死に損ねた男   作:マスキングテープ

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第11.5話 花の樹の下には死体が埋まっている

 職責の重さ、必要とされる能力。地位の上昇に伴って爆発的に増える出費。それらが高水準の割に給料が安いのが、帝国の上級官吏であり高級軍人である。

 ハイドリッヒ・ラングは、内務省社会秩序維持局長官と呼ばれる役職にあり、あともう一歩か二歩で尚書の地位に手の届く所まで出世していた。

 

 軍人と違って明快な手柄を立てにくく、手柄を立てたところで必ずしも地位の上昇で報われるとは限らないのが官吏だ。

 帝国の官界で平民や帝国騎士が出世するには、富裕な家の出であるか、誰か有力者の紐付きであるか、汚職に手を染めて財を築くか、出世への投資として借金を重ねるか。

 あるいは、それらに比べて稀だが、芸術家提督として名高いエルネスト・メックリンガー大将の様に、芸術や学問などの分野で際立った才能や実績があり、それが顔と名前を売るのに役立ったり、地位上昇に伴う出費を補填しているケースも存在する。

 しかし、ラングは、このいずれにも該当しない。

 彼は極めて平均的な所得を有する平民の家に生まれた。内務省の上級官吏になって二十数年は経つが、それまで一度も汚職に手を染めることもなく、借金をしたこともない。

 門閥貴族の犬だと周囲から誤解されていたが、実際にその事実はない。そう見えたとすれば、ラインハルト台頭以前、帝国で実権を握っていたのが、門閥貴族だったからである。門閥貴族の方でも公私に汚点がなく、首輪を付けられないラングを煙たがっている所があった。

 私人としては慈善活動に勤しみ、近隣住民と結成した合唱団でその荘厳なバスを披露しているが、それが特に彼の評判を著しく高めたとか、生活費の足しになっているかと言えばまったくそんなことはない。

 

 ラングが帝国の官界で出世出来た理由はたった一つ。この帝国で必要でありながら、しかし誰もがやりたがらない汚れ仕事。民衆の監視と弾圧によって帝国の統制を図る業務、それを自ら進んで引き受けて来たからに他ならない。

 ゴミやし尿の収集清掃から、処刑執行人まで、様々な理由で汚れた仕事とされる物は忌避されるが故に、集団の少数派や嫌われ者に押し付けられる。しかし、それをやる人間がいなければ、人々が快適に過ごせないのも事実である。

 それは従事者への嫌悪感や差別感情を更に悪化させる一方で、従事者に財やある種の影響力を齎す。

例えば、古代のとある大都市では、し尿収集人達を束ねる元締めが、政治に口を出せる程大きな影響力を持っていた。し尿収集が止まれば、都市は途端に機能不全になるからである。

 西暦千二百年代、欧州と呼ばれる地域では、宗教的理由によって金融業が賤業とされ、信者がその職業に就くことは禁じられた。その際、金融業を担ったのは、当時被差別者だったユダヤの民と呼ばれる人々である。彼らは差別の歴史故に金融という道具を生み出し、その扱いに熟達していた。

 しかし、西暦千七百年代以降、貿易や産業の発達によって、金融商品がそれまでとは比べ物にならぬほど大きな役割を果たすようになり、それを握っていた彼らに結果的に力を齎した。

 地球連邦時代に名を馳せた財閥の一つは、かつてアメリカという国でゴミ処理業から身を起こした移民と、その人物が率いた犯罪組織が源流である。人々にとって都合の悪い物の処分を引き受ける事で組織は力を増し、世界に深く食い込む事で自分達が処分される難を逃れた。

 

 ラングは、ラインハルトと彼の旗下で頭角を現した将帥達に対してどこまでも冷ややかであった。彼らは敵を正々堂々と打ち破って今の地位まで来たという自負があり、それ故の武人らしい潔癖さで、ラングの仕事を忌避する。それ自体は、ラングは今更どうとも思わない。この道で生きていくと決めた時から、彼は覚悟をしていた。

 ただ、ラングが可笑しくて堪らないのが、ラインハルトや旗下の将帥達が、自分達を一点も曇りもなく清潔な存在だと思っている事の方であった。

 

 ラングが汚物処理人であり、汚物そのものだとするなら、ラインハルトと将帥達は花だ。確かに汚物と花を単体で比較すれば、誰もが花の方をこそ美しいというだろう。

 だが、ラインハルト達が華麗な花を咲かせる足元には、敵味方幾万もの死体とそれにまつわる汚物で埋め尽くされている。花は汚物を己の糧とするからこそ美しく咲けるのだ。

 オーベルシュタインは、その事をよく理解している。彼こそが帝国軍において汚物の肥料化を一身に引き受けているのだが、それを誰も感謝することはない。そう、ラングには思えた。

 

かつてラングの上位者であった門閥貴族は、滅んで汚物の一部と化した。

さて、帝国軍の将帥達はどうだろうか?

 将帥達の中で誰よりも美しく艶やかな花を咲かせるラインハルト。彼の足元にはどれほどの死体と腐敗が横たわっているのだろうか。

 栄養も過ぎれば、花を腐らせる。ラインハルトは、あの薔薇の如く煌びやかな覇者は、自分が養分にして来たものに、足元をすくわれる日が来るのかもしれない。

 出来れば、花が斃れる前に自分が斃れるような事態になりたくない物だ。斃れる事があれば、ラングを忌避する者は全ての悪を彼に押し付けて知らぬ顔を決め込むだろう。

 そうならない為に、権力者の弱みを握りつつ、目立たずひっそりと過ごすべきだ。オーベルシュタインからも、それを示唆された。

 

 ラングはそこまで考えて、机の上に飾った家族写真を眺めた。

 長年連れ添ってくれた優しい妻、遅くに出来た二人の息子。彼らに汚名が及ぶようなことを、良き夫であり、善き父親であり、善良な帝国市民に過ぎないラングは良しとしなかった。

 


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