After La+ ジュピトリス・コンフリクト   作:放置アフロ

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今話の登場人物

トムラ(機動戦士ガンダムUCより)
 《ダイニ・ガランシェール》の整備責任者。
 ストレス太りの部下がいたが、超巨大航宙蟹《メガラニカニ》のクルーとして取られてしまった。
 たまに、寄港すると何かに取り憑かれたように、月刊MSジャーナル誌の最新号を読みふける。



彼女の思い出

 

 《ダイニ・ガランシェール》のシャワー室のドア前で、腕組みするフラスト・スコールはひどく不機嫌だった。

 

「で、なんだお前ら?まさかのぞきに来た訳でもないだろう?」

 

 元々の目付きの悪さに加えて、彼の視線はかなり険を含んだものであった。

 シャワー室の中からは使用中と思われる微かな物音が廊下へと流れ出していた。

 そして、その狭い廊下で4人の男たちがフラストを取り囲んでいた。

 航空士のアレク、整備士のトムラ、そしてMSパイロットのクワイとアイバンである。

 

「フラスト、はぐらかさないでくれ」

 

 両手を腰に当てたトムラが飽きれたような、困ったような表情を見せる。

 他の3人はフラスト同様、腕組みし渋面だ。

 

「あんたがあの人に、パンツみたいに張り付きっぱなしだから、話ができなかったんだ」

「あのなぁ・・・、張り付かれているのは、俺の方なんだよ」

 

 声のトーンが上がっていき、フラストは怒気を含ませて言う。

 そこへMSパイロットのクワニが割って入る。

 

「とにかく、彼女がシャワーに入っているこの時間しか、今はフラストと腹割って話せないんだ。手短に行こう」

 

 ふたりにやんわりと自制を促す。

 マリア・アーシタが《ダイニ・ガランシェール》に乗船して2日が過ぎていた。

 船は《キュベレイ》を載せ、順調に火星に向かっていた。

 

 

 その女性パイロットは《ダイニ・ガランシェール》を停船させるとすぐに、貨物スペースにファンネルを付き従えたままMSを格納してきた。

 コクピットから出てきた彼女は、船長代行のフラストを呼びつけ、銃を突きつけるや、

 

『私は《ジュピトリスⅡ》護衛、ブッホ・セキュリティ・サービス所属のマリア・アーシタ士長だ。この船は私の指揮下に入ってもらう』

 

 いきなり宣言した。

 冷静さの中にも血気盛んなところを持つフラストが、マリアを見た途端に、その命令に黙って従う姿にクルーの多くが腑に落ちない様子であった。

 続けて、彼女は、

 

『船長代行には、可能な限り時間と行動を共有してもらう。これはお互いの安全保障のためでもある』

 

 といって以降の48時間を、どこへ行くにも、何をするにもートイレやシャワーを除き、就寝にいたるまでー、フラストと一緒に行動していた。

 彼女なりに船の責任者たるフラストへ向けて、銃を突きつけているつもりらしい。

 そして、今まさに、マリア・アーシタがシャワー室を利用している間隙を突いて、ドアの前で見張りに立つフラストの元に古参クルーの4人が集まったわけである。

 

 

「それで目的は何なんです、彼女の?」

 

 アイバンが背に体を預け、腕組みしながら不機嫌に言った。

 彼の《ギラ・ズール》は右手首、左腕を破壊されたあと、全身の装甲をファンネルより発せられた無数のビームに焼かれたが、それ以上の損傷はなく、今は貨物スペースで修理を受けているところであった。

 クワニの機体も同程度の小破である。二人共完全に『遊ばれた』わけである。

 

「まぁ、そう尖るなよ。ニュータイプにかかれば、俺たちなんてこのロートル船と同じオンボロに過ぎないよ。はは」

 

 クワニのセリフもアイバンには顔を背けさせただけだった。

 

「彼女の目的は最初にチャンの奴が言った通り、『火星に自分とモビルスーツを運べ』ってこと以外喋らん。こっちのことを全然信用していない感じだ」

 

 フラストの言葉に一同はため息を付く。

 続く沈黙を誰もが破れずにいた。

 

「それで、」

 

 額に巻かれたヘアーバンドをいじりながら、努めてさりげなく、トムラが言う。

 

「あの人自身のことを、どこまで聞き出したんです?」

 

 しかし、語尾が微かにかすれた。

 明らかにトムラは動揺していたが、実はそれはこの場にいる5人全員が同じであった。

 一際、長く深いため息をフラストは付いた。

 

「別に、・・・何も聞いてねぇよ」

 

 ぼそり、という感じでフラストがつぶやく。

 先ほどよりも長く、痛いほどの静寂と沈黙が続いた。

 

「だって、」

 

 やはり、それを破ったのは、意を決した感じのトムラであった。

 

「だって、あの人は・・・。

 彼女はどう見たって、マリー・・・」

 

 その時。

 電子音と微かなモーター音を響かせドアがスライドし、マリアが姿を見せた。

 上は白いTシャツに、下はカーキ色のハーフパンツというラフな格好だが、腰に下げた自動拳銃と右肩から下げたスリング付きのショットガンが異常であった。

 接近戦を考慮してか、ショットガンは銃身と銃床を詰めたソウドオフのスライドアクション式である。

 

「船長代行、ドライヤーが無いんだが、・・・」

 

 そこまで言って、マリアはこの狭い廊下に5人もの男がひしめき合っている状況に気が付いた。

 見れば、彼らは空間にその表情を張り付かせたようにして呆然としていた。

 生乾きの乱れた栗色の髪。

 意志の強そうな蒼い瞳。

 細い顎のライン。

 軍人然の硬質な口調。

 それらすべてがマリア・アーシタという目の前の人物でなく、まさしく『彼女』そのものであった。

 ただ違うのは、その長く伸びた手足に痛々しい火傷や裂傷の痕がマリアには無かった。

 何かを察したマリアは見る見るうちに目が険しくなり、肩のショットガンに手をかけた。

 

「お、」

 

 いち早く復活したフラストが、

 

「おい、おい、か、勘違いするなよ!?別にこいつらのぞきしようとしたとかそういうのじゃない!」

 

 弁明するが、ますますマリアの目つきは剣呑となった。

 

「ではなんだ?言ってみろ」

 

 質問というより詰問。ぐっと答えに窮するフラスト。

 

「あんた、なんで火星に行きたいんだ?」

 

 突如すべての状況を無視したように、アレクがマリアを見下ろして言う。

 マリアは上目遣いでその巨漢を睨みつけた。アレクはそのすさまじいプレッシャーに奥歯を砕かんばかりに食いしばった。

 どれほど、それが続いただろうか。

 

「説明する理由は無い。持ち場に戻れ」

 

 その燃える蒼い瞳が、この話は終わりだ、と雄弁に語っていた。

 不平不満の素振りを見せながらも、それぞれに彼らは去って行った。

 フラストもブリッジへ戻ろうとすると、

 

「今日も浴びないのか?」

 

 後ろから声を掛けられた。

 振り返ると、マリアはやや不満そうな、少し嫌悪するような表情を浮かべていた。

 

「そうだ、な・・・」

 

 普段の航行ではシャワーなど滅多に浴びず、せいぜいタオルで体を拭いて済ましていたが、

 

(さすがに、若い女と薄いカーテン一枚隔てて、同じ部屋の天井の下で寝てるんじゃ、アレだな・・・)

 

 わずかに、考え込んでからフラストはシャワー室のドアの電子取手に手のひらを合わせた。

 

「ここで待つ」

 

 という短いマリアの言葉を背に受け、フラストは中に入った。

 

 

(一体、俺はどうしちまったんだろうな・・・)

 

 考えをまとめようにも、頭がうまく働かない。ぼんやりとしながら、気が付くとフラストは宇宙用ミストシャワーの個室にたたずんでいた。いつどのように自分が服を脱いだのかもはっきりしなかった。

 ふと、個室の底の方に、細長い一筋のきらめきがあった。

 手に取ると、それは栗色の髪の毛、マリアのものであった。エアブローしきれなかったものが残っていたらしい。

 頭上の照明に透かすと、それはわずかにオレンジがかっていた。

 突然、フラストは人生で幾度目かになる感傷に襲われた。

 戦争に負けた日。

 故郷が連邦軍に焼かれたのを知った日。

 そして、かけがえの無い戦友であり、本当の妹とも思っていた『彼女』が死んだ日。

 同じ気持ちを味わった。

 

「は、はは、ははは・・・」

 

 力なく笑う。情けない。

 

「畜生ーぅ!!」

 

 フラストは思い切り壁を殴りつけた。

 拳の皮膚が裂け、血が表面にこびりつき、彼の『記憶』が廊下の外にまで飛び出した。

 

 

 廊下でふわふわと浮かびながら私、マリアはあぐらを組んでその瞳を閉じた。

 

(この船の感覚なんだろう。妙に懐かしい・・・)

 

 《キュベレイ》が格納されている貨物スペースも船首近くのブリッジも、初めて見て、経験したことのはずなのに、それが『初めてではない』ような奇妙な感触に私は感じられた。

 

(でも、この感じ。前にも一度あった・・・。

 アクシズの、・・・最後の戦闘)

 

 マリアは第一次ネオ・ジオン戦争が終結したときのことを思い出し、胸が重苦しくなった。

 

(あの戦闘で負傷した私は、《ネェル・アーガマ》に連れてこられた。あの船と同じ感じがする)

 

 当時はネオ・ジオンのMSパイロット、しかも強化人間という特殊な立場の私が、連邦軍エゥーゴ所属の宇宙艦艇《ネェル・アーガマ》に乗せられるなど思いも寄らなかったが、さらに、予想外だったのは初めて見る船内の様子に既視感を感じたことだった。

 

(あれはきっと姉さんの思い出のカケラが入ってきたんだな・・・)

 

 姉は私より数ヶ月も前に、従来艦である《アーガマ》に捕虜にされたと聞く。彼女の記憶の残渣のようなものを感じ取ったのか。

 

(でも、この船《ダイニ・ガランシェール》は私とも、姉さんとも、何のゆかりも因縁もないはず・・・。

 それにさっきの4人。・・・いやフラストも入れて5人の態度。

 ・・・いや、態度というより)

 

 彼らの私に対する心理のようなものが、不思議でならない。

 他のクルーは大なり小なり、私に対して恐れと敵意を持っていることが、肌に感じられる。それなのに、この5人は私をまったくそういうように思っていない。

 むしろ、抱いている感情は、

 

(憐れみ・・・、同情・・・、そして疑念・・・)

 

 義兄となったジュドーとその仲間に私が助けられたとき、彼らから向けられた感情に何か通じるものがあるように思えた。

 だが、その事をマリアが切り出し、フラストたちに尋ねる勇気は無かった。

 そうすると、何かが壊れてしまうような、危うさをはらんでいるような気がした。

 

 ガツッ

 

 その時、シャワー室から何かを殴りつけるような物音に私は目を開いた。

 

(!?なんだこれは・・・)

 

 私の視界に、腰まで届く長いオレンジがかった栗毛の女性の後ろ姿が飛び込んできた。

 

(ここは、・・・この船の廊下であることは間違いないようだが・・・、いや違うのか?)

 

 何となく、違和感があった。

 例えば、天井近くの照明のカバーの形が少し違っていたり、壁の色が違っていたり。

 

『ずいぶん伸びたな。少し髪切った方がいいんじゃないか、マリーダ?』

 

 私の口からフラストの声が発せられた。はっきりと内容は聞こえるのに、狭いトンネルの中でしゃべっているような反響した感触。

 その声に女性が私の方へ振り向く。髪から立ち上るかすかな甘い香りが私の鼻腔をくすぐった。

 豊かな栗毛が無重力の中で波打ち、その横顔を・・・。

 

 

 突然、情景が途切れた。

 照明カバーも壁の色も《ダイニ・ガランシェール》の現実へと戻っていた。

 

(あの声、・・・フラストだった。じゃ、今見たのはあいつの記憶・・・?)

 

 苦い気持ちが広がっていった。

 

「だから嫌なんだ、ニュータイプは」

 

 人の心の中へ土足で踏み込んだような感じがした。

 私はまた自己嫌悪し、ハーフパンツのポケットから安定剤のピルケースを取り出した。

 

 

 空気中に漂う機械油の匂い、グラインダーの甲高い騒音、溶接トーチから放射される閃光。

 それらが来る者の嗅覚、聴覚、視覚を刺激、演出し、ここがMSデッキであることを否が応にも理解させる。

 《ダイニ・ガランシェール》後部貨物スペースにて。

 

(なんでお前は今更、俺たちの前に現れたんだ?)

 

 トムラはそのMS、《キュベレイMkーⅡ改》を見上げながら思った。

 肩部のバインダーがオリジナルの機体よりも推力強化・延長されたそのシルエットは、トムラに別のMSを連想させた。

 

「トムラっ!」

 

 不意に名を呼ばれ、トムラは我に返る。

 見れば、キャットウォーク上をフラストとマリアがこちらへ無重力遊泳して来るところだった。挨拶代わりなのか、片手を上げたフラストの右拳には真新しい包帯が巻かれていた。先ほどシャワー室の前であったときには、それは無かったはずだ。

 

「どうしたんです、それ?」

 

 指差しながら、トムラが尋ねると、

 

「ん、んー、うん。なんでもねぇよ」

 

 はぐらかされた。

 

「トムラ整備士」

 

 今度はマリアの方がこちらへ話しかけてきた。彼女は先ほどと同じ格好だが、大きめのヘッドセットを付けている点は違っていた。

 髪はドライヤーで乾かしたらしい。

 

(サイコミュ・コントローラーとか言ったっけ?初めて見たけど)

 

 重度のMSマニアの上に整備士なんぞやっているので、どうしてもその方面の未知の知識や装備には目がいってしまう。

 それはヘッドセット自体が《キュベレイ》を遠隔操作できるデバイスであった。

 トムラはマリアが《ダイニ・ガランシェール》に半ば強引に乗り込んできた2日前のことを思い出した。

 

 

 その時、貨物スペースにはMSから降りてきたパイロットを狙撃する可能性もあって、コンテナの影にライフルを持たせたクルーを待機させていた。

 コクピットからパイロットが離れれば、MSは操縦者の意志を離れ、彼らの自衛手段は携行火器に限られると、思ったからである。

 ところが、コクピットを離れ船長代行のフラストと会話をしていたマリアは、《キュベレイ》の外からリア・アーマーに格納されていたファンネルを射出し、狙撃者が潜んでいたコンテナにぶつけてみせた。

 そのクルーは内壁とコンテナに危うく挟まれ圧死するところだった。

 

『私はいつでも、どこでもこの船を沈めることができる。小賢しいまねは止めな』

 

 彼女は傲然と言い放っていた。

 

 

「肩のマーキングがまだ消えていないが、どういうことだ?」

 

 マリアが顎をしゃくって《キュベレイ》の左肩を示すと、確かにそこには『赤い盾をバックに3本の交差する剣』のブッホ・セキュリティ・サービスを表す社章が描かれていた。

 

「私は2日前にこれを消すように指示したはずだ」

「それは聞いてはいますがね・・・」

「では、なぜすぐにやらない?」

 

 トムラの言葉に、応答するマリアの物言いは相変わらず疑問形ではなく、詰問であった。

 

「では言わせてもらいますがね、こっちも《ギラ・ズール》の修理で忙しかったんですよ。

 あなたがご丁寧にアイバン機の両手を壊してくれたお陰でね」

「そんなことを私は聞いていない。仕事の優先順位を間違えるな」

「りょーかい。今すぐやりまーす」

 

 トムラはぞんざいに答え、キャットウォークの手すりをつかんで、《キュベレイ》の方へ飛んだ。

 振り返り様に、

 

「火星に着く前には終わらせますよ。何だったら、新しくネオ・ジオンのマーキングも入れておきますか?」

 

 言うと「必要ない」と、憮然とした表情でマリアが返した。

 

「ああ、そういえば、」

 

 マグネット・ブーツを使い《キュベレイ》の左肩に器用に立つトムラが思い出したように言い、真下を指差した。

 

「そこの・・・、下の文字も消しときますか?」

「文字ぃ?なんだそりゃ?」

 

 しゃくれた顎をしごきながらフラストも怪訝な顔になり、トムラの指差す方を見る。

 

「どこだよ?」

「ほらそこの、腰の装甲のとこ」

 

 フラストが視線をやると、濃紺に塗られた《キュベレイ》の腰部フロントアーマーに白字で『龍飛』という漢字が書かれていた。筆で書かれたそれは、かなりの達筆だとその手の造詣に詳しくないフラストでも分かった。

 

「何なんだ、これ?」

 

 フラストが隣のマリアに尋ねると、

 

「ああいう風に書いて、《バウ》と読むらしい」

 

 彼女は答えるが、その表情はなぜか冴えない。

 

「《バウ》ってモビルスーツのか?」

 

 マリアが小さく頷く。

 型式番号AMXー107、通称《バウ》はネオ・ジオンが開発した分離可変型の第3世代MSである。

 先のラプラス戦争(第3次ネオ・ジオン戦争)でも、フラストらの所属する【袖付き】の一部部隊で運用されたため、その存在自体は知っていたが、詳しくはなかった。

 

「なんだフラストは知らないのか?おーい、スプレーガンとマスキング、こっちだ!」

 

 頭上のトムラが部下の整備士に声を掛けながら、フラストに言う。

 

「何をだ?」

「あの『龍飛』って文字もマーキングの一種だけど、あれは単に《バウ》って言う意味だけじゃなくて、グレミー・トト専用の《バウ》ってことなんだ。

 あいつの好みだったらしい」

 

トムラの言葉にマリアの肩が微かに震えた。

 

「グレミー・トトって・・・?

 【一月(ひとつき)天下】のグレミーか?」

 

 元ネオ・ジオン士官、グレミー・トト。彼が第一次ネオ・ジオン戦争の後期に起こした内部謀反が戦争終結の直接の引き金になったと、後世の通説となっている。

 

「あれさえ無ければ、ネオ・ジオンはもっと有利に連邦と和平交渉できたろうになぁ・・・。

 馬鹿野郎が、・・・余計なことしやがって」

 

 さも残念そうに、忌々しげにフラストが言う。

 

 

 現在より10年前、UC88年。

 ジオン残党の掃討を目的とする連邦軍特殊部隊・ティターンズ。

 連邦軍の主導権や宇宙移民政策でティターンズと対立するエゥーゴ。

 そして、小惑星ごと核パルスエンジンによって地球圏へ帰還したジオン残党のアクシズ。

 この三つ巴の中で勃発したグリプス戦役はティターンズ、エゥーゴ双方が戦力の大半を喪失する中、アクシズは戦力を温存することに成功。組織をネオ・ジオンと改称し、地球侵攻を開始する。ダカール占拠、ダブリンへのコロニー落とし、連邦からのサイド3譲渡など戦いと交渉を有利に進めていた。

 そこに前述の内乱が発生し、疲弊したネオ・ジオンは結局連邦に屈服することとなった。

 

 

 フラストが残念がるのも無理がないと言える。

 しかし、隣のマリアの表情が暗く沈んだままなので、フラストはあえてこの話題を続けようとは思わなかった。

 

「それでどうするよ、あの文字?消すか、残すか?トムラみたいに知ってる奴が見れば、何か変に思うかもな」

 

 マリアはしばらく逡巡していたが、おもむろに、

 

「文字は・・・、残しておいてくれ」

 

 うつむいたまま、隣のフラストだけに聞こえるような小声で言った。

 

「わかった」

 

 頭上ではちょうどトムラとアシスタントの整備士が左肩の社章のまわりをマスキングし始めているところだった。

 少し不安になり、フラストは尋ねる。

 

「ところで、《キュベレイ》をどうするつもりだ?まさか、火星面コロニーに直接こいつで乗り込む訳じゃないだろうな?」

 

 フラストは先日、補給物資を届けたばかりの、地下コロニーを思い出した。

 

 

 火星開発の歴史は古い。

 旧世紀、西暦の無人探査機、そして少数宇宙飛行士による有人探査、入植。地球連邦政府が樹立されてからは、人類宇宙移民計画の一貫として、主にテラフォーミング(火星地球化計画)に注力された。

 

『夢の惑星・火星』

 

 一時はそう言われたこともあったが、遅々として進まぬ、大気改善と気温上昇、そして、絶対的な問題として、地球からの距離があった。

 火星は人類にとって、距離も科学力も遠すぎたのだった。

 やがて、移民計画の主軸は、月と地球間に発生する力場の拮抗点、ラグランジュポイントに人工の居住地スペースコロニーを建設する方向へと変わっていき、火星はいつしか宇宙の田舎となり、人々の記憶から忘れ去られていった。

 しかし、ジオンは軍事拠点および、火星・木星間のアステロイド・ベルトへの中継地点としての価値を火星に見出していた。

 いつから火星面コロニーを建設していたか、はっきりとはしないが宇宙世紀80年代初頭には、すでにマリネリス渓谷の最深部にシールドマシンを使って横穴を掘り始めていたと言われる。

 一年戦争の敗戦後ということもあり、開発進捗はゆっくりとしていたが、それでも現在まで拡張工事は続けられ、構造はアリの巣状に複雑になっていた。

 裏に回れば、連邦軍に対し抵抗活動を続ける【火星ジオン】のアジトであるが、表向きはサイド6の火星開発基地として、鉱山業、テラフォーミングの基礎研究などで民間人も多く生活していた。

 

 

「そうだな・・・」

 

 細い顎に指を当て、考え込むマリア。

 

「それはやめておこう」

 

 フラストはその言葉にほっとした様子を見せる。

 

「それが賢明だな」

 

 遠い目をしてマリアが答える。

 

「フラストの口からそんな言葉を聞くとは思わなかった。

 昔、私もコロニーの中でモビルスーツを使ったことがあるが、気持ちの良いものじゃない。火器はろくに使えないし、下手に撃てば、巻き添えの数もおびただしい。

 お前ら【袖付き】がインダストリアル7でやったようにな」

 

 フラストは、ぐっ、と言葉につまった。

 

 

 【インダストリアル7遭遇事件】

 

 新サイド4(旧サイド5)のコロニーで起きた事件は、遠く木星間往還中だった《ジュピトリスⅡ》にさえ、大きく伝わった。

 〈インダストリアル7で大規模テロ〉〈ネオ・ジオンのゲリラか?〉〈死者・行方不明者600人以上〉

 マリアにも当時のネットを駆け巡ったニュースのヘッドラインは記憶に残っている。

 当初事件はテロ、歩兵・ゲリラ戦闘などのLIC(低強度紛争)程度の取り上げ方であったが、実際は連邦ロンド・ベル隊とネオ・ジオン【袖付き】間で発生した大規模MS戦であった。

 コロニー内で展開された戦闘は、ビームライフル、偶発的に起きたMS核融合炉の爆発などにより、避難する間もなかった非戦闘員の多くが犠牲となった。

 

 

 フラストが苦渋の顔で言い返す。

 

「こんな言い方は俺もしたくないが・・・。

 残念な結果だったが、あれは事故だ」

「それを死んだ遺族に伝えたらどうだ?」

 

 即座に、ぶすり、という感じでマリアが言う。

 

「『ご愁傷様です。我々のモビルスーツが暴走して、あなたの大切な人を焼き殺してしまいました。ただの事故です』とな。

 お前たちが何と言おうと、どう繕おうと、彼らにとっては大切な家族を奪ったモビルスーツは悪魔か、死神でしかないだろう?」

 

 マリアの口調はあくまで静かだ。非難というより、諭すようなものに近い。

 だが、だからこそフラストは反論のしようがなかった。

 

「お前も兵士なら分かっているだろう?戦場での敵味方の生き死には自分らで負うしかないことを。

 たとえ、上官や戦友を殺されたとしても」

 

 期せずして、金髪のネオ・ジオン士官と、彼を殺した自分の義姉の姿がマリアの脳裏をよぎる。

 

「だが、彼らは兵士ではない。戦争とは無縁と思っていた民間人だ。明日の予定や将来の夢や希望を持ちながら、平凡な人生を歩んでいた普通の人間だ。

 遺族はあのMSパイロットを八つ裂きにしても飽き足らないだろう」

(そんなことは分かっているよ。俺だって故郷を連邦に焼かれたんだからな)

 

 しかし、そんなことを言っても、不幸自慢でしかないフラストは黙った。

 ふと、《キュベレイ》を見上げながら語るマリアを盗み見ると、彼女の横顔は人生に抗いながらも抗いきれぬ、諦めが入り混じった憂いを浮かべていた。

 こちらの視線に気付いたマリアはフラストを真正面から見据えた。

 

「《クシャトリヤ》といったか?その後、あのMSのパイロットはどうした?」

「戦死した。2年前、ラプラス戦争でな」

「そうか。残念だ」

 

 大して残念そうでもない口調で言うと、マリアはこの話しには興味が無くなったようになり、また《キュベレイ》を見上げた。

 そして、おもむろに言う。

 

「《キュベレイ》はいつでも使えるようにして港の倉庫街に隠しておこう。実際にこれを使えば、3桁以上の人が死ぬかもしれない。

 ・・・できれば使いたくないが、私にとっても保険は必要だ」

 

 《キュベレイ》をコロニー内で使う可能性を排除しない。それは先の【インダストリアル7遭遇事件】で多数の民間人を殺した《クシャトリヤ》のパイロットと同じことをするかもしれないということだ。

 

「フラスト、『龍飛』の本当の意味を知っているか?」

「??」

 

 マリアは《キュベレイ》を見上げたまま、フラストに尋ねる。沈黙を彼の答えと理解したマリアは続ける。

 

「『龍飛』は『空を駈けるドラゴン』という意味だ」

 

 彼女の言葉に、改めてフラストがその達筆を見ると、何やら禍々しい印象を持って迫ってくるような気がした。

 

 


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