新訳 そして伝説へ・・・   作:久慈川 京

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第十章
エジンベア領海【カミュ】


 

 

 

 先程と何も変わらず、青く抜けるような空。数少ない雲は、心地良い風を受け、ゆっくりとその体躯を流して行く。太陽は暖かな恵みを大地へと降り注ぎ、草木は嬉しそうに葉を伸ばす。世の中がこの天候の恵みに喜び、幸せを感じているようであった。

 

「ギョエ――――」

 

 そんな太陽の恵みを受けて輝く大地に、どす黒い体液が降り注いだ。剣によって、斬り裂かれた傷口から体液が噴き出し、大地に沁み込んで行く。一体が一刀の下に斬り捨てられた事を見て、残っていた魔物達の動きが止まった。

 港の外壁が視界に入る中、剣を持った青年の瞳が鋭く魔物を睨みつける。その青年の腕にも細かな傷があり、そこからは今も赤い血液が流れ出ていた。その姿が、決して楽ではない戦闘である事を物語っている。

 カミュは、リーシャ達三人を見失った後、真っ直ぐに港へ向かって歩いた。既に潮風が頬を凪ぎ、潮の香りが鼻を衝く事から、港は近い事は明白であったが、カミュはなかなか港へ辿り着く事は出来なかった。歩く度に、感じた事のない魔物の視線を感じ、戦闘へと突入せざるを得なかったからである。

 基本的に魔物は徒党を組む事はない。しかし、相手が襲い易い者だと判断すれば、複数で出現する事が多くなるのだ。同じ種族で寄り集まって生活している魔物もおり、そういう魔物は、単独ではなく、集団で『人』を襲う。今、カミュの目の前で嘴を広げ、威嚇の声を上げている魔物もその内の一種であった。

 

「クエェェ―――――」

 

<デッドペッカー>

ガルナの塔で遭遇した大くちばしや、以前戦ったアカイライと同じように鳥頭に足が生えたような魔物。分類的には、大くちばしの上位種であり、アカイライよりも下位種となる。基本的に種族の特性であるのか、その俊敏性は優れているのだが、アカイライが行使して来たような攻撃呪文を持ち合わせているという情報はない。ただ、世間では、種族の中で頭脳が最も発達している魔物と云われていた。

 

「クケケェ――――」

 

 一体が、先程とは違う鳴き声を発する。それが示す事に感づいたカミュは、一瞬身を強張らせ、即座に対応出来るように盾を掲げた。カミュの予想通り、デッドペッカーの発した鳴き声は、魔法の詠唱であり、一瞬の内に、カミュを魔法力が包み込む。何の効力があるのか解らないカミュは、盾を掲げたまま後方へと飛退いた。

 しかし、それがカミュを窮地に追い込む事となる。

 

「クエェ―――――」

 

 カミュが飛退いた場所には、残っていた一体が待ち構えており、その鋭い嘴をカミュ目掛けて素早く突き出して来たのだ。反応に遅れたカミュは、必死に盾を掲げ、辛うじて間にあった鉄の盾がデッドペッカーの嘴を防いだかに思われた。

 

「ぐっ……」

 

 しかし、予想に反し、デッドぺッカーの嘴は、カミュの掲げた盾を容易く突き破り、その盾を装備していた左腕に深々と突き刺さった。

 苦痛に歪むカミュの顔。盾に空けられた鋭い穴から、真っ赤な血液が噴き出して行く。カミュの命の源である液体が大地を赤く染める中、デッドペッカーの攻撃も苛烈して行った。

 先程、デッドペッカーが唱えた魔法は、おそらくルカナンだったのだろう。故に、カミュの鉄の盾は容易く突き破られたのだ。

 それには、この盾の寿命も影響しているのかもしれない。ヤマタノオロチとの戦闘によって、その機能を大幅に減少させた盾は、表面は融解に近い状態であり、盾の厚みも脆くはなっていた。その盾はルカナンという防御力低下の魔法の効力も相まって、遂にその寿命を全うしたのだ。

 

「クエェ――――」

 

「くそっ」

 

 既に役に立たなくなった盾を放り捨て、自身の腕にホイミを掛けた後、カミュは再び剣を構え直す。しかし、そのような隙を見逃すデッドペッカーではなかった。

 剣を構え直したカミュの横合いから鋭い嘴が襲いかかる。盾を投げ捨てたカミュの左腕が掻き切られ、血潮が再び噴き出した。カミュは、デッドペッカー目掛けて草薙剣を振り下ろすが、それは素早く避けられる。舌打ちをする暇も無く、もう一体のデッドペッカーの嘴がカミュの太腿を貫いた。

 

「クエェェ―――――」

 

 突き刺さった嘴が抜かれると、待っていたかのようにカミュの血液が宙を舞う。今まで味わった事のないような苦戦。一体を攻撃すれば、もう一体がカミュへ襲いかかる。これ程に追い詰められた事は、ヤマタノオロチ戦以来であった。

 しかし、あの時は、多対一の関係で『多』であったのはカミュ達の方。アリアハン時代には何体も魔物を相手して来たカミュ達ではあるが、このエジンベアに生息する魔物の強さはアリアハンとは比べ物にはならない。

 再びホイミをかけようと手を翳すカミュにデッドペッカーの嘴が襲いかかる。後退しようと身体を動かした先にもデッドペッカー。そこで、ようやくカミュは右手の剣を鞘へと納めた。己の武器を納めてしまったカミュを見たデッドペッカーは、少し動きを止める。先程まで、生きようともがいていた人間が唯一の攻撃手段を失った事が理解出来なかったのだろう。

 

「……ベギラマ……」

 

 呟くような詠唱の後、前へと出した掌から熱風が巻き起こる。一体に向けて放たれた熱風は、地面への着弾と同時に破裂したような炎を生み出した。波打つ灼熱の海がデットペッカー一体を飲み込もうとする瞬間、その魔物は瞬時に横へ飛び出す。その瞬間に合わせるように、剣を抜いたカミュは、流れ落ちる左腕からの赤い血液と痛みを無視して、デッドペッカーへそれを振り下ろした。

 

「クケェ―――――」

 

 横合いから繰り出された鋭い一刀は、正確にデッドペッカーの足を斬り飛ばし、その活動能力を奪い取る。身動きの出来なくなった一体に止めを刺す暇も無く、左腕にホイミを掛けたカミュは残る一体に照準を合わせたが、カミュが視線を向けたその場所には、既にもう一体のデッドペッカーの姿はなく、慌てて首を動かしたカミュの目の前に鋭い嘴が迫っていた。

 

 肉を抉る嘴。

 噴き出す血潮。

 苦悶に近い唸り声と、怒声に近い鳴き声。

 

 もう何度目になるか解らないカミュの流血。それは、ここまでの旅の中では考えられない戦闘だった。苦戦に陥った事も、その際に傷付いた事もある。しかし、これ程に魔物に翻弄され、カミュの身体が斬り刻まれた事はなかった。

 その理由は明白。

 居る筈の人間が傍にいない。

 カミュの横で油断なく他の魔物へ注意を向ける『戦士』がいない。魔物の行使する魔法を分析し、その対処を考える『賢者』がいない。どれ程に追い込まれていても、たった一つの魔法で覆す『魔法使い』がいない。

 

 今、カミュは一人なのだ。

 

「くそっ!」

 

 何かに苛立つように振り上げた剣の柄を、鎧から出ている肩口に突き刺さる嘴を抜こうとしているデッドペッカーの頭部に振り下ろした。カミュも、珍しく冷静な判断が出来なくなっているのだろう。未だ抜け切れていない嘴ごと叩き落とされた頭部は、カミュの傷口を広げながら嘴を抜いた。傷口が大きく広がる事の苦痛に表情を歪めたカミュは、そのまま右手をデッドペッカーに向けて、その言葉を唱える。

 

「ラリホー」

 

 傷口の修復よりも優先させたカミュの詠唱は、デッドペッカーの脳を確実に蝕み、その意識を刈り取って行く。朦朧とする意識の中、眠りに落ちようとするデッドペッカーの脳天に向かって、カミュは右手に持つ剣を振り下ろした。

 骨を砕く音と、肉を斬り裂く音が響き、乾いた大地に再びデッドペッカーの体液が降り注ぐ。頭部を二つに分けられた魔物は、そのまま苦悶の声も上げずに絶命した。

 

「くっ……ベホイミ……」

 

 激痛に顔を歪ませながら、カミュは肩口に手を当て、ジパングでの激闘の際に覚えた回復呪文の詠唱を行った。淡く大きな緑色の光がカミュの上半身を包み込み、その傷跡を癒して行く。

 本職と言っても過言ではないサラ程の効果はなく、傷口が塞がって行く速度は、明らかに遅かった。それでも、綺麗に修復された部分を一撫でしたカミュは、破壊された盾をそのまま放置し、再び港へ向かって歩き出す。

 

 彼の一人旅は、まだ始まったばかりである。

 

 

 

「おお、お帰り。エジンベアでは国王様にはお会い出来たのか?」

 

 港に入ったカミュは、そのまま船着場に向かって歩き、その場所で貿易船などを見上げていた頭目を発見した。カミュに気が付いた頭目は、右手を上げて到着を喜び、そのまま近寄って来る。カミュの傍まで近付いた頭目は、カミュ達の目的であった国王との謁見の成否を問い、その後にカミュの周囲に人がいない事に首を傾げた。

 

「そう言えば、品物は受け取ったぞ。何やら沢山買い込んでくれたみたいだが、運搬の費用として、少し商人達に持っていかれてしまった」

 

「なに?……運搬料金は正式に支払った筈だが……」

 

 カミュが一人である事を不思議に思った頭目であったが、他の面々は港を見ているのだろうと結論付け、先程届いたばかりの品物へと話題を移す。しかし、その頭目の言葉は、カミュの眉を顰めさせるには充分な物であった。

 高いと言っても過言ではない程の料金を既に取っておいて、更には成功報酬まで取って行く商人達の逞しさに感心するよりも、カミュの胸に怒りが湧き上がって来たのだ。

 

「そうなのか? まぁ、仕方がないわな。それだけ、魔物の中を無事に運んで来る事が難しいんだろうよ」

 

「……そいつらは、何処に行った?」

 

 カミュの雰囲気の変化を敏感に感じ取った頭目が、宥めるような言葉を発するが、今のカミュにはその言葉に頷くだけの余裕は残されてはいなかった。

 周囲を見渡すように細められたカミュの瞳には、明らかな怒りの炎が宿っており、幾度となく修羅場を潜って来た頭目でさえも、その雰囲気に飲まれ、足が竦みそうになる程の威圧感を有している。

 

「いや、既に船で出港してしまったよ。大量に取られた訳ではないさ。食料に掛かった費用であれば、俺達がある程度は出す」

 

 怒りを見せるカミュではあったが、頭目がそこまで言う以上、この事についてカミュがこれ以上拘る事は出来ない。小さく『わかった』と呟きを洩らしたカミュは、視線を頭目と合わせる事をせずに、周囲へ視線を送り始める。まるで何かを探すように視線を巡らすカミュを見た頭目は、一息吐いた後、口を開いた。

 

「船なら、ここから少し歩いた場所にある入江に停めてある。それよりも、他の三人はどうしたんだ?」

 

 船の場所を探していると考えた頭目は、カミュの目当ての物が停泊している場所を示すように指を向け、にこやかな笑みを作って見せた。しかし、その笑みもすぐに消え、先程から疑問に思っていた事を口にする事となる。

 いつもなら、常に彼のマントの裾を握って自分を見上げて来る幼い少女がいない。いつもなら、先程の商人達の行為に真っ先に怒りを表す女性戦士の姿も無い。そして、そんな女性戦士の怒りを鎮めようと奮闘する、柔らかな空気を持つ女性も彼の近くにはいないのだ。

 

「……」

 

「お、おい」

 

 頭目の問いかけに答える事無く、船が停泊している場所に向かって歩き始めたカミュを頭目が慌てて追って行く。一人先を歩くカミュの背は、頭目が見たどの背中よりも尖った雰囲気を醸し出していた。

 それが彼の心境を明確に物語っているのかもしれない。故に、頭目の胸に最悪の答えが浮かび上がって来ていた。

 

『死』

 

 魔物との戦闘を当然の事として行う彼等の強さに忘れてはいたが、魔物との戦闘には必ず、その代償が伴う。それは、生物としての最後。死という概念を受け入れた者は、物言わぬ肉塊と成り果て、動かなくなる。カミュ達四人も例外ではない。彼等も人外の強さを誇っているとはいえ、紛れもない人間であり、死という結末を持っている生物であるのだ。

 

「ま、まさか……アンタ以外の人達は、魔物によって殺されてしまったのか?」

 

 魔物との戦闘によって、その命を散らしたのであれば、その死体を置き捨てて行く事は、半ば常識の範疇である。遺体を運びながらでは、道中での魔物との戦闘で足枷と成り、天候が良い今のような状況であれば、一日二日で遺体は腐乱する。

 故に、カミュが三人の遺体を運んで来なかった事は不思議ではないのだが、彼等四人の持つ空気を知っている頭目としては、そんな冷たさがとても哀しく感じていた。

 

「……死んではいない筈だ……」

 

「なに?……どういうことだ?」

 

 立ち止まり、ある方角の空へ視線を移したカミュが呟く言葉が、頭目の思考を再び止めてしまう。『死んではいない』という説明だけでは、他の三人の状況が全く掴めないのだ。『死んでいなければ、何故共にいないのか?』という疑問が湧き上がった頭目は、再びカミュへと詰め寄るが、その問いかけは、またしても無視されてしまう。空を見つめていたカミュは、その視線を戻し、無言のまま船の場所まで歩き出したのだ。

 

「お、おい!」

 

「……とりあえず、一度ポルトガへ戻る……」

 

 尚も説明を求める頭目の言葉を遮るように、カミュは目的地を告げた。それは、完全なる拒絶であり、これ以上の踏み込みを許さない程の威圧感を持った言葉。それを受けた頭目は、口を閉じざるを得なくなる。

 何故なら、彼等の船の船長はカミュであり、彼等は船員であるのだから。頭目は、所詮は船員達を取り纏める長であり、この船の針路を決める決定権はないのだ。故に、胸に残る釈然としない想いを封じ込め、彼は黙り込む事となる。

 

 

 

 船に乗り込んだカミュは、そのまま船室へと戻り、暫しの間出て来る事はなかった。カミュ一人だけの帰還について、疑問を持つ船員達ではあったが、頭目の表情と厳しい指示を受けて、出港の準備を始める。

 しかし、その中でもカミュの仲間の一人に命を救われたと考えている七人の人間達は、カミュの入って行った船室への扉を見つめていた。

 

「お前らもキリキリ動け! 目的地はポルトガだ!」

 

 そんな七人に対しても、頭目の厳しい指示が飛ぶ。少し前までは、一般人から恐怖の視線を受けていた彼等も、今やこの船に乗る未熟な船員の一部。過去を問われない代わりに、他の人間と差別もしない。カミュに対しての不信感が募る胸の内を抑えて、彼らもまた、出港の準備に取り掛かった。

 

 

 

「ポルトガに着いたら、暫くの間は好きに過ごしてくれ……」

 

「なに!? 旅を止めるのか!?」

 

 ようやく船室から出て来たカミュの表情を見た頭目は、話しかけるのを躊躇っていたのだが、幸いにもカミュの方から言葉を掛けて来た。しかし、それは頭目を驚愕させる内容。ポルトガ着港後は、暫く航海をしないという内容であった。それ故に、頭目は『カミュが旅を止めるのではないか?』と考えてしまったのだ。

 仲間を失った心の傷によって、世界を救うと云われる『勇者』が旅を終えてしまう事など、何時の時代にもあった事。特に、オルテガという英雄が志半ばで倒れるまでは、全世界に『魔王討伐』へ向かう勇者達は溢れ返っていた。その中には、完全な力量不足の者達も多数おり、魔物との戦闘によっての仲間の喪失という大きな傷を心に受けた者は、そのまま旅を断念する事も多く見受けられた。いや、そのような者達が全てと言っても過言ではない。故に、未だに『魔王バラモス』は健在なのだ。

 

「……そうか……アンタもか……」

 

 大王イカを一撃で倒す程の魔法を唱え、船に上がって来た魔物を一刀両断する程の力量も持ち、そして何よりも、後方に控える者達から絶対的な信頼を受けているように見えたこの勇者もまた、過去に多く存在した『勇者もどき』と同じであったのだと、頭目は落胆した。

 それと同時に、自分の胸の中で、彼等四人の存在感が知らぬ内に大きくなって来ていた事実を知る。

 

 『彼らならば、この悪しき世を終わらせられるのではないか?』

 『彼らならば、魔物に怯えず暮らす世が作れるのではないか?』

 『彼らこそが、自分達が熱望していた本当の勇者達なのではないか?』

 

 そんな知らぬ内に大きくなっていた期待は、頭目だけではなく、この船に乗る船員達にも浸透していたのだろう。何故なら、カミュの言葉を聞いた途端、船員達の顔に失意の色が広がっていたからだ。カミュ達の強さを目の当たりにし、リーシャやサラの優しさに触れ、メルエの愛くるしさに微笑む回数が増える程、彼等の期待は大きく膨らんで行く。

 カミュが船を手に入れてからでも一年近くの月日が経つ。彼等はその間、カミュ達四人と共に戦い、共に笑い、共に汗を掻いて来たのだ。

 

「リーシャ様や、サラ様は亡くなられたのですか!?」

 

「メルエちゃんは!?」

 

 そんな期待は、落胆へと変わり、そしてカミュへの攻撃的な言葉へと変化する。彼等の中で、カミュだけではなく、他の三人がそろってこその『勇者一行』なのだろう。故に、自分達に何も告げずに針路を告げるカミュに苛立ちを覚えたのだ。

 しかし、それは船員達の勝手な感情である事も否定は出来ない。カミュには、自分達が陥った状況を説明する義務はなく、如何に船員達がいなければ船は動かないとはいえ、この船自体はカミュがポルトガ国王から下賜された物。つまりはカミュの所有物という事になる。

 

「……メルエやあの賢者はルーラを行使出来る。ポルトガへ行っていなければ、以前に回った場所に戻っている可能性もある筈だ」

 

「つまり、アンタはポルトガへ戻った後、その魔法を使って、他の町や村へ行くというのだな?」

 

 しかし、カミュは『お前らに関係ない』とも『納得出来ないのなら、船を降りろ』とも言わなかった。それは、彼の明確な変化なのかもしれない。アリアハンを出たばかりの頃、『人』として心に触れようともしなかった彼はもういない。様々な人間と出会い、心に触れ、それを感じる事で、彼の中の価値観は確実に変化して来た。彼が出会い、心に触れた者達の中に、この船員達も含まれている。

 船員達がカミュへ詰め寄っているのは、リーシャ達三人への心配があるからなのだろう。これが、逆にリーシャ一人であっても、サラ一人であっても、彼は残された者に詰め寄るだろうと、カミュは感じていた。いや、まずリーシャ達であれば、ここまで船員達を不安にさせる前に事情を説明していた筈。

 

「わかった。野郎ども、全速力でポルトガへ戻るぞ!」

 

 カミュの頷きを見た頭目は、大声を張り上げて指示を出す。先程とは異なり、船員達の応えは海を震わせる程の声量を誇った。

 即座に持ち場に着き始めた船員達が船に帆を張り、舵を取る。心地良い海風は、帆に目一杯の活力を与え、船はゆっくりと入江を離れて行く。頭目の言葉通り、船員達は現在出来得る最大の力を発揮し、船を一刻でも早くポルトガへという想いで動かしている事は、カミュでも理解出来た。

 

「アンタは、あの人達と一緒にいた方が良い。今のアンタでは何処の国にも入る事は出来ないぞ」

 

 厳しい瞳で船の進む先を見ていたカミュの横を頭目がすり抜けて行く。その表情は、先程までとは違い、若干の余裕と笑みが浮かんでいた。

 カミュの放つ威圧感に気圧されそうになっていた頭目だからこその言葉なのかもしれない。刺々しい空気を醸し出していては、他国に入り、国王と謁見する事など出来はしないだろう。

 アリアハンを出た頃のカミュであれば、このような空気を醸し出す事はなかったかもしれない。『死への旅』と割り切っていたカミュには『人』としての感情は皆無だった。リーシャを見る瞳に感情を宿してはおらず、サラを見る瞳には軽蔑の色さえも浮かべていた。

 そんなカミュの心に一石を投じたのは、彼の半分程しか生きていない幼い少女であったのだろう。その少女が投じた一石は、固く閉ざされたカミュの心に小さな小さな隙間を作った。空いた隙間に強引に身体を入れ、割り込んで来たのは直情的で短絡的な戦士。そしてこじ開けられた心に怒涛のように流れ込んで来る『人の心』。それらが彼を動かして来たのだ。

 

「だが、あの人達が向かった場所に心当たりはないのか?」

 

「……ああ……方角しか分からない」

 

 カミュの言葉に、再び落胆の表情を浮かべた頭目であったが、それでも顔を上げ、船員達に指示を出す。『とりあえずはポルトガへ向かう』という言葉は、カミュでさえもリーシャ達の安否に確信がない事を示していた。

 頭目の頭には、可愛らしく小首を傾げながら海にいる生き物に目を輝かせているメルエの姿が浮かび、そんなメルエの仕草に優しく微笑むリーシャが浮かぶ。そして、メルエに字や物事を教えようと四苦八苦しているサラの表情も同時に浮かぶのだった。

 そんな頭目の表情を無視するように、カミュは前方へ視線を送る。頭目の考えとは異なり、カミュがポルトガを目的地に選択した理由には確かな根拠があった。まず、三人が何処へ飛ばされたとしても、魔法力に優れたメルエと、元から持つ知識に経験という付加も持ったサラがいれば、無事に着地できるだろう。また、冷静に状況を分析し、対応する事も出来るだろう。そして、その過程で魔物と遭遇したとしても、リーシャという存在がいる限り、窮地に陥る事はない筈。そこまで分析し、カミュはその後の行動を考えたのだ。

 自分達のいる場所が、これまで訪れた事のない場所であれば、カミュが向かう筈がないとサラは考えるだろう。故に、メルエかサラが行使出来るルーラという移動魔法を使い、以前に訪れた場所へと向かうとカミュは結論付けたのだ。となれば、残るは『向かう場所が何処か?』という事になる。ここまでで、カミュの頭には幾つかの候補が挙げられていた。それは、この旅で訪れた場所の中から消去法で絞られて行く。

 

 まずはアリアハン。

 

 この場所はまず最初にカミュの頭から消去された。カミュだけではなく、リーシャやサラにとっても故郷となる場所ではあるが、リーシャはカミュの内情をある程度認識している。『カミュならば、あの国に戻る事はないだろう』とリーシャがサラへ告げれば、敢えてアリアハン城下町へ向かう事はないだろう。

 そして、それはレーベも同様。アリアハン大陸にあるあの村へ戻る理由がない。サラにとってみれば、バコタの父のいるあの村へ行きたいとは考えないだろう。

 

 では、ロマリアはどうか。

 

 ここにも特別な理由は存在しない。行く事を拒む理由もなければ、行かなければならない理由もないのだ。また、ルーラを行使出来るメルエにとって、イメージを構築出来る程の印象も無い場所なのかもしれない。特に、あの王女とカミュの対峙を見ているリーシャやサラからすれば、カミュがロマリアを選択するとは考えないだろう。

 ロマリア大陸にある、ノアニールは論外と言っても良い。ある意味で、このパーティーの在り方を根底から揺らしたあの村を選択する事はあり得ない。カザーブの村に関しては、トルドがそこに居たのなら、第一候補として挙げられるかもしれないが、今のカザーブにトルドはいない。故に、メルエが声を上げる筈も無く、この場所も消去される。

 メルエが拒むという理由であれば、アッサラームやダーマ、そしてムオルも含まれるだろう。アッサラームはメルエにとって忌まわしき場所。様々な想いの残るこの場所を、選択する事はないと断言できた。

 ムオルにはポポタという少年がいる。幼い嫉妬心を持つメルエがあの場所へ行く事を了承するとは思えない。そしてダーマだが、メルエがカミュ達と出会ってから初めて、他人より厳しい言葉を受けた場所であり、サラが『賢者』と成った場所となるダーマをメルエが選び出すとも思えなかった。

 その他となると、サラが拒むであろう、バハラタも除外される。『殺人者』として凶器の視線を受ける可能性の大きな商業自治都市は、サラにとっても、リーシャにとっても訪れたい場所ではないだろう。

 サラが拒むという理由であれば、テドンも同様ではないだろうか。『滅びし村』という異名を持つ村は、夜にしか活動しない。まず、夜にしか姿を現さない村へ、ルーラの魔法で行けるかどうかが問題であるのだが、行けたとしても選択される事はないと断言できた。

 

 故に、ここまで考えた結果で、候補は三つにまで絞られる。

 一つ目は、出発の場所であるポルトガ。

 二つ目は、若き女王が治める砂漠の国イシス。

 そして三つ目が、若き国主が統べる国ジパング。

 

 その内で最も可能性が高いのが、ポルトガとなるのだ。船での移動が今は主である事から、港がある出発点に戻る事が、効率的に考えても最善であるとカミュは考えた。

 カミュがいない以上、リーシャ達には登城する資格がない。ポルトガ国王に謁見出来ないのであれば、町の宿屋に戻っている筈である。そこまで自分が考えた以上、『賢者』であるサラも同様の結論に達するだろうという思いがカミュにはあったのだ。

 しかし、このカミュの考えは、思わぬ結果を生む事となる。

 

「そんな所に突っ立ってられたら邪魔だな。船室に戻っていな」

 

 目的地へ向かう船の先頭を見つめるカミュの横から声が掛かった。船員達へ指示を出していた頭目が、カミュの横を通る際に声をかけたのだ。本気でそう思っている訳ではないのだろう。カミュが眉を顰めた様子を見て、頭目は小さく苦笑を洩らした。

 船は風を受けて、その速度を上げて行く。海風が強くなって行く中、頭目の言葉を無視するように、カミュは視線を船頭へと戻した。

 

「今は、アンタ一人しかいないんだ。魔物が出て来たら、アンタ一人に頼るしかない。心配してくれるのは有難いが、今はゆっくり身体を休めてくれ」

 

 カミュの態度に腹を立てる訳でもなく、一つ溜息を吐き出した頭目は柔らかな笑みを浮かべて、カミュへ休養を勧める。確かに、現在はカミュ以外の人間がいない以上、魔物との戦闘となれば、カミュが一人で対応せざるを得ない。勿論、船員達も各々の武器を持ち、魔物との戦闘に参加する事だろうが、やはり力不足は否めない。その為にもカミュには万全の状態でいて貰わなければ、船員達としても困るのだ。

 

「……わかった……」

 

 不承不承に頷いたカミュは、一度船員達の様子を見回した後、ゆっくりと船室へと戻って行った。カミュの性質上、熟睡は出来ないだろう。それでも、見えない疲労と精神的な傷は、少しでも癒えるかもしれない。たった三人の人間がいないというだけで、船上の雰囲気は一変した。

 幼い少女の作り出す、和やかな空気は何処にもない。感情的になり易い女性戦士が生み出す、笑いを含む緊迫感もない。ここにあるのは、本当に命の危機すらも感じる程の緊張感。魔物が出現すれば、今までのように船員達は後ろに下がっていれば良い訳ではなく、皆が命を賭して戦わなければならないのだ。その事実を船員全員が理解していた。

 

「作業している者も、近くに武器を置いておけ!」

 

 頭目の言葉に全員が大きく頷きを返す。『勇者一行』を乗せているとはいえ、常に乗っている訳ではない。その際に戦闘を行う事もあるのだ。大王イカのような巨大な魔物であれば、逃げる事以外に方法はないのだが、船上に上がって来るような魔物とは、全船員総出で対応しなければならない。その時は必ず命の危機が伴って来る。カミュ達が何度か離れた事のあるこの船の乗組員が、誰一人として欠けていない事が、ある意味で奇跡に近いのだ。

 

 

 

 船は昼も夜も走り続けた。交代で任務を全うし、船員達も働き尽くめである。カミュは、昼間に起き、夜間には眠るという、通常の生活を送っていた。幸いにも、二日程は海も穏やかであり、魔物と遭遇する事も無く、順調な航海を続けていたのだが、この時代の海が容易に渡れる訳がない。

 

「魔物だ!」

 

 船員の一人の叫びが呼び水となり、船上へ魔物が続々と昇って来た。瞬時にカミュは背中の剣を抜き、左方から出現したしびれくらげを斬り捨てる。しびれくらげの持つ毒は、以前メルエが侵されていた。『麻痺』の症状に陥る毒に対しての対抗策は、現在はサラの持つキアリクという魔法しかない。『麻痺』を治す道具も、この世界には存在するのだろうが、カミュはその存在を知らないのだ。

 故に、船上に上がって来た魔物の中にしびれくらげを発見したカミュは、真っ先にそれを斬り捨てた。

 

「うおりゃゃぁ!」

 

 船上に浮いているもう一体のしびれくらげを倒したカミュが振り返ると、一人の船員がマーマンに襲われる直前であった。慌てて剣を片手に駆け出したカミュは、マーマンの横合いから飛んで来る斧を視界に捉える。その斧は、正確にマーマンの首を捉え、胴体から首を斬り離した。まさか、不意打ちとはいえ、魔物を一撃で倒す者がいた事実にカミュは驚く事となる。

 これが、カミュ達が不在であっても、船員が誰一人欠ける事のなかった理由。この船には、ポルトガ国出身の海の男以外に七人の新人が乗船していた。その七人は、国が派遣した兵士達と戦い、そして魔物の蔓延る場所を住処としていた者達。それは、戦いの勝利によって確立して来た地位であると共に、その力も有している証明でもあった。

 カンダタという大きな支柱の周囲を護って来た者達が、各々の武器を振っていたからこそ、この船は今も健在なのだ。

 

「おし!」

 

「それ程に数は多くないぞ!」

 

 カンダタ一味を名乗っていた一人の呼びかけに、全ての船員達が応える。一斉に魔物へ向かって武器を向ける船員達を、カミュは呆然として見ている事しか出来なかった。傷を受けながらも魔物を倒して行く船員達によって、魔物の数は次々と減って行く。ようやく我に返ったカミュは、下がって来た怪我人にホイミを唱え、最後の魔物の首を飛ばした。

 

「申し訳ない。この人にも回復呪文を」

 

「……ああ……」

 

 カンダタ一味の幹部であった一人が、マーマンの爪によって腕を傷つけられた船員を連れて来た。それ程、深い傷ではない。肉が切られ、血が大量に出てはいるが、骨が見える程ではない。カミュ達が常に受けて来た物に比べれば、軽傷に近い物ではあるのだが、大袈裟に声を上げている船員を見たカミュは、小さな笑みを浮かべながらホイミを唱えて行く。

 

「皆、船を動かせば一流のようだが、戦闘に関しては素人なんだ」

 

「まぁ、だからこそ、船に関して素人である俺達が役に立てるんだがな」

 

 次々と運ばれて来る怪我人に回復呪文を行使しているカミュに向かって、船員達を見回しながら男は口を開いた。その横から先程斧でマーマンの首を刈り取った男も笑みを溢す。その笑みが、生きがいを見つけた者のような、爽やかな物であった事に、カミュはその目を細めた。

 

「い、いや……罪を償う事を忘れた訳ではないんだ。ただ、血と罪で汚れた俺達の手でも、人を救えるという事が嬉しくて……」

 

「そ、そうなんだ……それで俺達の罪が消える訳ではない事は解っているんだ」

 

 カミュが目を細めた理由について、彼等は勘違いをしてしまったのだろう。『自分達が犯した罪を忘れたのか?』という糾弾として感じたのかもしれない。しかし、カミュの内心は、彼等が考えていたような物とは大きく異なっていた。

 リーシャであれば、このカミュの表情の小さな変化を見逃す事無く、正確にその胸の内を把握していた事であろう。しかし、今はその『心の探究者』はいない。

 

「……わかっている……」

 

 故に、カミュは己の想いを、自ら相手へ伝えなければならない。彼が自我に目覚めてから今までの人生で、全く必要のなかった『人』としての行為。『魔王バラモス』の討伐命を王城にて拝命した彼が、旅に出る際にも不要だと考えていた行為。それが今、予期せぬ形で重要な行為となり、カミュへと迫って来ていた。

 

「そ、そうか……船の仕事も、早く一人前になれるように頑張るよ」

 

 だが、相手に自分の想いを伝えるという行為に関しては、カミュはメルエと同等。いや、相手の心を和ませる笑みを浮かべる事が出来ない分、カミュの方が下なのかもしれない。カンダタ一味の幹部であった者達は、少し強張った表情を浮かべて、船の仕事へと戻って行った。残ったカミュは、何についての物なのか分からない溜息を吐く事となる。

 

 既に太陽は傾き、西の空へと帰り始めている。

 アリアハンを出てから二年。

 この船上で、カミュは十八回目の誕生日を迎える。

 彼にとっては、忌まわしき日。

 苦痛とも言える『生』を強要される始まりとなった日。

 

 しかし、今はその『生』にも、小さな変化が見え始めている。

 その変化を齎した者達は、今は彼の傍にはいない。

 

 

 

 

 

 




読んで頂き、ありがとうございました。

新章の幕開けと成ります。
カミュの一人旅。
ここから先は、皆様の頭の中に「遥かなる旅路」が流れるような物語を描きたいと思っています。

ご意見、ご感想を心よりお待ちしております。

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