雪の軌跡 作:玻璃
では、どうぞ。
倒れ伏すアーネスト。
かませ犬ではない、アーネストだ。
それを見たエリィが、小さくつぶやいた。
「…アーネストさん…」
「行こう、エリィ。」
「ええ…」
ロイドに促されて歩き始めるエリィ。
ヨアヒムは、その光景を傍目で見ていた。
水晶球に映し出す方法で、だ。
ある意味魔女っぽいのだが、それはさておき。
ヨアヒムは、目の前にいる男に声を掛けた。
「…役に立たない駒だ。…その点、有用な駒だよね、君は。」
「…ぅ…」
小さくうめく男。
彼の名は、ガルシア・ロッシと言った。
「ああ、無理に話す必要はない。…さあ、行っておいで。」
そう言って、ヨアヒムはガルシアを見送った。
だが、安心するのは早いだろう。
ガルシアの瞳が、手が、まだ抜け出すためにもがいているのをヨアヒムは見逃した。
ヨアヒムは、アルシェムに向きなおる。
「…さて、と。」
「…ろ…」
その声を聴いて、ヨアヒムは少しく驚いた。
喋れるとは思っていなかったからである。
だから、ヨアヒムは聞き返した。
「…何だって?」
「…呪われろ…呪ってやる…」
因みにこれ、寝言である。
レンならばそう証言するかもしれないが、生憎ここにレンはいない。
なので、ヨアヒムは間抜けにも会話を続けた。
「ははは、その状態でかい…?」
「…禿げろ…」
「勘弁してくれないか?この髪、結構気に入っているんだよ?」
あくまでも真面目に答えるヨアヒム。
だが、アルシェムの意識はないのだ。
一応は、全て寝言である。
「…キョンシー…」
「…寝言じゃないのか?」
ヨアヒムはアルシェムに問うた。
無論、寝言であるために返事があるわけがない。
気まずい沈黙が流れた。
ヨアヒムは気を取り直して言った。
「まあ良い、いずれは完全に僕の駒にしてあげよう…」
「…えー、きゅーに…お断り、だ…」
これも、寝言である。
夢を見ている状態のアルシェムは、いつも寝言を口にする傾向があった。
そして、一応会話が成り立ってしまうという悪癖もあった。
ヨアヒムにはそんなことは分からない。
「…ははは、ははっ!やはり君は興味深い…」
そして、それはやはり裏目に出るのだ。
ヨアヒムは、グノーシスを追加した。
「は…っ、く…」
「分かっていないのは君の方だよ。今僕に逆らえるとでも思っているのかい?この状況で…?」
だが、もうアルシェムは寝言を吐かなかった。
それだけの余裕は、もうないから。
再びの沈黙。
ヨアヒムは、ニヤニヤ嗤いながらこう言った。
「ははは、そんなわけがないな。…さて、おもてなしの準備を始めようじゃないか。」
アルシェムの身体を置いたまま階段を上がるヨアヒム。
そして、おもむろに魔導杖を取り出した。
といっても、ティオが使っているものではない中世の錬金術師の借りものだが。
「メインディッシュは特務支援課。さしずめ君はアペリティフと言ったところかな。」
ヨアヒムはアーツを発動させるために七耀脈から力を吸い取っていく。
そして、アーツが発動した。
「ガリオンタワー。…やはりアーツは面白い。たかが七耀石と複雑な機械だけで魔法じみた何かが使えるんだからね。」
そのままアーツを連続発動させるヨアヒム。
だが、彼はまだ気づかない。
アルシェムには、そのアーツは効かないのだ。
氷のアーツと同じく、《聖痕》と同じ属性なのだから。
「が…っ、ぅ…」
跳ね飛ばされるアルシェム。
だが、実際はダメージを受けているわけではない。
「無様だね。…さて、滑稽なショーをゆっくりと見物させて貰おうじゃないか。」
ヨアヒムは、祭壇の裏に隠れた。
程なくして、ロイド達が通路の向こうから現れる。
慎重に入ってきたティオは、厳しい目で祭壇を睨みつけた。
「ここ、みたいですね…」
「…ええ。」
そこで、ロイドが何かを見つけたようだった。
頭上を振り仰ぎ、目を見開くロイド。
その口からは、思わず声が漏れていた。
「あ…」
「どうかしたの?ロイド。」
「あれは…!」
エリィの問いにも答えず、ロイドはそれを指さした。
球体の、揺籃を。
それを見たランディは目を見開いた。
「…!キー坊の写真のか…!」
様々な考察を繰り広げるロイド達。
その中で、レンだけが静かにその揺籃を睨みつけていた。
「…気に入らないわね。」
「どうしてですか?レンさん。」
首を傾げるティオ。
何故、レンが気に入らないのかティオには分からなかったからだ。
レンは眉を顰めながら言った。
「これをレン達に見せたってことは万が一捕まったときのことを考えてないのよ。つまり、絶対にレン達を退けられる自信があるんだわ。」
「そう考えりゃ、気に喰わねぇわな…」
眉をひそめて言うランディ。
その目は、せわしなく動いていた。
何かを探しているようだ。
その焦りを代弁するかのように、エリィが呟いた。
「…それにしても、アルはどこにいるのかしら…」
「エリィさん…そこに、誰かいます。」
ティオは、最大限に周囲をサーチしていた。
そして、センサーに引っかかったのだ。
蹲る人間の気配と、横たわる人間の気配に。
それを聞いたエリィは顔を上げて目を凝らした。
「…え?」
「まさか…!」
ロイド達は、警戒も忘れて倒れ伏す人影に駆け寄った。
そして、その人影がアルシェムであることを見て取るや否や抱き起した。
「アル…アルっ!しっかりしろ、アル!」
ロイドは、アルシェムの身体を抱き起こして全力で揺さぶった。
けが人を揺さぶると危険であるが、今はそんなことを言っている場合ではなさそうだった。
アルシェムの瞼が薄く開き、小さく吐息が漏れる。
「…ぅ…」
「アル!」
ロイドは、アルシェムの様子を見て、安堵したように名前を呼んだ。
アルシェムは、信じられないといった面持ちでそれを見上げた。
だが、まだ起き上がることは出来ないでいた。
「…ロイ、ド…?」
「大丈夫か、アル!」
更にアルシェムを揺さぶるロイド。
救急救命講座を受けなおして来い、とでも言ってやるべきか。
しかし、アルシェムはその言葉を発することが出来ない。
「…どう、して…?」
「…何?」
ロイドの思考に空白が生まれた。
目の端には、光る何かがうつって。
そして、それが振るわれる気がして…
それにレンが気付いて絶叫した。
「離れなさいっ!」
「え?」
そして。
鎌とナイフが、かみ合った。
ナイフを持っているのは、アルシェム。
小刻みに揺れながらも、レンの鎌を押し込もうとしていた。
その顔には、何の表情も浮かんではいない。
…否。
アルシェムの唇だけが、顔の中で小刻みに震えていた。
「…アル。」
「…ぁ…」
その様子だけで、レンにはアルシェムの状態が見て取れた。
操られている。
それも、至近距離で。
確かめるように、レンが言葉を発した。
「…やっぱり、そうなのね?」
「…ぃゃ…だ…」
その言葉だけが、辛うじてアルシェムから滑り落ちた。
だが、それはアルシェムの言葉ではない。
アルシェムの口を借りて、ヨアヒムが言わせているのだ。
何とも悪趣味であった。
それでも、レンはアルシェムを見て決意した。
「…分かったわ。」
「レンさん?」
ティオの疑問にも、答えることはない。
ただ、レンは自分の『家族』を助けに行くだけだ。
それでも、理性は忘れずにロイド達に指示は出すが。
「レンはアルを止めるわ。だから、ヨアヒムを探しなさい。アイツはその辺にいるはずよ。」
「…はい。」
だが、レンの決意を邪魔するものがいた。
精確には、邪魔ではない。
ただ、足手纏いになる可能性の方が十分に高いのだ。
それが、エステルであっても。
「レン!あたし達も手伝うわ!」
「バカエステル!あっちの方がヤバいかも知れないわよ!?」
「でも!」
レンの言葉に、抗弁しようとするエステル。
だが、もう既にアルシェムは動き始めていた。
アルシェムを止めながらレンは絶叫した。
「ああもう、ヨシュア!あっちをお願い!」
「了解!」
ヨシュアがロイド達に合流し、祭壇の裏からヨアヒムを引きずり出す。
その間にも、ヨアヒムはアルシェムを操るのを止めなかった。
レンの援護とはいえ、エステルにはまださばききれる速さではない。
某タマネギ大佐よりも、アルシェムの動きは早かった。
耐えきれずにエステルが悲鳴を上げる。
「アル、ちょっと速すぎるわよ!?」
「これでも本気じゃないのよ!」
「嘘でしょっ!?」
この速度でも、本気ではない。
そう言われて、エステルの動きが一瞬止まった。
そして、レンの視界に邪悪に嗤うヨアヒムの姿がうつった。
まるで、何かを期待するような笑み。
レンの背筋が凍った。
「!エステル、下がりなさいっ!」
一拍遅れてエステルも気づき、棒術具を使ってアルシェムから距離を取る。
「っ、はっ!」
そして、床からガリオンタワーが生えてきた。
無論、アルシェムも巻き込む範囲で、だ。
「危なっ…!」
エステルは、ギリギリ避けて見せた。
だが、それを見たヨシュアは肝を冷やした。
これ以上、アルシェムの相手をさせれば何が起こるか分からない。
だから、ヨシュアはエステルに叫んだ。
「エステル、僕と代わろう!」
「…そうね、その方が良さそうだわ。」
エステルも、ヨシュアの提案を受けた。
悔しそうに、それでも思い切りよく一気にヨシュアと入れ替わるエステル。
それを見たレンは苛立たしそうに叫んだ。
「やるなら早くしなさいよ!」
「ごめん、レン!…絶影!」
ヨシュアが直線的にアルシェムに襲い掛かる。
前回ならば簡単に見切られて避けていたはずのそれは、しかし微かにアルシェムに掠っていた。
それを見たレンは、決断した。
「ちゃんと合わせなさいよ、ヨシュア!」
レンは、叫ぶと同時にアルシェムに向かって特攻した。
ヨシュアもレンに追随する。
「分かってる!」
レンがアルシェムを正面から相手どる。
ヨシュアは、アルシェムの背面に陣取って攻撃を加え始めた。
「…戻ってきなさいよ…アル…」
幾度となく鎌とナイフを打ち合わせ、なおも引かずにいるレン。
それを、ヨシュアが援護する。
避けきれずに、無数の細かい傷が刻まれる。
それでもアルシェムは止まれない。
まだ、止まることが許されていないのだ。
それでも、唇から声が漏れ出た。
「…わ…かっ…て、る…」
「レンを1人にしたら、許さないんだから…!」
アルシェムは、レンに吹き飛ばされた。
何度か跳ねながら転がっていくアルシェム。
そして、レンはそれに追いすがって捕まえた。
「…う…レン…?」
薄く目を開け、レンの顔に触れるアルシェム。
それを感じて、レンは不覚にも騙されてしまっていた。
そのままアルシェムを抱き起すレン。
「アル!…大丈夫、なのね?」
「うん…ごめん。」
そのばつの悪そうな顔は、アルシェムの表情だ。
そう、レンは信じた。
実際には、違う。
だが、レンはアルシェムをぎゅっと抱き締めた。
「…心配、したんだから…」
「…ごめん。」
アルシェムは、ごめん、ごめんと繰り返す。
謝罪を繰り返すアルシェムの異変に、レンが気付いた様子はない。
泣きじゃくるレン。
「ごめんじゃ、済まさないんだからね…」
「…ごめん、レン。」
その言葉は、アルシェムが発しているわけではなかった。
そして、アルシェムの手がナイフを握りなおして。
そして、そのままレンに向けて振るわれた。
零はあと3話で終わります。
では、また。