インデックスが完食するのをわざわざ待って店の外に出た瞬間、コーネリアは気づいた。
「そうだ。パトリシアに電話すりゃあ早いじゃん」
言うまでもなく当然の帰結であるが、それでも今の今までその当然の打開策を思いつく事が出来なかった自分が情けなくて仕方がない。何のための携帯電話か、何のための文明利器か。科学サイドの総本山で暮らしているというのに脳内だけは原始時代かよ、とコーネリアは不甲斐ない自分に自虐をぶつける。
そうと決まれば即行動。
コーネリアは携帯電話を取り出し、最愛の妹に通話を繋げる。
ワンコール目で電話が繋がった。
『お兄さん! どうしよう、お兄さんのところまで戻れる気がしません!』
「とりあえずは深呼吸だパトリシア。そして落ち着いたらお前の周囲の様子を懇切丁寧に説明してくれ。それさえできれば後は俺が何とかしてやる」
最愛の兄に促されるがままの行動に身を投じ、パトリシアは自分が迷い込んでいるエリアの情報を彼に伝達する。
『ええと、少し離れたところに薬局があります。それ以外に特徴と言える特徴はないですね。しいて言うならバス停があるぐらいです』
「薬局にバス停、か……オーケー、それだけ分かりゃあ十分だ。お前の場所は把握した」
コーネリアは安堵の息を漏らし、
「すぐにそっちに向かう。だから絶対に一歩も動くなよ?」
『…………ごめんなさい。お兄さんに迷惑ばかりかけてしまって』
「なに、お前が謝る必要はねえよ、パトリシア」
「探してた人?」と首を傾げながらこちらを見上げてきているインデックスに手で合図を送りつつ、コーネリアは電話の向こうで寂しい思いをしているであろう妹に優しい声色でこう告げた。
「妹に世話を掛けられるのが兄の義務だからな」
☆☆☆
インデックスが上条当麻を見つけたのは、それからすぐの事だった。
それは極々当然のことで、上条は地下街で行動していたのだからインデックスが地下街で上条を見つける事には何の違和感もない。逆にコーネリアと接触しなければもっと早く見つける事が出来ていたのではないか、と別の道を思い浮かべてしまうぐらいには当然の展開だった。
「とうまだ……」と思わず口から言葉を漏らすインデックス。
そんな銀髪少女の背中を軽く押し、コーネリアは言う。
「行けよ」
「でも、コーネリアの探し人がまだ……」
「大丈夫だ」
コーネリアは表情も変えず、
「場所は把握してる」
「…………そっか」
コーネリアの短い言葉の意味をすぐに理解したのか、インデックスは寂しそうに笑った。『早く合流したいからお前はさっさと上条のところに行け』という、そんな意味を彼女はすぐに悟っていた。
だからこそ、彼女はあえてひと手間かける事にした。
胸の前で十字を切り、両手を合わせて数秒間だけ目を閉じる。
そして聖母のような笑みをコーネリアに向け、
「あなたとその周囲の仔羊たちに幸在らん事を」
その言葉を残し、インデックスは人混みの中へと消えて行った。
銀髪の少女の背中を見送ったコーネリアは、すぐに後ろを振り返る。そこを真っ直ぐ進んで外に出れば、あとは可愛い妹と合流するだけだ。そのミッションさえ達成すれば、あとは何も成し遂げなくていい。
中高生メインの人混みから離れる様に、コーネリアは一歩踏み出す。
『ラストオーダーッ!』
人混みの何処かでそんな声が聞こえてきたが、コーネリアは振り返らない。役目を奪っちまってゴメンな――そんな謝罪の言葉をボソッと口にするぐらいだ。
三人の道は交わらない。
三者三様の道は、奇跡的なバランスで交わらない。
しかし、交わらないからこそ――三人の道は複雑な形で交錯する。
☆☆☆
既に、完全下校時間など過ぎていた。
パトリシアの居場所を聞いたのは良かったが、運の悪い事にコーネリアが通った地下街の出入り口は彼女がいるエリアから随分離れた場所に位置していた。彼の持前の走力を駆使したとしても一時間はかかる場所だ。一時間も妹に寂しい思いをさせる羽目になった自分を呪ったが、だからといって今の状況が好転する訳じゃあない。今はとにかく走る事だけに集中して、さっさとパトリシアと合流する必要がある。
パラパラと雨が降っていた。
今朝方の天気予報では雨なんて予報じゃあなかったはずだが、やはり学園都市最高のスーパーコンピューター『
「本降りになる前にアイツを見つけねえと……」
雨の中に妹を晒すわけにはいかない――それも理由の一つだが、他の理由の方が大きい。
雨が本格的に降り出した頃に、例の事件は勃発する。
それまで妹と合流し、安全区域まで逃走する。どこが安全かなんて分からないが、流石に学生寮の自室にいれば誰かに危害を加えられることもないはずだ。物語の展開から言って、学生寮が戦場になるなんて記述は何処にもなかったし。……まぁ、展開通りに行けば、ではあるが。
徐々に強くなり始めた雨の中、コーネリアは学生服を傘代わりにすることも無く走っていく。雨水が服の上で跳ね、曝け出された素肌の温度を奪っていくが、彼の足は止まらない。
「クソッタレが。気ィ抜け過ぎだぞコーネリア=バードウェイ……ッ!」
自分を護る為にこの学園都市に逃げ込んできたというのに、結局は妹を危険に晒す手前にまで展開を進めてしまっているというこの体たらく。自分よりも大切な存在すら護れないなんて、もはや存在価値すら疑われる。これから起きる未来の事を知っている――そんなアドバンテージに何処か溺れていたのかもしれない。
アドバンテージとは、ある程度の実力を持った者にしか恩恵を与えない。弱者はいくらアドバンテージを持っていたとしても弱者のままであり、強者のように悠然とした態度ではいられないのだ。
考えを、改めなければならない。
気合を、入れ直さなければならない。
最近、魔術師からの襲撃が減ってきていたから、完全に油断してしまっていた。『アドリア海の女王』の時に何やかんやで上手く事を収める事が出来ていたから、甘い考えに溺れてしまっていた。
脅威は、予想を遥かに上回る形で襲ってくる。
そんな極々当然の事さえ忘れていたなんて、どこまで平和ボケしていたというのか。
「……今度、レイヴィニアに鍛え直してもらうかな」
身体的な鍛錬は勿論だが、精神面での鍛錬も必要かもしれない。もっと柔軟で冷静な頭脳を、もっと完璧で剛胆な精神を。レイヴィニアとして恥ずかしくない自分自身を、すぐにでも取り戻さなければならない。
(これからの事を考えるのは後にしよう。今はとにかくパトリシアとの合流が最優先だ)徐々に勢いを増す雨に不快感と嫌悪感を覚えつつも、コーネリアは人気のない表通りを走り抜け――
「待て、よ?」
――思わず、走る足を止めた。
そして、周囲の様子と光景を見渡してみる。
人の姿はなかった。
一人も、ただの一人も表通りには存在していなかった。暗くなりつつある表通りには、コーネリア=バードウェイという少年だけが突っ立っていた。
確かに、今は完全下校を完全に過ぎている時間帯だ。しかも雨が降ってきているため、人が外に居ないのも頷ける。大方、夜遊び派の学生は近くのファミレスや建物の中などでギャーギャーと騒いでいる事だろう。それは重々承知している。学園都市生活が長いからこそ、その辺の事情は把握している。
だからこそ、違和感があった。
人がいない事と、人の気配がない事。それは同じような意味に取れるが、実際は大きな隔たりを持っている。その違いに気付けるのは世界でも極々少数の者であるが、それについての説明は今はやめておこう。
今回は後者――人の気配がない状態だった。
そしてコーネリアは、そんな状態を作り出せる魔術を知っている。
「人払いの、ルーン……ッ!?」
「ほう。流石はあのレイヴィニア=バードウェイの実兄と言ったところであるな。魔術に対しての理解もそれなりには深いらしい」
声は、少し離れた後方から聞こえてきた。
聞き覚えのない声だったが、その声はコーネリアの背筋に悪寒を走らせるには十分の迫力を持っていた。
何故か震える身体に鞭を打ち、コーネリアは後方を振り返る。
「貴様とこうして顔を合わせるのは、初めてであるな」
無骨な男が、立っていた。
青系の長袖シャツの上に更に白い半袖シャツを重ね着していて、下には通気性の良さそうな薄手のスラックスを穿いている。全体的にスポーティな装束だが、男に元気さはない。白い肌も茶色の髪も、何処か鋭さを感じさせる。
無骨な男が、立っていた。
目立った武器は持っていない。しいて言うなら鍛え上げられた肉体が武器の様に見えるが、コーネリアは知っている。この男の武器は二種類あり、その内の一つはこの場には無く、もう一つの武器は彼が魔術を使って隠し持っているという事を。
無骨な男が、立っていた。
コーネリアとの面識はない。それは相手方も同じようで、先ほども『顔を合わせるのは初めてだ』と言っていた。――だが、コーネリアはこの男の事を知っている。
知っている――だからこそ、疑問が浮かんで仕方が無かった。
何故、この街にあの男がいるのか。
何故、自分の前にあの男がいるのか。
何故、この時間帯にあの男がいるのか。
全てが分からず、理解できず、把握できない。予想なんてできるはずもなく、故に対策なんて建てようがない非常事態。
無骨な男が、立っていた。
一瞬だけ。一瞬だけ、コーネリアは頭の中で男との戦闘をシュミレートした。自分の持っている武器を全て駆使して闘った場合のシュミレートを、一瞬だけやってみた。――結果は、見るも無残な敗北だった。
無骨な男が、立っていた。
無骨な男が、立っていた。
無骨な男が、立っていた。
「お、前は……?」自分の前に立ち塞がる、面識もクソもない男の姿を開いた瞳孔で熟視しながら、コーネリアは口をパクパクと開くしかできなくなっていた。
無骨な男は表情を変える事すらせず、真っ直ぐコーネリアを見据える。
そして、彼は提示した。
コーネリアが切れ切れに放った疑問の言葉に、男は答えを提示した。
自分を表す名称を――自身に与えられた二つ目の名を、無骨な男はあっさりと提示した。
「後方のアックア。ローマ正教が最暗部、『神の右席』の一人である」
勝ち目なんて微塵もない。
勝負なんて端から決している。
文字通り赤子の手を捻るような消化試合が、まさに今、始まろうとしていた。
感想・批評・評価など、お待ちしております。
次回もお楽しみに!