雪の軌跡 作:玻璃
どうぞ。
それで、部屋の中から女が消えた。
少なくとも、見える女は。
それに遅まきながら気づいたアルシェムの身体は、更に痙攣を始めた。
失神しなかったのは、とある存在がいたことが大きい。
「…大丈夫かよ?」
「んー…多分…」
その、答える声すらも震えていて。
ロイドが思わず駆け寄ろうとした。
「いや、大丈夫じゃないよな!?」
「来ねーでロイド。」
アルシェムはロイドを制止した。
制止することしか、出来なかった。
「でも…」
「来られた方がヤバい。」
これ以上近づかれれば、発狂できる自信があった。
今、発狂していないのはある意味で奇跡でもあるのだ。
あるいは、それだけの信頼を知らぬ間におけるようになっていたのかも知れなかった。
「そ、そうか…」
「…と、まーそんな場所があったわけだけど…多分、《身喰らう蛇》の身内関連がそこに巻き込まれてたのか、一番先に《楽園》は2人の執行者によって潰された。」
ヨシュアと、レオンハルト。
彼らが、あの《楽園》を潰した。
そうして、《身喰らう蛇》へと導いたのだ。
そこで、何故か空気が若干揺らいだ気がした。
「…2人、だと…」
「凄まじいな…」
戦慄した様子のロイドとランディ。
だが、恐らくはレオンハルトだけでもあの場所を潰すことは可能だっただろう。
それを口には出さずにアルシェムは言葉をつづけた。
「…そこで生き残り、かつ結社に拾われたのがわたしとレン。」
「ええ!?」
「あの子もかよ…」
うめくように言うランディ。
確かに、気を付けてみれば大人の男には辛辣だった。
手をつなぐこともない。
ランディが知っている限りで、大人の男に直接接触したのは実の親であるハロルドだけだった。
何を疑問に思ったのか、ロイドが問いを発する。
「因みに、その執行者とやらはどんな奴なんだ?」
「2人とも更正してる。てか、1人には確実に会ってるよ?」
そうアルシェムがいうと、ロイド達は目を見開いた。
心当たりがある人物は、1人しかいなかった。
「な…」
「まさか、ヨシュアか!?」
それだけでヨシュアだと分かるのはある意味凄い、とアルシェムは思った。
…余談だが、ロイド達はBが《怪盗紳士》だとは知らないのである。
よって、消去法でヨシュアしかいなかったのだが。
「そ。」
「そ、そうか…とてもそうは見えないが…」
とてもそうは見えない、か。
確かに、今のヨシュアはうまく隠しているとは思う。
ヤギの皮を被った狼状態ではある。
最早、兎の皮を被ったライオンレベルである。
そのウサギは一撃で首を落とせるのだが、それはさておき。
何でもないようにアルシェムは続けた。
「因みに、もー1人はリベールにいるよ。」
「そ、そうか…」
最早、脳の処理が追いついていないのだろう。
アルシェムは、無理やり話を終わらせることにした。
そうしなければ、アルシェムはもう保たない可能性があったからだ。
「で、助け出されたわたしはその馬鹿共が何で結社にいるのかを知るために結社に引き取られたわけ。」
「馬鹿共って…」
その言いざまに、ロイドは気付いてしまったようだ。
どうでも良い情報に。
気付く必要など、ないというのに。
「まさか、その前から知り合いだったのか?」
「妙に鋭いよね、ロイド。…やっぱガイ似なんだろーけど。」
ガイも、鈍いようで鋭かった。
アルシェムのその呟きに、ロイドが反応した。
「知ってるのか!?」
「今は関係ねー。…で、そん時に嫌ほど投与されたのがグノーシスだったわけだ。当時は液体だったけど、どうやってか錠剤に出来ちゃったみたいだね。」
「だからあの時、症状が分かったんだな…」
ランディが妙に納得したように言う。
当然だ。
副作用まで、アルシェムは知っていた。
否。
知っていなければならなかった。
「ま、わたしは魔物にゃならなかったけどね。なったらマズいし。」
そこで、気付いてしまった。
ロイドが何かに気付いてしまったことに。
案の定、ロイドはセルゲイに声を掛ける。
「…課長。」
「どうかしたか?ロイド。」
「その、教団に誘拐された子って共和国からが多かったんですよね?」
その言葉で、アルシェムの身体から一気に血が引いた。
まさか、そこまで推測されてしまうとは思いもしなかった。
「ああ。…何か気になるのか?」
「いえ…アルはどこから誘拐されたんだ?」
「共和国だよ。」
そのアルシェムの答えに、ロイドは確認するかのように問いを重ねた。
そして、それは当たっているのだ。
どうして、そこまで覚えていられたのか。
アルシェムには不思議でならなかったのだが。
「…東方人街から、だよな?」
「…何でそんなこと聞くの?」
アルシェムには分かってしまった。
その可能性に、ロイドが気付いてしまったことに。
だが、答えるわけにはいかない。
少なくとも、この場では。
「アル、君は…」
「…そこにあんたがいるのは分かってんだけどさ、応えてやるわけにはいかねーんだ。分かったらとっとと出てってよ。」
「…え?」
窓を開ける。
銀は、激しく動揺しているようだった。
まさか、気付かれるとは思わなかったこと。
そして、アルシェムが自身の知る友人であるかもしれないという可能性に。
「お帰りはこちらから。」
慇懃無礼に礼をしてやると、銀は窓からしぶしぶ出て行った。
アルシェムは、そのまま窓を閉めた。
もう入って来られないように厳重に鍵をして。
「…な、何があったんだ?」
「銀がいた。」
そう言えば、セルゲイ達は盛大に引いた。
そして、極力乗り出さないようにして叫ぶランディ。
一応、理性は残っているようである。
「はぁ!?何で捕まえなかったんだよ!?」
「…今やったら確実に1人は死んでたよ。」
今のアルシェムでは、銀にはかなわない。
否…
ロイドにすら、倒されてしまうかもしれなかった。
「…それほどまで、か…」
「で、でも何で銀がいたんだ?」
ロイドの問いに、アルシェムはそっけなく答えた。
「さー?わたしが知るわけねーと思わねー?」
知るわけがない。
知っていたとしても、言う義理はない。
そして、知られるわけにもいかないのだった。
「…そ、そうだな。でも、いつからいたんだろう…」
「さーね。…もー、グノーシスの説明はいーかな?」
話を切り上げようとしたアルシェム。
だが、セルゲイはそれを押しとどめた。
「待て、最後に1つ教えろ。」
真剣な顔で問うセルゲイ。
それは、セルゲイにとって重要な質問だった。
自分達が取り逃がしたかもしれない人物の名前。
アルシェムは、ふざけて応えた。
「はいはい何でしょー、課長。」
「幹部が誰か、お前は知ってるのか?」
誰が、幹部なのか。
無論アルシェムは知っていた。
だが、今は言えない。
言えないようにされてしまっているのだ。
「名前は知らねーよ。」
「…そうか。」
恐らく、言ってしまえば楽になれるのだろう。
だが、アルシェムはそれをしない。
それは…
その男を、合法的に殺すためだった。
「そろそろ辛いから、部屋に戻っていーかな?」
「ああ。悪かったな。」
男子陣に見送られて、アルシェムは自室へと戻った。
ベッドに突っ込み、大きく溜息を吐くアルシェム。
「あー、これ、絶対夢見悪い奴だ…」
「…だからレンが話すって言ったじゃない。」
ベッドで眠っていると思っていたレンは、どうやら起きていたようだった。
レンは後悔していた。
ここまで憔悴して帰ってくるくらいなら、アルシェムに任せずにレンが説明すれば良かったと思っていた。
それを見越したアルシェムは、レンに声を掛けた。
「わたしが好きでやったんだから気にしないで、レン。」
「…全くもう…」
レンは、深く溜息を吐いた。
そして、仲よく抱き合って眠るのだった。
ロイド君ごめん。
でも、エスパーになってもらわないといけなかったんだ。
では、また。