雪の軌跡 作:玻璃
通じればいいな。
では、どうぞ。
あまりにも足場のないアルシェムの部屋ではなく、比較的整頓されているティオの部屋にコリンは寝かされた。
あの後、疲れ切って眠りこけてしまったのだ。
そのコリンに、レンはつきっきりだった。
無論、アルシェムもレンと一緒にいた。
扉がノックされ、ティオから伝言を受け取ったアルシェムはレンにそれを伝える。
「…今、ロイドが連絡したってさ。」
「…うん…」
何かを考え込むレン。
アルシェムは、レンの背中を押したりはしない。
少なくとも、アルシェム自身はそうしようと誓っていた。
「…会う?それとも、止めとく?」
「…私、は…」
レンの答えをアルシェムは待つつもりだった。
ただ、待てなかったモノもいた。
「レンの好きにすれば良いよ。わたしはそれを尊重するし、非難したりしない。だって、レンの人生はレンが切り開くでしょ?」
アルシェムの口を借りて、ソレは言葉を発した。
レンの背を押す言葉を、吐いた。
「当たり前よ!…迷ってちゃ、いけないわよね。進まなくちゃ。」
こうなることは分かっていたのに。
レンは、目を閉じて、決めた。
「…会うわ。」
「分かった。」
今返事をしているのは、断じてアルシェムではない。
「…けど、お願いがあるの。」
「何かな。」
絶対に、違う。
「…手を、握ってて欲しいの。」
「何だ、そのくらいお安いご用だよ。」
そのはずなのに、全てを否定しきれないアルシェムがいた。
そこに、再び扉が叩かれた。
「…いらっしゃったわよ、アル。」
外から聞こえた声は、エリィの声。
「はいはい、お通しして。」
それに応えて、そして、扉が開かれた。
そこにいたのは、言わずもがなヘイワーズ夫妻。
「コリン!」
「ああ、良かった…本当に、本当に無事で良かった…!」
ベッドに駆け寄る夫妻は、かなり憔悴して見えた。
「…ほら、落ち着きなさい。」
「ええ…」
ひとしきりコリンの無事を確認し終えたハロルドは、躊躇いがちに聞いた。
それは、恐らく部屋に入ったその瞬間から感じていた既視感のせいだろう。
「…あの、息子を助けてくれた方は…?」
「…っ…」
息を呑むレン。
そのレンの背を押すために、アルシェムは口を開いた。
「この子ですよ、ハロルドさん。久し振りですね。」
「お久しぶりです。…あの、本当にありがとうございました。」
ハロルドの言葉に、レンはぶっきらぼうに返した。
「…別に…大したことは、してないわ。」
そのレンの声にまた、ハロルドは反応した。
「…っ、いいえ。貴女はかけがえのない私達の子供にまた会わせて下さった。本当に、感謝しています。」
この子は自分達かかつて見捨てた娘ではないかと。
そう、ハロルドの中の良心が告げていた。
そんなハロルドに、レンは乾いた声で言葉を返した。
「…本当に?」
「…え?」
「本当に、そう思ってるの…?かけがえのない子供だって…?」
それは、レンに対しては言ってくれない言葉かもしれない。
それでも、レンは聞きたかった。
もしも、もしも覚えていてくれたなら。
もしも、何も知らないのだとしたら。
「当たり前です。私達は、もう二度と自分達の子供を死なせないと誓いましたから。」
この言葉が、自分に当てはまって欲しいと願いながら。
レンは言葉を吐いた。
「…まるで一度は死なせたかのような口振りね?」
その言葉は、ハロルドに突き刺さった。
ハロルドはそれを受け止めた。
「…事実ですから。」
「…そう。」
誰も、口を挟めなかった。
挟まなかった。
これは、レンとハロルドの喧嘩だ。
それも、初めての。
「私達は、娘を死なせてしまいました。身を守る術のなかった娘を、借金取りから隠すために…守るために、知人に預けたはずなのに…そのせいで、娘は死んでしまった!」
血を吐くような言葉。
だが、レンはそれでも疑った。
「…その時、思わなかったかしら?この娘さえいなければ、こんな場所にまで危険を冒して来たりなんかしなかったのにって。」
この時点で、レンは誤魔化すのをあきらめていた。
自分が『レン・ヘイワーズ』ではないと、否定しなかった。
「いいえ。娘を守るのは当然でした。私達は娘を、愛していましたから。…ですが、心に余裕がなかったのは事実です。本当に娘のことを想うならば、連れて逃げれば良かった…」
心のどこかで、置いて行ってしまえと悪魔が囁いたのかも知れなかった。
それでも、置いて逃げるべきではなかった。
ハロルドの悔恨に、どこまでも冷たい言葉を返すレン。
「…手が掛かる娘だったのね。」
「違います。とても、良い子で…賢くて、気遣いも出来る可愛い自慢の娘です。ただ、私達に娘を守るだけの気概がなかっただけですから…」
悪いのはレンではない。
悪いのは、自分達なのだ。
ハロルドは、それを自覚していた。
「…娘が、死んだって聞いたとき…どうして、探そうとしなかったの…?」
「探しは、しました。火事で骸すら残っていないと言われて、それでも私は信じたくありませんでしたから。…でも、見つからなかったんです。生きていてくれる、なんて虫の良い話があるはずがなかったんですよ。」
見付からなかったから、ハロルドは諦めた。
そんな虫の良い話があるわけがない。
生きていてくれるなんて甘い望みは、瞬く間に打ち壊された。
「…だから、探すのを止めたの…?」
レンの声は、震えていた。
あのとき、もっと真剣に遊撃士でも雇って調べていてくれれば。
あるいは、レンには別の人生があったのかも知れなかった。
《身喰らう蛇》に身を落とすこともなく、平凡な日々を過ごすことが、出来たのかも知れなかった。
「…私は、心身共に疲れ果てていました。借金は返し終えても、大切な娘を喪って…でも、そんなときに妻が妊娠しているのが分かって。私達はその幸せにすがりつきました。娘を殺してしまった罪悪感から逃げるために…」
「…そう…」
だからこそ、ハロルドは信じた。
死んだ娘は帰っては来ない。
だが、娘が恵んでくれた(とヘイワーズ夫妻が思っている)息子は健在だ。
だからこそ、コリンを決して手放さないようにしようと誓ったのだ。
「丁度そのとき、なんですよ…アルシェムさん。アルテリアに旅行に行ったのは…」
「わたしに逃げねーで。ちゃんと、話してよ。」
ハロルドの弁解を、しかしアルシェムは受け取らなかった。
受け取るべきは、アルシェムではないのだから。
「はは…手厳しい、ですね。」
「当たり前でしょ。わたしは赦してねーから。」
冷たい視線を浴びせても、ハロルドは受け止めた。
「…はい。」
そして、ハロルドは深呼吸した。
これから、自分たちが不甲斐なかったせいで見つけてあげられなかった『娘』への言葉を告げるために。
「…コリンが生まれて、それで、もう二度と子供を手放したりしないと誓いました。私達にはもう、娘に生きていて欲しい、なんて言う権利はありません。ですが…」
「…っ…」
これから発される言葉を推測して、レンの身体が硬くなる。
聞きたかった言葉であれば良い。
アルシェムは、そう思った。
「ですが、もしも娘が生きていてくれたなら。…きっと、目の前で何度も何度も謝って、私達を赦さなくても良い、と言うでしょうね。…実際、赦してくれるなんて虫の良い話は…」
苦笑しながら言うハロルドは、しかし全てを言い終えることは出来なかった。
「…バカ!」
それは、レンがハロルドの頬を張ったからだった。
乾いた音が響き、呆然とするハロルド。
「…え?」
「バカバカバカバカバカバカバカバカっ!」
ハロルドに抱き着いて、その小さな拳でハロルドの胸を叩くレン。
手加減はしているのだろう。
それでも、レンは一般人に耐えられるだけの力で叩いた。
「あ、あの…?」
「何なのよ…深く考えてたレンがバカみたい…!」
しゃくり上げながら叫ぶレン。
その、レンの言葉に反応するソフィア(ヘイワーズ夫人)。
「…えっ!?」
立ち上がって、あまりの事態に追いつけずにおろおろとハロルドの横で混乱する。
それを見ることもなく、レンは叫んだ。
「バカじゃないのっ…!?何で、何でレンがこんな気持ちにならなくちゃいけないのよ…!」
「…レン…」
その言葉は、ハロルドから発せられた言葉だった。
たった2文字の、それでも世界一大切な名前。
ヘイワーズ夫妻の、大切な娘の名だった。
「ちょっとでも期待しちゃいけないって思ってたのに…!何それ!そんなの…そんなのっ…!」
「…レン。」
なおも叫ぶレンを、ハロルドは抱き締めた。
これまでの想いも、全て込めて。
「うううううっ…本当に、馬鹿…!卑怯よ…」
「…済まない…」
レンの想いを、全て受け止めるために。
それは、ハロルドが受けるべきものだった。
「…卑怯よ…全くもう…私、期待なんかしたって…無駄だって、思ってたのに…!こんなの、都合の良い夢だって…」
「…済まない…っ!」
全身全霊で謝るハロルド。
だが、レンはそんなこと気にも留めていなかった。
今のレンの気持ちは、叫びに集約されて吐き出された。
「なのにっ!…どうして…こんな、レンが救われちゃうのっ…」
ハロルドは、呆然とした。
レンがどんな状況で生きて来たかなんて知らない。
だが、この状況でレンが救われる意味が分からなかった。
「…え?」
そんなハロルドに構うことなく、レンは叫んだ。
「バカ!…パパのバカっ!置いてかないでよ!一緒にいさせて欲しかった!…ずっと、一緒にいたかったんだからぁっ!」
それを、ハロルドは受け止めた。
「…済ま、ない…」
それを、レンも確認した。
そして、レンは再び叫んだ。
ハロルドではなく、隣に立つソフィアへと。
「ママのバカっ!不謹慎すぎるわ…!レンのこと、忘れないでよ…!…忘れてほしくなんかないんだからぁっ!」
「…ごめんなさい…」
ソフィアも、それを受け止めた。
受け止めきれはしなかったかもしれない。
それでも、今できる限りの謝罪をしたつもりだ。
「でも…私、生きてた…!何があっても、生きてたわよっ…!」
「レン…」
レンは自分から死を選ぶことだけは、絶対にしなかった。
逃げて、逃げて、それでも死には逃げなかった。
死にたくなかった。
死ねなかった。
「もう一回だけ、会うんだって決めて、生き抜いたわよ…!」
「レン。」
ハロルドが、レンを咎めるような響きでレンを呼んだ。
「…何よ…」
それに、レンは応えた。
ハロルドは、一番言いたかった言葉をレンに告げた。
「生きていてくれて…いいや、生まれてきてくれて、ありがとう。」
夢にまで見た瞬間だった。
「…パパ…」
生きていてくれて、『パパ』って呼んでくれる夢を何度も見た。
その夢は途中で悪夢に変わったけれど、これは悪夢ではない。
現実なのだ。
それに呼応して、ソフィアもレンに言葉を告げた。
「ごめんなさい、レン。私達…貴女に赦されないことをしました。」
それは、贖罪の言葉。
「…ママ。」
何度も何度も、暗闇に引きずり込まれる夢を見た。
目の前で死んでいく娘。
だけど、これは現実なのだ。
「…さっきも言ったけど、赦せ、とは言わない。」
「…言わなくて良いわよ…だって、そのおかげでもう1人の
事情があったのは、もう分かった。
後はただ時が解決してくれることだ。
「…レン…」
完全に吹っ切れたとは言わない。
それでも、前を向いて生きていこうと思った。
「…だけど…ケジメは必要よね。」
前を向いて生きるために、レンはケジメを求めた。
何も小指を切れというのではない。
「…ああ。」
レンには、考えがあった。
レンのためのケジメ。
そして、ヘイワーズのためのケジメ。
「…ねえ、アル。」
「何?レン。」
「頼みがあるの。」
真剣な目をしたレンが、アルシェムに頼みごとをする。
アルシェムは、その内容がどうあれ叶えることに決めていた。
それが、レンのためになるのならば。
「良いよ、レン。」
その答えは、レンにとっては不服だったようだ。
小さく膨れながらつぶやくレン。
「…内容を聞いてから言いなさいよ…」
「聞いても多分わたしは良いよって言うからね。」
そう言った瞬間、アルシェムのENIGMAが鳴った。
「っと…ごめん、良い?」
「…良いわよ。」
レンに断りを入れてとった瞬間。
「はい、アルシェム・シエル…」
『アルっ!ロイド君とレンが一緒にいるって本当っ!?』
エステルの絶叫がアルシェムの鼓膜を震わせた。
「耳痛い、ちょっとは考えてよ!?」
あんですってー、というエステルに向かって抗議しようとしたが、レンに止められた。
「…アル、エステル達も呼んで欲しいの。…ちゃんと、伝えなくちゃいけないから。」
レンの言葉に、アルシェムはすぐに応えた。
「…分かった。あー、エステル?ヨシュア連れて今すぐ支援課ビルに来て。大切な話があるから。」
『…分かったわ、すぐ行くからちゃんと待ってなさいよ!』
ぶつり、と音がしてENIGMAの通話が切れた。
嵐のような女だ。
「…っつー訳だからさ、ロイド達。この部屋このまま貸して?」
「そ、それは良いけど…」
「出ていた方が良いですよね、アル。」
ティオが気を利かせてそう申し出てくれる。
ロイドはもう少しデリカシーを覚えた方が良い。
「当然。」
「他の支援要請がないか見てるぜ。」
ランディはランディで読むところは読むのだ。
空気を読めないのはロイドだけだった。
「ありがと。」
そして、ロイド達と入れ替わりに、エステル達が入ってきた。
レンが、もしもヘイワーズ夫妻と会っていたら?というifを実現させてみました。
あっさり和解した気がしなくもない。
では、また。