After La+ ジュピトリス・コンフリクト   作:放置アフロ

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暴君、再び

 

 変な夢を見た。

 暗闇にたたずむ私の前に男の子がいた。3歳児ぐらいだろうか? 巻き毛の綺麗な銀髪だった。

 

「アンジェロ?」

 

 その問いかけには答えず、子供はにこりと笑った。弓なりになった目の奥。

 

(同じだ・・・・・・)

 

 それは深海のように蒼かった。

 

 

 ―もうすぐ、会えるよ。

 

 

 

「さぞかし保釈金も相当な額だったんでしょうねぇ。ええ、ええ、そうでしょうとも、カーバイン夫人。あなたほどにもなれば、その筋にも顔が利くでしょうから」

 

 遠くで誰かが会話している。でも、はっきりとは分からない。体にだるさ、熱っぽさ、その上、軽い吐き気もあった。

 

(また変な薬でも打たれたのか・・・?)

 

 夢うつつのマリアはまだ朦朧とした意識の海を漂っていた。

 

「それでプルツーという被験体はこちらで確保しました。

 また、核弾頭は木星ジオンでイリア・パゾムとか言う海賊の手に渡ったようです」

『木星ですって? 火星ではないの?』

 

 暗い室内でモニターだけが白く点灯している。ここは《ジュピトリスⅡ》内の普段は使われていない第二通信室だった。現在はクライアントを通して得た大きな権限を持って、リンが独占して使用していた。

 リンが正対するモニターには中年の女性が金髪を映す。

 

「ええ。こちらでも理由ははっきりと分からないのですが、【木星ジオン】が手に入れたようです。

 それと、大変申し上げにくいのですが、影武者のキアーラ・ドルチェが死亡したようです」

『なんですって!? 確かなの?』

「はい。裏も取りました」

『なんてこと。影武者が死んでしまったんでは計画も何もないわ! 強化人間なんて、いくら持っていたって意味ないわ』

「お、お待ちください。サイド3で再調整に必要な器具も手に入れました。実際、他の子供ですが試用して、ブレインウォッシュの結果も良好です。これを使えば」

『役に立たないと言っているでしょう! 2年前とは状況が違うのよ!』

 

 吐き捨てるように言うと、モニターの向こうで女性は手にしたシャンパンのグラスをあおる。セミロングのブロンドと肌は、艶と張りを失っていた。年齢相応の、いやそれ以上のかなり疲れた様子だった。しかし、少しエラの張った頬と突出したオトガイが気性の強さを象徴しているようにも見える。

 

『そもそも『箱』の中身を単なるゴシップに変えさせるために、影武者を使うつもりだったのに。飼い犬程度のプルシリーズだけ手に入れて今更何に使えるというの?』

「その、・・・・・・再調整してネオ・ジオンに潜り込ませれば、ミネバ・ザビを暗殺する刺客に使えると思いまして。最近まで、ミネバの側近に別のプルシリーズがいたと聞いておりますし」

『さすがに木星みたいな田舎暮らしが長いと情報が古いわねぇ。そんなことはあなたに言われるまでもなく知っているわ! 私も当事者の一人だったんだから!

 確かに、『死んだ飼い犬にそっくりの犬に喰い殺される』なんて構図は、最高のショーだとは思うわ。それに、私もあの小娘に復讐したい、とは言ったわ。

 でも、小娘一人殺したところで今の私に何のメリットがあって!? 復讐っていうのはそういうことじゃなくて、・・・・・・はぁ、もういいわ』

 

 片手を額にやった女性はうつむき、もう片方に握られたグラスを無言で給仕の方へやると、心得た彼はそこへなみなみと琥珀色の液体を注ぐ。

 

(飲まずにはいられませんか)

 

 リンが口に出さずとも、クライアントの女性を察する。

 

「では、この強化人間はいかがしましょう? 処分しますか?」

『そうね。あなたの方でやっておいて頂戴』

「わたしは暴力は好みませんので、お借りしている方々にやっていただきます」

『好きになさい。・・・・・・いえ、ちょっと待ちなさい!

 そう、あの男がいたわね。三十路過ぎで人形遊びが好きな男が』

 

 独り言のようにも取れる女性の言葉にリンは怪訝そうな顔つきとなる。

 

『変なことを聞くようだけれど。その強化人間、性的不能なんてことはないでしょうね?』

「は、はぁ?」

『つまり、女として使えるのか、子を作る道具になりうるのか、って聞いているの』

「えーと、カルテによるとその辺はなんともぉ。ただ、最近は中度の薬物依存症だったようです」

『その程度なら構わないわ。女の機能があるのか、ないのかは次回までに調べておいて頂戴』

 

(調べるって、まさか私がやらなきゃいけないのかしら?)

 

 リンは戸惑いを悟られないように、手元のカルテに目を落としうつむいた。

 

『いいわ。うまくすれば、あの子に対して脅迫材料としても、贈答品としても、それに私の方へ戻ってこないのであれば、暗殺者としても使えるわ。

 アルベルトは意外と一途なところがあるから、きっとあの娘のことを忘れていないわ』

 

 しかし、最後にはクライアントが口元に笑みを浮かべていたので、リンも一安心だった。

 やがて、レーザー通信は誰に知られることもなく切断された。

 

 

 ひとつ嘆息して、腰掛けたままリンは後方へチェアーを回転させる。

 そこに旧世紀の処刑・電気椅子を思わせる巨大な器具が設置され、周りにはおびただしい量のコード類が床から椅子本体にかけてトグロを巻いていた。

 そして、その椅子には四肢を手枷・足枷に拘束されたマリアがいた。自傷・自殺防止のためご丁寧に口枷まではめられている。うつむき加減のマリアはモニターの光を受け、顔が青白く浮かび上がって見えた。

 瞳がうっすらと開く。

 

「眠り姫のお目覚めかしらぁ?」

 

 気が付いた私、マリアは蒼い瞳に殺意を込めてリンをにらむ。歯噛みするが棒状の口枷が口の端にくい込むばかりだった。

 

「まぁ、怖い」

 

 リンは顔を離し、わざとらしく口元を手で隠して見せた。

 

(気持ち悪いババァだ)

 

 私は眉間のシワをますます深くした。

 

「でも、そんな顔をしていられるのも今のうちだけよぉ。あなた一体何に座っているか、分かるかしらぁ?」

 

 リンは動けない私に構わず耳元に息を吹きかけながら囁いた。

 必死に首を巡らせようと身をよじるが、四肢を拘束する枷がガタガタと物音を立てるだけだった。

 

「分かっているようね。そうよ、再調整に使うブレインウォッシングマシーン。その機械にかかれば、あなたもマリア・アーシタからプルツーに戻れるわ。記憶の刷り込みでねぇ。

 まぁ、あなたも自殺するような小娘じゃないだろうから、これぐらい外してあげるわ」

 

 リンが口枷を緩め首元へ外す。先ほどから少し嘔吐感があった私は床に唾を吐いた。

 

「あら、汚い」

「唾液はただの生理現象だ。お前の精神ほど汚くはない。それにこんなことをされて喜ぶような、特殊な性癖は持ち合わせていないからなっ!

 エイダをこの機械にかけたな?」

「しょうがないでしょう。サイド3のジャンク屋から買ったのよ、それ。実際、使ってみなきゃ本当に使えるかどうか分からないでしょ?」

「素人が使いこなせると思ってるのか!? 一歩間違えば、あの子を廃人にするところだったんだぞ!」

「私がやったんじゃないわぁ。衛生長にやってもらったのよぉ」

「そんな、先生まで?」

 

 2ヶ月前まで、月一回必ず訪れていた医務室のことを思い出す。

 

「簡単なことよぉ。あの人も自分や家族の保身、それに金次第でどうにでも転ぶ、ただの人間だったってことよぉ。でも、安心なさい。プルツー、あなたは再調整しようにも今はもうできないから」

「どういう意味だ?」

「彼、先週、拳銃自殺しちゃったのよぉ。何か嫌なことでもあったのかしらねぇ?」

「――っ! 貴様、殺してやる!」

「ちょっとぉ、勘違いしないで。本当に自殺なんだからぁ。あのエイダって子が人間兵器にされていく過程が、ちょっとしたホラーだったんじゃない? あの人、医者に向かなかったのよぉ。

 なによ? そんな目で見ないでよ。あの拾ってきた子だって、元から廃人みたいなものでしょうに。親は海賊に殺されて身寄りもいなかったんでしょ? おまけに、変態の遊び道具にされてて病気持ちって言うじゃない。今更わたしがどう使おうと、どこからも文句は出ないわよぉ」

 

 私の視界は怒りの赤に染まり、これ以上リンを侮蔑する言葉も思いつかなかった。私の語彙力ではリンの醜さを表現するには力不足だ。

 

「ねぇ、こんな言い合い子供の口げんかみたいなものだわぁ。あなたとはもっと建設的な話し合いがしたいのだけれど」

「どうやって? この電気椅子につないだ状態で、か!」

「義務を果たさなければ、権利は得られないのよぉ、プルツー。これはあなたの能力をフルに活用できる仕事なんだからぁ」

「ふんっ! どうせお前のことだから、ろくなことじゃないだろう。モビルスーツでサーカスでもやらせようって言うのか?」

「違うわぁ。ミネバ・ザビを暗殺して欲しいの」

「それみろ。ろくでもない」

「そうかしらぁ? あなたの家族だったキアーラさんは喜ぶと思うわぁ」

「私がミネバを殺すことを、キアが喜ぶわけがないだろう。あの子は」

 

 言いよどんだ私はキアーラの記憶に見た、赤ん坊を抱くドズル・ザビを思い浮かべた。

 

(あのことを知られてはまずい。あれは私が墓場まで持って)

 

 不自然に口をつぐんだ私の顔をリンはやけに達観したような、しかし、見下すような表情も含ませて眺めていた。

 

「わたしはニュータイプって人種じゃないけど、陰謀を巡らせるのは楽しいわ。だから、今はあなたが考えていそうなことが分かるわぁ。

 でも、不思議。あなたが『あのこと』を知っているのに、まだミネバの肩を持つなんて」

 

(この女は、まさか知っている!?)

 

 顔に出た一瞬の動揺がリンの推測を確信に変えた。

 

「だってキアーラさん、ミネバの異母姉妹だったのよぉ」

「・・・・・・血がつながっているなら余計そうだろう。誰が自分の姉妹を殺そうだなんて」

 

 私は、はっ、とした。そして、自分がかつて犯した、決して消えぬ罪の呵責(かしゃく)と、間違ってもそんなことは言えない立場にある、矛盾にさいなまれた。

 

「そうよねぇ。姉殺しのあなたがそんなこと口にする資格ないわねぇ。

 でも、プルツー。あなたは間違ってる。血がつながっているからこそ、憎悪は増すのよ。

 可哀相なキアーラ様。ザビ家の貴族主義が生んだ不運な私生児。母親が正妻でなかっただけで影に追いやられ、挙句、自分の叔母に人体実験まがいにお体を切り刻まれて」

「ち、違う!あれはキア自身が望んだ。それにハマーンだって、あの子のことを心配してた!『すまない』って」

「誰がそれを証明できるの?あのお方はもう死んでしまったのよ。

 なぜ死んでしまわれたの? それはね。正妻の子に殺されたのよ。あの子さえいなければ、あのお方だって光の中を歩むことができたのよ」

 

(あの・・・お方?)

 

 私の膨れ上がった疑問は意識を拡大させた。拘束を無視し、憑いた眼のリンへ、彼女の脳髄へと到達しようとした。

 

 

 

 モノクロームの洋館。

 屋敷の中で、10歳ぐらいの少女が赤ん坊を抱いてあやしている。

 

「わあぁ、かわいい!!ほら、お姉ちゃんも」

 

 もうひとりのツインテールの少女。呼びかけられた彼女は赤ん坊を抱く少女よりも少し年上で、うつむき、後ろ手に組んだ体をゆらゆらとゆすっているだけだった。

 

(なんだ? しかし、この感じ。ハマーンなのか?)

 

 暗く沈んだ表情のツインテールを見ていた意識は、突如割り込んできた黒い思惟に塗り潰されそうになった。

 

(マレーネお嬢様のお子がザビの名を継げば、カーン家はますます)

 

 端で少女たちの様子を静かに見守るひとりの侍女。その口元が一瞬、薄笑いを浮かべる。

 髪型も顔の形も違う。しかし、その女は、

 

 

 

「リンっ!お前はカーン家の使用人だったんだな!だからキアのことをっ」

「アッハハッ!ニュータイプって本当に嫌な人種ねぇ。プライバシーも何もありはしないじゃない」

 

 リンは顔をくしゃくしゃにして笑った。人の笑顔は時として、何よりも雄弁に怒りを表す。今のリンがまさにそうだった。

 

「でも、あなたを説得することは無理だとよーく分かったわぁ。やっぱり、再調整するしかないようね。いえ、そんな生ぬるいものじゃ、あなたは危険ね。大脳皮質は切り取って焼却処分だわぁ。

 完全な人形になりなさい!」

 

 リンが壁際の戸棚から救急キットを取り出し、ピストル形状の注射器を手にする。そして、カートリッジ式の薬剤ボトルをその後部へ差し込んだ。

 

「次に目覚めたら、そこは違う世界になってるわよぉ。

 わたしも『本物のプルツー』に出会えるのを楽しみにしているわ」

(沈静睡眠剤か)

 

 眠らせてコールドスリープ装置という棺の中へ。どこかの研究施設に連れて行かれ、きっとそこでマリア・アーシタは殺される。

 思い出が私の頭の中を駆け巡っていく。

 プルが。ジュドーお兄ちゃんとルーお姉ちゃんが。

 友人、家族、仲間、そして、

 優しい瞳をしたアンジェロが。

 皆、消えていくんだ。

 

「嫌だっ!!」

 

 私は必死にもがく。

 四肢が千切れたとしても、私の思い出は無くしたくない! 嫌なこともあった。たくさんあった。けど、全部私が生きてきた証だ!

 そんな思いを完全に無視して、背後に立つリンは栗毛を掴んで、顔を上に向けさせた。

 注射針の先端から、ぽたりぽたり、と透明な液体が首筋に垂れ私の心身を震えさせる。

 

「あなたの負けよ」

 

 トドメのように言うと、リンは冷たい針を押し付けた。

 私の顔が悔しさに、絶望に歪む。絶対に見せまいと思っていた涙が瞳に浮かぶ。

 

 その時、

 室外から連続的な銃声が轟いた。

 

「何事なの!?」

 

 リンが虚を衝かれて、後ずさる気配を感じる。

 銃声から間髪をおかず、廊下へ通じるドアが開かれ、ライターサイズの円筒形のものが投げ入れられ床を転がった。通信室の中央、拘束された私の足元で止まった。

 私は一瞬の内にそれを理解し、咄嗟に顔をそむけ、眼を固くつむった。

 音響閃光手榴弾。続いて、沸き起こった250万カンデラの閃光は閉じていたにも関わらずまぶたの裏を白く浮かび上がらせた。同時に、180デシベルの大音量に耳を塞げなかった私は一撃で聴覚を奪われた。

 しかし、リンはもろにその攻撃を受ける。スタンガンを食らった私同様、無力化され床に転がった。

 耳鳴りしか聞こえない視界の中で、外からふたりが飛び込んでくるの認めた。

 ひとりは、銃身と銃床を短く切り詰めた、ソウドオフ・スライド・ショットガンを携えていた。にやり、と笑い、

 

「よう。ご無沙汰。白馬に乗ったおっさんが助けにきたぜ」

 

 新しい紫のこぶで腫れた顔をほころばせ、歯を見せた。上の前歯が一本欠けていた。

 その男、整備長のイイヅカはマリアに向けて下手なウインクを送る。

 次には、四肢を不気味な電気椅子に拘束され、首元に棒状の口枷をぶら下げたマリアを見て、イイヅカはたじろいだ。

 

「お前、そういう趣味だったの?ドSかと思ったらドMっ娘かよ」

 

 耳が聞こえていたら、マリアは彼の腹に前蹴りを入れるどころか、頭に廻し蹴りを入れることになっただろう。まさに『不幸中の幸い』となった。

 

「もう!なに言ってるんですか、イイヅカさん!!」

 

 手にノーマルスーツ用のヘルメットを持つもうひとり、連邦軍制服姿のバーバラがイイヅカをたしなめた。リンが先ほどの通信に使っていた端末へと向かう。リモートでマリアを拘束していた四肢の枷のロックを解除した。

 立ち上がりかけたマリアは、膝が笑って倒れそうになり、慌ててイイズカがその体を支えた。

 

「大丈夫か?」

 

 さすがに、心配そうな口調ではあるが、言葉とは裏腹にマリアを支えている左手は彼女の脇と胸、その微妙なラインをしっかりと押さえていた。

 バーバラの目が、すっ、と細められた。持っていたヘルメットを端末台に置くとつかつかとイイヅカに近付き、前触れもなく彼のすねをつま先で蹴る。

 飛び上がってマリアから離れた隙にバーバラが代わりに彼女を支えてやる。

 

「セクハラ親父。さっさとやることやって」

 

 問答無用で決め付けると、水揚げされた魚のように横たわるリンを冷たく指差す。

 ぶつくさと文句を言いながら、イイヅカが手錠をリンの手首にかけた。

 

 

「聞こえる、マリィ?大丈夫?」

 

 音響閃光弾の効果にしては妙だった。

 確かに常人であれば、今のリンのように耳の奥、三半規管がパニックを起こし一時的に平衡感覚を失う。しかし、デザイナーベビーとして、高機動空間戦闘用に遺伝子設計された私は、加減速Gや回転、衝撃という外力に対して、非常に高い抵抗力を持っていた。

 

(10年前にも似てるけど、でも、やっぱり違う)

 

 ジュドーやプルとの戦いで感じた精神的衝突とも違う。

 

「何か自白剤でも飲まされたの?」

 

 目線を合わせて、顔を覗き込みながら呼びかけるバーバラに、聴覚が戻りつつある私は首だけ振って否定の意思表示をする。

 

「リンっ! てめー、マリアに何しやがった!?」

()()何もしてないわよっ!!」

 

 ふてぶてしく、リンは否定する。

 

「こいつっ!」

 

 床に落ちていた注射器を見つけたイイヅカは拳を振り上げ、リンの顔面に叩き込もうとした。

 

「待って! 本当に、リンは、何も、してないんだ」

 

 まだ呼吸も整わなかったが、バーバラが支えてくれている。

 拳を上げたまま、リンをにらんでいたイイヅカは、青く血の気のない私の顔を見ると、その拳のやり場に困り、当惑した表情に変わった。

 

「マリア、本当に大丈夫なのか?」

「イイヅカさんが、そんなことしたら、リンがしてることと同じだ。

 こいつをかばうわけじゃないけど。あんたの手は、人を殴るモンじゃなくて、機械をいじるモン、だろ?」

 

 喘ぎながらも砕けた口調で言う私の顔を見て、イイヅカは拳を力なく下ろした。

 

 

 

 艦橋にて。

 

「アスベル司令補とエイダが警備の制止を振り切って、MSデッキに向かっています。銃撃されました!」

「デッキに一番近い『こちら側の人間』は誰だ?」

 

 オペレーターの緊張した声に、通信長ヴァルターが対応して問う。

 

「第二通信室のアーシタ士長を救出に向かった整備長と航宙長です」

「わかった」

 

 それに答えたのは背後のバッハ艦長だった。

「整備長たちには私から内線を入れる。通信長以下ここにいる全員は・・・・・・」

 

 振り向いたヴァルターの目に飛び込んできたのは、自動拳銃の銃口をこちらに向けるバッハだった。

 

「艦長、なにをっ」

 

 続きは乾いた銃声に遮られた。

 

 

 

「カールとエイダがMSデッキに向かってるって!」

「ソラに出るつもりか!?」

 

(今戦わなくてどうするんだっ!)

 

 バーバラとイイヅカの声を受け、私は自分を叱咤しヘルメットを頭へ押し込んだ。強烈な閉塞感、圧迫感が襲い掛かってくる。ヘルメットの内に嘔吐した。内容物が無く、出てきたものは胃液でかつバイザーも上げていたことが幸いした。

 

「マリィっ!ダメっ!脱いで!医務室に行きましょ」

「待って、くれ。聞いて、BB」

 

 駆け寄ったバーバラを愛称で呼び、私は言葉を搾り出した。

 

「キアを、助けられなかったんだ。偉そうな事を言って、《ジュピトリス》を逃げるように出て行ったくせに、何もできなかったんだ。

 もうすぐ、手が届くところまで近付けたのに、助けられなかったんだ!」

 

『あなた、の・・・声を聞けて良かった・・・』

 

 キアーラの最後の様子が思い出される。

 本当は声だけでない、私の姿も見せてあげたかった。

 私が打ちひしがれた時にそうしてくれたように、彼女にぬくもりを分けてあげたかった。

 いや、そんなことより、彼女が生きてさえいてくれたら。

 

「だから、今度は私の家だった《ジュピトリス》は守りたいんだ。もう失いたくないんだ!

 今更、おかしいよね。ずるいよね。自分勝手だよ。

 でも、私の生きてきた風景、思い出を、皆を守りたいんだ!」

 

 吐瀉物の一部が食道を戻り、私はまたえずいた。

 バーバラの零れ落ちそうな大きな瞳からは、透明な液体が零れ落ちそうになっていた。取り出したハンカチで私の口を拭ってくれると、大きく頷いた。

 

「マリア、約束して・・・・・・」

 

 私も彼女と同じように大きな頷きを返した。

 

 

 

 気持ちはリフトグリップの速度を上げて急ぎたいのに、体は戦いたくないと訴えている。

 前方から銃声や怒号が聞こえてくる。私はリフトグリップを離し、壁の手すりを掴んで無重力空間に制動した。慣性に脚が流れて緩慢な動きになったが、今の変調からするとどうしようもない。

 体を支えてくれるバーバラもイイヅカもここにはいない。付いていこうという申し出を私は固辞した。

 

『戦闘が始まってるデッキにノーマルスーツを着ないで行ったら、危ない』

 

 二人は拘束したリンを連れ、比較的安全な区画へと移って行った。

 MSデッキ床面に通じる廊下の角で立ち止まった私は、そこで深呼吸し下腹部に手を当てた。

 へその下辺りがチクチクと痛む。

 だが、逡巡している余裕は無かった。

 

「やめてください!司令補!!」

 

 知った部下オリヴァーが発する悲鳴。

 デッキの奥に直立したMS用ドリー。コクピットへオレンジ、そして赤黒、ふたつのノーマルスーツが遊泳していくところだった。

 オレンジのノーマルスーツがハッチの上端を掴み、小柄な赤黒を先にコクピットへ入れると、振り返り薄笑いを浮かべた。

 カールだった。

 すぐに笑いを消した彼はヘルメットのバイザーを下ろすや、コクピットの内へ滑り込み消えた。

 

(ぐっ!間に合わなかった。いや、まだだ!起動する前に破壊する)

 

 反対端のドリーには、《キュベレイMk-Ⅱ改》が鎮座していた。

 マグネットブーツを解除し、《キュベレイ》の胸部に向けて足裏を蹴りだす。

 しかし、途上の空間で斜め上方からノーマルスーツが体当たりする。二人はきりもみ状態になり床に叩きつけられた。

 仰向けに倒れた私は、イイヅカに借りた拳銃を向けようとした。が、それよりも早く馬乗りに押さえ付けられた。

 

「離せっ、オリヴァー! お前も目を覚ませ! なんのために戦っているんだっ」

「分かってます。僕は自分の正義にしたがって戦います。だから、マリアさんにはこれ以上戦わせられない。

 アスベル司令補は僕達で説得します!」

 

 

 その時、甲高いジェネレーター音が沸き起こり、ドリーでMSが目覚めたことを示していた。

 

(ちっ!早過ぎる。アイドリング状態だったのか!?)

 

 かけられたシートカバーを無理やり引き剥がし、固定金具が金属音を響かせて、次々と弾けていった。

 私は床に伏したまま、視線をそちらへ向けた。

 巨大なMSの手がシートカバーをつかみ、ボクサーがリング上でローブを投げ捨てるように、同じ動作をする。

 下に隠されていた姿が露になる。

 

 そして、決して忘れることができぬシルエットを見た私は、洗脳で深層意識に植え込まれた戦慄が再び湧き上がってくるのを感じた。

 

 全高22m超、全備重量90t近いマッシブな巨体。

 分厚い多重空間装甲。

 右前腕に接続されたダブル・ビームライフル。

 そして、Z計画内でもっとも不遜で、見る者に心理的威圧感を与える頭部。特徴的なデュアルアイ・センサーと天に伸びる4本のV字型通信アンテナ。

 そのアンテナ中央には額部から前に伸びるヘキサゴン短砲身。それはコロニーレーザーの出力20%に匹敵する威力を持つハイメガキャノンである。

 私を睥睨し、押しつぶそうとする暴君そのものの姿。

 

「また」

 

 蒼い瞳を恐怖に見開いた私は言葉が続かず、生唾を飲み下し、ようやくその先をつむぐ。

 

「私の前に立ち塞がるのか。・・・・・・《ダブルゼータ》」

 

 《ダブルゼータ》は両眼にも見えるセンサーの奥で不気味に起動の光を発した。

 

 

 


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