雪の軌跡 作:玻璃
かわいそうではないですね。
ただ、ワジの存在が消滅してますが。
では、どうぞ。
宝飾店から出たアルシェムとレンは、レンの持つ別荘に戻ってきていた。
「じゃ、行ってらっしゃい、アル。」
「行って来ます、レン。」
そう、挨拶を交わして。
アルシェムは、タイミングを見計らって別荘から出た。
すると、丁度エステル達の後ろ姿が見えたのでその後を何となくつけてみた。
門の脇で、気配を消して耳を澄ますと声が聞こえてきた。
「やあ、もう開いているかな?」
気障に言ったのは、エステル。
扮装にしては女に見えない見事なまでの貧乳である。
それに、黒服が答えた。
「ええ。」
「いや、緊張気味で早く来すぎてしまってね…開いているならば良かった。」
「そういうところも素敵ですわ。」
のろけるヨシュア。
カリン似の顔でエステルに寄り添い、そのまましな垂れかかった。
流石ヨシュア、今現在の格好が女であることを良いことにエステルに触れ放題である。
「…こほん、ようこそ、黒の競売会へ。招待状はお持ちのようですね。」
黒服は物凄く微妙な顔をしていた。
胸やけがするのだろう。
胸を押さえたいのを我慢して、黒服はエステルに招待状を出させた。
「ああ、これだろう?」
エステルはレンから貰った招待状を黒服に見せた。
「…確かに。お名前を伺っても宜しいですか?」
黒服は恭しく受け取り、確認して返すとそう言った。
それに、エステルはこう答えた。
「ああ。ユリウスという。こちらはさる高貴なお家のご令嬢でね、家名を明かすと僕がちょっと大変なことになってしまうんだ。」
「はあ…」
黒服を余所目に、いちゃつくヨシュア。
女子(仮装)だからこそ出来るスキンシップである。
「今宵だけは、どうかセシリアと呼んで下さい。ずっと憧れておりましたの、こういうこと。」
「…ああ、分かったよ、セシリア。」
甘い空間を創出するエステルとヨシュア。
それに耐え切れなくなった黒服は、それ以上の詮索を避けるという手段に出た。
「…で、では、ユリウス様、セシリア様、どうぞ中へ。何かありましたらご遠慮なくお申し付け下さい。」
「ああ、そうするよ。」
そう言って、入っていくエステル達。
アルシェムはその直後に続かなくて良かったと心底思った。
その理由は…
「笑い死にする…!笑い死にするから…!」
だった。
笑いを押さえ、深呼吸して。
アルシェムは、気を引き締めた。
「さて…行くか。」
アルシェムは、背筋を伸ばしてハルトマン邸に近づいた。
案の定話しかけてくる黒服。
職務お疲れ様です。
「…招待状はお持ちですか、マダム?」
「ええ、持っていますわ。けれど…」
「けれど…?」
首を傾げる黒服に、アルシェムは教えてやった。
流石にここは譲れない。
ババァと呼ばれるのはまあ良いが、どこの誰とも結婚する気はないのだから。
「わたし、まだレディですの。」
下から覗き込むように言ってやれば、黒服はたじろいだようだった。
お疲れ様です。
「失礼、レディ。お名前を伺っても宜しいですか?」
「シェルよ。これ以上の名前が必要かしら?」
前にも使ったことがある偽名だが、今は気にする必要もないだろう。
聞いたことがある人間はここにはいないはずなのだから。
「いえ。ようこそ、黒の競売会へ。どうぞお入り下さい。」
アルシェムは、軽く会釈をするとそのまま中に入っていった。
黒服の連中のSAN値は、今日この日を以て埋葬されました。
控え室へと向かう途中で、ユリウスもといエステルとぶつかった。
「わわっ…」
「あら、失礼。」
エステルの顔を見るに、どうも気付いていないようだった。
「済まない、気が利かなかったよ。」
いかにも好青年という感じで声を掛けるエステル。
…案外、モテそうだ。
男装していても人たらしは健在である。
だが、アルシェムには関係ないので笑顔で切って捨てた。
「そのキャラは面白いですけれど、続けなさるの?」
「へ…」
バレた、と思って焦ったのだろう。
挙動不審になったエステルを見かねて、ヨシュアが近づいてきた。
「ユリウス、気にしてはいけませんわ。今日はわたくしだけを見て下さる約束でしょう?」
「ああ、そうだね。」
…思う存分砂糖を創出して。
アルシェムは、無性に3倍濃縮のストレートティーが欲しくなった。
それを押さえて、アルシェムは目を細めて言ってやった。
「あら、ご冗談でしょう?…漆黒の。」
最後だけはヨシュアに向けて若干殺気を放ってやると、ヨシュアは気付いたようだった。
殺気に反応したともいうが。
「…っ、貴女は…って。」
殺気に身構えて、顔を見た時点で漸く分かったのだろう。
その顔の変化で、アルシェムはヨシュアが理解したことを知った。
「おせーのよ。」
そして、エステルも。
「あ…」
アルシェムがいつもの口調で話してやることで気付いたようだった。
あんですってー、と絶叫される前にアルシェムは機先を制した。
「叫ばないで頂ける?ユリウス。」
「…まさか来てるなんて思わなかったよ…どうやって?」
呆れたように言うエステル。
だが、答えはそう多くはない。
「大切な妹がくれたんですの。」
その言葉に、エステルも気づいたようだった。
アルシェムが、誰にこの招待状を貰ったのか。
ヨシュアが納得したように言葉を吐く。
「ああ…そうだったのか。」
そんなヨシュアをアルシェムはからかった。
上目づかいに。
「セシリア、貴女最近つれなくてよ?」
「その口調さえ止めていただけたら考えないこともありませんわ。…銀の。」
だが、ヨシュアはひるまない。
ヨシュアはアルシェムを見下ろすようにからかった。
「ふふ…」
「うふふふ…」
仲睦まじく談笑しているようにも見えるが、生憎目が笑っていない。
無論である。
微妙に気まずい空気を払拭すべく、エステルがヨシュアを宥める。
「や、止めないか、セシリアと…」
「今宵はシェルとお呼び下さいね、ユリウス?」
「あ、ああ…」
まだ『自己紹介』していなかったことに気付いたのでアルシェムは偽名を名乗った。
どうせ全員が偽名なのだ。
名乗ることに躊躇する必要はなかった。
「それで…ユリウス。今宵は何故?」
社交辞令のようであって、そうではない。
今日ここに来た目的は、見るだけで済ませるのかどうか知りたいだけだ。
「それはわたくしから…何でも、ローゼンベルク製が出ると聞きまして。是非押さえておきたいと思いましたの。」
ヨシュアが笑顔でそう言うが、目だけは笑っていない。
恐らくは、届けの出ている盗難品を差し押さえるつもりなのだろう。
「そうでしたの…わたしは、ハルトマン議長閣下にご挨拶のついでに冷やかしに。」
だからこそ、アルシェムも答えた。
無論、ご挨拶は盛大にやる予定だった。
商品も、全て押収してやるつもりだった。
それを察したのか、ヨシュアが声を上げる。
「…シェル、貴女…」
「何も仰らないで。」
だから、アルシェムはそれを制した。
「…分かりましたわ。」
アルシェムは、エステル達と別れてゆっくりと散歩し始めた。
というのも、エステル達の出す濃縮3倍以上の砂糖に耐え切れなかったわけではない。
ここに、誰が来ているのか探るため。
案の定、キリカも《かかし男》も来ているようだった。
何故かイメルダも、ワジもだが。
「…ハルトマン、か…」
アルシェムは、ハルトマンの権威など失墜させる気でいた。
そんなもの、どうせ汚い手段で手に入れたものだと理解しているのだから。
そこに、ランディとティオが入ってきた。
場違いと言えば場違いかもしれないが、ギリギリのラインである。
人形めいたゴシック・ロリータのドレスを纏ったティオは、ある意味雰囲気に溶け込んでいた。
ランディはどこかのマフィアにしか見えない。
サングラスをかけ、スーツを着たランディはなかなか様になっていた。
ただ、2人が揃うとその…
そこはかとなくコレジャナイ感が溢れているだけで。
「…良いぜ、遊んで来いよ。」
「…分かりました。」
ランディに促されて、ティオは料理の方に近づいて物色し始めた。
アルシェムはランディに近付くと、話しかけた。
「あら、可愛らしい妹さんですのね?」
「違う。あれは俺の女だ。…手を出すなよ?」
言われなくても手は出さない。
そして、失礼な話だ。
「流石にそちらのケはありませんわ。」
確かにアルシェムは男がダメだが、女なら良いというわけではないのだ。
そんなアルシェムに、ランディが首を傾げた。
「…なら、何で声を掛けた?」
「シェルとお呼び下さいな。…理由は簡単ですわ。ですが、教えて差し上げません。」
声色は変えてある。
変幻自在の声帯、というわけではないがこれくらいは朝飯前だ。
目を細めながら、ランディはアルシェムに問うた。
「…ほう?…名乗られたからには名乗り返すが…オーランドだ。あれはプラトニック。それで…何故理由を教えてくれない?」
「考えれば分かるはずですわ、絶対に。」
「…ん?」
そこで、ランディが悩み始めた。
既視感はあるのだろう。
ただ、それが誰だったかが分からないだけで。
そこに、ヨシュアが近づいてきた。
「あらシェル、そちらの方はどなたですの?」
「あらセシリア、こちらオーランドさんよ。」
取り敢えず、偽名で紹介しておく。
というよりも、ヨシュアからすれば呼び名以外に必要な情報はないだろう。
そう思っての紹介だ。
すると、ヨシュアはにっこりと笑って言葉を吐いた。
「まあ、ユリウスとは違った意味で男らしい方ね。」
「せ、セシリア!?」
ランディに色目を使っている(ように見える気がする)ヨシュアに、エステルは引き気味に悲鳴を上げる。
まあ、彼氏が男に色目を使っていれば色々と言いたいこともあるだろう。
ヨシュアは、後でエステルに折檻されることが確定した。
哀れ、ヨシュア。
「…ま、まさか…いや、でも来ないと言っていたはずだが…」
ランディは、漸く気付いたようだった。
目の前の女が、一体誰なのかを。
だから、アルシェムは答えを教えてやった。
遠まわしに、だ。
「ミシュラムには行けない、とは申し上げましたがここに来ないとは言っておりませんわ。」
「…!」
目を見開いて、いつの間にか持っていたグラスを取り落としかけるランディ。
それをエステルが受け止めて返した。
まだランディは呆然としているのだが。
どうにも、アルシェム=シェルが結びつかないようだった。
「…どうかしましたか、オーランド様。」
ランディの異変に気付いたのか、そこにティオが近づいてきた。
周りの男ども(特に議員中心)の視線をそこそこ集めながら、ティオはちょこんとその場に居座った。
余談にはなるが、この場で一番視線を集めているのはヨシュアである。
次いで、ティオ。
アルシェムは気配を少しだけ控えめにしているので視線はそれほど集めてはいなかった。
それはさておき。
ランディは、疲れたようにアルシェムの偽名をティオに教えた。
「…プラトニック…シェルだ。」
「…流石と言うべきか、何と言うべきかですね。」
ふぅ、と溜息を吐くティオ。
ティオは、料理を口にしてから片手で引っ張ってきていた男をランディに見せた。
ちなみにこの男、金髪ドリルの女性と一緒にいた男である。
「…オーランド様、この人お持ち帰りしても良いですか?」
首をこてんと傾げて問うティオ。
ティオを見ていた半数の男が悶えて撃沈した。
その気配を背後に感じながら、ランディは疲れ果てたように答えた。
「…やめておけ。ハーレム菌がうつる。」
「何でさ!?」
男の名は、ロイド・バニングス。
何とか土下座十回とエリィに近づきすぎないことを盾にマリアベル・クロイスに連れて来てもらったロイドその人だった。
《黒の競売会》に来るはずのメンツが揃ったところで、アルシェムは行動を開始することにした。
「…そろそろ姿を眩ますとしますか。」
アルシェムの独白は、しかしロイドに聞かれていたようだった。
呆けたような声を漏らすロイド。
「え…」
「あら、何も言っていませんわ。…そろそろ失礼しますわね。」
隠形で身を隠し、移動を始めるアルシェム。
その耳には、先ほどからずっと同じ声が響いていた。
ロイドはプライドを売り渡しましたとさ。
では、また。