

「……あの場所に居た人達には、危害を加えていないのですよね……?」

 

「あ、ああ。それだけは間違いない。危害どころか、指一本触れてはいない。それが棟梁の命でもあった」

 

掛かる日数を聞いた女性は、静かに問いかけを口にする。その言葉の丁寧さと異なり、内に秘められた圧力は、斧を持つ女性戦士と比べても遜色はない。船頭は即座に首を縦に振った。実際、彼等は棟梁である者の命を遂行したに過ぎず、その命の中には、『乱暴狼藉を禁止する』という物があった。その命を違えた場合、棟梁の怒りは全て自分達へ向けられる事を彼等は知っている。彼等の棟梁は、能ある者には惜しみない賛辞を贈るが、自分の命に従わない者には厳罰を処するのだ。

 

「さっさとしろ! お前達の船は、船員がいなくとも勝手に進む船なのか!?」

 

「…………むぅ…………」

 

再び上げられた怒声に、文字通り身体を跳ね上がらせた船員達は、今度こそ自分達の持ち場へと散って行く。その横では、杖を取り上げられた少女が、唸り声を上げながら散って行く船員達を睨み、その視線を呆然と立ち尽くす船頭へと向けていた。その視線を受けた船頭は、生まれて初めてと言っても良い程の罪悪感を受ける。自分が行った事が悪い事のように感じ始めた彼は、逃げるように視線を逸らし、船を動かす為に散って行った船員達へ指示を出す為に移動を開始する。

 

「大丈夫ですよ。トルドさんは無事のようです。海賊さんの家に着いたら、棟梁の方と話をしますので、私に任せて下さい」

 

「…………サラ…………」

 

未だに唸り声を上げて厳しい視線を向けるメルエの前に屈み込んだサラは、メルエの瞳をしっかりと見据え、自信を持って言葉を紡ぐ。瞬時に瞳を不安気な物へと変化させたメルエは、サラの名を呟き、その胸に飛び込んで行く。魔法を行使し、相手を倒す事しかメルエには出来ない。自分の『想い』や『気持ち』を正確に把握してくれるのは、この二人の女性の他に、今はいない青年しかいないのだ。相手に自分の気持ちを伝える事の出来ないメルエに、交渉などが出来ない以上、トルドの身の安全は、サラへ託すしか方法がない。故に、そんなメルエの不安を感じ取ったサラは、『大丈夫』という言葉を口にした。

 

メルエに向けて発するサラの『大丈夫』という言葉には、大きな責任が付随する。彼女はその言葉を口にした以上、どのような事であっても『大丈夫』にしなければならない責任が生じてしまうのだ。『サラが大丈夫と言えば、大丈夫』とメルエに思われる事がサラの誇りであり、自信なのだ。そして、そんなサラの願いは、メルエの中で真実となっている。サラは『大丈夫』という言葉を軽々しく発する事はない。メルエが本当の不安に陥っている時に、サラはその言葉を口にする。不可能でありそうな事であっても、可能としようとするサラの『決意』の表れであり、不退転の『想い』。それは、確実にメルエの胸へと響き、そして、その小さな胸に『希望』の光を燃え上がらせる。そんな存在に、サラはなっていた。

 

「話はサラに任せる。実力行使に出て来るのであれば、その時は私に任せろ」

 

「今度は、本当に手加減をして下さいね」

 

「…………リーシャ………だめ…………?」

 

サラという存在は、メルエの『勇気』を奮い立たせるだけではなく、先程までの緊迫を緩める事も出来る者へと成長を遂げていた。本人はその事に気付かないだろう。だが、彼女と共に歩む者は、その存在の変化をしっかりと理解している。軽口を叩かれたリーシャは、その内容にも拘らず、笑顔を浮かべ、斧を背中に納めた。サラに抱き付きながら小首を傾げるメルエを抱き上げ、額を小突きながら浮かべる優しい笑みは、メルエの心に残る最後の不安を霧散させて行く。

 

彼女達三人の前には、常に絶対的な存在がいた。

それは、どんな事にも揺るぎなく、どんな相手にも臆さない。

常に前を向き、道を示す者。

生い立ちがどうであれ、今はそうであると彼女達は思う。

彼女達にとって、それは真の『勇者』の姿。

 

そんな青年の後ろで常に護られていた三人は、己の成長に気付かない。彼の背を見て歩んで来た彼女達が、この船に乗ってから取った行動の全てが、カミュという一人の青年の影を追っていたという事実に。既に、彼女達一人一人が『勇者』であり、カミュという『月』を護るように輝く『星』なのだ。

 

「しかし、海賊のアジトへ行けば、カミュと合流するのが遅れてしまうな」

 

「…………カミュ…………」

 

再び寂しそうな表情を浮かべたメルエを見たリーシャは、困ったように眉を下げ、メルエに掛ける言葉を探そうとする。自分が発した言葉がメルエの元気を奪ってしまったと感じたのだろう。何気なく口にした言葉は、メルエにとっては胸に刺さる程の物だった。如何にサラがメルエの『勇気』を奮い立たせようと、リーシャが『安らぎ』を与えようと、彼女の心の主柱は、カミュという一人の青年なのかもしれない。

 

「まずは、メルエの大事なトルドさんを助けましょう。大丈夫、必ずカミュ様に会えますよ」

 

「…………ん…………」

 

再び発せられたサラの『大丈夫』を聞いたメルエは、眉を下げながらも、しっかりと首を縦に振った。リーシャも微笑み、サラも微笑む。そんな暖かい空気に包まれながら、メルエの顔にもようやく柔らかな笑みが浮かんだ。周囲の海賊達は冷や汗を掻きながらも必死に駆け回っているが、その光景を傍目に、彼女達の前の海路は開けて行く。初めて味わう『勇者』なしの旅。

 

国という相手の場合も、矢面に立っていたのはカミュ。

盗賊という相手に対しても、前面にはカミュが立っていた。

太古からの怪物と相対する時も、彼女達の前には絶対的な壁があった。

 

そんな絶対的強者がいない旅。

彼女達は、彼女達の責任で動き、彼女達だけで対処しなければならない。

それは、想像以上に厳しく、予想していたよりも更に難しい。

 

 

 

 

 

海を渡る船は、順調に南へと進んで行く。いつもなら、木箱の上に立ち海を眺めているメルエだが、今回はリーシャの傍から片時も離れない。まるで何かに怯えるように、リーシャの胸へ顔を埋めたメルエを心配そうに見守るリーシャとサラを乗せ、船は魔物との遭遇も無く海原を渡っていた。しかし、どの船であろうと、海を行く以上、魔物という存在を避けては通れない。

 

「…………リーシャ…………」

 

「ん?」

 

「魔物ですか?」

 

不意に顔を上げたメルエの様子を確認するように覗き込んだリーシャの瞳に、眉を下げたメルエの瞳が映り込む。その瞳で、リーシャとサラは全てを理解した。各々の武器を構え、立ち上がる。船の甲板の全てを見渡せる場所に立った三人は、迫り来る脅威に対し、万全の態勢で身構えた。

 

「魔物だぁ!」

 

海賊一味の一人が発した叫び声で、一気に船の上は慌ただしくなる。船頭は己の武器を持ち、声を上げた船員を後方へと下げ、甲板に上がって来た<マーマン>を一刀の下に斬り捨てた。しかし、魔物は群れを成す。まるで、斬り捨てられた魔物の屍を踏み越えるように甲板へと姿を現す魔物の数は、彼等が対処して来た魔物達の中でも上位に位置する程の物。武器を手にした海賊達が奮戦するが、魔物達の数と勢いに圧され、次第に後ろへと下がり始めた。船員達の後退によって、自分への圧力が増した船頭もまた、一歩また一歩と後ろへと下がり始める。

 

「魔物の相手は任せろ。お前達は、一刻も早くアジトへ戻れるように船を動かせ」

 

何歩後ろに下がった頃だろう。船頭の背中が何かに当たりそれ以上の後退を不可能にさせた。慌てて振り向いた彼の瞳に映ったのは、前方から迫り来る魔物達へ視線を向けた一人の女性だった。背中に手をかけ、斧を取り出すその腕は、細くはあるが、しなやかな筋肉を備えており、船頭を退けて前へと踏み出す足は、真っ直ぐ魔物へと向かっている。

 

「メルエ、魔法の準備を!」

 

「…………ん…………」

 

自分の脇を抜けて行く女性戦士に呆然としていた船頭の後ろから聞こえた声は、戦い慣れた者達の声。何度も何度も対応を繰り返して来た経験の許に裏付けられた自信が窺える程のやり取りに、船頭は無意識の内に後ろへと下がった。『自分は邪魔になる』と感じたのかもしれない。それ程、彼女達三人が纏った空気は、尋常の物ではなかった。長く荒くれ者の中で育った彼でさえ、そう感じたのだ。周囲にいた海賊達は、その雰囲気に呑まれ、後方で見守る事しか出来なかった。

 

「やあぁぁぁぁ!」

 

斧の一振りで、船上に上がって来ていた数体の<マーマン>の身体が斬り裂かれる。防ぐために上げた腕諸共斬り飛ばす程の斬撃。船員達は息を飲み、魔物達でさえその足を止めた。付着した体液を振り払うかのように、一回転させた斧を構え直したリーシャは、そのまま浮かび上がる<しびれくらげ>を両断する。素早い動きで次々と魔物を淘汰して行くその姿は、恐怖を増大させる事はなく、むしろ輝いてさえ見える程の物だった。

 

「メルエ、調節を忘れずに!」

 

「…………ん………ヒャダルコ…………」

 

リーシャが端に飛んだ事を確認したサラは、杖を構えるメルエに指示を出す。しっかりと頷いたメルエは、自身の宝である杖を高々と掲げ、その詠唱を紡ぎ出した。天に突き出された<魔道士の杖>の先に嵌め込まれている赤く輝く石が、メルエの魔法力を受け取って更に輝き出す。何度もメルエという稀代の『魔法使い』の魔法力を放出して来た赤い石は、その魔法力を魔法へと変換して行った。

 

一気に下がる船上の気温。

空に輝く太陽が齎す暖かな光を打ち消す程の冷気。

船上に立つ者の息を凍らせ、その肌に霜を落とす程の魔法。

杖を向けた先にいる魔物達の未来を根こそぎ奪う程の才能。

 

「……二度とあの人達には逆らうな……」

 

自分の目の前に広がった光景を見た船頭は、後方で腰を抜かし座り込む船員達に向かって呟きを洩らした。船員達の中には、失禁をしている者までいる。それ程の光景だったのだ。彼等がこの海で生きて来た中で見た事も無い光景。魔物と遭遇したにも拘わらず、その魔物に成す術はなかった。魔物の爪はその者達の肌に触れる事さえ出来ず、魔物の牙はその者達へ向ける暇さえも与えられない。そのような光景を誰が信じるというのか。

 

確かに、この広い世界には<マーマン>や<しびれくらげ>よりも強力な魔物は多くいるだろう。しかし、この大海原では、<大王イカ>にでも出会わない限り、この二種の魔物が主流なのだ。故に、海賊達は主にこれらの魔物と戦闘を繰り返して来た。その中で死んで行った仲間達もいる。深手を負い、二度と海に出る事が出来なくなった者もいる。彼等にとって、魔物との遭遇はそのような危険を含んでいる物なのだ。

 

だが、目の前に広がる光景は、船上に上がって来た魔物達全てが凍結し、その活動を止めている姿。既に魔物達の命の灯火は消え失せているだろう。身体の芯までをも凍りつかせ、生物としての機能も全て壊されている筈。魔法の余波は、船首の一部も若干凍りついているぐらいであり、それは航海に大した影響を残す事はないだろう。皆が凍りついたように固まってしまった状況で、そこまで考えが及ぶ船頭もまた、並の男ではなかった。だが、彼の目の前で、戦闘の後始末をする者達は、彼の理解の範疇を大きく超えてしまった者達だったのだ。

 

「可哀想ですが、このまま海へ入れましょう」

 

「そうだな。ここで砕いてしまっては、後始末が大変だな」

 

多数の氷像を見回したサラは、その処理をリーシャと共に話し出した。リーシャに至っては、淡々と魔物の氷像を海へと落として行く。今まで彼女達の船上での戦闘は、主にカミュとリーシャが剣や斧を振る物だった。細切れになった魔物達を海に落とすよりも、氷像になった魔物を落とす方が楽な事は確かである。それもこれも、彼女達の後ろにいる幼い少女の成長が影響していた。何度も魔法を行使して行く中で、仲間や大事な者達が傷つかぬように魔法を調節する術を学んでいるメルエは、少しずつその術を心得始めている。今回は余波の影響こそあった物の、その被害は少なく、船の航海に支障はない。今までを考えれば、驚く程の結果であるのだが、リーシャやサラは驚く素振りもない。何故なら、彼女達は、自分達の半分程も生きてはいないこの幼い少女を、心の底から信じているからだ。

 

しかし、その幼い少女の成長は予想外の結果を生む事となる……

 

ピシリ!

 

「…………???…………」

 

決して静寂ではない船上に響き渡る音。耳に届くというよりも、頭に直接流れ込むような音に、メルエは小首を傾げる。その音は、メルエだけではなく、リーシャやサラにも聞こえた。亀裂が入ったような、何かが割れてしまったような軋むような音。初めて聞くその音は、サラの胸に残っていた不安を刺激し、それを現実の物へと変化させる。サラの表情が一変した事に気が付いたリーシャも、慌てて音の発信源へと向けて駆け出した。

 

「…………うぅぅ…………」

 

「メルエ!」

 

音の発資源。

それは、小首を傾げていた少女の腕の中。

少女の憎しみの対象でもあり、誇りの象徴でもある物。

何度も投げ捨て、何度も拾い、何度も少女を救って来た物。

 

リーシャとサラがメルエの許へ辿り着いた時、杖を掻き抱くメルエの瞳に大粒の涙が溢れ出していた。少女の腕の中にある<魔道士の杖>の先に嵌め込まれていた赤い石には、一筋の大きな亀裂が入っている。何かを訴えかけるようなその亀裂は、リーシャとサラの胸にも哀しみを齎した。唸り声を上げながら涙を溢すメルエの希望を捨てさせるように、先程と同じような音を発しながら、赤く輝く石はその輝きを失い、亀裂を広げて行く。

 

「…………だめ…………」

 

「……メルエ……」

 

赤い石に走る亀裂を止めるように手を翳すメルエを、リーシャは哀しみを浮かべた瞳で見つめる事しか出来ない。救いを求めるように見上げるメルエの瞳から逃れるように目を逸らすサラに成す術など有ろう筈がない。軋む音を大きくしながら石全体に広がった亀裂は、隙間もない程に石を包み込み、そして弾けた。

 

「……あ……」

 

乾いた音を立てて弾けた石の欠片は、粉のように細かく宙を舞う。太陽の光を浴びて輝くような細かな粒子は、空へと舞い上がり、メルエの上に降りかかって行った。その幻想的な光景は、船の上にいる全ての人間の心を魅了する。手で掴む事が出来ない程に細かく砕けた石の欠片は、石を失った杖を抱くメルエの上だけに舞い降りて行った。

 

少女の成長を祝福するかのように。

今までの感謝を示すかのように。

共に歩んだ苦しみを労うかのように。

そして、自分の役目を終えるかのように。

 

「…………うぅぅ………うぇぇん…………」

 

「メルエ、おいで」

 

全ての粒子が舞い落ちた後、堰を切ったかのようにメルエはその涙を地へと落とし、大きな声で泣き出した。彼女にとって、何にも代え難い程の宝物。生まれて初めて買い与えられた武器に喜んだのも束の間、媒体としての使用方法が理解出来ず、憎しみを抱いた事もある。だが、メルエの中に確固たる『想い』を築いたのも、この杖である事は事実。『自分も仲間を護る』という儚い『想い』を実現する為に、何度も杖を振り、何度も投げ捨てた。それでも、自分の『想い』を受け止め、最後にはその『想い』を魔法という神秘へと変えてくれた大事な杖。メルエという孤児にとって、常に共にある戦友であった。

 

「その石の寿命だったんだろうな。魔法を使う人間と接する機会はなかったが、アジトにある書物に載っていた。それは、<魔道士の杖>なのだろう? <魔道士の杖>の先にある石は、魔法を行使する『魔法使い』の魔法力を常に受け止める。だからこそ、その石に限界が来れば、砕け散るのだそうだ。だが、通常の『魔法使い』であれば、生涯掛けても、砕け散る事は稀だとも記されてあったが……」

 

メルエを抱き、その背中を撫でるリーシャの横から声が掛った。それは、この船を纏める臨時の頭目。戦闘の際に感じた恐怖は、先程目にした不思議で美しい光景に消え去っていた。凄まじいまでの魔法を行使した少女は、己の武器の喪失に涙し、今も顔を埋めたままである。その少女にかける言葉が見つからない女性達は、困惑と哀しみを露にし、何とも優しい空気を作り出している。船頭は、そんな三人を見て、遠い昔に感じた事のあるような優しい気持ちに包まれていた。

 

「……メルエの魔法力に、ここまで耐えてくれていたのですね。本来であれば、もっと以前に砕けても不思議ではなかったのかもしれません。調節を知らないメルエの魔法力を受け止め続け、そしてそれを学んだメルエを見届けてくれたのですよ」

 

「そうだな。変かもしれないが、この杖もメルエが大好きだったのだろうな。メルエ、ちゃんとお礼を言うんだぞ?」

 

「…………ぐずっ………あり……がと……う…………」

 

頭を撫でられ、リーシャの胸から顔を出したメルエは、未だに抱き締めている杖に向かって小さく感謝の言葉を溢す。その姿は、海と同じように荒れ狂う海賊達の心にも何かを運んで来た。静かに船の帆を撫でる風が吹く中、少女の嗚咽が鳴り止む事はなく、周囲の者達の瞳にも静かに想いを溢させる。

 

「魔物は去った。アジトへ向かうぞ!」

 

止まっていた時を動かす船頭の声が船上に響き、船員達は頬を流れる想いを拭い、各々の持ち場へと散って行く。この時、全ての海賊達は、この三人の存在を認めたのかもしれない。アジトへ向かう事に躊躇する事も無く、三人の存在に怯える事も無い。靡く風を帆に受けて、船は速度を上げて海原を進んで行った。

 

 

 

 

その後、何度か魔物との戦闘はあったが、杖を失ったメルエは、以前よりも更に元気をなくし、後方で戦闘を見守る事しかしなくなった。リーシャが斧を振い、サラが魔法を行使する。メルエよりも魔法力の少ないサラの攻撃魔法であったが、その威力は世にいる『魔法使い』と比べれば別格。ここまで威勢だけで何も行動を起こしていなかった女性の行使する魔法の威力に、船員達の心は『逆らう事はしまい』というように固まって行く。

 

船は順調に南へと進路を進め、一週間を過ぎた頃の昼には、一つの大陸へと船を寄せる事になった。船が針路を西に取り、陸が徐々に近づいて行く事で、リーシャ達は海賊達のアジトが近付いた事を知る。ポルトガよりも遙か南。以前訪れた事のある<テドン>よりも南西にある大陸。そこを目指して船は進んで行く。

 

「帆を畳め! 舵を間違えるなよ!」

 

船頭の声が船上に響き渡り、船が入港を開始する。港と呼べる代物ではないが、彼等のアジトである入江は、岩を潜った先に存在していた。岩で出来た自然の要塞を抜けた先には、多くの家々が立ち並び、その全てが高い岩の壁を背にしている。戦闘が起きても要塞としての機能を持っているようで、高く聳えた見晴らし台は、全て入り江の入口に向かって立っていた。

 

「ほぉ……なかなかの構えだな」

 

船の上からアジトを眺めていたリーシャは感心したように、その佇まいを見つめている。彼女は宮廷騎士であり、下級とはいえ貴族である。戦争となれば、他国からの侵略に備える事もあるし、他国の城を攻める事もある。騎士としての教育を施されて来た彼女から見ても、この海賊の要塞は、攻め難く、護り易いという利点を備えているように映ったのだろう。

 

「棟梁は?」

 

「棟梁は、まだお戻りになられません。おそらく、本日の夜にはお戻りになられるかと思いますが」

 

船を入江に着けて錨を下した後、船頭は縄を船へと渡して来た男に問いかけた。この船頭は、アジトの中でも上位に位置する人間なのだろう。縄を渡して来た男は、船頭の顔を見ると、姿勢を正し、簡潔に応えを述べた。その答えを聞いた船頭は、船の中からアジトを見つめている三人へ近付いて行く。

 

「棟梁はまだ戻らない。歓迎する事は出来ないが、客室で待っていてくれ」

 

「は、はい。ありがとうございます」

 

『歓迎する事は出来ない』という言葉に、船頭の想いは乗せられていたのだろう。歓迎は出来ないが拒絶はしない。一週間という短い船旅ではあったが、魔物の横行する海を渡る以上、一度の航海で数人の犠牲は付き物である。だが、今回の復路に関しては、船員達は誰一人欠ける事はなかった。それは、この三人の女性がいてくれたからに他ならない。その事を船頭は素直に感謝してもいた。大事な船員達を棟梁から預かっている以上、その犠牲は少ない方が良いに決まっているのだ。

 

「メルエ、行こう」

 

「…………ん…………」

 

あれから片時も、石を失った杖を離さないメルエを抱き上げたリーシャが、先頭に立って船を下りて行く。その後ろをサラが歩き、船頭がリーシャを追い越して道案内を行う為に歩き出した。戦利品にしては堂々と歩き、船頭が気遣っている節もある女性達をアジトにいた海賊達は不思議そうに見つめている。道行く人間達の好奇な視線を受けても、リーシャは堂々と船頭の後ろを歩いて行った。そんなリーシャを頼もしく感じているサラは、不安そうに眉を下げているメルエの頭を一撫でし、真っ直ぐ前を向き直す。

 

「おっ、戻ったのか? 首尾の方はどうだ? お嬢の方も、もうそろそろこっちに戻って来る筈だ。ゆっくり休みな……ん?……なんだ、そいつらは?」

 

「客人だ」

 

先頭を歩く船頭の前に一人の男が現れる。歳の頃は四十を超えた程であろうか。髪に白い物が見え隠れしているところを見ると、この海賊一団でも古い人間となるのだろう。船頭として棟梁の代理を務めていた人間に対しての言葉もそれを明確に示している。そんな男は、自分の問いかけに答えた船頭に向けて、一瞬眉を顰めたが、何か得心が行ったのか、頷いてからリーシャ達へ視線を向けた。

 

「なるほどな……アンタ方なのか……色々と噂は七つの海にも届いているよ。ならば、お嬢にも会わせないとな」

 

「……ああ……」

 

笑みを浮かべる男に、船頭は苦笑を浮かべながら頷きを返した。リーシャ達は、男が口にした『お嬢』という言葉に違和感を覚える。『お嬢』と呼ばれる以上、女性なのだろう。だが、それが誰を示すのかが解らない。しかも、この男は、リーシャ達の事を知っているような口ぶりを示した。そして、それに頷きを返した船頭もまた、リーシャ達に何かを感じている事を示唆していたのだ。

 

『七つの海』

 

この世界は、七つの海で出来ていると言われている。海の水は何処へも続いているのだが、各大陸の名前を取った海が七つあるのだ。現在、この大海原の中で生きている海賊は、このリード海賊団のみ。故に、この海賊団は、魔物の脅威を排除する事が出来れば、全ての海を渡る事は可能なのだ。海はどの大陸にも繋がっている。世界の大陸へ行く事が可能である以上、世界に流れる噂等の情報も入って来る事となる。

 

「…………リーシャ…………」

 

微妙な空気が流れる中、リーシャに抱かれていたメルエが、杖を抱きながら言葉を洩らす。メルエはいつもの元気がない。カミュというメルエの精神的支柱の欠如が、心に大きな穴を空けている事もあるが、メルエの腕の中に残る木だけになった杖が原因の一つでもあろう。

 

それでも彼女はここにいる。

それは、大事な人の為。

一人の老人の願いを聞き、ある場所で懸命になっている人間。

彼女の大切な友人の親である男性。

 

「そうだったな……私達は、ここの棟梁に用がある」

 

「はい。厳しい話になると思いますが……」

 

元気のないメルエは、それでも瞳でリーシャに訴えかける。『彼等の思惑がなんであろうと、自分達には自分達の目的がある』のだと。その瞳は、リーシャとサラの心に新たな炎を燃え上がらせた。強い視線を受けた男は、一瞬の戸惑いを見せるが、船頭と目を合わせた後、一つの部屋へと入って行く。一つ溜息を吐き出し、船頭はリーシャ達へ視線を戻すと、再び目の前に立つ一際大きな屋敷へと向かって歩き出した。

 

サラの言う通り、この先の戦いは本当に厳しい物となるだろう。ここまでの旅の中で、彼女達三人は、基本的に交渉事の矢面に立った事はない。常に、絶対的な存在によって護られる中、己の感情や思考をぶつけた事しかないのだ。国王との謁見では、口を開く事すら出来ず、盗賊等の相手は、カミュという『勇者』の背中越しに相対していた。だが、今回は、彼女達を護るように立つ大きな壁はない。相手の空気を読み取り、駆け引きをしなければならないのは、おそらくサラであろう。しかし、サラには強気の交渉を支える事の出来る程の裏付けがない。それは、話を進めて行く中で、力関係を示す上で何よりも重要な物であり、弱気になれば、相手側に突け入る隙を与えてしまう事になるのだ。

 

「大丈夫だ。サラの後ろには、私もメルエもいる」

 

「…………ん…………」

 

そんなサラの不安が伝わったのだろう。メルエを抱き抱えていたリーシャは、サラの肩に手を掛けた。リーシャの腕の中ではメルエがしっかりと頷いている。今の三人には、絶対的に大きな存在が欠如している。だが、それでも彼女達は運が良いのだろう。何故なら、三人が揃っているからだ。

 

『頭脳』のサラ。

『力』のリーシャ。

『才能』のメルエ。

 

この三人が揃っている以上、隙を突かれたとしても巻き返しは可能なのだ。この三人を打ち負かす事が出来るとすれば、ここにはいない、『勇者』と呼ばれる青年だけであろう。いや、彼であっても、三人が力を合わせたとすれば不可能であるかもしれない。彼女達は二年という月日の中で個々の成長と共に、団結力という、旅には欠かせない『力』を手に入れていたのだ。

 

「……棟梁は夜には帰って来るだろう。それまでは、この部屋で休んでいてくれ」

 

ある一室の前まで来た船頭は、そのドアを開け、リーシャ達を中へと促す。望まぬ来客であるのにも拘わらず、別室まで用意し、棟梁の帰りを待たせる事を不思議に思ったリーシャ達は、部屋にそのまま入る事はせず、暫し船頭と視線を交わし続けた。リーシャの強い視線を受けた船頭は、視線を外す事も出来ず、一度溜息を吐き出す。

 

「疑っているのか?……アンタ方に敵うと考える程、俺達も馬鹿ではない」

 

「ならば何故だ?」

 

リーシャの顔に怒りや侮りはない。まるで、何処かにいる『勇者』のような、心の中が読めない表情。そのリーシャを横目で見ていたサラは、メルエの手を握りしめ、船頭へと視線を移す。リーシャだけではなく、サラも不思議に思っていた。『彼等のような荒くれ者達が、何故に態度を一変させたのか』という事が。

 

彼等の態度が変わったのは、船をアジトへと進めて行く中で遭遇した魔物達との戦闘以降である。今、メルエが大事そうに抱えている杖の先に嵌め込まれていた赤い石が砕けた戦闘。無力な人間が、魔物という脅威に対し、己の無力感に打ちひしがれる筈だった場面は、たった三人の女性によって覆された。あの場所にリーシャ達三人がいなければ、この海賊達は、全滅とは言わなくとも、その数を半数以下に減らしていたかもしれない。そんな小さな奇跡を境に、彼等のリーシャ達を見る目が変化していた。

 

「アンタ方の噂は良く耳にする。噂通りの人物なのであれば、棟梁に会わせる事が俺達の役目だ」

 

「……噂……?」

 

無表情を貫くリーシャの代わりに、サラが言葉を洩らした。『噂』という物は、人々の口から耳へ伝わり、その数を増やし蔓延して行く物。それがリーシャ達三人に繋がるとは、サラには考えられなかった。自分達とは全く無縁の物が、彼女達の前に現れている。それはサラの心に動揺を運んで来ていた。揺らぐ心と、揺らぐ瞳。

 

「サラ!」

 

「はっ」

 

予期せぬ言葉に揺らいだ心は、即座に引き戻される。今は、動揺が命取りになるような場面ではない。それでも、この先の対決の矢面に立つのは、サラ以外にはいない筈。それをリーシャは知っていた。ならば、小さな事で動揺しているようでは、何も成し得る事は出来ず、サラの目的も達成する事など出来はしない。故に、リーシャはその名を叫んだ。

 

今のリーシャ達は、三人でカミュが行って来た事の全てを担わなければならない。リーシャは遅れを取らぬように、感情を読み取らせない無表情を貫き、サラが頭脳を回転させて、主導権を握りながらも物事を進める。そして、いざという時には、メルエの魔法という神秘を持って対峙するのだ。

 

「『世界を救おう等と考える馬鹿共と会ってみたい』というのが、棟梁の願いだ」

 

「なに?」

 

そんなリーシャの眉も堪らず動き出す。しかし、そんなリーシャの変化を見る事無く、船頭は踵を返して、元来た道を戻って行った。馬鹿扱いされた事に一瞬血が上りそうになっていたリーシャも、離れて行く船頭の背中を見て、大きく息を吐き出す。それが、リーシャ達の第一戦の終了を意味していた。

 

 

 

 

『噂』という物が何かは解らない。だが、船頭が最後に口にした言葉が、その『噂』の一端を示していた。カミュ達は、国から国へと旅している。基本的に同じ場所には戻らない。故に、その場所で語られる物語を知る術はないのだ。『噂』とは人から人へと繋がって行く。だが、見も知らぬ人間に対し、噂を伝える事はない。知り合いから知り合いへと、親から子へと物語は綴られ、そして遠い世までをも超えて行く。故に、『噂』は当事者へと伝わる事はない。

 

一人歩きを始めた『噂』は、いずれ時を超えるのだろう。

 

 

 




読んで頂き、ありがとうございました。

少し中途半端ですかね?
この先を全て一つにしようと思っていたのですが、思っていたよりも文字が増えてしまい、二話に分ける事にしました。
次話は少し早めに更新したいとは思っています。

ご意見、ご感想を心よりお待ちしております。

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。