After La+ ジュピトリス・コンフリクト   作:放置アフロ

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始動!キュベレイMkーⅡ改

 私、マリア・アーシタが懲罰房に押し込められて、3時間が経った。

 3メートル四方の空間。飾り気のない白い壁紙と天井。ベッドはなく1枚のシーツのみ。ぽつりと部屋の片隅にある便器。

 それが今の私を取り巻く状況のすべてである。

 

(いや、あとこれがあった)

 

 床に仰向けに寝転んだ私は、腰のポーチから古めかしい円形のペンダントウォッチを取り出した。その他の所持品であるIDパスカード、精神安定剤の入ったピルケース、拳銃などはこの部屋に入れられる前にすべて没収された。

 頭上にペンダントを掲げ、五芒星が描かれた蓋を開き文字盤を確認すると、同時に電子オルゴールのもの哀しげなメロディが流れた。

 そのペンダントは外蓋が二重蓋になっていた。慎重にそれを開けると、中から一本の金髪が滑り落ちてきた。

 ゆっくりと低重力下を自由落下するそれを、私は片手で受け止めた。照明に透かしてみると、それは湖面に反射する太陽のようにきらめいていた。

 

(キア・・・)

 

 そのペンダントは誕生日プレゼントとしてキアーラが私に送ったものだった。

 

(もっとも、生まれた日が分からない私は、《ジュピトリス》に来たあの日・・・)

 

 クルーと一緒に決めて、亡命した10月10日を私の誕生日にした。

 その日は、私の・・・。

 私の大好きなお兄ちゃんの誕生日でもあった。

 

 

「「♪Happy birthday to you,

 Happy birthday dear Maria and Judau,

 Happy birthday to you....♪」」

 

 私は勢いよく息を吹きかけ、13本のロウソクに灯った火を吹き消した。隣のジュドーお兄ちゃんも私に続いて、自分のケーキのロウソクを吹き消していた。

 

「「おめでとう!マリア、ジュドー!!」」

 

 私はチョコレートケーキももちろん楽しみだったが、何より皆からの拍手と祝福の方がはるかにうれしかった。

 ピューという口笛やクラッカーの乾いた音が爆ぜ、誰かが私の頭にキラキラと飾り星が付いたトンガリ帽子をのせる。

 

「ありがとう!」

 

 今までの人生でこれ以上の笑顔があるかな?

 パーティーの前に着替えたこの薄ピンクのワンピースも、鏡に映った私が私じゃないみたいに、かわいく思えた。

 

「お、プルツー・・・、じゃなかった。

 マリアもやっとプルみたいに、ちゃんと笑えるようになったじゃないの」

「ったくもう!ジュドーあんたねー、いい加減マリィの名前覚えなさいよ!せっかく私が付けてあげたのに。

 大体、そんな難しい呼び名でもないでしょうに!」

 

 お兄ちゃんとルーお姉ちゃんが早速ケンカを始めそうになったので、慌てて私は止めに入った。

 そしたら、私よりずっと大きな逞しい腕がふたりを引き離してくれた。

 

「おいおい、またケンカかね?ケンカするほど仲が良いとは言うが、今日は君とマリアが主役なんだから。

 主役の片方に仲裁されているようじゃダメだなぁ」

「すいません、バッハ副長」

「副長はいらんよ、ジュドー君。今は勤務中ではないのだし、祝いの席だ」

 

 そう言って、バッハさんは後ろ手に隠していたものを私にプレゼントした。

 

「きれい・・・」

 

 バラの花束だった。

 

「《ジュピトリス》で人工栽培されたものだが、造花ではない本物だよ。もうすぐ大人の仲間入りする君にはこういうものの方がいいかと思ってね」

 

 そう言って、バッハさんは下手なウインクを私に送ってみせた。

 受け取った花束に顔を近付け、目を閉じ、大きく深呼吸する。甘い香りが鼻を抜け、頭の深いところへ漂っていくようだった。

 

「ありがとう、バッハさん」

 

 私は少し頬を赤らめながら、お礼を言う。

 すると、

 

「わっ!」

 

 後ろから頭を抱きかかえられた。

 

「ちょっと、バッハさん!」

 

 それはルーお姉ちゃんだった。私の頭をぎゅっ、としながらさらに続ける。

 

「いくらマリィが将来有望だからって、この子はまだ子供なんだから、そういう下心はやめてくださいね!」

「え、いや、私は別に、・・・」

 

 なんでバッハさんは口ごもっちゃうんだろう・・・?

 

「あ、ひょっとして・・・」

 

 お姉ちゃんの目が細くなって、ますます怖くなった。

 

「子供がいいんですか!?そういう趣味があるんですか、バッハさん!」

「いや、いや、いや、そんなことはないよ!」

 

 バッハさんは慌てて目の前で手を振るけど・・・。

 

「いやー、バッハさんも好き者なんだなぁ」

「こらっ!ジュドーォ!!あんたはーぁ、言って良いことと悪いことが・・・」

 

 お兄ちゃんの最後の一言で結局ケンカになっちゃった。

 私はもうふたりのケンカを止めるのは諦めた。それより、ケーキの方がずっと気になっていたし。

 

「あの・・・、マリィ?」

 

 肩に寄りかかる感触があった。

 

「あ・・・、キア、うん。

 ・・・どうした?」

 

 私はすぐ隣に体を寄せているキアに気が付かなかった。

 

「あの・・・、これ、プレゼント」

 

 キアは恥ずかしそうに、うつむきながら小さな箱を差し出した。それはピンクのかわいいペーパーリボンで飾られていた。

 

「え!?あ、ありがと」

 

 私は正直、うれしさより驚きの方が大きかった。

 キアとはネオ・ジオンから一緒に逃げてきたけど、その後はお互いの立場の違いもあって、そんなに話すことがなかったし。お兄ちゃんやお姉ちゃんたちと過ごす時間の方が多かった。

 

「開けていいか?」

 

 私が聞くと、キアはこっくりと頷いた。

 わくわくして、包みを剥がすと、

 

「えーと、これ・・・、ペンダント??」

 

 ちょっとがっかりだった。大きくて重くて持ち歩くのに不便だ。なんかデザインも少し・・・、いや大分古めかしい。

 

「それね、時計なの。電子オルゴールにもなってて開くと、メロディが流れるから」

「そうなのか?」

 

 ちょっと期待して、蓋を開くとやけに哀しくなるメロディが流れ始めた。どう考えても誕生日には似つかわしくない。

 ますますがっかりだ。こんなのくれるぐらいなら、お菓子の方がずっとうれしいのに。

 

「それでね・・・」

 

 まだキアが言いつづけていた。私は早くケーキを切り分けてくれないかなぁ、と上の空になった。

 

「蓋が二重になってて、そこに私の髪の毛が入っているの。

 あなたのことをずっと守るように息を吹きかけておいたから・・・」

 

 その時、バーバラさんがこちらに歩いてきて、

 

「さぁ、お楽しみのケーキよー。まずは主役のマリアちゃんからね」

「うわぁ!」

 

 一番大きくカットしてもらったケーキを持ってきてくれた。

 『Happy Birthday』とホワイトチョコで書かれた板チョコもちゃんと上に乗っている。

 キアもバーバラさんからケーキを受け取ったみたいだ。

 

「一緒に食べよう!キア」

 

 私が言うと、キアはとてもうれしそうに笑って頷いた。

 でも、エメラルドグリーンの瞳は

 

(なんで涙を浮かべているだろう・・・?)

 

 

 目が覚めた。

 

(私は、・・・眠っていたのか?)

 

 ペンダントウォッチを確認すると、30分ほど経過していた。

 夢から覚めた瞬間、夢の内容が何だったのか、分からなくなることがあるが、今のマリアははっきりと覚えていた。

 

(あの時のチョコレートケーキ、・・・おいしかったな・・・)

 

 急に空腹感が襲ってきた。

 と思った途端、くぅ、とお腹が小さく鳴った。胃に両手を当てさすっても、出てくるものは嘆息しかない。

 すると、懲罰房に続く外の廊下をこちらへ近付いてくる気配がする。

 

(この歩調と足音は・・・、カールと、・・・BB?)

 

 私は仰向けの姿勢から、半身を起こしてドアの方を見やった。

 外で看守の警備要員と二言三言交わすとロックが解除される短い電子音の後、予想通り、BSS制服の上司カール・アスベルと連邦軍士官服の一等航宙士バーバラ・ボールドウィンー親しい者は『BB』と呼ぶーだった。

 

「ここは俺が見てるから、たまには美味い飯でも食ってこいよ」

 

 カールが自分のマネーカードを警備要員に差し出す。彼は困った表情だったが、階級の力関係とカールの人柄に結局は折れたようだ。

 

「ひとつ貸しですよ、アスベル司令補」

 

 そう言ってマネーカードの暗証番号を聞くと、警備要員は食堂の方へ去って行った。

 

「合成肉じゃないステーキでも食えよ!」

 

 カールが後ろ姿に声をかけると彼は振り向かず、ただ手をひらひらと振って答えた。

 

(ステーキ・・・!)

 

 その単語に刺激されたか、今度は先ほどよりも幾分大きく、尾を引くように長く私のお腹が鳴った。

 

「あら、・・・」

 

 見れば、食事トレーを持ったまま、こちらを見下ろすバーバラは目を丸くした。

 

(あ、聞かれた・・・)

 

 私が照れ隠しにちらりと舌を出すと、バーバラはやさしげに微笑んだ。

 

「こんなものしかなくて、ごめんなさいね」

 

 バーバラは腰を下ろすと、手にしたトレーを手渡す。宇宙用MRE(Meal.ready-to-eatー携帯用糧食)だった。連邦軍で使用されているそれは味に定評があった。

 とにかく、不味い。

 

「元はと言えば私が悪い。勝手に爆発してお養父(とう)さんに、・・・バッハさんに怒られたんだから、BBが謝ることにゃにゃい」

 

 早速クラッカーのパックの端を咥えて口と片手で開封しながら、私は答える。

 その様子を見て、またバーバラが微笑んだ。

 

「お腹空いてたのね」

 

 頷きながら、私の口はひたすら食べることに集中していた。

 オレンジジュースとクラッカー。ソーセージペーストにミックスドライフルーツ。

 例によって、ジュースは合成甘味料そのもの。ソーセージペーストも大豆とプランクトンから作られた合成品なので、味は最悪だったが、空腹のためにそれほど気にならなかった。

 わずか5分で食べ終えると、見計らったようにドア外のカールが言う。

 

「意外と元気そうじゃないか」

「怒るとお腹空くんだ」

「確かにな・・・。さっきのお前の剣幕には正直俺もビビったよ」

 

 私はちょっと拗ねたように、栗色の横髪を指に巻きつけていじっていた。

 うつむき加減のバーバラが独り言のように言う。

 

「おかしいね。こんな大変なことになってるのに。パイロットもクルーも何人も亡くなっているのに・・・。

 私ね、うれしかったの」

「???」

 

 何のことをバーバラが言っているのか、私は計りかねた。

 

「マリィがあんなにキアのことを心配してくれて。『ひとりでも助けに行く』って・・・」

「あ、あぁ・・・」

「私もキアを助けるためにできることをしたい。でも私は戦う術を知らない。モビルスーツも扱えない。鉄砲だって、訓練でしか撃ったことない。

 結局私には何もできない・・・」

「・・・・・・」

 

 それは違う、と言ってもバーバラには何の慰めにもならないと思った私は、沈黙することしかできなかった。

 その沈黙を破ったのはカールだった。

 

「バーバラ、ちょっと外してもらえるか?」

「ええ。いいわ」

 

 最後に私の方へ悲しげな微笑みを向けたバーバラは、ドアの向こうへと消えた。

 ドアも閉めたカールと私は狭い懲罰房に2人きりとなった。

 カールはあぐらを組んで、私の視線を正面から見据える形となった。

 一段と低いトーンの口調でカールがしゃべり始める。

 

「お前、さっきの会議で『自分ひとりでもキアーラを助ける』って言ったな?あれはお前の本心か?いまもそう思ってるか?」

 

 私の蒼い瞳に力がこもった。

 その決意に揺らぎは無い。問題は、

 

(カールがバッハさんの手先で私の真意を探りに来ているのか、それとも私の協力をしてくれるのか・・・)

 

 であった。

 

「どうなんだ、マリア?」

 

 カールは真顔でこちらを見つめていた。その黒い瞳は底が見えない。

 どれくらいそうしていただろうか。

 唐突に私はふっ、と笑いながら視線を外した。

 

「そんなこと決まっているじゃないか、・・・」

 

 一瞬、カールの緊張が緩むのが分かった。

 その刹那、

 私は電光石火で飛びかかった。

 

(あっ・・・!)

 

 と言う間も無く、後ろに回り込むと、私の左腕はカールの首へ蛇のように巻きつき、右手は彼の腰のホルスターから拳銃を奪い取っていた。

 

「動くな」

 

 左腕で首を締め上げながら、私は銃口をカールの脇腹へと押し付けた。

 

「ぉ、・・・ぉぃ、おぃ、正気、かよ?」

 

 苦悶の表情を見せながらも、カールが必死に声を出す。

 

「私は正気だし、本気だ。このままMSデッキへ行け。《キュベレイ》を奪ってでもキアを助けにいく」

「ぐ、・・・バーバラは、どうする?すぐ、・・・そこに、ぃるんだ・・・ぞ?」

「BBは私の人質になってもらう」

 

 その時、何事か察知したらしい、バーバラが、

 

「カール!?マリィ!?どうしたの?何があったの?」

 

 悲鳴に近い声を発した。

 迷っている猶予は無かった。

 

(カールの首を締め上げて気絶させて、すぐに外のBBを捕まえる。それから・・・)

「ま、待て、待て!!分かったから、落ち着け!俺はお前の味方だっ!」

 

 全力を振り絞って出したカールの声に思わず、首を締め上げていた腕の力が緩んだ。

 途端に、カールは私の腕の呪縛を下へとくぐり抜け、座位のまま右手首を掴まれた。

 

(しまっ・・・!)

 

 思ったがもう遅い。

 万力に挟まれたような激痛に拳銃を取り落とし、そのまま関節をひねり上げられた。

 

(折られる!)

 

 私は咄嗟に抵抗せず、ひねられる方向に投げられることで手首を破壊されることだけは逃れた。しかし、強かに背中を床に打ちつけた。低重力区画にも関わらず、衝撃に肺から空気が押し出される。

 間髪をおかず、上から抑え込まれた。

 

「ぐ・・・ぬかった・・・」

 

 唇を噛んだが、この形勢、体格差はもはやどうなるものでもない。

 

「油断大敵だな。お前に柔術を教えたのは俺だぞ。体の使い方がまだまだだな」

 

 バーバラが再びドアを開けるや、上四方固めに押し倒された私を見て、口に手を当て驚愕の表情を浮かべた。

 

「落ち着け、バーバラ。マリアは合格だよ」

 

 そう言うや、すぐにカールは私への戒めを解いた。

 今度は油断無くカールに向き直るが、もはや彼に格闘する意志は無いらしく、肩をすくめて見せた。

 

「言ったろ。『俺はお前の味方だ』って。

 今、MSデッキでイイヅカさんが大急ぎで《キュベレイ》を使えるように整備してる」

 

 その言葉に私は呆然とカールを見つめた。

 私に締め上げられた首をさすりながら、カールは続けた。

 

「お前を試すような言い方だったとはいえ、まさかここまでやってくるとは正直思わなかったぜ」

「す、・・・すみません」

 

 私は素直に頭を下げる。

 

「もういいって。しかし、その決心が本当だってことは分かった。言っておくが、このことは艦長は知らない。

 俺とバーバラとイイヅカさん。そして、マリア、お前の4人だけのことだ。

 言っている意味が分かるな?」

「・・・め、命令違反とか?」

 

 私がおずおずと聞くと、カールは首を振った。

 

「逃亡幇助、モビルスーツの私的占有。ひょっとすると、同僚に対する暴行罪。下手をすれば、反乱罪で」

 

 そう言いながら、カールは先ほど私に締め上げられた首を今度は自分の両手で締めて見せた。

 

「そ、そんな、・・・そんなこと言われて、私ひとり出ていくなんてことできる訳無いじゃないか!?」

 

 私が青くなって、不安と心配が入り混じった顔で抗議すると、カールはからからと笑った。

 

「いくらなんでもバッハ艦長はそこまではしないだろう。逃げたお前の代わりに、俺たちが懲罰房にぶち込まれるぐらいだろう」

「・・・からかったのか?さかしいな」

 

 私の蒼い瞳は再び険悪になり、わなわなと両手の拳を固めた。

 

「怒るな、怒るな。首締め代だ」

 

 カールは平手でとんとんと自分の首を叩いて見せた。私はちょっと唇を尖らせた。

 しかし、急に真面目な表情を見せるカールに、私はどぎまぎした。

 

「これは賭け。自分の命を賭けることになる。それでも、・・・やるか?」

 

 脅すような口調だった。

 しかし、私はしっかりとカールの目を見据えながら言った。

 

「私の命だけじゃない。キアの命も賭けることになる。でも、何もしなければ、彼女の命はいたずらに奪われるだけだ」

 

 私はバーバラの方を見て力強く頷く。頷き返す彼女の目にはまた光る物があった。

 

「彼女の命を救うためだったら、私は自分の命だって賭ける」

「・・・分かった。作戦がある」

 

 

 艦橋に新たに入ってきた人物が、ウド・バッハ艦長その人だと分かり、通信席のヴァルターは慌ててあくびをかみ殺し、立ち上がって敬礼した。

 無重力空間を泳ぎながら、返礼すると、バッハは

 

「よい。楽にしてくれ」

 

 キャプテン・シートに腰を落ち着けながら言った。

 

「いえ、艦長こそ。先ほど休憩に行かれたばかりではありませんか?」

「うむ」

 

 バッハは目頭を押さえながら、肯定とも、ただのつぶやきとも取れる曖昧な口ぶりだった。

 

「ちょっと考えごとがあってな。ベッドで横になっているより、ここで静かにしている方がまとまりそうなんだ」

「そうですか。しかし、あまり無理はなさらないでください。この上、艦長にも倒れられたら、一大事ですから」

「わかっとるよ」

 

 バッハはそう答えたが、正直体の疲労は極度に達し、肉体のあちこちに鉛でも詰め込まれたかのような、重さ、だるさであった。

 にも関わらず、彼の神経を高ぶらして止まない異常な事態であった。

 

「コーヒーでも入れますか?」

 

 というヴァルターを手で制し、バッハは静かに目を閉じ、状況を精査する。

 

(どうも、この事件不可解なことが多い)

 

 である。

 まず、気がかりなのが《アイザック》2機がほぼ同時に謎の行方不明を起こしたことである。

 これが整備不良や岩石との衝突などによる事故にせよ、パイロットの意図した逃亡・離反にせよ、当時《ジュピトリスⅡ》のCICで機体のステータスをモニターしていた6名の要員が気付かぬはずは無い。

 ところが、彼らも時を同じくして、突如意識を失い、前後不覚に陥っていた。衛生長の報告によると、6名全員の体内から、遅効性睡眠導入剤が検出された。

 

(どこで?いつ?誰が仕組んだ?)

 

 である。

 さらには、マリア・アーシタ専用機である《キュベレイMkーⅡ改》の急な整備申請。

 本来、来週行われるはずだった、定時整備が敵襲のタイミングに合わせるように変更されていた。

 明らかに、何者かのデータ改竄の形跡が疑われる。

 

(まるで、《キュベレイ》を動けないように縛っておかれたようなものだ)

 

 極めつけが、《ジュピトリス》内部コンテナ集積所への突然の奇襲、キアーラ・ドルチェの拉致である。

 これだけの偶然、異常事態が重なれば、

 

(艦内に内通者がいる)

 

 と考えるのが当然であった。

 

(火星人め、何を考えている。今更ミネバ・ザビの影武者と、『アレ』を使って、何をしようというのか)

 

 バッハが危惧する『アレ』とは、奪取されたコンテナの中身のことであった。

 それこそが、彼の心を揺さぶらして止まない災厄であった。

 

(そもそも、なぜ『アレ』が、あんなものがこの《ジュピトリス》にある?この艦長である私が預かり知らぬところで!)

 

 奪われそうになった3個のコンテナの内、死守した2個は敵を撃退した後、現在は厳重な警備の元、余人の近づかぬ集積所の奥へ格納されていた。

 

(だが、たったひとつだけでもこの宇宙にまた戦争を呼び込むかもしれない。やはり、ここは上層部、連邦政府にことの次第を知らせるしかないか)

 

 自分の管理能力、事態を収束させる能力の無いところは痛感させられたが、バッハは地球連邦政府に事件とコンテナの中身を伝えたところで、

 

(果たして、状況は好転するだろうか?混乱を招くだけでは)

 

 考えあぐねていた。

 

(単に私が腹切って済む問題ではない)

 

 である。

 

(ああ、こんな時にジュドーとルー君がいてくれたならば!)

 

 バッハは第一次ネオ・ジオン戦争の英雄であり、有能な元《ジュピトリス》クルー、ー現在はハネムーンで一年前から木星圏に滞在しているーのふたりを思い出し、頭を抱えたくなった。

 

(ジュドーは思慮浅いが、それが逆に状況を突破する起爆剤になっていたし、ルー君が突っ走る彼を補佐してバランスを保っていた)

 

 今の《ジュピトリス》には良くも悪くも彼らのような勢いのあるスタッフは少なかった。

 

(いや、マリアがいたか。しかし)

 

 ジュドーの義妹マリア・アーシタは有能なMSパイロットであったが、最近は精神安定剤を常用するなど問題があった。

 

(だが、それは彼女が人工ニュータイプだからではない)

 

 バッハはネオ・ジオンから亡命してきたマリアとキアーラのふたりの養父となり、実の娘のように思い、8年間公私ともに支え続けてきた。

 だからこそ、彼はマリアが最近になって安定剤を飲み始めたことも知っていた。

 『人間兵器』として生み出されたマリアは戦争中、数々の人体実験、薬物投与、心理操作などを強制され、《ジュピトリス》亡命直後もPTSDやフラッシュバックに悩まされたりもしたが、ジュドーとルーを初めとする周囲の支えもあって、亡命一年後には13歳の年頃らしい少女の笑顔を取り戻していた。

 その後の数年間は、平和とは言いきれなくとも、まず順調であった。

 マリアは《ジュピトリス》護衛のMSパイロットとしての資質を遺憾無く発揮し、キアーラも持ち前の危険予知・回避、勘の良さから航宙士の務めを果たしていた。

 ジュドーとルー、マリアとキアーラ。彼ら4人の少年少女たちは血の継がりこそ無いが、仲良くたわむれる姿は本当の兄妹・姉妹以上で、閉鎖された空間の《ジュピトリス》内で他のクルーたちも『家族』を感じることができる、ある種の精神カンフル剤になっていた。

 ところが、一年前、ジュドーとルーが長期休暇のために下船、《ジュピトリス》を離れると、少しずつマリアの表情、しぐさ、口調は以前の『人間兵器』のように固くなっていった。

 そして、その頃に起きた『ある事件』を境に彼女は医務室に通い、安定剤を処方してもらっていた。

 

(私に彼女の家族・・・、父親は務まらんのか)

 

 マリアの階級を剥奪し、現場から遠ざけたのも、バッハなりの代父としての配慮であった。

 

(キアーラを、・・・助けに行くと言ったが)

 

 もうひとりの娘のことを思うと、胸が張り裂けそうなのは、バッハとて同じことであった。

 

 

 内線の電子音に、バッハの思考は一時中断された。

 通信長のヴァルターがその受話器を取る。

 

「こちら艦橋だ。うん、・・・それで整備長はなんと?・・・手が離せない?・・・いや、そういったことは聞いてはいないが、・・・」

 

 受け答えしながら、ちらちらとヴァルターがバッハの方へ怪訝そうな横目をやる。

 

「どうした?」

「はい、MSデッキからなんですが、・・・」

 

 受話器を一旦離し、スピーカーを押さえながら、ヴァルターは困惑した表情でバッハへ向き直る。

 

「次のシフトで出る予定のモビルスーツ用の推進剤が無くなったそうで、倉庫から新しく推進剤を出したいと。

 それでプチモビの使用許可をくれと言ってまして」

「デッキ在庫の推進剤が無くなった?」

 

 わずかに、語彙を言い換えながらバッハが再度ヴァルターに確認する。

 

「はぁ・・・」

「なぜだ?行方不明機の捜索の前に大量に搬入しただろう」

「はぁ・・・」

 

 受話器を片手にしたヴァルターとの会話は要領を得ない。

 バッハはキャプテン・シートの肘掛けにある艦長専用の受話器を取り、会話を引き継いだ。

 

「艦長のバッハだ。なぜ推進剤がそこに無いんだ?説明したまえ」

『あ、艦長。自分はドイルです。それで、・・・推進剤はプロペラントタンクにすべて詰め込んでしまいまして。

 ここにある推進剤、全部使ってしまったんですよ』

「プロペラントタンク?増槽か?」

 

 バッハはオウム返しに尋ねた。

 

『はい。長時間哨戒のために使うって聞いてますけど。もう機体にも取り付けましたよ』

「なんの話だ?そんな命令は出していない。誰がそんな指示を出している?」

 苛立ちと同時に不安が立ち昇ってきたバッハは語気が荒くなっていった。

『え!?そうなんですか?整備長が言ってきたんですけど。

 イイヅカさんも《キュベレイ》の整備終わらせてるかもしれないんで、連れてきますね。ちょっとお待ちください』

「《キュベレイ》の整備ぃ?」

 

 おもわず、声のトーンが上がった。

 

(そもそもサイコミュ搭載機でマリアしか扱えないようなMSだ。パイロットを拘禁しているのになぜ整備などする必要がある?

 まさか、・・・!!)

 

 そう逡巡したところで、バッハの脳裏は閃いた。

 

「おい、ちょっと待て!!プロペラントタンクは一体、どのモビルスーツに付けた・・・」

 

 続く言葉は、受話器の向こう側から聞こえてきた、悲鳴、怒号、そして、モビルスーツのスピーカーから発せられる大音量にかき消された。

 

『デッキの整備員は早くエアロックに入れ!さもないと、宇宙の漂流者になるぞっ!!』

 

 スピーカーごしのそれは紛れもなく、マリア・アーシタの声であった。

 

「ヴァル、至急緊急サイレンを・・・!」

 

 バッハが受話器を叩きつけ、通信長に急を伝えようと、声をあげた瞬間、艦橋まで小さい衝撃と細かい振動が伝わってきた。

 ヴァルターが腰を浮かした時には、舷側をすれすれで擦過したMSが艦橋正面のワイドモニターに巨大な蒼い炎を咲かせるスラスター・ノズルを見せながら遠ざかって行った。

 その直後を2個の小さな影が子犬のように付き従っていた。

 

(ファンネル!デッキの中であれを使ったのか!?)

 

 バッハは歯噛みした。

 大柄な人間サイズのファンネルと呼ばれる漏斗形状の機動兵器は、その姿・大きさからは計り知れぬほど、危険な『ソラ飛ぶビーム砲台』であった。

 艦首直上でAMBACとバインダー・スラスターを使った華麗なピボット・ターンでそのMSは振り返った。

 濃紺の機体色。肩から伸びるバインダー。ヤギとモグラを掛け合わせたような頭部。異形の人型。

 そして、長く、太く、巨大な長距離航宙用プロペラントタンクが2基、腰の左右に取り付けられていた。

 

「《キュベレイ》・・・」

 

 バッハは苦々しげに呟く。

 

(まさか、お前が内通していたのか・・・?いや、誰かにそそのかされたのか・・・?)

 

 バッハには一瞬、《キュベレイ》が別れを告げるために振り返ったのではないか、という錯覚にとらわれた。

 そして、《キュベレイ》は再度ターンすると、両腕をバインダー内に格納し、前傾姿勢を取った。

 

「いかん!左舷、ドヴォルスキー、行かせるな!止めろ!!」

 

 ヴァルターが左舷哨戒中の《ジムⅢ》の無線通信を開いた時には、すでに《キュベレイ》はマニピュレータをバインダー内に格納し、高速移動形態となりスラスター全開、彗星のような軌跡を残して《ジュピトリス》から消えて行った。

 ため息をつき、通信用ヘッドセットを外しながら、ヴァルターは後ろのキャプテン・シートへ振り返った。

 追撃させますか?

 どうしますか?

 その両方とも聞かずに、ヴァルターは困惑しきった表情をしていたが、似たような顔のバッハも何も言えずに、キャプテン・シートにもたれ、天を仰いだ。

 

 《キュベレイ》が消えた方角の先。

 太陽系第4惑星、火星が不気味に赤く輝いていた。

 

 

 




あとがき

 ノーマルスーツ姿のプルツーさんに上四方固めって・・・

マリーダ「姉さん、事件ですっ!(高嶋政○風に)」
エルピー・プル「呼んだ?」

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