雪の軌跡 作:玻璃
1話あたりが短すぎたんですね、最初の方は。
では、どうぞ。
アルシェムは、レンに向けて振るわれる刃をただ見ているわけではなかった。
妙な気配を感じた瞬間、全てを滅することに成功したアルシェムは全力で浮上を始めたのだ。
ただ、一瞬。
一瞬だけ、間に合わない。
「…っ、バカ、かっ!」
最後の気合を込めて、浮上するアルシェム。
その背を、一気に押されて。
結果的に、ナイフはレンの首の皮一枚を切り裂く寸前に止められた。
「…あ…」
「…止まって良かった、かな…」
そして、そのままナイフを取り落とした。
こんな凶器、アルシェムは使ったことがない。
使ったことがなくて正解だった。
今度こそ、レンはアルシェムに抱き着いてくる…
と、思いきや。
「アル…の、バカぁっ!」
絶叫と共に、頬を張り飛ばされた。
そして、涙ぐみながら頬を膨らせるレン。
その、背後に見えたものにアルシェムは戦慄した。
「えっ…ちょっ、待っ…」
しかし、アルシェムの声は聞き入れられなかった。
レンに呼ばれるまでもなくスタンバイしていたパテル=マテルが電子音を響かせながら砲門を輝かせ始めたのだ。
そして、レンの指示でそれを発射した。
「パテル=マテル。…ダブルバスターキャノン。」
「それお仕置きになんないから!ひきゃあああ!」
お仕置きではなく、トドメである。
だが、レンはそうは思っていなかった。
このくらいではアルシェムは死なないことをよく知っていたのだから。
跳ね飛ばされるアルシェムに向けて、レンは小さく呟いた。
「…お仕置きよ、お仕置き。バカ。」
アルシェムにはその言葉が聞こえていた。
漸く自分の意志で立てたアルシェムは、レンに向かって平謝りした。
「…大変申し訳なく思っております…」
「…分かったんなら、ちゃんと働きなさい。」
そう言って、アルシェムに何かを渡すレン。
それは、小型の爆弾と導力銃だった。
誰からも見えない角度で渡されたそれを、アルシェムは仕舞い込んだ。
「分かった、レン。」
アルシェムは、背から透き通った剣を抜いた。
それも、2本、だ。
武装したまま寝ていなかったために、急きょ創り出した氷の剣である。
だが、ロイド達はアルシェムが武装していなかったとは知らない。
レンだけが、それを知っていた。
驚愕を顔に浮かべながら、ヨアヒムが言う。
「…バカな…グノーシスの呪縛が破れるはずがない…!」
「残念だけどさ、破れちゃったんだ、よ、ねっ!」
一気に間を詰めるアルシェム。
そして、致命傷を与えないように少しずつ切り刻んでいく。
「…っく…!」
「…狩ってやるよ…わたしが、このわたしがねっ…!」
正気と狂気のはざまで、アルシェムはヨアヒムを切り刻んでいた。
それを見たティオは呆れながら言った。
「…アル…ブチ切れてますね…」
「当然よ。…ブチ切れてくれなくちゃ困るわ。」
ティオもレンも割り込もうとは思わなかった。
流石に、アルシェムの攻撃が見えないのに割り込みたくはない。
とばっちりだけは、嫌だった。
その光景を目の当たりにしたロイドは呆然としながらつぶやいた。
「攻撃が見えないんだけど…気のせいだよな…?」
「気のせいじゃないわ…私にも見えないわよ…」
溜息を吐きながら答えるエリィ。
流石に、エリィの動体視力ではとらえられなかった。
結構良い方ではあるはずなのだが、見切れる速度にはなっていなかった。
それを聞いたランディも、言葉を吐いた。
「ギリギリ見切れるんだがな…」
「流石ね、ランディお兄さん。」
驚嘆するレン。
まさか、ランディでも見切れてしまうとは思いもしなかった。
《闘神の息子》は伊達ではない。
やはり、誤魔化す方法が必要だろう。
そう、レンは思った。
そうしているうちにも、ヨアヒムはどんどん削られていく。
追い詰められたヨアヒムは、力を振り絞ってアルシェムを引きはがそうとした。
「ぐ…は、はは…まだ…まだ、終われない…!」
「へー…?」
結果的に嫌な予感で飛び退ったアルシェムが好機を与えることになった。
ざらっと瓶の中に入っていた紅い錠剤を飲み干すヨアヒム。
どうでも良いが、水がないと身体に悪いのではないだろうか。
今更も今更な話だが。
そんなどうでも良いことを考えているうちに、ヨアヒムがラリってきた。
「…ふふ…ふははは…これこそ…これこそが、紅の叡智…!」
「…だから何?ばっかじゃねーの?」
アルシェムの声をBGMにして、ヨアヒムの姿が変化し始めた。
それは、魔人化だった。
だが、アーネストとは規模が違った。
なんと、地面にめり込むほどに巨大化してしまったのである。
流石に予想外ではあったアルシェムが、呑気に叫んだ。
「…何か出たー!?」
「あ、あんですってー!?」
相変わらずの驚き方を見せるエステル。
流行語にはならないだろうが、驚いているというのが分かって何よりである。
ヨアヒム(魔人)は、頭に響く不気味な声でこう言った。
「…見エル…見エルゾ…!全テガ見エル…!」
「…大丈夫かな、コイツの頭。」
アルシェムは辟易して言った。
どうせ、この状態でも殺せる。
それが油断だった。
「現実逃避してる場合じゃないよ、アル!」
ヨシュアの声が聞こえた瞬間。
アルシェムはその予兆に気付いた。
「…下がれ、皆ッ!」
アルシェムの絶叫と同時に。
足元から、根のようなものが生えて来た。
それを避けられたのは、アルシェムの声に反応出来たレンと、ランディと、ヨシュアだけだった。
捕らわれるロイド達。
「な…」
「こ、これ…!」
みちり、と音がして。
ロイド達の身体は根に締め付けられ始めた。
無駄とは分かっていながらも、アルシェムは根に切りつけながら叫んだ。
「…っち…離せ!」
だが、アルシェムの声は意外にも聞き入れられたのだ。
根が、全員から離れた。
それどころか、根はゆっくりとロイド達を床に降ろすだけの気遣いも見せた。
「え…」
「…何?今、何があったの?」
解放されて困惑する一同。
それに答えをくれたのは、意外や意外、ヨアヒムだった。
恭しく言うヨアヒム。
「…貴女様ノ仰ルコトナラバ従イマショウ…我ラガ神ヨ…」
「…いきなり何があったんですか、コイツ。」
全力で引くティオ。
だが、彼女は気付いてはいなかった。
その、言葉の意味に。
なおもヨアヒムは語る。
「…キーアナゾ贋物…貴女様コソガ…」
「…ふーん…」
目を細めて、アルシェムはその言葉を聞いた。
だが、ランディとしては聞き入れてもらいたくない言葉だったのだろう。
ヨアヒムの声をかき消すように大音声で叫んだ。
「聞くなアル!」
「我ラガ、神ヨ…」
そう言って、ヨアヒムはその巨体を2つに折った。
アルシェムとしては、そのままへし折りたい気分である。
ばっきり折ってやれば、どれだけ爽快だろうか。
「…だから、どーした。…あんた達に人生を狂わされた人がたくさんいるんだよ。」
「…我ラハ…貴女様ノタメヲ思ッテ…」
しどろもどろになりながら言うヨアヒム。
アルシェムの顔は、能面のようだった。
怒っていないわけではない。
怒りがある点を通り越して、冷静になってしまっただけだった。
こてん、と首を傾げてアルシェムが告げる。
「…気付いてないのかな?わたしもその1人だって言ってんの。」
「…ソンナ…イヤ、デモ…」
口ごもるヨアヒム。
だが、アルシェムはそんなことなど気にする気もなかった。
頭の中は、怒りで満たされていた。
「わたしのため?ふざけんな。あんた達は…まるで見当違いのことをやってッ!…たくさんの人を不幸にして…あんた達教団さえいなけりゃ、わたしがここにいることなんてなかったのにッ!」
絶叫。
心からの、絶叫だった。
それは、事実だった。
誰も、知りようのない事実。
誰にも、理解することの出来ない真実が、そこにあった。
呆然と言葉を漏らすティオ。
「…アル…?」
「それって、一体…」
「…慈悲なんて…与えてやるものか…」
アルシェムは、レンから渡された爆弾をバラまいた。
その威力を知っているエステルが顔を引きつらせる。
「いっ…」
「皆、下がって!」
ヨシュアの言葉に、全員が従う。
そして。
「アル…!」
エステルの声と同時に、爆弾が爆発し始めた。
爆音。
そう、表現するしかない轟音が鳴り響いた。
もうもうと立ちこめる爆炎と巻き上がる粉塵。
そんな中で、レンはアルシェムの声を聴いた。
「我が深淵にて煌めく、蒼銀の刻印よ。彼の者の記憶をここへ。我が真実を、全て凍てつかせよ。」
それで、レンは全てを悟った。
このまま、何も思い出させずにヨアヒムを狩るつもりなのだと。
それが、ヨアヒムに対する罰なのだと。
どこかで、氷の塊が形成された気配がした。
「…幻蝶。」
アルシェムの声は、続いた。
どこかに、誰かが消える気配がした。
そして。
ヨアヒムは、何故か人型に戻っていた。
汎用性が高すぎるかもしれない聖痕。
では、また。