新訳 そして伝説へ・・・   作:久慈川 京

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~幕間~【ポルトガ近郊】

 

 

 

 中央広場にて船員達と合流したカミュ達は、そのまま<ランシールの村>を出て、東へと歩を進める。ここから船がある船着き場まで約三日の道のり、先頭をカミュが歩き、後方では<消え去り草>の入った木箱を抱えた船員達が続いた。

 メルエは<ランシールの村>からサラの手を離さない。嬉しそうにサラの手を握り、サラと共に歌を口遊んでいた。

 

「悪いが、アンタ方が購入した<消え去り草>を少し分けてくれないか?……その分のゴールドは支払う」

 

「ん?……いや、それは構わないですよ。そう言えば、大量購入のお礼として、数束のおまけをくれましたから、それでも良いですか?」

 

 陽が傾き始め、野営の準備を始めた頃に、カミュが船員達の一人に声をかける。<スライム>から聞いた情報の中にあった<消え去り草>の使用方法を考え、その為の入手を図ったのだ。

 <消え去り草>の入った木箱は、船から持って来た<ジパング>の品と同様に荷台に乗せられている。内容を知らない船員達は、木箱とは別途に持っていた数束の<消え去り草>をカミュへと手渡した。どれ程の量の<消え去り草>を乾燥させ粉にし、どの程度の量を振りかければ姿が消えるのが解らない以上、カミュは少し考え込んだ。

 

「結構必要なのですか?」

 

「……いや、エジンベアへ向かうのだが、エジンベアという国はどの方角にあるのか解るか?」

 

 <消え去り草>の量を尋ねた筈が、全く異なる問いかけが返って来た事に船員は一瞬戸惑いを見せる。しかし、エジンベアという国名を頭の中で消化し終えた後、元盗賊の男以外の船員が総じて顔を顰めるような仕草をした。

 それは、エジンベアという国に対して船員達が良い印象を持っていない事を示している。その事をサラは不思議に思った。船員達は貴族ではない。故に、国の内部に入り込んでいる筈がない以上、その好き嫌いの感情を表に出す意味が理解出来なかったのだ。

 

「エジンベアへ向かうのですか?……エジンベア自体は、ポルトガから大陸沿いに北へ向かった場所にある島国です。しかし、余りお勧めは出来ないですよ……」

 

「何かあるのですか?」

 

 苦い顔をしたまま言葉を綴る船員を見て、益々サラの疑問は膨らんで行く。行く事を進められない理由に思い至らない。『勇者』を毛嫌いしていたり、それこそロマリアのように『英雄オルテガ』に対して良くない感情を持ち合わせている国だとでも言うのだろうか。それとも、かなり険しい道が続き、そこへ辿り着く事が非常に難しい為なのか。

 そんな様々な疑問が浮かんでは消え、サラの頭は混乱して行った。

 

「ポルトガを通るのならば、一度寄る事になるだろうな……ポルトガ王に、船の謝礼も含め、<消え去り草>を献上したいと思うのだが、一箱ほど譲って欲しい」

 

「……なるほど……そうですね。国王様には何か献上しなければならないでしょうね。解りました」

 

 エジンベアという国に関しての話を途中で中断させたカミュの答えは、船員達を納得させるだけの物だった。ポルトガを素通りする訳にも行かず、ポルトガの港に入るのであれば、王との謁見は避けて通れないだろう。王と謁見せず、そのまま再び航海に出たとすれば、『勇者一行は恩知らず』という噂がポルトガ国内に瞬時に広がるだろう。

 旅を続けて行く以上、その噂は遠い将来で思わぬ障害になるかもしれない。ならば、形式的な物だとしても、国王と謁見し、献上品を持参した方が良いのだろう。

 

「エジンベアとはどのような国なのですか?」

 

 しかし、考える事が仕事である『賢者』は納得しない。熾し終わった焚き火に新たな薪を入れながら、サラは船員達に再度問いかけた。

 その頃になって、ようやく森の中から野ウサギなどを数羽手に持ったリーシャが戻って来る。最近になって『死』という物を覚え、野ウサギなどの死体を見ると哀しそうに眉を下げるメルエに見えないように、リーシャが捌いて行った。

 

「あ、ああ。エジンベアでしたね。あの国は……何と言うか……行ってみれば解るとは思いますが、とにかくとても不愉快な国だという事は確かです」

 

 リーシャの姿に驚いていた船員が、サラの問いかけを思い出し、再び口を開く。しかし、その答えは明確な物ではなく、サラの疑問を更に強くする物であった。

 サラの傍にいるメルエは、会話の中身にも興味を示さず、地面に咲く小さな花を見つめている。この野営の準備中も、メルエはサラの傍を離れない。まるで、ランシールへ入るまでの一日弱の時間を取り戻すかのように、サラにべったりとくっついていた。

 

「まずは一度ポルトガへ戻る。そこからエジンベアに入るとしたら、どのくらいの日数が掛る?」

 

「う~ん。頭目に聞いてみなければ、正確にはお答え出来ませんが、おそらく一月程で到着すると思います」

 

 サラの疑問を無視するように話しを進めて行くカミュは、船での航海によって掛る日数を尋ねる。ルーラで船を運ぶ事が出来ない以上、ここからの船旅を、船員達だけに任せる訳にはいかない。例え、時間がかかろうとも、共にポルトガまでの航海を行った方が、船自体の安全や、船員達の安全を考えれば、カミュ達が共に行く事が最善という結論に達するのだ。

 

「一度、ポルトガに戻るのか?……ならば、トルドの所にも寄れるのではないか?」

 

「!!…………トルド…………」

 

 捌いた肉を木に刺した物を持って火の傍へと歩いて来たリーシャの発した名前を聞いて、メルエの首が跳ね上がる。何かを期待するように向けられたメルエの瞳を見たカミュは、一度大きな溜息を吐き出した。

 素知らぬ顔で作業を続けるリーシャ。

 サラの傍からカミュの傍へと場所を移し、眉を下げてカミュを見上げるメルエ。

 火の周辺に肉を刺した木の枝を差して行くリーシャを恨めしげに睨んだカミュは、メルエの願いを了承する事しか出来なかった。

 

 

 

 翌朝も太陽が昇ってすぐにカミュ達は歩き出す。エジンベアまで一か月の航海が必要だと言われれば、出来るだけ早くに船を出向させるべきだという事を理解しているからだ。

 だが、今のカミュ達には船員達がいる。幼いとはいえ、メルエは紛れもなくカミュ達と旅を続けて来た一人。カミュ達は歩く速度をロマリア大陸の時ほど緩める事はない。言ってしまえば、船員達の方が歩く旅に慣れていない以上、メルエよりも足枷になってしまっているのだ。

 

「メルエちゃんは凄いな」

 

 休憩の際に口を開いた船員の言葉が、その事を明確に示していた。

 陽が昇ってから、真上に輝くまでの間を歩き続け、疲労困憊に近い状況の船員達が木の根下に座り込んだのとは裏腹に、メルエは咲いている花や、その傍で飛び回る虫達を眺めて動き回っている。そんなメルエの姿に船員達は苦笑を洩らした。

 

「メルエのような『魔法使い』は体力よりも魔法力の方が上の人間も多いですから。体力がない分、魔法力でそれを補っている節もある為、いざ魔法力がなくなってしまえば、起き上がる事さえも出来なくなってしまいます」

 

「へぇ~」

 

 動き回るメルエを眺めながら、船員達の疑問に答えたのはサラだった。サラの言うとおり、『魔法使い』という職業は、体力よりも魔法力の向上を目的とする。良くも悪くも、『魔法』という神秘に比重を置いているのだ。

 サラのような『僧侶』は、回復呪文の要請を受け、旅団等に同行する事も多く、体力も鍛えて行かなければその役目を果たす事は出来ない。その分、大抵の『魔法使い』は『僧侶』に比べて、体力に於いて劣ってしまうのだ。

 ならば、その差を何で補うのかというと、それは『魔法使い』の中にある魔法力となる。魔法力は簡単にいえば、その人間が有する気力。気力によって体力を補っているというのも可笑しな話ではあるが、魔法力に優れている『魔法使い』はそのような形で自身を護っているのだ。

 それが意識的なのか、それとも無意識なのかは別として。

 実際に、ジパングに於いて<ヤマタノオロチ>と対戦した際にも、魔法力切れを起こしたメルエは、その場で完全に倒れ伏してしまった。

 未だ成長過程という幼さを考えれば、カミュ達と共に強大な敵と夜を通して戦う事が出来たのは、メルエの中に眠る膨大な魔法力による物が大きい。通常の『魔法使い』であれば、世界最高の『魔法使い』であるメルエが唱える呪文を行使出来ないばかりか、カミュやリーシャのような世界屈指の強者達と肩を並べて戦う事など出来はしないのだ。

 またその事が、メルエの異常性を浮き彫りにしている事をサラは危惧してもいた。

 

「メルエもこちらで水を飲んで休みましょう?」

 

「…………ん…………」

 

 サラに呼ばれた事で振り返ったメルエは、笑顔でサラの許へと歩いて来る。サラの横に座ったメルエは、手にした水筒の水で喉を潤し、輝くような笑顔をサラへと向けた。

 花を眺めている時に土をいじり、その手で顔を拭いたのだろう。サラはメルエの頬に付いた土と手に付いた土を布で拭いてやりながら、『メルエを護る』という誓いを改めて胸に刻むのだった。

 

 

 

 その後、何度かの戦闘を行いながらカミュ達は歩を進めるが、遭遇する魔物は、<豪傑熊>や<ゴートドン>といった何度か戦闘を行った魔物である為、戦闘に於いてメルエの出番はなかった。

 魔法を行使する為にはサラの許可と指示が必要となったメルエは、余程の事がない限り、勝手に魔法を行使する事はないだろう。それこそ、カミュやリーシャが危機に瀕した時や、司令官であるサラが傍にいない時以外は。

 

 ランシールの村を出て三日目の昼に、カミュ達は船着き場に到着した。数日前と変わらず、活気はほとんどない。ランシールの村にある神殿の扉が閉じられてから数十年。日々増して行く魔物の脅威によって、渡来する船も皆無に近い状態になった船着き場は、同じように船の行き来が無くなったポルトガの港よりも寂れていた。

 それが、どこの国にも属さないランシールという地方の限界なのかもしれない。

 

「確かにエジンベアへ行くのなら、ポルトガやあの土地は通り道だ。ポルトガまで数週間かかるが、他に食料や水も購入したみたいだから、まぁ大丈夫だろう」

 

 船に乗り込んだカミュが口にした次の目的地を聞いた頭目は、暫し考えた後、乗り込んで来る船員達が抱える物資に視線を送りながら口にする。どうやら、カミュ達が武器屋と神殿へ行っている間に、船員達は食料や水などの物資の購入をしていたようだった。

 荷台の中には、<消え去り草>以外の木箱があった事に今更ながら気付いたサラは、驚きの表情を浮かべて船員達を眺める。カミュ達四人は旅慣れたとはいえ、船に関しては素人。その準備等に関しての思考については、船員達の足元にも及ばない。数多くの船員達がいるからこそ自分達が旅を続けられる事を、リーシャとサラは改めて感じていた。

 

「よし! 錨を上げろ! 出港だ!」

 

 頭目の声に船員達が一斉に雄叫びを上げる。船に帆が下され、錨が重々しい音を立てながら上げられて行った。帆一杯に風邪を受け止めた船がゆっくりと海原へと進み出す。

 久方ぶりの船の出港を見ようと、船着き場には人が集まって来ていた。中には船に向かって大きく手を振っている人間も見える。そんな光景を船の最後尾で目にしたメルエは、笑顔を向けて手を振り返していた。メルエのその姿は、船に乗る全員の心を癒して行く。

 

「ポルトガまで数週間か……サラ、もう部屋で休んでいた方が良いんじゃないか?」

 

「ふぇ!? あ、あ……い、言わないでください。忘れていたのに……」

 

 船酔いという悪夢を頭の片隅へと無意識に追いやり、自己防衛に努めていたサラの努力をリーシャが打ち砕いた。リーシャとしては、本当にサラを心配していたのだろが、サラにとってみれば、それは大きなお世話以外何物でもない。無意識の内に忘れていた為、思い出すまでの数日は何とか耐える事が出来たかもしれないが、ここまで明確に思い出さされては仕方がない。徐々に青白くなって行くサラの顔色。その顔色を見て、ようやくリーシャも自分の失言に気が付いた。

 

「サ、サラ。ゆっくり休んでいろ。いざとなれば、カミュもベホイミを行使出来るようだし、<毒消し草>も持っている。以前のような麻痺する事があれば呼びに行くから、船室で横になっていろ」

 

「……うぅぅ……」

 

 まだ、船が船着き場を出港してからそれ程の時間が経過した訳ではない。比較的強い海風を受け、順調に船は進んでいるものの、ランシール大陸はまだ視界に小さく映っている。それにも拘らず、僅かな時間でサラは戦力から除外されてしまった。

 リーシャに悪気はない。それは皆解っている。だが、『とぼとぼ』と船室へ戻って行くサラの背中を見つめていた彼等の視線が一斉にリーシャへと集まった。船員達の目は責めるような物ではなかったが、カミュの目はどこか呆れを含み、メルエに至っては明らかな叱責を含んだ厳しい瞳をリーシャへと向けている。そんな視線の集中砲火にリーシャは顔を俯かせてしまった。

 

 

 

 航海は順調に進んで行く。時折、天候が崩れる事はあったが、嵐等になる事はなく、船が進路を見失う事もなかった。<マーマン>や<しびれくらげ>、そしてムオルで遭遇した<スライムつむり>などの魔物達が船を襲う事はあったが、それらは全てカミュの持つ剣と、リーシャの持つ斧の錆となって行った。

 後ろに控えるメルエは、この船旅の間、戦闘中に自分の出番が来ない事にむくれる仕草をする事はなく、むしろ出番がない事に胸を撫で下ろしているようにも見える。

 

「メルエ、お願いしますね」

 

「…………ん…………」

 

 そんなメルエに船の上で一つの仕事が出来た。

 常に甲板の木箱の上から海を眺めているだけだったメルエの瞳が厳しく細まり、声をかけて来たサラへ向かって大きく頷きを返す。そのまま甲板に敷かれた網の上に乗せられた数枚の葉束の傍に腰を下ろし、手に持った杖を抱いて上空を見上げた。

 

 メルエの仕事。それは、乾燥させる為に天日に晒された<消え去り草>を狙う海鳥達からそれらを護る事。

 海風に飛ばされないように網を重ねてはあるが、その隙間から啄まれれば、すぐに消え去ってしまうだろう。その責任は重大であり、それを理解しているからこそ、メルエは上空に目を光らせているのだ。

 海風がメルエの髪を撫で、今では好ましい匂いに変化した潮風がメルエの鼻をくすぐる。思わず海の方角に目を向けそうになる自分を律するように頭を振り、もう一度上空へと視線を戻した。

 そんなメルエの様子を見ていたリーシャが苦笑を浮かべながら視線を向けると、そこにも苦笑を浮かべる『賢者』の姿がある。実は、この<消え去り草>の警備という仕事は、メルエの鍛錬の一つでもあったのだ。

 <消え去り草>を乾燥させて粉にしなければならない為、甲板で天日に晒すという方法を取る事をカミュが口にした時、ある提案をサラがする事となる。それが、メルエの魔法による警備。

 基本的にメルエはカミュ達が敵対しない限り、魔物であろうと攻撃をする事はない。<くさった死体>のような不快な臭いを放つ者は別だろうが、動植物に対して好意的な想いが初めからあるのだ。

 そんなメルエが<消え去り草>を護る為とはいえ、海鳥に対して攻撃を繰り出す。それには、魔法力の制御が必要となるだろう。メルエの強大な魔法力であれば、<メラ>であろうが<ヒャド>であろうが、海鳥そのものを殺してしまう。その事をメルエも理解していた。

 故に、海鳥達を傷つけないように気を付けながらも威嚇しなければならない。それがメルエの鍛錬になるというサラの提案に、リーシャは不安を覚えたが、カミュが頷いた事から、警備はメルエの仕事となる。初めて任される自分だけの任務にメルエは大いに張り切った。

 

「クワァァァ」

 

 メルエの警備が開始されてから数刻が経過した頃、一羽の海鳥が上空から舞い降りて来る。無防備に敷き広げられた<消え去り草>を発見し、周囲に人影がない事を確認した海鳥は、船の縁に足をかけ、機会を狙っていたのだ。

 初仕事として警備を任されていた幼い少女の姿は、網の近辺に見当たらない。船員達もそれぞれの仕事に忙しく、<消え去り草>が敷き詰められている場所に意識を向けてはいなかった。

 

「クエッ」

 

 周囲に意識を向けていた海鳥が、瞬時に瞳を切り替える。それは獲物を狙う獰猛な瞳。狙われた獲物は海鳥が目にした事もない輝くような植物だった。

 船の甲板に広げられた青々とした葉は、海鳥の食欲を誘うような怪しい輝きを放っている。その周囲に人影がない事は確認済み。故にその海鳥は、足を力強く蹴り出し、目に映る獲物に向かって飛び出した。

 

「…………ヒャド…………」

 

 しかし、獲物まであと少しの所までという寸での所で、海鳥の周囲を異様なまでの冷気が包み込み始める。一瞬の内に凍りつく空気。しかし、その空気は海鳥そのものを包み込む事はなく、その余波によって嘴が凍りつくだけであった。

 嘴が凍り付き、鳴き声さえも上げる事が出来なくなった海鳥は、冷気の出所に恨めしげな視線を送る。その先に居たのは杖を海鳥に向けて立つ幼い『魔法使い』。その者が厳しい瞳を海鳥に向け、杖を向けて威嚇していた。

 

「…………だめ…………」

 

 実は、メルエは誘惑に負けていた。

 船が風を受けて順調に航海する中、動く景色は幼いメルエの心を沸き立たせる。『そわそわ』と視線を海へと向けるメルエの身体が、<消え去り草>から離れてしまうのも時間の問題だった。カミュとサラが今後の進路について話す為に船室に戻り、メルエの護衛をしていたリーシャが船員の仕事を手伝う為にその場を離れた事を確認したメルエは船の縁へと移動してしまう。そして、船が動く度に聞こえる波の音に頬を緩ませている時に耳に入った鳥の鳴き声で我に返ったメルエは、即座に杖から魔法を放ったのだ。

 

「…………だめ…………」

 

 再度睨むような瞳を向けて口を開いたメルエを見た海鳥は、忌々しそうな瞳をメルエへと向け、威嚇するように顔を上げるが、凍りついた嘴は開かず声が出ない。メルエは力を最小限に抑えて<ヒャド>を唱えた。しかし、未だに制御が上手く出来ないメルエは、海鳥を殺してしまう事を恐れ、その魔法の対象をかなりずらした場所に設定していたのだ。

 もし、サラであれば<ヒャド>という魔法を制御しきり、海鳥の嘴だけを凍らせる事が可能だったかもしれない。だが、それを今のメルエに要求するのは酷な事だろう。

 

「…………むぅ…………」

 

 睨み合う両者。痺れを切らしたメルエがもう一度杖を振るおうと掲げた時、ようやく海鳥は空へと飛び立った。恨みに近い程の強い瞳をメルエへと向けた海鳥は翼を大きく広げ大空を飛び回る。未練でもあるかのようにメルエの真上を旋回するように飛び回る海鳥を見上げながら、メルエは初仕事を達成した喜びを噛み締めていた。

 

「メルエ! 良く……!!」

 

「…………!!…………」

 

 船員達の仕事を手伝う振りをして、メルエの仕事振りを見ていたリーシャの言葉は途中で遮られた。そして、リーシャと同じようにこっそり隠れて見ていたカミュとサラの二人の歩み寄る足も止まってしまう。微笑ましく見ていた船員達も、まるでメルエの放つ氷結呪文を受けたかのように固まってしまった。

 時は凍り付き、船の上の世界は色を失う。

 

「…………うぅぅ………ぐずっ………うぇぇぇん…………」

 

 そんな凍りついた時を動かせたのは、やはり幼い少女だった。しかし、その声は既に泣き声。天を仰ぎ見るように空に向けられていたメルエの顔がゆっくりとサラとリーシャの方向へと向けられる。

 動き始めていた時が再び凍りついた。先程のそれとは異なる凍り付き方をしたそれは、徐々に溶け出し、激しさを持って溢れ出す。

 

「ぷっ!」

 

「くっ……メ、メルエ……ふふ……こ、こっちに来い。顔を拭こう」

 

 リーシャ達に向けられたメルエの頬の部分には、所々に茶色い物が交る白い液体。頬から垂れ落ちるようなその液体を見たサラは噴き出してしまう。何とか笑いを堪えるように顔を引き締めようとするリーシャであったが、それは失敗に終わった。

 その液体は、見上げるメルエの上空を旋回していた海鳥の糞。メルエによって食事を邪魔された事への腹いせにメルエの顔面へと糞を落としたのだ。

 見上げるメルエの頬に目掛けて糞を落とすなど、海鳥の中でもなかなかの技能者なのかもしれない。

 

「…………うぇぇぇん…………」

 

 メルエにしては珍しい泣き声を発し、リーシャの許へと駆けて行く。最早、笑いを堪える事を放棄したサラは何度も咳き込み、涙を流していた。メルエが辿り着いた先にいたリーシャも同じ。顔は笑いを堪えて引き攣り、布を取り出した手は小刻みに震えている。布を濡らすために船員が差し出した桶の中の水は、海原のように波打っている。

 泣き声を上げるメルエの頬を拭き取っているリーシャの姿を微笑ましく見つめる船員達の顔は皆笑顔だった。絶え間なく襲いかかって来る魔物達が蔓延る海の上で、場違いのような和やかな空気が流れる。ポルトガの港までまだ一週間以上の日数が掛るだろう。それでも、この船は悲壮感とは無縁の航路を走り続けるのだ。

 

 

 

 魔物達から船を護りながら北上し、バハラタ付近の大陸が見えた頃から船は大陸沿いに走る。西へと進路をとり、再び北へと進路を取る頃には、メルエの仕事も完遂を迎えていた。<消え去り草>は潮風を受け枯れ果て、更に太陽の日差しによって水分を完全に奪われている。その葉を一枚一枚磨り潰し、粉上にした物を小さな布の袋の中へと入れて行く。その際に、周囲に飛び散らない為の配慮から、作業は船室で行われ、また手などに触れてしまわないように袋へと入れられて行った。

 注意深く作業を行うカミュを、リーシャとサラが固唾を飲んで見守り、その隙間から興味に目を輝かせたメルエが見つめる。無事に袋へと移動させたカミュは、一つ息を吐き出した。

 

「それは、本当に身体が透明になるのか?……見たところ、袋は透明になっていないが」

 

「そう言われれば、そうですね……」

 

 カミュが掲げる布製の袋を見つめていたリーシャが洩らした疑問は、至極尤もな物であった。今初めて気付いたかのように袋を見つめるサラをメルエが不思議そうに見上げている。

 確かに、リーシャの言うとおり、<消え去り草>を乾燥させた粉によって身体が透明になるのであれば、それを入れる袋なども透明となり見えなくなっていても不思議ではない。

 

「もしかすると、生物にしか効果がないのかもしれませんね……」

 

「この<消え去り草>の粉を使用する機会があるかも解らない。使用する事があるか解らない物に悩む必要もない筈だ」

 

 少し考えてから自分なりの答えを見つけたサラの言葉をカミュは一蹴した。事実、どのような仕組みになっているのかも解らず、第一に本当に姿が消えるのかどうかも曖昧なのだ。

 あの<スライム>の言葉を疑う訳ではないが、<スライム>も使用した事がない以上、話の信憑性に欠けるというのも事実。この船の上でカミュ達が論じたところで何が変わる訳でもない。その事をカミュは指摘したのだ。

 

「ポルトガが見えて来たぞ!」

 

 カミュの言葉に不承不承という感じで頷きを返したリーシャとサラの耳に船員達の声が入って来る。<ランシール>を出て二週間以上の時間が経過していた。

 この船旅の中で、サラの船酔いもある程度緩和されて来たようにも感じる。船旅という未知の方法にも徐々に慣れて来たのだろう。人間であれば誰しも適応力という物を備えている。要はそれが早いか遅いかの違いでしかない。既に船を手に入れてから数か月の月日が流れようとしている。これで少しも慣れないのであれば、サラ自体が船旅に向かない事になってしまうのだ。

 <消え去り草>の粉が入った袋を革袋の中に仕舞い、表に出たカミュ達は久しぶりに見るポルトガの大陸を目にする。

 船員達の目も心なしか輝いているようにも見えた。久しぶりの故郷に心湧かせ、皆が甲板へと出て来ている。船はゆっくりと港へと近付き、誘導に従い、無事着艦した。

 

「俺達は必要な積み荷を船に運んでいる。それに仕入れた物も売らないといけないしな」

 

「……わかった……」

 

 頭目の言葉に頷き、カミュ達は港へと足を下ろす。積み荷を入れ込むとすれば今日中の出港は不可能だろう。積み込みをカミュ達が手伝う訳にも行かず、国王との謁見が終われば、一度この城下町で一泊をする以外にないという事になる。

 サラの状況やメルエの状況を考えれば、この城下町で一夜休息を取る事は悪くはない。そう考えたカミュは一つ頷きを返した後、<消え去り草>の入った木箱を一つ荷台に載せ、城への街道を歩き出した。

 ポルトガの城下町は、カミュ達が初めて来た時に比べると、賑わいを見せている。カミュ達の乗る船の製造に伴うお祭り騒ぎの余韻が未だに残っているのだろう。また、カミュ達の開いたロマリア大陸へと続く地下道によって、多くの人間がポルトガへ訪れる事になった。

 移住目的の者などは少なく、ほとんどが観光目的の貴族や商売目的の商人。故に、町は活性化し、金が落ちて行く。あの扉が閉じられて十数年。ようやく開かれた商いの道は、ポルトガ、ロマリアの両国に恩恵を与えていたのだ。

 

「よくぞ戻った。面を上げよ」

 

 謁見の間に通されたカミュ達は、玉座の椅子の前に跪き、王の言葉を拝する。数か月ぶりとなるカミュ達の謁見をポルトガ王は快く迎え入れ、労いの言葉をカミュ達へと向けていた。

 王とカミュ達の間には、<消え去り草>の入った木箱とその中身。献上品として臣下の人間へ手渡した物が王の前に並べられている。

 

「ほぉ……良き旅を続けているようだな……」

 

 遠慮がちに上げられたカミュの顔を見たポルトガ王は、深く息を吐き出した。

 彼等がこのポルトガの港を出て数か月。その間も魔物の横行は収まらず、『魔王バラモス』の脅威は増している。それでも、カミュの顔を見た瞬間に、この王は全てを悟った。彼等は着実に前へと進んでいる事を。

 

「共の者も面を上げよ」

 

 続けて発した言葉に顔を上げた面々の表情を見て、その想いは確信へと変わる。彼等の表情一つをとっても、船出の頃とは全く違う。東の大陸へと旅立つ為にノルドへの手紙を手渡した時などに比べれば、雲泥の差であったのだ。

 『人はここまで成長する物なのか?』。

 そんな疑問が湧いて来る程に、カミュ達の雰囲気は一変していた。

 

「これが約束の献上品か?……只の草にしか見えないが?」

 

 そんな内心を悟られぬように口を開く姿は、流石に一国の王たる物である。良い旅を続けている事は理解した。だが、彼等が何を考え、どこへ向かうのかまではこの賢王にも推察は出来ない。

 故に、目の前に並べられた献上品へと話題を移したのである。

 

「そちらは、<消え去り草>と呼ばれるランシール地方の特産物であります。煮て良し、焼いても良しの絶品という話でありました」

 

「ランシール?……お前達は、ランシールへ向かったのか?」

 

 献上品の説明を語るカミュの言葉を聞き、ポルトガ王は一瞬眉を顰めた。その仕草が、国王がランシールという地名を知っている事を裏付けている。巨大な神殿があったと言えども、僧侶であるサラがその存在を知らなかったのだ。一般の人間がその存在を知らない可能性は高いだろう。

 だが、それはあくまで一般人の間の話。国家の頂点に立つ人間であれば、その村の存在も、そこにあった巨大な神殿の存在も、知識として持ち合わせている事に何らおかしな事はない。

 

「そうか、ランシールへ行ったか……あそこの神殿の門は、もう何十年も開かれていないという。俺が生まれる更に前の話だ。お前達も徒労に終わっただろう?」

 

 だが、『神殿』という存在は知っていても、その真相までは広まっていなかった。それは、ポルトガ王だけではなく、この世界に生きている全ての『人間』が知り得ない物なのかもしれない。

 <スライム>の話を信じるのであれば、その真相を知る者は、あの<スライム>と古の『賢者』だけという事になる。<スライム>がこの数十年の間で、カミュ達以外にあの話をしていれば別であるが、その可能性は極めて低いだろう。それを考えたからこそ、カミュは<消え去り草>という特産物の説明を、現地の道具屋が話した内容のまま口にしたのだ。

 

「それで次は何処へ向かう?」

 

 問いかけに答えを返さないカミュ達を見て、ポルトガ王はカミュ達の心の内にある落胆を想像した。何も収穫がなくポルトガへ戻って来たとは考えていない。だが、考えていたよりも収穫は少なかったのかもしれないと考えたのだ。

 故に、その後の進路について新たに問いかけを発する。

 

「思う所がありまして、エジンベアへ向かおうと思っています」

 

「エジンベアだと!?」

 

「!!」

 

 ポルトガ王の問いかけに間髪入れず答えたカミュの言葉は、予想以上に大きな王の声に掻き消えた。驚きの声を上げるポルトガ王だけではなく、常に柔らかな笑みを崩す事のなかった大臣の顔にも驚きの色が浮かんでいる事から、エジンベアという国に何か問題がある事を想像させる。

 カミュに目的地を聞いた船員は、『行く事を勧められない』とまで云わしめた国であるが、一国の王からも同じ様な反応をされてしまうと、リーシャやサラだけではなく、カミュでさえ一抹の不安を抱いてしまった。

 

「……エジンベアに何か問題でもおありでしょうか?」

 

 故に問いかけてしまう。それが国王に対しての不敬である事を承知しながらも、カミュはその疑問を抑える事が出来なかった。

 いや、もしここがアリアハンという国であったり、ロマリアという国であれば、カミュは無言を通したのかもしれない。だが、このポルトガ国王に対しては、カミュは他国の王とは異なる感情を持っていた。それはカミュにしてはとても珍しい感情であり、それがこの旅の中で変化して行ったカミュの心を表しているのかもしれない。

 

「いや……少しな……ふむ。一筆書いてやろう。エジンベア王へ渡るかどうか解らぬが、ないよりかは幾分かは良いだろう」

 

 カミュの問いかけに曖昧な答えしか返さない王は、傍の大臣に目配せをして、エジンベア王への証文を代筆させる。基本的に、王への謁見という物は、他国の推薦状がなければ不可能に近い。故に、カミュはロマリアへ入る際にはアリアハン国からの書状を提出し、イシス国へ入る際には、ロマリア国からの書状も付随した。このポルトガ城へ入場する際も同様であった。

 

「それを持って行け。あの国は、無駄に誇りだけは高い国だ。色々と腹に据えかねる事もあるかもしれんが、気をつけろ」

 

「……はっ……」

 

 大臣より、ポルトガ国印が押された書状を受け取ったカミュは、国王の真意が掴めず、どこか曖昧な返答をせざるを得なかった。

 まず第一に何について気を付ければ良いのかが全く解らない。エジンベアという国の存在自体も知らなかったカミュ達には、どのような国なのかが想像すらも出来ないのだ。

 

「まぁ、何時でもこの港へ戻って来い。献上品さえあれば、この国はお前達を歓迎するぞ」

 

 そんなカミュ達の心の不安を察したのか、国王は悪戯っぽい笑みを浮かべる。その内容は、隣の大臣の余裕を取り戻させる事に充分な威力を持っていた。

 エジンベアの国勢などを語らない理由を理解したカミュも、再び静かに頭を下げる。カミュ達が頭を下げる事を確認した国王は、傍に立つ大臣に一つ目配せをした。一つ頷いた大臣が小さな袋をカミュの前へと置く。予期せぬ出来事にカミュは少し顔を上げ、国王の足下を見つめる事となった。

 

「流石に、胡椒料理も食い飽きた。お前達の持って行った『黒胡椒』もそろそろ切れる頃だろう。少し持って行け」

 

「……はっ、有り難き幸せ」

 

 聞き様によっては、不要な物を下賜するようにも聞こえるが、カミュは国王の真意を知り、深々と頭を下げる。

 カミュ達に以前与えられた『黒胡椒』はまだ残っている。『黒胡椒』は所詮調味料であり、その物を食す訳ではない。故に、数か月の旅を続けたとしても毎日食さない以上、それ程消費速度は速くはないのだ。

 つまり、この小さな袋に入っている『黒胡椒』は、『黄金一粒と同価値』と云われたほどの物という側面だけを残す事となる。明らかな援助金を国として出せない以上、高価で売却が可能な『黒胡椒』を下賜する事によってカミュ達一行を支援する方法を取ったのだ。

 

「お前達がどのような答えを出し、どのような結果を出すのかを楽しみにしている」

 

 柔らかく微笑んだ『オルザ・ド・ポルトガ』という人物の言葉は、カミュ達の胸に何かを残した。

 カミュ達の目的は『魔王討伐』。だが、この国王はその目的をカミュ達の答えとは考えていない。いや、最終的には『魔王討伐』に達する事は理解しているのだろうが、その過程をカミュ達に委ねているのだ。

 カミュ達が何を感じ、どのように行動し、どのような答えに辿り着いたとしても、彼ならばそれを受け入れるのだろう。それは諦めでも、傍観でもない。それは確かな『信頼』。

 

「また会える日を楽しみに待っている……大義であった!」

 

 カミュ達と『オルザ・ド・ポルトガ』の付き合いは短い。とても『信頼』という重い物を築ける程の時間を共有してはいないのだ。それでも、この国王はカミュ達を信じていた。彼と、彼が最も信頼する友であるノルドというホビットと同じ想いを持つ彼等を。

 だが、その想いを全面的にカミュ達へ向ける事は、彼の立場では難しい。一国の王として、『勇者』とはいえ、年若い彼等に資金などを優遇する事は、活気に満ちて来た国民を敵に回す事になりかねないからだ。

 実は、カミュ達の乗っている船も、国民には譲渡した事を説明してはいない。王が造った貿易船に、『勇者』と名乗る一行を乗せているだけという認識しか国民は持っていないだろう。故に、カミュ達がポルトガへ帰港すれば、国民達は貿易の成功を喜び、沸き立つのだ。

 それ程に、この世界は病んでいる。『魔王バラモス』が台頭して数十年。『希望』という物を持てなくなる程に、生きている者達の心は疲弊していた。

 

 

 

「…………おなか………すいた…………」

 

「ん?……そうだな。今日は、前にメルエが食べたがっていた魚料理を作ろう。宿屋に台所を借りられるように交渉しないとな」

 

 城を出た一行は町へと続く街道を歩く。そんな中、夕食の準備をしている家々から漂う匂いに、メルエが口を開いた。

 何とも和む口ぶりに、リーシャとサラは苦笑を浮かべ、夕方の市場に並んでいる魚へと視線を移す。漁の為に遠出は出来ないが、近海の魚であれば市場にも出回っているのだろう。未だに生きている物から、綺麗に血抜きされている物まで、様々な魚が並んでいる。メルエの手を引いて市場を回るリーシャの後ろで、カミュは大きな溜息を一つ吐いていた。

 

 目的地はエジンベアと呼ばれる国。

 誇り高く、他人への評価が厳しい国。

 

 太陽が沈み始め、光が届かなくなり始めた東の空のように、カミュ達の進む先に静かな闇が広がっていた。

 

 

 




読んで頂き、ありがとうございました。

大変遅くなりました。
決算時期って……なかなか難しいです。
しかし、なかなか進まない旅路。
次話も、もしかするとエジンベアまで辿り着けないかもしれません。
頑張って描いて行きます。

ご意見、ご感想を心よりお待ちしております。

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