雪の軌跡 作:玻璃
では、どうぞ。
その気配に気づいたのは、レンだった。
「…あら?」
「あれ、この気配って…」
遅れてアルシェムも気づいた。
中途半端に手練れの集団がこの場所を目指していたのだ。
そして…
そこに、妙に目が虚ろなルバーチェが出現した。
「…なーる。」
「…アレね。」
レンにも流石に分かったようだ。
これだけの濃厚な碧い気配をさせておいて、放置するわけにはいかない。
「…黙して語らず、か。」
アルシェムは、ENIGMAを取り出してとある人物にコールした。
今現在は、恐らくルバーチェでも調べているのだろう。
これだけ来ていれば、もぬけの殻でもおかしくない。
現に、マルコーニは気絶させられて運び込まれているのだから。
「あら、誰に掛けるの?」
レンの問いに、アルシェムはいたずらっぽく応えた。
単なるいたずら心ではあるが、果たしてレンはその名前に気付くのだろうか。
「え、アレックスに。」
「…誰よ、それ。」
レンは、記憶の中からアレックスを探しているようだ。
案の定、彼が誰かは気付けてはいない。
因みに、彼がフルネームで呼ばれたのをアルシェムは見たことがない。
彼のフルネームはアレックス・ダドリー。
一課の捜査官である。
「もしもし、こちらアルシェム・シエル。…え?あー…ルバーチェなら今目の前を横断…ってちょ!?」
通話中にもかかわらず、ルバーチェは無言で攻撃してきた。
無論、紙一重で避けてはいるが。
「…あらあら、せっかちね?」
レンは、それを見て迎撃を始めてくれた。
そうでもなければ、アルシェムは通話を続けることなど出来はしなかっただろう。
「ありがと、レン。…あー、ダドリー捜査官?ちょいと余裕がなくなるので切ります。そっちは任せましたよ。じゃっ!」
通話中にも、ルバーチェは止まってはくれなかった。
ENIGMAを切る間もなく、ルバーチェの連中は攻撃の手を強めた。
アルシェムは、遠心力でボタンを押し、そのままアーツを発動させた。
「取り敢えずティアラ!」
今はあまり必要なかったのだが、四の五の言っている場合ではない。
動きを無駄にしないために発動しただけであって、アーツならば何でもよかったのだ。
「…良い度胸じゃない。」
「あ、殺しちゃダメだよレン。」
「分かってるわ、よっ!…ああ、もう!これじゃあキリがないわ!」
レンは、殺さないように鎌を振るっていた。
一応は警察官であるということに気を付けてくれているのだろう。
そんなレンに、アルシェムは1つの提案をした。
「レン、意識を落とすより関節を外す方が早いかも!」
「難易度が高過ぎるわよ、それはっ!」
当然である。
ただでさえ人間の限界を超えかけた動きをしている中で関節を抜くのは容易なことではない。
アルシェムは、溜息を吐いた。
「…だよねぇ。」
数がいるだけに、そんな余裕はなかった。
ルバーチェを狩り続けていると、レンが突然叫んだ。
「…っ、市民まで!?」
そこには、クロスベルの一般市民までもが混ざっていた。
それに迂闊に攻撃を加えることは、出来ない。
「…レン、手加減出来ないなら無理しないで。」
「難しいだけで出来ないわけじゃないわ。」
「…仕方無い、かな。」
そこで、アルシェムは立ち止まった。
あろうことか、攻撃の手まで止めてしまった。
それを感じたのか、レンはアルシェムを振り返って見た。
「…アル?」
「30秒、頂戴。」
アルシェムは、目を閉じてそう言った。
アルシェムは、覚悟を決めたのだ。
誰が見ていようが、記憶を奪ってしまってまでも、このままここで足止めをすると。
「…無茶だけはナシよ?」
「分かってるって。」
軽口を叩くが、顔だけは真剣だった。
これから、アルシェムは全力で疲れることをする。
その代償を払って、この場から逃げ出すのだ。
レンは、アルシェムのことを信じた。
「…なら、良いけど。」
「ありがと、レン。」
無茶は、しないと。
しても、死ぬところまではやらないだろうと。
だから、レンはアルシェムの負担を減らすべく動き始めた。
「何なら、集めてあげるわ!」
レンの絶叫。
だが、アルシェムはその声を聴いてはいなかった。
アルシェムの口から、言葉が零れる。
「…我が深淵にて煌めく蒼銀の刻印よ。」
アルシェムの背に、蒼銀の聖痕が現れた。
「…って…全く。」
アルシェムのしたいことが分かって、レンは溜息を吐いた。
だが、止まることはない。
アルシェムの選択に、苦笑いしながらもレンは人間を集めていく。
「我が声に応えよ。」
漂い始める冷気。
それは、アルシェムが氷を生み出し始めていることを意味していた。
そして、凍らせるにはまだ範囲が広い。
なので、レンはパテル=マテルを呼んだ。
「仕方ないわね。パテル=マテル!」
パテル=マテルは、手加減をしながら散らばる人間に砲撃を浴びせて追い立てる。
…そして。
「織り成せ、氷檻。」
一気に凍り付く人間達。
それしか方法がなかったわけではないが、一番手っ取り早かった方法であるとは言えるだろう。
アルシェムは、ゆっくりと息を吐き出した。
「…っ、ふー…」
パテル=マテルが来てくれたおかげで、思ったよりも一か所に集められたために力が集中できた。
眼前には、人間を多分に含んだ氷山が出来上がっていた。
無論、死なないようには出来ている。
「お疲れ様、パテル=マテル。」
「ありがとね、パテル=マテル。」
わざわざ飛んできてくれたパテル=マテルを労うと、パテル=マテルは照れたように合成音声を響かせた後に飛び去っていった。
その音が、聞こえなくなって。
そして、みしりと、氷が軋む音がした。
「…あー、長くは保たないな、これ。」
「今のうちにトンズラしましょ、アル。」
「どこで覚えたの、そんな言葉…」
溜息を吐きながら、アルシェムとレンは太陽の神殿を後にした。
支援課ビルへと戻ると、憤慨しているティオが仁王立ちで待ち構えていた。
開口一番に、ティオはこう言った。
「アル!無茶はするなって私言いませんでしたか?」
「はっはっは。」
アルシェムは、笑ってごまかそうとした。
無論、出来なかったが。
ぷんすか怒りながら、ティオは叫んだ。
「笑い事じゃありません!」
怒るティオの顔色に、アルシェムは気付いた。
これは、空元気ならぬ空怒りだ。
だから、アルシェムはそれを指摘した。
「そっちも顔色悪いよ。」
「っ、それは…今日、色々ありましたし…」
途端に勢いがしぼむティオ。
疲れているのはよく分かるが、それを誤魔化すのは止めた方が良い。
アルシェムがいえた義理ではないのだが。
「あー、なーる。わたしは報告だけして寝るからティオも早く寝ちゃいなよ。」
「…はい。」
セルゲイの部屋へと入ろうとすると、パジャマ姿で目をこすっているキーアが見えた。
キーアは、アルシェムに近づくとこう言った。
「アル、大丈夫…?」
「わたしよりティオが大丈夫じゃねーから。添い寝してきたら?」
体よくあしらわせて貰うことにするアルシェム。
キーアに関わることなど、考えたくもない。
何故こんなに嫌わなくてはならないのか、アルシェムには分かり切っていたのでこの対応には慣れていた。
ただ、ティオに申し訳ないと思った程度だ。
「うん、そうするー!」
そう言って階上に上がるキーアを見送ることすらせず、アルシェムはセルゲイの部屋をノックした。
返事があり、そのまま入るアルシェムとレン。
「おう、お帰り。」
「あらあら、一課の捜査官までお揃いなのね。」
そう。
そこには、課長だけではなくティオを除いた特務支援課の一行とダドリーがいた。
ダドリーがおもむろに懐から碧い錠剤を取り出す。
そして、口を開いた。
「…お前達はこれに…」
だが、ダドリーはその言葉を言い終えることが出来なかった。
アルシェムが遮ったからだ。
碧い錠剤の正体を、アルシェムはとっくに知っていたのだから聞く必要もない。
「レン、レンも寝ちゃったら?」
「構わないわよ、別に。…どうせ潰すんだし。」
レンも、同様だった。
聞く必要など微塵もない。
むしろ、教えなければならないかもしれないことに辟易していた。
無視されたダドリーが憤慨する。
「おい、無視するな!」
「不用意に見せるほーがわりーのよ、このツンデレ捜査官。」
「誰がツンデレだ、誰が!」
更に憤慨するダドリー。
激怒、とまではいかないが、顔は既に真っ赤だ。
そんなダドリーに、アルシェムはさっくりと言い捨てた。
「あんた。」
「…ほう?」
にらみ合うアルシェムとダドリー。
それを呆れ顔で見ながら、レンが言葉を吐いた。
「兎に角、私とアルが保証するわ。…その薬、グノーシスよ。」
レンの言葉を聞いた瞬間、その場にいた人間は盛大に顔をひきつらせた。
一様に、である。
どうも、全員がグノーシスを知っているようだった。
「なっ…」
「伝説の代物じゃないの…?」
慄くエリィ。
アルシェムは、思わずこうこぼしていた。
「あ、いたんだ
最近ほぼ空気だったので、思わずそう零してしまっていた。
ごめん、エリィ。
アルシェムは心の中で謝った。
そんなこともつゆ知らず、エリィはアルシェムを見て不思議そうに言葉を告げた。
「?今、何かおかしくなかったかしら?」
「気のせー気のせー。」
だから、アルシェムははぐらかした。
そうするしかないのだと分かっていた。
エリィは納得しないままに終わる羽目になった。
「…そう?」
というのも、思案顔になったダドリーがエリィの言葉を遮ったからだ。
「…それも執行者時代の知識か?」
それは、敢えて説明しなかった内容の一部だった。
だから、今説明せざるを得なくなる。
アルシェムは、溜息を吐いてダドリーに向きなおった。
教団関係の説明は2話に分けます。
話数を稼いでいるわけでは決してないですよ。
では、また。