妹が魔術結社のボスなせいで人生ハードモード   作:秋月月日

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Trial52 第二十二学区

 夕方頃――ちょうど学校の授業が終わり、放課後となった頃。十分な栄養と睡眠、そして適切な看病を受けた事で、コーネリアの体調は幾分か回復していた。

 

「三十七度ですか……まぁ、微熱と言ったところですね」

 

 体温計に表示された数値を眺めて安心したように呟く神裂。コーネリアが寝ている間、彼女はこの家の家事と彼の看病を一人でこなしていたのだが、彼女の顔から疲労感は感じられない。やはり聖人であることが関係しているのか、体力は人並み以上に持ち合わせているようだ。

 午前中に比べると大分顔色も良くなったコーネリアは温くなった冷却シートをペリペリと剥がしながら、ベッドの横で膝立ちしている神裂に得意気な様子で言う。

 

「強靭な回復力だけが俺の取り柄みたいなもんだしなぁ」

 

「一応は聖人の端くれですからね。回復力は常人の比ではないのでしょう」

 

「徐々に聖人の身体に変わっていってるって事なんかねぇ」

 

「変わる、というよりも、ようやく元の体質を取り戻し始めた、という方が正しいですね。代わりに『原石』としての能力の方に支障が出ていなければ良いのですが……あなたの『荊棘領域』はアックアに対する唯一の必殺武器のようなものですし、万全の状態を維持しておく必要がありますからね」

 

「既に体調が万全じゃねえからそれはかなり難しい事だと思うがな」

 

「……揚げ足を取らずとも分かっています」

 

 ぷぅ、と可愛らしく頬を膨らませる神裂に、コーネリアは苦笑を浮かべる。

 

「しかし、なんだ。ずっと寝てたからか知らんが、汗が酷いな。服がベタベタするよ」

 

「高熱による冷や汗と寝汗のせいでしょうね。ちょうど熱も下がっている事ですし、少し汗を流してきてはどうですか?」

 

「そうだな。じゃあ、今はお言葉に甘えさせてもらおうかな」

 

 そう言って、少しだけふらつくも、コーネリアは棚から下着とジャージを取り出し、脱衣所の方へと歩いていく。後ろ目で確認したところ、神裂はベッドのシーツの取り換えを始めていた。おそらくは汗でぐっしょりとなったシーツを見て「替えた方が良い」と判断してくれたんだろう。どうしてシーツの置き場所を既に把握しているのかが疑問で仕方が無かったが、大方掃除の最中にでも把握したんだろう。そこまで深く考える事じゃないし、今は詮索しないでもいいだろう。

 部屋着を脱ぎ、下着を脱ぎ、浴室へと移動する。

 そしてシャワーノズルを片手に持ち、空いた方の手でハンドルを回し―――

 

「…………ん? あれ?」

 

 ――何も起きなかった。

 本来ならばハンドルを回したところでシャワーノズルの先から水が出てくるはずなのだが、今回に限っては何故か無反応。水が出るどころか機械が動いた様子すらない。何か詰まってんのか? と思って確認してみるが、素人目で分かるような変化は何処にもない。

 試しに、蛇口から水を出してみる―――結果は同じ。何も起きなかった。

 

「マジかよ……こんままじゃ風呂はおろか水浴びすらできねえじゃんか……」

 

 病み上がりの状態なのだから風呂なんて入らない方が良い気がするのだが、それでもこのこびり付いた汗ぐらいは流し落としたいのが本望だ。タオルで拭えよと言われてしまえばそれまでだが、違うのだ。水浴びによる爽快感とタオルで拭き取る事による爽快感の間には、谷よりも深く山よりも高い違いがあるのだ!

 しかし、いくら頑張っても水が出ないのでは仕方がない。ここで諦めるか別の道を模索してみるか。その二つしか自分には残されていない。

 さて、どうしよう。幸いにも、生活費に余裕はある。ここで入浴代として消費したとしても、何不自由なく毎日を過ごせるだけの貯蓄は保有している。どこぞのツンツン頭の後輩の様に常にエンゲル係数との戦いを繰り広げている訳ではないコーネリアは、毎日が貧困生活などという面白おかしい生活とは無縁なのだ。

 ……しゃーねーな。

 とりあえず、今後の選択を決めたコーネリアは下着を身に着け、その上からジャージを着用し、無表情のままガララッと扉を開く。

 びくっ! とコーネリアのあまりにも早いお帰りに驚いた神裂は目を白黒とさせつつも、とりあえずお約束の反応を返してみる。

 

「え、えーっと……随分と早いお風呂でしたね?」

 

「いや、水が一ミリも出なかったから諦めた」

 

「それはええと、給湯器が壊れているとか、そういう事ですか?」

 

「俺も専門業者じゃねえからそこまで詳しくはねえんだけど、多分はそんな感じなんじゃねえかな。なんか変に焦臭かったし、給湯器の中のどっかが焦げ付いてるか錆びついてるかって感じなんだろうよ」

 

「それじゃあ、どうするんですか? 汗はタオルで拭います?」

 

「いや、何も問題はない」

 

「???」

 

 言葉の意味が分からずに神裂は可愛らしく首を傾げるも、コーネリアは意を決した様子でこう返した。

 

「看病の礼だ。汗を流す為に近くの銭湯にでも行こうぜ、俺の奢りで」

 

「こ、混浴ですか!?」

 

「学生の街に混浴入浴施設なんてねえよ不埒すぎるわ」

 

 

 

 

 

  ☆☆☆

 

 

 

 

 

 第二十二学区。

 およそ二キロ四方の広さしか持たない学園都市最小面積の学区であるが、そこは学園都市で最も『未来未来した』エリアである。地下に拡がるレジャー施設は一種のアトラクションの様な造りをしており、その全貌を眺めるだけでもある程度の暇が潰せるほどに、その学区は複雑で精巧に作り込まれている。

 そんな、近未来都市・第二十二学区に、コーネリアと神裂は向かっていた。

 しかもあろう事か、交通法をブッチギリで違反するであろう、自転車の二人乗りで、だ。

 

「あなたは病み上がりなんですから、私が操縦した方が良いと思うんですが……」

 

「火織は心配性だなぁ。もう大丈夫だって、治った治った」

 

「三十七度の微熱野郎がどの口で言いますか」

 

「三十七度なんて平熱だって。気にすんな」

 

「……むぅ」

 

 シャー、と第七学区の道路をそこそこの速度で進んでいく。時間帯も時間帯なので人通りと車通りは少なく、自転車を高速度で転がしていても誰かの邪魔になる事はない。自転車の二人乗りはこの街でも普通に違反行為であるため、コーネリアとしてはこの人通りの少なさはまさに願ったり叶ったりだったりする。

 日も沈み、夜風が火照った体をちょうど良く冷やしてくれるのを感じながら、コーネリアは荷台に乗って自分の腰に手を回して密着してきている神裂に質問する。

 

「そういえばお前、着替えとかちゃんと準備してる訳?」

 

「中々にデリケートな質問をぶつけてきますねあなたは……大丈夫です。そもそもが泊まり掛けの予定でしたからね。しっかりと準備してあなたのバッグの中に入れてあります」

 

「…………下着をそのまま?」

 

「袋に入れてです。変な想像をしないでください」

 

 ギチィッ、と腕に力を込められ、腹回りが強く締め付けられる。本当ならばここで呻き声でも上げるんだろうが、今回はその行為によって神裂の豊満な胸が背中に押し付けられているため、呻き声よりも歓喜の感情で頭が埋め尽くされる方が先だった。ぶっちゃけた話、ごちそうさまですぐらいしか言えなくなってしまっている。

 具合や体調が悪い訳でもないのに体温が上がってしまっているコーネリア。その大きな原因である神裂は自分の胸が彼を興奮させてしまっている事になど気づいていない様子だ。天然もここまで行けば一種の才能に思えてしまえるのだから不思議である。

 夜風に髪を揺られながら、神裂はコーネリアに問いかける。

 

「あなたが言っていた銭湯とは、学園都市でも有名なところなのですか?」

 

「うーん、そうだなぁ……一応、何かの雑誌に載ってた風呂ランキングで堂々の三位に入ってた気がするから、有名っちゃあ有名なんじゃねえの?」

 

「学園都市における三位とは……科学技術が結集されたお風呂なのでしょうね」

 

「火織、もしかして、少し楽しみにしてねえ?」

 

「……別に、そういう訳ではないのですが」

 

 少しの間から察する事が出来る。これは図星だ。神裂火織という少女は隠し事が苦手なので、間が空いたりそっぽを向いたりといった簡単な行動ですぐにボロが出る。

 思い付きでの選択だったが、まぁ火織が楽しみにしてくれてるんなら万々歳かな。夜の学園都市に自転車を走らせながら、少しの満足感に浸るコーネリア。

 建物だらけの第七学区の風景から、風力発電のプロペラだけが立ち並ぶ第二十二学区の街並みへと周囲が変化していく様子に神裂は「……ほぉ」と感嘆の声を上げる。地下街が主である第二十二学区は施設の維持に膨大な電力を必要としていて、その電力を賄うために少しでも多くの発電施設を設けている。この風力発電装置の群れもその内の一つであり、その集合体はまさに『大きなジャングルジム』そのものである。

 四角い形状のゲートを潜り、第二十二学区の地下街へと入っていく。

 今回の目的地はこの学区の三階層にある。第二十二学区の地下都市は百階層まで存在しているため、今回に限ってはそこまで長くの移動時間を費やす必要はない。緩やかなカーブ上のトンネルを百階層まで下って行ったらどれだけの時間がかかるのかなんて、考えるだけでも背筋が寒くなるのは彼だけではないだろう。

 周囲の無駄に近未来感溢れる設備に神裂がこっそり目を輝かせている様子を堪能していると、地下九十メートル――第三階層の入り口ゲートが見えてきた。

 地下なのに森があったり川があったりビル群があったりで色々と詰め込み過ぎな印象が強い街並みに「うわぁ」とやや引き気味のコーネリアだが、直後に後方から放たれた神裂の疑問の言葉により、意識を街から彼女に移す羽目になっていた。

 

「それで、そのレジャーお風呂まではあとどれくらいかかるんですか?」

 

「この調子ならあと五分って所じゃね? ま、心配せずともそこまで時間はかからねえよ」

 

「そうですか」

 

 短い言葉ではあるが、彼女の声は不思議と弾んでいた。

 やっぱり楽しみなんじゃねえか、などという余計な言葉をギリギリのところで呑み込みつつも、コーネリアは後ろの神裂には聞こえないぐらいの声量で呟きを零した。

 

「無駄に有名なレジャー銭湯だからなぁ……もしかしたら知り合いに会っちまうかもしれんね」

 

 人それを、フラグと言う。

 

 




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 次回もお楽しみに!

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