After La+ ジュピトリス・コンフリクト 作:放置アフロ
ひそひそ・・・・・・。
隣人の噂が聞こえてくる。
(カールさん、ダブリンの移民局で働いていらっしゃるんですって! いいわねぇ。うちの旦那なんて町役場。公務員って言っても嘱託よ。そう、臨時! 今のご時世いつクビ切られるか、分からないわ)
(お給料もいいんでしょうねぇ、きっと!)
(でも、元は兵隊さんだったって話よ。それもモビルスーツのパイロット!)
(まぁ! かっこいい。あのルックスで、元パイロットで、高給取りなんて。羨ましいわぁ)
*
旧アイルランドの郊外ラモア湖近くの朝。変わりない食卓に並ぶ朝食。
家庭菜園で育てたトマトとバジルのスクランブルエッグ。
ずっしりと重く、食べがいのある自家製ジャーマンブレッド。
お隣さんから頂いたレモンで作ったシナモン風味の砂糖漬け。
無論、コーヒー付きだ。
マグカップを一口しつつ、新聞を広げる。見出しの下の画像には成層圏にまで達する巨大なきのこ雲がプリントされていた。
「くそっ! テロ集団のエゥーゴがジャブローで使ったのは核だって。まったく、宇宙人どもが」
「そういう言葉遣いはあの子の前では止めてくださいね」
自分で言うのも何だが、美しい我が妻、金髪と蒼い瞳のクリスチーナが食器洗いを終え、手を拭きながら私の元へ来る。「分かっているよ、クリス」と、言いつつ朝のキスで彼女に応じるが、ふと、
「それにしても、フローラは遅いな」
噂をすれば、何とやら。うさぎのぬいぐるみを片手に引きずりながら、娘が眠い目をこすりこすりやってきた。
「おはよう、お寝坊さん」
7歳になる娘にもおめざのキスを頬にし、家族揃って食卓に着く。
短い祈りを捧げて、私たちは昨日と変わらぬ朝を向かえていた。
だが、この平穏な朝を迎える度に毎日が少しずつ不安になってくる。
(明日もまた同じ朝を迎えることができるだろうか)
引越しはこの5年間で10回以上に及ぶ。
移民局の仕事事情によるためだけではない。家庭の事情だ。
引越し先はなるべく隣人の少ない郊外にすることが多いが、往々にしてそういうところに住んでいる人間というのは世話焼きで、家が離れていようが、他人のプライバシーに立ち入りたがる者がままいる。
だから、土地の選定はとても慎重になる。
その結果、自家用エレカは、離れた職場まで飛ばさざるを得ないために、自然と高出力モデルの高級セダンになった。今はダブリンまでおよそ80キロの距離を1時間かけて通勤している。
度重なる引越し費用とエレカの購入・維持費などのため、周りが『高給取り』と言うほど蓄えも無ければ、実生活もゆとりあるとは言い難い。
ようやく、この一年はここ、ラモア湖の湖畔に位置する小高い丘に定住しているため、クリスは「のんびり家庭菜園ができるようになった」と喜んでいるほどだ。
それにしても、食費の増加を低減させようという妻の努力の一つである。
「もう行かなきゃ」
新聞を畳むと、残りのコーヒーを一気に喉へ流し込む。
「パパ、アーンして」
それでも、フローラが子供用の小さなスプーンを手にスクランブルエッグを私の口に持っていくので、応じてあげた。
「おいしいよ。じゃ、行ってきます」
「「いってらっしゃい」」
再度妻とキスをし、娘がケチャップを口の端につけたままにっこり笑い、手を振る。
母親譲りの細い金髪。
そして、碧眼。
アーチ状に細められた目の奥。その蒼い瞳が、また今日も私を不安にさせた。
*
ひそひそ・・・・・・。
職場の噂話が耳に入ってくる。
(なぁ、カールさんの娘の話聞いたか?)
(何だよ、それ?)
(娘さん、本当の子じゃないらしいよ)
(えっ、どういうこと?)
(カールさん、開戦からパイロットとしてあちこちで戦ってたらしい。それで家は奥さんひとりだったんだと。
その奥さん、戦時中、避難できずにロシアに取り残されたんだって。最後までジオンに占領されてたなんとかって町)
(それじゃ、まさか・・・・・・)
(奥さん、美人だからなぁ)
*
その日、ダブリンは初夏の嵐に見舞われていた。
一年戦争時のコロニー落としの余波は8年経っても、時として異常気象と形を変えて、人々に災厄を振りまく。
だが、カールの心中は車外を吹き荒れる雨風よりも、ひどかった。
握り込むステアリングは、指の形にへこんでしまうのではと思われた。
(まただ。また日常という歯車が少しずつ狂い出す。とうとう職場にも知られてしまった)
街灯も何もない暗い牧草地の一本道。
嵐の中を彼のエレカは家路を急いだ。外と同様の状態の彼の気持ちがアクセルを踏み込ませる。
(きっとこの間の誕生会とやらだろう)
同僚の子供の誕生日に妻と娘が招待され、そのパーティーに参加した。
その時に目ざとい、どこかのマダムがきっと気付いたのだろう。
娘の瞳の色に。
彼女の蒼い瞳は母親『だけ』から受け継いだものではなかった。
それは私の妻と、そして、どこの誰とも分からぬ蒼い瞳のジオン野郎との『共同作業』の元に生まれた産物だった。『共同作業』が何かとは言うまでもない。
(せめて、その野郎が俺と同じ黒い瞳だったら)
尽きることのない物思いに耽っていたカールはふと、暗闇から飛び出してきた小さなシルエットに操舵しきれなかった。
(子供っ!)
ボンネットにぶつかる『ドンっ』という鈍く大きな音がするや、ステアリングを切ったセダンはコントロールを失って、スピンしながら、路肩と牧草地を仕切る柵に激突して停まった。
(やってしまった!)
ひどい後悔と恐怖が沸き起こり、高熱にかかったように体が震え出したが、まずは車外に飛び出し、子供の元へと駆け寄った。
「大丈夫かっ!?」
路上に横たわる体は、ぴくり、とも動かなかった。飛散した血痕が道に点々と続いている。
だが、エレカのライトに映し出された、それは子羊の轢死体だった。大方、柵の隙間から外に逃げ出した迷い家畜だろう。
急にカールの肩に虚脱感が舞い降り、思い出したように肌が知覚する暴風雨に怒りが起きた。
「畜生がっ!」
腹立ちまぎれに、彼は子羊の死体に蹴りを入れると、エレカへと戻った。
見る見るうちに、路上の血痕は雨が洗い流していった。
(ああ、もうたくさんだ!)
彼は翌日、妻との離婚手続きを始めた。
だが、それは思うようには進まず、一年以上弁護士を通じて係争することとなった。
そして、あの運命の日がやってきた。
*
いつものように、上司が朝のメールチェックをした直後だった。
(アクシズがダブリンにコロニー落としを敢行する!?)
彼の驚愕する思惟が私の中に直接飛び込んできた。(ああ、またか)と、いささかうんざりしながら、私はその超常的な現象について別段気にも止めなかった。
終戦を向かえ、妻を残した懐かしの街を開放したとき、彼女は腕に赤ん坊を抱いていた。
『あなたの子よ』
覚えが無いわけでは無い。開戦の直前に温もりを確かめあった。だが、やはり計算が合わない。
なにより、なぜこの子は蒼い瞳をしているんだ?なぜ、彼女はこんな見え透いた嘘を・・・・・・。
それからだった。年々、人の噂話や陰口が耳に着くようになった。
だが、それは実際に私の聴覚が知覚したことではなかった。
なぜなら、私が休みの日で局にいないはずなのに『聴いた』内容が含まれていたから!
自分を疑った。幻聴かと。パラノイアかもしれない。精神科の門を叩こうかと真剣に悩んだ。
だが、結局そうせず、仕事に一層打ち込むことでそれを紛らわせた。
見れば、上司は窓を背にしたデスク、朝日がブラインドごしに入り込み、逆光となった表情は窺えないが、その体が微動だにせず、端末のモニターに目が釘付けになっていることが分かる。
その様子を見て、さすがに私も、
(コロニー落とし、・・・・・・本当なのか?)
むくむくと、疑念が湧き上がってきた。
午後に、「急用ができた」と上司が早退したのを見て、それはいよいよ確かなものへと変わった。
「そんな、カールさんまで。局長と副局長がいなくてどうやって仕事回せばいいんですか!?」
「悪いな。弁護士がどうしても来てくれって言うものだから」
部下は困惑しきった顔だが、離婚調停の話を出すと、大概が引き下がった。今回もそうだ。
帰宅すると、私は受話器を取って、妻のアパートメントの番号を押した。
彼女と娘は別居中で、エレカも運転しない彼女は田舎町では不便だろうと、ダブリン近郊に引っ越していた。私が追い出したと言ってもいい。
だが、結局途中でその番号は全て押されること無く、受話器は元いた場所へと戻された。
*
翌日のその時を私は庭で眺めていた。
家庭が崩壊してから、その庭は芝の手入れが大好きなアイルランド人が眉をしかめるのを隠さぬほど、荒れ放題で雑草と見分けが付かない様相を呈していた。
ダブリンから80キロ程度の距離はつまり、落着地点にいることと同じである。
大気圏突入時に分解したコロニーの破片、数百メートルサイズのそれが頭上に落下してくる可能性だって十分ある。
だが、私は避難しなかった。自分の人生よりも、コロニーが落ちてくる瞬間をできるだけ間近で見たいという欲求があった。
(まるであいつらの葬儀に、参列しているような感じだな)
私は自嘲気味に嗤った。
だが、妻と娘に対する哀しみや寂しさはもう無かった。
そして、(やけに暗くなったな)と思い、空を見上げると、大地が落ちてくるのが見えた。
(これが)
何らかの感想が胸に去来するのを待たず、あっという間にそれは雲を押しのけ、大地に突き刺さった。
凄まじい閃光が迸り、咄嗟に閉じたまぶたの裏を照らす。
一泊置いて激震が到達し体は空中に投げ出された後、地面に引き倒された。家はあっという間に倒壊していった。
そして、コロニー落着から200秒後。ラモア湖まで到達した衝撃波に私の体は吹き飛ばされ、気を失った。
パラパラと顔に当たる何かと、遠くから響く雷鳴のような音に私は正気を取り戻した。
背中はひどく痛むが、幸い伸びた芝生が私の体を受け止めてくれたようだ。
周囲は日の出前か、日没直後のように薄墨色に包まれていた。
いつまでもパラパラという落下音は尽きない。どうもコロニーの破片か、巻き上げた瓦礫か、いずれにせよ、そんなところだ。
(コロニーは?)
ダブリンがあった方角を見て、私は凍りついた。
(なんという。なんて・・・・・・)
美しい。いや、荘厳と言った方が正しい。
大地に深く、斜めに突き刺さったコロニー。先端は雲の上の成層圏にまでいっているのだろう。地上からでは見えない。
周囲数十キロには火災が発生し、さながらコロニーという舞台を下から照らす照明のようであった。
おびただしい量の瓦礫は空中に巻き上げられ、摩擦電気により、コロニー外壁の周囲で激しい雷を引き起こす。
黒や灰色の瓦礫は雨季を迎えたかのように、いつまでも降り続いていた。
そして、コロニー近傍で雷とは明らかに違う、人工の発光体を私の視線は追う。私の目は鷹のそれになった。
いや、目が追っているのではない、これは意識が追っているんだ!
複雑な機動を描くそれはスラスターの噴射光。
私の拡大された意識は、かなり大型のMSないしMAのものだろうと推測した。ビームやメガ粒子砲らしき光軸も確認できる。
「ハハハっ! おかしいな、狂ってる! あんなところで戦っている奴らがいるとは」
まるでBGMのような、人の呻き、苦痛、断末魔。
そして、殺し合いを通して相手を否定する声が、私の中に流れ込んできた。
(いたい! いたい!! いたい!!!)
(苦しいよぉ、熱いよぉ)
(助けて―――ぇぇぇ。助け・・・・・・)
(気持ち悪いの、消えちゃえぇぇぇ!)
その史上まれに見るスペクタクルに、私は唐突にこの宇宙世紀という世界が抱える根本的な欠陥を見抜き、またその解決策を見出した。
移民局で働き、毎日が増えすぎた人口、移民問題で頭を悩ましていた毎日が恐ろしく馬鹿げたものに思えてくる。
宇宙移民政策だと? 滑稽だ。
「そうだ。人がもっと効率よく死ねば、宇宙に人類が上がる必要なんてないんだ」
私は毒の瓦礫を浴びながら、独り哄笑し続けた。
やがて、コロニーは自身が生み出す重力に耐えきれなくなり、中間部分でポッキリと折れ、外壁は大気圏突入時の損傷から、次々と剥がれ落ちていった。
(あとがき)
コロニー落としで不可解な描写がありますが、活動報告にて反省会という形で述べさせて頂きます。