ムスペルヘイムソルフェージュ 仮面ライダー鎧武 外伝 仮面ライダー斧鉞(フェージュ)   作:鉄槻緋色/竜胆藍

3 / 6
・cパート

 石英病院の院長室は、三階の奥の方にあった。

 病院の外観は完全に廃屋のようではあるが、いつも使用しているいくつかの部屋に限り内装は整えられている。

 この院長室もそのひとつで、置き去りにされていたのをいい事に、重厚な調度類も丁寧に並べ変えられ、巨大なデスクも綺麗に磨かれていた。

 もっとも、書棚は空だし、デスクの上には何も無い。

 そんなデスクの向こう、革張りの大きな椅子に、不釣り合いに小柄な美雨が深々と腰かけていた。

 だがその瞳は昏く深く、まるでこの廃墟のように無機質だった。

「──あの阿呆三人は、新顔の挨拶に行かせた」

「そんであいつらが新顔を潰しちまったら、あとはどーすんだ?」

 平坦に告げた美雨の言葉に応えたのは、深い怒りを湛えた今にも噛み千切りそうな獰猛な声。

 短く刈り込んだ頭に稲妻のような剃り込みを施しており、浅黒い肌と鋭角なサングラス、猫科肉食獣のようなしなやかな筋肉をレザーで締め付けたその男は非常に危険な印象を振り撒いていた。

 ……のだが、その身体の前面を覆うフリルエプロンが全てのコーディネイトを壊滅的に台無しにしていた。

「アイツラ、「雨枷」の商品に手ぇつけてそのまま無罪放免か? ねえだろ。 あまりの不条理にオレぁもう丹精込めて作ってるストロベリーショートケーキをデコレーションする手も覚束ねえよ」

「ああ。調理中にわざわざ来てくれたのか」

 ホイップクリームがついた泡立て器を振って呻く男に、美雨は眉ひとつ動かさずに返した。

「だがまあどちらにせよ、あの三人は長くは保たない。「グライプ」を過剰摂取すればどうなるか。その末路に例外はない」

「で、そのまま野放しか」

「わたしの知った事ではないな。 だが、ブルートガルドの獲物に加えて一席設けてもいいかもな」

「ああそれがいいや。せめてバクチのタネにくらいはなってくんねえとよ。損害だらけじゃあ折角のケーキがしょっぱくならあ。 ──回収の算段は?」

「任せる。もしかしたら必要ないかもしれないがな」

「なんだそりゃ。頼もしいな」

 処遇に一応は納得したのか、肩を竦めた男は頷いて背を向けた。

 が、ドアを開けたところで立ち止まり、美雨を振り返る。

「──なあ、あんた。イチゴのケーキは好きか?」

「いや。こちらの食べ物は口に合わないな」

「出来上がったら届けさせるからよ。食べてみてくれ。きっとあんたも好きになる」

 言って、男はホイップクリームが入ったボウルを抱え直して部屋から立ち去っていった。

「……体質的に摂れない、と言っているんだがなあ」

 何度言っても、あの男は部下にケーキを届けさせるのをやめない。

 これまでも、ケーキが届く度にそれらは希沙の腹に収められてきたのだが。

 それで、ふと気が付いた。

「まいったな。希沙がいなくなったら、ケーキを始末する奴がいない」

 あの娘が美雨の忠告を素直に聞くとも思えないが。

 だが、すぐに今の懸案事項が頭を塞ぐ。

 裏白 淘滋と名乗る、あの男の処遇について。

(生身でロックシードを起動させて、アームズを召喚して操った、か。 希沙の話の通りなら、奴が身につけているのはオーガンタイプのドライバーだろうが……。 久し振りだな。未だに残っていたとは)

 多国籍企業の皮を被った人類救済研究機関ユグドラシル・コーポレーションにおける、世界の滅亡後に残存人類の命を繋げる個人用生命維持装置の、それは最初期に破棄されたはずのコンセプトモデルのひとつだった。

 異世界の侵略的外来種であるヘルヘイム植物の果実が発する催淫効果に対するジャマー、果実の毒性を取り除くフィルター機能、有効な栄養素のみを装着者に供与する各種機能など、それらを体内に直接移植するという構想だった。

 その為に、体内のドライバーとロックシードを繋ぐロックオンアームの役割を果たすのが、腹部から露出したピアスのようなリング部である。

 だが、施術すべき人数に対し、時間とコストが見合わずに没とされた案だった。

(そんな物を持ち出した阿呆に心当たりは……まあいくらでもあるが)

 なにしろ研究の途中で抜け出した者は数多くいた。

 他でもない、美雨もその一人だった。

 ゆえに、その機能も性能も概ね把握している。

(最初期ゆえにオーガンドライバーに対応したアームズは少ない。あれから改良したとして、生身に直接アームズを装着させたのはある意味驚きだが、ライドウェア無しではパワーも防御も覚束ないだろう)

 ふざけたあの開発者の名を冠した完成形・戦極ドライバーには、あらゆる面で遠く及ばない。

 そして相対するのは、「グライプ」の過剰摂取によって肉体を異形に変質させた元・チンピラ三人だ。

 「グライプ」とは、この街を拠点にしている組織犯罪集団「雨枷」と美雨とで共同開発した新型麻薬。

 主原料はヘルヘイム果実であり、摂取した生物に遺伝子レベルで不可逆変化をもたらす要素が微量含まれている。

 それは快楽効果物質とは切り離せない要素であり、その危険性を知った上で放置したまま組織が商品化して流した。──仮に異形に変移した者が出ても、ブルートガルドの試合の獲物に回して始末できるからだ。

 あの三人は、流通途上からこれを掠め取って一部を独占し、そして毒素に溺れた馬鹿どもだった。

 すぐに組織の知るところとなり制裁の運びとなったが、それを美雨が利用した。

 即時処刑を免れる代わりに、裏白 淘滋を始末してこい、と。

 正直、どちらが生き残ろうと、美雨にとってはどうでもいい。三人の男が生き残っても、いずれ捕獲されて闘技場行きだし、裏白 淘滋はその闘技場入りを希望している。

 ただし、裏白 淘滋は文字通り腹に一物抱えて乗り込んできた。それも、真正面から宣戦布告付きでだ。

(いいだろう。あの阿呆が何を企んでこの街に来たのかは知らないが、身体に埋め込まれた機能を絶大な力と勘違いするような浅薄なら、遠からず死ぬしかないだろうさ)

 どうせこの計画は、止めようとして止められるものではないのだから。

 

 

◆◆

 

 

 男たちが変質した化け物に取り囲まれ、次々に殴られて淘滋が派手に吹き飛ばされた。

「がッ!」

 辛うじて胸郭や肩の装甲で受け止めたが、いかに淘滋に武術の覚えがあっても多勢に無勢。猿のように俊敏に飛び回る動きに翻弄され、人智を超えた凄まじい膂力による打撃は淘滋の構えも浮かせ、衝撃を受け流す暇もなく次々とあらゆる方向から攻撃を加えられ、体勢を整える隙がない。

「ちょっと! あんた!」

 アームズを纏った上で劣勢に立たされた淘滋を見て、希沙は路地から飛び出して自らのロックシードを取り出した。

 それはキャストパッドに紫色の球体が刻まれた、初めて淘滋と出会った時に使用したロックシード。

 希沙の開錠の操作に従って虚空を引き裂いたファスナーから、赤い表皮を持つライオンインベスが飛び出してきた。

『ーーーーッ!』

 希沙は、身を震わせて大きく吼えたライオンインベスに命じて、淘滋を襲う化け物の一体に襲い掛からせた。

 

 危険からは即座に逃げる事が、希沙が学んだ裏町で生き延びる方法であり、常に意識の根底に敷くべき行動理念だった。

 自分が逃げ延びる為ならばあらゆる他者をも利用した。どれだけ顔馴染みになった相手でも、危険が迫れば捨て石にして自分の身を守ってきた。

 それなのに、今は虎の子のロックシードを使ってまで淘滋を助けようとしている。

 今の希沙は、そんな自分の行動を疑問にも思わない。

 別に、ロックシードがあるからと思い上がった訳でもない。

 人が化け物に変貌した不条理に、三体がかりで淘滋に襲い掛かる理不尽に、本能的に拒絶感を抱いたのだ。

 思い出す事もはばかられる、目眩がするほどの嫌悪感。

 衝動的に、この光景を排除しなければと希沙は感じたのだ。

 

『ーーーーッ!』

 ライオンインベスに、一番小柄な化け物に背後から組み付かせる。

 とにかく殴れ、蹴れと希沙は念じた。

 ライオンインベスの凄まじい膂力の殴打が化け物が薙ぎ倒し、吹き飛ばす。

 だがその小柄な化け物はもたもたと起き上がると、ライオンインベスに向き直り、あろう事か反撃してきた。

 体格差に怯むことも恐れる様子もなく、殴られながらも構わずに殴り返してくる。

 ──男が変移した化け物は、低級インベスにそっくりなくせに、だ。

 だがそれは構造上仕方のない事だった。

 ライオンインベスは高等で強靭とはいえ、今はその行動を希沙の思念によって縛られている。

 本能的に攻撃を繰り出す凶暴な化け物に対し、指令によって行動を律するライオンインベスは反応がワンテンポ遅れざるを得ないのだ。

 これが、沢芽市で行われているというインベスゲームなら、互いに同じ条件だから勝負になっている。

 今は、速度で勝る化け物に対してライオンインベスの強靭さで保っている状態だ。

「だったら!」

 希沙はもう一方の手に二個のクラスDロックシードを取り出すと、アーチを指にかけた状態でそれらを開錠した。

 虚空に開いたファスナーから低級インベスが二体飛び出し、希沙の指令に従ってライオンインベスと打ち合っている小柄な化け物に襲い掛かった。

 だが、操るインベスの数が増えると細かい動きの制御が難しくなる。だからとにかく三体のインベスで化け物を挟み、体で押さえつけるしかない。

 希沙では、化け物一体を足止めするのがせいぜいだった。

 そして、ノーマークの二体の化け物が、ようやく起き上がった淘滋に迫る。

「ちょっと! あんた!」

 インベス三体を操るのは非常に強い集中力を要する。

 希沙は目を逸らす事もできないまま、衝動的に淘滋に呼びかけた。

「あんた……淘滋! しっかりしてよ!」

「サンキュー希沙ちゃんナイスフォローだ!」

 小指と薬指を立てた拳をかざして不器用にウインクした淘滋がビルの方へ後退してゆく。

 それを追って二体の化け物が迫ったところで淘滋は跳び上がり、ビルの二階に張り出したコンクリートのバルコニーを斧で殴りつけて粉砕した。

『ーーーーッ!』

 落下した瓦礫の激突を受けて化け物どもが泡を食って後退る。

 ようやく間合いを得た淘滋は、二体の化け物の一方が影になる位置へ回り込むと、手前の化け物へ飛びかかった。

 一対多の心得がないではないが、こいつらは技を力で上回るし、不利な状況は極力避けるもの。

 同時に攻撃を受けない配置を作りながら、淘滋は斧を叩きつけた。

『ーーーーッ!』

 重量のある武器を使った戦闘は、徒手格闘とは勝手が異なる。

 まず武器の重さでフットワークが制限されるため、抱えた斧を身体に引き付けて構えて重心を保ち、化け物の攻撃を極力その場で躱し続ける。

 後ろにいる二体目の化け物がこちらへ回り込もうとする度に、手前の化け物が壁になるようにちょいちょい位置を微調整してそれを阻む。相手が三体だとこれが難しかった。

 そして鍵爪を大振りした隙を見逃さず、瞬時に振り上げた斧を、遠心力を大いに利かせて振り下ろす。

 それは化け物の頭部を激しく打ち据え後退させた。

「おぉらあっ!」

 そして畳み込む好機も逃さない。計算高さと大胆さを併せ持って突撃し、真っ向から再び斧を振り下ろした。

 叩き伏せられた化け物が陥没したアスファルトごと甚大な爆発を引き起こして消滅した。

「一人目! 御冥福っ!」

 一瞬だけ手刀を眉間に当てて、すぐに二体目の化け物に向き直る。

 ところが、今の爆発の衝撃で転倒していた二体目の化け物は、なぜか蹲って、なにやらもぞもぞしていた。

「……あ?」

 淘滋は訝しんだ。獲物を前にした、知性の薄い化け物がする行為にしては何かおかしい。

 良く見れば、口元を両手で覆って何かを咀嚼している。

「んん?」

 それは、ロックシードの破片だった。

 ロックシードを、喰っている。

「なんでそんなモンがこんな所に……」

 言いかけて思い出した。

 希沙が男に襲われた時、ロックシードを開く前に捕まって、その辺にひとつ落とした事を。

「おおい希沙ちゃん! こういうのはちゃんと拾っとこうぜ!」

「うっさーい! 話しかけんな!」

 希沙が取り合わなかったのは、誤魔化しではなくインベスの操作に集中していたからだが。

 やがてロックシードを飲み込んだ化け物の身体が蠢き、さらなる変移を始めた。

 めきめきと異音を立ててひび割れた表皮の下の組織が膨張し、全身が赤黒く変色してゆく。

 そして頭頂から二本の捩じくれた角を生やしたそいつは、ヤギの生態相を持つ異形へと変化してしまった。

『ーーーーッ!』

 湧き上がる力に打ち震えるように身悶えし、高々と吼えるその化け物は、希沙の操るライオンインベスのような高等なインベスの特徴を備えていた。

『ーーーーッ!』

 言うなれば「ヤギインベス」が、砲弾の勢いで跳躍し淘滋を殴りつけた。

「ぬぐっ!」

 咄嗟に斧を盾にして受け止め自ら後方に跳躍する事でダメージを減らしたが、その衝撃は変質前の化け物の比ではない。

 特にその俊敏な動きを可能とする筋肉配置と、拳の先に盛り上がった硬質化した部位がまるでメリケンサックのようにパンチ力を増強しており、インファイトにおいてはライオンインベスを上回る特性を持つようだ。

『ーーーーッ!』

 その上、攻撃のテンポも上昇しており、一跳びで間合いを詰めては間断のない左右の拳の連撃を打ち込んでくる。

 斧や鎧で受け止めるが、激突の衝撃そのものは防げない。一度殴られる度に内臓や脳が揺れるように感じる。

 いっそ重たい斧を捨てて徒手格闘に移れば被弾は減らせるかもしれないが、上級インベスを打ち倒す事は、さすがに淘滋の武術を以てしても人類の腕力の及ぶところではない。

「……さあて。どうしたもんか」

 素直に認めよう。このままではジリ貧だ。いずれ押し切られてしまうだろう。そして今の装備では決定打は望めそうもない。

 ヤギインベスの猛攻を受け止め続けながら、淘滋は口の端を歪めた。

 ギラついた笑みを浮かべて。

「しょうがねえ! 頼む、沙綾(さあや)!」

『そう? いいのね? まあ素直なのは美徳だと思うけれど』

 その瞬間、淘滋を残して全ての光景が前後でも左右でも上下でもない方向へ吹き飛び、なにもない空間にひとりの女性が現れた。

 身に纏うのは、地球上のどこの文化にも見当たらない風変わりな真白き異装。

『待ってたよ。 でも今回は少ぉし早かったかな?』

 そう言って優しく微笑んだ女性──沙綾のその顔立ちは日本人のようだったが、髪がまるでミルクを垂らした紅茶のような色をしていた。

 淘滋も、今の窮地が無かったかのごとく穏やかな笑みで応えた。

「ああ。せっかちなお客が、俺様の美学を解せぬケダモノのような輩でな……あーもー分かってるからそのニヤケるのヤメろよ」

『うふふふ。淘滋がデカいクチ叩いて後で引っ込めるところが、だぁい好き』

 沙綾が後ろ手に、悪戯めいた笑みを浮かべて淘滋の顔を覗き込む。

 淘滋は観念したように溜め息を吐いた。

「……正直、手に負えん。頼む。手伝ってくれ」

『もちろん! あなたに頼られるなんて、すごく嬉しい事だよ』

 この、時の概念が異なる思念領域においては因果はほぼ等しく、用件は発生したと同時に片付いている。

 言葉通り心底嬉しそうに沙綾が背後から取り出して淘滋の前にに差し出したのは、短いバンドで繋がれた、二つの角張った機械のようなものだった。

『はいこれ。未来からのお届け物。分かってると思うけど、あなたも大変だと思うから、手早く返してあげると良いと思うよ』

「ああ。そりゃあ大変だ」

 淘滋は、その機械を受け取った。

「サンキュ。 じゃ、また会おう」

『うん。待ってる。頑張ってね』

 言葉は簡潔に、だが万感の想いを込めて一時の別れを告げた次の瞬間、微細な輝く無数の破片が淘滋を中心に殺到し、破片が寄り集まってその構成を再編成すると、化け物が蠢く寂れたビル街の、先ほどの光景が復元された。

 

「え?」

 希沙は、一瞬意識が途切れたような気がして目を瞬かせた。

 なんとも曰く言い難い感覚に目を白黒させていると、路上の光景が一変していることに気が付いた。

「あれ?」

 希沙が操っている三匹のインベスと、それに抑えられている化け物はそのままだ。

 だが、淘滋を襲っていた化け物が相手を見失って周りを見回しており、淘滋はそこから離れた位置に立っていた。

 ああ、タコ殴りにされていたあの窮地からどうにか離脱できたのかと考えたが、淘滋はいつの間にか薄紫のアームズを解除しており、そして片手には見覚えのある機械を持っていた。

 短いバンドで繋がれた、二つの角張った機械を。

「あれ? アゲートドライバー? なんで?」

 希沙はそれを知っている。

 アゲートドライバー。ブルートガルドの選手にのみ与えられるツールだ。

 それがどうして淘滋の手にあるのか。

 すると淘滋は、手慣れた様子でアゲートドライバーを背後に回し、後ろ手に左右のユニットを両手で掴むと、収納されていたバンドを引き出しながら己の腰を半周させ、腹の前で左右のユニットを組み合わせた。

 するとそれは、横に長い逆五角形のような形状の機械をバックルに据えた、幅広のベルトと呼ぶべきものとなった。

 左右のユニットからリング状のパーツが飛び出し、中央でその穴が重ね合わせられる。

 それはさながら「門」のようであった。組み合わされた左右のユニットを扉と見立てた、門。

 ベルトを国境とし、それに囲まれた領域、すなわち自らが領地であり、城であり、王にして兵である戦争の為の全一単位。

 続いて淘滋はロックシードを眼前に構えた。キャストパッドに彫り込まれているのは、中央に亀裂を穿った薄紫色の紡錘形。

 側面のリリーススイッチを押し込み、開錠する。

《アケビ!》

 ロックシードが自らの果実の名を告げた。

 それを手の中で僅かに跳ね上げてから掴み直して宣言する。

「変身!」

 そして振り上げたアケビロックシードをベルトバックル中央のスロットにはめ込み、スライドシャックルを上から叩いてバックルのリングに通して施錠した。

《ロックオン》

 バックルが、無機質な女声で認証を告げると同時に、淘滋の頭上の虚空に現れたファスナーが円を描き、迅速にスライダーが一周すると円形に切り裂かれた空間が垂れ下がり、その向こうから巨大なアケビの果実が降りてきた。

 ここまでは、これまでやっていた事とほぼ同じ。

 続いて淘滋はバックルの右端に設置されたレバーを上から押し下げた。

 それに連動してロックシードの左右の突起から爪が伸び、ロックシードを両側から突き刺した。

 そしてそれはキャストパッドを割り開き、果実の断面を晒して展開させた。

《アケビアームズ。レディ》

 バックルが認証を告げると、頭上の果実が急降下して淘滋の頭に被さった。

 そこからのシークエンスは、これまでと大きく違った。

 果実から放たれたエネルギーが淘滋の体を取り巻くと、肌に密着したボディスーツが形成されたのだ。

 それはまるで不吉な灰を思わせる昏いグレーのライドウェア。

 続いて頭の果実が分割され、各部が変形しつつ四方に展開された。

 それら果実のパーツは胸郭に、背に、両肩に配置され、位置を微調整してからウェアに接合された。 

 果実の中から現れた頭部も仮面によって完全に覆われており、それはまるでドクロを思わせる形状の武者の面頬のようなマスク。

 左右に吹き返しのような張り出した部位を備えた兜を含めて、全体として武者の甲冑のような姿だった。

 もっとも、その手に握るのは刀ではなく、同じくアケビの果実の意匠を施された斧なのだが。

《アケビアームズ。一・刀・両・断》

 バックルがシークエンス完了の旨を告げ、余剰のエネルギーが閃光と化して迸った。

 

 それらの光景を、希沙は呆然と見つめていた。

 

 新たなベルト状の装置がもたらした変身とでも言うべき変化に、淘滋自身も驚いていた。

 アームズだけを直接纏っていたこれまでのものに対し、アンダースーツが出現するわ、その上にアームズを装着するわ。

 頭部を覆うヘルメットも二重になっており、特に顔面を覆うマスクは、呼吸を補助し、センサー機能が精細かつ広範囲な視野を淘滋の視覚に直結してくれている。

 なにより身体が異様に軽い。

 普段はとてつもなく重かった斧も、まるで布団叩きのように軽々と持ち上がる。

 介護の分野で使われるパワーアシスト機構のより発展した機能がこのスーツに仕込まれているのだろう。これでは従来の斧の重さと威力をうっかり忘れてしまいそうだ。

(しかし、こいつは……すげえな)

 ひょいと目の前に斧を持ち上げた自らの腕力に、淘滋は素直に感心した。これは凄まじいテクノロジーだ。

 いったい何の為の強力な身体機能補助装置なのかはさっぱり分からないが。

 だが、沙綾が導いたこの装置が、現状を打開するのに有効なのは疑うべくもない。

 なぜなら、あれほど手こずった化け物の俊敏な動きが、こうして突っ立っていても手に取るように察知できるのだから。

 真横に出現したヤギインベスの鋭いボディブローを、ろくにそちらも見ずにあっさり鷲掴みにして横に逸らすと、同じ腕の肘をヤギインベスの脇腹に叩き込む。

 ──センサーが、肉眼では捉えきれない敏捷な動体を確実に捕捉してくれる。染みついた武術が反射的に身体を動かそうとするのを、スーツがアシストして淘滋が自覚するより速く反撃を行っている。

 先ほどまでは手も足も出なかった相手に対し、自身の身に着けた武術をいかんなく発揮できる。

 これなら斧がなくても戦えるのではないか。そんな闘争欲求に思わず淘滋は身を震わせた。

 だが、新しい玩具に興じてばかりもいられない。早くここを片付けねば、後にどれほどの影響が出るか分からない。

『それに、すぐ片付けてやるって言ったもんな!』

 今の強烈な反撃に警戒したのか、ヤギインベスはすぐに飛びかかってはこずに距離を置いて身構えている。

 だから今度は淘滋から飛びかかった。

 ヤギインベスはこちらの側面に回ろうというのか、横っ飛びに躱したが、マスクのセンサーはその数瞬前に敵の筋肉の動きの予兆を察知しており、淘滋は着地する寸前に軸足の向きを変えて地を蹴り即座にヤギインベスの前に回り込んだ。

『ーーッ!』

 吃驚したように仰け反る化け物の様子には一切構わず、淘滋は躊躇なく斧を赤い胸郭に叩きつけた。

 淘滋としては棒切れをぶつけたような動作だったのだが、軽く扱えてもこの斧は超重量物。ヤギインベスは淘滋が想像するよりも派手な勢いで吹き飛んでいった。

『おわあっ! どんだけ腕力が増幅されてんだ!』

 想定を超えた自身の能力に戦慄する。

 これは、早めに慣れないと、余計な破壊を振り撒きかねない。

 ところが、そうして淘滋が困惑しているうちに起き上がったヤギインベスが、捩じくれた二本の角を蠢かせて大きく伸ばすと、連獅子の毛振りのように首を振って一方に伸ばした。

 爆発的な勢いで伸長した角は、淘滋ではなく希沙が操るインベスが寄せ集まっているところへ殺到し、インベスを一体突き飛ばすと男が変質した最後の化け物を刺し貫いた。

『希沙ちゃん! もういい! 逃げろ!』

 狙いを変えられては被害が広がる。そう思って希沙に逃走を促したが、ヤギインベスはあろうことか化け物を突き刺したまま角を引き戻した。

 希沙はインベス三体を送還してロックシードを閉じ、慌てて路地の奥へ後退してゆく。

 仲間に襲い掛かっていったい何をするつもりなのか。身構えた淘滋の目の前で、また異様な変化が起きた。

 突き刺された頭の上の化け物が、ぼんやりと発光すると、その姿が萎れ、縮み始めた。そのオーラが、捩じくれた角を伝ってヤギインベスの身体に流入してゆくのだ。

『……なんだ? 吸収してんのか?』

 怪訝な淘滋の推測を裏付けるように、突き刺された化け物はみるみる小さく萎れて見えなくなり、同じペースでヤギインベスの身体が膨張していった。

『ーーーーッ!』

 ロックシードと仲間の身体、二種の要素を体内に取り入れて、ヤギインベスは二回りも巨大化し、より凶暴性を増したようだった。

 満ち溢れる力に身悶えするように打ち震えたヤギインベスは、腕を振ってそこのビルの壁を殴りつけた。

 すると、解体工事もかくやという轟音と共にコンクリートの壁が木っ端微塵になって崩れ落ちた。

『あっちもあっちで滅茶苦茶な力だなあ』

 どいつもこいつも、過ぎた暴力が大好きな馬鹿ばっかりだ。

 唾棄すべき嫌悪感が膨れ上がるも、仮面を被った今では唾を吐くことも叶わない。

『いいだろう。俺様も自分の力加減を把握する為に、最大出力の試運転と行こうか』

 据えた声音で吐き捨てた淘滋は、バックルの左端に設置されたレバーを上から下へ弾いた。

《アケビ、チャージアップ》

 続けて二回、三回と弾く。

《アケビ、トリプルアップ》

 認証の音声と同時にバックルにはめ込まれているロックシードの果実の断面が膨大な輝きを放ち出す。

 ベルトの機構によってロックシードから組み上げられたエネルギーがライドウェアを伝って右手の斧──アケビアックスへ流入してゆく。

 マスクの中の淘滋の視野に、最大出力の準備が完了した旨を示すインジケータが表示された。

『はあああ!』

 鋭い息吹と共に身を深く沈めて身構える。

 こちらに突進してくる巨大な質量を見据え、振り上げたアケビアックスを真っ向から投げつけた。

 残像で円形に見えるほどの勢いで回転したアケビアックスが、巨大なヤギインベスの額に激突した。

 その巨体の前にあっては、その斧は実にちっぽけなものだったが、激突した瞬間、アケビアックスから薄紫色の波動が迸り、ヤギインベスの巨体をすっぽりと丸く包んでしまった。

『ーーーーッ!』

 ヤギインベスの咆哮が響く。

 額に激突したアケビアックスは、そこで弾かれることなくその位置に留まり続けている。まるでヤギインベスの突進を止めているように。

 事実、そのエネルギーはヤギインベスの巨体を拘束する方向に作用していた。

『さあて。これで終わりだ恨むなよ』

 続いて淘滋が跳躍した。

 跳び上がった虚空で一回転し、片足を突き出して巨体に飛びかかる。

 その足が、ヤギインベスの額で静止しているアケビアックスを蹴りつけた。

 同時に雷鳴が轟き薄紫の拘束フィールドに一気に縦に裂け目が開いた。

 それはまさしく熟れたアケビの果実のごとく。

 その勢いのまま、斧ごとヤギインベスの巨体を貫いた淘滋が路上に着地し。

 背後で異形の巨体が甚大な爆発を引き起こした。

 

 その爆発は凄まじく、壁を砕かれたビルが一棟、とうとう粉々に崩れ落ちた。

 

「……げほっ、げほっ」

 一足早く現場から逃げた希沙が、立ち込める砂埃を振り払いながら戻ってきた。

「おー。無事だったか希沙ちゃん」

 瓦礫の山の前で、淘滋がからからと笑いながら手を振っていた。

「そりゃこっちの台詞だよ」

 心底呆れた調子で希沙は溜め息を吐こうとして再びむせた。

「……げほっ! ぶげほっ! ……なん、なんであんたがアゲートドライバーを持ってんのんさ!」

「あげえとどらいばあ? あのベルトのことか?」

 それでどうして名前を知らないのか、訝しんだ希沙が淘滋を見直すと、いつの間にかその腹からベルトが消滅していた。

「んん? あれ? あんた、あのベルトどうしたの?」

「ん? ああ、返した、っつうかなんつうか」

『っおいおい! これでなんで新顔のほうが生き残ってンだよ!』

 そこに、くぐもった若い男の声が聞こえてきた。

『こいつは。 とんだ阿呆がとんだバカをしでかしてくれたものだ』

 続いて呆れたような声。

 淘滋が見上げると、周囲のビルの屋上や張り出したテラスなどに、ある者は腰かけ、ある者は立って、こちらを睥睨する四人の人影があった。

 白昼の逆光でよく見えないが、それらは全て先ほどの淘滋が使用したのと同じベルト──アゲートドライバーを装着しているようだった。

 ライドウェアの上にめいめい種類の異なる果実を模したアームズを装着しており、鎧の突起がまるで悪魔の翼のようなシルエットを形成して淘滋を取り囲んでいた。

 遅れて見上げた希沙は、まるで見慣れたような顔をしていたが。

『ついてきてもらおう。 分かっていると思うが、抵抗は無駄だ』

 四体の変身者のうちのどれが発した声かはわからないが、その宣告に淘滋は薄い笑顔のまま両手を挙げた。

 


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。