死に損ねた男   作:マスキングテープ

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第0話 紙一重で死ななかった男

 指輪から放たれた一条の光が、青年の胸を貫く。

 

 胸には小さな黒い穴が開き、彼は咳き込むように血を吐いた。青年を害した男の顔に血が掛かり、右目に血飛沫が入る。男は目に入った血を追い出そうと、しきりに瞼を動かした。

 周囲の男達が怒号を発しながら、二人に駆け寄る。彼らの目の前で、青年と加害者縺れるように床に転がった。胸を貫かれ、血を吐いてなお、青年は加害者に馬乗りになったまま、その押さえつける力を緩めようとはしない。

 加害者の男は周囲の喧騒に一切動じることなく、青年の首筋を狙って再び指輪からレーザー光を撃つ。しかし、血によって視界が悪くなったせいで、その狙いは僅かに外れた。青年の首筋の数ミリ横をレーザー光が走り、祝勝会場の上方へと抜けていった。

 

「軍医を!」

「キルヒアイス提督!」

 

 会場内にいた警備兵の一人が、弾かれた様に会場の外へと走っていく。

 男がもう一度青年を狙おうとする前に、二人は駆け寄ってきた高級軍人達によって引き離された。青年、キルヒアイスはその拍子に固い床に後頭部から倒れこむ。キルヒアイスが抑えていた相手の手が、不自然な方向に曲がって折れた。

 会場に残った警備兵は、突然のテロに混乱する現場と、自分より遥かに上の階級にいる士官達が冷静さを失っているのを、どうすることも出来ずに見守る事しか出来なかった。

 青い絨毯を己の髪色に僅かづつ侵食しながらも、キルヒアイスは加害者の折れた手をなおも固く握りしめ続けている。その手を、蜂蜜色の髪の男が丁寧に引き剥がした。

 

「アンスバッハ、貴様!」

 取り押さえた男の一人が、加害者たるアンスバッハを締め上げた。アンスバッハはそれを気にする風もなく、キルヒアイスの方へ視線を動かした。

 アンスバッハの視線の先、キルヒアイスの体は動いていない。

 

 キルヒアイスに決定的な止めを刺す事は叶わなかったが、あの様子では早晩助かるまい。ローエングラム候は殺せなかったが、その代わり彼の半身はもぎ取れた。それでヴァルハラにおわす公に納得して頂けるだろうか。アンスバッハはそう思い、苦笑交じりに微笑んだ。

 アンスバッハの笑みを見咎めて、男が自分の方へその顔を向けさせた。

 

「何を笑っている!」

「ブラウンシュバイク公、悲願を果たせぬ無能をお許し下さい。その代りに金髪の孺子の半身を手土産に持ってまいります……」 

 

 これがアンスバッハの最後の言葉だった。その声は穏やかながら、はっきりと会場にいる人々の耳に届いた。この直後、彼は奥歯を噛みしめた。周囲がそれと気が付いた時には、彼は既に事切れていた。これは、奥歯に仕込まれた即効性の毒によるものと後に判明する。

 アンスバッハが現世から退場するのと入れ替わるように、白い軍服の集団が会場内に入って来た。将官達は軍医に気が付くと、彼らとストレッチャーが通れるように道を開ける。

 キルヒアイスの胸には穴が開き、絨毯は少しづつ血の色の範囲を増やしている。到底助かるとは思えないと諸提督が考えていた一方、駆けつけた軍医達は僅かでも生きる可能性はないか、それを探っていた。キルヒアイスの状態を確認し終え、軍医の一人がどこかとしきりにやり取りをしながら、カプセル式ストレッチャーに彼の体を収容した。

 軍医達のまとめ役が、周囲の諸提督を見回した。彼らは動揺しているのか、まとめ役の軍医が視線を向けても何も言わず、動かない。軍医は、最後にこの場で一番最上位の人間、ローエングラム候ラインハルトを見た。

 黄金の覇者は、ハンドキャノン砲撃によって襤褸切れと化した緞帳の前で、何を指示するでも動くでもなく、ただ茫然と華麗な椅子に座していた。

 

 ラインハルトの耳元に、血色の悪い将官が何事かを囁いた。そうしてから、その将官は元帥の顔の近くに耳を寄せた。候の美しい顔がその動作で隠れてしまい、ラインハルトがどのような顔をしていたか、軍医の位置からはついぞ見ることは出来なかった。その将官は数秒後、軍医と目を合わせ、大きく頷き、こう言った。

 

「最善を尽くすように」

 

 彼にとってその言葉で充分だった。軍医は部下達に命じてストレッチャーを手術室へ運ばせると、慌ただしく踵を返した。会場外に出る直前、軍医は振り返って敬礼をしたが、遠くから見たローエングラム元帥は、最初に目を合わせた時と同じく茫然としているように彼の目に映った。


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