死に損ねた男   作:マスキングテープ

14 / 14
第12話 白鳥の歌を歌う男

 六月二十日の夜七時、ラインハルト旗下の将帥達が元帥府に全員参集するまでに、帝都の惨憺たる状況は更に継続、拡大の一途を辿っていた。

 

 

 爆発による、直接あるいは間接的被害を蒙ったものの中に、帝都中心部に張り巡らされている電気や水道、民間用通信回線などインフラ網が一部存在したからである。

 

 帝都中心部にある軍病院は、一番最初に起こった警備本部と新無憂宮の爆発事件の負傷者を受け入れるので手一杯で、連続爆破事件における負傷者の多くは、必然的に民間病院が引き受けることになった。

 聖霊降臨祭、すなわち休日という事もあって、救急救命を抱える一部の大病院以外は、個人の診療所から公営の総合病院までに至るまで休みである事が多く、自然と一部の病院に負担が集中した。

 

「もうベッドもストレッチャーも満杯です!」

「良いから、全部受け入れろ!ロビーを閉鎖して、床にマットを!」

 

 民間医の中には、病院や診療所を急遽開けて、近隣住民の受け入れを決断したり、休暇中に現場に居合わせて、救命を始める医療関係者もあったが、それらは個々の善意ではあって、初期段階では著しく横の連携を欠いた。

 

「先生方との連絡は!?」

「とれません!さっきから全く何も繋がりません」

 

 そもそも民間の通信状況が著しく不安定になっている最中で、休暇中の医師や看護婦達と連絡が取れず、何も出来ない病院の方が圧倒的多数であった。

 

「手元を照らしてくれんかね」

 

 また、個人営業の小さな診療所では、自家発電設備など有している訳もなく、インフラ障害の影響が直撃して最低限の処置しか施せなかった。また、個人経営の診療所や医院程度では、薬剤や医療器具の備蓄など知れたもの、押し寄せる患者の数の前には、有って無きがごとし、あっという間に底をついてしまった。 

 

「誰か、この子を診て下さるお医者様はいませんか」

 

 しかし、どこであれ、医者などに診察して貰えた人間はまだ幸運で、救急車が間に合わなかった、そもそも現場に救急車を呼ぶことすら出来ず、処置を施されることもないまま放置された人間の方が遥かに多かった。

 

 加えて、爆発それ自体や、爆発の余波による大規模な火災によって、家を焼け出された人間も多数発生した。

 通信や交通の混乱によって、消防車が現場に駆けつける事すらままならない地区もあり、己の家が炎に焼き尽くされる様を茫然と眺める帝都民の姿が、あちこちで見受けられた。また、消防車の到着を待てず、内部に取り残された家族や財産を救出する為に炎に飛び込み、そのまま亡くなった話も、さして珍しい事ではなかった。

 

 祭りに華やいでいた帝都オーディンは、街を焼き尽くす炎で赤く染められ、やがて各所から立ち上る大量の煙が、帝都の晴れ渡った青空を、楳色に濁していった。

 

 それらの情報は、現場の警察や消防から、二つを管轄する内務省に伝えられた。更に内務省を経由し、この時点で、主要な文官は、この件における民間の被害状況が概ね把握していた。

 元内務省社会秩序維持局長官、現在は内務省内国安全保障局設立準備室室長という肩書を持つハイドリッヒ・ラングも例外ではない。

 

 かつてルドルフ大帝の腹心が、基礎を作り上げた社会秩序維持局は、旧帝国の悪を象徴する物の一つとして、ラインハルトが権力を握って以来、ラングの謹慎など、休業状態に追い込まれていた。

 しかし、皇帝誘拐という陰謀がフェザーンから齎されるに至って、社会秩序維持局の職能とラングの手腕を必要とする事態が到来した。その為、オーベルシュタインはラングの謹慎を解いて、己の配下に置いた。

 ラングは新しい主人に頭を垂れて忠誠を示し、自分と部署の肩書を書き換える作業と並行して、フェザーンや帝国内を秘密裡に洗っていたのである。

 

 

 ラングは、マリーンドルフ伯爵令嬢ヒルダの様に、首席秘書官としてラインハルトの傍らにある訳でもなく、直に意見を求められる事もない。そのため、直接対峙する主君の心情を慮る、悪く言えば顔色を伺う必要がなかった。現在の上司であるオーベルシュタインも、その様な事をとやかく言う人間ではないのも幸いだった。

 その為、ラングは、ジークフリード・キルヒアイス上級大将が、テロリズムの標的になる可能性を織り込んで、調査を始める事が出来た。

 もし、主君ラインハルトと近しい位置にラングがいたとしたら。彼は主君を憚って、その可能性を口にしたり、調査を始めるのは難しかっただろう。あの雷雨の日の、ヒルダの様に。

 

 専制君主国家たる銀河帝国においては、支配階層の考えと感情一つで、下々の運命が決まる。かつてなら、皇帝や門閥貴族の感情や思考が、法や事実に優先された。

 であるからして、皇帝の良き臣民として数百年に渡り、環境に適応した帝国民としては、『正しいかもしれないが支配階層のお気に召さない事』を行ったり、口にして怒りを買うより、支配階層の好むように阿るか、あえて口にしない方がましだ、という気風が強い。

 これは、ラインハルトが実権を握った現在も、変わらない。帝国臣民にとっては、その対象が、皇帝や門閥貴族から、ラインハルト、それに高級士官の軍服を着た人間に変わったに過ぎない。

 高々数年程度で、数百年掛けて培われた意識はそう容易く変わらないのだ。

 

 斯くして、ラングとその部下は様々な可能性を十全に検討することが出来、その結果、キルヒアイスの両親が狙われる可能性が高いと見積もって、その周辺でじっと網を張っていたのであった。

 

 戦いの常道とは、相手の弱点、手薄な部分を突く事である。

 キルヒアイス夫妻は、息子が現在の地位を得てもなお、暮らしぶりも変わらず、社会的地位も高くない。

 また、ラインハルトの方でも、姉グリューネワルト伯爵夫人や、キルヒアイス上級大将を気に掛ける程には、キルヒアイス夫妻を気に掛けていない。故に、夫妻に対する警護は、手薄の一言に尽きる。

 それでいて、彼らが攻撃の対象となった時、息子であるキルヒアイス上級大将が受ける衝撃の大きさは計り知れず、それが間接的かつ効果的にラインハルトを揺さぶれる可能性がある。

 

 テロリスト達にとって、二人を狙うのは、警護の万全なラインハルトや、宮中奥深くの皇帝などを狙うより遥かに容易であり、物のついでに実行して損はない、という所である。

 

 そして、秘密警察の張り巡らした蜘蛛の巣を僅かに揺らした可憐な蝶々、それがベックマン家の養女だった。

 

 

 

「老朽化した配管の取替工事やら理由を付けて、事前に周辺住民を退避させておいて正解でした」

 

 ラングの部下である男は、その言葉とは逆に些か暗い顔をしている。

 

「ただ、極めて残念な事に、一人、フラウ(夫人)が生死の境を彷徨っておられる。なんと痛ましいことか」

 

 ラングの声が、聖句を読む司祭の様に執務室に響いた。声には真摯な響きが伴っていた。だが、それは、死にかけの女性を痛ましく思うというより、事件に関する手掛りを惜しんでのことように、ラングの部下には聞こえた。実際、ラングがどのような気持ちだったかを知るすべはない。

 それも束の間、ラングは声を潜めて部下に問う。顔には、秘密警察の長に相応しい、冷やかさがあった。

 

「フロイライン(お嬢さん)を見失ってはいないだろうね」

 

「それは勿論。腕利きを付けてあります。現在の所、気付かれた様子はありません」

 

 ラングは満足そうに頷いた。そして、この時の彼の判断が、流血の舞台の第二幕に至る、きっかけの一つとなる事を、神ならぬ身が知る由もない。

 

「では、そのまま監視を続けるように。フラウがこのような状態の今、フロイラインに、どこの誰の紐が付いているか、それを知る手掛りは少なくなってしまったのだから」

 

 一通り部下を労って退室させた後、彼は静かにとある場所への回線を開いた。

 

 

 

「では、今回の一件は結果的には事故の可能性が高いと?」

 

「予定外のアクシデントではあったと思われます」

 

 オーベルシュタインとフェルナーは、準備室からの報告書を眺めながら、言葉を交わした。ただ、報告書というよりは、準備室が今まで集めた情報の羅列といった趣であったが。それは、ベックマン家を中心とした爆発についてであった。

 

「少なくとも、ゼッフル粒子を使うつもりだった人間にとっては」

 

 焼け跡から発見された、ゼッフル粒子入りのボンベとそこに繋がったタイマーが、画面に映し出された。タイマーは火災の熱で一部溶け崩れている。

 

「もし、爆発がゼッフル粒子による物なら、あの裏町一帯は綺麗な更地になっている所です、しかし、実際にはそうなっていない。隣接する二軒が半壊、道路を挟んだ向かいと隣裏は、爆発時の破片で屋根や壁の一部が壊れた程度、爆心地になったベックマン家も、少しですが形が残っています。不幸中の幸いとでも言いましょうか」

 

  ゼッフル粒子は通常火災の熱程度では爆発しないこと、タイマーの設定時間が夜の時間帯であったことなどが重なって、消火活動中の爆発には至らなかった。消火後、現場でこのボンベを見つけた時の消防官の気持ちを考えて、フェルナーは現場の彼らを心の中で労った。

 消防はすぐさま警察に、この物体の存在を通報した。警察は回収後に処理をし、目下の所、材料とその流通ルートなど、ラング率いる秘密警察こと、内国安全保障局準備室と警察の合同捜査で進められている。

 

 二人が見ている画像が、切り替わった。家の形をおぼろげながらも残しているベックマン家の残骸。

 

「夫人は意識不明の重体、娘の方はどうした」

「買い物に出かけていて無事でした。帰宅途中に、家の火災を見て、逃げていますが。随分狼狽した様子だとも聞きます。現在、社会秩序維持局、失礼間違えました。内国安全保障局準備室の方で人を張り付かせているようです」

 

 

 今回のベックマン家の爆発について、現状判明している点をまとめると以下の通りである。

  周辺の被害状況から見て、爆発したのは、ゼッフル粒子など爆薬の類ではなく、家庭でしばしば用いられる燃料であること。

 目撃証言や現場検証から、最初に小火があり、通行人から通報を受けた消防が駆けつける前に爆発したこと。

 その時間帯に、ベックマン夫人はちょうど食事の支度をしており、養女は夫人に頼まれて、近所の店に食材の買い出しに行ったこと。

 爆発後、買い出しから戻って来た養女が、家の惨状を見て狼狽し、慌ててその場から逃げ去った事。

 以上の事から、現段階ではベックマン夫人による失火の可能性が高いと見られていた。

 

 そこへ、追加の報告が上がって来たが、それは、二人にとって決して喜ばしい物ではなかった。

 

「ベックマン夫人が、搬送先の病院で亡くなりました」

 

 それは、犯人に繋がる糸の一本が、完全に切れた事を意味した。

 

 

 ラインハルトの元帥府に、オーベルシュタインとケスラー以外の諸将、計十一名が参集した時、彼らはラインハルトの口から、新無憂宮に住む七歳の男の子が行方不明になった事と、それが今回の一連の事件と何らかの関わりがある事を知らされ、それについての意見を求められた。

 

「門閥貴族共の残党が、勢力の復活を企てて起こしたと考えるのが妥当ではあるのだろう」

 

 ミッターマイヤーは、そう口にしたが、他の事象を考えれば、そうと断言すること出来なかった。

 

「だが、あのようなやり方では、身内の門閥貴族からも反発を食らうだろうな。結果だけ見れば、皇帝の身を危険に曝し、数少ない味方候補を殺した、と言って間違いない。案外、共和主義者かもしれん。あちらは、イゼルローン要塞と共に多くの戦力を失い、かのヤン・ウェンリーが軍を去ったという。こちらを混乱に陥れることで、帝国からの攻勢を凌ごうとしたとも言い切れまい」

 

 ロイエンタールが、いまだ正体の解らぬ犯人を嘲るように口にした。味方になる可能性のあった貴族とは、爆発にあったゲルラッハ達、元中立派門閥貴族のことである。

 

「犯人が門閥貴族なのか共和主義者なのかはともかく。そもそも皇帝陛下は生きておられるのか?」

 

 ワーレンのその言葉は、列席者一同の喉元に期せずして見えざる刃を突きつけることになった。そこから最初に立ち直って言葉を発したのは、メックリンガーだった。

 

「……確かに。皇帝陛下がおられないようだ、そういう事でしたが、これは、警備兵が直接、部屋の隅々を確認してのことではないように聞こえますな」

 

 話が、だれが犯人か何が目的かではなく、そもそも前提たる皇帝の行方不明の真偽にスライドしていくのに時間はかからなかった。

 元帥府が俄か仕立ての探偵集団に成りかかるのを阻止したのは、ロイエンタールであった。

 

「誰が犯人で、皇帝の生死がどうあれ、いずれ捜査も進むであろうし、犯人から何かの反応があるだろう。我らは、それを全力で屠るまでのこと」

 

「もし、犯人が名乗り出なかった場合は。暗殺だけが目的ならば、功を誇る必要もあるまい」

 

 そう勤めて静かに口にしたのはルッツであった。彼の顔は僚友の方を向いていなかったので、おそらくは独り言ではなかったかとメックリンガーは回想している。

 

 この時、幾人かの脳裏には、かつてフリードリヒ四世と他の門閥貴族を爆殺しようと試みた、クロプシュトック侯爵のことが浮かんだ。

 クロプシュトック家はルドルフ大帝の時代から名を連ねる名門だったが、オトフリート五世の時代、帝位継承を巡る闘争に敗れて社交界から追放された。

 三十年を経て唐突に事件を起こしたのは、長い年月の間に恨みが積もり積もったからだとも、雌伏することで敵を油断させる為であったとも、事件の少し前に唯一の後継者が戦死し、侯爵家再興の望みが絶たれたからだとも言われている。ともあれ、彼は自らの終幕の手向けとして、自分達をこのような境遇へ追い込んだ者達への復讐を図ったのだった。その後の軍事行動については、侯爵は最初からそのつもりで準備を整えていた、いや討伐軍に抵抗を試みただけだ、と後世に置いて見解が二分している。

 メックリンガーは、事件現場でラインハルトと面識を得た。ロイエンタールやミッターマイヤーは、クロプシュトック侯爵討伐行にまつわる門閥貴族との諍いをきっかけに、ラインハルトに忠誠を誓ったのだった。

 

 ラインハルトは、ロイエンタールの言や良し、いずれ次第が明らかになり次第、犯人と協力者には相応の報いを与えよう、と口にした後、次のように続けた。

 

「それともう一つ、連動する爆弾事件によって、帝都や人民にも甚大な被害が出ている。一刻も早く彼らの不安を取り除いてやらねばならぬ。こちらの方は急を要する。なお、皇帝陛下の一件に関しては、一切口外せぬよう」

 

 各艦隊から、帝都復旧任務に当たらせる部隊を選出し、総責任者はアイゼナッハ上級大将と定められた。これは、アイゼナッハが地方星系を治める伯爵家の出であり、災害の多い土地柄であった為に、彼とその部下達は、そういった任務に熟達していた点があげられる。更に言えば、先日手柄を上げたばかりの彼に、この任務を任せることで、遠からずある外征において、他の者に武功を点てさせようという狙いも少しはあった。

 その下に、メックリンガーとビッテンフェルトが配置された。メックリンガーが選ばれたのは、この手の事務処理に強いからだが、ビッテンフェルトは理由が不明であった。結果的にはよかったのだが。

 残りの諸将と麾下艦隊は、追って沙汰があるまで、即時出動可能な状態で待機せよとのラインハルトの命が下った。

 

「それでは、卿らの働きを期待する」

 

 そろそろ会議も終わろうかという頃、室内にオーベルシュタインが入って来た。オーベルシュタインは、僚友の方にちらりとも視線をよこすこともなく、ラインハルトに向かって礼を正した。

 

「どうした、オーベルシュタイン。顔色が良くないな。何か悪い知らせか」

 

 ラインハルトの言に、諸将達は義眼の男の顔を見やったが何かが変わっているようには見えなかった。しかし、そんなことがどうでも良くなるほどの事態が、オーベルシュタインから報告された。

 

「新無憂宮で、子供と思われる遺体が発見されました」

 

 ラインハルトは、衝撃を受けたように立ち上がった。しかし、それに続いたラインハルトの言葉は、極めて平静そのものであった。

 

「陛下のことは伏せておき、この帝都の混乱が静まった時、改めて公表するものとする。重ねて命ずる。残りの麾下艦隊は即時出動可能な状態で待機せよ。皇帝陛下の一件は他言無用である」

 

 

 

 重苦しさを孕んだまま会合は終わり、ミッターマイヤー、ロイエンタールの両将も部屋を後にした。

通路を歩きながら、最初に口を開いたのは、ミッターマイヤーの方であった。

 

「近い内に、出兵があるな」

「ああ」

 

 それは、彼らの鋭い嗅覚が導き出した結論であった。そして、敵は、皇帝暗殺犯とその背後の黒幕、と認定された者達であろうことも。しかし、数々の戦いによって武勲を立て栄達を重ねた男達は、戦いの予感に心が躍ることはなかった。有体に言ってしまえば、物足りないのである。

 門閥貴族の残党の中には、もはや見るべき人材もおらず、軍を形成する規模もないように思われた。自由惑星同盟は帝国に対抗可能な軍事力を有しているが、イゼルローン要塞は既に宇宙の塵となり、同盟軍の中で最も貴重な宝石、魔術師ヤンは軍を離れてしまった。

 ヤンの退役自体、何かの策略である可能性を誰もが疑っていた。特に帝国軍にはその傾向が顕著である。ヤンが現在の同盟政府からどう見られ、遇されていたかを知れば、この数は多少減ったかもしれないが、あくまで多少である。

 それは、ヤンが人の心理を巧みに突いた戦法で帝国軍を屠ってきた実績によるが、根本的には、誉れ高き名将、偉大な敵と堂々と一戦を交えたい、という彼らの武官としての矜持と願望が原因である。それが、ラインハルトの目に適った英邁なる名将達をしてなお、必要以上にヤンを警戒する結果に繋がっている。

 

 その内、自然と話は、今回のラインハルトの振る舞いに話が移った。

 このような状況下で、ああも冷静でいられるとは流石だ、とミッターマイヤーが、ラインハルトを称賛した時、ロイエンタールは、すぐにそれには賛同出来なかった。彼は、数瞬の間を置いて

 

「……そうだな。流石はローエングラム公だ」

 

 とだけ返した。

 ロイエンタールは、碌に会ったこともない子供を憐れんではいない。ただ、ローエングラム公は本来守るべき存在を死なせたかもしれないのに、良くもああ平気な顔をしていられるものだ、と冷笑気味に思っただけである。

 ローエングラム公の権力は、実質的にはどうであれ、形式的には七歳の幼帝の擁立者、庇護者であることを理由に成立している。いずれ、世間の評判を落とさない形で、ローエングラム公が皇帝の席に座るとして、それまでは皇帝の身の安全は保証されて然るべきものであった。そして、現状、ローエングラム公は、幼帝の擁立者としての責務を果たしきれていない。

 いっそ、わざと皇帝の身を害させたのではあるまいな、と考えたのは、別にロイエンタールの独自の発想ではないが、裏の事情を知らぬまま、それを一番早く思いついた帝国将帥がロイエンタールだった。

 

 幼い皇帝が無事成人すれば、いずれローエングラム公の障害になることは間違いない。ならば、敢えて敵に皇帝を害させることで、皇帝を排除し、帝国の敵という名目で堂々と別の敵、門閥義賊の残党なり、自由惑星同盟を称する共和主義者どもを屠れるではないか。

 もっと単純に、ローエングラム公は、是が非でも犯人を挙げなければならない。そうやって、帝国臣民の意思を統一して軍事行動を起こすことで、彼自身の責任や不忠、幼児の管理責任から、人々の視線を逸らす必要があるのだ。

 しかし、ロイエンタールはその思考をぐっと抑え、敢えて違うことを口にした。

 

「事がここまで大きくなると、誰かが責任を取らねばなるまい。ローエングラム公も頭が痛かろう」

「そうだな、ケスラーかモルトあたりか……」

 

 そう言いながらも、二人は無意識の内に、モルト中将がその責任を取らされるのだろうな、と思っていた。何しろあと少しで退職する男だ。退職に合わせて動いていたこともあって、切り捨てても現場への影響が薄い。新無憂宮の警備自体、軍部では今や重要度の高くない職務である。

モルト中将が、新無憂宮の爆発に先立って暗殺されていたことを、二人が知るのはもう少し後のことである。

 

 その後、家族を心配して慌しく帰ったミッターマイヤーだったが、彼が普段三十分程度で帰れる自宅に帰りつけたのは、四時間後のことだった。更に、彼の両親と妻エヴァンゼリンは、帝都郊外の植物園に出掛けていて帰れなくなり、名前の平凡さなどもあって軍高官の家族と気付かれて優遇されることもなく、再会できたのは数日後のことになる。

 

 

  こうして、ラインハルトの命の下、帝国軍や軍医達を現場に送り込めたのは、最初の事件発生から数時間後の事であった。

 態勢が整うまでの間に、更に千人単位の民間人が天上の門を潜った。この数時間の間に、これ程までに被害が増えた事に関して、後日まとめられた内務省の報告書に、いくつか言及がある。

 

 まずは数え方の問題。当初の二千人は、各所の爆発で直接死んだ人間の数であり、病院などで後から死亡が確認されたり、その余波で発生した火災や事故における死者については、その数時間の間に情報が出揃ったこと。

 

 それから、帝都市民のパニックについても触れられている。というのも、帝都オーディンの地で、今回のように一般市民を大勢巻き添えにするようなテロは、四代皇帝オトフリートの時代以降起きた事がなく、この様な事態を目前にした帝都民のパニックが結果的に被害者の数を増やした可能性である。

 

 皇族や門閥貴族同士の権力闘争において、しばしば暴力的な手段が用いられたが、その舞台は貴族の屋敷か、貴族領の惑星地表、宇宙空間で、その犠牲者の多くは門閥貴族や皇族であった。平民や下級貴族が巻き込まれる場合、使用人、軍人など、皇族や門閥貴族の関係者、周辺の人々である事が殆どだった。

 

 さて、帝国では、こういった不穏な事件の場合、真相が明らかになるまでは、とりあえず共和主義者を犯人に立てて置くことが多い。しかし、テロが本当に共和主義者によるものだったとしても、やはり一般市民を標的にしたテロというのはここ数百年なかった。

 共和主義者を自称する人々にとって、帝国の大多数の民衆は、飼い慣らされた無知蒙昧な羊、哀れな被害者である。そして、自分達こそが、その迷える羊を、正しき道、民主主義へ導く、という自負が、多少なりとある。

彼らにとって、憎むべきは、皇帝ルドルフから始まった歪んだ体制と、体制下で甘い汁を吸う特権階級であり、その手先である帝国軍上層部であって、いずれにも属さない一般市民や兵士ではない。

 また、共和主義に興味のない、ただの不平屋が、暴力を持って自らの鬱屈を周囲にぶつけんとする可能性もあるが、そこからが銀河帝国という相互監視社会の本領発揮だ。こういった小さな不平分子すら、臣民からの密告や、行動パターン、買物履歴の分析によっていち早く発見、処置がなされる。帝国において、単なる不平屋は、大規模テロを引き起こすだけの物資を手にすることすら出来ない。家庭用刃物を振り回すなり、家に火を放つなりするのがせいぜいだ。

 

 こうして、特に門閥貴族の関係者でもない大多数の帝都市民の思考に、第五代カスパー帝の治世から数百年を掛けて、この帝都オーディンの地表なら安全である、絶対にそんな危険な事態には陥らない、という根拠のない思い込みが醸成された。

 昨年末に起こったラインハルトらによるクーデターにしても、対象になったのは門閥貴族のリヒテンラーデ公であり、暴力沙汰になったのは宰相府、軍務省など政府機関であったため、やはり帝都市民の意識を覆すには至らなかった。

 かくして、絶対あり得ない、と思っていた大惨事を目の前にして、帝都市民がとった行動は、概ね生存本能に基づく短絡的行為であった。その結果、動ける軽症患者が我先にと医療機関に押し寄せて、医療リソースを食い尽くし、重症だが手を尽くせば助命出来る患者から、助かる機会を奪った可能性があった。

 現に、押し寄せる患者達の対応に追われ、本来の医療行為に支障が出たという、現場の声も多く記録されている。

 

 

 そういうこともあったが、ラインハルトの号令の元、諸将の指示によって、帝国軍は概ね的確に動いていった。

罹災者の救助、幹線道路やライフラインの一時復旧、避難所の設置。ずたずたになった憲兵隊の代わりに、帝都の治安を維持する事。

 総責任者を任された、アイゼナッハ上級大将以下、ビッテンフェルト大将、メックリンガー大将とその部下達は、よくこれをこなした。この事件で、人命救助の功などによって、顕彰されたものが一番多かったのは黒色槍騎兵艦隊であり、その医療部隊であった。

 特に、ビッテンフェルトは、補給部隊や医療従事者の進言を受けて、現場における物資と医療リソースの分配の方針を定めたこと。メックリンガーがそれを最適化したこと。アイゼナッハがそれを徹底させ、後方支援員の功績を公平に評価し、ラインハルトに進上したこと。

 彼らのこの時の方針とやり方が洗練され、たたき台となり、帝国軍の医療部隊の重要性を高め、帝国における災害支援の歴史に足跡を残した。アイゼナッハやメックリンガーはともかく、ビッテンフェルトは猛将以外の側面を人々に印象付けることになる。

 

 

 さて、急速に帝都オーディンが表面上日常を取り戻す一方、今回の事件の捜査も順当に進んでいた。

 その結果、憲兵総監ウルリッヒ・ケスラーは、今回の事態を招いた大きな責任がある、とされた。

 これには、モルト中将を殺害したのが、ケスラーが麾下艦隊から引き連れてきた、子飼いの部下であった、という事も大きく影響していた。 モルト中将を殺害した犯人は、ケスラーのもと、若くして佐官の地位を得たが、地上勤務への転属で収入が減って、恋人との交際費に困った挙句に、摘発し損ねた犯罪組織と繋がって、今回のテロに加担したのである。

 

 ケスラーは戒告の上、憲兵総監の任を解かれ、中将へ降格、今後半年間の停職処分となった。

 加えて、過去に与えられた勲章の剥奪。またこれらの懲戒処分に伴い、退役後の軍人年金等の受給権を喪失する。停職終了後のケスラーの処遇については、俸給返上で辺境星系へ左遷、そこで正式な死刑執行を待つことになった。

 もっとも、結果として、ケスラーの処刑は行われなかった。死罪の沙汰を待っている間に、新皇帝が即位し、その恩赦によって正式に死罪が取り消された為である。

 

 結果的に、ケスラーは死を免れたものの、免職以外の懲戒処分は、ほぼ全て受けたことになる。本来であれば、一つの非に対して処分は一つと定められているので、些かやりすぎではないかとの声が、文武官のどちらからも上がった。帝国軍の上層部においては僚友に対する親愛の情から、上級官吏においては前例と法の観点から。

 

 例えば、帝国歴四八七年のイゼルローン失陥に伴って、当時の帝国軍三長官は最初辞意を示し、それを慰留させるため、当時の国務尚書リヒテンラーデ候は彼らの俸給を一年間返上させる措置で、その代替とした。

 

 しかし、何事にも例外はある。その例外の最たる人物が、ミヒャエル・ジギスムント・フォン・カイザーリングであろう。

 帝国歴四八三年のアルレスハイム星域における、帝国軍の一方的な敗北。敗戦の原因には、カイザーリング艦隊の狂乱があった。それを御しえなかった指揮官の無能さが糾弾された時、張本人たるカイザーリングに待ち受けていたのは、間違いなく死であった。

 しかし、当時の皇帝フリードリヒ四世の病気回復に伴う恩赦で、処分の減免が為され、カイザーリングは肉体の死を免れる。彼は、敗戦の責任を死で償う代わりに、降格と懲戒免職の二重処分を受けた。

 懲戒免職ゆえに、カイザーリングの名は広く世間に公表された。、彼の犯したとされる過ちと共に。

 後年、カイザーリング自身がその汚名を雪ぐまで、彼は社会的には死んだも同然であった。

 

 戦場ではない、安全なはずのオーディン。そこでいきなりテロに遭遇し、その火の粉が自分達に降りかかって来た時、帝国の民衆は、真犯人とは別に、この事態を招来した責任者を厳しく罰することを欲したのである。

 それは、負の感情のはけ口としてで、理屈や法の上からは甚だ問題だらけであったが、この過剰な処罰に、民衆は感情的には納得をしたのである。

 

 ケスラーへの処置は、カイザーリングの例とよく似ていた。どちらも、出来うる限りの懲罰を積み重ねて、彼らの非の大きさを喧伝する点において。一応、形式上は、それぞれの処分は、各々違う事由によるものと記されてはいるが。

 

 何しろ、皇帝を害されとそれに伴う帝都中心部へのテロをみすみす許したという点をみれば、旧来なら死を賜ってもおかしくない失態ではある。

 新無憂宮の警備、皇帝誘拐関連の捜査や帝都オーディンの防衛は、その予兆から現時点まで、公式的には憲兵隊の職務であった。

 ケスラー以外に処罰を受けるべき人間は、上位はラインハルトしかおらず、下位で新無憂宮警備責任者のモルトは死んでいる。捜査関係においては、実質的にケスラーによる独裁体制で、警備部門におけるモルト中将、軍部におけるミッターマイヤーやロイエンタールら各上級大将のように、適度に重要な地位と権限を持つ人間が存在しない。 これは、ケスラーが憲兵隊上層部から、それなりの権限を有していた中堅以上の幹部を粗方追い出してしまったせいである。

 そして、ケスラーの手足になった憲兵隊士官達には大した地位も裁量もなく、この重大事の責任を取らせるには、彼らは余りに小粒だったのである。

 また、この旧幹部の追い出しは、別の側面でもケスラーの足を引っ張った。

 これは後年明らかにされた資料からであるが、ケスラーが憲兵隊人事の刷新を行って以降、犯罪組織や共和主義者の検挙件数、摘発した組織の規模、捜査の進展が、目に見えて減退している。

 これを、ケスラーが共和主義者に対して手心を加えていた、または旧幹部勢が自分達の手柄を過大に申告していた、と解釈する歴史家もいる。

 確かにそういう側面がなかったとは言い切れない。ケスラーにとって、共和主義者より優先すべき事柄があったし、旧幹部勢は犯人を牢獄に放り込む為に、疑わしい人物をその十倍は捕らえ、無関係の人民を多数巻き添えにしたのだから。

 

 しかし、共和主義者はともかく、サイオキシン麻薬の製造業者など、明らかに手心を加える必要のない犯罪組織まで、捜査の遅滞が見られているので、これは憲兵隊全体で捜査能力が落ちていたと見るべきであり、実際にそちらの意見が多数派である。

 大幅な人事刷新によって、憲兵隊における捜査ノウハウの断絶と情報網の分断が行われ、摘発し損ねた共和主義者や犯罪組織が発生。その一部が、今回の大規模テロに加担していた。

 

 そういう点で見れば、ケスラーは憲兵隊の指揮官として、テロを防げなかった実質的責任があった。

 

 この処置に関しては、ラインハルトが公式発表以上の事を口にしなかったため、当世と後世において、あらゆる側面から様々な憶測が流れた。

 

 一連の爆発事件の後始末も一段落したある夜。高級士官用クラブ『海鷲(ゼーアドラー)』でも、当然ケスラーの顛末について、あちこちで様々な憶測が飛び交っていた。

 

「あれはケスラー提督だから助かったのさ。モルト提督がもし殺されずにいれば、彼が早々に死を賜ってそれで終わりだったということになっただろう」

 

 ラインハルトは、ケスラーを重要な部下と捉え、後日復帰させるつもりだったからこそ、他の処分を乱発してまで軍に留め、死罪を引き延ばしているのだという説。

 

 職務柄ケスラーは、様々な秘密に通じており、それを疎んじた人物が、事件を好機としてケスラーの影響力の弱体化、排除を狙ったのだという説。

 

「いやいや、ケスラー提督は、あれで結構敵が多い人だった。案外、誰かが……」

「おい、クナップシュタイン」

 

 帝国軍将官の制服を纏ったまだ年若い男の口へ、同じ卓を囲んでいる青年将官が己がつまみにしていた太いブルストを突っ込んだ。

 喋っている途中で急に口をふさがれ、抗議の声を上げようとしたクナップシュタインへ、ブルストを突っ込んだ青年は、まあいいから黙って食え、という表情をして見せた。

 クナップシュタインは、口に差し込まれたブルストを無言の内に咀嚼した。

 風味付けに混ぜられているハーブやニンニク、スパイスが、粗みじんにされた豚肉のうまみと脂味を引き立て、僅かに混じった柑橘類の酸味が、全体の味を引き締めている。

 彼はブルストを全て咀嚼し終えると、金色のビールを飲み干した。実にビールがうまく感じられる、味わいのあるブルストだ、という感想をクナップシュタインは持った。

 将官クラスともなると、庶民的なアルコール飲料であるビールは倦厭され、元々ワイン好きな人間でなくても、将官に相応しいアルコールとして、ワインやシャンパンを嗜むのが帝国の常である。そんな中、クナップシュタインは海鷲に出入りできる階級になっても、公然とビール党であり続けた。

 

「グリルパルツァー、うまいなこのブルスト。前に食った時は恐ろしく不味かったが」

「そうだろう、最近業者が変わったらしくて、新鮮で味の良い物が出てくるようになった」

 

 燻製にしていないブルストは、あまり日持ちがせず、宇宙に人類が進出した現在も、その辺りの事情は大して変わっていない。ヴァイスブルストなどが特に顕著で、地球時代からの『早朝作ったヴァイスブルストは正午までに』という格言は、今もヴァイスブルスト好きの間で厳守され続けている。

 グリルパルツァーは実家が富裕なワイン商だという事も影響して、僚友とは反対に根っからのワイン派である。

 彼は、帝国歴四八〇年物の、比較的若い赤ワインを一口飲んで、皿に残った最後のブルストを口に入れた。スパイスの香味が、まだ重くなりきらない赤ワインの味とよく合っていて、それは彼の舌をいつも以上に満足させた。

 しかし、彼がブルストの味を常より美味に感じたのは、ワインの選択が良かったからでも、共に卓を囲む僚友のお陰でもない。

 グリルパルツァーが、咄嗟に僚友の口にブルストをねじ込んだ時、彼の視界には、クラブ海鷲に足を踏み入れんとする、小柄な蜂蜜色の髪の男と、ダークブラウンの髪の男の姿もあったのだ。

 帝国軍の誇る将帥二人、ミッターマイヤーとロイエンタール。

 彼らは、別のテーブルでケスラーの処遇を酒の肴に盛り上がっていた士官達と何やら揉め始めた。

 より正確に言うと、ミッターマイヤーが怒っており、士官達はひたすらそれに恐縮し、それを止めるでも窘めるでもなく、冷笑を浮かべたロイエンタールが、彼らを見やっていた。

 クナップシュタインが口を閉じるのがあと数瞬遅れていれば、あの二人の餌食になるのは、この若い将官二人であるはずだった。

 

 そう、彼がブルストを普段より美味に感じたのは、自分の咄嗟の判断が功を奏して、彼らに目を付けられずに済んだという、安堵感と、自分の読みが当たった時の、ある種の得も言われぬ快感の相乗効果によるものであった。

 僚友の内心など何も知らず、給仕係の従卒にブルストの追加を頼むクナップシュタイン。グリルパルツァーは嘲る様に笑い、赤ワインのグラスを顔の前まで掲げた。

 彼の視線の先には、気が済んだらしいミッターマイヤーとロイエンタールが、カウンター席に並んで座していた。ワイングラスを通して彼の目に映る二人の姿は、歪み縺れ、血の色をした液体の中へと沈み込んでいる。

 

 赤ワインを飲み乾す時、グリルパルツァーは一瞬だけ獰猛な表情を覗かせた。それを見たクナップシュタインは、悪寒と共に、何か不吉な予感に囚われた。次の瞬間には、いつものグリルパルツァーであり、クナップシュタインは思わず安堵の笑みを浮かべた。彼は、己の胸をよぎった不吉な予感を誤魔化すように話題を転じた。

 

「このところ風邪が流行り始めたな、お前も気をつけろよ」

 

 クナップシュタインが、辺りを見回しながらそう言った。この『海鷲』でも、時々咳の音が聞こえる。爆弾事件から数日、帝国軍の一部と帝都オーディンでは風邪が流行し始めていた。

 

「ああ。そうするさ」

 

 追加のブルストが運ばれて来て、二人の関心はそちらに移った。だから、その時、ミッターマイヤーが激しく咳込んでいたのを、彼らはついぞ知ることがなかった。

 

 

 

 

 帝都が狂騒や混乱を経て、やり場のない怒りと戦意と敵意によって高揚する一方、銀河帝国の辺境惑星はそれらの熱とは無縁であった。特に、罪人の流刑地である、この氷の惑星は。

 

 外では吹雪が荒れ狂う中、部屋のベッドでは、十代の少女が粗末な毛布にくるまってぎゅっと身を縮め、骨の髄まで冷えるような寒さに耐えていた。毛布から、ウェーブがかった金髪がはみ出している。

 部屋に近づいてくる足音が響く。やがて、帝国軍の防寒具を着込んだ男が部屋の前に止まり、封筒と一枚の紙きれ、官給品のペンを食事差入口から置いた。毛布を羽織りながら、少女は差入口に置かれた手紙と紙切れを取る。紙切れの、正方形で囲われた部分に、形は美しいがやや肌荒れした指先を押し当て、差入口を机代わりにさらさらと流麗な筆致でサインを書いた。少女が紙切れを向こうへ押し返す。少女の指が紙切れから離れたのを確認して、男はペンと紙切れを回収して去った。

 少女は、足音が聞こえなくなると、扉から離れ、光源近くへと歩を進めた。封書の糊を開く音がやけに大きい。

 封筒を部屋の明かりに向かってかざすと、紋章透かしが入っているのが見えた。それを訝し気に見る少女の瞳は、この惑星に厚く積み重なる氷のように冷たく青い色をしている。

 

 手紙を読み進める少女の顔の部品はみな形よく、端麗に並んでいて、吊り気味の目には、猛禽にも似た鋭利な光が宿っている。それは、母方から唯一受け継いだ遺伝的特徴であった。もっとも、女性に従順と可憐さを求める帝国にあっては、彼女の眼光の鋭さはあまり受けが良くなかったが。

 少女は、手紙を読み終えると、意を決してペンを手にした。彼女は、身の内に迸る感情を取り繕いながら、自分達の現状を淡々とした筆致で官給品の安い便せんに綴った。

 

 建物の外では、少女の激情を代弁するかのように、暴風雪が猛威を振るっている。

 

 

 少女のいる極寒の惑星では、三百年ほど前に、自由を求めた政治犯の係累達が逃亡した事件があった。その子孫の一人は、今は先祖が旅立った星とは真逆の気候を持つ、フェザーンの熱く乾いた地で星を見上げている。

 

 

「まだ起きていたのかい。明日は病院だからもう寝なさい」

「はい、てい……父さん」

 

 ユニコーンめいた清冽な美貌の少年は、黒髪の優し気な養父に続いて、テラスを後にした。車椅子の駆動音が、フェザーンの明るい夜空に、静かに吸い込まれていく。

 

 二人の動向を、やや離れた家の中から、監視する人影があった。

 

 

 こうして、帝都オーディンを襲ったテロ事件の混乱の内に六月が終わり、七月も終わりを迎えようとしていた。銀河のそこかしこで、悪意の熱は収まる気配を見せない。

 

 

 


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。

評価する
一言
0文字 一言(任意:500文字まで)
※目安 0:10の真逆 5:普通 10:(このサイトで)これ以上素晴らしい作品とは出会えない。
※評価値0,10は一言の入力が必須です。また、それぞれ11個以上は投票できません。
評価する前に 評価する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。