死に損ねた男   作:マスキングテープ

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第2話 息を吹き返した男

 キルヒアイスより早くオーディンに帰還したラインハルトは、リヒテンラーデ公の死によって空白となった帝国宰相。その代理として政治権力を実質的に獲得し、国内安定と権力基盤構築のために奔走し始めた。また、キルヒアイスの執刀医兼主治医たるフェザーン人医師の経過報告や意見に基づき、彼を受け入れる病院の選定や受け入れ準備を進めさせていた。

 

 帝国軍の軍病院に、キルヒアイスが収容されなかったのには訳がある。

 キルヒアイスがその命を繋いだのは、執刀医兼主治医であるフェザーン人医師他医療関係者の尽力とフェザーンの進んだ医療のお蔭であった。 しかし、フェザーンの最先端医療を施すための医療機器や薬剤、それの扱いに熟達したスタッフが、帝都の軍病院にはなかったのである。

 ガイエスブルグ要塞にそれらが揃っていたのは、奇しくも元雇い主である門閥貴族が、医師を連れて来るにあたってそれらも用意していたからであった。

 

 主治医以下医療スタッフや一部の機器などは要塞から移動するとして、薬剤など消耗品は患者の現状維持のために常に消費されるものであり、在庫にはいくらか不安があった。トラブルによる移動時間の延長は、その消費に一層の拍車をかけた。

 また、ガイエスブルク要塞攻防戦におけるリップシュタット連合軍敗走前後の混乱で、医療機器の予備機や薬剤は破損や紛失で使えなくなっている。キルヒアイスの命を繋ぐための機器は、現在使用中の物が唯一であるという事実は、医療関係者の精神を削るに充分であった。

 

 更に、リップシュタット戦役における門閥貴族の醜態。それらも含め、帝政五百年で累積した平民や下級貴族達が抱く、門閥貴族への反感と鬱屈。彼らの負の感情の矛先は、門閥貴族だけに及ばず、その周辺にも向けられた。即ち門閥貴族達に仕える使用人、出入り商人、お抱え職人などである。

 そして、門閥貴族に高額の報酬で雇われたフェザーン人医師という存在は、彼らが抱える反感をぶつけるのに打ってつけだった。敗戦時における医療機器や薬剤の破損、紛失は、これらの結果引き起こされたのである。

 上層部の将官達は、キルヒアイスの命を救う為には、彼らフェザーン人医師達の力が必要であると理解していたし、内心思う所はあってもそれを口にしないだけの良識を備えていた。しかし、末端の兵士、下士官、士官達全てがその認識と良識を備えていた訳ではない。彼らは己の正義感と感情の赴くままに、フェザーン人医師達を攻撃の対象としたのである。

 フェザーン人医師達と共同でキルヒアイスの治療にあたっている軍医や看護婦は、何故彼らと協力しているのかと詰め寄られる事もあった。これらはまだいい方で、フェザーン人の医療スタッフらは、士官や兵士から難癖を付けられるなど大なり小なりの嫌がらせを受け、その心身を更に削がれていた。その事が元で医療スタッフの女性が心労で倒れるに至り、遂にバルバロッサの艦長、更には護衛部隊の指揮にあたっていたベルゲングリューン准将までが出張る事態に発展した。

 

 

 キルヒアイスの主治医の意見を基に、医療的見地から受け入れ先の検討やその準備を進めさせていたラインハルト。そこへ、ベルゲングリューンからこの件に関する報告が齎された。通信を切った後、ラインハルトはその秀麗な面持ちを苛立たしげに歪めた。

 

「軍病院を収容先の候補から外しておけ。このままでは医師達が無用の軋轢に晒された挙句、キルヒアイスの治療に支障が出かねん」

「御意。それと、この様な事態は帝都にある他の病院でも事情は同じかと思われます。今の医師達をキルヒアイス提督の治療から外して、全ての医療スタッフを帝国本土の帝国騎士や平民出身者に、それも門閥貴族の治療を担当した事のない人物に入れ替えでもしない限り、このような事態は繰り返されるでしょう」

 

 呆れるように大きな溜息を吐いて、ラインハルトは指先で執務机を奏でた。ラインハルトの肚は最初から決まっている。オーベルシュタインはその念押しを促しているのだと、ラインハルトには察せられた。机を叩いていた指の動きが止まる。

 

「彼らには、キルヒアイスの治療に引き続き専念してもらう。既にある病院で、彼らの存在が受け入れがたいというのなら、彼らだけの施設を見つくろえばよい」

「既にいくつか候補地を選定済みです。オーディン郊外に、歴代皇帝や門閥貴族達の別荘地や療養地だった場所があります。そこの元医療施設をうまく活用できればと」

 

 ラインハルトのアイスブルーの瞳が、驚愕のために少し見開いた。オーベルシュタインは、この事態を既にある程度予測していたらしかった。

 

「分かった。以後は卿に任せる」

「御意」

 

 その後、いくつかの事案について話し合った後、オーベルシュタインが部屋を辞した。オーベルシュタインが部屋の外へ出る寸前、ラインハルトは自嘲するようにこう呟いた。

 

「皮肉なものだ。俺達が軽蔑してきた門閥貴族。その遺産がキルヒアイスの命を助け、この戦いを早く終わらせるために煽った憎しみが、キルヒアイスを殺そうとしている……」

 

 その声を拾ったオーベルシュタインは、背後のラインハルトの様子を伺おうとして辞めた。ラインハルトはなおも言葉を続けていたようだが、オーベルシュタインはその続きを聞くことはなかった。

 

 

  参謀長室に戻ったオーベルシュタインは、副官のフェルナー大佐を呼び、ラインハルトから受けた大まかな方針について伝えて、キルヒアイスの療養先となる場所を二人で話し合った。それから、キルヒアイスの受け入れ準備についての具体的な瑣事、例えば医療施設の警備や、施設運営にかかる人員の選定、機器や薬剤の搬入などについて、委細をフェルナーに託した。

 

「では、そのように。しかし、よろしいのですか。あの医師は……」

 

 かつて、主君であったブラウンシュバイク公を見限って、堂々とラインハルトに自身を売り込んだ豪胆な男。それがフェルナーである。その彼が、奇妙に言葉を濁すのに、オーベルシュタインは珍しい物を見るような目で、フェルナーの顔を注視した。

 

「構わん。ローエングラム候は既にその事をご存じだ。その上で、彼にキルヒアイス提督の命を託されると決めた。あの男が故意にキルヒアイス提督を害するようなことがあれば、その誤りに対して同じ報いが待っている。それだけのことだ。それにあの男を排除した所で、彼に代われる程優れた軍医、いや、医者が帝国内にはいない」

「それ程までに、フェザーンの医者の質が高いのか、それとも帝国の医者が無能なのでしょうか」

 

 フェルナーは不可解だとでも言うように、上司たるオーベルシュタインに尋ねた。

 

「いや、あの医者が言うには帝国の医者もフェザーンや同盟に比べて、決して劣ってはいないと。ただ……」

 

 

 

 

 

「ただ、帝国の医師が学ぶ医療技術や知識は、フェザーンや同盟と比較して著しく偏りがあるんだ。義肢や外傷に対する応急処置に関してなら、帝国の技術だってそう捨てたものでもない。一方で先天性疾患などの研究はフェザーンや同盟と比較して何十年も遅れてる。これは分かるな」

「はい」

 戦艦バルバロッサ艦内。若い軍医に、キルヒアイスの主治医はジュースを飲みながら説明している。帝国では一般的に叛徒と称されている集団を同盟と呼ぶのは、フェザーン人の彼ならではだが、これを医療スタッフ以外の人間に聞かれたらと思うと、若い軍医の冷汗は止まらない。しかし、主治医は若者の心配などどこ吹く風といった具合に、平静な顔でそれを口にする。

 だがこの主治医、医療チームの中では、一番難癖を付けられたことがない。それは、彼がキルヒアイスの主治医として一番長く患者の側にいることの他に、一九〇センチを超える身長と陸戦隊員と勘違いしそうなほど、鍛え上げられた肉体を持っていることと無縁ではなかった。

 

「それと軍医学校でこう習っただろう。戦場では著しく物資と時間が限られている。だから、優先順位を付けろ。貴族と平民なら貴族、兵士と士官なら士官を。部隊を率いる人間が死んだらどうにもならんからな。そして」

「身分も地位も同じなら、治療してすぐに帝国の為に戦える者を優先せよ、ですよね」

 

 それは若い軍医が、軍医学校時代に何度も叩き込まれ、戦場で否応なしに苦しんだ現実であった。今でも、彼の中で完全に折り合いはついていない。

 初陣の際、兵士に治療の優先順位をつけるまでは良かった。だが、まだ息はあるのに、見込みなしとして捨て置かれた負傷兵が、苦痛の呻きを上げているのを聞きながら、時折その負傷兵の友人や同僚が、治療や苦痛の緩和を求めて軍医や看護婦達に縋って来るのを振り切らねばならないのは、中々に耐えがたいものであった。

 また、これらの優先順位は相対的な物で、ある戦闘では治療可能と判断される負傷程度が、激戦時には人手や時間、物資の不足で治療不可とせねばならないこともある。

 見込みなしと捨て置かれた負傷兵が、一人、また一人と死者の列に加わっていく。彼らを助ける知識も方法も学んできたのに、何もせずに彼らを見捨てるしかない。彼が命を救った負傷兵は、次の戦闘では宇宙の藻屑となる。まだ若い彼にとって、これらは何よりも辛い事だった。

 初陣の後、彼はしばらく悪夢に魘され、しばしば不眠に陥った。

 

「それが戦場だけに留まらず、日常の市中でも同じように判断される。それがこの帝国だ。ルドルフ大帝が、弱者とその過剰な救済は社会の活力を減じると、劣悪遺伝子排除法を定めて五百年。それがずっと染みついてるんだ。この国は。だから、この患者を、帝国の医師に任せる訳にはいかない」

 

 どこかで聞かれれば、不敬罪で逮捕されそうな文言を、主治医は平然と口にする。なので、若い医師は彼の話を聞きながらも周囲への警戒を怠らない。主治医と若い軍医の視線の向こう、特別治療室では、キルヒアイスが機器に繋がれたまま、辛うじてその命を現世に留めている。彼がいつ目覚めるのか、目覚めるとして元の生活に戻れるのかは、彼らと言えどまだ判断がつかない。

 

「帝国の医師には、優秀なやつも沢山いる。だがキルヒアイス上級大将は、帝国の医療基準に従えば、本来は早々に見捨てられる患者だ。そんな患者をどう扱えばいいか、帝国では方法も確立されていないし、その意識も薄い」

 

 握り潰されたジュースパックがダストシュートに放り込まれた。空いた右手が、小柄な軍医の頭をくしゃくしゃと撫でた。

 

「だから、軍医のお勤めが終わったら、フェザーンに来い。お前はこの国で町医者するのには向いてない」

 

 主治医の精悍で整った顔に、何とも人好きのしそうな笑顔が浮かんだ。若い軍医は何とも答えることも出来ず、ただ乾いた笑いを童顔に浮かべた。

 後日、この主治医は彼に喋ったのと同じようなことをラインハルトに報告していたと知り、若い軍医はその小さな肝を更に潰した。

 

 

 

 未だ意識不明のキルヒアイスを乗せた戦艦バルバロッサは、道中小さなトラブルなどがあったものの、帝都オーディンに無事帰還した。その到着は、帝国暦四八八年十一月初めの事であった。ラインハルトの帰還より約二週間遅れての事である。

 

 

 


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