雪の軌跡 作:玻璃
では、どうぞ。
腰が抜けてしまったアルシェムに、テレサは優しく話し掛けた。
「ふふ、今日はもう遅いですし、泊まって行きませんか?アルシェムさん。」
「いえ…夜分遅くに、済みませんでし…」
そこで、違和感を感じた。
「?アルシェムさん?」
微かな油の臭い。
それと…
人の、気配。
それも、複数…!
「…っ!誰!」
返答は、火だった。
「く…テレサ先生!子供達を起こして下さい!」
「はい!」
テレサが駆け上がったのを見届け、扉を開け放つ。
途端に銃弾が腕を掠る。
「ぐっ…待て!」
「…撤退する。」
その集団は、統率の取れた様子で去って行った。
「…追えねーか…」
それを見届け、子供達が下りてきた気配を感じる。
「わわっ、何だコレ!」
「けほけほ、煙臭~い。」
「こ、怖いよ~!」
「うみゅ~…まだ眠い~…」
四者四様の反応をした子供達を叱咤し、急がせるテレサ。
だが…
それでは、もう遅かった。
「さあ、皆、早く…ああっ!」
「わああっ!?」
上から梁が落ちてくる。
このままでは、誰も出られなくなってしまう…!
「あ、アルシェムお姉ちゃん!?」
咄嗟に落ちてきた梁を受け止めてしまう。
これでは、もうアルシェムは逃げられない。
「…かまわないで!良いから早く出て!わたしは何とかするから…早く!」
「はい!皆、急ぎますよ!」
ありがたいことに、ここだけはスムーズに避難が済んだ。
「この、梁を…っ!?しまっ…」
天井が崩れ、梁の上に重量が増加してしまう。
このままでは…!
「あ、アルシェムさんっ!?」
「ち…!わきゃっ!?」
更に天井が崩れてしまい、アルシェムは押し潰されてしまった。
「アルシェムさんっ!!」
「う…」
気が遠くなる。
このまま…
死んでしまうのか。
それでも、良いと思っていた。
だが、そこには…
「…ふん!」
象牙色のコート。
そして、銀髪の…
「あ…れ…?おか、しいな…何、で…」
何で、レオン兄が…
そこで、意識が急激に落ちてしまった。
伝えたいことがあったのに。
そして、次に気が付いた時にはそこはもう孤児院ではなかった。
周りに複数の人間の気配を感じて、アルシェムは飛び起きた。
「…っ!」
「あ、アル!」
そこには、エステルをはじめテレサや子供達、クローディアに…
ヨシュアが、覗き込んでいた。
「え…っちょっと…待って…ヤバい…」
男がいる。
「え?」
ああ、ダメかもしれない。
「ヨシュアだけ…離れてて…」
ダメなのかもしれない…!
「?どうかしたのかい?」
「ばか…」
もう、限界だった。
アルシェムは掛け布団を思い切り被り、声にならない声で叫び始めた。
「~~~~~~っ!」
「アルっ!?どうしたの!?」
「アルシェムお姉ちゃん!?」
皆が驚くが、構っていられない。
構っていられるレベルを、既に超えてしまっていた。
「はあっ…はあっ…~~~~~~っ!」
それでも、辛うじて気を使えるだけの余裕は残っていた。
大声で叫ぶのだけは、避けられた。
「錯乱状態みたいだね…」
「…確か、メルさんが来ていたはずです!すぐに呼んで来ますね!」
クローディアが出て行く。
人口密度が少し減ったことで、叫ばなくても耐えられるようになった。
「…んでもねー…」
「アル?」
「何でもねー何でもねー何でもねー…」
呪文のように、繰り返す。
そうしなければ、心が死んでしまいそうで。
「ちょっ…ヤバいんじゃないの!?」
「メル先生に賭けるしかないね…」
怖いものが、傍で話すのを聞くだけでまた叫べそうだった。
「何でもねー…ここは違うんだから…何にもねー…」
扉がノックされ、メルが入ってくる。
「アルシェム!」
「メル先生、早く!」
メルはベッドの前に立ち、静かに言った。
「…出て来なさい、アルシェム。」
「…出れねーの…出たら、死んじゃう…無理…出たく、ねーの…」
手が付けられないことが分かると、メルは強硬手段に出た。
「…ふう…皆さん、少しだけ見ない振りをして貰えませんか?」
「ふえ?」
「よいしょっと。」
「!?や…」
アルシェムを担ぎ上げたメルは、空いていた隣の部屋へとアルシェムを運び込んだ。
「…落ち着きましたか?」
「…怖いよー…どーして…」
「ダメですか…仕方ありませんね。昔話でもしましょっか。」
メルは、深呼吸をしてから静かに話し始めた。
「…あたし、アルテリア生まれなんですがね…一時期、アルタイル市にいたことがあるんです。」
「え…?」
その、名前は。
決して不用意には聞き流せない名前。
まさか…
まさか。
「ま、あのせいで異常な人間になったんですが…逃げ出せたんですよ。だから、アルタイル・ロッジが見つかったんです。」
「…っ!?じゃあ…メルも…?」
心に冷水が浴びせられたような気分だった。
まさか、メルもそうだったとは思いもしなかった。
「…ええ。落ち着きましたか?」
「いや…逆に、ちょっとショックで…そっか…じゃあ、会ってたかも知れねーんだ…」
「会ってても分かりませんし、あたしも早々に別の場所に移りましたからね…さ、戻りましょう。」
「うん…」
やっと落ち着けたが、もやもやしたままだった。
メルは、アルシェムのことを恨んでいないのだろうか。
それだけが、心配だった。
年賀状 一通たりとも 来ていない。
いや、だって、ねえ。
紙の無駄じゃないの。
どうせ十五日までに会える奴らばっかりなんだし良いじゃないの。
では、また。