死に損ねた男   作:マスキングテープ

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第1話 ヴァルハラから送り返された男

 

 

 キルヒアイスは、上級大将の軍服を着て花畑に一人佇んでいた。先程までアンスバッハが彼の隣に居たのだが、美しい女性達が操る古めかしい馬車に乗せられ、どこかへ連れて行かれてしまった。

 

「あれが死者をヴァルハラへと誘うワルキューレなのだろうか」

 

 キルヒアイスが一人呟くも、返る言葉はない。ふと気が付けば、上空から先程アンスバッハを連れて行ったのと似たような馬車がやって来た。それは、独り言を発してから数秒後のことにも、数十年後経ってからのようにも、キルヒアイスには感じた。

 馬車の操り手がキルヒアイスの方へ顔を向けた。その顔は、彼がもっとも愛してやまない女性と同じだった。

 

「アンネローゼ様!」

 

 キルヒアイスの叫びに、彼女は首を傾げた。古色蒼然とした戦装束を身に纏う彼女は、無言で馬車を指差した。乗れということだろうか、彼はそう解釈して、歩みを進めた。

 すると、彼女のすぐそばに、馬にも狼にも見える不思議な生き物に乗った女性達が降り立った。彼女達もやはり似たような戦装束を纏っている。

 その顔を見て、キルヒアイスは思わず声を上げそうになった。アンネローゼ似の女性と話す、黒髪の美女二人。怜悧な美貌の方は、ヴェストパーレ男爵夫人に、もう一人の艶麗な女性はベーネミュンデ侯爵夫人と酷似している。

 過去の出来事を思い出し、キルヒアイスは身構えたものの、彼女に本物のベーネミュンデ侯爵夫人の持っていた毒々しさは欠片もなく、アンネローゼ似の女性に向ける眼差しは優しい。

 

 彼女達の傍には、ふくよかで愛らしい女性が三人の様子を見守っている。この女性もキルヒアイスの知る顔、シャフハウゼン子爵夫人に似ている。その傍で、まだ幼いが高貴さに満ちた美少女がキルヒアイスの方をじっと窺っている。少女は、かつて任務の際に出会ったマルガレーテ嬢の面差しを持ち、その小さな腕に大きな紅髪の兵隊人形を抱えている。

 マルガレーテ嬢に会ったのは五年前、彼女が十歳の時だった。帝国暦四八八年の時点で十五歳。背も伸びて、ずっと美人になっているだろう。しかし、こちらを見ている少女は出会った当時の十歳のマルガレーテの姿だ。彼女の後見人がマルガレーテを十歳で死なせるようなことをするとも思えない。

 そこまでキルヒアイスは考えて、これは死の間際にみる夢であると結論付けた。夢だから登場人物が皆知った顔なのだとも。

 

 わいわいとキルヒアイスには解らない言語で話し合っていた彼女達が不意に静かになった。少女がキルヒアイスを指差す。背後で白い光が輝くのを感じ、キルヒアイスは後ろを振り返った。侯爵夫人似の女性が、別れのあいさつの様にひらひらと手を動かした。

 あの光の方へ進めという意志を感じて、キルヒアイスは白い光に向かって歩き始めた。ふと上を見上げれば、彼女達はそれぞれの乗り物に乗って空へ帰っていくのが見えた。男爵夫人のそっくりさんが楽しそうに手を振る横で、最愛の女性に似た存在は清らかな笑みをキルヒアイスに見せ、空の中へと消えていった。

 

 

 

 帝国暦四八八年九月九日。ガイエスブルグ要塞内の手術室で、キルヒアイスに対する緊急手術が行われた。彼の体は、レーザーに貫かれた胸部、床で強打した頭部など複数部位に深刻なダメージを負っており、その手術時間は数時間にも及んだ。

 

「手術は成功しました。ただ、依然として予断を許さない状況です」

 

 長丁場の手術を終え、執刀医が手術室から出て来たのは九月九日も終わろうかという時間であった。執刀医はそれだけを述べると、近くにいた軍医や看護婦達にいくつか指示を与え、壁に思い切り寄り掛かった。

そのすぐ近くで、ラインハルトが廊下に座り込み、ぼんやりと向かいの壁面を見ていた。その隣には顔色の良くない参謀が付き従っている。

 ラインハルト旗下の一部将官達も、キルヒアイスの手術室前でラインハルトと共に待機していた。しかし、執刀医の、手術と移動の邪魔なので と、オブラードに包まない一言によって追い散らされており、現在は士官用ラウンジで待機している。

 

 手術を終えたキルヒアイスがストレッチャーに乗せられ、執刀医の前を通って集中治療室へと搬送される。

 キルヒアイスの存在を視認して、ラインハルトは立ち上がり、夢遊病者の様にストレッチャーの方へと近付いた。執刀医が、ラインハルトの進行方向に手を投げ出し、その歩みを止めさせた。自分の歩みを邪魔する存在に気が付き、ラインハルトが執刀医を睨んだ。執刀医がそれに臆した様子はない。執刀医にとって、大貴族の我儘や無茶振り、情緒不安定になった患者の八つ当たり、関係者の妬みや逆恨みと比べれば、若造の睨み程度は意に介さない。

 

「医学に造詣のない私にもわかるように説明してくれ、キルヒアイス提督はどういう状態か」

 

  ラインハルトの傍らに立つ義眼の男は、何の感情の揺らぎも見せず、淡々と質問をした。執刀医はパック入りジュースを飲みながら、近くの若い軍医に説明を促す。

 

「楽観的なことは一切申し上げられません。まず最初に、この三日が運命の分かれ目です。また、今後も複数回に渡って手術が必要になるかと。それを乗り越えても、意識が回復するのか、それがいつになるかも現時点は不明です。活動レベルを意図的に低くして身体機能の保全を最優先し、症状の悪化を防いではいますが、意識が回復した後、後遺症が出る可能性もあります」

「つまり現時点では、キルヒアイス提督はこのまま死ぬか意識が戻らない可能性が高く、意識が戻っても元の生活に戻ることは難しいかもしれない。ということか」

 

 若い軍医が丁寧に噛み砕いた説明を、義眼の男はあまりにあけすけに要約した。

 

「オーベルシュタイン!」

 

 ラインハルトは、その秀麗な美貌と声にあらん限りの負の感情を込めて怒鳴った。その声が廊下に響き渡る。しかし、執刀医もオーベルシュタインも眉ひとつ動かすことなく、年若い軍医だけが怯えていた。やがて、その勢いもあっという間に萎み、ラインハルトは頭を抱えて縮こまる。ラインハルトに敬礼をして、オーベルシュタインはその場を立ち去った。執刀医は集中治療室へと向かい、若い軍医がその後に続く。

 空っぽの手術室の前で、ラインハルトだけが動けずにいた。

 

 

 ラインハルトの所を辞したオーベルシュタインは、その足で諸提督らが集まる士官用ラウンジへ赴き、キルヒアイスの容体について簡潔に知らせた。ラインハルトを激昂させたのと全く同じ言い回しで以て。そして、それに対する反応は、主君とその部下達でほぼ同一であった。

 ただ一つ違う点があったとすれば、それに執刀医への非難が追加された事である。

 

「それでは何も出来ん、何も分からんと言っているのと同じではないか!無能な医者め!」

 

 まず口火を切ったのは、猛将と名高いビッテンフェルト提督で、そう叫ぶと同時に己の拳を机に叩き付けた。乾いた音が鳴り、他の提督達にざわめきが広がる。集まった中で最も若いミュラー中将が、それに触発されたように言葉を発する。

 

「そもそも何故、正規軍の軍医ではなく、賊軍の私兵に過ぎないフェザーン人医師がこの大事な手術を任されているのか!」

 

 それまで周囲の喧騒の中、沈黙を保っていた男が薄く眼を開いた。彼の黒と青の瞳がミュラーを一瞥し、静かに冷笑した。それらの不安と熱に浮かされたようなざわめきが治まるのを待って、オーベルシュタインがおもむろに口を開いた。

 

「医者に掛かって全ての患者が治癒し、病気や怪我の全てが医者に見通せるなら、老衰や自殺以外で死ぬ人間はもっと少なかっただろう。この場合、あの状態を生かしている医者と、持ちこたえているキルヒアイス提督を称賛すべきであろう」

 

 オーベルシュタインは、諸将を見回して言葉を続けた。彼らはその言葉の正しさを理屈の上では理解できたが、キルヒアイスを失うかもしれない事態に、感情がその正しさを理解したがらないでいた。

 

「また、ローエングラム候は、キルヒアイス提督の治療に際し、最善を尽くせとご命令になった。その意を受けた軍医達が最善を模索した結果、賊軍に雇われていた彼に執刀を任せるのが良いと判断したまで。何しろ、帝国の医療技術はフェザーンや同盟に比べればずっと低水準の上に、彼はそのフェザーンで指折りの名医だ。これ以上の適任は他におらぬ」

 

 ミュラーが顔を上げると、オーベルシュタインの無機質な義眼とかち合った。オーベルシュタインは、ミュラーから白髪頭の青年提督へと視線を移し、再び提督達全員を見回した。その刹那、ミュラーは自らの失態を悟った。

 

「それに賊軍に与した者の中で、帰順を表明した者を、ローエングラム候は受け入れておられる。そこなファーレンハイト提督の様に。その医師も同じ事」

「しかし、フェザーン人などに任せてはおけん。もし金で転んで、キルヒアイス提督を害するようなことがあれば。やはり忠誠ある帝国軍の軍医に」

 

 オーベルシュタインの言葉を遮って、岩のような剛毅な容貌の将官が言い募った。オーベルシュタインは彼を一切見ることなく、その仮定を切って捨てる。

 

「この場合、キルヒアイス提督の生命を救うのは忠誠心ではなく、医療技術だ。担当する医師には高い技術と、患者が何者であれ最善を尽くす、最低限の職業倫理が備わっていれば良い。それとも卿は助かるかもしれない者を死なせてまで、そのような瑣事に拘りたいのか」

 

 男が言葉に詰まり、怒りのために顔を赤黒く染めるのを、虹彩異色症の提督が面白そうに見やっている。その提督は皮肉気な笑みを隠そうともせず、それぞれ異なる色の両目をオーベルシュタインに向け、挑発する様に言った。

 

「ほう、ナンバー2不要論を唱えていた者の言う事とは思えぬ。卿こそがキルヒアイス提督の死を望んでいたのではないか?」

「やめろ、ロイエンタール!」

 

 その時、、蜂蜜色の髪を持つミッターマイヤー大将が、アンスバッハの起こしたテロ事件について一通りの調査を終え、士官ラウンジに入って来たところであった。彼はロイエンタールを制すと、オーベルシュタインを睨みつけた。それを受け流して、オーベルシュタインは言葉を紡いだ。

 

「卿は何か勘違いをしているようだ。確かに、組織にナンバー2は不要だ。しかし、それはキルヒアイス提督に限らぬ。卿らを含め、誰がなろうと同じこと。逆に言えば、ナンバー2の地位にないなら、キルヒアイス提督個人には何の問題もない」

 

 オーベルシュタインは、提督達を一通り観察する。皆それぞれ面白くなさそうに唸っていた。

 

「では、これからグリューネワルト伯爵夫人へご報告せねばならぬ。失礼する」

 

 オーベルシュタインが退出した後、ラウンジの方で大きな音がいくつか立った。オーベルシュタインはその音が聞こえていたが、それでも歩みを止めることはなかった。

 

 

 

 オーベルシュタインが、ラインハルトの姉、グリューネワルト伯爵夫人アンネローゼに連絡を取ったのは、翌九月十日深夜から早朝の事である。また、医師の判断で、集中治療室にいるキルヒアイスへの面会許可が降りたのも、同日朝の事である。

 

 オーベルシュタインは、ラインハルトの所へ赴く途中、カスタード色の髪を持つ従卒とすれ違った。少年は何度も何度も上を見上げては、泣くのを必死に堪えている。その従卒は、オーベルシュタインの存在に気が付くと慌ただしく敬礼をした。従卒の足音が遠ざかった頃、オーベルシュタインはしばし記憶を探り、それがキルヒアイス付きの従卒であると気が付いた。

 

 ラインハルトは集中治療室近くの廊下で立ち尽くし、鸚鵡のように同じ文言を繰り返していた。

 

「宇宙を……手に入れる……」

 

 集中治療室への出入り口を見やった後、オーベルシュタインはラインハルトの顔を観察するようにじっくり眺めた。太陽神に例えられる程の彼の美貌に、今は負の感情による翳りが差している。しかし、その翳りはいささかもラインハルトの美貌を損なう事がなかった。

 

「キルヒアイス提督にお会いになられたようですな。ところで閣下。オーディンのグリューネワルト伯爵夫人より通信が入っております」

 

 オーベルシュタインの言葉を聞いた瞬間、ラインハルトはオーベルシュタインが何をしたかを悟って憤慨し、その胸倉を掴んだ。

 

「貴様!」

「閣下。ご自分をお責めになるだけで、他の者をお責めにならないのはよろしい。しかし、無為に悲しみに沈んでおられる間にも、リヒテンラーデ候らはオーディン本土で閣下を陥れようと準備を進めている事でしょう。閣下が戦いに敗れれば、オーディンにおられる姉君は、生死の境を彷徨っているキルヒアイス提督はどうなります」

 

 ラインハルトは打ちひしがれたように、廊下にへたり込んだ。オーベルシュタインは主君を見下ろし、その目を眇めた。

 

「姉君はまだよろしい方かもしれません。今のキルヒアイス提督は、歩いて逃げることはおろか、言葉を発することもままなりません。今やキルヒアイス提督は、閣下と運命はおろか、命そのものを共にされているのです。……それでもまだ無為な悲しみに浸って、現実からお逃げになりますか、ならば貴方はそれまでの人だ。宇宙はおろか、キルヒアイス提督一人の命すら背負える人ではない」

 

 オーベルシュタインの軍服から、ラインハルトは手を離した。

 

「姉君とお会い下さい。そして未来についてお考え下さい。私は貴方をまだ見放してはおりません」

 

 この時のオーベルシュタインの口調は、随分柔らかかったようにラインハルトには聞こえた。

 後日、ラインハルト自身がこの事を振り返ったが、それが自分の動揺や願望ゆえにそう聞こえたのか、本当にそのような口調だったのか、ついにその答えは得られなかった。

 

 

 

 姉のアンネローゼとの通信を終え、部屋から出て来たラインハルトは、彼本来の燃え盛るような覇気を取り戻しつつあった。オーベルシュタインを従え、ラインハルトはミッターマイヤー、ロイエンタール両大将と中将達の待機している、ガイエスブルグ要塞内の士官専用ラウンジに赴いた。

 

 ラインハルトは、諸将達を前に、オーディンでリヒテンラーデが自分達を陥れようと画策しているとの報告を受けたことなど、幾つかの傍証を上げて、最後にこう締めくくった。

 

「従って、アンスバッハはリヒテンラーデ候に唆されて、私の命を狙い、キルヒアイス上級大将を害した。これは向こうから仕掛けて来た事だ。ならば、私も受けて立つしかあるまい。メックリンガー、ケスラー。卿らはガイエスブルグ要塞に残り、残存部隊を指揮して守備を固めよ。また、我が軍にもリヒテンラーデ候の親類縁者が幾人もいる。彼らから余計な情報が洩れぬよう、理由を付けて拘禁するか、密かに監視を付けておけ」

「はっ」

メックリンガーとケスラーは美しい敬礼でもって、ラインハルトの命令を受諾した。

 

 

「ミッターマイヤー、ロイエンタール。卿らが主力となり、各艦隊から高速艦艇を選抜。急ぎオーディンに戻り、リヒテンラーデ候を逮捕、国璽を確保せよ。これは一刻を争う事態だ」

「御意」

 

  ミッターマイヤー、ロイエンタール両提督はラインハルトに向かって頭を垂れた後、主君の傍らにいるオーベルシュタインへ、憎しみと嫌悪の眼差しを一瞬向けた。

 

「他の中将はミッターマイヤー、ロイエンタール両提督に続いてオーディンに出立せよ」

 

 怒号のようにすら聞こえる返事が、士官用ラウンジを満たした。居並ぶ諸将達が一斉に敬礼する。それにラインハルトも応えて敬礼する。ラインハルトが腕を下ろした瞬間、諸将達が急ぎ足でラウンジを退出していった。

 

 

 

 帝国歴八八年九月中旬の、オーディン及びガイエスブルグ要塞は、水面下の危うさとは裏腹に、リップシュタット戦役における勝利とそれによる高揚感に満たされ、まずます穏やかな日々が続いた。リヒテンラーデ一族の士官達は自分達が監視されていることも知らず、家族や恋人と、手紙やビデオメールなどを通じて、今後の幸福な生活への希望などを語っていた……。

 一方で、危うい事もあった。ラインハルトは、キルヒアイスの事を、リヒテンラーデ候を油断させるための嘘の材料とした。これはある意味成功したが、同時にラインハルトの心胆を寒からしめることにもなった。

何故なら、九月十五日、キルヒアイスの容体が本当に急変し、頭部の再手術を行う事になったからである。幸いにも手術は成功したが、キルヒアイスの意識は戻らず、集中治療室から出て来ることもなかった。

 ラインハルトは、一日一回たった五分許された面会のために、集中治療室を毎日訪れていた。

 

 

 帝国暦四八八年九月二十四日。

 ミッターマイヤー、ロイエンタールら率いる高速艦隊は、多くの脱落者を出しながらも首都星オーディンを制圧。リヒテンラーデ候クラウスの拘束と国璽の確保に成功する。また、リヒテンラーデ候の一族を逮捕。ラインハルト旗下の艦隊に所属して戦っていたリヒテンラーデ一族の軍人も、同日には要塞内の留置所に放り込まれた。

 

 同年九月二十五日。

 帝都を制圧したロイエンタールから、戦艦ブリュンヒルトのラインハルトへ通信があり、彼らが捕えたリヒテンラーデ候及びその一族の処遇についてラインハルトの裁可を仰いでいた。

 宰相たる功績とその地位を勘案してリヒテンラーデ候には自裁を勧め、リヒテンラーデ候の一族、具体的には六親等までの女性及び子供は辺境へ流刑。十歳以上の男子はすべて死刑。今は子供でも、成長して自分を倒しに来るならそれも良し。それがラインハルトの判断だった。

 ロイエンタールは、その命令を復唱し聞き返して時間を稼ぐことで、その間にラインハルトが翻意することを願ったが、それは徒労に終わった。

 

「卿らも、私を倒す自信と覚悟があるならいつでも挑んできて構わない。実力のない覇者が打倒されるのは当然のことだからな」

「御冗談を……」

 

 ラインハルトのこ一言は、主にキルヒアイス一人守る事の出来なかった己の至らなさと、そのような自身への苛立ちから発せられていた。また、この日は、ラインハルト達がガイエスブルグ要塞を出立する日であったが、キルヒアイスの意識は未だ戻らず、また容体が安定していないため、ラインハルト達と一緒に帰ることが叶わなかった。そのことにラインハルトが子供じみた不満を抱いていたという事情もある。

 簡潔に言えば、これはある種の八つ当たりで、ロイエンタールはその巻き添えを食ったのである。

 昏い陰を帯びたラインハルトの声と笑いに、ロイエンタールは形式的な事以上の事を何も答える事が出来ないまま、通信は終わった。オーベルシュタインが、まもなく出航である事を告げるべく、艦橋にあがってきたのはちょうどその時であった。

 

「ところで、リヒテンラーデ候一族の処遇、あれでよろしいのですか」

 

 そうラインハルトに問うたオーベルシュタインの声には、常にない戸惑いが滲んでいる。少なくともラインハルト自身はそう感じた。ただ、オーベルシュタインが何に戸惑っているのか、神ならぬラインハルトに分かろうはずもなかった。

 ラインハルトにとって、リヒテンラーデ候とその一族は、彼が覇業を成し遂げる為には必ず倒さねばならない相手で、ラインハルトが殺した人間のリストに彼らの名が加わった所で、今更何の感慨も浮かばない。それが正直なところである、とラインハルトはオーベルシュタインに語った。

 オーベルシュタインは、自分が感じる引っかかりが何なのか自身でも把握しかねていたため、それ以上の進言を控えた。また、ラインハルトがその覚悟を以て、リヒテンラーデ一族処断を決断した以上、オーベルシュタインに出来る事はもうなかった。

 この処罰で生き残った者達が、どのようになるかを解っていても。

 

  やがて戦艦ブリュンヒルトが、ガイエスブルグ要塞を出港する時間を迎えたため、リヒテンラーデ一族についての話はそこで終わった。

 ラインハルトは静かに瞼を閉じた。目を閉じれば浮かぶ赤がある。それは、流して来た血の色なのか、自分の片翼の色なのか、もう彼には分らなかった。

 

 

 翌二十六日、前帝国宰相リヒテンラーデ候クラウスは自裁。リヒテンラーデ一族の、十歳以上の男子に対する銃殺刑が執行。

 また、女子供は辺境の各地の流刑星へ向かう護送船にそれぞれ乗せられ、首都星オーディンを離れた。

 それはオーディンへと帰投するラインハルト達正規軍の凱旋と対照的に、汚名と悲壮に満ちた寂寞たる船出であった。

 

 

 同年九月末。キルヒアイスは、ラインハルトの出立に遅れること五日。キルヒアイスの身体状態の安定を受け、彼は自身の旗艦バルバロッサに乗せられ、オーディンへの帰還の途に着くことになる。

 

 


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