――願いのタネ、という物がある。
ある火山地帯に住まうフェニックスが守護する奇跡の産物。
手に入れたものの願いを何でも一つだけ叶えるという逸話を持つ、あらゆるものが羨望する品である。
それは例え神であっても例外ではなく、冥府を統べる神ハデスはそれを求め、部下を火山へと遣わせた。
ハデスと敵対する女神パルテナもそれに呼応し、彼の企みを阻止するべく彼女が一番信頼する天使ピットを向かわせる。
彼らの戦いは火山よりも激しく、盛り、しかしどこか適当で。何だかんだと漫才を交えつつ死闘を演じた彼らであったが――結果的に激昂したフェニックスはピットの手により倒され、願いのタネも壊された。
当然ハデスはそれをいたく悲しみ「おじさん泣いちゃうよぅ」と大粒の涙を流し……なんて事は一切無く。むしろそれこそが彼の策略であった。
願いのタネの真実を隠し、人間達の国を扇動。フェニックスが倒されたという情報だけを用い、タネを欲する大国同士の大戦を引き起こさせたのだ。そう、パルテナ達はいっそ見事なまでに出し抜かれたのである。
兵が走り、剣閃が舞い、矢が飛び、その一切を大砲の爆発が吹き飛ばし。幾つもの大きな街が焼け滅び、人間の世は大混乱。
ハデスも戦場に散っていく兵の魂が大量に手に入りウッハウハ、冥府で一人大笑い。
――そんな中パルテナ達は、少しでも冥府軍を抑えるべく戦火の立ち籠める空を舞っていた。
* * *
「うわっ。これはひどい」
パルテナの飛翔の奇跡により空を飛ぶピットは、眼下の光景に思わず顔を歪めた。
そこに広がるのは、欲に支配された人間達の醜い争い。CERO『B』では到底表現できないような惨状だ。
人間の営みには不干渉でなければならぬとは言え、求めるものが既に無い以上これは余りにも無為に過ぎる。ピットの持つ神弓ホークアイが強く握り込まれ、ギシリと軋む。
「ハデスの狙い通りになってしまいましたね……」
『何でも望みが叶うとなれば、皆必死になるでしょう。国を挙げての争奪戦が起こってもおかしくはありません』
「わっかりやすいなぁ、もう!」
空に無数に浮かぶ冥府軍。視界に映るその全てを撃ち貫きながら、ピットはパルテナの誘導に従い高速で飛び回る。
冥府軍も妨害するピットに攻撃を加えるが、彼は身軽な挙動で回避。お返しにチャージショットを見舞い、密集していたモノアイを纏めて浄化。跡形もなく吹き飛ばした。
しかし倒すべき敵はまだ大量に残っている。その数の多さ、そして争う人間達の喧騒にうんざりしつつ、ピットは嘆きの声を上げた。
「もう願いのタネなんて無いのに! それを教えてやったらどうですか!?」
『そうしたいのは山々ですが……既にここまで戦火が広がった以上、啓示を授けても止まらないでしょうね。国王にも面子という物がありますから』
上に左に下に右に。徐々に苛烈さを増す冥府軍の攻撃を避けて低空飛行、ピットは戦場の様子を間近に見ながら歯を食いしばる。
そうして胸に滾る憤りを神弓に込め、只管に敵を撃ち抜いていく――と。
『!! 下がります、ピット!』
「うわぁっ!? パルテナ様、どうし――――!?」
――突然パルテナがピットを引かせたかと思えば、空の彼方より飛来した巨大な何かが戦場に墜落。兵士の大多数を巻き込み、炸裂した。
爆風と共に桃色の光が空を覆い、湧き出る茨がドーム状に広がって。
その衝撃たるや凄まじく、パルテナの判断が一瞬でも遅れていれば、ピットもそれに巻き込まれていた事だろう。
「うぐっ……こ、これは……!?」
『――あーっははははは!! いい気味じゃ! いつまでも進歩しないサルめ、滅するがいいわ!!』
あまりに衝撃的なその光景に呆然とするピットの脳裏に、大層愉快に嗤う少女の声が響き渡る。
慌てて辺りを見回せば、空一面に巨大な少女の幻影が浮かんでいた。
神が自らの威光を示すためによく行う術法だ。未だ幼気な容姿の彼女は腰に手を当て杖を翳し、兵達が戦っていた場所を見てからからと笑う。
『あなたは……自然王ナチュレ! 何故こんな場所に……!』
『む、そなたが女神パルテナか。わざわざ人間どものために活躍しておるようじゃな』
ナチュレはピット達の存在に気づいたのか、意識をこちらに向け語りかけて来る。
その様子は多分にこちらを嘲ったもので、先程爆発に巻き込まれかけ、兵達が消えて行く姿を近距離で見ていたピットは怒りを爆発させた。
「兵達をあんなに巻き込んで……何故こんな酷い事をする!!」
『ふん、人間は欲望に忠実で自らのことばかり考えておる。根も葉もない噂話で殺しあうなぞ生けるものの筋が通らん。だからこの初期化爆弾で浄化してやったまで』
『……では、その人間を駆逐するあなたも道理に反する事になりますね』
今や冥府軍だけではなく、自然軍も加わり三つ巴となった戦場の空。混迷を極める場で互いに主張し合いながら、ピットはドーム状の物体へと急襲する。
『駆逐ぅ? ほぉ、そのクチが言うか。そなたらは冥府の魔物を散々手にかけておるが?』
「そ、それは……」
『浄化と言って欲しいものです。彼らは天に地上に仇なす者なのですから』
『なればわらわも言ったぞ、浄化とな』
パルテナはその言葉に返す事無く、誘導するピットをドームの中へと突入させた。
……初期化爆弾、爆心地。その中は溢れんばかりの生命力が暴走し、酷く歪んだものだった。
毒々しい色合いの植物たちが蠢き、絡み合い。まるで生物の内臓のように脈動している。美しい――とはとても言う事は出来ないだろう。
『人間どもは一方的に生物を狩り、木を切り、山を削り。自らだけは食物連鎖から逃れようとする。明らかに摂理より離れた行いじゃ! 何故人間だけが特別といえる!』
『――人間が、神に最も近い生き物だからです』
――ぴしゃり、と。
ナチュレの言葉を切って捨て、パルテナは静かに言葉を紡ぐ。
『神は人類に介入してなりません。いくら強大な力を司ろうと、私達にそんな権利はない筈です』
『他の生ける者全てを蹂躙しておるのじゃぞ! それでも――――!」
(……うん?)
パルテナとナチュレ、二柱の女神が喧々囂々と議論を交わす最中。
会話に付いて行けず半ば仲間外れにされ、チクチクと自然軍を屠っていたピットは、眼下に気になるものを見た気がして目を細めた。
毒々しい世界の中、自然軍とは違う人の姿のような物があったような……?
「……パルテナ様? あれは……」
『良かろう! 全て破壊され、手遅れにならない内にわらわが救ってやろうぞ! そう――!』
怪訝に思ったピットが伝えるより先に、議論に激昂したナチュレが意気揚々とそれを告げた。即ち。
『――この初期化爆弾の力で、人間達を皆農奴に変えてやるのじゃ!!』
『………………、はっ?』
余りにも流れを無視したその発言に、パルテナから素の声が漏れた。
そうしてどういう事かと聞き返そうとするより前に、彼女の耳に野太い声が微かに届く。ピットのものではない。では誰の。
「えっと、パルテナ様」
何とも微妙な表情を浮かべるピットの指先を追ってみれば――『うっ』そこには、狂ったように土を耕す屈強な男達が居た。
おそらく先程戦っていた兵士達だろう。鎧を脱ぎ捨てた彼らはみな敵も味方も関係なく元気に汗水を垂らし。「自然王バンザイ」とナチュレを讃える歌を張り上げながら、ひたすらクワを振り下ろす。
よくよく観察してみれば彼らの誰もが常軌を逸した目つきをしており、まともな状態ではない事は明らかだ。イッちゃってる、と言い換えてもいい。
「ナチュレ……あれは一体?」
『ふふん、この新型初期化爆弾――名をとってカブ式初期化爆弾としようか、には爆心地を自然で溢れ返させる他に、巻き込んだ者を自然大好き人間に変える力があるのじゃ』
『自然大好き人間……ですか?』
『そうとも、愚かなサルどもは慢性的に自然への愛が足りんのじゃ。ならばそこを補ってやれば、少しはマシになるというもの』
ナチュレは自信満々にそう言うが、正直パルテナ達には理解できない。
いや、言いたい事は分からないでもないのだ。そう、分からないでもないのだが…………。
異常な程に明るい笑顔を浮かべ、流れ落ちる汗と涎のたっぷり染み込んだ畑を耕し続けるという、健全だか絶対に健全ではない光景を眺め二人は悩む。
「……ど、どうします。どうします?」
『……見た所、彼らに自由意志は無いようですね。一種の洗脳状態にあると見て取れますので、やっぱりやっちゃっても良いのでは』
『お? 何じゃ、やはりわらわに挑戦するか。ならばここは一つ、こちらからも戦士を派遣してやろう』
――出よ! 剛力のロッカ!
パルテナ達の内緒話が聞こえたのか、ナチュレは再び敵意を昇らせ、彼女が信頼する戦士の名を呼ぶ。
するとそれを引き金として、天より巨大な岩石が現れた。自然軍幹部の一人、剛力のロッカの移動形態だ。
最早隕石と化したロッカは凄まじい勢いでピットを掠り、跳ね飛ばし。軌道上にある障害物全てを破壊しつつ、際限なく墜落していく。
「うわぁぁぁぁぁ!?」
『ピット!』
当然、接触によりバランスを崩したピットもそれに追随し、初期化爆弾の紅い闇中へと落ちていく。
後に残るのは、その無様を愉快そうに見つめるナチュレの笑い声だけ。
――カツンと。彼女の腰元に差された赤い剣が、杖と触れ合い硬質な音を立てた。
やっぱりナチュレ様は最高です!