七月十八日。
それは翌日が一学期最後の日と言う事で学生たちがそわそわと浮足立つ日であり、迫る最後の日に向けて教師たちがより一層気を引き締める重要な日でもある。学生と教師という正反対の立場だからこその違いではあるが、ほとんどの者たちはその違いを自覚してはいないだろう。それらの違いはあくまで深層心理における違いなのだ。
そんなさまざまな違いが錯綜するこの日、学園都市のとある高校に通うコーネリア=バードウェイは二年二組の教室でもぎゅもぎゅと幸せそうにサンドウィッチを頬張っていた。
「ああ、平和とはなんと幸せなものなのか……ッ!」
じーん、と目を潤ませながら意味不明な感動に包まれているのは、綺麗な顔立ちが特徴の金髪の少年だった。
さらさらとした質感ながらに無造作な金髪は目にかかるほどに長く、男子高校生にしては華奢な体躯は彼に中性的な印象を与えている。外国人特有のエメラルドグリーンの瞳は教室の明かりと日光を吸い込んでキラキラとした光沢を輝かせていて、中性的に整った顔は「平和」という甘美な響きに甘く蕩けそうになっている。
そんな、微妙に漫画チックな外見のコーネリア=バードウェイは口の周りについていたマヨネーズを手の甲で拭い、それを見ていた彼の友人二人が思い思いのリアクションを返し始めた。
「あははっ。コーネリアっちは大げさすぎるよ~。基本的にこの街は平和じゃ~ん」
「その意見にはボクも同意だな。この街の治安は警備員が守ってくれているのだから、基本的には常に平和だと言ってもいい。というかそもそも、平和という言葉はあまりにも曖昧すぎるとボクは――」
「はいはい~。無駄に壮絶な無駄話はまたの機会にね~」
「無駄話ではない! この世に無駄なものなど存在しない!」
「あ~も~。相変わらず面倒くさいな~
苅部と呼ばれた男子生徒は「面倒くさい」という言葉に「うぐっ!」と胸を押さえ、悲しそうな顔で小柄な少女から顔を逸らした。
彼らはコーネリアが校内で最も親交のあるクラスメートであり、休日や放課後などのプライベートでもよく遊んでいる親友である。俗にいう仲良しトリオというやつだ。
結城を撃破した琴音は「うん~」と可愛らしく考え込み、
「コーネリアっちはあれだよね~。もう少し緩く生活するべきだよね~」
「緩く? 俺、これでも結構毎日をだらだらと過ごしてる気がするんだが……」
「そういう訳じゃないんだよ~。あたしが言いたいのはね、え~っとね……う~ん……何だっけ?」
「あんまり気を張らないようにしろ、と言いたいのでは?」
「そう! それだよ! 苅部っち、さっすが~」
びしっ! とほんわかとした笑顔で親指を立てる琴音。
なるほど、彼女の言う事ももっともかもしれない。この街は得体の知れない能力者がうようよといる。しかし、だからといって、毎日のように緊張する必要はない。もっと普通の学生らしく、普通に平和に平穏に、時に固く時に緩く、青春を謳歌すればよい。――琴音はそう言いたいのだろう。
それは分かる、凄く分かる。
緊張のし過ぎは青春の楽しさを半減させる――そんなことは重々承知だ。
しかし。
そう、しかしなのだ。
普通で平和で平穏な学生と違い、コーネリア=バードウェイには気を緩めることができない理由が二つほど存在する。その二つはこの世界でも確実に彼にしか当てはまらないであろう属性であり、その二つこそが彼の普通で平和で平穏な生活を脅かしている元凶なのだ。
それでは、その二つの元凶をこの場を借りて発表しよう。
一つ。
コーネリア=バードウェイは前世の記憶を持った俗に言う転生者である。
一つ。
コーネリア=バードウェイの生意気な方の実妹レイヴィニア=バードウェイは――
(とりあえずは毎日が命の危機なんだよな、実は…あのバカ妹のせいで)
――イギリス屈指の魔術結社のボスなのである!
☆☆☆
コーネリア=バードウェイは前世の記憶を持ったまま生まれてきた転生者である。無論、この世界についての知識――『とある魔術の禁書目録』についてもある程度把握している。前世の話をしても仕方がない事ではあるが、『新約編』と呼ばれる展開までの知識はうろ覚えながらに頭に入っている。
……と言っても別に『原作知識を使ってチート無双じゃーっ!』だとか、そんなマンガのような展開は存在しない。転生というトップレベルで漫画チックな経験をしてしまっている希少種が言えたことではないのだが、そんなご都合主義な展開は漫画の中だけでしかありえないのだ。
彼が『コーネリア=バードウェイ』という人間として生まれる前は、普通の大学生であった――と記憶している。この場で言うのも何だとは思うだろうが、自分がどういう経緯を経てこんな立場になってしまったか、その記憶は全くと言っていいほど残っていない。
ぶっちゃけた話、気づいたときには『コーネリア=バードウェイ』だった。
それが、彼がこの世に生を受けるまでの緩くて現実離れした経緯である。
最初、二度目の生を受けた時、彼はこの世界がどんな世界なのかが全く把握できていなかった。自分の名字が『バードウェイ』であることなんかまったく気にしていなかったし、そもそも幼い身では周囲の情報を集めることすらままならなかった。ああ、二度目の人生かぁ――ぐらいのものだった。
しかし。
五歳の時に『レイヴィニア=バードウェイ』なる妹が生まれた時、初めて彼は気づいたのだ。
――もしかしてこの世界って、『とある魔術の禁書目録』なんじゃね?
それに気づいた瞬間、彼は自分が置かれている状況の最悪さに気づいた。
自分が『レイヴィニア=バードウェイ』の実兄である――という最悪な事実。
レイヴィニア=バードウェイとは、後に『明け色の陽射し』という超強大な魔術結社のボスに就任することになる最強無敵の女魔術師である。その実力は折り紙付きで、多くの魔術師を爆発魔術でぶっ飛ばしたり証拠が残らない暗殺系魔術を冗談で人にかけたりするというハイレベルにデンジャラスな人格までもを持ち合わせていたりする。
そして、そんな彼女は魔術結社のボスであるが故にイギリス清教から狙われていて、さらに彼女の妹であるパトリシア=バードウェイは何度も命を狙われたりしているのだ。
その点を踏まえて、考えてみてほしい。
『明け色の陽射しのボスの兄』であるコーネリア=バードウェイがイギリスの魔術師たちから命を狙われることになるのは当然のことではないだろうか?
ぶっちゃけ、すっげぇ運命を呪いましたね。
俺をこんな訳の分からない立場にした奴をボコボコにしたいと、結構マジで思っちゃいましたね、ええ。
しかし、レイヴィニアが生まれた時点でその事実に気づけたのは幸運だった。
イギリス屈指の魔術結社『明け色の陽射し』は魔術結社の名の通り、魔術サイドに位置している。元々は魔術と科学の垣根のない、自然科学的を主としていたのだが、『黄金』系の魔術結社に取り込まれてから魔術サイドに染まってしまった。――コーネリアは、そこを逆手に取る事にした。
レイヴィニア=バードウェイは魔術師として存在し、その妹パトリシア=バードウェイは一般人として存在する。魔術サイドと一般サイド。それでは、残る一つを埋めてしまえばいいんじゃないか? つまりはそういう事だった。
つまり。
コーネリア=バードウェイは科学サイド――つまりは能力者になる事を決意したのだ。
当然、色々と弊害はあった。『明け色の陽射し』のボスの家系であるバードウェイ。そこの長男であるコーネリアは次期ボスとして期待されていて、そのための教育なんかも幼いながらに受けさせられていたのだ。
しかし、コーネリアは周囲からの反対を押し切る形で学園都市行きを勝ち取った。『魔術サイドと一般サイドだけのカリスマなんて不安定すぎる。敵である科学サイドの事を知り尽くして初めて、「明け色の陽射し」が求める真のカリスマ性が手に入るのでは?』というやや無理矢理な暴論を突きつけ、コーネリアは無事に科学サイドへと移動する事を許されたのだ。
今更科学サイドを選ぶことに何の意味が? と思うかもしれないが、彼のこの選択にはちゃんとした思惑があった。――科学サイドの総本山である学園都市にいれば魔術師からも狙われなくなるんじゃね? という思惑が。
確かに、イギリス屈指の魔術結社のボスの実兄であるコーネリアが能力者になる事にはあまりにも大きすぎるリスクがある。兄を通じてレイヴィニアに科学サイドの情報が入ってしまうという危険性が。魔術結社のボスの兄が能力者開発用の時間割に参加して科学的な能力者になれば、魔術と科学の間で政治的な問題に発展しかねない。
しかし、それについては問題はなかった。
バードウェイという特殊な家系の長男に生まれたせいか、レイヴィニアやパトリシアといった天才を生み出す一族故か、コーネリアには生まれた時から特殊な能力が備わっていた。魔術でも科学でも説明の付ける事が出来ない、特殊で特異で特別な能力が。
そんな自分の立場について、コーネリアは十分すぎる程に知っていた。
自分が『原石』と呼ばれる世界でも五十人ほどしかいない特殊な存在であることを、この時のコーネリアは原作知識により知っていた。
能力者は魔術を使えず、天然の能力者である『原石』もその例には漏れない。
故に、魔術結社のボスになる事が出来ないと、自分は科学サイドを選ぶしかないと、コーネリアは『明け色の陽射し』の面々を説得した。魔術師になれない以上、魔術サイドの人間になることは出来ない。そんな針の穴の如き緻密な抜け穴を見つけたコーネリアは、自分の命を護る為に必死の説得を試みた。
結果。
コーネリア=バードウェイは当初の思惑通り、学園都市の学生になる事に成功した。
これで命の危機に晒されることはない。これからは平和で平穏な生活を送っていくのだ―――
―――しかし、彼の思惑は思わぬ所で瓦解する。
『とある魔術の禁書目録』とは、禁書目録と呼ばれる少女を狙う魔術師たちと上条当麻という少年が激闘を繰り広げる事が主軸となっている物語だ。勿論、上条当麻は学園都市の学生であるため、物語の主な舞台は学園都市となっている。
さて、勘の良い人はもうここで気づいただろう。
ぶっちゃけた話、学園都市という箱庭の中にいようがいまいが、魔術師からの襲撃が無くなる事などないのだ。
そんなあまりにも分かり易すぎる欠陥にコーネリアが気づいた時には時すでに遅く。
能力測定で『誤差』だと看做されつつも能力だけは使えるという、『原石』としての特性を無駄に発揮したことで異能力者認定されてしまったコーネリア=バードウェイは、魔術師という脅威に脅える日々を過ごすことになってしまった―――。
☆☆☆
終業式前日という重要なのかそうでないのか微妙な一日を終えたコーネリアは、第七学区にある学生寮への帰宅の路に着いていた。周囲には人影がない事から、彼が一人だけの帰宅をしている事が窺える。しかしこれは彼が寂しいぼっち系という事ではなく、単に魔術師からの襲撃に友人たちを巻き込まないようにするという彼なりの気遣いの表れだったりする。
能力測定でひ異能力者と判定されているが、一応は『原石』であるコーネリアは一般人よりはそこそこ戦えるし、事実、これまで襲撃してきた魔術師のほとんどを迎撃する事に成功している。それだけでコーネリアがある程度の実戦経験を積んでいる事は明らかだろう。
まぁ別に、好きで戦ってる訳じゃねえんですけどね。
「はぁぁ」と力なく溜め息を吐くコーネリアの背中は、仕事終わりのサラリーマンの様な悲壮感に包まれていた。
と。
「……ん? なんか、いつもよりも人気がないような…………ッ!?」
夕日に照らされる学園都市で、コーネリアが気づいた一つの違和感。
自分の立場を十分に承知している彼は一人での下校を心掛けているが、だからといっていつもいつも周囲に人影がない訳ではない。彼が暮らしている学生寮には同じ高校の男子学生たちが大勢住んでいるため、否が応でも誰かしらが近くにいる事になる。――今の様に人影がゼロになるなんて、通常ならば有り得ない。
つまり、今は異常事態という事。
そして、こんな芸当をできるのは、世界中でも魔術師と呼ばれる人種しか存在しないという事。
その二つの結論を即行で導き出したコーネリアは苛立ちを発散するかのように頭をガシガシと掻き、
「ほんっっと、レイヴィニアの悪名には迷惑させられるぜ……なぁ、魔術師さん?」
「……やはり気づかれていましたか。
「別に。単に臆病なだけだよ」
「噂に聞くレイヴィニア=バードウェイとは正反対な謙虚さですね」
その声は、二十メートルほど後方から聞こえてきた。
コーネリアが振り返ると、そこには日常からは大きく逸脱した女の姿があった。
ポニーテールに纏めても尚、束ねた分が腰の辺りにまで届く程の黒髪。身長は百七十センチ後半で、女性にしては長身だ。肌は物語のお姫様を連想させるぐらいに白く、スタイルは贔屓目で見なくてもかなり良い。上は白い半袖シャツをヘソが見えるように余分な布を脇腹の辺りで縛っていて、下は着古したジーンズ――何故か片足だけが太腿の付け根までバッサリと切り落とされている――を穿いている。足には西部劇にでも出てきそうなブーツが着用されていて、腰にはウェストを締めるものとは別にもう一本、これまた西部劇の拳銃でも収まっていそうな太いベルトが斜めに掛けられている。―――そのベルトには、二メートルほどの長さの日本刀が収められていた。
そんな露骨にイレギュラーな少女の姿に、コーネリアは迷う事無く絶句した。
その大胆すぎる格好の女性の正体を一瞬で看破出来ていたが、脳へと走った衝撃の方が大きすぎたコーネリアはショート状態から数秒を経て帰還した後、小刻みに震えながら目の前の女を指差し、青褪めた顔でこう叫んだ。
「へ、変態だぁーっ!」
「だ、誰が変態ですか誰が!」
その無駄に敬語な口調で、コーネリアは確信した。
顔を真っ赤にして抗議の声を上げている女の名が神裂火織である事。
そして、神の子としての性質を持つ聖人である神裂には絶対に勝てないであろう事を、コーネリアは確信した。
その確信を十分に噛み締めた後、魔術結社『明け色の陽射し』のボスを実妹に持つコーネリアは実は十八歳である神裂を気だるげな瞳で見つめながら―――
(あ。これは流石に無理ゲーだわ)
―――人生の終わりを悟っていた。
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次回、コーネリアという男に似合わない名前の由来が明らかに!