雪の軌跡 作:玻璃
では、どうぞ。
「あのさ、だから何なの?」
誰もが動けない、魔眼の縛りの中で。
アルシェムは悠々と立ち上がった。
こんなものは、効かない。
それを見たロイドが驚愕の声を上げる。
「あ、アル…!?」
「動けるんですか!?」
特務支援課の驚きは、しかしエステル達には共有されなかった。
アルシェムは、一度魔眼を気合で破っている。
またか、と思っただけだった。
「たかが魔眼でしょーが。」
「されど魔眼よ、アルのバカ。」
因みに、レンも動けてはいない。
ただ、呼べばすぐに駆けつけてくれるパテル=マテルは動けるから余裕なだけである。
動揺するヨアヒム。
「…何故動ける…!?」
「良く知らねーけどさ、動けるんだし理由なんていらねーでしょ。」
そう言って、剣と銃を構えるアルシェム。
既に、準備は出来ていた。
後は狩るだけだ。
「く…!」
再び魔人化するヨアヒム。
それを見て、アルシェムは乾いた声でこう言った。
「わー、何か出た。」
「呑気に言ってる場合じゃないわよ!?」
突っ込みを入れるエステル。
だが、まだ魔眼は解けてはいない。
この状況は、かなりマズイと言っても良かった。
取り敢えずヨシュアに声を掛けるアルシェム。
「ヨシュア、見える方角だけ頑張って。」
「無理だよ!?」
無論、不可能である。
この状況から出来るとすれば魔眼のみだが、先天性のものでもないそれはヨアヒムには効かないだろう。
分かっていてアルシェムは言ったのだが、取り敢えず不平だけは言っておくことにする。
「えー。」
「えー、じゃない!」
ある意味でどうしようもない状況の中。
動けるアルシェムだけが頼りにされそうだった。
「仕方ねーな…」
「…パテル=マテル。」
…のだが。
レンは、あっさりと彼を呼んだ。
「あ。」
パテル=マテルはあきれるほど早く駆け付けた。
どこで待機していたのか小一時間ほど問い詰めたい気分である。
ヨアヒムの背後に降り立ったパテル=マテルは、電子音を響かせた。
そして…
「薙ぎ払いなさい!」
「レン、それは危険だから。…もう…」
パテル=マテルは一気にヨアヒムを薙ぎ払った。
砲門の輝きは消えない。
レンの命令も聞かずに、彼はヨアヒムを撃ち続ける。
「うおっ!?」
「か、掠った!掠ったから!」
そう叫んだのはアルシェム。
それは、合図でもあった。
ちらりとアルシェムを見たレンはパテル=マテルに再度お願いをした。
「ダブルバスターキャノン!」
「ちょっ…」
放たれるダブルバスターキャノン。
だが、それはロイド達の周囲だけ当たることはなかった。
その理由は、簡単だ。
そこに、薄い氷の膜が張られていたのだから。
「え…」
「い、一体、何があったの…?」
何が起きたか把握できていないエリィ。
この場でそれを正確に理解出来たのはレンだけだった。
「…うふふ、殲滅完了ね♪」
「レン、ちょっとは加減してよ…」
「あら、何かあってもサポートする気満々だったくせによく言うわね。」
目を細めて言うレン。
もう、余裕そうだった。
何があっても、ヨアヒムは狩れる。
そんな余裕さえ見て取れた。
愕然とするヨアヒム。
「バカな…そんな、バカな…!」
「あれ、レン。殲滅終わってないよ?」
ヨアヒムを指さして言うアルシェム。
無論、冗談である。
アレを狩るのは、アルシェムの役目だ。
だが、レンは真面目に答えた。
「あんな奴、パテル=マテルに狩って貰うのすら嫌だもの。」
「さ、さいですか…」
真面目に返されるとは思っていなかったアルシェムは、適当に答えた。
レンは、真剣な瞳のままこう告げる。
「だから、終わらせましょう。」
「…そうですね。悪夢は、もう懲り懲りですから。」
ティオも、それに同調した。
魔導杖を構え、ヨアヒムに向ける。
既に。その身体から震えは消えていた。
震える声を絞り出すヨアヒム。
「何故、キーア様は…」
「うーん…前提からして間違ってるよね。…キーアは、あんたのことを露ほども思っちゃいないよ。」
ぼそり、と嘯いて。
アルシェムは、その場から軽く駆け出した。
「んじゃ、まー始めますかね。」
おもむろに導力銃を構えて、数発ずつ急所にぶち込まれる銃弾。
ただし、急所であると理解しているのはアルシェムだけだ。
他人から見ても、適当に銃弾をバラまいているようにしか見えなかっただろう。
レンが、目を細めてティオに提案した。
「レンが胴体に突っ込むわ。だから…」
「はい、頭は任せて下さい。」
物騒なことを言っているが、この状態では急所になりえないとティオは理解していた。
そして…
銃弾が、切れた。
その、最後の一発が命中するのを見越して。
アルシェム達は、全力で怒りを叩き込んだ。
「「「合技、ラルカンバスター!」」」
ヨアヒムは、塩と化して死んだ。
そう。
アルシェムの放った、最後の弾丸は…
《塩の杭》の塩を弾丸に封じ込めたものだった。
「…あ…」
「原型は留めなかったのね…」
哀しそうに言うエリィ。
アルシェムとしては、跡形なく消えてくれた方がありがたかった。
それに、一応は外法認定出来ている人間だった。
…まあ、宣告はしなかったが。
漸く、ヨアヒムの塩化のショックから立ち直ったティオが言葉を漏らす。
「…終わった、んですよね…?」
「…ああ。逮捕出来なかったのは残念だけど…」
落ち込むロイド。
申し訳ない気分にはなるが、残念ながらこれ以外の道はなかった。
どの道、ヨアヒム・ギュンターに生き延びる道などなかったのだから。
ロイド達が全滅しない限りは、だが。
「どの道、彼に生き延びる道はなかったよ。…たとえ逮捕出来ていたとしても、ね。」
「…そう、か…」
俯くロイド。
逮捕したかったのは分かるが、アルシェムとしては外法として狩ったまでだ。
だから、アルシェムには罪悪感はあるが後悔はしていなかった。
「悔やまないで、ロイド。」
「…でも…」
それでも、ロイドは下を向いたままだった。
出来ることならば、きちんと償わせたかったのだろう。
ただ、その時点は既に過ぎ去っていた。
グノーシスさえ呑まなければ、逮捕させることすら可能だったのだから。
ランディはそんなロイドを励ますように声を掛ける。
「過ぎちまったことだ。…それに、あの時点で生きてたのも奇跡みたいなもんだからな…」
「…ま、トドメを刺したのは否定出来ねーからね。」
「アル!」
真実を告げたまでなのに、エリィが咎めてくる。
トドメを刺したのは、アルシェム自身。
それも、《塩の杭》の銃弾でトドメを刺した。
生き残れるはずはない。
だが、ここでアルシェムは嘘を吐いた。
「ただ、手加減はしたよ。一般人でも虫の息で生き残れるレベルにはね。…グノーシスが聞いて呆れるよ。」
「…兎に角、撤収しようか。色々押収するものはあるけど、それは後からにしよう。…皆、へとへとだからね。」
ロイドの判断は、実際は妥当ではない。
まだ誰かが潜んでいる可能性だってあるのだから。
だが、エステルもそれを容認した。
「特にアル!あんたは休憩してないとあの不良中年のところに連行するからねっ!」
エステルの言葉に、アルシェムは辟易した。
そして、終わったという実感がやっとやってきた。
精確には、一段落ついた、なのだが。
苦笑いしながら、アルシェムはエステルに告げた。
「流石に…断固拒否…かな…」
言いながらも前のめりに倒れこむアルシェム。
それを、ランディが受け止めた。
「おわっ!?」
「ナイスキャッチ、ランディさん…じゃない!ちょっ、離れた方が良いかも!」
エステルが叫ぶ。
だが、エステルが恐れていることは起きなかった。
『アルシェム』は、ランディの袖を掴んだまま意識を失った。
それを見て困惑するレン。
「…え?」
「いや、俺も離れようとはしてるんだ。けどよ…その、アルが離してくれなくて…」
ランディも、困惑していた。
男がダメなはずのアルシェムが、自身の服の袖を握ったまま意識を失っているなんて。
「…あら。」
「嘘…し、信じらんない…」
エステルが呆然として『アルシェム』を見つめる。
身じろぎもしない『アルシェム』を見て、ヨシュアは嘆息した。
そこはかとない違和感を感じながら、だ。
「…それだけ、信頼されたってことなのかな。」
「…そっか。ちょっと…悔しいなぁ…」
「…え?」
エステルの言葉の意味が分からなくて聞き返すロイド。
悔しい、とは何事か。
エステルは、昔を懐かしむように語りだした。
「昔はね、もっと酷かったの。…起きてるときは割と抑えてたみたいだけど…寝起きとか、特に酷かった。」
「それって…」
ロイドにも、そこまで聞けば容易に想像できた。
その、アルシェムの状況を。
男に囲まれて怯えていたアルシェムを見たこともその想像には役立った。
「見てるこっちは結構びびるんだけど…ね。男が近くにいたらアウト。…怯えて手に負えなくなっちゃうの。」
嘆息しながら言うエステル。
だが、レンはそんなエステルを見て意外そうに言った。
「あら、それで済んでたのね。」
「え…?」
「レンが知ってるアルはそんな状況になったら剣を振り回してたわよ。」
それは、事実ではなかった。
それは、ヨシュアにも分かった。
だから、このまま誤魔化してしまおうと思った。
「危ねぇな!?」
「…乗り越えようとはしてるんだと思うわ。アルなりにね。」
「…そっか。」
特務支援課が外へと出るのを、アルシェムは物陰から見送った。
ランディに抱えられているアルシェムは、分身である。
アルシェムは、悠々と調査を終えて外に出た。
すると何故か記念撮影をしているようだ。
分身は車の中に寝かされていた。
そのため、気配を消して入れ替わる。
程なくして、撤収が始まった。
アルシェムは病院に運び込まれそうになったものの、状況を鑑みて自室へと搬送された。
今のウルスラ医大には、運び込めなかった。
自室で、アルシェムは溜息を吐いた。
「…誤魔化すの疲れる…けど、大体は押収出来たしね。問題は山積みだけど。」
意識を失っていたわけではない。
それでも、疲れ切っていたために目を閉じた。
眠りはすぐにやってきた。
そうして、クロスベルでの一番長い一日が、終わった。
漸く、全てが揃う。
ばらばらになった歯車は、複雑に絡み合ってつながりをより強固なものにした。
そして、再び集うのだ。
新たなる歯車を連れて。
そして…
アルシェム・シエルはその中心とならなければならなかった。
次回から数話、閑話を挟みます。
では、また。