クロス・ワールド――交差する世界――   作:sirena

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第二話

 梅郷中の一年生――有田春雪は、同級生の不良である荒谷とその手下達にいじめられていた。

 

 中学に入学した当初に、目を付けられたのが運の尽きだった。それからというもの、ずっと散々な目にあっている。例えば、お昼休みにパンや飲み物を買ってくるように命令され、拒否すれば殴る蹴るといった暴力を振るわれる。そんな惨めな毎日だ。

 いつか思い知らせてしてやる為に、証拠品として呼び出された際のメール等を保存して残してはいるのだが。その後の報復を恐れてしまい、学校側に提出することもできずにいる。

 

 その哀れな張本人――ハルユキは、今日も要求されたパンとヨーグルトを買い屋上にいる荒谷達へ持っていった後、人が少ない第二校舎の男子トイレに向かっていた。

 虐めを受けている自分を嘲笑する、周囲の目から逃れる為に。もっとも、それは彼がそう思い込んでいるだけであり、実際はそうではないのだが――自虐的な思考ばかりするようになってしまったハルユキには、そうとしか思えなかった。

 

 そうして早足で歩き続けたハルユキは、彼専用の潜伏場所である――昼休み中は全くといっていい程に人が来ない――第二校舎の男子トイレに到着した。

 人目を避けるようになってから、毎日のように入り浸っている場所である。

 それでも、用心深いハルユキはトイレの中に誰も居ないのを確認して、最奥の個室の中へと入っていく。そして便器の上に腰掛けて目を瞑り、嫌悪に満ちた現実から仮想世界へと、意識を転移させる為に必要な魔法の言葉を紡いだ。

 

「ダイレクト・リンク」

 

 瞬間――現実のハルユキの意識は闇に落ち、ネットワークの世界。仮想空間へと送り込まれていった。

 

 

 仮想世界では、現実の身体とは異なる肉体を作り動かす事が可能だ。人の姿をした者もいれば、動物の姿をした者もいる。梅郷中の学生達もまた、各々が好みで多種多様な身体――アバターを作成し、使用していた。

 

 そんな中、ハルユキは自虐の意味が込められたアバターを使用している。デフォルトで設定されている、丸い小さなブタの姿をしたアバターだ。自分で作成した黒い騎士の姿をしたアバターも持っているのだが、周囲からの視線を気にして封印されたままとなっていた。

 

 すっかり馴染んでしまったピンクのブタのアバターに姿を変えたハルユキは、レクリエーションルームが設置されている一本の大樹へと、一目散に駆け込んでいく。そこは様々なスポーツゲームをプレイできるゲームコーナーであり、毎日多くの学生達が集まって楽しんでいる人気スポットだ。

 

 けれど、そんな学生達の目から逃げるように、ハルユキは樹の上の方へと続く階段を走って行く。上に行けばいくほど、人気の無いゲームになっていくからだ。仮想世界の中でも人目に怯えているハルユキには、そこしか居場所が残されていなかった。

 

 脇目も振らずに走り続けて、<バーチャル・スカッシュ・ゲーム>と書かれたコーナーでハルユキは立ち止まった。手を翳してパネルを操作し、生徒IDを入力してゲームを開始する。プレイ料金などはないので、何度でも遊び放題だ。まぁ、授業中は当然あそぶことができないようになっているのだが。

 

 開始と同時に上から落ちてきたボールを、延々と壁に当てることでリターンし続ける孤独なゲーム。それがハルユキがプレイしようとしているゲームだ。入学してからずっと、ハルユキは昼休みにこのゲームをプレイし続けていた。

 

 その成果――といっていいのかはわからないが――を示すように、画面に表示されたハルユキのスコアは異常な程のレベルに達している。仮に全国ランキングのようなものがあったならば、間違いなくトップレベルだろう。

 

 流石に少し飽きているのだが、しかし他にやりたいゲームがあるわけでもない。ハルユキは出現したラケットを握り締め、落ちてきたボールへと叩きつけた。蓄積した一日の鬱憤を乗せて、全力で振るった一打だ。ボールはハルユキの心境を示すかのように高速で飛んでいき、床と壁に当たって戻ってくる。それを正確に捕捉し、再度打ち返す。

 

 

 それからどれ程の時間が経過したのか。

 ボールはどんどん加速していき、弾丸の如きスピードに達しつつあった。四方八方に飛び回るボールを、ハルユキもまた縦横無尽に駆け回り、跳躍することで打ち返し続けていく。

 

 ――くそっ、仮想空間ならこんなに早く動けるのに。

 

 高速で身体を動かしながらも、ハルユキは心の中で怨嗟に満ちた叫びを上げる。

 

 ――どうして今更現実なんかいるんだよ、人間はもう十分仮想世界だけで生きていけるじゃないか。

 

 ネットワーク技術が進んだ現代、仮想世界は現実と変わらぬほどに巨大化した。リンカースキルが進学や出世を決めるといわれているくらいだ。仮想世界で過ごす一日の生活時間が十二時間以上――現実を超えている者も世界中に大勢いるだろう。

 

 ハルユキがそんな悶々とした思いに囚われる中、ピキューンという効果音が鳴り響いてボールの速さが一段階ギアを上げた。光弾のように輝き、曲線を描いて意思を持っているかのように不規則に襲い掛かってくる。

 

 徐々にハルユキの身体が遅れ始め、打ち返すのが苦しくなっていく。それでも、ハルユキはボールに追い縋るのをやめなかった。必死に、懸命に加速し続ける。

 

「ちくしょう、もっと、もっと加速しろ! 仮想世界も現実も飛び越えて、誰もいない領域に辿り着けるほど、速く!」

 

 燃え上がる激情とは裏腹に、終に限界は訪れた。

 

 加速し続け、もはやレーザーと化していたボールがハルユキのラケットを掠める。そのままハルユキの後ろの方へ飛んでいき、勢いを失って地面を転がった後消滅した。

 

 GAMEOVERの文字が振ってきて、二百六十三万という点数がスコアボードに表示された。

 これまでの自己ベストを更新する驚異的な数字だ。

 

 そんな自らが叩き出したハイスコアに目もくれず、ゲームを再スタートしようとハルユキはパネルに手を伸ばすが、

 

「二百六十三万……。この馬鹿げたスコアを出したのは君か」

 

 背後から聞こえてきた声に、伸ばしていた手を止めることになる。

 

 ――そんな、この場所に誰かが来た? 今まで、僕以外には誰もここには来なかったのに!?

 

 びくびくしながらも振り向いて声の聞こえた方向へ視線を向けると、そこには妖精がいた。

 

 美しい黒揚羽蝶の翅を背中に生やしていて、宝石のちりばめられた漆黒のドレスを着込んでいる。百人に聞けば百人が美しいと返すだろう、完璧な美しさを持ったアバターだ。

 ハルユキはそのアバターが誰なのか知っていた。否、梅郷中の学生ならば誰もが知っているだろう。梅郷中の二年生にして、生徒副会長である少女、黒雪姫の名を――。

 

 誰も来ないはずのゲームコーナーへ、その美しい姿を現した一羽の妖精。黒雪姫は、驚愕して身を硬直させていたハルユキに視線を向けた。

 

「君は先程叫んでいたな。仮想世界も現実も飛び越えて、もっと先へ加速したいと――」

 

 ――聴かれていたのか。

 

 叫換が聴かれていたと知り、ハルユキは顔を赤くして俯いた。しかし、黒雪姫は気にした風もなく言葉を投げかける。

 

「君のその言葉が嘘偽りのないものだというのなら、私が君に授けよう。もっと先へ加速する為の力を」

 

 気が付けば、ハルユキは反射的に顔を上げて再び黒雪姫を見つめていた。

 

 現実も仮想世界も突き抜けて、もっと先へと加速する力を授ける。そんな夢みたいな言葉に魅せられたのか。あるいは、語り掛ける黒雪姫の神秘的な美しさに魅せられたのかもしれない。投げ掛けられた言葉に返答するかのように、黒雪姫を見つめるハルユキの目には普段の自虐的な彼には存在しなかった強固な意思が秘められていた。

 

 その真っ直ぐな視線を向けられた黒雪姫は、目を細め唇を吊り上げた。誘うような魅惑的な笑みだ。思わずハルユキはごくりと唾を飲み込む。

 

「明日、昼休みにラウンジへ来い」

 

 そうハルユキへ告げると、黒雪姫は仮想空間からログウトした。呆然と立ち尽くすハルユキを残したまま。

 

 

 その後、もう一度ゲームをプレイする気にもなれなかったハルユキは仮想空間をログアウトし、男子トイレを出て廊下を歩いていた。人のいない静かな空間に、ハルユキの足音だけが響く……。

 

「あーっ! こんな所にいたー!」

 

 はずだったのだが、悲しいことにハルユキが求めていた静寂は甲高い声の前に脆くも崩れ去った。

 傍迷惑な大音量の叫び声の犯人は、ハルユキに向かって走ってくる。

 

 ハルユキの幼馴染で、同じ一年生の倉嶋千百合だ。釣り目がちの大きい瞳が特徴的な猫科めいた少女で、ハルユキのもう一人の幼馴染、黛拓武の恋人でもある。

 

「最近ハルってばお昼休み中いつもいないから、探し回ったんだよ」

 

 チユリはハルユキの隣に立つと、手に持っていたバスケットを差し出した。憂いを含んだ彼女の表情は、ハルユキのことを心配してのことだろう。

 

「あたし、お弁当作ってきたの。ハルの好きなポテトサラダにハムチーズのサンドイッチ。あいつらに奢らされて、またお昼食べてないんでしょ? 何か食べないと、体に悪いよ」

 

 差し出されたバスケットが、純粋な好意によるものだとハルユキは理解していた。

 しかし、幼馴染に同情される自分の惨めさに、素直に受け取れないハルユキは差し出されたバスケットを右手で押し返してしまう。

 

「い、いらねぇよっ!」

「あっ……」

 

 強い力で押し返されたバスケットは、チユリの手を離れて壁に向かって飛んでいき――

 

「誰かのお弁当が危ない! しかし、そこへ颯爽と登場した謎の美少女カガリ! 華麗にジャンプして優雅にキャーッチ!!」

 

 壁にぶつかる一歩前で、獣の如き俊敏な跳躍で飛び掛かった金髪の少女――カガリの手に収まった。

 ズザーーーっという音と立てて床を滑りながらも、彼女はキャッチしたバスケットを死守してみせる。なかなかにシュールな光景である。とりあえず、華麗ではない。そして優雅でもなかった。

 

「なっ――!?」

「ええっ!?」

 

 あまりに予想外な出来事に、ハルユキとチユリが驚愕の声を上げた。見知らぬ少女の華麗な登場――もとい、謎の奇行を目にした者として当然の反応だろう。

 しかし、二人の困惑の叫びをまるで気にもとめずに、カガリは立ち上がって制服についた埃を落とす。そうして十分に払った後、手に持ったバスケットを持ち上げた。

 

「食べ物を粗末するような悪い子は、罰としてカガリがあさやけ相談室に連行します!」

 

 私、怒ってます。とバスケットを掲げながら声高らかに宣言するカガリを前に、ハルユキもチユリも唖然とした表情で固まるのだった。


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