英雄伝説 天の軌跡 (完結済)   作:十三

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「どんな結果になるとしても、それを後で知るだけなのはもう嫌なの。
私は傍観者じゃなくて、当事者でいたい」

                        by 櫻井螢(Dies irae)











歓迎のない密約

 七耀歴1203年 12月28日―――

 

 

 

 遊撃士協会クロスベル支部二階。本来であれば支部の構成員たちの休憩所となっているそこには、夜更けも近い時間帯という事もあり人気がない。

そんな中、仄かに灯った明かりを頼りにして大きめのバッグに私物を詰め込んでいく人影が一つ。

 

「えーと、あれもオッケー、それもオッケー。……あ、エオリアから写真徴収するの忘れた」

 

 はぁ、と溜息を吐きながら自分の黒歴史が最後まで人の手に残ってしまった事を後悔する。酔った勢いで女装させられたとはいえ、今から考えればとんでもない事をしたものだと思う。

異国の地で女装して学校の演劇に出演したらしい親友に比べればまだ精神的ダメージは軽度だが、流石にメイド服はいただけない。親友の方はあれで普通に変装したら何だかんだで役になりきるからいいとしても、自分の場合はそうではない。あれがもし広まって市民の間で生暖かい視線を向けられるようになったならば、何かの拍子に首を吊ってしまうかもしれない。

 顔立ちはモデルと見間違うレベルの美人なのに性格が残念な同僚の顔を思い浮かべ、まぁ多分大丈夫かと曖昧な結論を出していると、一階から誰かが上って来たのか、階段の軋む音が聞こえた。

 

「まだ身支度を整えていたのか、レイ。明日も早いんだろうに」

 

「前日にやった方が忘れ物しないんですよ。アリオスさんこそ、今夜はシズクちゃんのトコに泊まるんじゃなかったでしたっけ?」

 

「あれは明日だ。今日泊まったらお前を見送る事もできないだろう?」

 

「そりゃありがたいです」

 

 身長が160リジュにも届かないレイにとって、見上げる形になる人物。その姿を見間違えるはずもない。

クロスベルの真の守護神と謳われる八葉一刀流免許皆伝の剣士。二つ名は≪風の剣聖≫。

しかしその一方で盲目の愛娘をこよなく愛する子煩悩な父親でもある。どちらにしても、不器用で真面目一直線なのには変わりはないが。

 

「しかし、聖夜祭が終わってすぐに出て行く事もないだろう。年くらい跨いでも罰は当たるまい」

 

「これ以上フィー(あいつ)を一人ぼっちにさせるわけにも行きませんからねー。というかアリオスさん、相変わらずお父さんみたいですね」

 

「む、お前にお義父さんと呼ばれる筋合いはないぞ‼」

 

「言ってねーっすよ‼ 字、字が違うから‼ つーか過剰反応し過ぎっす。俺年下は守備範囲外だって何度言えば……」

 

「何だと? シズクに魅力が無いとでも言いたいのか‼」

 

「メンドくさっ‼ うわメンドくさっ‼ もう一度言うけどメンドくさっ‼」

 

 ひとしきり大声を交わした後、時間帯が夜更けだという事を思い出し、再び声のトーンを下げる二人。

仕切り直すように、アリオスは一つ咳払いをして、近くの椅子に腰かける。

 

 

「……お前がいなくなると、このクロスベル支部も静かになるな。良くも悪くもお前は賑やかし担当だった」

 

「エオリアとリンがいれば大丈夫でしょ。あいつら酒入るとおめでたくなるし」

 

「……否定はできんな。酒に弱いと言えばヴェンツェルも中々だが」

 

「泣き上戸は普通にウザいだけなのでパスで」

 

 去年の忘年会、新年会、そして今年の聖夜祭の事を思い出しながら、懐かしさ半分、呆れ半分で苦笑する。

確かに日々を過ごしていて色々な意味で飽きない、楽しい場所ではあった。また戻ってくる可能性は高いが、それも数年後の事だろう。別れが惜しくないわけがない。

 

「アリオスさんと手合わせできる特典を失うのは辛いですね。体が鈍りそうだ」

 

「俺としても同じ事だ。剣の力量で競い合えるお前がいなくなるというのは辛いな」

 

 剣士としての実力は互いに知り尽くしている。

片や≪風の剣聖≫、片や≪天剣≫。レイは公にその二つ名を謳われているわけではないが、”理”に至った剣士に勝るとも劣らない力があるという事実がある。

 それほどまでの実力者だからこそ、分かってしまう事もある。

 

 

「……ホントはこのまま居たかったって気持ちがない事もないんですけどねー。見張り役(・・・・)って意味でも」

 

「…………」

 

 何となしに呟いたとも見えるその言葉に、アリオスは口を噤んだ。

しかしレイは視線を合わさず、手を動かしながら背後から漂う緊張感を感じ取る。

 

「……やはり感づいていたのか」

 

「分かってたのはアリオスさんの感情の”揺れ”くらいですよ。俺だって一端の剣士ですし、手合せで剣を交える時に色々伝わってくるんです」

 

 それは”後悔”、あるいは”慚愧”。またある時は”決意”であったり、”贖罪”であった時もある。

アリオス・マクレインという大陸でも有数の剣士が抱える複雑な感情とその中で一本、決して揺らぐことのない覚悟。それらが戒めとなって彼という存在を縛り付けている。

 難儀なものだと、そう他人事に思う。レイはそれ以上踏み込もうとは思わなかったし、例え踏み込んだところで自分にどうにかできる問題ではない。

 

「だから別にアリオスさんに何を言うわけでもないですし、他の人間に吹聴もしないですよ」

 

「面倒見の良いお前の事だ。何かしら言ってくると思ったのだがな」

 

「俺が何か言って、それで考えがコロッと変わるほど軟弱な精神じゃないでしょうに」

 

 それに、と、荷物を詰める手を一旦止めて続ける。

 

「”後悔”と”無力感”から生まれた感情が、所詮赤の他人でしかない俺にどうにかできるわけないでしょ。止めるんなら正面ブッパくらいしかないでしょうけど、多分俺じゃ届かないでしょうし」

 

「お前らしい考え方だ」

 

「褒め言葉と受け取っておきます。―――まぁ、他の人間に話そうにも、事と次第によっちゃ魔女の呪い(・・・・・)に抵触する可能性だってありますし」

 

 怖いんですよ、と言いながら右の首筋を手でなぞる。

その時点で、アリオスは二階全域に広げていた重圧感を解いていた。将来有望な若者の門出を祝う前日にこのような行為に及んだ事それ自体が彼という真面目一辺倒の人間にとっては許されざる事であり、心の中で謝罪を送った。

 

 

「あー、でも、これだけは言わせてもらっていいですか?」

 

「……何だ?」

 

 アリオスが返答を返すと、レイは荷物を脇に寄せて振り返る。

その表情は、戦闘に赴く前のような威圧感を漂わせており、思わず眉を顰めてしまう。

だが当の本人はそれも気にしていない様子で、忠告を放った。

 

「アリオスさんが何をしたいのかなんて分かりませんし、追及もしませんけど―――あなたにとって大切な人(シズクちゃん)を泣かせたらその時点でアウトですからね」

 

「ッ‼」

 

 核心を突くようなその言葉に思わず手が左腰に佩いた刀に伸びかける。

しかしそれよりも早く、レイの右手がアリオスの刀の柄頭を抑え込んでいた。

 

「自分の大切なもの犠牲にしてまで貫く覚悟は必要だと思いますけどね。その先にある幸福って大抵ロクなモンじゃないですよ」

 

「…………」

 

「まぁ、ただのお節介です。聞くも聞かないもアリオスさん次第って事で一つ」

 

 力を抜いてレイの右手が離れると、その表情はいつもの食えないような笑顔に戻っていた。その表情に毒気が抜かれたのか、アリオスの全身からも力が抜ける。

 見た目の対比的には実の父と息子と言われてもおかしくない差があるというのに、稀にこの少年はこちらの精神年齢を上回ってくる。

それはある意味当然であるかもしれない。彼が過去に負った傷は、自分のそれと比べても烏滸(おこ)がましいほどに深い。それこそ、一歩運命が捩れれば『計画』の一翼を担っていてもおかしくは無いほどに。

だがもし彼にこの話を持ちかけたところで、考えるまでもないと言わんばかりに一蹴されるだろう。ただ一言、「下らない」という言葉を添えて。

 

 それは素直に羨ましいと思える。自分が歩む未来を自分だけで、人間として踏み外さずに生きていけるだけの強さがある。時に悩み、時に躓き、罪の意識に苛まれながらも、後退する事無く足を前へと動かす力。

叶うならば彼のような人物が望ましい。どれほどの絶望に立たされようとも、ふと気付けば己の前に確固たる意志を携えて「倒して見せる」と言い放つ人物。

そんな人間ならば、きっと――――――

 

 

「アリオスさんアリオスさん、こんなところで上の空にならないでください」

 

 熟考の世界から戻ってくると、荷物を纏め終わったレイがバッグを手にこちらを見ていた。

一体どれほど物思いに耽っていたのだろうかと考えたが、彼の用事が終わった以上、もうこの場所に留まる意味はない。

 ゆっくりと椅子から立ち上がると、それを合図にしたかのようにレイが何かを差し出してきた。

それが符であることは今まで何度も仕事を共にしていたので分かっている。しかし今差し出されたのは、普段彼が使う物とは違い、どこか装飾の色合いが強いものだった。

 

「これは、何だ?」

 

「破呪の念を込めた符です。お守り程度にはなるでしょ。不幸を祓ってくれるかもしれませんし」

 

「効き目が不確定とは、またお前らしい」

 

「古来からお守りなんてそんなもんですよ。邪魔だったら捨ててもいいですし」

 

「いや、貰っておこう。返しと言ってはなんだが、明日までにお前への餞別を見繕っておく」

 

「……最後まで真面目ですねー」

 

 どこまでも真面目、気骨稜々を体現したかのようなその言葉に苦笑しながら、レイは階段を下っていく。

こうして互いに平穏な感情を湛えたままに並ぶことが最後になるのではないかと、半ばそう確信しながら。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――*―――*―――

 

 

 

 

 

 

 本当に驚いてしまった時、人は言葉を出せなくなるという。

愕然、という表現で表せば良いのだろうか。ともかく人というのは視覚情報が脳内処理を超えた場面に出くわすと、言葉が出なくなるどころか行動の一切が止まる。

そして数秒、長くて数分後、漸くその現実を脳が処理して理解を終えたとき、初めて声を出す事が出来るのだ。

 それに照らし合わせるとリィンは今、情報の脳内処理の最中で活動停止中であると言えるだろう。手足はガイウスの家の入口を開けた所で止まり、その双眸は瞬きを忘れている。

その見つめる先にいたのは―――

 

 

 

「あ、上手いですねこのお粥。塩加減が絶妙だし、香草が良いアクセントになってる」

 

「ふふ、そうでしょう? リリ、シーダ、お皿を持ってきて頂戴」

 

「「はーい」」

 

「すまんトーマ、そこの胡椒取ってくれ」

 

「はい。これでいいですか?」

 

 

 明らかに余所者の服装なのに、既に馴染みきっている様子でファトマと共に台所に立って朝食の準備をしている人物。

 いや、大丈夫だ、分かっている。夢でもなければ幻覚を見ているわけでもない。

しかしどういう事だろうか? 彼が台所に立って料理をしている姿などそれこそ日常的に見ていたはずなのに、ことこの場所でその姿が見れるとは思わなかった。

 そもそも何故? ―――と更に深みに至って考えようとしてた時、リィンの後ろから更に二人が家に入ってきた。

 

「申し訳ないルナフィリアさん。馬の世話まで手伝ってもらって」

 

「気にしないでください、いつもやってることですから。それにしても良い()達ばっかりですねー。何頭か貰って行きたいくらいですよ」

 

 入ってきたのはガイウスと、見慣れない金髪の女性。

誰だろうか、と思い始めた瞬間、今度は家の中から声がかかった。

 

「おー、ガイウス、ルナフィリア。メシできたぞー。あ、おいリィン。暇ならアリサと委員長起こしてきてくれ」

 

「あ、あぁ。分かった」

 

 それは、寮で何度も交わされたやり取り。だからだろうか、疑問を感じる前にまず自然と体が動いていた。

家から出て、自分たちが寝泊まりしている場所へと向かう。しかしその途中でふと立ち止まった。

 冷たい風に当たって頭が冷えたからだろうか。困惑気味の脳が徐々にその機能を取り戻し、先程の状況を冷静に判断する。

そしてそれが恙なく終了した瞬間、リィンは反射的に呟いていた。

 

 

 

 

「……あぁ、やっぱりか」

 

 

 

 やはり人を驚かす手腕において、あの友人には敵わない。

昨夜はいつか追いついてみせると息巻いて見せたものの、改めてそれが長い長い道のりであることを否が応にも理解してしまった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「一体いつ集落(ここ)に到着したのよ」

 

「数時間前。夜明け直後くらいだったか」

 

 火鉢を囲ってA班全員揃って朝食を摂っている中、ジト目を向けるアリサの嫌味たっぷりの疑問を難なく返してみせるレイ。

未だに驚きの感情が拭えない三人をよそに、レイは皿の中のお粥を木製のスプーンで掬って食べながら説明を続ける。

 

「毒攻撃食らった上に山岳地帯に叩き落されて一瞬死んだかと思ったけどまぁ何とかなって、そっから山脈と高原越えてここまで来た。途中そこそこ強い魔物と闘ったり飛行物撃ち落としゲームやったりしてたから思ってたより遅くなったけどな」

 

「すまん、何言ってるのか半分くらい理解できない」

 

「サラッと死にかけてしまった事を流すあたりとてもレイさんらしいなとは思いますけど」

 

 まぁそこは特に追及はしない。常日頃サラから”死んでも死なないヤツ”と言われ過ぎているせいか、死にかけからの蘇生の話を聞いたところで「あぁ……やりそう」くらいにしか思えない。

中々価値観がおかしくなって来ていることに関しては自覚があるので心配はない。

 リィンが理解できないと言ったのは、山脈越えと高原越えを一日と少しで行い、特に疲労している様子も見えないことについてだ。

故郷がアイゼンガルド連峰の麓であるから分かる。帝国最大の山岳地帯の名は伊達ではなく、その峻厳さは一流の登山家であっても登頂には死を覚悟する程のものだ。その踏破を僅か数時間、それも軽装備でなどありえない。

 しかしレイは、自分の真横を親指で指してから、さも当然だと言わんばかりに言い放った。

 

「コイツの馬の力を借りた。良いヤツだぞ、崖下りだろうが谷ジャンプだろうが難なくこなすからな」

 

「いやもうそれ馬とは言えないんじゃ……というか聞き忘れてたけどこの人は?」

 

 リィンのその一言でガイウスを除いた三人の目が三杯目のお粥をかっ食らっていた人物へと向く。

自分に集まる視線を感じ、ルナフィリアは口に入っていた分を咀嚼し、飲み込んでから自己紹介を行った。

 

「初めまして、私はルナフィリアと言います。ルナ、と呼んで下さい。レイ君の元職場の同僚ですね」

 

「正確には前の前の職場の、だがな。ちと時代遅れな格好してるが、苦労人属性付与の良い奴だよ」

 

 そう言ってレイは、ルナフィリアの肩装甲をコン、と叩いた。

 確かにリィンたちから見れば、その恰好は時代錯誤と取れてもおかしくはないものだった。纏うのは中世の騎士が身に着けていたような鎧。現代の戦争においてそれらの装甲は迅速な作戦行動の邪魔にしかならず、今ではほとんどお目にかかる事はできないだろう。

 だがそれを、笑う事など出来なかった。

理由は分からないが、このルナフィリアという女性は伊達や酔狂でこの恰好をしているわけではないという事が見ただけで伝わって来たからだ。

更に言えば、先程からその華奢な体躯に見合わず食事を豪快に摂っている彼女だが、その所作の一つ一つに全く隙がない。例え今、この瞬間に武装集団の襲撃があったとしても即座に対応できるであろう体の置き方。そしてそれを一般人に気付かせない余裕。

 間違いなく”強者”であると、リィンはそう判断した。そしてそれはガイウスも同じであったようで、目を合わせると頷かれる。

 しかし今は、そんな事を探る時ではない。このA班の班長として、彼女に言わなければいけない事があった。

 

「……ルナフィリアさん」

 

「? はい。どうしました?」

 

「レイを―――俺達の仲間を助けてくれて、ありがとうございました」

 

 そう言って座りながら深く頭を下げる。すると一拍遅れて、アリサ、エマ、ガイウスも同じように頭を下げた。

 

「あなたから見れば、俺達はまだまだレイの隣に立てる程強くありません。現に今回も、俺達が弱いばかりに彼一人に任せてしまって―――結果、死の危険に晒してしまった」

 

「………………」

 

 その言葉にレイは口を開きかけたものの、ルナフィリアが流し目を送っているのに気付いて、閉ざした。

 

「昨日までは正直、弱い自分に後悔する事しか出来てませんでしたけど、それはもう止めました。元同僚のルナフィリアさんの目から見ても恥ずべき所が無いように、精進していきたいと思います」

 

 それは覚悟の宣誓だった。

或いはそれはレイに向ける予定のものだったのかもしれないが、同じ場所にいるのだから同じ事だ。自分の意思を、偽りなく伝えられればそれでいい。

 そしてその言葉を聞いたルナフィリアは、徐に優しげな微笑を見せた。

 

「……なんだ、実はちょっとだけ心配してたんですけど、杞憂でしたね」

 

「何が言いたいんだ、ルナ」

 

「別に何でもありませんよ。それより良い子達じゃないですか。個人的には強くなってくれるのが楽しみです」

 

 それを言い終わった瞬間、本当に一瞬、獰猛な笑みに変わっていた事をレイは見逃していなかった。他の人間は気付いていなかったようだが、その一瞬だけ、彼女は紛れもなく戦士の顔を覗かせていたのだ。

しかしすぐに柔らかい笑みに戻り、それに、と言った後、目尻から一筋の涙を滴らせた。

 

「いやぁ、何と言いますかねー……こう、真正面から感謝された事なんてここ数年なかったものですから……うっ、涙が……」

 

「レイ、説明よろしく」

 

「上司がやたら人使い荒いんだよ。……俺も通った道だがな」

 

 そう言ってレイが遠い目をした所を見て、リィン達はこれ以上の追及を止めた。

何となく体が反応したのだ。これ以上聞いても後悔しか残らないぞ、と。

 すると数秒後、とにかく、と言ってレイが話を元に戻した。

 

「俺としてはそこまで責任感じなくてもいいと思ったんだが、まぁお前らがそう思ってくれたのはありがたいよ」

 

 偽りのない感情と意思を告げてくれたのなら、こちらも嘘偽りなく返事をする。それが誠意というものだ。

正直に言えば、レイは嬉しかった。切っ掛けはどうであれ、彼らがここまで明確に”強くなりたい”と覚悟を決めてくれたのだ。仮にも教導の手伝いをしている身であるために、気分が高揚していたのは仕方がない事でもあった。

 だから、不用心にも油断して僅かに口を滑らせてしまった。

 

 

「実際、あんまり時間がないかもしれねぇしなぁ(・・・・・・・・・・・・・・・・・)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 疼いた。

 

 

 

 ドクン、と、まるで大きく跳ねた心臓の鼓動の如く、熱が一点に集中する。

 痛みはない。”その程度のものではない”と判断された。しかし右首筋の”ソレ”が起動してしまったという事実、それこそがレイの双眸を見開かせるには充分だった。

素早く、検温をするかのような体勢で首筋を右手で隠す。ただしそれでは、仄かに灯った真紅の光を隠す程度にしかならない。流れ出してしまった”魔力”の残滓は、止める事も出来ずに漂う事になった。

 

 リィン達にそれを感じ取る事はできない。見慣れない力だ、違和感すら抱かない事だろう。

 

 

 だが、運が悪かった。

 

 一番”ソレ”の存在を知られてはいけない人物が、真正面に座っていた。

眼鏡の奥の瞳が、驚愕の色に染まっている。それはそうだ、当たり前だ。お前にとってこの力は身近なものであるはずなのだから。

 

 呪うぞ畜生、と呪いをかけた相手に対して呪詛の言葉を贈る。無論届きはしないだろうが、そうでも言ってやらないと気が済まなかった。

 

 

「(ブルブランの事を話した時は大丈夫だったのに……相変わらず起動条件(トリガー)が分かり辛いんだよッ‼)」

 

 解呪の呪力を右手に込めて、”ソレ”を抑え込む。

発動が浅かったためかそれで抑え込む事ができ、首筋を不自然に抑えていた時間は僅か十数秒で済んだ。

 

 

「? どうしたの、レイ」

 

「いや、何でもない。野宿した時に変な体勢で寝ちまってな。ちと寝違えたかもしれん」

 

 アリサの言葉にも何食わぬ顔でそう返したが、約一名だけはその言い訳が通用しそうもない。

しくじったな、と内心で後悔していると、隣でルナフィリアが皿を置いた。

 

「ご馳走様でした。この一飯の恩はいつか必ずお返し致します」

 

 深々とした礼と共にそう言うと、ガイウスは少し呆気にとられながらもゆっくり首を横に振った。

 

「いや、気にしないで下さい。レイを救ってもらった礼のようなものです」

 

「あれは私の仕事のようなものでしたから。それとこれとは話が別です。私の信条ですので、どうか覚えていただけると幸いです」

 

「諦めろガイウス。こいつ、こういう所は義理堅いからな。好意は受け取っておいて損はないと思うぜ」

 

 これ幸いとばかりに言葉を挟むと、ガイウスは逡巡したものの、頷いた。

 

 

 

 その後、一行は再びアルスヴィスに跨って集落を去るルナフィリアを見送った。

帰り際にちゃっかりと土産物一式を購入していた彼女に対して呆れるように首を振っていたアルスヴィスだったが、数千セルジュを数時間前まで駆けていたとは思えない脚力で以て再び高原を走って行った。

 

「……行っちゃったな」

 

「別にいいさ。それより復帰ついでにとっとと依頼もらいに行こうぜ」

 

 そう言って集落の長老が住む家に向かおうとした時、その長老とガイウスの父、ラカンが僅かに焦ったような表情を浮かべたままレイ達の下に駆け寄って来た。

 

「父さん、どうしたんですか?」

 

「イヴン長老も……」

 

 普段父親のそんな様子を見ないガイウスは驚きの表情も混ぜて、リィン達も何か緊急の事態があったのかと緊張感を抱く。

そしてその予感は、図らずも的中してしまった。

 

「うむ、君達には言うかどうかは迷ったが……やはり伝えておかねばならんと思ってな」

 

「つい先ほど、ゼンダー門から連絡があっての」

 

 

 それは、帝国監視塔の直ぐ近くで正体不明の爆発事故(・・・・・・・・・・・・・・)が起きたというものだった。

それも爆発が起きたのは空中(・・)。その不可解さを案じた帝国軍は、一応警戒をしておいた方が良いと、ノルドの集落に連絡を入れて来たのだ。

 

「それは……」

 

「奇妙ね。空中で爆発事故なんて……」

 

「だが、気にかける必要はない。元より有事の時の対処は慣れている。君たちは気にせず依頼を―――どうしたのだ?」

 

 リィンとアリサは、何かに気付いたかのように訝しげな視線をレイに向けていた。

彼方の方向を向いていたレイは、その視線に気づいて首を傾げた。

 

「どうしたよ」

 

「なぁレイ。さっきは何だかんだでスルーしたんだが」

 

「そういえばあなた言ってたわよね。”飛行物撃ち落としゲームをしてた”とか何とか」

 

 普通ならばそんな言葉は他愛のない冗談だと片づけるだろう。

だが、事この人物に至っては話が別だ。どこでどんな事件に首を突っ込んでいても不思議ではない。それも踏まえて聞いて見たところ、どうにも意味ありげな微笑を浮かべた。

それを肯定と受け取った他の面々は、しかし怒りを見せる事もなく嘆息一つだけで済ませる。理由は何かあるのだろうし、基本的に思慮深い彼が軍にわざわざ喧嘩を売るような真似はしないだろう。

 

「まぁ、とりあえず話聞きに行こうぜ。俺がやった事に関してはその時に話すよ」

 

「……分かったよ。それじゃあ皆、とりあえずゼンダー門に行ってゼクス中将に話を聞きに行こう」

 

「了解。どうせここで話してても無駄だしね」

 

 はぁ、と深い溜息を再び吐いて、どこかトボトボとした足取りで馬の方へと歩いていく一同。

 そしてエマも少し遅れてアリサの後ろをついて行こうとしたところで、背後からレイに肩を叩かれる。

反射的に振り返ると、目前にレイの顔があった。普段はじっくりと見る事のない彼の紫色の右目に僅かばかり見惚れていると、先程浮かべた微笑のまま、耳元で囁いた。

 

 

「詳しい話は実習の後で、な。今はコッチに集中するとしようぜ」

 

「っ‼ …………は、はい」

 

 交わされたのは二人だけの密約。

しかしそこに、男女の仲といったような甘さは、微塵も存在しなかった。

 

 

 

 

 

 


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