雪の軌跡 作:玻璃
では、どうぞ。
ストレイの演説が終わり、通信が切れた。
レンとティオは黙ったままだった。
最初に口を開いたのは、マクダエル元議長だった。
「…やはり、君だったか。」
「勘違いしないでほしい、マクダエル元議長。『アルシェム・シエル』という存在は死んだんだ。」
「それは、君がもうアルシェム君として生きていられないからだろう?」
マクダエル元議長はストレイをじっと見据えた。
ストレイはそれを頷くことで肯定した。
「そうだ。…わたしはもう、一般人ではいられないから。」
「…そうか。」
そこでティオが口を挟んだ。
困惑、というよりは怒っているような表情だ。
「ストレイ卿、ロイドさんたちがとても怒っているのでロックを解除して良いですよね?」
「ああ、頼む。」
そうストレイが言った瞬間。
全力で扉が開き、前に立っていたレオンハルトとカリンを弾き飛ばしてロイド達が突進してきた。
「アル!」
ロイドの叫びに、ストレイは一瞬目を細めた。
そして、こう応えた。
「『アルシェム・シエル』はもう死んだ。知っているだろう?ロイド・バニングス。」
「それは嘘だ!」
ロイドはストレイのセリフを喰い気味にそう叫んだ。
そして、言葉を漏らし始める。
「考えればおかしなことはいくつもあったんだ。増えたアルの単独行動。強い絆で結ばれているはずのレンがアルが死んでも動揺しなかったこと。それに、ストレイ卿に会った時のティオの反応。」
「それのどこがおかしい?アルシェム・シエルには単独行動をする理由があった。レンはわたしの指示であの場からは絶対に逃げ切るように言ってあった。ティオ・プラトーは昔会ったことがあるだけだ。」
これだけではストレイは論破できない。
すくなくともストレイはそう思っていた。
ロイドは言葉をつづけた。
「じゃあ、どうして貴女は仮面をかぶっていたんだ!?」
「いつもの癖だ。顔をさらせない任務が多かったものでね。」
「いいや、今回に限ってはそんな理由じゃない。貴女がアルでない限り、仮面をかぶることに意味なんてないんだ!」
そのロイドの言葉に、ストレイは眉をひそめた。
別にストレイがアルシェム・シエルでなければ仮面をかぶらなかった、というわけではない。
ただ、これからも潜入などが増えるかもしれないという危惧があったから顔を隠していただけだ。
…もっとも、今顔をさらしたのはインパクトを強めるためだが。
ロイドは推理を続ける。
「最初は貴女の正体を明かさないためとも考えたけど、それなら法術で記憶を消せばいいだけだ。キーアの時に頼ったみたいに、法術で記憶を戻すことが出来るなら、消すことも出来るんだろう。つまり、貴女が仮面をかぶっていたのは、俺達に正体を知られてしまっては満足に動けない人物だからだ。」
「確かにこの顔をさらせばお前たちは満足に動けなかっただろう。この顔は一応『アルシェム・シエル』の顔だからな。」
冷淡にストレイはそう言った。
そこでロイドは気付いた。
微かにストレイが震えていることに。
これは、きっと図星を差されたからだ。
ロイドはそう思った。
その瞬間、ストレイは声を荒らげた。
「だがな、アルシェム・シエルは死んだんだ!それがあの女の望む存在ではなかったから!アルシェム・シエルであれと定めた女が、それを否定したのだから!どうして生き延びたのだと思える!?どうして生きていられると思う!」
「アル…」
レンが小さく声を漏らした。
レンは知っていた。
ストレイは、アルシェム・シエルとして生み出された。
しかし、ストレイがアルシェム・シエルとして生きていくことをとある女は拒んだのだ。
ストレイは、叫んだ。
「ああ、認めよう。わたしは確かにアルシェム・シエルだった。けれどわたしはもう、アルシェム・シエルではいられないんだ!」
暫し、沈黙が流れた。
その場に聞こえていたのは、ストレイの荒い吐息だけだった。
そして、ストレイの息が落ち着いた頃。
ぽつりとストレイは零した。
「だから、わたしはデミウルゴスの娘にならなくてはならなかった。かつてアルシェム・シエル=デミウルゴスだった女は、『アルシェム・シエル』を否定されたから『デミウルゴス』として生きるしかなくなった。」
それでも、そう名乗りたくなくて。
ストレイは敢えて自虐的に《
それでも、結局のところ、
そこでランディが口を挟んだ。
「つまり、アルは死んだってことになる訳か。」
「…ああ。そうだ。」
「…そうか。」
ランディはそのまま少しだけ下がった。
ランディには分かっていた。
かつての自分を否定するために、ランディは自らを偽ったことがある。
ランドルフとして生きてきた過去を否定するために、ランディは『ランディ』と名乗るようになったのだ。
猟兵だった『ランドルフ・オルランド』ではない、普通に家族と笑い合っていた『ランディ・オルランド』として生きたいと願ったから。
故に、ランディにはストレイの気持ちがよく分かった。
それが逃げであると勘違いしたままで、ランディは沈黙した。
次に口を挟んだのはエリィだった。
「事情は、分かったわ。でも…どうして、私達には教えてくれなかったの…?」
「わたしがアルシェム・シエルだと?冗談ではない。わたしにはもう、そう名乗る権利はない。」
「権利って何よ!?私達がどれだけ悲しんだと思っているの!?」
エリィはストレイに詰め寄った。
しかし、ストレイはエリィを冷たく睨み据えてふりほどいた。
「アルシェム・シエルを悼んでくれたことには感謝する。ただし、わたしはアルシェム・シエルではなくなったのだからそう名乗る権利も義理も義務もない。」
「だから、アルは貴女でしょう!?それ以外の何者でもないわ。なのに、どうして…」
「認識の齟齬があるようだな、エリィ・マクダエル。わたしは、アルシェム・シエルだった。だが、今は違う。最初にわたしをアルシェム・シエルであれと定めた女がいて、その女がアルシェム・シエルが存在することを否定した。結果、わたしはアルシェム・シエルであったものの、今は別のものとしてしか生きられなくなった。」
エリィはストレイの言葉を聞いてなお反駁した。
「その女とやらは今関係ないでしょう!?」
「わたしという存在はその女によって生み出された。その女の紡ぐ運命からは逃れられない。」
ストレイは淡々とそう応えた。
そして、エリィから離れてリーシャの前に立った。
「…済まなかった。」
ストレイがしたことは、リーシャに対する謝罪だった。
確実にストレイが騙していたのは、リーシャだという自覚があったのだから。
「…どうして…貴女が、アルシェムさんで、エルで、ストレイ卿なんですか…」
リーシャは震える声でそう漏らした。
リーシャは怒りで震えていた。
思えば、再会した時からリーシャはずっとアルシェムに騙されていたのだ。
過去、リーシャはエルと名乗った少女と出会った。
そして、エルは修行相手として、またコミュニケーション力発達の相手としてあてがわれた。
同じように修行し、同じように笑いあい、他愛ない日常を過ごしていた。
なのに、彼女は魔人に背を引き裂かれて連れ去られた。
方々に手を尽くして探したものの、エルが見つかることはなかった。
そして、諦めてしまって。
リーシャの父が病に倒れ、逝ってしまって。
仕事ついでにクロスベルに出て来たリーシャは、劇団《アルカンシェル》に入った。
やがて風の噂で特務支援課なるものが出来たと知り、イリアに対する脅迫文の対策として支援課ビルを訪れた。
その際に、アルシェムはエルであることを否定した。
そして、その後変装したストレイ卿と《銀》として出会い。
『エル』の情報を得るためにストレイの手下となった。
ストレイ自身がエルだったのに。
西ゼムリア通商会議の後に知らされたのは、アルシェム・シエルがエルだという事実。
ストレイは、ずっとリーシャを騙していたのだ。
アルシェムは、ずっと。
ストレイは微かに震える声でこう告げた。
「わたしがアルシェム・シエルだったときにエルだと名乗り出なかったのは、過去を探られたくなかったからだ。エルがストレイだと教えなかったのも、そうすればクロスベルでこれ以上リーシャに罪を犯させないようにできると思いあがったから。…ただ、それだけの話だ。」
リーシャは何かを言いかけて止めるのを数回繰り返した。
言葉にならなかった。
どうして。
何故。
だけど、分からなくもなかった。
過去のせいで『エル』のまま戻ってくることが出来なかったのだろう、ということも。
このまま『アルシェム・シエル』として生きたかったのだろう、ということも。
ストレイがリーシャを案じていたのだろう、ということも。
それほどまでに、リーシャは『エル』という存在に依存していた。
『エル』がいたからこそ、リーシャは普通の少女としての生活を知った。
『エル』が消えたからこそ、リーシャは《銀》を継ぐと誓った。
『アルシェム・シエル』がいたからこそ、リーシャの大切な恩人を救えた。
『アルシェム・シエル』が消えたからこそ、リーシャは戦うと決めた。
ストレイがいたからこそ、リーシャはクロスベルで罪を犯すことは出来なかった。
そして、ストレイがこうして正体を明かしたから。
リーシャは、もう全てを捨てても良いと思えてしまっていた。
ストレイはリーシャにだけでなく全員に向けてこう問うた。
「他に、何か言いたいことはあるか?」
それに答える者は、いなかった。
頭の整理が追いついていないものも。
分かっていて、対処しないものも。
自問自答を繰り返す者もいた。
そんな彼らを見回して、ストレイは告げた。
「では、今後のことだが…ロイド・バニングス。まだ、付いてくる気はあるか?」
「…色々と、考えないといけないことはあるけど、話はクロスベルを解放してからだ。…あの結界の解き方は分かるか?」
ロイドは厳しい顔でストレイにそう言った。
ストレイはティオに目くばせしてモニターに映像を出させた。
「…これは?」
「結界の起点となるだろう物体がある場所だ。1つは《星見の塔》。1つは《月の僧院》。《太陽の神殿》からは鐘が消えていたから、最後の1つはクロスベル市内だろう。全てを止める必要はないだろうが、かといって1つでは心もとない。よってメルカバ残留組と《星見の塔》攻略要員、《月の僧院》攻略要員にわける。」
「他に情報は?」
ロイドは真剣な顔でそう聞いた。
ストレイは再びティオに目くばせをした。
途端に映し出される《星見の塔》と《月の僧院》の屋上。
《星見の塔》の屋上にはアリアンロードが、《月の僧院》の屋上にはカンパネルラがうつっていて、何故か手を振っていた。
「…ストレイ卿はどう分ける?」
「メルカバ残留組はアガットとティータ、それにカリン。《星見の塔》はわたし、レン、リーシャ、ティオ、レオンハルト、《月の僧院》はロイド、エリィ、ランディ、ノエル、リオ。」
「《星見の塔》側のバックアップはティオだけなのか…」
そこでロイドは考え込もうとした。
しかし、ストレイはこう告げた。
「いや、わたしもバックアップだ。どこぞの誰ぞのせいで何でも扱えるように仕込まれたからな。バックアップが少なくて良いようなら前衛に回る。」
「あ、ああ…でも、足はどうするんだ?」
「それはこちらで考える。…今日はもう休んだらどうだ?気持ちの整理もついていないようだから。」
そのストレイの言葉にロイドは不満そうな顔をしながら仮眠室へと向かって行った。
他の面々もそれぞれ仮眠室へと向かって行く中、ブリッジに残った者達がいた。
従騎士達と、ティオとリーシャである。
ストレイは彼女らにも声を掛けようとして、出来なかった。
全員の気迫に負けたのだ。
「…レーヴェ、ストレイ卿を逃がさないで頂戴ね…?」
「い、委細承知。」
「私は皆さんに眠ってもらいに行きますから。」
とてもイイ笑顔で、カリンはブリッジから去った。
そして、すぐに戻ってきた。
イイ笑顔のままで。
威圧感を感じる、とてもコワい笑みである。
カリンはストレイの前に立った。
「あー、カリン?」
「ちゃんと受けてあげてくださいね、アル。」
「だからアルシェムは死んだと。」
え?と言いながらハイライトを消した目でカリンはストレイを見た。
ストレイは引き攣った顔で「Yes,ma’am」と応えた。
そして。
ストレイは、強引にカリンに体を回転させられて、ティオとリーシャに向きなおらされた。
そこから一泊置いて、ティオとリーシャはストレイに告げた。
その言葉にストレイは絶句し、断ろうとして意志の強さに断りきることが出来なかった。
分かりやすく解説したら完全にネタバレになることに今気づいた。
では、また。